Mr.エレクトの独り言 2005年04月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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精神論

JRの脱線事故のニュースを見て、いや~な予感がしたが、数日後の取材で、それが明らかになった。

と言うのは、JR西日本の、まるで戦時中の様な、軍人・・・もとい、社員教育のあり方である。そんな精神論で、事故が無くなりゃあ、苦労しねえんだよ。

人間はミスをする、これは仕方無い。しかし、逆に、人間だからこそ、ミスを無くすための努力をすべきなのだ。あれではまるで、「たまに噛み付くかも知れない野性の獣を、放し飼いにしている」様なものだ。

狂犬病なら治せるかも知れない。しかし、野性の獣を完全に飼い慣らす事は出来まい。野獣は鎖で縛るか、檻に入れるしか無いのだ。

そして、同様に、一片のミスも犯さぬ人間を育てると言う事は不可能であり、ゆえに、ミスを無くすためには、複数の人間によって管理するか、物理的にミスが起きぬシステムを構築しなければならない。

なのに、今回の事故は、人間の叡智など欠片すらも見当たらぬ、前時代的なやり方で、多くの人の命を奪ってしまった。

人間と言うものを、何か勘違いしてないか?

本当に事故を無くす事よりも、部下をいぢめる事の方が楽しかったんだろうが、いかなる謝罪をくり返そうが、死んだ人間は生き返らない。

JR西日本は、事故を無くすための対策を、言動では無く、本気の行動によって、示すべきである。

ただし、“本気”と言うものは、あいまいな決意や、ぼんやりとした願いでは無い。

それでは、まるで、一かバチかのギャンブルである。

“本気度”とは、目的のために、“どれだけの気持ちを注ぐ(捧げる)事が出来るか”と言う事であり、それを証明するには、“具体的に行動した量”でしか表し得ない。

ラヴレターも書かず、電話もせずして、“本気の恋”などと、誰が言えるだろうか。

ましてや、いくら本気であっても、本気度と結果は比例し得ないと言う事も、また事実なのだ。

JR西日本は、人間の不完全さを信ぢ、運命の残酷さを知るべきだ。

夢など、もう見飽きた。
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愚かな民

一昨日になりマスが、超山田堂店主、ちょやま氏他によるトーク・イベントを観に、ネイキッド・ロフトに行って参りマシタ。同店については、色々と述べたい事(不満では無いデスよ)もありマスが、今回は、同イベントで流された映像を見て、感ぢた事なぞを・・・。

それは、ヨーロッパで、今も行われていると言う、悪魔祓いの儀式の映像なのデスが、2~3年前に行われたもので、別に、地下組織が行なっている様な、いかがわしいものでは無く、太陽の下、広い草原か公園の様な所で行われているものデシタ。神父サンが、なにやらやると、集まった村の人々が、う~・・・とうなったり、グア~・・・と叫び始めたり、まあ何と言うか、村に古くから伝わる伝統の儀式と言うか、日本で言えばお祭りとか、節分みたいなものでしょうか?言わば、堅苦しい日常生活から、一時解放されるための“ガス抜き”的な印象を受けマシタ。戒律とかモラルにうるさそうなヨーロッパならではの風習でしょうか?

それを見て、強く感ぢたのは、人間と言うのは、なんとも不思議なもので、「人間とはかくあるべき」とか、「人間らしく」と言った、誰が決めたか知らぬお題目に縛られ、生き物としての本当の姿を隠し、もっと高尚?な、別の何者かになる事を強制されている、実に不自由な存在であるな~と言う事デシタ。まあ、神に近づく・・・とでも言うのでしょうか?一見、素晴らしい事でもある様で、それでいて、そんな迷信のために、多くの、否、殆どの人間は、自分のこころに嘘をついて、苦しみながら生きていき、苦しみながら死んで行くのだな・・・とも。

ウフフ・・・、人間って、面白い。

フフフ・・・、フフフフフ・・・・。

アハハハハ!!

・・・馬鹿みたい。

誰だ!?

私達が、人間としての理想の姿とやら、あるいは人間以上の何者かになろうと目指すあまり、こころの葛藤に苦しみもがき、他人と争い罵り合い、地を這いずり回るのを見て、ほくそえんでいるのは。

そして、それによって、富を、利益を得ているのは・・・。

誰だ!?

Mr.エレクトの「真・インディーズ講座」その①

さて、前回の「インディーズ講座」が、その?まで続いたのか忘れた(調べる暇が無い)ため、タイトル変更して、再スタートさせて頂きマス。

そもそも、インディーズが、自主制作盤と呼ばれていた時代、青春の想い出や記録としてレコードを創る人達を大幅に除き、自主盤をリリースする側(アーティストなりレーベル)の意識を、解りやすく一口に言えば、「誰もしてくれないから、(面倒臭いけど)自分でやるしかない」と言うものであった。

また、当時の客やリスナーも、その様なアーティストのレコードを購入したり、ライヴを観に行くためには、自分で情報を得て、自分の足で現場に出向くのが当たり前だった。なぜなら、インターネットはもちろん、音楽雑誌や情報誌にも、その様なアーティストの情報は、ほとんど掲載されておらず、それこそ、ページの片隅のわずかな記事や、口コミで知る以外、情報を得る方法が無く、今起きている出来事を、自分の目で耳で確かめるためには、リスナー自身にも、自発的な行動力が求められていたのだ。

よって、アーティストに限らず、リスナーにも、自分もムーブメントに参加しているのだと言う意識が、多少なりともあったはずだ。

インディーズ、すなわち、自主独立。そして、それは、アーティスト(発信する)側から提示されるものではあるが、同様に、自主独立的な意識をもったリスナーと共に、創り上げていくものでもあったのだ。

だが、その様なシーン、及びアーティストが脚光を浴びると共に、観客の動員数が増えるのは良いが、それ(人間の集まる所)を大手資本が見逃すはずも無く、次から次へと、偽インディーズ的レーベルやアーティストが現われ、1980年代の半ばに起きた、空前のインディーズ・ブーム以降、音楽雑誌やサブカル雑誌への記事掲載も増え、インディーズ盤を購入出来る店も増え、情報やレコードを手にする事が容易となったのは良いが、それまでの様な、リスナーの自発的な努力など、もはや必要では無くなったのだ。

そして、結局、インディーズは、単なる小メジャーと成り下がり、インディーズ・レーベルや、所属アーティストの一部こそ有名にはなったが、インディーズ的な発想や意識を持ったリスナーを増やす事は出来なかった。

現代のリスナーにとっては、もはやメジャーだろうがインディーズだろうが、その区別など無意味であり、それを判別する事など不可能に近い。

私は、この国において、音楽に限らず、インディーズ的な人種が増える事は、今後も、有り得ないと確信している。いつの時代も、どの分野においても、インディーズ的な人間と言うのは、少数派なのだ。

だが、勘違いしてはいけない。現状に甘んぢているならば、それは単なる少数派(マイノリティ)であるが、インディーズとは、草の生えてない土地に種を蒔く事であり、虐げられている者の反逆であり、「してもらう」のを待つのでは無く、自らが“やる”人達の事を指すのである。

(つづく)

魔球の投げ方②

(「同①」から読む事)

そもそも、最近のリスナーと言うか、消費者は、感謝や尊敬と言う概念が無さ過ぎる。

確かに、金を出せば、ある程度の物は手に入り、ある程度のことは出来る。しかし、自分独り無人島で暮していれば、金なんかいくらあったって、獲物の捕り方、料理の仕方、寝床の作り方、何から何まで、自分でやらなければいけないのだ。

要するに、何が言いたいかと言うと、何でもかんでも人任せにしているために、「してもらう」事が当たり前だと思いこんでいるのだ。

私は何も、人を頼っちゃイカンとか、自分独りの力で、何もかもやれと言っている訳では無い。

ただ、ある程度の事は、独りでやる、独りで出来る、と言う事こそ、大人の条件であると思うし、自分の出来る限りの事をやって、足りない部分、自分の得意でない事を、他人にやってもらうと言うのなら、それは恥でも無いし、引け目を感ぢる事でも無い。

