Mr.エレクトの独り言 2005年08月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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ガン漂流~追記の追記の追記

考えてると、思考が反転を繰り返し、どうどう巡りして眠れなくなってしまった。

やっぱ、あれはあれで良いのか?

死んだ彼は、死までの短い時間に、作家になると言う夢に挑み、それを果たしたのだから。

仮に、小説を書き上げる前に死んだとしても、残りわずかな時間で、夢を叶えようと努力したのだから。

死を前にして、あがいたのだから。

充実した生を過ごしたのだから。

要は密度の問題か・・・。

ただ長生きすりゃあ良いってもんでも無いし。

しかし、やっぱ人は死ぬのか・・・。

いやだなあ・・・。
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ガン漂流~追記の追記

とは言ったものの・・・。

2年後に死ぬと言われりゃなあ、死後の準備もしたくなるか・・・。

ちょっと、言い過ぎた。

でもな~。こうも思うのよ。

2年後に死ぬ事が解ってるんだったら、死後の事より、もっと、今生きていると言う事を思いっきり味わうべきなんぢゃあないかって・・・。

死んだ後のために、生きていられるわずかな時間を費やす事が、本当に正しいのかってね・・・。

だから、初めに言ったのよ。(以下、カッコ内は補足。)

(自分が死んだ後の)この世には、この短い一生を捧げる意義、この尊い命を賭ける価値など無いと思える。

生きている事そのもの、それ以外に、生きている意味など無い。

生きる事以外に、生まれた意味など無いのだ。

どうせ死ぬのに、今、死ぬ(死後の準備をする)やつがあるか!!

今は生きる時なのだ。

死ぬのはもっと後で良い。(もうすぐ死ぬのに、死後の準備なんてしてる場合か!!)

・・・と。

死んだ後に残すべき事は、もっと別に何か、そう、自分のためにでは無く、生きている人間にとって必要な何かであるべきなのでは?

死とは、とことん個人的なものである。

生きている人間よりも、死んだ奴を大事にする風潮には、どうしても納得行かない。

とは言え、死んだ彼の事をどうこう言っているのでは無い。

ただ、どうしても、生きている時に“生きる”事以外に、生きている意味なんか無い・・・と思えて仕方ないのだ。

俺は死なんて認めない。だから、死んだ後のために生きるなんて、絶対に出来ない。

死ぬ瞬間には、人は必ず死ぬと言う宿命を呪ってやる。

人は死ぬのが当たり前だなんて、そんな理不尽な事、受入れられようはずが無い。

ガン漂流~追記

番組見てない人は誤解を受けたかも・・・。

いや、別にね、そのドキュメントの主人公は自殺した訳ぢゃなく、ガンを告知されてから死ぬまでの生き様をブログに綴ったり、小説に残して死んで行った訳なんだけど。

彼に対しては、可哀相だとしか捧げる言葉は無いが、何と言うのか、確かに死は怖いし、死後にもこの世に何かを残したいと言う気持ちも解らないでは無いのだが、何となく、ウザイっちゅうか、まあ、彼には死へのタイム・リミットがあったからってのもあるけど、死後に何か残すつもりで生きるのって、どうなのかな~って言うね・・・。

死後、自分の入る立派な墓を建てるために生きると言うか、あまりにも死と言う逃れられぬ宿命に対し、服従しすぎなんではないか・・・と。

この世に生まれたって事は、生きるって事は、死後のためにあるんぢゃ無いっつうか、今日はもう眠いんで、頭が回転しないが、少なくとも、「俺は死ぬために生まれてきたんぢゃなければ、ましてや、死後のために生きてるんぢゃない!!」と言う気持ち?

死んだ後の事なんてどうでも良いっちゅうか、知ったこっちゃねえっちゅうか、誰かが覚えていようが忘れようが、死んだ身では知る由も無いし、まあとにかく、死んだ後の事なんて考えて生きてはいられないって事。

死ぬ時は、ただただ、途中で死ぬだけだ。

死後の準備なんて、してる暇ね~よ!!

悪銭苦闘

只今、悪戦苦闘中。

悪銭身につかず?

金は目の前を通り過ぎてゆくのみ。

・・・そう言えばコナイダ、日曜日の深夜(月曜日の早朝)、その日は自宅で風呂と就寝&コイン・ランドリーの日であったのだが、

★就寝教育って、睡眠教育と違うの?あっ!いけね。終身教育とマチゲ~タ。ぢゃあ、要するに催眠教育っテコト?

話戻って、深夜出かける頃、もう民放は下らない番組ばかりだったのだが、NHKでドキュメンタリーをやってて、「ガン漂流」って本を出した人の話だった。非常に興味深い内容だったので、倉庫に移動して続きを見た。

まあ、何と言うか、色々と感想はあるが、人間は必ず死ぬのだと言う事実が、私には許し難く、正直言って怖い。

その番組の主人公曰く、死んだ後、自分の事が忘れ去られてしまう事が怖い・・・トノコト。

この世には、この短い一生を捧げる意義、この尊い命を賭ける価値など無いと思える。

生きている事そのもの、それ以外に、生きている意味など無い。

生きる事以外に、生まれた意味など無いのだ。

どうせ死ぬのに、今、死ぬやつがあるか!!

