Mr.エレクトの独り言 2005年06月17日
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

広島パンク~ハードコアの歴史①

まず、いつから話を始めるか?と言う事が重要なのだが、1978年前後の、東京ロッカーズや、その前夜の東京、大阪でのアマチュア音楽シーンが、日本のパンクの始まりであると定義するならば、広島にパンク・シーンと呼べるものが生まれたのは、GASが中心となり、いくつかのパンク・バンドを集め、定期的にGIGを行なう様になった1983年からである。それ以前は、社会人になってからもバンドをやっている人達、あるいは、意欲的な高校生達による自主イベント等もいくつか行われていたが、ことパンクに限定するならば、東京のシーンをお手本にしていたとは言え、その後の広島ハードコア・パンク・シーンにつながる源流としては、やはり、1983年以降の出来事であると見て、ほぼ間違い無い。

だが、それ以前にも、パンク系の自主イベントが全く無かったと言う訳では無い。“広島ROCKERS”と銘打たれた自主イベントが、少なくとも2回は行われている。また、バンド個々で言えば、パンク・バンドはいくつか存在したし、音楽性が近いバンド同志の、“横のつながり”は多少なりともあった。しかし、意識的にハードコア・パンク(ザ・スターリンを含めない)と言う音楽のみを標榜したのは、GASや、自我と言うバンドの前身である、EXECLAYT(エクスクレイト)が最初であったし、“縦のつながり”の始祖と言う意味からも、広島ハードコア・パンク・シーンの元年は1983年であると言い切れる。

ところで、私には、今でも時々考える事が二つあり、ひとつは、私が1年遅く生まれていたら(GASの主要メンバーはだいたい一学年下で、自我はだいたい二学年下)、それらのGIGに出演者として参加出来ただろうに、と言う事と、もうひとつは、高校卒業後、1年間、広島でフリーターをしていたお陰で、GASや自我を観る事が出来たが、もし、すぐに上京していたら、BAKI在籍時のエクスキュートや、再結成では無いカムズや奇形児を観る事が出来たのにな~・・・と言う2点だ。結局、私が上京したのは、1984年の5月なので、その直前にカムズや奇形児は解散してしまっており、上京後、住居を決めてから一旦帰省した際に、BAKI在籍時最後のエクスキュートのライヴが行われていたのであった(既にあまりライヴをやってなかったので、その事実も、後年になってやっと気づいた・・・)。まあ、今更そんな事考えても仕方無いのだが・・・。

とは言え、なんせ、そもそもハードコア・パンクと言うものが、日本で、特に地方都市の広島で、ある程度知られる様になるのは、1980年にアナーキーがデビューし、1981年のザ・モッズや、ザ・スターリンの登場の後、1982年頃のDOLL(当時は書店では扱ってなく、極一部のレコード店や楽器店でしか置いてなかった)に、ガーゼやエクスキュートの記事が掲載されて以降だと思って間違い無いので、私なんかは、まさにハードコア・パンク登場の衝撃を、思春期にリアル・タイムで知った世代である。ゆえに、今回は、アナーキーがデビューした1980年から話を始め、広島の高校生バンドが、どの様にパンクやハードコアの影響を受けて変化していくかを、自分の実体験を基に、記してみようと思う。もちろん、私より上の世代に、ピストルズのコピー・バンドや、極まれにパンクっぽいオリジナルを演るバンドが居たかも知れないが(注:文末)、現在と違い、パンク人口も少ない上、社会人になってまでバンドを演っている人達や、高校生でオリジナル曲を演奏するバンドと言うのは、本当に数える程であったし、知り得ぬ事は書けぬゆえ、あえて、1980年を広島にパンクが伝来した年、1983年をハードコア・パンク・シーン誕生の元年と定義する次第である。

(つづく)

(注)後に詳しく記すが、1983年に第一回が行われた、“広島ROCKERS”と言う自主イベントの主催バンド、ストリッパー(自主レコードを出している京都かどっかのバンドとは同名異バンド)は、その当時、私より上の、おそらく大学生くらいの世代だったので、もしかしたら、1980年以前から活動していたかも知れないが、私の記憶では、ザ・モッズに影響を受けたと思わしきオリジナルを演っていたので、やはり、1980~81年前後からのスタイルであろうと推測される。
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2005年6月12日「破壊宙Vol.2」at新宿JAM~レポ③

さて、トリはオシリペンペンズ。スモークが焚かれ、何かが起こるムード満点。

客は口々に、「モタコ~!!」「キララ~!!」と、メンバーの名を叫ぶ。人気絶頂である。時には「アホ~!!」と叫ぶ輩もいるが、もちろん、愛ある呼びかけである。

この日のモタコ氏は、なんだか泣いていた様で、よく聞き取れなかったが、「大事なものを失ってしもうた・・・」とか、「取り返しのつかない事をしてもうた・・・」みたいな事をつぶやき続け、客の盛り上がりなど、まったく意に介さぬ様子。とは言え、時間が押していたせいもあるのか、矢継ぎ早に曲は演奏され、そんなにネガティヴな空気にはならなかった。

終始、客席に分け入って唄うモタコ氏。そのうち、客に持ち上げられ、ついには、逆さになり、少なくとも5歩は、逆さになって天井を歩いてた・・・ッス!!その間もどこからか歌声は聴こえてくる・・・。そして、しまいには、客席の後方で天井の照明を壊してしまった。

危ないから、ホント、身体には気をつけて~。

しかし、何と言うのだろう。あのペンペンペナペナした奇妙な音色のギターと、スッタカタスタタタタンなオカズのみ連打してるかの様なドラムとの、二人だけの演奏なのに、何だか異様な空気がライヴハウス内に充満する。原始時代に行われていた儀式の様な(と言っても、観た事無いけどネ)、時間が捻ぢ曲がるかの様な感触。キララ氏のギターは、まるで蛇使いの笛の様に、迎氏のドラムは、身体に取りついた悪霊を追い出すかの様に、モタコ氏を予測不能な行動に駆り立てる。

う~ん、これは今までに観た事が無い。

そこに居るのは、正直過ぎる程に生身で生きている人間と、非日常的な空間を演出する、実力に裏打ちされた超個性的な演奏。

やっぱ、こうでなきゃ。

目も耳もステージ(及び客席?)に釘付けにさせられるライヴと言うのは、そうそう無い。私にとって、ライヴを観に行くと言うのは、動物園や遊園地に行く様なもんで、刺激や快楽を求め、日常を忘れるための行為なのだから、金だとか出世だとか名誉だとか結婚だとか政治だとか、そんなどうでも良い事、将来への不安、果ては明日の予定さえ、チラっとでも垣間見えたら、白けてしまってしょうが無いのだ。ゆえに、客が名前を叫ぼうが、唄を合唱しようが、まったく意に介さず、己が本能に基づくママに歌い叫び動き回る、野性の獣の如きモタコ氏の姿は、うらやましくもあり、時に美しいとさえ思ってしまうのである。

人間が純粋なママで居続ける事は非常に困難であり、この世は、人間が純粋であり続ける事を決して許さない。そんな人間界に反逆するかの如く、私は、この様な天然記念物、保護すべき野性動物を観るのが大好きなのである。

正義が多数決で決められる世の中では、明らかに、私の嗜好、思考は間違っている。まったく困ったものである。

しかし、だからこそ、生きる事すら困難な人、そんな、“困った人達”による表現行為が、好きでたまらないのだ。

(レポおわり)