音楽を始める人よ、必要に迫られた衝動、衝動に基づく必然性が無いならやめとけ。
始まりは下手でも良い。否、下手で当然。やり始めは、人の真似でも何でも、とにかく、強く“やりたい気持ち”があれば、それで良し。
だが、持続するのは楽ぢゃ無い。もちろん、ただ続けるだけなら可能だが、そこに価値、意味、意義は無い。
真に、当初のスピリットを持続しているのなら、演奏技術は向上するはず。あるいは、表現の幅は増すか、更に深く、表現したい真の姿に迫ってゆくはずだ。
仮に、変わらない事を目標にしていたとしても、現実に体力は衰え、情熱も冷めていくのが普通なのだから。
趣味なら良いのだ。こちらも素直に楽しめる。
日本は中途半端に裕福で、中途半端に貧しいからイカン。
こころの飢えに気づかない。
★この日記、怒ってばっかで、自分でもたまに、みっともないかな~と、思ったりもする。でもな~、やっぱどうしても納得出来ないんだよな~。
スポンサーサイト
昨今は、昔の音源がどんどん再発されたり、発掘されたりしているが、私は、基本的に、これを良しとしている。いつの時代のものであろうが、それが良いものであるなら(否、どんなものであれ)、触れる機会を増やす事は悪くない。中古レコード屋を経営してはいるが、廃盤レコードのプレミア価格が暴落したって構わない。
だけど、当時感ぢた良さのすべては、絶対伝わらないと思う。別に、自分の時代が良かっただなんて言いたいのでは無い。私にしても、日本のハードコア・パンクの台頭は、地方に居ながらも雑誌の記事やレコードの通信販売、テープの交換等で味わう事が出来たが、東京のバンドのライヴを観る事が出来たのは(スターリンはツアーで広島にも来たが)、1984年に上京してからがやっとだった。ビートルズの登場の意義や、パンクの誕生、日本のグループ・サウンズ全盛期等にせよ、当時味わった人とは、やはり、印象にかなりの落差がある様に思う。
スターリンを例にとっても、大暴れしてる頃に実際ライヴを体験した人、私の様に通販で買った「trash」の“悪意”にショックを受けた人、メジャー・デビューLPの「STOP JAP」にハマッタ人、再結成から溯った人、日本のパンクの元祖として接した子達・・・と、様々である。仮に本質が変わっていなければ、いつ聴いても同ぢはずだが、純粋に表面的な音の傾向で音楽を聴く人もいるから、時期が同ぢでも、人それぞれである。
私が、“いぬん堂”と言う復刻レーベルに敬意を抱いているのは、ただ単に、骨董品を再生するのでは無く、自分が感動した気持ちごと、音楽を現代、そしてこの先も、きちんと残そうと言う意欲が感ぢられるからだ。もちろん、先に述べた通り、自分の受けた感銘が誤解無く伝わるとは限らない。否、むしろ伝わらない事の方が多い。しかも、レコードやライヴ音源を発掘、復刻するに当たり、当時のライヴ日程を苦労して調べあげて掲載した所で、売り上げがなんぼも上がる訳では無い。しかし、やる。100の誉め言葉よりも、1の行動。リスペクトの表明を口にするのは簡単だが、行動するのは困難である。これは、もはや、音源の復刻と言うよりは、“いぬん堂”社長、牛戸氏の自己主張の表明であり、価値観の提示であり、ある意味、牛戸氏の新譜とも言える。インディーズだろうが、メジャーからリリースしようが、この先メジャーになろうが、なるまいが、そんな事はどうだって良い。世界中の誰ひとりとして意義を認めなくても、本人が認めればそれで良し。(まあ、それぢゃあ、やって行けないから、売れないと意味が無い。・・・趣味なら良いけどね。)
問題は、何故、わざわざ昔の音源を持ち出さなければならないのかと言う点だ(その点、前述の“いぬん堂”は現行のアーティストも出しているので、単なる懐古主義の復刻専門レーベルでは無いと言える)。これほど、自称ミュージシャン人口が多い現代において、一体どうして・・・。要するに、若い子は、よっぽどの変り者を除き、現代のパンク等で満足出来るだろうが、30代以上の人達が聴くもの、現在聴けるモノが無いのだ。否、私は「ある(居る)」と言いたいが、それが何を指すかは解かっていると思うので(本当は、他所のレーベルの宣伝をしている余裕など無いのだが)、今回は止しておく。結局、感受性の強い思春期に聴いたモノを聴くしか無いと言うのは、聴く側が成長して無いのか、それとも、アーティスト側が成長して無いのか・・・。
日本は、社会人になると、生活様式がすっかり変ってしまうため、真剣に音楽を聴き続ける人が少ない。ゆえに、どうしても、リスナーとアーティストの足並みは揃わない。もちろん、揃わなくても良いのだが、若い頃好きだったアーティストが、気づいたらもっと凄くなっていて、今の自分を恥ぢた・・・と、言う話なら良いが、大抵は昔は良かった・・・となる。でも、それは、まだ良い方だ。“一緒に年老いていく”なんて、冗談ぢゃ無い。それなら若い子に乗り換えた方が良い・・・けど、やっぱ世代の違いは大きく、どうしても若いバンドには共感し得ない。結局は自分が若い頃に聴いていたモノを聴くしか無くなる。
復刻は悪くない。そもそも、復刻の必要が無くなる程、良い音楽が溢れていれば、何の問題も無いはずなのだ。
初めて、友川かずきのライヴを観たのは、吉祥寺のMANDA-LAⅡだった。客の人数は20人弱。その日は、元・頭脳警察のTOSHIサンがドラムで、女性(だったと思う)ピアニストとのトリオ編成だった。
感動した。これだ、と思った。私が、音楽に対して、常に求め続けたモノ。真剣勝負の気迫、まさしく「生きてるって言ってみろ」と、抜き身の刃を突きつけられた気分。効果音的なドラムも良かったし、かき鳴らされるアコースティック・ギターの激しい音色を、美しく昇華させるピアノも良かった。・・・が、やはり友川かずきの詩、唄、歌、肉声。全身を硬直させ、魂を絞り出すかの如き、その姿は、私のこころに、日本人アーティストに対しての希望を再び灯して余りあるモノであった。凄絶な曲の後での、ユーモラスかつなごやかなしゃべりも、全く気にならなかった。私が、あまりに必死にステージを睨み続けていたせいか、「鬼の様な顔してるんだな・・・」と、友川氏がポツリとつぶやいた。全く脈絡の無いセリフだったので、ドキッ・・・とした、「自分の事か・・・」と。自分でも、恐い顔をしていたと思う。観ているこちらも本当に真剣だった、でも、そこからはリラックスして楽しむ事が出来た。私は思った、「こんな人がまだ居たんだ」・・・と。そして、こころに決めた。「よし、次から、毎回観に来よう」。
しかし、その期待はあっさり裏切られた。
次に観た友川氏は、すっかり泥酔しており、おしゃべりも超ネガティヴ。有名人に対する愚痴を言ったり、更にはライヴの時間も短かったり・・・と、期待を大幅に下回る出来だった。
当たり外れがあるってのは、やっぱり違うよな・・・。少しずつ集めた、友川かずきのレコードは、どれも良い出来だったので、レコードは聴いていたが、ライヴには、しばらく足が遠のいた。
何処かに居ないのか?死ぬ気で、本気で、徹底的に、全身全霊、音楽と心中するかの如き情熱的なアーティストは。
足りないんだよ、そんな程度ぢゃあ。今にも死にそうな俺のこころを癒す事なんて出来ないんだ!!