人それぞれ、能力には限界があり、得意な分野は違うのだ。

自分と他人との違いを認めた上で、自分に出来る事は自分でやり、更に、自分独りでは不可能な事をするために、他人と共同作業をする。それが自立した人間であり、社会的に大人と呼べるのではなだろうか。

そして、そんな自立した人間であれば、自分に出来ない事をやってくれる人、自分に足りないものを補ってくれる人に対し、感謝しない訳が無いし、尊敬の念を抱かない訳が無い。

他人の善意や情熱につけこんで、自分ではちっとも動かず、誰かに「してもらう」事ばかり要求する人間には、感謝と尊敬の意識を全く感ぢないどころか、怒りさえ覚える。

そんな人間に比べれば、多少はいい加減な部分があろうとも、独りで闘い、成功も失敗もすべて独りで、批判や非難もすべて独りで受け止めるS社の人の方が、よっぽど尊敬できるし、いくつかの失敗を差し引いてでも、私には出来ない事をしてくれていると言う点において、私にとっては感謝してやまない気持ちでいっぱいなのである。

S社に限らず、私の好きなミュージシャンや、出版社、食品会社、その他、私の人生を豊かにしてくれる、私のこころを満たしてくれる人達すべてに対し、私は感謝を忘れない。

そして、感謝を示す方法は、言葉では無く、その代金を支払う事も含めた、自分の態度と行動で表す事でしか有り得ない。

また、私にとっての“誠実”とは、世間一般の正義や正論に殉ずる事では無く、自己の価値観に殉ずると言う意味である事を付け加えておく。

魔球の投げ方①

さて、2005年4月21日「ここなら本音を言える・・・かな?」以来、具体的な事象を述べず、関係者のみにしか解らない様な意見を述べてきたが・・・

良いのだ!!

例えば、「巨人の星」であれば、魔球がどうであるとか、ましてや、巨人軍がどうであるとかは本題では無く、作者は、星飛雄馬を初めとする登場人物達の生き方や、物の考え方を通して、自分のメッセージを伝えたいと言う事が目的であり真意であるのだから、読者は、何が“起こって”いるのかと言う事より、作者が何に“怒って”いるのか?と言う事に思いを馳せれば良いのだ。

・・・と、オヤジギャグを含めた、説明するのが面倒臭いために、事件の概要を記載するのを省いた事に対する言い訳をした所で、本題に入ろう。

要するに、発売されたばかりの、とある復刻CDに音飛びが発生し、その事が、某掲示板で取りざたされていた訳であるが、その復刻レーベル(S社)は、私も資料協力で関わっており、また、私の好みの作品を多く取り上げていたりと、非常に有り難い存在であるがゆえ、昨今のネット上での魔女狩り的な“袋叩き”に発展するのを恐れ、ほぼ逆ギレにも近い反論もしてしまった訳なのである。

だが、一抹の違和感を感ぢていた事も事実。まずは、問題となった音飛びと言うミスは、確かに、購入者にとっては、許し難い迷惑千万な話はあるが、それが、いい加減な仕事による失敗なのか、それとも、1000回に1回の、不可抗力的なミスなのか?と言う点を、誰も確かめもせず、ただ文句を言い、他社レーベルに、「そっちで出してくれ」とお願いするのみ。

とは言え、S社のリリース方法に対する不満、音飛びするCDが2種も連続した事もあり、S社の業務に根本的な問題点があった事も否めない事実ではあろう。

そして、失敗に対する謝罪もだが、その後の対応にこそ、今後、失ってしまった信用を回復出来るかどうかがかかっている。

まあ、その点に関しては、近日中に、対応策が発表されるので、いくぶん良い方向へ向かうとは思われる。

しかし、驚いたのは、殆どの人間が、ネット上で不満を書き連ねるだけで、実際にS社や、購入したショップに苦情を申し立ててないと言う事実だ。批判するにも、まずは事実関係を知る事が先決だ。そして、“明らかに、リスナーをなめきった仕事をしてやがる”となった時に、初めて糾弾すれば良い。

そもそも・・・(長くなりそうなので、②に続く)

S食堂問題始末記③

ここに来て、状況は一気に良い方向へ向かいそうな気配。まだ、発表出来ないのが残念デスが・・・。

抵抗する事に、意義はある。

願望が実らなくとも、要求が通らなくとも。

今日の所は、負けたって良い。

抵抗がある事により、次からは、慎重にやらざるを得なくなるのだ。

明日のための抵抗。

少しずつでも、状況を良くするためには、今日、今、すぐに抵抗する事、行動する事、意思を示す事。

時の流れに身を任せる事は、退化であり老化である。

現状に抵抗する事こそが、ヒトに進歩と成長をもたらすのだ。

何をやっているんだ、俺は・・・

深夜、新宿店にて、在庫の箱をいくつか開け、本日から明日にかけてヤフオクに出品するためのレコードを物色。

とりあえず、手頃なLPを30枚くらいピック・アップし、PCを前にする。しかし、何故か、気が散って仕方無い。

昨日、月末の支払いラッシュの第一弾を、なんとかクリアしたせいだろうか?

ずいぶん前に、“お気に入り”に入れ、久しく見ていなかった、日本の’80sパンク系のサイトを覗いたりなんかして

しかも、検索したりなんかして・・・。

更には、自分の出身高校を検索してみたりなんかして・・・。

雨のせいかしらね~?

まあ、どうでもいいや!!

なるようになれだ!!

あ~あ、何もかも、メンドクセ~!!

S食堂問題始末記②

私だって、ロシア料理なら、S食堂ぢゃ無く、愛食堂で食べたいと思ってたさ。だけど、S食堂の方が先に声をかけたってのは、動かしがたい事実だからね。

恋愛においても、決して、先に声をかけた方が勝ちって訳ぢゃあ無いけど、白馬の王子を老婆になるまで待つ訳にも行かず、誰より早くプロポーズして来た人の熱意に打たれて、さっさと結婚しちゃっても、誰がそれに文句を言えるのかって事。本当に好きなのであれば、先なんか越されちゃ駄目なのよ。「こんな美人をいつまで独りしておくのよ!?」って話でしょ?

とは言えね、最初の結婚では失敗しても、次の結婚で、本当に自分を幸せにしてくれる人と出会う事もある訳だから、本当に愛があると言うのなら、将来、それを態度と行動で見せてもらわなきゃね?

「僕の愛の方が素敵なのに」って、早川義夫の「サルビアの花」ぢゃないけど、思ってるだけぢゃあ、何も出来ないよ。

S食堂が先にロシア料理を出す権利を得た以上、それがこの世の正義であり、ロシア料理に対する、S食堂なりの、愛のひとつの表現方法なのだ。

だってさ、愛食堂の新メニューとして予告されてる、デルゼと言う、伝説の料理だけど、「出るぜ出るぜって、デルゼはいつ出るの?」と急かしてる人は、デルゼ料理を早く喰えるのなら、愛食堂だろうが大食堂だろうが、何処でも良いんぢゃないの?でも、それはそれで自由だし。でも、もしも私が早く食べたいと思うなら、資金援助は無理かも知れないけど、何でも協力しマスって申し出るけどね?

結局さ、S食堂でロシア料理を喰おうが、愛食堂でロシア料理を喰おうが、どっちにも3000円しか払わないんだから、早い方が良いんぢゃない?本当に愛食堂でロシア料理が喰いたいんなら、S食堂では喰わずに、我慢してれば良いんだよ。それに、そんなに愛食堂の料理が好きって言うのなら、愛食堂では2人分食べても良いぢゃない?

