Mr.エレクトの独り言 2005年06月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

自分を生かす“我慢”と、自分を殺す“我慢”(改訂版)

★お子様には読ませないで下サイ。

義務教育の期間に、学校で教える事は、我慢である。

それなのに、一歩外に出れば、世の中には、欲望を刺激してあまりある、広告や宣伝や風潮や流行で溢れかえっている。

ならば、学校で教わった“我慢”を、欲望を抑える事に使えば良さそうなものなのだが、大抵は、我慢して働く・・・と言うか、支配され抑圧され搾取されるのを我慢して、外部からの強い刺激を受けたがゆえに欲しいと思わされてしまったものを、更に買わされる羽目になる。

要するに、額に汗して手にしたピンはね済みの報酬を、更にもぎ取られるのだ。

実に巧妙かつ狡猾なからくりである。

仕掛けた奴は、笑いが止まらないだろう。

アハハハハハ!!

生きるために、日本、ひいては地球に住むために、必要以上に働かされ、バカ高い家賃を吸い上げられたあげく、更に高価なお買物をさせられるのだから、まさしく上客、お得意様、良いカモ、お目出度いと言うしかない。

本当に欲しいモノを追い続けるのであれば、それ以上の贅沢は無いが、必要以上に、不必要なモノを追い求め続けさせられ、盲目なる競争(狂騒)に追い立てられる事は、愚行以外の何者でも無い。

“我慢”とは、本来、自分の好きな事をやるための能力を身につけるために必要な“根気”の様なものであり、また、自分の好きな事をやり続けるに当たり、いかなる刺激や誘惑を受けようとも、無闇やたらと欲望に駆り立てられる事が無い様、無駄な欲求を抑えるために養う“理性”の如きものであるはずだ。

私達、持たざる者は、お金が無いゆえに時間が無く、こころに余裕を持てぬため、いつもイライラし、他人と衝突し、時には家族や兄弟等の人間関係までが崩壊させられてしまう。裕福な者でさえ、争いが絶えないと言うのに、ましてや・・・である。

何故に、一方では、あんな大きな家に住める奴が居ると言うのに、我々はこうも苦しまねばならないのか?先祖の恩恵によってでは無く、真に個人の持つ能力と一代の努力が報われて、大きな家に住んでいるのであれば、尊敬にも値しようが、どうしても納得行かない。

他人に迷惑をかけるならいざ知らず、この世に生まれ、好きな事も思う存分出来ずに死んでいくなんて、絶対におかしい。

更に、子供、すなわち次世代に希望を託そうにも、よほどの才能・努力・運が無ければ、少々の努力では、スタート地点の差は埋まらず、ひろがって行くばかりなのである。

とは言え、現代の人類社会の本質は家系間戦争であると言う事も、また事実。

繰り返して言う。“我慢”とは、自分が本当に好きな事をやるため、自分の本当に欲しいモノを手に入れるために用いるべきである。

そうすれば、裕福な状態にはなれなくとも、真に贅沢な生き方が出来るはずだ。

★次回「反逆の手引き」を、お楽しみに・・・。
(是非とも、お子様に読ませて下サイ。)

広島パンク~ハードコアの歴史③

さて、まずは、筆者の音楽体験から、当時の状況を説明しよう。

筆者は、中学2年で甲斐バンドにはまり、歌謡曲~ニュー・ミュージックから、ロック寄りに嗜好が変化していく訳だが、中学3年の1979年後半頃、ロック雑誌なるものにも興味を持ち始め、確か、“ROCK STEADY”誌にて、ゴジラ・レコードや東京ロッカーズなどを知り、1980年初頭のNHK-FM「サウンド・ストリート」でRCサクセションのスタジオ・ライヴをエア・チェック(←ラジオ放送等を録音する事)し、RCサクセションにハマり、アナーキーもその頃、雑誌で知ったのかな?そして、五日市高校に進学。アナーキーからクラッシュを、そしてセックス・ピストルズを知り、パンク・ロックなる音楽ジャンルを大いに意識し始める事となる。

そして、1980年。高校1年の時に、同ぢクラスのタニより、「わしの友達にも甲斐バンドのファンがおるで~」と、紹介されたのが、タニ同様に廿日市中学出身で、別の高校に通っていたヤブキ(後に自我に加入)であった。その後、ヤブキとは、共にパンクにのめり込み、一緒にバンドをやったりと、同級生のタニよりも親しくなって行く・・・。

その頃、別のクラスでは、やはり廿日市中学出身のコモリ(’94年頃、マリア観音に加入~現在脱退)と、玖波中学出身のナカガワが出会っている。

高校1年時のトピックスと言えば、テレビ神奈川「ファイティング’80s」が、何故か広島でも深夜に放映されており、少なくとも1980年の後半か、1981年の初頭には、同番組レギュラーであった“THE MODS”を知り、すぐに好きになった。しかし、当時は、自宅にまだビデオ・デッキが無く、録音しか出来なかった事が悔やまれる。(この辺の年代は、後日調査し、訂正するかも。)

そして、高校2年に進学し、筆者とナカガワが同クラスになり、1981年5月に行われた文化祭にて、本来ギタリストであるナカガワがベーシストとして参加したバンド、“牙”を観る。これは、高校生にありがちなハード・ロックのコピー・バンドであった。更に、そのしばらく後、コモリが中心となり、ナカガワ、ヤブキ、タニ他、すなわち廿日市中学~五日市高校の人脈を中心とした、“SOUND PACKED FAMILY”なる団体による自主コンサートが、五日市中央公民館で行われた。これは資料が残っていないが、筆者自作のファミリー・トゥリーから推測するに、ヤブキ(当時はギタリスト)、タニ(B)他による“BEM”(子供ばんど、ジョニー、ルイス&チャーのコピー?)や、コモリ(Vo・Key)、ナカガワ(ヘルプB)、ヤブキ(ヘルプD)、イイダ(G)による、“ステンドグラス”(イエスやレッド・ツェッペリンのコピー?)が出演したはずだ。これは、高校生のみによる自主企画のコンサートと言う意味で、非常に高く評価出来るものであろう。ただし、残念ながら、出演バンドは、ほぼすべてコピー・バンドで、それも、パンクのパの字も無いと言う状況であった。しかし当時は、それが普通だったのだ。稀にオリジナルをやるバンドがあっても、社会人や大学生による、抒情派フォークに毛の生えた歌詞に、ドラム含むロック・バンド編成で伴奏をつけると言ったレベルのものが殆どだったのだから。

★当日のチケット。
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パンク・シーンどころか、パンク・バンド誕生にも、まだ遠い、1981年夏頃の事である・・・。

(つづく)

