Mr.エレクトの独り言 2005年07月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

金は殿下の回し者

店のレコード・プレーヤーが遂に壊れた。

自宅の方は、既に針が折れたママで、つい先日、ダブル・デッキも片方が動かなくなった。

しかし、この自分が、金かねカネと、資金繰りに追われる日々を過ごす事になろうとは、予想だにしなかったぜ。

自己の能力が、正当に評価されない事や、努力が報われない事は、悲しい事である。

しかし、それよりも、自己の能力を自由に発揮する事すら許されない事の残酷さと言ったら・・・。

貨幣と言う、誰にでも共通の価値を持つ、単なる交換手段である紙切れが発明されたために、能力のある無しに関わらず、誰もがまずは、金を手にしなければ、舞台に立つ事も出来ぬどころか、生きていく事さえ出来ないのだ。

お金なんてのは、能力の無い奴、腕力の無い奴が、この世を支配するために作り出した魔法の紙切れである。

しかし、その魔法の紙切れ欲しさに、人はただ一度きりの人生を棒に振る。

貴重な時間と引き換えに、金では買えないものを犠牲にして、金を得るのは良いが、そうして得た金で、一体、何を買おうって言うんだ。

不幸の多様化

昔は、不幸と言うものは、持たざる者の事のみを指すものだと思われていた。

と言うか、実際には如何に不幸であっても、他人や世間からは不幸だと思われない様に振る舞う事が、人なら誰しも、今も昔も当然の行いであるからして、客観的には、他人の内面の幸福度を正確に計る事が困難であったと言う事も事実ではある。

ところで、持たざる者、他人より劣る者と言うのは、実に解り易い不幸の条件であるが、果たして、本当にそうであろうか?

不幸な状態とは、他人や世間の価値基準で判断されるべきものなのだろうか?

豪華な邸宅に住み、一見、幸せに見える一家も、夫婦仲が悪く、子供は非行に走り、実際には家庭崩壊していたならば、どうだろう?

また、その逆に、片親のため、ずっと貧乏で、学生時代はアルバイトに明け暮れて、遊ぶ暇は無かったが、その貴重な労働体験を、社会に出てから大いに生かす事の出来た少年を、単純に不幸であると決め付けて良いのだろうか?

幸福であるとか、不幸であると言う基準は、本来、個人個人の胸の内にあるものであり、それを他人や世間様から見て、可哀相だとか、うらやましいと思った所で、本人にとっては余計なお世話でしかない。

そう考えると、はたから見て幸福に見えるが、実際は不幸を感ぢている人と、はたから見れば不幸極まりないのだが、本人は幸福感いっぱいの人と、どちらが本当に幸せなのだろうか?

いかんいかん。またも自分の価値観で人の幸福度を計ろうとしてしまった。

つまる所、こう言う事だ。一見不幸に見えて実は幸せな人と、一見幸福に見えて実は不幸。そのどちらが良いか?と言う問いに対する答えさえ、個人個人違うのだ。

単純に考えれば、一見幸福に見え、実際にも幸福なのが一番なのであろうが、それすらも、人によっては、あまり幸せそうに見えると、他人から妬まれたり恨みを買うので、傍目には、なるべく質素に見せたいと言う考え方もあるだろう。

トナルト、自己の価値観に基づいた、理想の幸福の形態に、如何に近づくか、それが何処まで達成出来ているかと言う事が重要となってくる。

すると、今度は、理想や願望の大きさ、欲望の量が少ない者は良いが、掲げた理想があまりにも高いと、その多くが叶わぬゆえ、余計に不幸度が増すと言う現象も起きる。

更に更に、持たざる者ならば、そもそも得る物も少ない訳で、高望みも許されず、それで満足するしか無いが、逆に、能力や実力があればあるほど、望み通りの報酬を得られないがゆえに不満を感ぢると言う、持たざるがゆえにでは無く、持ち得るがゆえに不幸であると言う、なんとも皮肉な状態がもたらされる事となる。

もはや、持たざる者が不幸であった時代は終りを告げた。否、元より、それは幻想であったのだ。本来、すべての人間が、自分の気持ちひとつで、不幸にも幸せにもなれる可能性を持っているのだ。

そう考えると、これからの時代は、多くを望まぬ者、元より持たざる者こそが、幸福に最も近い位置にあるのでは無いか?

と言うか、現在流行中の、誰もが欲しがる幸福の形状なんか要らねえよと思わぬ限り、不幸は続くものと思われる。

いつまで続く、幸福ファシズム。

とは言え、誰しも、私も、幸福になりたいと思うし、自ら進んで不幸になりたいなどとは、露とも思ってやしない。

要するに、不幸が多様化したのでは無く、幸福の在り方が多様化しない事こそが問題なのだ。

禁未来小説「ドラへもん」その11「人体実験の成果」の巻

★注意★今回も、食事中の方や、ナイーヴな方、倫理観の強い方は、お読みにならないで下サイ。どうしても、お読みになりたい方は、各々の自己責任にてお読み下サイませ・・・。

うわ~!!まず~い!!ぐ、ぐふっ、ぐへ~!!