今は生きる時なのだ。

死ぬのはもっと後で良い。

日々、俺を殺す、姿の見えぬ何者かを殺したい。

狂の一言

モンク(文句)の叫び!!

幸福拒否症

★休止するって言った途端、書いてみたり、また休んでみたり・・・。お待たせデス。以下、本文続き・・・。

何と言うのだろうか・・・。幸福拒否症と言うか、幸運警戒癖と言うか幸運回避癖と言うか、あまりにも良い事、ラッキーな事が続き過ぎると、自らそれを放棄しようと言う気持ちが働く事ってないだろうか?

おかしい。こんなに良い事が続く訳が無い。こんなにツキ過ぎたら、後でしっぺ返しが来るんぢゃないか?運を使い果たして死ぬんぢゃないか?・・・と、具体的に思考する訳では無いが、なにやら不吉な予感と言うか、幸福の絶頂にある状態にとまどうと言うか・・・。要するに、幸福な状態や、幸運続きの状態に慣れていないと言うか、ひねくれた性格ゆえ、それらを手放しで受入れられないのだろうか?

過去に2度、特に、子供の頃にも、やはりその様な奇跡的なツキの連続に、自ら脅え、明らかに意識的にセーブをかけた事がある。

一度は、小学校の遠足時に、終点である隣り町の公園に集合し、さあ解散と言う直前、各クラス毎順番に解散して帰宅につかせるためか、何故か空き時間が出来、その間に、クラスの男子と女子、あいうえお順?に並び、先頭からジャンケン勝負をしようと言う企画が持ち上がった。私はまあ、中頃かそのちょっと後。あ行の男女同士のジャンケンから始まり、男子が勝ったり女子が勝ったりを繰り返しつつ、かなり女子優勢で、私の番が来た。そして、女子とジャンケンをしたのだが、ルールとしては、一回負けたら次の子にチェンジすると言う、一回きりの勝負を繰り返す訳だが、これが何故か、全然負けず、ジャンケンに勝ち続けてしまうのだ。それも、明らかに異常に・・・。それは、私の耳にも、「すげえ」とか「おかしい」とか言う声が聞こえて来た事でも明らかだが、尋常な人数では無いのだ。私と言えば、ただあてずっぽにグー・チョキ・パーを出し続けているだけなのだが、そのうち流石に、私の幼心にも、「やばい!!そろそろ負けなきゃ!!皆から変に思われる」と言う気持ちが発生し、まさにその途端、「この女子には負ける」と直感し、見事に連勝がストップしてしまった。10人以上はゆうに勝ちつづけたであろうか。まあ、その程度の偶然が重なる事も充分有り得るが、私にとって重要なのは、「負ける」あるいは「負けよう」と思った瞬間に、本当に負けた事なのである。

そして2度目は、これもやはり小学生の頃、どこかのデパートのゲーム・センターで、その時は弟も一緒だったのだが、すげえ旧式のルーレットみたいなゲームがあって、1~6までの数字に賭け、円状のドーム型の機械の中を球が転がり、当然6の穴が最も狭く確率が低いが、6に賭けて当たるとコインが6倍、5なら5倍と言うルール。1はスペースが広いが当たっても1倍、0つまりハズレの穴もあった。そして、コイン数枚を持ってそのゲームをしたのだが、これまた、何故か知らぬが次々当たる。怖いほどに・・・。その時の私も、先のジャンケン同様、完全に無心だが、適当にあてずっぽに出していたジャンケンと異なり、確実に「次は○、次は○」と、考えた数字が的中し続けるのだ。その途中、後から20代くらいの女性が二人か三人、おそらく当たった時にファンファーレの様なものが鳴るせいか、私がゲームをしているのを覗き込み、今でもハッキリ覚えているのだか、初めのうちは、「あ~、この子、すごい~」と、次々予想を的中させる私に驚いていたのだが、そのうち、そのあまりの的中の連続に畏怖を覚えたのか、「気味悪い~!!」と言って、その場を立ち去ったのだ。そのセリフを聞いて、連勝の快感に酔っていた私も、我に返り、「確かにおかしい・・・」と、異常な現象に疑問を抱いてしまった。そして久々にハズレ。すると、今度は次々負け続けた(と言うか、当たったり外れたりの普通の状態に戻った)のである・・・。しばらくして戻って来た父親に、今あった出来事を話した時には、コインもかなり減っており、私の話に信憑性は無かった事であろう。

その後、そこまで奇跡的な出来事が起きた訳では無いが、私は意識的に、幸福な状態が続く事を避けつづけた。あるいは、それらが崩壊する際、失望のどん底に突き落とされる恐怖から、無意識的に逃れ続けて来たと言うべきか・・・。

どうしても、「こんなに幸運が続く訳が無い」「幸福が長く続く事は有り得ない」と言う意識が拭えないのである。

あるいは、幸福や幸運に対して、もっと傲慢になるべきなのだろうか。

俺が幸福になるのは当然だ、この幸運は自分の実力ゆえにだ・・・と。

一寸先は闇か?