★ちなみに、ステンドグラスのイイダは、東京で、京本政樹氏の実弟とデュオを組み、ギターを弾いていると、十年くらい前に聞いたが、今は音沙汰が無い。

禁未来小説「ドラへもん」その9「ショック団の掟」の巻

ああ~!!今日はスネト一人だと思ったから、抵抗を試みたのに、奥の部屋にシャイアンの奴が居たとは・・・。どうしよう・・・。

すると、再び、奥の部屋から野太い声が・・・。

シャイアン「お~い、スネト~!!ショック団の掟、第5条!!」

スネト「(小声で)えっ!?第5条・・・。えっとえっと・・・、なんだっけかな・・・?」

そう、こいつらこそが、ボクが生きる上で最大の障害である、ショック団なるイジメ集団なのだ。

シャイアン「(大声で)お支払いは~!!」

スネト「あっ、そうか!!(大声で)ショック団の掟・第5条、お支払いは速やかに~!!だぞ、のひ太!!」

のひ太「・・・・・。」

ボクは、下を向いて、ただ黙りこくるのみだった。

スネト「むむっ?まだ逆らうか?こいつ~!!シャイアン!!のひ太の奴、生意気だから、ガス室送りにしちゃおうか?」

シャイアン「バカヤロ~!!シャイアンぢゃ無え、シャイアン総統と呼べって言ったろうが!!」

しめた!!ガス室なら救いがある。奴等の言うガス室とは、何の事は無い、シャイアンのおならをたっぷりヴィニール袋に詰めて、ボクに頭から被せると言うものなのだ。だけど、これが本当に臭いの何のって・・・。でも、今日はこんな事もあろうかと思って、密かに鼻の奥に詰め物をして来たからな。楽勝だよ・・・。

しかし、そんな、のひ太の予想とは裏腹の展開が待っていた。

シャイアン「スネト~!!残念な事に、今日はガス欠だ。その代り、久々にあれやっか?ショック団の人体実験をよ~!!」

スネト「アハハ!!やろうやろう!!のひ太~、ショック団に逆らった罪、とくと味わうが良いぞ!!」

すると、奥の部屋の扉の隙間から、アイマスクが投げつけられた。

シャイアン「スネト~!!これをモルモットに付けさせろや。」

(つづく)

★ああ、果たして、のひ太の運命や如何に!?そして、ショック団の人体実験とは、如何なる所業なのであろうか?待て!次回!!

今後の予定

「不幸の多様化」について検証する。

「ドラへもん」は、全200回を予定しているので、あと192回執筆する。

「広島パンク~ハードコアの歴史」は、約10回を予定。完結するのは2ヶ月後か・・・。

某誌にディスク・レビューが掲載されるので、後日発表。(ダメ出しの後、無事にオッケーが出た。)

理不尽な世の中に、屁理屈で対抗する。

今からヤフオク出品用の画像を撮る。

いつか、死ぬ。(←たぶん)

我慢の限界

奴隷だ何だと、失礼な人だな~!!って?

まあまあ。私も奴隷。同ぢ奴隷同志ぢゃないデスか。

だいたい、この商売をやるに当たり、一月の三分の一は、家賃のため、すなわち、大家、地主、資本家、ご主人様、王様のために働いているのだ。そして、残りの三分の二から、これまた自宅の家賃やらなんやら、もう、ハッキリ言って、一月の半分、ひいては一生のうち半分は、この地球で暮すために、血と汗と涙を流して、否、吸血鬼に吸い取られ続けるって訳よ。なんと家賃の高い星なんだ、ここは。

これが、怒らずにいらりょうか!!

と言いつつ、これだけは言っておく。もしも、私が、搾取する側、すなわち土地なり資本を持っている側の人間であれば、こんな事、一言も言わないだろう。むしろ、それが当然だと言う理屈をこねくりまわす事は、想像に難くない。

だからさ、エレクトさん始め、人なんて信ぢちゃ駄目って事。自分で考えなきゃ。人は誰しも、自分の立場、自分の都合でモノを言っているに過ぎないのだ。

しかし、そう言う意味では、玉の輿に呪う・・・ぢゃ無えや、乗ろうとする、身分不相応な女性の高望みは、至極真っ当かつ正直な欲求なのである。自分の代で駄目ならば、次の代、次の次の代で、王の位につけば良いのだから。

話を戻そう。つまり、資本家のムスコは、やる事すべて、一から十までが結果として反映(繁栄)されるが、私の様な持たざる者は、まずは5まで働き、6から初めて自分のための結果が出せる訳だ。もっと解り易く言えば、奴等は一ヶ月30日あり、私には一ヶ月が15日しか無いのと同ぢって事さ。

こんなハンデ背負って、敵うはずが、叶うはずが無いではないか。

ああ、面白く無え。

これならまだ、野蛮な原始時代、力ある者が他者を制した、弱肉強食の時代の方が、負けても納得行くってもんだ。

あと何百年、否、何万年、こんな理不尽な世の中が続くのかな?

地球は誰のモノでも無いってのに・・・。

くそ~!!地球が俺のモノになったら・・・。

人類すべて、俺の奴隷にするのに~!!・・・って、そう言う考え方が駄目だっての!!

我慢比べ

以前にも述べたが、わがままとは、何の努力もせず、あるいは何もせずに、何かを得ようとしたり、何かになろうとする事である。

パイロットになるため、そのための勉強をしたり、厳しい訓練を受けるために、しばらく遊びを控える事は、するべき我慢であろう。

しかし、本当にやりたい事をやるための時間や資金を作るために、やりたい事を我慢して、好きでもない仕事に必要以上の時間と労力を費やすのは、するべき我慢では無い。

肉体しか資本を持たぬ我々には、それは仕方の無い事であるが、それを仕方無いで済ませて良いものか?

経験や年齢を重ねた、一見、大人みたいな人は、こう言うだろう。「子供みたいな事言ってんぢゃない」「大人になれ」・・・と。

しかし、そもそも、大人と言うものは、自分で自分の進む道を決め、その道で生きていく技術なり能力なり実力を身に付けた人の事を指すのでは無いのだろうか?

それを、途中であきらめたり投げ出して、好きでも無い仕事に・・・、否、もっとハッキリ言えば、自己の肉体以外(以上)に大きな資本を持つ者に、時間と労働力を搾取され続ける事を余儀無くされている人間の、何処が自立した人間、立派な成人、大人と言えるのだろうか?

とは言え、“得る”ためには、他人と競う事も必要となる。努力が実らぬ場合もあれば、元から素質が無い場合もあるだろう。好きな事だけやってメシを喰うのは、誰にでも出来るたやすい事では無い。それは当たり前の事だ。・・・と言うか、大人になると言う事自体が、そもそも、そんなに簡単な事では無いのだ。時間が経てば誰でも大人に、人になれると思ったら大間違いだ。

しかし、なろうとし続ける事は、誰にでも出来る。

そんな、大人になろうと努力し続けている人間、人に成ろうと頑張っている人間に対し、大人になる事を放棄した老いた人間が、余計な事を言うんぢゃねえよ・・・と、コナイダの文章では言いたかったのだ。

貨幣制度と、土地の私有が、本来は個人の持つ能力と努力でのみで争われるべき世の中を、王が奴隷を支配する社会に変えてしまった。そして、その階級制度は、親から子へ、子から孫へと引き継がれ、家系間戦争における永遠のハンディ・キャップを、我々、奴隷階級に課し続けている。

冗談ぢゃない!!死ぬまで奴隷なんて!!

私は、せめてもの抵抗として、自分の好きな事以外の仕事はしないと心に決めた。

とは言え、例えば喫茶店をやりたいと言う事は、嫌いなトイレ掃除もすると言う事であるからして、本当は眠たい所を我慢し、深夜にネット・オークション出品と言う、つらい業務もするのだ。また、自営業とは言え、大家に家賃を払っている以上、結局は資本のある者に搾取されてる訳で、つまる所、雇われているサラリー・マンと大して変りないと言うのも現実ではある。

正直、死ぬほど悔しい・・・。一代では、無理かも知れない。否、何代かけても無理か?