ボクは、スネトに無理矢理、口に押し込まれ、咀嚼させられたおぞましい物体を、我慢出来ずに吐き出した。

スネト「うわっ!!汚ね~!!こいつ、ボクの洋服にウンコがついちゃったぢゃないかよ!!死ね~!!この、駄目人間!!」

そう言うが早く、スネトは、ボクのお腹に思いっきり蹴りを入れた。ボクは椅子ごと床に倒れ込み、これ幸いにと、唾と共に口の中に残った異物をすべて吐き出した。

のひ太「げえっ・・・、ぐはっ・・・。」

それにしても・・・。こいつら、やっぱ、ボクにウンコを喰わせようとしてたんだ・・・。

スネト「この~!!のひ太のくせに~!!」

シャイアン「お~い!!ス~ネト!!やめろ!!」

スネト「だって、シャイ・・・ぢゃなくて、総統!!」

シャイアン「暴力では、何も解決出来ないぞ。それより、やはりウンコは食用に適して無いと言う事が解っただけでも、今回の実験で、我々は貴重な成果を得た。」

スネト「う・・・、総統がそう言うなら・・・。」

シャイアン「スネト。お前も糞の付いた服を脱げ、そして、床を清掃次第、儀式の準備だ!!」

スネト「待ってマシタ!!そうこなくちゃ!!のひ太~、喜べ!!久々の儀式の時間だぞ!!」

その時の、ボクの頭の中には、失意と混乱が渦を巻き、スネトの声も、遠くから、かすかに響いてくるだけだった・・・。

(つづく)

★ああ、哀れにも、狂気の人体実験により、ウンコを喰わされそうになったのひ太を更に襲う、ショック団の儀式とは、如何なる所業なのであろうか?次回、思わず目を耳を覆いたくなる、理不尽極まりない暴虐の嵐が吹き荒れる!?

お金持ちの文化

金を使うのが文化的なのか?

金を使えば使うほど、文化的になれるのか?

何の特徴も、特色も、特技も、特殊さも無い奴が、やたらと金だけかけて、何か特別な人間の様に振る舞ってるが、なんぢゃそりゃ!!

金かけりゃあな、どこの馬の骨だろうが、ちっとはマシに見えるに決ってる。

如何にお金をかけないで楽しむか、あるいは、例えお金を使ってようが、如何にお金をかけてない様に見せるか、そっちの方がよっぽど文化的な気がする。

お金をかけるって事は、結局、自分以外の誰かに何かをしてもらったり、作ってもらう部分が増えるって事だ。

使ったお金に見合う自分があるなら良し。そうでなけりゃあ、札束を繋ぎあわせた洋服を着ている様なもんだ。

ほんで、また、金の無い奴等に限って、札束の洋服を着ている様な金持ちに憧れやがる。

俺はお札なんて集めない。だって、あんなの番号が違うだけで、みんな同ぢ絵柄なんだもの。コレクションの対象としての魅力ゼロだよ。

廃盤レコードと一緒で、帯付(札束の事)なら話は別だけどさ・・・。

<注>廃盤レコードの世界では、貴重盤になればなるほど、帯のある無しで値段が天と地ほども違ってくるのだ。

だから、俺はお金持ちにはなれない宿命なんだろうな・・・。

みんなも、色んな絵柄のお札を集めようよ。

俺は千円札2枚持ってて、君は万札2枚持ってる。同ぢ絵柄の札を2枚持っててもしょうがないから、その万札、俺の千円札と交換しないか?

2種類の違う絵柄の札を持ってる方が楽しいよ。

でしょ!?

今後の予定

最近、余裕が無いため、近況(金況)報告ばかりになってしまっている。

これでは、「庭に○○の花が咲きマシタ」とか、「ムスコも元気になりマシタ」等の、他人にとってはどうでも良い、アット・ホームなブログになってしまうので、そろそろ、復活する予定。

ウルトラ・ヴァイブさんから、こんなCDが出マシタ。「日活ニュー・アクションの世界」と題された、1970年前後の日活アウトロー映画の劇中歌やインストゥルメンタル音源を集めたものデス。2種類ありマシテ、「野良猫ロック」編には、梶芽衣子の歌唱(安岡力也とのデュエット含む)が3曲収録されておりマス。当店でも取り寄せ可。

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全16曲収録中、青山ミチ「恋のブルース」や、安岡力也「禁じられた一夜」も激シブだが、ピーターパンの演奏や鏑木創作インストも、実にグルーヴィーなガレージ・サウンドで、非常に刺激的である。そして、梶芽衣子歌唱による3曲。「明日を賭けよう」は、まるでジャックスの早川義夫の声の様に、こころの底に呪いの楔を打ち付け、力也アニイとのデュエット・ヴァージョンでの「禁じられた夜」では、デンジャラスな愛の美学を粋に披露し、ギター弾き語り風の「C子の唄」は、夜の海に入水自殺する瞬間を思わせるかの、内省的なアシッド・フォーク作品となっておりマス(←次の曲との曲間が短すぎるのが難点)。・・・とまあ、合計収録時間こそ短いが、聴き所満載の貴重な音源集でありましょう。なお、もう一枚の「無頼・殺(ばら)せ」編も、フラワーズのガレージ演歌や、モップスその他、貴重音源満載で、二枚併せての購入をお薦めイタシマス。梶芽衣子ファンにとっては「野良猫ロック」だけで充分だけどネ。

大予言の結果

昨日、地震はあったか?