なんか、人の愛や善意に、ただ乗っかるって言うか、またキリストを殺す気かよ。

ホントは、別に愛食堂ぢゃなくても良いんでしょ?他に居ないからってだけなんぢゃないの?もちろん、それでも別に問題無いし。

まあ、この世は契約社会だし、人間関係も色々あるから、そう簡単に権利をどうこうは出来ないからね~。リスナーは気楽に言うけどさ、大変だと思うよ。でも、リスナーにだって、何か出来る事があると、私は常に考えてるよ。

ドラえもんに泣きつくのは、その後だ。

本当に好きなのであれば・・ネ。

・・・とまあ、またも屁理屈、無理難題をふっかける、意地悪なエレクトさんでありマシタ。

・・・とさ。

S食堂問題始末記①

<引き続き、某掲示板で告発されている問題について。>
(知らない方は読み飛ばして戴いて結構どす。)

大食堂が出さない様な、珍しい料理を作る店があった。その食堂を、仮にS食堂と呼ぼう。

とは言え、S食堂の出す料理は、史上初の新メニューと言う訳では無く、過去に存在した幻の料理を再現しているだけなのだが。

最近、話題になったものでは、お菓子ならば、こけし饅頭。料理では豚料理、人骨鍋セット、魚料理、等があった。ちなみに、こけし饅頭と豚料理は、人骨鍋セットのメニューにも含まれているので、こけし饅頭と豚料理を喰った後、人骨鍋セットを注文すると、また豚料理と、デザートのこけし饅頭が出てきた!!と、えらく不評であった。

更には、蜥蜴サンの料理に毒が入っていたり、魚料理には、当時も問題となっていたらしい、抜かなければならない骨が突き刺さったママ・・・、と言った具合に、いかんせん、調理のスピードが早いのは良いが、出来上がりに問題が連続して発生し、大問題になってしまった。

いやはや、豚の肉や饅頭の原料を提供した当方としても、困った事だ。

これらの問題さえ発生しなければ、S食堂のやってきた事は、快挙であり、賞賛に値する点が多かったのだ。

何故なら、こけし饅頭や豚料理や魚料理を、20年以上も、誰も作ろうと、メニューに入れようとしなかったと言う悲しい状況が、現実にあり続けたからなのである(こけし饅頭と豚料理は、人骨鍋セットとして、2度程形態を変え販売されたが、その後、やはり15年くらいは作られていない)。魚料理に至っては、外人が手を加えた別の料理の方が市民権を得、オリジナルの魚料理は、もはや過去の遺物と化していたのだ。

S食堂が金儲け主義であろうが無かろうが、問題では無い。商売なんだから、金を儲けるのは当たり前なのだ。ただ、原価を下げるために材料をケチったり、今回の問題の様に、時間節約のために手抜きをするのが良くないのだ。

しかし、これまで一体、いつ、誰が、正当な方法で、これらの料理をメニューに加え、多くの人に食べさせようと言う努力をしたと言うのだ?大食堂は、安全に売れる料理を、季節の材料を加えたり、皿を変更したりして、それこそ繰り返し作り続けるだけで、一部の人しか求めてないと言う理由で、これらのメニューには、目もくれなかったではないか。

ゆえに、市民は、自分で料理(焼いたり)するか、不法なモグリの料理屋の粗末な料理を口にするしかなかったのだ。

だが、苦労して原料を仕込み、昔の料理を再現しても、その出来が悪いのでは、元も子も無いと言う事も事実。現に、昔好んで食べていた人達からは、こんな出来なら出さない方がマシだ!!・・・とか、初めて食する人達も、出された料理にがっかりしているだろう事は否めない。そして、これらの失敗は、料理を食べる客のみならず、魚のイメージも悪くし、魚料理を最初に作った人のイメージさえも悪くしてしまうのだ。

S食堂には、私も足繁く通っていたので、私自身もショックこの上ないのだが、既に起こってしまった事は仕方ない。しかし、だからこそ、今後の対応が最も重要だと思われる。なぜなら、一度失った信用を取り戻すと言うのは、容易な事では無いのだから・・・。

しかし、私は、今回の件が、今後の料理界にとっては、逆に、良い結果となる事を願ってやまない。

待ってるだけ、人任せにしているから、いかんのだ。

自分でやるのだ。否、料理屋をやれと言っているのでは無い。ママに泣きつく前に、やる事があるだろう。

現在、S食堂は、これらの問題について、何もコメントしていない。

S食堂に非がある事は解りきっている。しかし、集団でヒステリックに糾弾した所で、魚料理に突き刺さった骨は抜けない。骨を抜いた魚料理を出し直すのか、「骨は抜いてないのでご注意下サイ」と注意書きをするのか、いずれにせよ、行きつけの店で騒いだり、愚痴をこぼしてれば、誰かが何かをしてくれるとでも思っているのか?

乗りかかった舟で、私は本日、直接行動を起こすが、ここに発表するかしないかは、その結果次第である。

信用回復の方法は、いくつもあるし、私ならこうすると言う考えが無い訳では無いが、これはS食堂自身の問題なので、私が口をはさむにも限度がある。

そして、例え仮に、私の理想とは大幅に異なる、最悪の対処がなされたとしても、私の見解としては、今後、魚料理をメニューから外してでも、S食堂が存続出来る方を取る。

私には料理は作れないので、私はきっと、泣き寝入りする。不味い料理がメニューにあっても、もう2度と喰わなければ良いってこった。

私は、私の人生における満足を最優先する。それが私の偽らざる心情であり、それが私にとっての、“誠実”な生き方なのである。

最終的には、誰しも、自分で選ぶしか無いのだ・・・。

もし、S食堂が、今後、世界初公開のロシア料理をメニューに加えても、君は食べないでいられるのか?

そこまでつっぱるのであれば、それはそれで、あっぱれだ。

洋楽ヒストリー

さて、エレクトさんは洋楽を聴かない、更には洋楽嫌いだ、と言う噂がありマスが、そんな事無いんデスよ。

日記初期をアップしたので、中学生時代の音楽体験についてはご理解頂けたかと思いマスが、それ以前は、もちろん歌謡曲も好きだったし、そうそう、宇宙戦艦ヤマトによる空前のアニメ・ブーム直撃世代でもあり、アニメ・ソングはフツーに好きデシタかしら。

で、甲斐よしひろのラジオの影響で、日本語のうたにこだわり始める訳だけど、高校一年生の時は、ガラッと環境が変わったせいもあり、クイーンやらアイアン・メイデンやら、ブームタウン・ラッツやらブロンディやら、割と節操無く聴いてみた時期もありやした。でも、すぐに、アナーキーやモッズの影響でクラッシュ、ピストルズ、ダムドなんか聴き始め、次いて登場する、エクスプロイテッドやディスチャージ、カオスUK、ディスオーダーなんかも好きになって、しょっちゅう聴いてマシタよ。あと、クラスやRUDIMENTAL PENY(←スペルはこれで良いのだろうか?)ね。上京してからも、ドアーズやらステッペン・ウルフとか聴いたりなんかして、更にはテレヴィジョン(←いやああ、ホント、良いッスね~)、リチャード・ヘル、ジョニー・サンダース・・・。その後、イギー&ザ・ストゥージズにハマり、その後はプレ・スコーピオンズに出会うまで、好きな洋楽はひとつも増えマセンでしたな。

なんつうのかな?やっぱ、“想い”を伝えたいと言う気持ちが強く表された音楽が好きなのよ。洋楽ってさ、何言ってるか解んないぢゃん。他所の国の聞いた事も無い言葉で歌われても困っちゃうよ。ボクに何か言いたい事があるんなら、日本語で喋ってよ~・・・みたいな?