だが、私は、本当の大人に、そして、自立した人間になりたい。

ゆえに、死ぬまで好きな事だけやって生きると言う目標、それだけは、絶対にあきらめない。

生まれた時から負け組だが、死ぬ瞬間まで、負けは認めない。

昨日の神様

ミュージシャンを神様扱いする人がいる。

神様と呼んで差し支えないくらい、自分の好みにベスト・フィットするならば、それはそれで良かろう。

しかし、神様だから好き・・・、すなわち、伝説の人だとか、その世界で有名な人だからと言って、今もその人が素晴らしいかと言えば、そうでない場合も多々ある。

日本人は特に、有名人好きのブランド志向だからな。自分でジャッジする事をしない。

誰しも、光り輝く時はある。君の冴えないオヤジも、うだつのあがらぬ駄目亭主も、もしかしたら、若い頃はキラキラと輝いていたかも知れない。

昔、神様みたいだった人が、今は普通の人以下になっている場合も多い。

ゆえに、今、神様みたいな人も、いつかは駄目になってしまうかも知れない。

だからこそ、今、神様みたいに思える人は、今、見るべきなのである。

神様になる事も大変だが、神様で居続ける事も困難なのであるからして・・・。

そして、もうひとつ、ハッキリさせなければならない点は、私達は、神様の“存在”を有り難がるのではなく、神が行なうが如き“偉業”に対して敬意を表すべきなのだと言う事である。

間違っても、神様のなれの果てや、仏像と言う名の死骸を崇めたい訳では無い。

神だろうが何だろうが、自分にとってつまらないものは、つまらない。

神のレッテルは、少なくとも、毎年、更新すべきである。

鬱の巣窟

あるサイトのリンクからリンクへとリンク巡りをした。

結果、鬱な人や狂った人のサイトをたっぷり見るはめに。

うむむむむむむむむ・・・・・・・・・。

ほええええええええ・・・・・・・・・。

ふにゅうううううう・・・・・・・・・。

むむむむむむむむむ・・・・・・・・・。

ひええええええええ・・・・・・・・・。

はひはひはひはひ・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

ボクちん、健康で良かった・・・。

続「Mr.エレクトの進路指導室」

自分より年上の親兄弟、あるいは、身近にいる目上の人間から、この様に言われた事はないだろうか?

「いつまでも、好きな事ばっかやってちゃ駄目だ。」・・・と。

そんな老いぼれの、筋違いの説教に耳を貸す必要は無い。否、貸しても良いが、実行する必要などない。(もちろん、実行しても良い。)

一番好きな事を、一生(懸命)やり続ける事以外に、人間としての真っ当な生き方なんて無い。

もしも、貴方が、好きな事をやり続けるにあたって、障害となるものがあるならば、それは、現在、大手を振ってまかり通っている、理不尽極まりない社会構造が原因である。

貧乏人の我々とは異なり、資産がある奴は、一生遊んで暮せるのだから、死ぬまで好きな事をやり続ける事自体に問題がある訳では無いのだ。

もちろん、他人に迷惑をかける・・・と言うか、他人の生き方をジャマする事は良くないし、時には、自分の生き方をジャマする者とは闘わなければならないかも知れない。

今回は、理不尽な社会構造について語る時間が無いが、いずれ、諸悪の根元である、貨幣制度、土地の私有化、血塗られた先祖の財産の継承問題等については、検証するつもりである。

えっ?一番好きな事だけやり続けるのは良いけど、病気になった時や、老後の生活はどうするのかって?

チミ~!!人の話を良く聞きたまえ。

私は、一番好きな事をやるべきだ、と言ったんだよ。

安定した人生や、老後の安心、そんな安全かつ健全な生き方が“一番好き”な人は、今のうちから、それのみ目指して一生懸命生きれば良いってこった。

“自分の一番好きな事”をやり続けるのが、人間にとって、最も幸せな生き方なんだからさ。

ニセの大人、すなわち老いた人間に告ぐ。自分が我慢して生きているからって、他人の生き方に口出しして、自主的かつ自発的に自由に生きている人間の、ジャマをするんぢゃねえよ。

広島パンク~ハードコアの歴史②

さらっと書けば良いのに、研究魔の悪い癖が出て、古い資料を調べたり、要点をまとめるのに時間がかかり、少々お待たせイタシマシタ。

さて、この物語の舞台となるのは、広島県の、主に広島市以西~山口県岩国市が中心となる。地図を見てもらえば解るのだが、広島県には、アバウトに言って大きな都市が二つあり、県の西方にある広島市と、県の東方、ほとんど岡山県の近くにある福山市である。なお、この二都市は、距離が離れている事もあり、日常的な人の行き来はほとんど無い。また、広島と言えばお好み焼きで有名だが、広島市を中心とした県西方は“おたふくお好みソース”、福山市中心の県東方は“カープ・ソース”と、同ぢ広島県でも、食文化からして異なっており、筆者にせよ、実際に福山市に行った事は、未だに無い。

その逆に、山口県ではありながら、岩国市と言うのは、米軍基地がある事と、工業(公害)地帯で知られているが、川一つ隔てただけで、やはり公害地帯の広島県大竹市が隣接しているため、筆者(大竹市出身)も中学生の頃は、自転車で岩国まで、しょっちゅう遊びに行ってたし、岩国から広島県の高校、広島県から岩国市の高校に通う者もおり、こちらは、ほぼ同ぢ文化圏と思って頂いて間違い無い。

当時のJR停車駅で言うならば、岩国→大竹→玖波→大野浦→宮島口→廿日市→五日市→西広島→横川→広島~・・・となり、大竹から広島市内に出るには、電車で約40分かけて西広島まで行き、路面電車で約10分?って所だったろうか。時には、広島まで50分ちょっとかけて行き、5分程度歩いて行くと言う手もあった。しかしまあ、広島市と言っても、栄えているのは、結局、広島市民球場や平和公園、原爆ドーム、繁華街の流川・・・及び、その辺り周辺の、中心部の極限られた範囲内にしか過ぎず、一歩出れば、だだっ広い道路と、ビルがポツポツと建っている程度の小さな都市ではあった。

ここで、主な登場人物の出身地を挙げておくと(なお、親しい友人を除き、ミュージシャンの方には、敬意を込めて、“氏”をつけて記す事にする)、GASのZOMBIEことリーダーの畑中氏は小方町(大竹駅と玖波駅の中間)。村田達也氏は岩国市。筆者は大竹市。ナカガワは玖波町(大竹市)。後に自我に参加するヤブキと、’94年頃にマリア観音に加入~現在脱退のコモリは廿日市市。自我の後藤達也氏は五日市市。なお、上京後にGASに参加するナルミ女史とヤマガミ氏、当時MOO(~ナルミ&ミスターズ結成に参加)と言うハードコア・パンク・バンドをやっていたナルミ女史の実弟らは、福山市の出身である。

(つづく)

お“鼻”畑のプチ・トマト大破事件の顛末

1週間くらい前に、鼻の先端に大怪我を負いマシタ。

鼻の先端と言うのは、血管が集まっているらしく、あるモノがぶつかった時、まるでプチ・トマトをプチっと割った時の様に、大流血イタシマシタ。傷口を洗ってみると、確かに、割れていると言う方がピッタリです。大きい裂けと小さな裂けが並んでて、なかなかに酷いキズでありマシタ。