自信はあった。

・・・て、しゃれぢゃ無く、地震はあったね。早朝?か午前中?か昼頃に。
2度程、揺り起されたもんね。

「大地震がある」と言った訳ぢゃないもん。

地震はあったよ。

なんかくれ~!!

ところで、なんとかぎりぎり40万作ったよ!!でも、ドッキリが売れなかったら、マジでヤバかったな・・・。

あと、知人に、将来、自分の指を売る約束で、月々五万円もらってるからな・・・。って、冗談だよ~ん!!・・・半分はね。

ところで、次はあと5日で最低8万、出来れば16万、本当の本当の所は76万必要なのだ(それだけ、支払いが遅れている)!!

実際には、他にもツケはいっぱい貯まってるし・・・。

でも、とりあえず、8万稼ぐの目指してガンバロ~!!

毎月、この繰り返し。いやにもなるさ。

まあ、とにかくやるしかない。

やるぞ~!!

・・・て、思ったら、レコード・プレーヤーのターン・テーブルが回転しないんでやんの!!ついに故障か!?

もう、やんなっちゃうよ~!!

だわさ。

Mr.エレクトの大予言

明日、7月26日の火曜日、都内で地震が起こるだろう。

当たったら、何か頂戴!!(^^)/


外れたら?

・・・無事で良かったね!!


<追伸>
今月、頑張って金を稼いだ自分へのご褒美に、Tシャツを作成イタシマシタ。↓

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地震、凄かったんだってね?

ブログは休むってのに、視聴率が減らないので、これを勝手に応援の声であると受け取り、お返しに何か書こうと思って、昨日の出来事を綴ってたのに、眠いせいで間違って消しちゃったよ。

仕方無え。これだけ書き直すか・・・。

地震対策:地震の揺れより激しく、自分自身を揺らせば、地震なのか、自身の揺れなのか区別が付かなくなり、地震に対して自信が付くよ。

試してガッテン!!

ぢゃあ、またねん!!(^^)/

・・・て、実は、徹夜でもうヘトヘトよ・・・。

あっ、そうそう。ドッキリするレコードが売れたので、少し楽になったよ・・・。助かったワン!!

皮算用

ああ、眠くない訳でも無いが、瞼が自動的に閉ぢようとしてならない。瞼が思い・・・。顔が溶ける・・・。

ヤフオクで○万、音の解る人に○万、筒美京平で○万、パンクで○万、大野雄二で○万、あとは・・・。

その逆に支払い予定。地主と大家が仲悪いせいで、エアコンの引っ越しに約4万かかる・・・。暑い日々が続くのに、まだ使えない・・・。

電話が止まる、携帯が止まる、ガスが止まる、電気が止まる、水道が止まる・・・。

ぶつぶつぶつ・・・。

まさに独り言やな。

書き休暇

超金欠につき、しばらくお休み。

1週間で40万稼がなければ足りんのよ。

無理だ!!

悲しき夏バテ

このオッサン、誰だ?(答えは後日・・・。)s-p1010001.jpg

しばし休息・・・してる暇は無え!!

先日、無事に、マリア観音のライヴを終える事が出来マシタ。大雨の中、ご来場頂いた方々、誠にありがとうゴザイマシタ。次は2ヶ月後なので、宣伝用のフライヤーが出来上がるまで、これで、やっと一息つける・・・と、言いたい所だが、そうは行かないのだ。予定されている支払いを始めとし、延ばしに延ばし、溜めに溜めた支払い等、支払いラッシュはひたすら続くのだ。

しかも、数日前に書いたが、別ルートからの入金も、しばし途絶えてしまうのだ・・・。どうせいっちゅうの~!?まったく~!!

そして、その件だが、ついに、私の友人であり同業者でもある、地方の中古レコード屋サンが、店を畳む事となった。今後は、倉庫を借りて、ホーム・ページ上でのレコード販売と、ネット・オークションの2本立てで行くそうだ。時代の流れと言うか、不景気とネット通販隆盛の昨今、これは仕方の無い事であろう。まあ、店舗を構える事自体に意義があるのか、商品を販売して収入を得る事が目的なのかと考えると、やはり収益を上げるのが大前提であるからして、店舗より家賃が安く、自宅に近い倉庫を借りれば、利益自体は向上するであろうから、良しとすべきなのかも知れない。ちょっと、淋しいけどね・・・。

何にせよ、今月は、今日以降、今のところ、珍しく何の予定も入ってないので、ネット出品しまくるしか無い。

実は他にも、言いたい事がいっぱいあるが、今回は止めておこう。

ぢゃあ、またね~!!(^^)/

広島パンク~ハードコアの歴史④

★今月発売(2005年8月号)のDOLL誌に、元GASのZOMBIEこと、畑中氏(現・Yoshi)への、「GASヒストリー・インタヴュー」が掲載されているので、併せて読んで頂きたい。当時の広島、否、地方におけるパンクやハードコア・パンクのおかれていた立場等が、なお一層、リアルに伝わるのでは無いだろうか。個人的には、同誌掲載のファミリー・トゥリーにより、不明だった点が、更に明らかとなった。また、当連載は、筆者が当時、知り得た情報を基本としているので、記憶違いや事実誤認も、多少含まれているであろうが、ご容赦頂くと共に、正しい情報をご存知の方は、遠慮無くご指摘頂ければ幸いである。ちなみに、筆者の友人である自我のヤブキ氏とは、先日、電話にて久々に連絡を取り、当時の秘話を取材したので、それらも交えつつ、話を進めたいと思う。それでは、続きをどうぞ・・・。★

