Mr.エレクトの独り言 2003年11月25日
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

行川和彦サン

インディーズ・イシューと言う音楽雑誌に、木幡のインタビューが載るかも知れないので、バック・ナンバーを買って読んでいたら、行川和彦サンが、連載記事で、私がエレクトタイムスで書いた事や、この日記で訴えてる事とそっくりな事を言っていた。プロ意識について、客をなめたバンドの態度、エンターテイメントはもてなし・・・等。内容が、あまりに似ているので驚いた(以前に一冊読んだ時に、似た事を言ってるなとは感ぢたが、今回、数冊読んでみて、言葉使いも類似しており、もしかして、私が真似したのでは、と疑われているかと思うとイヤなので、誤解は一秒でも早く解きたいため、慌てて、この日記を書いているのだが・・・)。さすが、ハードコア・パンクを好きな人だけの事はある。きっと、音楽が好きゆえに、同ぢ不満を感ぢているのだろう。数年前の、フールズ・メイト誌での、マリア観音のインタビュアーも行川氏だったし・・・。招待券、贈らなきゃ。

<2005年6月21日の追記>
結局、同誌にインタビューは掲載されなかった。行川氏に関しては、つい最近、あるレコードの解説文を読んで、ああ、やっぱり自分と性格が似てるんだな~と、再認識イタシマシタ。
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友川かずき①(1987~88年頃)と長谷川きよし(同年頃)

セカンド・アルバム「肉声」収録の、「おじっちゃ」を初めて聴いた時は、本当に驚いた。ジョニー・ロットンも、町田町蔵/INUの「メシ喰うな」も、奇形児の「迷信」も比較にならない。これは本当にヤバイものと出会ったものだと思った。アパートの隣に住む住人には絶対聴かれてはならないと思った。危ない奴と思われてしまう・・・、と。

その頃は、インディーズもすっかりブームとなり、大資本が参入。結局、単なる商業市場と化してしまっており、ハードコア・パンクも音楽性が(悪い方に)変化して来て、ライヴハウスへ観に行きたいものが無くなって来ていた。それで、歌謡曲、日本の古いロック等の探求から、友川かずきにたどり着いた。三上寛もその頃に知った。三上寛の、URCレコードからのアルバム、「ひらく夢などありゃしない」を聴いて、スターリンの「trash」は、これのパンク版である事にも気づいた。

長谷川きよしも観に行った。目が見えないのに、否、目が見えないからこそか、あの、弦が200本くらいあるのでは?と思える様な、目まぐるしくも多彩なギターの音色は感動に値する。音楽的傾向が好みとは少しずれていたので、その後、観る事は無かったが、あのギター・プレイは一生忘れられない。

そして、友川かずきだ。初めてライヴに行ったのは、1987年か88年だったと思う。まだマリア観音とは出会っては居なかった。

追伸

俺は本当に涙が出るよ。昔は好きだった、あの人、この人。

オマエ等、皆、ウソツキだ!!なんで、皆、適当な所に収まってやがるんだ。

オマエ等が負けるから、後の奴も皆、負けるんだ!!

チクショー!!

すべての年老いた人間よ・・・

好きなバンドやアーティストが、駄目になるのを見るのは悲しいものだ。やめてしまったり、解散してしまうのも悲しいが、それ以上に、明らかにつまらなくなる、レベルが落ちる、否、意識的に下げるのを見るのは・・・。

始めた頃は、皆、情熱的で、輝いているのに・・・。後になって、自分が若い頃に作った歌を聴いてみろ。嫌な大人になりたくない・・・と、歌った自分が、今や、その、嫌な大人の仲間入り・・・。なんて、笑い話にもならないよ。

結局、目標が小さ過ぎるからだよね。ちょっと人気者になりたいとか、ちょっとお金が欲しいとか、そんなんだったら、なりふり構わず、最初からカッコつけなきゃ良いのに。森で遭難した時、遠くの建物目指して常に歩けば、いつかはたどり着く可能性も無きにしもあらず。でも、目先の目印ばっか目指してたら、いつまでたってもたどり着くどころか、ここが自分の居場所、行き場所、安息の地だと思い込み、死の宣告にも等しい、求刑ならぬ休憩ばっかり。とりあえず身近な友達、とりあえず手近な異性(or同性)、とりあえず結婚、とりあえず就職、とりあえず安心、とりあえず満足、とりあえず満腹。とりあえず臨終。

足りないよ。人生は短すぎるよ。なのに、もう棺桶に足つっこんでどうすんだ。死人の歌う歌では癒されないよ。冒険心、探求心、闘争心、挑戦、追求、何も無い。自分が死んでいるのにさえ気づかない。

堕落してしまうアーティストを許すな!!闘い続けるアーティストを支援せよ!!

どこが良くて、何が好きで、そのアーティストを好きになったのか、忘れたのかよ。

本当は、誰でも良かったのかい?