私自身としては、過去にもっと酷い事故もあったので、バンソーコーでも貼っとけば治ると思っておったのデスが、廻りに居た人達が、病院に行け行けと促すので、しぶしぶ、当店から自転車で2分とかからない、大久保にある24時間営業の救急病院へ。

結局、2針ほど縫う事になりマシテ、やはり来て良かったカモ?しかし、キズが残ると言われ、少々ブルーに・・・。

そして、約1週間通院を続け、昨日の午前、ついに抜糸を行なうと言う事で、早起きして病院へ・・・。

無事に抜糸も終り、晴れて自由の身となりマシタ。

残ったキズも、思ったほど酷く無く、悪役顔になり損ねマシタ。

関係各位、並びに、ご心配頂いた方々、誠にありがとうゴザイマシタ。(^^)/

禁未来小説「ドラへもん」その⑧「スネトの待ち伏せ」の巻

授業が終り、ボクはそそくさと教室を後にした。

さあ!!早く帰って昼寝しよ~っと!!

そして、校門の陰から辺りを伺うと、今日も、いつもとは違う道を選び、家路に向かった。そして、とある曲がり角を曲がったその時・・・。

スネト「お~い、のひ太~。何処行く気だ?あ~ん?」

ヤバイ!!スネトの奴だ。待ち伏せしてたんだな~・・・。

スネトって言うのは、大金持ちのムスコで、親に買ってもらったオモチャを皆に見せびらかして優越感に浸る、鼻持ちならない奴なんだ・・・。

のひ太「ど?何処行くって?家に帰るんだよ~。今日はママのお使いがあるし・・・。」

スネト「最近、儀式に来ねえよな~。今日もこんな廻り道してよ~。」

のひ太「え?いや別に、違うよ。ただちょっとさ・・・。」

スネト「まあ良いさ。ぢゃあ、今日は来るんだな?」

ボクはしぶしぶ、スネトの後を付いて行った。そこは、廃虚となった印刷工場跡で、奴等は秘密基地と称して、その建物を勝手に使用していたのだ。

スネト「まあ、そこに座れや。・・・・ところで、のひ太~。例のものは持って来たか?確か、今月分がまだだったよな~?」

そう。ボクは、おこづかいの大半を、こいつらに取り上げられていたのだ。

のひ太「その事なんだけど・・・。」

ボクは、辺りに人気が無い事を確認すると、前々から決めていたある事を、実行に移そうと、拳を固く握り締めていた。スネトひとりなら、何とかなる・・・。そう、ボクは今日こそ、この理不尽な取りたてに対しての異議申立てを強行しようと、以前から決心を固めていたのだ。でも、不思議なもんだ。それまでのボクであれば、どんな最悪な事態に対しても、ただ歯を食いしばって我慢する事しか出来なかったのに、あのドラへもんへの怒りと憤りが、少なからず、ボクに反発する意志を芽生えさせていたのだ。そう言う意味では、あいつに感謝しなきゃならないな・・・。そんな事を考えつつ、ボクは重い口を開いた。

のひ太「スネト。そ・その事だけどさ・・・。ボ・ボクは今日は払わないよ。」

スネト「何~?のひ太のくせに~。生意気だぞ、お前!!」

のひ太「や・やるか~・・・。」

その瞬間。元々、印刷工場の事務室となっていた奥の部屋から、野太い声がした。

「お~い、スネト~!!のひ太が何か面白い事言ってんな~。」

ヤバイ!!あいつ居たんだ!!そう。スネトを陰で操る黒幕、本名ゴ~ダタケオ、通称シャイアンである。

(つづく)

★ついに現われた、謎の黒幕。のひ太は、五体満足、無事に工場跡の廃虚を後に出来るのであろうか?待て、次回!!

成人

改めて考えると、そもそも、“大人”と言う呼び名自体に問題があるのだ。

大きい人って、何よ?身体が大きい人か?12歳でも身体がでかけりゃ大人で、88歳のおばあちゃんは背がちっこいから子供か?

トナルト、やはり、“成人”と言う呼び名が相応しく思えてきた。

だいたいよ~!!(←あっ!!今日も早速、エレちゃんの説教タイム開始~!!)馬鹿でもチョンでも、20歳になりゃ成人なんて、そんな暴力的な決め付け、押し付けがあるかってんだ!!人に成ると書いて成人。だけど、誰でも、時間をかければ人になれると思ったら大間違いだ。

以前に、ただ長く生きている人間の事を、大人では無く“老いた人”と定義したが、そもそも成人してないんだったら、まだ人ぢゃ無いんだから、人と呼ぶのはおこがましい。それは単に、“老いた生き物”であり、もう少し可愛く言うならば、“老いた子供”、あるいは“未成人”とでも呼ぶべきか?

大人もどきは人もどき。未成人は人でなし。

そう考えると、成人式ってのは、いやおうなしに、人間としての責任感を持たせると言う意味合いにおいては有効であるが、世間では、ただ単にやりたい事が自由におおっぴらに出来る事くらいにしか考えられてないようだ。

とは言え、養豚場に“人間”が増えたら、あの人達は困るからな。きっと、今のママが一番なんだろう。

て言うか、豚は太らせてから喰えと言うから、大人ってよりは、太人ってのはどう?

生めよ増やせよ働けよ。早く大きくなあれ。

敗者

ウフフ。さっき書いた事は嘘だよ~ん。

本当の大人ってのは、ちゃんと歯医者に行ける事だよ~!!

あとねえ。わさびの効いた寿司を平気で食べられる事かな?

ワカっタカ!?

実を言えば、恥ずかしながら、私も当初はオトートの事を嫌いだったのデスよ。アニキがフット・ボールだか何かに挑戦した時も、偉いな~と思ってマシテン。

昨日、またもオトートがテレビで取材を受けてて、こども相撲の大会だかなんかを、オトートが見に行ってたんデスな。そこでオトート曰く、「子供達がかわいくて仕方無い・・・」と、顔をほころばせておりマシタ。日頃は一見、喜怒哀楽が無いのかとさえ思わせるオトートですが、実に良い笑顔。別に喜怒哀楽が無いなんて訳では無いのデス。しかし、インタビュアーが、兄弟確執問題について触れると、途端に厳しい顔つきになる。野暮な事聞くなよ~。ちゃんと生放送にも出たりして、きちんと発言してるのにさ~。

何て言うか、あれを“大人”と言うのかな?って感ぢでしょうか。いつもヘラヘラしてるアニキとは違うんデス。年中無休の笑顔なんて、信用出来ないっちゅ~の。本当の大人は、自分の家族や身内を守るためには、逃げ隠れなどせず、自己の責任を全うするものであり、ゆえに、時にはケンカも辞さぬものなのだ。

本来、大人になるって事は、感受性を失う事では無く、生きるため、あるいは、求めるものを手に入れるための技術なり能力を身につけると言う事である。多くの人間が、そこの所を勘違いして、生きるためには自分を、そして感受性を押し殺さなければならないものと、思い込まされているだけなのだ。まっ、今の世の中では、それも、いたしかた無い事ではあるが・・・。

そもそも、放っておいても、感受性は刻一刻と死んでいくのだから、わざわざ殺す事など無い。感受性は、自分の生きる道を探すために必要な機能なのだ。本当に無駄なものなら、元から備わっているはずは無いではないか。

確かに、早いところ、ロボットになった方が、悩んだり葛藤する事無く、人生を送る事が出来るだろう。しかし、そんな生き方が、果たして本当に正しい、否、楽しいのだろうか?

