Mr.エレクトの独り言 2005年07月02日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

Mr.エレクトの「独立宣言」

うう、もう限界だ。

仕事も手につかない。

支払いはたまる一方で、次から次へと難題が積み重なっていく。

もはや、ノイローゼの一歩手前だ。

私の敵は、父(抑圧)と母(干渉)、すなわちファシズムである。

これを克服しない限り、精神の安定を得る事は出来ない。

杉良太郎の「君は人のために死ねるか」と言う、最近、CD化もされたカルトな名曲があるが、“人のために”と言う部分は、決して、“他人”のために犠牲になると言う意味では無く、“マラソン”であったり、“柔道”であったり、“仕事”であったり、“家族”であったりと、その対象は人それぞれに異なるが、言い換えるならば、「君は“自分の信念”のために死ねるか」と言う事を問うているのであり、“自分の信念”の部分を、“自分のプライド”“自分の信条”“自分の価値観”“自分の正義感”・・・と置き換えても良いが、あくまでも、その根元は、自分の意志に基づくものであると言う事こそが重要なのだ。

人は、まず、自分のために生きなければならない。

他人のために、自分を殺してはいけない。

自分を生かすために、他人を殺してもいけない。

自分を生かす事が、他人にとって役立つ様な、そんな生き方を目指さなければいけない。

そうでなければ、生まれた意味が、この世で生きる意味が無い。

私は、人を傷つけたくもなければ、自分も傷つきたくは無い。

私の願望は、自主独立する事である。

私の名前は・・・。

ヒト小屋の掟

「人を殺す」と言う事を知らない人間が、人を殺したらビックリするだろう。

「人の殺し方」を知らない人間が、人を殺しても、そこそこビックリするだろう。

「人を殺してはいけない」と言う事を知っている人も、時には人を殺す事もあるだろう。

「人は死ぬ」と言う事を知らない人間が、意識的に、人を殺そうとする訳が無いだろう。

だから、いちいち、驚いていてはいけない。

そう、彼ら、少年少女は知っているのだ。

「人は殺せる」と言う事を。

では、殺されたくなければ、どうずれば良いのか?

「殺られる前に、殺れ」・・・だ。

反抗する事さえも、反発する事さえも、反論する事さえも、反逆する事さえも、許してはならない。

もっと抑えつけるのだ、もっと植えつけるのだ、もっと縛りつけるのだ。もっと奪い取るのだ。

反抗する事さえも、反発する事さえも、反論する事さえも、反逆する事さえも、出来ない様に・・・。

自分で考える人間、自分で決める人間、自分で選ぶ人間、自分で勝ち取る人間、そんな人間は要らないのだ。

この地球と言う、豚小屋・・・もとい、ヒト小屋では・・・。

せぶんてぃーん

「反逆の手引き」執筆は延期。このテーマは、自分には、まだ早(重)過ぎる。今書くと、誤解される恐れがあるので・・・。

私が現在、苦しんでいる事柄の大きな要因は、「自ら望む(臨む)苦行は耐えられるが、自らが望まざる苦行は耐えられない」と言う点にある。

しかし、また17歳か・・・。

とは言え、あの年齢で、あれほど自己分析がしっかり出来ていると言うのは、賢いと言うか、不気味と言うか・・・。

要するに、我を忘れた状態でやってしまったと言うよりは、ネガティヴな意識を反復し続けた結果とでも言うのだろうか、一点を見つめ過ぎなんだな。

ところで、少年による凶悪犯罪が起きた時、必ずやり玉にあがるのが、ゲームである。ゲーム世代では無い私にはどうでも良い話ではあるが、あれは、ゲームに馴染みの無い世代・・・と言うか、ゲームに嫌悪感を持つ年配者の言い分であろう事は想像に難くない。下手したら、自分達の世代による学校教育や家庭のしつけが原因かも知れないと言うのに、暴走族が、本当にバイクを愛する人にとって迷惑な様に、本当にゲームが好きな人には、迷惑千万な話であろう。

私はむしろ、マスコミによる凶悪犯罪報道こそ、感受性が敏感なあまりに、こころの煩悶や葛藤に苦しむ少年に、短絡的な解決方法のヒントを与えていると思われてならない。彼らは、やり場の無い怒りと、行き場の無い不満と、出口の無い不安に押し潰されそうになっているのだ。かと言って、自殺をする勇気も無いし、そもそも死にたい訳ぢゃ無い。そんな彼らにとって、刺激のみを追い求めるかの如き無責任な報道は、狂人に刃物を手渡すかの如き所業ではなかろうか。

・・・とは言っても、事実を伝える事が報道であるから、それはいた仕方無い。問題は、如何なる現実を目の当たりにしようとも、揺るがぬ価値観、倫理観を持たせる事、すなわち、独立心を養う事が重要なのである。

この世に溢れる苦悩の殆どは、自分が自分である事に自信を持てなかったり、他人様や世間一般の価値観と照らし合わせた際の“差”からもたらされる。

何とも馬鹿げた話である。私に言わせれば、むしろ、“差”が無ければ、死んだ方がマシなのだ。

その本質が興味本位であろうが、それが現実に起きた出来事ならば、報道すべきかも知れない。しかし、犯罪者の心理分析ゲームも結構だが、どんなに苦しくても、やって良い事といけない事があると言う事を、大人はもっと、自分の身を危険にさらしてでも、ハッキリと言うべきでは無いだろうか?

私には、あの様な凶悪犯罪を起こしてしまう人間の気持ちが痛い程解る。だが、決して、その行いを肯定している訳では無い。

ただ、刺し殺す相手を間違えるな・・・と言いたいだけなのだ。