さて、例の、高校生による自主コンサート企画団体“SOUND PACKED FAMILY”(以後、SPF表記)であるが、早速、1981年末に、第2回を開催する事が決定した。今回は、第1回目を行なう前に、確か、「甲斐バンドのコピーをやるからヴォーカルをやらないか?」とヤブキに誘われた筆者が、その時には断ったのだが、後に、やはりバンドをやりたくなり、既に“BEM”を再編し、“三人委員会”を結成していたヤブキに声をかけ、ヤブキ(ヘルプG)、同級生のギタリスト、ナカガワ(ヘルプB)の2名に、筆者同様に大竹中学~五日市高校進学の河内(Dr)を無理矢理参加させ、アナーキーとRCサクセションのコピー・バンド“SUCCESS”を結成し、出演する事となった。ここで注目すべきは、①当時は、バンドをやると言うよりは、まず最初に、高校の文化祭や町のイベント等、ライヴ出演が決定してからメンバーを探したり、バンド練習を始めると言うパターンが多かった。②既に演奏経験のある楽器担当者が、いくつかのバンドを掛け持ちでやる事が多かった。これらは、要するに、ピアノやフォーク・ギター以外のエレキ楽器をやってる人間も少なかったゆえに、人材不足と言うか、一部のやる気ある人間が、それまで楽器(特にドラマー)などやった事の無い人間を、無理矢理引き入れる場合が多かったと言う事でもある。

★ちなみに、1981年夏、THE MODSの1stアルバムが発売され、前後して、セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュ、ダムドなどの、いわゆる三大パンクバンドを知り、好んで聴くようになる。また、同年秋、ヤブキ宅にて、彼の母が愛読していた女性週刊誌数誌に掲載されていた記事で、スキャンダラスな変態バンドとして紹介されていた、ザ・スターリンの存在を知る。★

そして、バンド練習であるが、当時は、2時間いくらの練習スタジオと言うのは少なかったと思うし、あったとしても、その存在すら知らなかった。もっとも、そもそもそんな所は、プロが使うものだと思っていたし、そんなお金無かったよね。自分達も、ヤブキ宅のガレージだったり、公民館の会議室を借りたりしてた。とは言え、ガレージったって、シャッター一枚だからね、近所迷惑甚だしいよ。それで、少しでも音を小さくしようと思って、スーパー・マーケットに行って、タマゴを入れるパッケージ(プラスチックぢゃ無く、へんな素材のやつ)を大量にもらって来て、ガレージの天井に張り巡らしたりなんかして・・・。

しかし、問題はそれだけぢゃ無い。前回の会場が使えなくなり、今回は廿日市中央公民館を借りる事になったのだが、騒音による近所からの苦情に備えての配慮等、問題は山積みで、同所で何度か集まって会議もした。そんで、やっぱ高校生中心なんで、大人の責任者が必要だって事で、とあるレコード・ショップのあんちゃんにお願いしたら、既にチケットに店名まで入れて印刷していたのに、何かあった時に責任取らされるのはゴメンだと断られたり、会場は公的機関だから、お金を取るとマズイってんで、無料コンサートにしたり、何だかメンドクサイ事がいっぱいあったな。だから、当時は、団体のリーダーだったコモリは、筆者にとっては、すごくやり手に見えたんだけど、後年、地元の人間に話を聞くと、コモリは派手に花火を打ち上げるだけで、メンドクサイ根回しや後始末は、コモリのバンドでドラムをやっていたキモトと言う男がこなしてたトノコト・・・。まあ、人それぞれ、役割分担ってのがあるからな。

そして、そのコモリが、第2回SPFコンサートの直前に、とある場所でのライヴを決めてきた。これには、コモリやイイダ、前述のキモト(Dr)他による“ステンドグラス”、筆者によるバンド、そして、“Big to Great”と言うふざけた名前の、確か、ナカガワ他による即席編成グループの、全3バンドが出演した。その場所とは?“ゆうわ病院”と言う精神病院での慰問クリスマス・コンサートであった・・・。しかも、アナーキーとRCのコピーをやるはずの筆者のバンドは、とある患者に脅され?横浜銀蝿のコピーを1曲、やむを得ず演らされる羽目となる。よって、筆者が、思春期を過ぎて人前で初めて歌ったのが、「つっぱりHIGH SCHOOL R&R(登校編)」である事は、“吉田豪”風に言うなれば、今もって筆者の“男の勲章”(by嶋大輔)なのである。トホホ・・・。世間(あの施設は違うが・・・)では、アナーキーも横浜銀蝿も十羽ひとからげな、1981年12月20日の出来事であった・・・。

★ちなみに、筆者が1981年に行ったコンサートは、RCサクセション’81.4.23/広島見真講堂(ブレイク後、初の来広)、同’81.10.7/広島郵便貯金ホール。THE MODS’81.11.14、広島WOODY STREET(当時、広島にあった、キャパ100名程度の広さのライヴハウス)。この日のライヴは印象に残ってて、中盤過ぎるまで客は大人しかったんだけど、後半、森山が「NO REACTIN」と言う曲をやる前に、ちょっと皮肉っぽく同タイトル(訳:反応無し)を繰り返しMCしたのがきっかけで、急激に盛り上がると言う一幕があり、まだ、コンサートを楽しむマニュアルさえも無い時代の、ほのぼのとしたエピソードではありマスね。また、情報の少ない地方都市においては、レコードが発売される事以上に、ライヴ体験と言うのは刺激的で、同ライヴ後に、ザ・モッズのコピー・バンドが、いくつか生まれたであろう事は、想像に難くない・・・。★

(つづく)

バカモン先生の人生相談~相談の壱

ウォッホン。ワシがバカモンぢゃ。今日から、君らの悩みに、このワシがスパスパズバッ!!っと名解答を下そうぢゃないか。何々、ほうほう?恋の悩みとな?