生き長らえる事と、“生きる”と言う事は、違うのでは無いだろうか?

な~んて事、考えてたら、一生苦労するから、やめときな。

<追伸>ついでに言えば、社会不適応って言葉には納得行かねえな。社会なんて、国ごと、地域ごとにルールもモラルも異なるんだから、奴隷制度不適応、あるいは、現支配体制不適応と言い直してもらいたいもんだ。

過去日記掲載更新情報

過去日記を13件追加イタシマシタ。

これで、2003年度11月分の再掲載終了~!!

お暇なら見てよね。(^^)/

禁未来小説「ドラへもん」その⑦「怒りの食卓」の巻

ついに我慢の限界。ボクの堪忍袋の緒が切れた。

それは、ある日の夕食時・・・。

ドラ「ゲヘヘ・・・そうなんスわ。あの雌猫の野郎ときたら、ワシを誰な~思うとんなら!!(訳:私を誰だと思ってらっしゃるんデスか?)っちゅうて、言うたりマシタわ。グヘヘヘヘ・・・。」

パパ「アハハハ・・・。ドラちゃんの話は本当に愉快だね~。うちの、のひ太にもこのくらいのバイタリティがあればね~。」

ママ「ホントよ~。のひチャンときたら、何をやっても駄目なんデスもの。オホホホホ・・・。」

今日もパパとママは、ドラへもんの武勇伝だか失敗談だかに聞き入って陽気に騒いでる。こんなボクの気持ちなんて、一向に顧みる事も無く・・・。

ドラ「おやおや、のひ太センセイは、今日もゴキゲン斜めでやんすね~。犬のウンコでも踏んづけたんでやんすか~?ゲヒ、ゲヒ、ゲヒヒヒヒ・・・。」

のひ太「う、うう・・・うるさ~い!!」

ボクは、奴のふざけた「やんす」口調に対し、流石に、もう我慢ならず、大声を張り上げた。

パパ「おいおい、どうしたのひ太?そんなに大きい声出して・・・。」

ママ「そうよ~。お隣りサンに聞こえちゃうわよ・・・。」

のひ太「う~ん、もう!!なんだいなんだい、パパもママも~。どうせ、駄目人間のボクよりも、こんな下品なドラ公の方が可愛いいんでしょ!?どうせボクなんて、いつも一人で、ショック団の・・・」

パパ「ショック団?のひ太、なんだそりゃ?」

のひ太「あっ!!何でも無い何でも無い。何でも無いってば~!!・・・そうそう、ボクはショックだ~・・・って言ったんだよ~!!」

まずいまずい・・・。パパとママには、ショック団の事は秘密にしてたんだった。

その瞬間、我が家に来てからと言うもの、日々、放蕩三昧の暮しをしていた、ドラへもんの瞳がキラリと底光りしたのを、その時のボクは知る由も無かった・・・。

(つづく)

★さあ、のひ太が思わず口を滑らせた、ショック団とは如何なる集団なのであろうか?待て、次回!!

ダメ出し

例の原稿、ダメ出しをくらう。

一応、レビューと言うカタチなので、紹介するアーティストなり作品に触れて欲しい・・・トノコト。そうすれば、他に書いてらっしゃる方とも歩調が合うと思いマス・・・とも。

なに~!!と、怒ったりもせず、半ば、「やっぱりな・・・」と言う気持ちも・・・。あまりに不親切と言うか、そのアーティスト及び作品に対して愛情を抱く理由、その思想の原理をメッセージ調に綴っただけで、作品の内容その他についての具体的な説明を一切しなかったからな。その方が目立つとも思ったし、他の人がやってない事、言わない事をやらないと、自分がやる意味無いもんネ。

・・・とは言え、嘘かお世辞か、内容自体は誉められたので、少々加筆修正を施して欲しいのデス・・・トノヨーボー。「ここを一行空けて」などと、エラソ~に、細かい注文なぞしていたお陰で、まだ、字数に少しは余裕もあるのだ。

しかし、これが、割と悩む。文字数に限りがある事もあるが、本文の印象と言うか、トーンを崩さず加筆すると言うのは、なかなかに難しい。難しく考え過ぎて、すべてを白紙に戻そうかとも思ったり・・・。

再度、あちらの要望を記載したメールを読み直し、その意図を計り直す。ふむふむ、こうして欲しいのぢゃな・・・と、何とか完成。今からメール送信をする直前に、これを書いている。

これなら文句無いやろ?新人だから、あまり偉そうにすると干される(←既に作家気取り)のが怖いので、ここは丁重に攻めるべし。

と言いつつ、文章に、またも批判的かつ挑発的な一節を追加導入してしまった私。

否。これで良いのだ。他に面白い作品が無いからイカンのであって、色んな意見、色んな作風、色んな人間が居て良いのだ。

と言いつつ、もう依頼されなくなるカモ?・・・と、少々不安になる、正直なボク。・・・みたいな。

広島パンク~ハードコアの歴史①

まず、いつから話を始めるか?と言う事が重要なのだが、1978年前後の、東京ロッカーズや、その前夜の東京、大阪でのアマチュア音楽シーンが、日本のパンクの始まりであると定義するならば、広島にパンク・シーンと呼べるものが生まれたのは、GASが中心となり、いくつかのパンク・バンドを集め、定期的にGIGを行なう様になった1983年からである。それ以前は、社会人になってからもバンドをやっている人達、あるいは、意欲的な高校生達による自主イベント等もいくつか行われていたが、ことパンクに限定するならば、東京のシーンをお手本にしていたとは言え、その後の広島ハードコア・パンク・シーンにつながる源流としては、やはり、1983年以降の出来事であると見て、ほぼ間違い無い。

だが、それ以前にも、パンク系の自主イベントが全く無かったと言う訳では無い。“広島ROCKERS”と銘打たれた自主イベントが、少なくとも2回は行われている。また、バンド個々で言えば、パンク・バンドはいくつか存在したし、音楽性が近いバンド同志の、“横のつながり”は多少なりともあった。しかし、意識的にハードコア・パンク(ザ・スターリンを含めない)と言う音楽のみを標榜したのは、GASや、自我と言うバンドの前身である、EXECLAYT(エクスクレイト)が最初であったし、“縦のつながり”の始祖と言う意味からも、広島ハードコア・パンク・シーンの元年は1983年であると言い切れる。

ところで、私には、今でも時々考える事が二つあり、ひとつは、私が1年遅く生まれていたら(GASの主要メンバーはだいたい一学年下で、自我はだいたい二学年下)、それらのGIGに出演者として参加出来ただろうに、と言う事と、もうひとつは、高校卒業後、1年間、広島でフリーターをしていたお陰で、GASや自我を観る事が出来たが、もし、すぐに上京していたら、BAKI在籍時のエクスキュートや、再結成では無いカムズや奇形児を観る事が出来たのにな~・・・と言う2点だ。結局、私が上京したのは、1984年の5月なので、その直前にカムズや奇形児は解散してしまっており、上京後、住居を決めてから一旦帰省した際に、BAKI在籍時最後のエクスキュートのライヴが行われていたのであった(既にあまりライヴをやってなかったので、その事実も、後年になってやっと気づいた・・・)。まあ、今更そんな事考えても仕方無いのだが・・・。

