ハードコア・パンクは、すごく好きなんだけど、ハードコアって何だろうと、改めて考えてみた。
演奏のスピードに関しては、あまりに速すぎても、曲の良さも何も無くなって、ただの音塊にしか過ぎず、面白く無い。「死ぬ程速く演奏するしか表現出来ない想い」、そんな気持ちを込めて作った曲を、更に死にそうになる程に無理に速く演奏するから感動するのであって、その必然性も無いのに、ただ単に速く演奏し易くするためにシステマチックに作った曲なんて、白けるだけだ。では、他には・・・?と考えると、やはり曲や演奏の速さだけでは無く、その密度なのでは無いだろうかと思う。その濃さ、重さ、激しさ・・・。すべては、曲や演奏にどれほどの感情、想い、情念が詰め込まれているか。その含有量が多ければ多いほど、実際に、喉や指や身体や神経も、ひたすら過敏に過剰に過激に使わざるを得なくなるはずだし、演奏スピードも含めた上での、その容量、密度が濃いものこそ、真にハードコアと呼べるのではないだろうか。
ハードコア・パンクには、私の好きな要素が含まれてる可能性が高いが、あらかぢめ用意されたハードコア・パンクのスタイルと言う器に何を入れても、それは単なるお行儀の良い音楽でしか無い。激しい想いを速いビート(あるいは、性急なる衝動)に乗せて吐き出し、ぶちまけ、爆発させた時、やっと行き着くその果ての姿、形状。それこそが、初めて、本当にハードコアと呼べる音なのではないだろうか。
スコーピオンズのファースト・アルバム「ロンサム・クロウ」は、つい半年くらい前に初めて聴いたのデスが、なんせ店でこれを聴いてると、私の知り合い(特に洋楽好きな人達)は、皆、ビックリするのデス。日本人アーティスト専門の中古貴重盤屋をやってる事から、まず和モノしか聴かないイメージが強く、洋楽と言ってもせいぜいイギー・ポップやパンクを好きなのは知られてるのデスが、ハード・ロックとかプログレを好きだとは思われて無い様デス。まあ、実際、洋楽のハード・ロックやプログレは殆ど聴きマセン。高校に入ったばかりの頃は、一応、クイーンだとかアイアン・メイデンだとか、ストーンズとかを普通にかぢりマシタが・・・。やはり言葉と言うモノにすごくコダワリがありマシタので。最近は、言葉、歌詞に関して、また異なった見解をしておりマスが、それはまたいずれ発表するとして・・・。スコーピオンズはそもそもドイツのバンドで、セカンド~特にサード・アルバム以降はアメリカのバンドと言っても差し支えない程、普通のハード・ロックになってしまいマス。洋楽ファンの人に聞いた話だと、日本人は昔からドイツの、いわゆるジャーマン・ロックを好む傾向にあるとの事で、何故でしょうか、日本人同様、内向的にならざるを得ない土地柄、国民性があるのでしょうか?東西ドイツのベルリンの壁、日本の閉鎖性、政治の事を語るにはあまりに無知なので避けマスが、何か共通点があるのでしょう。しかし、先に述べた内向的と言う点、表現が内に向かうのは、やはり共通するのでしょうし、私の好みでもありマス。と、言っても、内なる想いを外に向けて放出する様な音楽が好きなのであり、ただ内向しているだけの混沌としたママの大人しい引きこもりサウンドには、あまり興味ありマセン。こころの中にある、何だか解らないけどモヤモヤした何か、五体が破裂しそうな、その想いを全身全霊、外に向かって爆発させている様な音楽が好きなのデス。
足りないんだ!!この俺のこころの傷を癒すには。ぽっかりと空いたこの虚しさを埋め合わせるには、そんな半端な音では駄目なんだ。もっと激しく、もっときつく、もっと死ぬほど、もっと濃く、もっと熱く、もっと命がけで・・・。そこまでやってくれないと、満足出来ない、納得出来ない、今にも死にそうな俺のこころは癒されはしないのだ。人間である限りつきまとう、この重苦しい想いを抹殺して欲しい、粉々にぶち砕き、そのかけらさえも、ひとつ残らず成仏させて欲しいのだ。
「ロンサム・クロウ」。パンク好きには、この高音ヴォーカルが耳障りかも知れない。しかし、ロックと言うより、ジャズ畑のベースとドラム、そして、マイケル・シェンカーの、おそらく「かなり、親に厳しく育てられ、甘えたい時期に甘える事を許されなかったのであろう」(←超勝手な思い込み)、苦悩、怨念、葛藤、絶望、断末魔の叫び的なギター・ソロ。ああ、重苦しいこの肉体が溶けて無くなる程に、傷だらけのこころに突き刺さる。なんて優しい音色なんだ。
