Mr.エレクトの独り言 2005年05月09日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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「いぬ屋敷Vol.23」潜入レポート④「中学生棺桶」

先日のいぬ屋敷にて、「Vol.23のレビューも終らぬうちに、もう24デスね」・・・とツッコミを受けるも、これはあくまで、自分のための記録なのだから、良いんデス!!・・・と、開き直りつつ・・・。

2005年3月21日/池袋手刀
「いぬ屋敷」Vol.23
悪性新生物の間「春期狂育委員会」

④「中学生棺桶」

中学生棺桶についてコメントするのは初めてであるが、実は私、このドゥーム・ロックと言うものに、縁がありマセンので、音楽的な善し悪しについて言及するほどの理解がありマセン。よって、今回は、バンドとしての中学生棺桶の在り方、表現者としての、リーダー・奇娘葉蔵氏について語ってみたいと思いマス。まあ、いずれにせよ、いつも通りの勝手な解釈満載デスが、どうぞヨロシク。

まず、もっとも着目すべき点は、葉蔵氏の作風は、己が裸のこころや感情を嘘偽りなくさらけ出すタイプの自己表現とは大きく異なり、かと言って、まったくの別人格を表に出した、完全なるエンターテイメントでも無いと言う事である。つまりは、要するに、彼がやろうとしている事は、伝えたい思想なり主張を、己が美意識に基づいた“作品”を構築する事によって、具現化しようとしているのではないかと思われる。

少し難解な言い回しになったが、簡単に言えば、自己表現を“素顔”とし、エンターテイメントを“別人の仮面”と定義するならば、彼は、自己のメッセージなりを伝える手段として、自らの美意識を刻み込んだ仮面、作者とは切り離されてはいるが、しかし“己が分身”の如きものを作ろうとしていると言う事だ。

すなわち、もっと簡単に言えば、彼は、涙や孤独や怒りと言った。極めて個人的な感情を、実はストレートには表に出していない。そんな、哀しさ、悔しさ、怒り、憤り、等はあくまでもこころの内に秘め、それらネガティヴな感情を、前向きな創作のエネルギーに転換していると言う事なのだ。ゆえに、彼らを指して、妄想うんぬんと言うのは当たっていない。彼らは、実にリアルな、非常に現実的な創作活動をしているのだから。

「神頼みの似非不良に抗う」・・・とのキャッチ・コピーが、それを雄弁に物語っている。

そして、手っ取り早い人気獲得のためや、売れるために、安易にそうしているのであれば、私には興味の無い話であるが、どうやら、そうでは無く、あくまでも自己の美意識を優先していると言う事は、作風にそぐわぬルックスのメンバーには覆面を被せる等、活動方針の徹底ぶり、その他、いくつかの言動からも明らかである。

とは言え、それが良い事であるのか、悪い事であるのか、と言う事は、個人の価値観の違いなので、何とも言えない。

言うなれば、中学生棺桶の音楽は、葉蔵氏の美意識が吹き込まれた、怨念で練り上げた粘土人形であり、怒りの刃で彫られた木彫りの人形なのである。

涙を流す事は簡単だ。しかし、彼らは、その涙をインクに変え、絵を描いているのだ。

そして、それは、あくまでも、作者の手を離れた“作品”でしかなく、あくまでも、ただの音楽でしか無い。

しかし、そこには、間違い無く、ひとりの人間の美学が在る。

次回、⑤「オシリペンペンズ」に続く・・・
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童話教育「子無きジジイの子育て奮闘記」④

チチ「そもそもぢゃ。教師に出された質問なりテスト、すなわち、あらかぢめ答えが用意されている、敷かれたレールに、疑問無く乗っかって、それを優秀にこなしたからって、何が偉いものか!!おめえの言う百点とは、ただ単に、出された餌を残さず綺麗に食べる牛や豚と一緒だっちゅ~の(←ゼスチャー付)!!」

ムスコ「だっちゅ~の・・・て、古ッ!!」

チチ「うぉっほん・・・(外したか?)。古いも新しいも無え。ええか、ムスコよ。ワンパクでも良い、たくましく育って欲しい・・・てな、テレビCMから生まれた流行語があったが(←またも古い)、ワシはあえて、こう言おう。反発しても良い、たくましく育って欲しい・・・と。」