とは言え、なんせ、そもそもハードコア・パンクと言うものが、日本で、特に地方都市の広島で、ある程度知られる様になるのは、1980年にアナーキーがデビューし、1981年のザ・モッズや、ザ・スターリンの登場の後、1982年頃のDOLL(当時は書店では扱ってなく、極一部のレコード店や楽器店でしか置いてなかった)に、ガーゼやエクスキュートの記事が掲載されて以降だと思って間違い無いので、私なんかは、まさにハードコア・パンク登場の衝撃を、思春期にリアル・タイムで知った世代である。ゆえに、今回は、アナーキーがデビューした1980年から話を始め、広島の高校生バンドが、どの様にパンクやハードコアの影響を受けて変化していくかを、自分の実体験を基に、記してみようと思う。もちろん、私より上の世代に、ピストルズのコピー・バンドや、極まれにパンクっぽいオリジナルを演るバンドが居たかも知れないが(注:文末)、現在と違い、パンク人口も少ない上、社会人になってまでバンドを演っている人達や、高校生でオリジナル曲を演奏するバンドと言うのは、本当に数える程であったし、知り得ぬ事は書けぬゆえ、あえて、1980年を広島にパンクが伝来した年、1983年をハードコア・パンク・シーン誕生の元年と定義する次第である。

(つづく)

(注)後に詳しく記すが、1983年に第一回が行われた、“広島ROCKERS”と言う自主イベントの主催バンド、ストリッパー(自主レコードを出している京都かどっかのバンドとは同名異バンド)は、その当時、私より上の、おそらく大学生くらいの世代だったので、もしかしたら、1980年以前から活動していたかも知れないが、私の記憶では、ザ・モッズに影響を受けたと思わしきオリジナルを演っていたので、やはり、1980~81年前後からのスタイルであろうと推測される。

2005年6月12日「破壊宙Vol.2」at新宿JAM~レポ③

さて、トリはオシリペンペンズ。スモークが焚かれ、何かが起こるムード満点。

客は口々に、「モタコ~!!」「キララ~!!」と、メンバーの名を叫ぶ。人気絶頂である。時には「アホ~!!」と叫ぶ輩もいるが、もちろん、愛ある呼びかけである。

この日のモタコ氏は、なんだか泣いていた様で、よく聞き取れなかったが、「大事なものを失ってしもうた・・・」とか、「取り返しのつかない事をしてもうた・・・」みたいな事をつぶやき続け、客の盛り上がりなど、まったく意に介さぬ様子。とは言え、時間が押していたせいもあるのか、矢継ぎ早に曲は演奏され、そんなにネガティヴな空気にはならなかった。

終始、客席に分け入って唄うモタコ氏。そのうち、客に持ち上げられ、ついには、逆さになり、少なくとも5歩は、逆さになって天井を歩いてた・・・ッス!!その間もどこからか歌声は聴こえてくる・・・。そして、しまいには、客席の後方で天井の照明を壊してしまった。

危ないから、ホント、身体には気をつけて~。

しかし、何と言うのだろう。あのペンペンペナペナした奇妙な音色のギターと、スッタカタスタタタタンなオカズのみ連打してるかの様なドラムとの、二人だけの演奏なのに、何だか異様な空気がライヴハウス内に充満する。原始時代に行われていた儀式の様な(と言っても、観た事無いけどネ)、時間が捻ぢ曲がるかの様な感触。キララ氏のギターは、まるで蛇使いの笛の様に、迎氏のドラムは、身体に取りついた悪霊を追い出すかの様に、モタコ氏を予測不能な行動に駆り立てる。

う~ん、これは今までに観た事が無い。

そこに居るのは、正直過ぎる程に生身で生きている人間と、非日常的な空間を演出する、実力に裏打ちされた超個性的な演奏。

やっぱ、こうでなきゃ。

目も耳もステージ(及び客席?)に釘付けにさせられるライヴと言うのは、そうそう無い。私にとって、ライヴを観に行くと言うのは、動物園や遊園地に行く様なもんで、刺激や快楽を求め、日常を忘れるための行為なのだから、金だとか出世だとか名誉だとか結婚だとか政治だとか、そんなどうでも良い事、将来への不安、果ては明日の予定さえ、チラっとでも垣間見えたら、白けてしまってしょうが無いのだ。ゆえに、客が名前を叫ぼうが、唄を合唱しようが、まったく意に介さず、己が本能に基づくママに歌い叫び動き回る、野性の獣の如きモタコ氏の姿は、うらやましくもあり、時に美しいとさえ思ってしまうのである。

人間が純粋なママで居続ける事は非常に困難であり、この世は、人間が純粋であり続ける事を決して許さない。そんな人間界に反逆するかの如く、私は、この様な天然記念物、保護すべき野性動物を観るのが大好きなのである。

正義が多数決で決められる世の中では、明らかに、私の嗜好、思考は間違っている。まったく困ったものである。

しかし、だからこそ、生きる事すら困難な人、そんな、“困った人達”による表現行為が、好きでたまらないのだ。

(レポおわり)

禁未来小説「ドラへもん」その⑥「怠惰な日々」の巻

そして、あれから数日間。あいつ、ドラへもんは家庭教師らしい事どころか、ボクに何一つ説教臭い小言を言う事も無く、毎日毎日ただ遊んで暮してるだけだった。

ボクはと言えば、あいつが来る前と同ぢ穏やかな生活が送れ嬉しい限りなんだけど、何だか納得行かないのも事実。でも、パパやママは何一つ文句を言わないどころか、相変わらず夕食時には楽しそうにあいつと語らい、笑いが絶えない。

なんだい!!何だか面白く無い!!以前の様に、家に帰って昼寝の生活が確保されてはいるとは言え、ボクはだんだん、あいつの存在が憎くて仕方無くなって来た。

ボクはこんなに、毎日苦労してつらい思いに耐えて、パパとママの前では涙を見せない様、苦しみや悔しさを押し隠して生きているってのに。あいつの、あの自由奔放さと来たら・・・。

そう。ボクは、パパとママに、ある大きな隠し事、重要な事柄を秘密にしていたのだ。

やっぱ、あいつが我が家にやって来たせいだよ!!

ボクは、ドラへもんへの憎悪を、日々、募らせていった・・・。

(つづく)

プレ・スコーピオンズ「ロンサム・クロウ」曲順

先月、プレ・スコーピオンズの「ロンサム・クロウ」の紙ジャケが発売になりマシタが、オリジナルの曲順で聴くと、プログレ色が強く、難解な印象を与えるので、来日記念盤として出された時に、曲順を変更されたものをお教えしよう。

しかし、改めてオリジナル盤を聴くと、いずれの曲も聴きまくっているせいか、初めて聴いた時のとっつきの悪さは、まあなかった。また、今回発売されたものには、訳詩が掲載されていて、それも興味深く読んだが、抽象的な歌詞の大作もあれば、普通の恋愛の歌詞もあったりして、実は映画のサントラだったと言う事から、ストーリーに合わせて創った歌詞もあったのだろうか?

