Mr.エレクトの独り言 2005年04月20日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「いぬ屋敷Vol.23」潜入レポート③「あざらし」

2005年3月21日/池袋手刀
「いぬ屋敷」Vol.23
悪性新生物の間「春期狂育委員会」

③「あざらし」

お待たせしてスンマセン・・・。

さて、北海道のあざらし。ライヴを観るのは、これが2度目であるが、前回の東京初ライヴで、えらく、こころを奪われた私としては、確認しなければならない事がいくつかあった。

あざらしについての細かいプロフィールは、各自、検索して調べる様に。

ところで、私は、ライヴを観る時、なるべく後方で観る様にしている。何故かと言うと、前の方で観ると、その大音量に惑わされ、シビアな判断が下せなくなるからであり、ノリの良いロック・サウンドであれば、たいてい、それなりに良く聴こえてしまうので、よっぽど、何か忘れたい事がある時や、ただただ快楽を求めたい時以外は、そうしないのだ。

今回、一番に確かめたかったのは、あざらしを良いと思った理由が、ADKレコードに代表される、日本の’80sパンクのエッセンスに対する、私個人の単なるノスタルジーなのでは無いのか?と言う、自問自答に対しての回答を得たかったと言う事が大きい。

だが、演奏が進むにつれ、それどころでは無くなった。各メンバーの演奏がまとまってないと言うか、なんだかバラバラなのである。いぬ屋敷と言う舞台は、あざらしの良さを、東京の人間に知らしめるための重要な機会だと言うのに・・・。私は、「ああ、焦るな!!落ち着いて、落ち着いて・・・」と、ボクシングのセコンドの様に、つぶやき続ける事しか出来なかった。とは言え、ヴォーカルのメグ子嬢の歌の巧さや、若手バンドらしい勢いのある演奏は損なわれてはおらず、観客の反応も上々で、その後の、私の廻りの人間の評価もうなぎ上りゆえ、一安心と言った所ではある。

さて、それでは、先の問いに結論を出さねばならない。ハッキリ言おう。「・・・やはり、良い」。彼ら(彼女ら)は、私の大好物を、間違い無く備えている。

繰り返しになるが、私が音楽に求めるモノ、それは、その人間の偽り無き“こころ”であり、音楽に対する純粋な“気持ち”である。そして、それらは、“本気の情熱”と、それを具体化出来る最低限の“技術”をもって、初めて表出し得るものなのだ。

ゆえに、私の着眼点は、あくまでも“本気の情熱”があるかどうか?と言う点であり、現時点で“技術”が伴なってなくとも、“本気の情熱”があれば、必ず“技術”の必要性に気づき、それを獲得しようと努力するはずなのである。しかし、どれほど“技術”があろうとも、“本気の情熱”が欠けている音楽は、いくら“技術”を駆使しようとも、決して、人を、否、私を感動させる事は有り得ないだろう。(もちろん、人並み外れた超人的な技術であれば、それが“本気の情熱”なくしては成し得ない成果だと言う意味での感動は出来るが・・・。)

技術は技術のためでは無く、リアルな表現のため、そしてそれを歪曲する事無く、ダイレクトに伝達する目的のためにあるのだ。

さて、それでは本題。まずは、「蛆蟲」における、中間のブレイク個所にて、メグ子嬢が「蛆虫、蛆虫、蛆虫、蛆虫・・・」と、連呼するパートがあるのだが、その怨念の込もった迫真のつぶやき~叫びには、こころを「グッ」と、わしづかみにされた。そして、もう1曲、おそらく初めて観た時に、私の空虚なこころに火をつけたのも、この曲だったと思うのだが、「雌猫」における、追いつめられ、切羽詰まった感情が、塞いだはずの傷口から爆発するかの様に溢れ出し、それが、どこまでもエスカレートしていく曲展開には、この日も、正直、感極まるものがあった。自己嫌悪、自己破壊願望、傷付き苦悩するこころを更に切り刻み、極限まで追いつめていくかの様な、自ら死を求め、苦しい領域に足を踏み入れようとする様(さま)、私はこいつに弱いのだ。

だが、これらは決して、私個人のメンタルな嗜好のみでは無く、構造的にも説明出来る事柄なのである。表面的な部分で言えば、詩曲の内容に沿った、メリハリのある楽曲のドラマティックな構成による効果が大きい。しかし、特筆すべきは、全力を出す事くらいは、割と誰でも出来るのであるが、全力を出し切ったと思った、その更に先こそが、最も重要なのだ。わずかに残った、命を繋ぎ止めるのに必要なエネルギーさえも惜しげなく絞り出し、まるで自己の存在を消滅させたいと願うかの様な、こころのどこかで死を望む感覚、瀕死の際にのみ味わえる陶酔と恍惚に身を投げる勇気。すなわち、メグ子嬢の、楽曲のクライマックス部分における、他の基本部分を支える全力のシャウトを超えて、更に声を張り上げる事、叫ぶ事が出来る技術、声量、そのダイナミック・レンジの広さと潜在的な能力こそが最大の要素であるのだ。

それこそが、私が常日頃訴えている、“音楽に、自己表現に命を捧げる姿勢”である。言葉にすると、なんとも大袈裟だが、それもあながち間違いでは無いと言う事が解かって頂けるであろうか。

私の考える、あざらしの魅力とは、メグ子嬢の繊細な感受性から生み出された詩曲と、それを具現化出来る歌の巧さ、女性ならではの、生理感覚に訴える事の出来る肉声、全力を出し切ってなお、更に力を絞り出す事の出来る能力。そして、メグ子嬢の表現内容を理解し、それを支える各メンバーのデリカシーある演奏力である。そして、パンク・ロックの持つ激しいサウンドの形式を楽曲の基盤として用いている部分こそ多いが、他の音楽性も、幅広く、ごく自然に取り入れられている点が特徴であり可能性でもあり、それこそが、私がこのバンドの将来に期待を抱く最も重要なポイントなのである。

★あざらしは、現在、最新作「白痴」(カセット・テープ)を発売中。(当店でも取り扱っておりマス。)

次回、④「中学生棺桶」に続く・・・。