イギー・ポップや、一部のパンク、プレ・スコーピオンズでのマイケル・シェンカーのギターは、言葉を超えて、私に訴えかけるものがあったのよ。何言ってるのか解んないけど、その気持ちが伝わって来るって言うか・・・。

ドアーズは今でも好きで、フツーに楽しく聴けるけど、ジム・モリソンは好きぢゃない。アイツは詩人きどりで鼻持ちならねえ、私の嫌いな人種だ。だから、ジミ・ヘンやジャニスの方が、全然正直で、私は好きだ。

かえって、言葉なんて解らない方が、その人間の本質を歪みなくキャッチする事が出来るのかも知れないな。

結局、人は理解を求めるがゆえ、自分と同類の生き物を求めてしまうものなのだ。

プレ・スコーピオンズ「ロンサム・クロウ」紙ジャケCD化

さて、ブログ移行以前、日記の初期に紹介した、私のフェイバリットのひとつである、スコーピオンズの「ロンサム・クロウ」が、紙ジャケCDにて、国内発売されるらしい。

しかし、ここで二つ、注意点。まずひとつは、スコーピオンズとは言っても、セカンド・アルバム以降の馬鹿メタルなバンドと一緒にしてもらっては困る。ファースト・アルバムには、マイケル・シェンカーも在籍しているが、メタルと言うより、ドイツのプログレッシヴなハード・ロック・バンドで、セカンド以降のスコーピオンズと区別するため、今後、プレ・スコーピオンズと呼ばせてもらうので、皆もそうする様に。だって、ほれ、NIRVANAと言うイギリスのグループも、ヴォーカルが死んだアメリカのNIRVANAの方が売れて認知度が高いから、同グループとの混同を避けるためか、コナイダ発売された紙ジャケCDの帯には、ニルヴァーナUKと表記してあったよ。

もひとつ注意。「ロンサム・クロウ」は過去に、オリジナル盤と同様の国内盤LPと、来日記念盤かなんかで、ジャケと曲順を変更したLP(CDも出ている)の2種が出ており、今回の紙ジャケは前者なのだけど、オリジナル盤の曲順は、実にプログレッシヴで難解な印象を与えるので、特にパンクやハード・ロック等、激しい音が好きな人にはお薦め出来ない。私も、曲順違いの再発で聴いたため、運良く好きになったけど、オリジナルを最初に聴いてたら、これほどのめりこまなかったかも知れない。そこで、今度、再発盤の曲順を教えるから、今回発売のオリジナルの曲順と聴き比べてみてもらいたい。きっと、私の言わんとしている事が理解してもらえるはずだ。

ところで、良い機会なので、過去に記した「ロンサム・クロウ」レビューを始め、日記初期(2003年11月)より、6件を再掲載したので、ページ右方の<Archives>欄よりクリックし、是非、ご覧下サイな。・・・ちなみに、それ以前の約1ヶ月分は、保存するのを忘れていたため、消失してしまっているのデシタ。残念~!!

プレ・スコーピオンズの「ロンサム・クロウ」。私と好みの合う方は、是非、ご購入の程を・・・。

考える人

考える人。

・・・は、考える事によって答えを出す事に、喜びを覚えた人。

あるいは、考える必要に迫られた事のある人である。

前者であれば、幸せだ。なぜなら、それは逃避では無く、幸福感を得るための積極的かつ自発的な行動であるから。

しかし、後者は悲しい。考える癖がついていると言うか、幼少期に、苦しい状況に追い込まれた事があるゆえ、未熟な身体能力では、それを克服出来ず、こころを少しでも死から遠ざけようと、葛藤から抜け出る術として、思いを巡らせる機能が発達してしまっただけの事なのだ。

そして、それは、能力や特技、才能や長所と言えば聞こえは良いが、決してその様な誉められたものでは無い。

どう考えても、考えたり思い悩んだりしなくて良い状況に居る方が幸せである事は、想像に難くない。

考えない人は、馬鹿な人でも、不幸な人でも、愚かな人でも無い。むしろ、考えなくて良い人は、幸せな人なのである。ある種、怖いもの知らずと言うか、“こころも死ぬ”のだと言う事を知らないのだから。

思えば、私も、子供の頃はそうだった。空想する事、妄想する事によってしか、自分が何者かになったり、何かを得る事が出来ず、何時間だって、こころの内と言う無限の空を飛び続ける事が出来た。

だが、時の流れは、否、社会の掟は残酷だ。いつまでも、こころの内で遊ぶ事を許しはしない。

子供の頃、日が暮れて、空が暗くなる前に、家に帰らなきゃあならなかった様に、自由に振る舞える時間は、必ず終りを告げるのだ。

考える人が幸せかどうかは解らないが、考えなくて良い人は、幸せそうであると言う事に、今の所は疑問を差し挟む余地は無い。

考えない人は嫌いだが、考えなくて良い人にはなりたい。

・・・とも、やはり、思わない。

と言うか、こんな事を考えている時点で、考えなくて良い人には、とうていなれっこないってこった。

好きだらけ

まっ、好きなだけぢゃあ、他人を幸せには出来ない・・・と言う事だ。

“好き”である事は、態度で、行動で、そして結果でしか表せない。

時に、言葉の上手い奴が、愛情をものにするが、それにせよ、話術と言うテクニックで、相手を喜ばせ、幸せな気分にさせているからなのだ。

だが、先を越されても、焦る事は無い。

“早くやった者”が勝ちである事も事実だが、時が経てば、本当に良い物の方が高く評価されるはずだ。

待ってるよ。

君が“愛情”を行動で示すのを・・・。

(これだけ読んだら、変な誤解をされそうだが、↓を先に読む事。)

更に突っ込んで本音を語る・・・

なんで、必要以上に、あの発売元サン(以後、S社)の肩を持つかと言うと(もちろん、失策は失策として、私からも苦情は申し入れるつもりではあるが)・・・。

結局、他に代りが居ないのだ。

そもそも、マリア観音のCD製作やライヴ主催等、こんな金のかかる事をやっていなければ、私自身が、復刻レーベルをやりたかったのデスよ。だけど、今の状況では、とてもそんな事まで、金も時間も廻らない。

そんな時に現われたのが、いぬん堂サンであり、今回のS社な訳であり、S社をやってらっしゃる方は、メジャー・レコード会社をいくつも渡り歩き、私や、私の同世代の人が愛聴していたレコードをいくつも手がけてて、いぬん堂サンのセンパイにも当たる方なんだけど、この人のキャリアと人脈のお陰で、再び世に出た復刻CD作品も多いのだ。

なんせ、メジャー会社と来たら、CD復刻するにも、その敷居の高さと言うか、売り上げないといけない枚数が、ハンパぢゃ無く多く(そのくせ、つまんねえ新人アーティストには無駄金をつぎ込むが・・・)、売り上げ予想が、その枚数に満たないと、リリースされない場合が殆どで、内容は最高なのに、ただ売れないと言うだけで、再発されないで埋もれていく作品が、非常に多いのだ。・・・とは言え、あくまでも仕事であり、趣味でリリースする訳では無いので、それは批判するに当たらないが・・・。

その点、インディーズ・レーベルは、小人数でやっている所が多く、メジャー会社に比べ、売り上げないといけないノルマも少なく、メジャーが出したがらない作品も、積極的に扱う事も出来る。とは言え、それにしたって、趣味で出すならともかく、仕事としてやるからには、ある程度の売り上げが見込めなければ出せないのも事実。また、いぬん堂サンだって、何でもかんでも出してくれる訳ぢゃ無く、純粋に、自分が好きなものは売れなくとも出す・・・と言うだけの話だ(まあ、その点が貴重なのであるが)。売れもしない上に、好きでもないものに、誰がお金を出すものか。

実際、今回の件がきっかけで、S社が、復刻レーベル業から手を引いたら、困るのは私だけでは無いはずだ。言葉の問題、売り上げが見込めないとの理由で、大手が出したがらぬ天井桟敷系の復刻CDだって、このレーベルのお陰で、世に出たのだ。ゆえに、今回の批判を真摯に受け止め、改善すべきは改善し、今後も復刻業を継続してもらわないと、他に代りをする人が居ない今、またもや大手主導の面白くない復刻ばかりが続く事になる。

とは言え、私は何も、皆が復刻レーベルをやるべきだと言っている訳では無い。私の知人の中でも、例えばPサンの様に、自身のブログでお気に入りのバンドの応援文を書くも良し。UサンやGサン他・・・の様に、マネージャー業に精を出すも良し。はてはBサンの様に、自分の好きなバンドの良さをマンガで伝えようとするも良し。やり方はひとそれぞれあるだろうが、例に挙げたこの人達の良さは、あくまでも“自主的”であると言う点だ。誰に指図されるでも無く、音楽から喜びを得るだけで無く、音楽に恩返ししようと言う姿勢。まあ、そこまでしなくとも、最低限、CDを買う事や、ライヴを観に行く事でも良いよ。要するに、行動する事こそが重要なのだ。