以下、オリジナル盤の曲順数を○で示し、その後に曲名を記した。パンクとか、激しい音楽を好きな人は、絶対に、こちらの方が気に入るはずだ。あと、なんて言うか、起承転結がしっかりした曲順で、この方が日本人好みなんだろうな~とも思ったり・・・。

⑥アクション
②~ディペンズ
⑦ロンサムクロウ
①~マッド
③リーヴ・ミー
④イン・サーチ~
⑤インヘリタンス
(後でちゃんと書き直すね)

とにかく、ジャズ・ロック風な演奏もだが、暗く内向的なギター・ソロが最高なのデス。苦悩、葛藤、陶酔、恍惚、絶望・・・。そんなキー・ワードにピンと来たら、是非聴いてみて!!

2005年6月12日「破壊宙Vol.2」at新宿JAM~レポ②

2番手の“ワッツーシゾンビ”は、後半しか観る事が出来なかったが、3人編成で、ギター・ウルフの様な爆音系ロックでした。若い人には最適かもネ。

3番手の“巨人ゆえにデカイ”は、ギター&ヴォーカルと、ドラムの2人組で、客席はオール・スタンディングにも関わらず、ヴォーカリストの姿が、後の方からでも見えるほどデカイって言うか、異常に背か高く、天井に頭がつっかえておりマシタ。超シークレット・ブーツ?でも履いてんのかしら。内容はと言えば、ペンペンズをもっと原始的にした様な感ぢで、後半はしまりのないインプロっぽくて、全体的に粗削りすぎるかな。私的には、ちょっと感情移入するのが難しい。ドラマーはかなりハイ・テクらしいので、垂れ流しでは無く、明確な方向性を持てば、もっと面白くなる可能性はあると見たよん。

4番手の“ZUINOSIN”は、RUINSっぽいと聞いていたが、ボアダムズっぽかったらしい。私は初期のボアダムズしか知らないので、違いが解らないが・・・。凝縮されたハイ・テンションな演奏は、若い人向きかも。←こればっかだが、結局、ライヴ観て盛り上がりたいとか、踊りたい人達とは、私、若い頃から根本的に違う人種なので、脳や肉体を刺激する事が目的のバンドには、あまり興味無いので、ゴメンナサイ。

でも、3つとも、関西らしい良いバンドでしたよ。客をなめてる様な、いや~な感ぢのバンドはありマセンでした。好みと言う事もあるだろうけど、この年齢になると、過去に観た事ある様なものとか、自分には必要無しとジャッジ済みの種類のものには、こころが反応しないのよ。やっぱもっと、今までに観た事無い様なものを観たいし、自分が求める種類の表現に出会いたいと思ってるんでね。

では、最後に、オシリペンペンズを・・・。

(つづく)

2005年6月12日「破壊宙Vol.2」at新宿JAM~レポ①

★珍しく、すぐ書いてみたりして・・・。

オシリペンペンズを観るため、当店から自転車で5分の新宿JAMへ。

しかし、開場の18時を過ぎても、まだ開場していない様子。外で会った、センチメンタル出刃包丁のベーシスト、ヤミニ君と、同バンドへ新加入のヴォーカリスト、AF陽介君に、バンドの近況をインタビューなどし、時間を潰す。しかし、17時を過ぎてもまだ開かない。実際には、17時過ぎにはライヴはスタートし、既に入店していた、通称“録音鬼”氏によると、1バンド目が始まった時は、客は20人程度だったとか。どうやら、遅れつつも開場はしており、JAMの外に並んだ客は50人強であったが、地下2階に通ぢる階段には、実はぎっしりと人が並んでおり、入り口での受付作業が遅いせいで、客入れが異常に遅れた様だ。しかし、AF陽介君からデス・メタルについての講習を受ける事も出来たし、ヤミニ君の現在の愛読書が、私が20年前に愛読していた雑誌であると言う事実から、まるで20年前の新宿ロフト前、ウィラードやガスタンクのライヴの開場待ち時にタイム・スリップしたかの様な、古~い話題で盛り上がったので良しとしよう。

さて、20時ちょっと前にやっと入店すると、仰天する程に満杯の客。既に、2番手のワッツーシゾンビの後半だったと、後で知る。

(つづく)

原稿と援交<改訂版>

某誌より原稿を依頼された。

超フェイバリットなアルバムをレビューする予定。

本当は、昨日が締め切りだったのだが、最後の手直しをするため、深夜、店内にてPCのキーボードと格(書く)闘中。

既に、さんざん評したものなので、過去の記述から解説的な部分だけを再編集したが、考えに考えた末、他者を批判する様なイヤミな記述はボツにして、詩的(私的)な一節のみをリミックスする事にした。
(後で読み直したところ、やっぱ批判してたりして・・・)

結局、自分とは異なる人種には、意思など伝わりっこないのだから、それならば、自分がどの様な人間かを知ってもらったり、自分の意見に共感してくれる同類の人間を探す方が、手っ取り早いと言うものだ。

雑誌名は、発売されたら教えるネ。

でも、公開されてから読み直して、後悔する様だったら、教えないカ・モ・ネ・・・。

しかし、金にならねえ事ばっかしてんな~。

実は、只今、またもや(いつもの事だが)金欠の真っ最(真っ青)中なのだ。

誰かお金貸してくんねえかな?

いやいや、お金の貸し借りは良くないって言うよ。



だからさ。・・・お金頂戴!!(^^)/

あ~あ。援交でもやって、お金稼ごうかしら。

お金のためなら、援や~交ら~・・・。

オトートは髷(マゲ)・アニキは勝(マサル)

しかし、あの太ったアニキは頭良いな。

さんざんケンカ売っといて、オトートが応戦した途端に、てめえは謝罪とダンマリを決め込んで、良い子チャンになろうなんて。

世渡り上手なアニキと、不器用なオトート。

世間はコロッと騙される。

そもそも、家族内のプライベートな事柄なら、元より報道しなきゃあ良いぢゃねえかよ。勝手にあばいといて、勝手に覗き見といて、心配も糞も無え!!

そんな世間様の、要らぬ心配や勝手な憶測に対し、きちんと事実をお話しマスと、重い口を開いたオトートは、このママでは、トラブルの元凶として、いざこざの張本人に仕立て上げられてしまうだろう。まさしく、あのアニキの思うつぼだ。

生真面目さは、時として自分の首を絞める事もある。

とは言え、正義は勝者の元にある。土俵の上ではオトートが勝っても、実社会ではアニキの方が一枚も二枚も上手(うわて)だったって事だ。

今も相撲一筋に生きる、オトートは髷(マケ)。

上手投げで、アニキの勝(カチ)。

しゃれになんねえ話だぜ!!