「ア・キ・ラ・メ・ロ!!」(←そりゃ、ミヤマGt.のネタ)

気を取り直し、ぢゃあまずは、記念すべき第一号の相談者君、入りたまへ。

高校一年生のA君「あの~。実はデスね。僕のクラスのH子ちゃんが、どうも僕に気があるようで、一声かければ、彼女になってくれそうなんデスが、古くは江戸時代の諺でも、据膳食わねばなんとやら・・・とも言いマスし、こりゃ~いっちょ、モノにしちゃても良いものでがしょうか?」

バカモン先生「バカモン!!」

A君「えっ!?いきなり、何ですか~。僕、何か間違った事、言いマシタか~?」

バカモン先生「バカモン!!も一度、バカモン!!」

A君「ええ・・・?そんな、何度も・・・。」

バカモン先生「ええか、良く聞け、ワコードよ。必ず落ちると解っている女人に手を出す事・・・。それすなわち、必ず勝つと解っている、自分より弱い相手と喧嘩するが如き、卑怯極まり無い所業であるぞよ。」

A君「そ・・・そんな!!恋と喧嘩を一緒にするなんて!!」

バカモン先生「うんにゃ!!恋と喧嘩は同義なり!!お前がやろうとしている事は、弱い生き物を取って喰う、野の獣の行為ぞなもし。」

A君「ぢゃあ、僕はどうすれば・・・」

バカモン先生「その女人、ワシに紹介せえ!!」

A君「ギャフン!!」

(相談の壱/オシマイ)

★バカモン先生に相談したい事柄有りき者は、メールにて・・・。テキパキ即答、名解答続出、一刀両断(←何かが違う・・・)にしてつかまつるぞよ。

怒りの根元

ここの所、暗くなったり、愚痴をこぼしたり、不満をぶちまけたり、怒りを露にしたり、不服を述べたり、面白くねえとつぶやいたり、悶々としたり、ブルーになったり、鬱屈としたり、喚き散らしたり、落ち込んだり、沈んだり、自閉したり、イライラしたり、もやもやしたり、狂いそうになったり、ぶち切れそうになったり、警官を呼び止めてまで説教したり・・・と、色々ありマシタ。

しかも、それを恥ずかしげもなく、ここにさらけ出して参りマシタ。

・・・が、勘違いしてもらっては困るのデス。

私は、決して、あきらめている訳では無いのだ・・・と言う事を。

いかなる苦境においても、無気力に身を委ねる事無く、一歩でも前進すべく、前向きな打開策を検討したり、いかなる暗闇においても、投げやりになる事無く、一筋の光を見出すべく、思考回路をフルに活用し、現実的な生き残り策を編みだそうと、日夜、健闘しているのデス。

そう。私は、このつたない脳力と、ささいな能力と、はかない人生において、人間社会における“資本の集中とファシズムの打倒”と言う目的を、いつも真剣に考えているのだ。

それらを成し得ない限り、私の様な、“持たざる者”には、真に自己を生かしきる事が出来る人生の、そのスタート地点にさえたどり着く事など出来やしないのだから・・・。

ただし、一度も頭を下げない・・・などと、頑固な事を言っているのでは無い。試合の途中で、何度パンチをもらおうが、一度や二度、ダウンしようが、まだゴングすら鳴っていないのだから、問題無い。

馬鹿である。我ながら大馬鹿である。

しかし、どうしても納得出来ないのだから、仕方無い。

ライヴ前日

いよいよ、明日、マリア観音のライヴです。

いつもの事デスが、ライヴが近づくにつれて、当日、無事に終了するまでは、天候の事や動員数など、そのプレッシャーに押し潰されそうになりマス。

しかも、今回は、宣伝期間が短かかった事もあり、心配でなりマセン。

ましてや、金欠ここに極まれり!!の、最悪な状況。

私が鬱なのではありマセン。私を鬱にする要因は、外部にあるのデス。

そして、明日が終ったら、また次回は2ヶ月後。赤字の恐れがつきまとう、自主企画はつらいものデス。

家賃もね。やっと払ったと思ったら、もう翌月の家賃・・・。

その繰り返しデス。

死んでは生まれ、生まれては死ぬ・・・。

私の鬱を治す方法。

それは、明日のライヴに、貴方がお越しになる事・・・。

皆様のご来場、こころより、お待ちイタシテおりマス~。(^^)/

ライヴ告知

★この記事は、常に最新の更新情報として掲載されておりマスが、実際には、下の方にも、更新記事を掲載して行きマス。

■ 木幡東介(マリア観音)ワンマンライヴ「日本絶滅動物記 其の六」
山田徹 美術作品展示

[日時] 2005年7月9日(土)
[会場] 武蔵小金井アートランド
[住所] 東京都小金井市本町1-16-6 小金井マンション1B
JR中央線武蔵小金井駅下車・南口左折直進ジャノメ通り沿い(徒歩2分)
[電話] 042-383-6155
[開場] 19:30
[開演] 20:00
[料金] 2,500円※ドリンク代別
[問合] 武蔵小金井アートランド 042-383-6155(ご予約も承ります)
[主催] エレクトレコード