ところで、過去の作品を復刻するには、色んな問題がついて廻り、それをきちんとクリアするのは、本当に大変な作業の様だ。また、メジャー会社に復刻を持ちかけたら、まんまとメジャー会社自身のリリース予定にされてしまったと言う話も多いと聞く。CD1枚復刻して、いくらも儲かる訳ぢゃ無し、ちょっと好きな程度では、この時点で挫折してしまうのが関の山であろう。

ゆえに、いぬん堂サンが評価される理由は、①に、売り上げに関わらず、自分の出したいものを出す、と言う姿勢。②に、復刻作品に関しては、熱意と愛情をもって、通常の予算以上の仕事(ブックレット掲載の綿密な資料作成)に力を入れる。③に、リスナーの要求に適合した、パンク系’80sインディーズ/自主製作盤の復刻がメイン。・・・の3点であろうと思われるが、結局の所、ほとんどのリスナーが、③による所が大きいと言う事は想像に難くない。私にせよ、③が無ければ、いぬん堂サンに興味すら持たなかったであろう。

しかし、私が望むのは、そんな自分の利害のみでは無く、②に、そして更に、①に対して、“行動によって”敬意を表する人間が、もっとたくさん増えて欲しいと言う事である。

もちろん、出された作品のみを評価の対象とすべきなのではあるが、もっと、自主的かつ、自主独立精神と言うものが根づいていかないと、あなた方のお嫌いな、金儲け主義の人間ばかりがいつまで経っても権力を持ち続ける、面白くない世の中は、いつまでも続くだろう。

私の様に、実際に復刻レーベルをやらなくとも、復刻レーベルに協力したり、応援する事だって出来るのだ。

だが、本当の満足なんて、自分の手でつかまなければ得られっこない。私にしてみたって、感謝すると同時に、いくばくかの不満もあるが、他人任せにしている以上、文句を言うにも限度がある。

まあ、好き勝手に不満を言えると言うのも、リスナーの特権ではあるし、今回の件は、フォロー不可能な部分が多い事も、また事実。

意志を継ぐ者は居ないのか?

ホラ!お前の番だ!!

ここなら本音を言える・・・かな?

<某掲示板での問題について・・・>

なんで、おらが謝らなきゃならねんだよ~!!

・・・と言う気持ちも、正直、ある。

おらがリリースしている訳でも無けりゃあ、チェックを任されている訳でも無いのに~!!

・・・とは言え、困ったもんだ・・・。

多くのプラスな部分も、たったひとつのマイナスで、すべてゼロになる。

ただ、多くの人に非難され、窮地に立たされているからと言って、その人を裏切る事は出来ない。私も共に泥を被り、今後リリースされる商品によって信用を取り戻す事を、応援するしか無い。

愛のある無しでは無く、やはり仕事として、やるべき事はちゃんとやらなけりゃあマズイのだ。

愛があってもミスはあり、愛など無くても、完璧な仕事と言うのは存在するのだから・・・。

今回の件は、マスター音源を過信盲信せず、仕上がりをチェックするプロセスを怠らなければ、防げた問題である。もちろん、どれだけ完璧にやったつもりでも、ミスと言うのは起きる。また、仮に手遅れだとしても、その旨、記載する必要があった事も確かだ。

願わくば、反面教師として、他人になんか任せられね~!!・・・と、これを機に、リスナーが積極的行動を起こす事を期待する。

待ってるだけでは、不満は消えない。

本当に「愛が勝つ」のであれば、それは可能であり、たとえ「勝たなくとも」、やりたい者がやれば良い。

商業主義うんぬんと言う批判もあるが、そもそも、売れないモノをリリースする奴は馬鹿である。

しかし、自ら求めて、そんな馬鹿になろうとする事、あるいは、そんな馬鹿を愛する事も、また自由なのだ。

愛が無くとも子供は生まれ、愛があっても子供は死ぬ。


<更に本音を言えば・・・>

Sサ~ン!!早いのは良いけど、も少し、きちんとやって下さいッスよ~!!(泣)

「いぬ屋敷Vol.23」潜入レポート③「あざらし」

2005年3月21日/池袋手刀
「いぬ屋敷」Vol.23
悪性新生物の間「春期狂育委員会」

③「あざらし」

お待たせしてスンマセン・・・。

さて、北海道のあざらし。ライヴを観るのは、これが2度目であるが、前回の東京初ライヴで、えらく、こころを奪われた私としては、確認しなければならない事がいくつかあった。

あざらしについての細かいプロフィールは、各自、検索して調べる様に。

ところで、私は、ライヴを観る時、なるべく後方で観る様にしている。何故かと言うと、前の方で観ると、その大音量に惑わされ、シビアな判断が下せなくなるからであり、ノリの良いロック・サウンドであれば、たいてい、それなりに良く聴こえてしまうので、よっぽど、何か忘れたい事がある時や、ただただ快楽を求めたい時以外は、そうしないのだ。

今回、一番に確かめたかったのは、あざらしを良いと思った理由が、ADKレコードに代表される、日本の’80sパンクのエッセンスに対する、私個人の単なるノスタルジーなのでは無いのか?と言う、自問自答に対しての回答を得たかったと言う事が大きい。

だが、演奏が進むにつれ、それどころでは無くなった。各メンバーの演奏がまとまってないと言うか、なんだかバラバラなのである。いぬ屋敷と言う舞台は、あざらしの良さを、東京の人間に知らしめるための重要な機会だと言うのに・・・。私は、「ああ、焦るな!!落ち着いて、落ち着いて・・・」と、ボクシングのセコンドの様に、つぶやき続ける事しか出来なかった。とは言え、ヴォーカルのメグ子嬢の歌の巧さや、若手バンドらしい勢いのある演奏は損なわれてはおらず、観客の反応も上々で、その後の、私の廻りの人間の評価もうなぎ上りゆえ、一安心と言った所ではある。

さて、それでは、先の問いに結論を出さねばならない。ハッキリ言おう。「・・・やはり、良い」。彼ら(彼女ら)は、私の大好物を、間違い無く備えている。

繰り返しになるが、私が音楽に求めるモノ、それは、その人間の偽り無き“こころ”であり、音楽に対する純粋な“気持ち”である。そして、それらは、“本気の情熱”と、それを具体化出来る最低限の“技術”をもって、初めて表出し得るものなのだ。

ゆえに、私の着眼点は、あくまでも“本気の情熱”があるかどうか?と言う点であり、現時点で“技術”が伴なってなくとも、“本気の情熱”があれば、必ず“技術”の必要性に気づき、それを獲得しようと努力するはずなのである。しかし、どれほど“技術”があろうとも、“本気の情熱”が欠けている音楽は、いくら“技術”を駆使しようとも、決して、人を、否、私を感動させる事は有り得ないだろう。(もちろん、人並み外れた超人的な技術であれば、それが“本気の情熱”なくしては成し得ない成果だと言う意味での感動は出来るが・・・。)

技術は技術のためでは無く、リアルな表現のため、そしてそれを歪曲する事無く、ダイレクトに伝達する目的のためにあるのだ。

さて、それでは本題。まずは、「蛆蟲」における、中間のブレイク個所にて、メグ子嬢が「蛆虫、蛆虫、蛆虫、蛆虫・・・」と、連呼するパートがあるのだが、その怨念の込もった迫真のつぶやき~叫びには、こころを「グッ」と、わしづかみにされた。そして、もう1曲、おそらく初めて観た時に、私の空虚なこころに火をつけたのも、この曲だったと思うのだが、「雌猫」における、追いつめられ、切羽詰まった感情が、塞いだはずの傷口から爆発するかの様に溢れ出し、それが、どこまでもエスカレートしていく曲展開には、この日も、正直、感極まるものがあった。自己嫌悪、自己破壊願望、傷付き苦悩するこころを更に切り刻み、極限まで追いつめていくかの様な、自ら死を求め、苦しい領域に足を踏み入れようとする様(さま)、私はこいつに弱いのだ。