コナイダのいぬ屋敷

日付やタイトルは、後で入力し直すかも・・・。

時空を超えた(遅すぎるとも言う)ライヴ・レポの始まり~!!出演順番も忘れたぞ。この日は、まんずまんずワールド(男男世界)でありマシタ。

ゴキブリコンビナート。素晴らしい。たまの石川浩司氏にも通ずる、他人にとってはどうでも良い、ほんのささいな事柄や苦悩を、まるで世界が破滅するかの如く最大限に増幅してしまったかの様な、その行き過ぎたパフォーマンスが最高である。とことんまでに自己と向き合ったがゆえに発せられる怨念の叫びは、観ている者を自問自答の鏡の迷宮に突き落とす。俺はこのママで良いのか?・・・これで良いのだ!!あの人達(ゴキコン)に比べれば、俺の苦悩などたかが知れてる。地獄の深さで俺の負け。

竹島蹄山グループ。何度も観ているが、シナリオはいつも完璧。竹島師匠の声色も顔色も気色悪い程にバッチリ。今回は、バンドの演奏が割とリラックスしていると言うか、ラフでワイルドだった様な気がする。初めて観た時は、「テープを流せば良いのでは?」とも思ったりしたので、この成り行きは正解か?後日、円盤で行われた、ひとり講談も、ギャグやイロモノに見せかけた(その通りか?)パフォーマンスの中にも、一部の男性にとっては、身につまされるかの切ないお話に、思わずマイ・ブロークン・ハートをキュン!!とさせられた・・・。いつの世も、男とは、お馬鹿でロマンチストなのね。

ビル。~先日の池袋ADMでのライヴにかけて、バンドとしての完成度も更に増し、ビル色と言うものが明確になって来た様だ。若干、まとめすぎの傾向は、作曲担当の久保偽札犯氏の性格、及び責任感と誠実さの現われか?遊びごころのある「むっつりすけべ」と、曲名が解らぬが、一心不乱で演奏する(しかない)、密度の濃い激しい楽曲が特に良い。テルミン(ふんどし?)効果も絶大。

センチメンタル出刃包丁。ハッキリ言って、演奏は確かに荒い。とは言え、その、目を覆い耳を塞ぎたくなる程に暴力的なまでのパフォーマンスが、このバンドの将来性を左右する鍵でもあり、誤解(理解?)される要因でもある事は否めない。しかし、良く聴けば、時にキャッチーかつ多彩な曲調やリズムの楽曲が、実に魅力的なのである。この日の演奏も、まるで、パンク誕生以前、パンク・ロック(のスタイル)が普及していない国のバンドを観ているかの様であった。現段階では、そのあまりに過剰なる“やりたい気持ち”に、演奏力が追いついていないだけなのだ。あの熱量が、すべて表現行為として昇華されれば、末恐ろしい事になる。既成の枠に収まりきらない、今後の進化に期待。

家出少年。これはNG。私には、オシリペンペンズの表面的な形式だけを拝借した様にしか見えない。何を喋るか前もって考えておいたかの様なMCや、最後の曲で大暴れ・・・と、あらかぢめ用意されたシナリオが透けて見えてしまう。とは言え、表現行為がすべて本音や本心に基づく必要は無いので、そう言う意味では、演技力不足と言い換えても良い。

<総評>結局、出来る事しかやらないバンドと言うのはつまらないのだ。そもそも、出来る事を精一杯やるのは当然の事なのであるからして、それならば、その“出来る事”が多いバンドなり音楽を聴けば良いだけの話である。しかし、私が観たいもの、求めてやまないものは、出来る事以上、すなわち、現在の自分の能力以上の事をやろうとする気持ちであり、表現しきれずはみ出してしまう程の感情や想いであり、そんなトゥーマッチ(やり過ぎ)かつ情熱的な人間の姿なのである。

やり過ぎ歓迎!!みんな、もっと、やり過ぎろ!!

禁未来小説「ドラへもん」その⑤「拍子抜け」の巻

あの下品な猫型ロボットの家庭教師、ドラへもんが我が家にやって来てから、今日が初めての登校日・・・。

ボクこと、のひ太は、こころにある決意を秘め、いつもの様に学校での苦行を終え、いつもの様にイヂメにあいつつも、奴の待つ自宅へ向かうべく、重い足取りで帰途についていた。

「ええい、どうにでもなれだ。どうせボクの人生なんて、不幸続きの悲運続きの被災続きの、地獄へと向かう血塗られた暗黒の旅路なんだ。今さら、鬼の一匹や二匹増えたって、どうって事ないや。」

ボクは、半ばやけくそ気味な気分で、家のドアを開けた。

「ただいま~!!」

そして、そのママ、二階に駆け上がり、部屋に入る・・・。

すると!!

そこには、ドラへもんの姿は無かった。

「なんだよ、あいつ、何処行ったんだ?」

押し入れの中にも居ないし、もちろん、階下にも居なかったはずなのに・・・。

ママ「のひ太サン!おやつよ~!」

と、これと言ってやる事も無く、いつも通り昼寝をしていると、階下からママの呼ぶ声がした。

のひ太「ねえ、ママ~。ドラへもんは何処行ったの?」

ママ「あら?お二階には居なかった?ママは知らないわよ」

後で解った事だが、ドラへもんは、近所の雌猫を追いかけて、一日中、外出していた模様。

え~!!どう言う事さ。ボクを教育するとか何とか言っといて、初日から外で遊びまわってるなんて。まったく・・・。とんだ拍子抜けだよ・・・。

(つづく)

広島パンク史調査

広島パンク史を記すにあたり、日本パンク史との相互関係を明確にするためには、やはり年代や日付は正確を期さねばと、風呂に入るため自宅に戻ったついでに、色々と捜索。

しかし・・・。資料を点検するにつれ、目を覆いたくなる様な、若き日の想い出が次から次へと襲って来て、かなりブルーに・・・。

ええい、どうにでもなれ!!・・・と、無理矢理、自分を突き放し、日付確認のためのライヴ・チケットやら、雑記帳やら、自作のファミリー・トゥリー(←暇やったのね)等をピック・アップ。

それらを見返し、おぼろげどころか、既に消失している記憶を構成し直す。

ああ、広島ロッカーズってあったな~・・・とか、GASは4回観てたんだな・・・とか、自我とVERMINとMOOしか記憶になかったけど、デストロイGIGやサリドマイドGIGには、他にも色々なバンドが出てたのね・・・とか、しまいには、ああ!!あのバンドを観る機会もあったのに、すれ違いだったんだ!!・・・とか・・・。

後ろは振り向くべからず。

嫌になる、落ち込む、がっかりする、赤面する、泣きたくなる、消えたくなる、死にたくなる。

ああ、もう、恥ずかし~!!超寒~!!

(いよいよ、本編は来週・・・)

私は“タカ”派?

私は、“タカ”派である。

“ワカ”は、ニコニコして良い人っぽいけど、だらしない人間にしか見えない。とは言え、あのスポーツをするからには、それなりに苦労もしたのだろうが、その生き方が、そのまま顔に刻まれ・・・否、あの、まるで赤ん坊の様な顔つきは何だ?もちろん、これは、あくまでも私の主観であり、偏見であり、勝手な言い分であるが、私は好きでは無いと言うだけの話。

その反対に、あの弟の顔を見よ。どんなつらい事も黙って耐え続けてきた人間の顔を。そんな真っ当にして生真面目な人間であれば、あの兄を嫌いになるのも当然と言うものである。

兄弟仲良く?糞食らえだ。

大人になれば、皆、他人。

兄弟であろうが、家族であろうが、親子であろうが、夫婦であろうが、そのどちらかが信用を失えば、本質的に、その関係は終るのだ。

必死で生きてる人間には、尊敬出来ない相手を思いやる余裕など無い。

兄貴はせいぜい、にこやかな笑顔を振りまいて、無責任な世間とやらを味方につけるが良い。

実力や誠実さよりも、好感度が尊重される世界で・・・。
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