★上記ライヴ以降の予定

9月3日(土)武蔵小金井アートランド
10月14日(金)吉祥寺シルバーエレファント
12月20日(火)吉祥寺シルバーエレファント

危機

やばい事になった・・・。

実は、詳しくは言えないが、知人にもレコードの販売を委託しており、月に5~10万の利益があったのだが、とある理由で、しばらく、その収益が期待出来なくなってしまった。

とは言え、別に、犯罪に関わっていると言う訳でも無いので、誤解しないで頂きたいが、まあ、要するに、駐車違反の如きものであろうか。

ただの駐車違反では、こうはならないのだが、その知人も、日頃から、理不尽なものに対する不満や怒りを隠さないので、ていよく排除されたと言う事だ。

とは言え、結局は、現行のシステムに依存しているこちらも悪いとも言える。

やはり、自主独立を目指さなければ、いつまで経っても搾取され続けるのみだ。

しかし、それは理想に過ぎず、現実には、今日も徹夜でネット・オークションに出品、出品、また出品・・・あるのみなのでガス。

人は、死ぬために生きている。

人間に課せられた、“死”と言う、理不尽極まりない仕打ちを、穏やかな気持ちで受入れる事が出来る様になるために・・・。

共存の掟

正常な意識を突き詰めれば、異常になる。

正当性を主張し過ぎると、不当になる。

正論を振りかざすと、暴論になる。

正義を貫き続けると、ファシズムになる。

正常、正当性、正論、正義・・・。

それらを、“自分”に置き換えてみよう。

自分の意識を突き詰めれば、異常になる。

自分を主張し過ぎると、不当になる。

自分を振りかざすと、暴論になる。

自分を貫き続けると、ファシズムになる。

他人を尊重すると言う事は、他人に無理矢理、自分の意見を受入れさせると言う事でも無ければ、自分の考えとは異なる他人の意見を、何の疑問も持たずに受入れると言う事でも無い。

他人には、あまり近づき過ぎるな・・・と、言う事だ。

共存するには、どちらかが奴隷にならなければならない。

そして、それは、親・兄弟・家族・子供・友人・恋人・・・すべてに当てはまる。

お互いにとって、本当に、良い関係を持続したいなら、決して、他人には近づき過ぎない事だ。

それに耐えうる、余裕があるなら別だが・・・。

禁未来小説「ドラへもん」その10「ショック団の人体実験」の巻

<注>出来るだけソフトな描写を試みマシタが、読むに耐えない場面が多いため、お食事中の方、ナイーヴな方等は、今回に限り、飛ばして読む事をお薦めイタシマス。あくまでも、筆者が本作を通ぢて表現したい事は、もっと別な所にありマスので・・・。

スネト「アハ、アハハハハ!!ほ~ら、のひ太!!これでお前もめくら同然だ!!」

スネトは、ボクにアイマスクをつけさせると、椅子に身体を縛り付けた。

のひ太「な・・・、一体、ボクをどうしようってんだよ~!!」

スネト「いいから黙ってろ!!」「シャイアン総統殿!!人体実験の準備が整いヤシタぜ!!」

シャイアン「お~う、待ってろや。今行く・・・」

すると、奥の部屋から、シャイアンが、小学生に似つかわしくない、その巨体を現した。

シャイアン「スネト~。何で目隠しさせたか解るか?」

スネト「えっ?えっと・・・?何でだろ?」

シャイアン「今日は、生きた人間を使用した食の実験だ。これはな、スネト。災害や戦争で日本が壊滅状態になった時に、我がショック団のみは何を喰っても生き残るべく、今のうちに色んな食材を味見、毒味しておこうって計画なんだ。目隠しさせた理由は、先入観による実験精度の低下を防ぐのが狙いって訳よ。」

スネト「流石、総統。あったま良い~!!あっ!!でも、それなら、匂いも嗅げない様にした方が良いんぢゃない?」

シャイアン「いいや、嗅覚は危険を察知するために必要な本能だ。あくまでも、喰えるものと喰えないものとを事前に決め付けてしまう後天的な既成概念のみを取り払えば良いって事。」

心底、ボクは震えた・・・。まずい~!!ガス室対策に鼻に詰め物したのが裏目だよ!!これぢゃあ、口に入れられるまで何を食べさせられるのか解らないし、そんな希薄な危機意識ぢゃあ本気で抵抗する事もままならないよ!!

シャイアン「ス~ネト。モルモットの口を開けさせろ。」

スネト「ハイ!!総統!!おい、のひ太!!せめて良く噛んで食べな!!アハ、アハ、アハハハハ!!」

ブチュ!!グニャ!!ムニャ!!グシャ!!グニャ!!