ムスコ「ぢゃあ、何?チチギミは、テストを白紙で出せとか、突拍子も無い解答を書き込めとでも言うの?」

チチ「チャウわい!!わしが、そう言うストライキ的な、何も努力せずして何かを得ようとする輩を嫌いなのは、おまんもよう知っとうぜよ?ええか、ワシが言うとるのは、百点満点の百点を超えろと言うコッタ。まあ、仮に百点取れんでもええわい。出された問題に全問正解する事ぐらい、日本中の何人ものお子様がクリアし得るんやから、そんなものは勉強以外に取り柄の無い優等生やロボット三等兵に任せとけってコッタ。おめえが本当にワシのムスコであるならば、出された問題を解くだけに飽きタラズ、さっきも言うたが、設問の不備を突くも良し、あるいは、テスト問題作成者の用意した模範解答を超える、予想もしない答えを出せって事よ。そこまでやって、初めて百点満点を超える101点を獲得出来るのぢゃ、フォッフォッフォッ・・・テコト。」

ムスコ「無茶苦茶や!!このオッサン!!無茶やて、そんなん!!イッツ・オンリー・リフジンやて~!!ホンマのトコロ。」

チチ「なんや?リフジンってな、李婦人って事かいな?まあ、ええわ。ええか、ムスコよ。負けと思うな、思えば負けよ(だったかな?)って言葉もある様に、ワシがおめえを学校へ行かせとる理由は、何者かに仕組まれた無意味なレースに強制参加させられ、他の生徒と競い合わせる事が目的ぢゃあ無え。うんにゃ、もちろん、学校や教育の真の目的はそこにある。ワシら庶民を競い合わせ、ワシらが人より抜きんで少しでも上に行こうとすればするほど、もっと上の方で、ワシらを操っている奴等が、更に肥え太るってな仕組みよ。だ・か・ら・こ・そ、おめえまでが、そんな馬鹿げたレースに参加して、百点とったのなんのと、人間が本当に“生きる”と言う事とは無縁の喜びに浸っている様が、わしには許せんと同時に、無性に哀しかったんよ。そう、ワシがおめえを学校に行かせとる真の理由は、おめえを教師や学校と闘わせるため、ひいては、このリフジンな社会構造とケンカさせるためよ。」

ムスコ「だったら、学校なんか行かなきゃ良いぢゃん・・・。毎日、遊んでいられるしさ・・・。」

チチ「それで自由になったのかい?それで自由になった~つもりか~い?」

(つづく)

ピンクのフロイト心理学

先日、ある人と音楽の話をしていて、その際、実は私、2~3年前にピンク・フロイドの「原始心母」を初めて聴いたとの告白をイタシマシテ・・・。

「で、どうだった?」と問われ、私、「いや~、なんかノンキで聴けなかったッスわ」との返答。ちなみに、その人はピンク・フロイドをかなり好きらしく、2~3年前に初めて聴いたと言う不謹慎な私の告白も含め、たいそうあきれておりマシタ。

また、実際に同アルバムを初めて聴いた直後、洋楽のディーラーに同様な感想を伝えた所、その人は実際にヨーロッパへレコードを仕入れにも行っており、いわく「こう言うと気障かも知れないけど(実際、日頃から気障な彼)、やっぱ、土地の広いあっち(ヨーロッパ)の方で聴いたら、多分もっと理解出来ると思いマスよ」・・・トノコト。

そうなのだ。それらを踏まえて我が身を振り返ると、日本や日本人と言うより、この私。毎日毎日、余裕も糞も無い。こんな日常生活で、「原始心母」など聴いても、感動どころか、理解出来るはずも無い。

とは言え、金は無いが暇はあった中高校生時代に聴いていれば当時の感動を引きずっていられたかも知れず、ノスタルジーくらいには浸れたかも知れない。

確かに、普通の仕事と違い、年がら年中音楽を聴いていられる仕事ではあるが、仕事の事も何もかも忘れ、さあ、のんびり音楽でも聴くか~・・・てな時間はまるで無し。とにかく、疲れたこころと肉体を無理に鞭打つ様な音楽しか聴く気がしない。

10代後半~20代前半のハードコア・パンクや過激な音しか受け付けなかった頃は、人生に対して明確な目的も無く、どうにも収まりのつかないこころと肉体が刺激のみを求めてやまなかったのであるが、今もまだ、私のこころは音楽的な充実度よりも荒れ狂いもがき苦しむ様な音やうたを求めてやまないのだ。

時間が無い、余裕が無い、ゆとりが無い、金も無い。

すぐ効くやつが必要なんだ。すぐに、素早く、即、一発でこころに届くやつ(音楽)が・・・。

俺に、俺が生き続けるために必要な刺激をくれ~・・・。

さもなくば、死・死ぬ~・・・!!

・・・で、ござる。
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