だが、これらは決して、私個人のメンタルな嗜好のみでは無く、構造的にも説明出来る事柄なのである。表面的な部分で言えば、詩曲の内容に沿った、メリハリのある楽曲のドラマティックな構成による効果が大きい。しかし、特筆すべきは、全力を出す事くらいは、割と誰でも出来るのであるが、全力を出し切ったと思った、その更に先こそが、最も重要なのだ。わずかに残った、命を繋ぎ止めるのに必要なエネルギーさえも惜しげなく絞り出し、まるで自己の存在を消滅させたいと願うかの様な、こころのどこかで死を望む感覚、瀕死の際にのみ味わえる陶酔と恍惚に身を投げる勇気。すなわち、メグ子嬢の、楽曲のクライマックス部分における、他の基本部分を支える全力のシャウトを超えて、更に声を張り上げる事、叫ぶ事が出来る技術、声量、そのダイナミック・レンジの広さと潜在的な能力こそが最大の要素であるのだ。

それこそが、私が常日頃訴えている、“音楽に、自己表現に命を捧げる姿勢”である。言葉にすると、なんとも大袈裟だが、それもあながち間違いでは無いと言う事が解かって頂けるであろうか。

私の考える、あざらしの魅力とは、メグ子嬢の繊細な感受性から生み出された詩曲と、それを具現化出来る歌の巧さ、女性ならではの、生理感覚に訴える事の出来る肉声、全力を出し切ってなお、更に力を絞り出す事の出来る能力。そして、メグ子嬢の表現内容を理解し、それを支える各メンバーのデリカシーある演奏力である。そして、パンク・ロックの持つ激しいサウンドの形式を楽曲の基盤として用いている部分こそ多いが、他の音楽性も、幅広く、ごく自然に取り入れられている点が特徴であり可能性でもあり、それこそが、私がこのバンドの将来に期待を抱く最も重要なポイントなのである。

★あざらしは、現在、最新作「白痴」(カセット・テープ)を発売中。(当店でも取り扱っておりマス。)

次回、④「中学生棺桶」に続く・・・。

感受性

偽の大人は、仕方無く生きる。

本当の大人は、感受性と言う、こころの内の羅針盤を頼りに、自分が本当にしたい事を見つけ出し、そこに生き甲斐を感ぢ、使命感に突き動かされて生きている。

自分が自分である事を大事にし、自分と言う人間が、この世に生まれ出た意義を求めて生きる。

しかし、その感受性が、時には自分を苦しめる両刃の刃となる事もしばしば。感受性が鋭ければ鋭いほど、自分を見つめる機会が多くなり、自己と他者を比較し、他人にあって自分に無いモノ、他人より劣る部分を、否が応でも見つめさせられるのだから・・・。

そう、苦しい。苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて、顔を覆い、ここから逃げ出したくてたまらなくなる。

そして、人は、自らの手で、感受性をこころの奥底に押し込め、偽の大人になろうとする。

しかし、それも、また苦しい。

だから、偽の大人は、いつもいつも、それを見ないようにする事ばかりにエネルギーを注ぐのだ。

アハハハハ!!

こんな無意味な生き方が他にあろうか?これが人の一生か?それが満ち足りた人生か?

才能とか運命とか、そんな事はどうでも良い。

純粋なる情熱、それに勝る才能は無い。

運命なんて結果論。切り開こうが、うずくまろうが、結果は結果として訪れるのみ。

要は、自覚的、意識的に、“生きようとしたかどうか?”・・・だ。

運命なんかに、服従する必要は無い。

許す、許さないは別として、“悪”を“悪”と思うこころ。その感性に間違いは無い。

自分の・・・では無く、生き物としての人間の、感受性を信ぢ、それに殉ずれば良いのだ。

(それぞれの)銃をとれ!!

人それぞれ、価値観は違い、生きる目的も違う。

誰もがミュージシャンになる必要は無く、誰もが空手家になる必要は無い。

なりたい人がなれば良い・・・と、言うか、なろうと努力すれば良い。

それを応援する人、支える人も、その方法はひとつでは無い。

皆がそれぞれ、自分の得意な事で、参加すれば良し。

人それぞれ、能力や体力は異なるし、育った環境や、生まれ持った資質は違うのだ。

“違う”と言う事。我々にもたらされた、こんなに素晴らしい才能が他にあろうか?

それは、誰もが、何かの役目を果たす事の出来る可能性があるって事だ。

さあ、それぞれの銃をとれ!!

時に孤立し、時に共闘し、自分の生きる目的のための最良の道を見つけるんだ。

思春期の感受性とは、そのため、すなわち、自分を知るため、自分の進むべき道を見つけるためにこそあるのだ。

いつだって、子供の感受性は、生き物として正しい。

感受性は、鎖を拒否し、首輪を拒否する。

人間は、人間を奴隷にする体制には決して順応してはいけない。

自立のススメ

「自立のススメ」・・・などと、偉そうな事を言ってはみても、私も親には、よく不満を言ったものだ。それも、父親は超おっかなかったから、ほとんど母親に対してだったが・・・。

そして、その殆どは、食事の時だった。ただでさえ食べられるモノが少ない、超偏食家の私。なのに、出されたものにブーブー不満を言うので、「不服があるなら喰わんでええ!!(広島弁)」と、食卓に座ってた父親に、しょっちゅう怒られた。えっ!?・・・テコトハ?・・・、父親の居る前でも、不服を述べてた訳で、今考えると、なんて怖いもの知らず・・・と思ってしまう。

飯はただで喰わせてもらってるくせに、偉そうな話なんだけど、まあ、子供ってのは、そう言うもんでしょ?・・・と、開き直ったりして。

ところで、私は、早く家を出たくてたまらなかった。ただただおっかない父親。優しいけれど、やたらと干渉する母親。

俺は自由が欲しかった。本当に・・・。“自立”に関しての、偉そうな思想なんて、これっぽっちも無かった。ただただ、とにかく、早く独りになりたかったのだ・・・。

中学3年生の時に、初めて個室を与えられた。わずかな自由を与えられた数日後、私はこころに誓った。その日の事は、今でも明確に記憶している。

その時に思った事、「俺は一生、タバコは吸わないし、結婚もしない」。結婚は解るとして、何でタバコなのか?父も母もタバコは吸わない家庭なのに。まあ、要するに、面倒くさい事すべてから解放されたかったのだ。タバコ吸う人って、いつもライターとか灰皿とかを気にしてなきゃならないぢゃない?そう言う事すらも、みな鬱陶しく感ぢていたのだ。

ただでさえ、こころの収まりがつかない、この肉体すら、煩わしくてたまらないと言うのに・・・。

ところで、先日、(当店のPCは性能が劣るために出来ぬ、ヤフオク再出品作業をするため、)久々にネット喫茶に行き、自動出品作業中の待ち時間に漫画を読んだ。「カイジ」との出会い以来、私のフェイバリットである、福本伸行の作品、「無頼伝・涯」全5巻である。数年前に、週刊少年マガジンに連載されていたもので、途中で連載打ち切りになったらしい。ラストこそ、少年マンガゆえのファンタジーであるが、そのストーリー中、孤児の主人公が生い立ちを告白する場面で、初めて自分独りの力によって、住み処を手に入れた日の描写があり、これには共感を通り越して、若き日の自分がフラッシュ・バックしてしまった。

・・・苦しかった。俺は本当に切望していたんだ。・・・自由ってやつを・・・。

もちろん、死んだ父も、母も、嫌いでは無いし、憎くは無い。

俺が自由に生きる事、俺が幸せを感ぢる事が、俺にとっての最高の親孝行なのだ。・・・と、思って許して欲しい。

「親ゴロシ、したい時に、親は無し。」

ご来場感謝!!

昨日の、木幡東介ライヴに、ご来場頂いた方々、誠にありがとうゴザイマシタ。また、スタッフとしてお手伝いして下さった方々も、お疲れ様デシタ。

次回のライヴは、5月27日のシルバー・エレファントとなりマス。こちらも、奮ってご来場の程、ヨロシクお願いイタシマス~!!(^^)/

引っ越し日記⑥

昨日。まあ、一通りの掃除をすませたので、大家に明け渡して、保証金を返してもらおうと、歩いて10秒の大家の店へ・・・。

すると、なんと、ご主人が緊Q入院トノコトで、部屋の中を見てから、引き渡しをしたいので、退院するまで待ってくれ・・・トノコト。

まあ、大層な病気でも無いので、10日もしないで退院出来るトノコトだが・・・。

ええっ~!!せっかく、古い巣から飛び出し、新生活に向けて、すがすがしく出発しようと、こころに決めていたのに・・・。

一時保留。

一時捕虜。

引っ越し日記⑤

やっと、おわいまいた・・・。(→やっと、終りマシタ。)

一昨日の深夜、不要なものを、世のため人のために、あちこちに配布し?