・・・ボクの口の中で、やわらかくもおぞましい、なんともいやな食感と触感が入り交ぢった物体がスネトの手によって無理矢理あごを上下させられる事によって形状を変えて行くのが解った・・・。しかも、グェッ~!!超マズイ!!

スネト「アハ!!総統!!こいつ、こんなに臭いモノを平気で食しておりマス!!どうやら、食用に適している模様!!」

シャイアン「ま~だまだ、安心するのは早いぞ。本当に安全かどうか、しばらく、よ~く観察するんだ。」

臭いモノ?まさか!?まさか!!

(つづく)

★ああ・・・。ショック団による、悪魔の如き所業に、のひ太は、なすすべもなく、その身とこころをすり潰されていくのみなのか・・・。待て!次回!!

貧乏暇無し

なんだかんだ言っても、貧乏人は今日も徹夜でお仕事デスわ。

したかった事が現実のものとなった日々は、そりゃあ嬉しかったさ。

しかし、したかった事は、いつの間にやら、しなければならない事に変わっていたのだ。

したい事が出来ない頃、したい事が見つからない時は、したくない事もしなければならなかったが、したかった事をしているにも関わらず、したかった事を続けるためには、したくない事もしなければならない。

したくないが、しかたない・・・。

まあ、愚痴をこぼしても始まらないので、さて、もう一仕事、続きをやりマスか・・・。

そもそも、自由を獲得し、その状態を持続し続けると言う事は、元より、そうそう楽な事では無いのだ。

あ~あ、のんびりと、悩みに浸りたい。

あ~あ、ゆっくりと、葛藤と向き合いたい。

あ~あ、どっぷりと、悔しさに沈みたい。

あ~あ、どっか遠くに生きたい。苦しみと言う荷物を下ろし、虚しさを地面に埋め、身軽になりたい・・・。

納得行かない事は出来ない。

ただし、それは、納得したくないからなのでは無く、納得したいがゆえになのである。

よって、私は、間違っても、死など選ばない。

「なんか、この人のブログ、最近暗いな~!!」って、自分で認識出来るくらいの余裕は、まだある・・・。

アハハ~!!悲観症!!

平凡な悩み

ああ、なんて、よくある悩みなんだ・・・。

そこいらの本でも読めば、解決策が載っているような、そんな平凡な悩みだ。

ああ、もっと異常な悩みが欲しい・・・。

目が三つあるとか、お腹に人の顔があるとか・・・。

この程度では、失踪も発狂も出来ないではないか!!

もっと無責任になれば良いのだ。

と言うか、自分の本能に正直に生きれば良いのだ。

しかし、私は、そんな、人間の本能なるものが嫌いなのだ。

生き物の本能は美しいはずだが、何故に人間の本能だけは、かように醜いのだろう・・・。

否、それを醜いと感ぢる気持ち自体が、後天的に植え付けられた悪癖なのであろうか?

突き詰めれば、この世は二者択一の繰り返しによる、偶然の積み重ねである。

長年かけて積み上げた、積木の城をぶち壊す勇気が欲しい。

悲しい事に、こんな時にも腹は減る・・・。

ちょっと、コンビニに行って来よう。

満腹、すなわち、欲望を満たせば、一時、悩みを忘れる自分が、憎くてたまらない・・・。

だけど、そんな単純な自分が大好き!!

Mr.エレクトの「独立宣言」

うう、もう限界だ。

仕事も手につかない。

支払いはたまる一方で、次から次へと難題が積み重なっていく。

もはや、ノイローゼの一歩手前だ。

私の敵は、父(抑圧)と母(干渉)、すなわちファシズムである。

これを克服しない限り、精神の安定を得る事は出来ない。

杉良太郎の「君は人のために死ねるか」と言う、最近、CD化もされたカルトな名曲があるが、“人のために”と言う部分は、決して、“他人”のために犠牲になると言う意味では無く、“マラソン”であったり、“柔道”であったり、“仕事”であったり、“家族”であったりと、その対象は人それぞれに異なるが、言い換えるならば、「君は“自分の信念”のために死ねるか」と言う事を問うているのであり、“自分の信念”の部分を、“自分のプライド”“自分の信条”“自分の価値観”“自分の正義感”・・・と置き換えても良いが、あくまでも、その根元は、自分の意志に基づくものであると言う事こそが重要なのだ。

人は、まず、自分のために生きなければならない。

他人のために、自分を殺してはいけない。

自分を生かすために、他人を殺してもいけない。

自分を生かす事が、他人にとって役立つ様な、そんな生き方を目指さなければいけない。

そうでなければ、生まれた意味が、この世で生きる意味が無い。

私は、人を傷つけたくもなければ、自分も傷つきたくは無い。

私の願望は、自主独立する事である。

私の名前は・・・。

ヒト小屋の掟

「人を殺す」と言う事を知らない人間が、人を殺したらビックリするだろう。

「人の殺し方」を知らない人間が、人を殺しても、そこそこビックリするだろう。

「人を殺してはいけない」と言う事を知っている人も、時には人を殺す事もあるだろう。

「人は死ぬ」と言う事を知らない人間が、意識的に、人を殺そうとする訳が無いだろう。

だから、いちいち、驚いていてはいけない。

そう、彼ら、少年少女は知っているのだ。

「人は殺せる」と言う事を。

では、殺されたくなければ、どうずれば良いのか?