ちなみに、オリジナル盤の曲順は実にプログレッシヴで取っ付きにくいが(実際、殆どのスコーピオンズ・ファンが、このファーストを駄作とみなしている)、曲順違いの再発は、ハード・ロック時代にブレイクした時の来日記念盤か何かなので、パンクや、激しいロックを好きな人でも、割ととっつき易いかも。CDは廃盤らしいけど、この曲順違いの再発アナログLPはプレミア無しで、入手はそんなに困難では無いので、是非、見つけたら買ってみて下サイ。(←あっ!!あくまでも、私と好みが近い人は・・・デスよ。)
しかし、この日記を改めて読み返すと、我ながら気障と言うか、偉そうな事言ってるね~。気障な言い回しは思春期に甲斐よしひろのラジオを熱心に聴いてたせいだと、コナイダその番組を録音したテープを聴き直して判明。偉そうなのは当然。国家や権威に隷属、あるいは何処かに所属しないと自分のアイデンティティを保てない人間を除いて、皆、一人一人が自分国の国王なのだ。だから、国内では偉くて当然。でも、誰かと居る時は外交の様なものデスから、相手の国の理論も尊重しないと、戦争になりマス。そう言う意味では、やはり、この日記は宣戦布告かも知れマセンね。
とりあえず、公約通り、愛聴盤を5点ほど挙げておきマス。解説はいずれまた・・・。(なお、立場上、マリア観音は除外イタシマシタ。)
①ザ・スターリン「trash」LP
②イギー&ザ・ストゥージズ「RAW POWER」LP
③THE EXECUTE「1st」(ソノシート)
④上久保純「サンフランシスコの奇跡」LP
⑤スコーピオンズ「ロンサム・クロウ」再発の曲順違いLP
⑤だけは軽く解説すると、後のハード・ロックのスコーピオンズとは音楽性もメンバーもかなり違うので、このファースト・アルバム以外は全部ダメ。しかも、再発の曲順違いを先に聴いたので、こちらを挙げマス。若き日のマイケル・シェンカーの、“苦悩の旋律”的な、どこまでも暗く内向的なギター・ソロが最高なのデス。
これらを総称して、「喫茶ロック」ならぬ、「殺気ロック」と私は呼んでおりマス。音楽によって生かされてる私は、音楽によって毎秒殺されたいとも思っているのデス。
私の嫌いな音楽について言えば、レコードやCDを買う金もそうだけど、わざわざライヴに行くとか、もっと言うと、CDを聴く時間てのも、短い人生の内の貴重な時間を割くわけでしょ。となると、わざわざこっちがこれだけ時間や労力を費やしてるのに、このCDから流れ出す不快な音はなんだ!?となる訳。毎日、他にもやる事いっぱいある自分が、更に時間を費やしてまでも、音楽から生きるためのエネルギーをもらおうと努力していると言うのに・・・。
この世に独りしかいない自分の存在を理解してもらおうと声を張り上げる訳でも無く、とにかく何かを表現したいと苦しみもがいてる訳でも無く、少しでも自分が良いと思える理想の音楽に近づこうと無理してる訳でも無く、美意識を貫くために命を削ってる訳でも無く、ただ漠然と音を垂れ流してるだけの音楽ならぬ音塊のために時間を無駄に費やす事は、私にとっては本当に腹立たしい事なのデス。
下手でも、馬鹿でも、嘘でも、真似でも、表面的には激しくなくても、今あるすべて、ありったけの魂をこめずして、なんで他人を感動させられようか。なんで人前で演奏なぞ出来ようか。
こんな言い方は失礼かも知れないが、言葉をはっきり発音出来ない障害者の人が、喜びを表すために必死で身体をくねらせ、少しでも大きな声を出そうとしている姿の方が、よっぽど感動的だ。
私にとって、音楽は耳で聴くものでは無い。音楽を通して、その人間の魂に触れたいのだ。
どんな音楽が好きか?と、聞かれた時には、こう答える。
生きるとか死ぬとかが表現されている音楽。
闘ってる感ぢのする音楽。
基本的に、何故好きなのかが、自分にとってハッキリしない音楽は聴かない・・・と、言うか、好きになってからも、「俺はこの音楽を、何故好きなのだろうか」とか、「俺はこの音楽を本当に好きなのだろうか」と、しばらく自問自答は続く。それでも生き残った音楽だけを愛聴する。
ジャッジするのは自分自身。君が好きでも僕は嫌い。君が嫌いでも僕は好き。
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