昨日深夜(つまり、さっきまで)、わずかに残った棚やら何やらを、自転車で2往復して運搬。まあ、近いので、全然楽ッスわ。

前後して、もはやからっぽになった、旧・高円寺店の店内を掃除。

本日、電気と水道を解約し、大家に引き渡す。

あ~あ、これで一段落ついた。

今週は、ヤフオク出品も全然出来てないので、明日のライヴが終わって一休みしたら、来週から、またバリバリやらねば。

新倉庫の片づけは、しばらくしてからやろう・・・。

店を始めて10年。一時は3軒あった店舗も、今や新宿のみ。しかし、これからは、ネット販売第一で、がんばりマッシュ。店舗は店舗で、あると、色んな人との交流の場になるので、新宿店の方は、今後もやめないと思うが・・・。

ところで、ここ1年半、日記(~現・プログ)と言うものを始めてから、忙しい日々の中でも、色々な事を突き詰めて考える習慣が戻った様だ。そのお陰で、ただやみくもに、脇目も振らず無我夢中にでは無く、意識的に、自分がどの様に生きたいのかと言う事が、より明確に認識出来る様になった。

さあ!!あと10年は生きるぞ~!!

って言うか、あと10年くらいは生き延びさせて~!!

引っ越し日記④

昨日、夕方より、引っ越し第3弾。

まだ雨がポツポツ・・・。でも、殆ど止んでる様で、ぢきに小雨になり、結局止んで、大助かり。運搬も順調に進み、無事に運び込み終りマシタ。

古い場所は、ほぼからっぽ。

新しい場所は、もう満杯。迷路の様な室内となってしまいマシタ。まっ、倉庫だしな。今後、バンバン減らしていくわいな。

後は、本日掃除して、明日、明け渡し。長かった~・・・。

ところで、一昨日の、不快な事件についてだけど、ちょっと奥さん、聞いてよ~!!

朝11時に高円寺集合なので、10時に新宿店を出て、10時30分頃、一旦、新倉庫によった訳。そしたらさ~、裏口の扉が開いてんのよ。ええっ!!と、ビックリし、中に入ると、水道屋が、シンクの水漏れ修理工事をしてるぢゃない!!「なんで、勝手に入ってやってんの!?」と聞くと、大家サンの許可を得たとの事で、建物の脇で庭掃除をしていた大家サンを呼んで来た。

大家曰く、「何度も電話したんだけどね~、貴方出なかったから・・・」トノコト。しかし、携帯の着信履歴には、一回だけ、非通知設定からの電話が記録されているのみで、それも確か、あの人だよな?と、思い当たるふしがあるゆえ、何度もどころか、一度も電話してないんぢゃないの?当日だって、勝手に入るにしても、寸前に、一応、念のために電話してみりゃ良いぢゃん。携帯電話の着信履歴の事なんて知らないだろうから、慌てて嘘を言ったのかね?

「私が借りてる部屋だし、貴重品も置いてあるので、勝手に入ってもらっちゃあ困る」「ハッキリ言って、不愉快デス」

まあ、それらの文句を言ったけれど、大家(おばあさん。ちなみに、住居は電車で30分かけて来る様な遠方。)は、「ゴメンネ、もうしませんからね(←当たり前ぢゃ~!!)・・・」を繰り返すのみ。

水漏れだから、早くしないといけないと思ったと言うが、こっちから知らせたんだから、それなりの処置はしているし、緊急ならば、早くしろって言うわいな。

また、保証人(私の母)にも電話をかけようかと思ったけど止めたトノコトだが、後で調べたら、例え本人に連絡がつかなくとも、保証人の許可を得ないと、住居侵入の罪に問われるそうだよ!!

自分以外、誰も室内に入る訳無いと思っているから、カバンを整理して、古い通帳(ヤフオクを始めてから、預金通帳のチェンジが以上に早い)とか、段ボール箱の上に放ったらかしに置いてたり、見られたくないものも置いてる場合もあるってのに・・・。

大家のバーサンは、私が怒っているから、悪い事をしたと思っているだけぢゃないか?誰が怒ろうが怒るまいが、悪い事は悪いのだ!!しかも、通帳が置いてあった事にも、しっかり気づいてやんの。

結局ね、“自分の物”だと言う考えが強いのよ。他人からお金をもらって貸してるって意識が希薄なのよ。借り主より偉いつもりなのよ。母親が子供の部屋を勝手に掃除するのとは訳が違うのよ。

幸先悪ぅ~!!

引っ越し日記③

昨日、引っ越し第2弾。

朝っぱらから、不快な事件が起こる(後程執筆・・・)。

そして、小雨の降る中、2往復を決行。

・・・が、雨足が強まり、中断、そして中止。

しかし、これが幸いした。実際には、箱詰めが終了していなかったため、その後、深夜まで、細かいものを整理したり、掃除する余裕があった。

今日は、手伝ってくれる古道具屋の人が市場へ仕入れに行く日なので、夕方から、最後の運搬。

明日は掃除。

あさって解約。

テナトコ。

ライヴ告知

■木幡東介(マリア観音)・ワンマンライヴ「木幡東介 独演 独奏」
[日時] 2005年4月16日(土)
[会場] 武蔵小金井アートランド
http://members.aol.com/artlandsakuma/
[電話] 042-383-6155
[住所] 東京都小金井市本町1-16-6 小金井マンション1B
JR中央線武蔵小金井駅下車・南口左折直進ジャノメ通り沿い(徒歩2分)
[開場] 19:30
[開演] 20:00
[料金] 2,500円※ドリンク代別
[問合] 武蔵小金井アートランド
[出演] 木幡東介(マリア観音)/エレキ・ギターによる弾き語り等

今回は、唄メインの公演となりマスので、ご興味のある方は、是非とも、ご来場の程、ヨロシクお願いイタシマス~。(^^)/

引っ越し日記②

忙しくて、やっぱ毎日執筆は無理やった・・・。

日曜日は、一日中、高円寺の片づけに追われる。

は~・・・。なかなか細かい物は片付かないね~。

まあ、でも、なんとか80パーセントの箱詰めを終え、後は最終引っ越し日当日に、とにかく運んで、運んだ先で、おいおい片づけよう・・・って、いつも、そうなる。

で、新しい倉庫と言うのが、早速、水漏れしてて、シンクの蛇口に水を運ぶ、壁の中のパイプから漏れている様で、ある日、床が濡れている事に気づいて、拭き取ったんだけど、翌日には、またもやシンクの脇から水が漏れ出てたので、慌てて連絡。水道屋がシンクを動かすと、壁が結構湿ってた。

しかも、高円寺の片づけを終えて移動し、夜の2時頃?だったか、新倉庫で一休みしていると、天井付近の空間で、「バチッ!!」と、明らかに不穏な音がしたっちゅうの!!

「ええっ~!!何それ!?」

勘弁してよ~!!