「殺られる前に、殺れ」・・・だ。

反抗する事さえも、反発する事さえも、反論する事さえも、反逆する事さえも、許してはならない。

もっと抑えつけるのだ、もっと植えつけるのだ、もっと縛りつけるのだ。もっと奪い取るのだ。

反抗する事さえも、反発する事さえも、反論する事さえも、反逆する事さえも、出来ない様に・・・。

自分で考える人間、自分で決める人間、自分で選ぶ人間、自分で勝ち取る人間、そんな人間は要らないのだ。

この地球と言う、豚小屋・・・もとい、ヒト小屋では・・・。

せぶんてぃーん

「反逆の手引き」執筆は延期。このテーマは、自分には、まだ早(重)過ぎる。今書くと、誤解される恐れがあるので・・・。

私が現在、苦しんでいる事柄の大きな要因は、「自ら望む(臨む)苦行は耐えられるが、自らが望まざる苦行は耐えられない」と言う点にある。

しかし、また17歳か・・・。

とは言え、あの年齢で、あれほど自己分析がしっかり出来ていると言うのは、賢いと言うか、不気味と言うか・・・。

要するに、我を忘れた状態でやってしまったと言うよりは、ネガティヴな意識を反復し続けた結果とでも言うのだろうか、一点を見つめ過ぎなんだな。

ところで、少年による凶悪犯罪が起きた時、必ずやり玉にあがるのが、ゲームである。ゲーム世代では無い私にはどうでも良い話ではあるが、あれは、ゲームに馴染みの無い世代・・・と言うか、ゲームに嫌悪感を持つ年配者の言い分であろう事は想像に難くない。下手したら、自分達の世代による学校教育や家庭のしつけが原因かも知れないと言うのに、暴走族が、本当にバイクを愛する人にとって迷惑な様に、本当にゲームが好きな人には、迷惑千万な話であろう。

私はむしろ、マスコミによる凶悪犯罪報道こそ、感受性が敏感なあまりに、こころの煩悶や葛藤に苦しむ少年に、短絡的な解決方法のヒントを与えていると思われてならない。彼らは、やり場の無い怒りと、行き場の無い不満と、出口の無い不安に押し潰されそうになっているのだ。かと言って、自殺をする勇気も無いし、そもそも死にたい訳ぢゃ無い。そんな彼らにとって、刺激のみを追い求めるかの如き無責任な報道は、狂人に刃物を手渡すかの如き所業ではなかろうか。

・・・とは言っても、事実を伝える事が報道であるから、それはいた仕方無い。問題は、如何なる現実を目の当たりにしようとも、揺るがぬ価値観、倫理観を持たせる事、すなわち、独立心を養う事が重要なのである。

この世に溢れる苦悩の殆どは、自分が自分である事に自信を持てなかったり、他人様や世間一般の価値観と照らし合わせた際の“差”からもたらされる。

何とも馬鹿げた話である。私に言わせれば、むしろ、“差”が無ければ、死んだ方がマシなのだ。

その本質が興味本位であろうが、それが現実に起きた出来事ならば、報道すべきかも知れない。しかし、犯罪者の心理分析ゲームも結構だが、どんなに苦しくても、やって良い事といけない事があると言う事を、大人はもっと、自分の身を危険にさらしてでも、ハッキリと言うべきでは無いだろうか?

私には、あの様な凶悪犯罪を起こしてしまう人間の気持ちが痛い程解る。だが、決して、その行いを肯定している訳では無い。

ただ、刺し殺す相手を間違えるな・・・と言いたいだけなのだ。

抑圧の方程式

現代は、お金があれば、ある程度の事は出来る。

多くのお金があれば、もっと大きな事、色んな事が出来る。

また、インターネットによって、知りたい事も、簡単に、ある程度知る事が出来る。

どんなささいな目標でも、突き詰めればキリが無いし、追い求めれば終りは無い。

自分を変える事も必要かもしれないし、変えた方が良いかもしれない。

しかし、何故、何のために変えなければならないのか?と考える。

それが、自分の価値観なり基準なり主義主張のためならば、それは当然であろうし、真っ当な努力であろう。

だが、それが、外部の環境、すなわち社会構造だとか、支配体制であるとか、言わば誰かの利益のために作り上げられた価値基準に抑圧された結果だとするならば、それは面白くない。

誰もが、自らが望む方向に全力を発揮する事によって報酬や満足を得、更に、それが社会全体の活性化につながる。そんな世の中を夢見る事は、ただの空想、夢想、妄想、絵空事なのであろうか?

人は、まず、自分のために生きるべきであり、それが他人のためにも役立った時、初めて、人として成り立つのでは無いだろうか。

それが成人であり、大人なのでは無いかと、私は考える。

自分のためにだけ生きているうちは、まだ子供であり、人では無い。

ただし、支配者は、人など必要としていない。この世に人が増えたら、困るのは彼らなのだ。ゆえに、ある程度の安心と引き換えに、人から独立心を奪うのだ。

とは言え、能力が無いなら別だが、まずは、自分の能力を試す“機会”を得る所から始めなければならないのだから、挫折するなと言う方が無理な話ではある。

私達は、そろそろ気づくべきでは無いだろうか。差別され抑圧されているのは、女性や障害者、その他の、社会的弱者だけでは無いと言う事を。

それとも、先祖を怨めとでも言うのかい?