そもそも世の中ってのは、自然災害等の避け難い変化を除き、そこに存在する人間によって形作られるもので、“世の中”イコール“人のこころ”と思って差し支え無いだろう。それで、自分はどうだったかと考えると、音楽で特に感銘を受けたパンク・ロック、すなわちスターリンやジョニー・ロットンによって、自分が変えられたとは思わない。むしろ、こころの奥底で共鳴したと言うか、気づかされた、目覚めさせられた、一番適切な言い方をするなら、“呼び覚まされた”と言う感ぢだろうか。考えてみれば、納得出来ない他人の意見には頑として耳を貸さないこの私が、何故かパンクだけは素直に受け入れたのだから。
それを踏まえて考えると、音楽で世の中を変えるには、現在幅を利かせている、表面的な感動や物質的な欲求のみを満足させる様な音楽では無く、本当にリスナーのこころを打つ様な音楽を演らなければ駄目だと言う事か。しかも、それが通ぢる人間に対してのみ有効なのだから、まずは同ぢ魂を持つ人間を探す、出会う、見極めなければならない。人間の、この短い一生のうちに・・・。
また、音楽で世の中、つまり人を変えると言う事は、言わばオセロ・ゲームの様なものかも知れない。こころの底からの感動も知らないまま、こころの底からの欲求にも気づかないまま、ちまたに溢れる表面的な感動、次から次へと押し寄せる物質的な欲望に挟み撃ちされ、それらを盲目的に追い続け(本当は追われ続け)、一生を終える人間が、現実的には、ほとんどであろう。そう言う意味では、人の感受性に最も訴えやすい、音楽と言うジャンルの担うべき役割は大きく、その責任は重大であり、音楽で世の中を変えるためには、そもそも音楽のあり方自体を考え直す必要があるだろう。
現在、パンク・ロックは一般的に充分認知されている様に見える。しかし、現在流行している様な、スタイルのみのパンク・ロックで、人に感動を与える事など出来るのだろうか。人のこころは、いつからそんなにお手軽で安っぽくなったんだ。表面的に、いかにもパンクなサウンドをやってても、パンクの振りをしても、私は違和感を感ぢて仕方無い。本当にこころの底から感動している人間はいるのだろうか?表現は模倣から始まるとは言うものの、一体パンクの何処を見て、何に感動、共鳴したと言うのだろうか。パンクと言う名称は、ある日生まれたが、パンクはある日、パンクに“なるもの”ぢゃない。元からこころの中に“あるもの”だろ。抑圧され、虐げられ、押し潰された少年少女の死にかけたこころを、今流行のパンク・ロックとやらは、本当に目覚めさせる事が出来るのか?
音楽で世の中は変るか?音楽を演るのは人間であるゆえ、人間を変える、否、目覚めさせるのは、とどのつまり人間でしかない。音楽はあくまでも表現手段であり、音楽を演る事を目的とするだけの(バンドやる事が目的のバンドみたいに・・・)音楽は、単なる娯楽に過ぎない。
スポンサーサイト