雨もポツポツ降ってきた。

そして自宅に戻り、その日は家で寝た。

朝、地震。

明日は晴れマスように・・・。

大人もどき

“大人みたい”な事を言う人がいる。

彼らは、口々に、こう生きるのが正しい、こう生きるのが幸せだ、と言う。

しかし、それはあくまで、平均点の子供に当てはまる事柄、それも、無難な道、安全パイの人生を指し示すものであり、特異な能力がある人間や、その逆に、欠陥のある人間には、当てはまらない。

確かに、苦渋をなめる事無く、人生を無難に、安全に、平和に、安定して、やっていけるかも知れない。

でも、もっと自分の能力を、可能性を試したい人間も居るだろうし、逆に、それさえもまっとう出来ず、いつも自分に劣等感を抱いてしまう人間も居るはずだ。

もっと、バリエーションは無いのか?これだけ多くのサンプルが、この世には存在すると言うのに。

親なら、まあ、本当に子供の事を思いやっての事かも知れない。しかし、本当の幸せ、幸福感と言うものは、あくまでも、本人のこころが満たされているかどうかであり、他人から見てどう思われているか?と言う事では無い。

一見、幸せに見える、社会的に成功している人間も、こころの中には苦悩と葛藤と疑念と後悔でいっぱいかも知れない。

とは言え、幸せに見えない人間は、やはり幸せでは無さそうではある。

しかし、最近、こう思うようになった。「不幸な人間は、自ら、不幸を求める様な生き方をしている」・・・と。そんな馬鹿な、と思うだろう。だが、これは矛盾する様だが、不幸だからと言って、幸せでは無いかと言うと、意外とそうでも無く、幸福の度合いとは、本人の抱く目標、目的が達成されているかどうかと言う事もひとつの目安ではあるが、それよりは、むしろ、本人の能力や努力に見合った成果が得られているかどうかと言う点こそが、最も重要なのだ

つまり、幸せになるために、失敗を恐れず積極的に行動する者も居れば、幸せに成るために努力をしたり、何かをするよりは、今のママで充分、否、こうしてぢっとしている方が幸せ・・・と考える人間も居ると言う事だ。

人は、それぞれ、各々に見合う報酬を得るべきであり、それが当然。だから、それはそれで良いのだ。

そもそも、“本当の大人”なのであれば、人それぞれに、的確なアドバイスをするべきであり、それが出来て、初めて、他人を説得出来るのでは無いか?

自分の人生が失敗だったからって、未来ある若者に、保険をかける様な生き方を説くのは、あまり感心しない。また、子供は、“大人みたい”な人の言う事なんて、聞かなくて良い。

否、別に説いたって構わないし、聞いたって構わない。

人それぞれ、自由。

ただ、私はこう思う・・・と言うだけの話だ。

私の考える“本当の大人”、否、“素敵な大人”とは、いかなる社会、集団に属そうとも、自分の基準、価値観を持ちうる、自立した存在、すなわち、“確立した自己”を持つ人間の事を指す。

他人の言う事を真に受けて、自分で考える事をしない人間は、いくら身体が成長しようが、いくら長く生きていようが、いくら物事を知っていようが、いくらシワを増やそうが、とても“大人”とは言い難い。

それは、ただの、“老いた人”である。

嫌いなだけやん!!

正義・・・は、あるかも知れないが、全人類に共通する正義、すなわち、真理など無い。

セクハラと一緒やで。

素敵な人に誘われれば、悪い気はしないけど、嫌いな奴に誘われればセクハラ。

同ぢ悩みを抱えている人間でも、それが友達なら励ますが、嫌いな奴なら、とことんけなす、批判する、馬鹿にする、追いつめる、排除する。

「好き嫌い」と言うのは、あくまでも自分本意なものだが、自分に基準を置くと言う意味では良しとしよう。しかし、「嫌いな奴だから」と言う本音には蓋をして、時に矛盾する基準を振りかざすのは如何なものだろう?

自分の嫌いな奴でも、時には正しいし、自分の好きな人間でも、時には間違ってる。

否、言い換えよう。正しいとか間違ってると言うよりは、自分の嫌いな奴でも、時には自分の考えと一致し、自分の好きな人間でも、時には自分の考えとは異なる。

「好き嫌い」を基準にする事自体、それは悪くない。だが、「好き嫌い」で決めているのだと言う自覚が必要だ。

そうでなければ、あんたの基準なんて、あって無いに等しい。

集団ヒステリー。

人が集まれば、差が生まれる。人と比べれば、違いが顕在する。

「もしや、私って、幸せぢゃないのかも・・・?」

自分の中に基準を持たない限り、誰も、一生、幸せにはなれんわな。

タバコ

外へ出れば、どこも、タバコの煙と花粉でいっぱい。

しかし、最近、火のついたママのタバコを棄てるのが流行ってんのかね?

昨日、二人も居たよ。

見る日は、何故か2人以上見るんだよね。

しかも、廻りの人間が気づかないとでも思って、ハンカチ落すみたいに、何気にふわっと落すのね。

まだ、「えい!こんちくしょう!!」と、投げ棄てる方が、「何か、いやな事でもあったのかしらん?」と想像して、同情も出来るけど・・・。

つまり、良く無い事だと、知ってはいるのね。

今度、見かけたら、拾って投げつけてやる!!

引っ越し日記①

さて、今月は、猛忙しの最中にも関わらず、毎日欠かさずのプログ執筆を志しているので、今回は、元・高円寺店の引越しの顛末をば・・・。

いや、しかし、溜めに溜めたツケっちゅうか、なんちゅうか、荷物が全然片付かず、途方に暮れる日々でやんしたが、なんとか、第一回引越しにて、荷物の半分を運び出す事が出来マシタ。

色々と助言下さった方、お手伝いに名乗りを挙げて下さった方、その他、誠に感謝イタシテおりマス。

しかし、なんせ軽トラ&ホロ無しゆえ、第一回目は六往復イタシマシタ。とは言え、まあ車で10分程度の距離だし、新しい倉庫も1階なので、そんなに苦も無く、この日は無事に終了。

なんせ、数年前の、現在の新宿店への引越しは、超地獄で、エレベーターの無い5階、しかも重いレコードや書籍が大量に・・・。ホント、あれは、この一生で最もつらい苦行でありマシタ・・・。

で、実は、新倉庫の場所は、あまり人には教えてなくて、「フフフ・・・、ここは秘密基地としよう」と、小学生みたいな事を考えて、独りでほくそえんでいたら、一発目の搬入時に、同業者とバッタリ。何と、通勤路でやんの。ちくしょ~!!もう、ばれた~!!

ところで、新しい倉庫だが、当然、家賃を安くするための移動なので、広さも半分になってしまう訳。よって、売り場の棚に使ってたカラー・ボックスも、いくつか処分せにゃならん。初めは、運んでから、近くに不○投○しようともくろんでいたが、今回手伝ってくれた知り合いの道具屋(骨董品屋)サン曰く、「そんな事しちゃ駄目だから、分解して燃えるゴミの日に捨てりゃあ良いんだよ」・・・トノコト。運搬の5~6回目ともなると、まだ箱詰めしてないモノも多く、私がせっせと詰め込む間に待ち時間があり、そこで、その間に、彼は外でカラー・ボックスの分解・・・ならぬ解体を繰り返しておりマシタ。それがまた凄くて、ちゃんとネジを外すのかと思いきや、単に上空からアスファルトの地面に角を叩き付け、歪んだところを、バキッ!ボキッ!ベキッ!・・・とやっておりマシタ。時々「うひひぃ~!!」なんて奇声が聞こえてきたりして、破壊行為がお好きなのかしらね~。オホホ・・・。

しかし、引っ越し時には、色んなモノが出て参りマスの~。あれ~、こんなモノ、あったっけ?とか、ああ・・・、こんな所にあったのか・・・とか。

いつも聴いていたカセット・テープ。90分テープの表に、エクスキュートのソノシートやEP、「GREAT PUNK HITS」収録曲等をぶち込んだ、マイ編集全曲集。裏にはジュン上久保の「サンフランシスコの奇蹟」と、余った所には山口冨士夫の「ひまつぶし」。昨日も、このテープをかけながら、もくもくと箱詰め作業。すると、「ひまつぶし」はテープの残りに入れているだけなので、3曲目の途中までしか入ってないのだが、「恋のビート」から、超名曲の「ひとつ」と続き、3曲目の「おさらば」が流れてくる・・・。

「やっと ここともおさらばします いろんな事があったけれど やっぱり こことも おさらば・・・」

別に悲しくは無いのだが、あれから、もう6年経ったのか・・・と思うと、色々と考えてしまいマスな。

人生は「ひまつぶし」。だから、何もしなければ、そこにはただただ、“退屈”と言う“虚無地獄”が横たわっているのみなのだ。
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