あと一歩、もう一歩を踏み出せる人間は、その踏み出した一歩先にしか得られぬ快感、達成感を知る者。

しかし、そのためには、苦痛を伴なう事も多々ある。

だが、彼らは、躊躇なく、その一歩を踏み出すのだ。

そこから先は、その一歩を踏み出した者にしか知り得ぬ世界がある。

安全圏に居て得られるものなど、たかが知れているのだ。

火中に栗を拾う。虎穴に入らずんば虎児を得ず。

一発逆転の切符を手にするのだ。

破滅へと向かうジェット・コースターに乗り込んで・・・。

人生のクライマックス!?

ビックリした!!魂消た!!驚いた!!びっくらこいた!!

死人も生き返るショック!!のパ~!!

私的に言うなれば、今が、おそらく人生の分岐点。

これほどまでに、金欠のどん底にあえいだ事も無いかわり、これほどまでにラッキーな出来事が次々起こるのも珍しい。

もうすぐ死ぬんぢゃないか?と、本気で心配したりして・・・。

ところで、何にビックリしたかと言うと、ほれ、新宿店の家賃って、数ヶ月遅れてるんだけど、怖いから請求書の入った封筒は一通ずつしか開けないのね。でも、先月はどこまで払ったかが解んなくなって、溜まった封筒をすべて開封したのよ。て言うか、○ヶ月15日遅れの家賃が、今月に至っては、○ヶ月24日遅れでっせ。しかも自宅家賃も昨日やっと支払ったから、23日遅れだし・・・。

うひゃひゃひゃひゃ!!おかしいね、こりゃ!!!

で、話を戻すと、すべての封筒を開封すると、何と、何と、実は数ヶ月前に契約更新が行われていて、更新時には通常の家賃プラスもう一ヶ月分の家賃を更新手数料として同時に払わなきゃならないんだけど、それが、次回支払い分(遅れてるから実際には数ヶ月前に支払うべきものなんだけどね・・・)だったのよ。まあ、今日払う月の分だったら、こんな事書いてる余裕無いんだけど・・・。しかし、今月は結局、数十万足りず、○に○を○して無理矢理金を調達したってのに、来月は更に増額かよ~・・・。

いや~、こんなに金が無いっつうか、不景気なのは初めてよ。

でも、それがさ、おかしなもので、こんな時に限って、長年捜し求めてたレコードが手に入ったり、○が○したり(←秘密)するから、おかしなもんだね~。もう少し平均して幸福と不幸が訪れないもんかね?言うなれば、地獄と極楽が共存してるっつうか、地獄の釜で茹でられながら、死ぬほど美味しい食事をするみたいな・・・?

しかし、止まらず前進し続けたお陰で、最低30万~上手く行けば50万以上で売れるレコードを仕入れられたんだからな~。でも、これが、超ヤバイ品なので、即金って訳にはいかんのよ。まあ、邦人中古貴重盤ショップとして、あるいは、和モノ・ディーラーとしての面目躍如してあまりあるって言うか、タイトルは伏せるが、頭脳警察のファースト・アルバムよりも珍しく、内容も超最高のレコードですよん。マニアならピンと来るかな?

とまあ、そんなマニア向けの自慢話は置いといて、問題は目先の金よ。このママぢゃあ、一枚、また一枚と、奴隷契約書にサインし続ける人生だからな~。

根本的な改革をしなけりゃあ、もう、どうにもなんねえよ!!

急死のお知らせ

しばらくブログ休止。

理由はお察しの通り。

金額は怖くて言えない。

ウフフ、ウフフフフ・・・。

アハ、アハハハハ・・・。

エへ、エヘヘヘヘヘヘ・・・。

トホホ・・・。

あっちょんぶりけ。

最終話「今日が俺の死ぬ日」

連続ブログ小説「Mr.エレクトの独り言」
最終話「今日が俺の死ぬ日」

こう言う事ってないだろうか?

朝、出かける時、「今日は何か良い事ありそうだ」と言う気持ちになる事・・・。

もちろん、そんなの、その時一瞬の気の迷いで、出かけた先ではすっかり忘れているんだけど、そんな日に、実際に何か良い事があった時は、「やっぱそうか。今日は何か良い事あると思ってたんだよな~」と、良い事が起こった事プラス、自分の予想が当たったと言う、ダブル・ハピネスを得られるって訳だ。逆に、何にも良い事が起こらなくても、朝の予想なんて、どうせすっかり忘れているから、別にどうってこと無いしね。それに、良く無い事が起こったら、それはそれで、すでにそれ自体がショックゆえ、これまた予想がどうこうとかの問題ぢゃあなくなる。

また、反対に、「もしかしたら、今日が俺の死ぬ日では?」などと、不吉な予感が脳裏をかすめる事って無いだろうか?

私には、年に数回ある。もちろん、そこまでリアルに思い浮かべる訳では無いが、「ああ、きっと、こんな普通の日に、あっけなく死んだりするんだろうな」程度に、言わば、故郷で見た夕焼け空に思いを馳せるが如く、未知の出来事である“死”に対し、あこがれと恐怖がない交ぜになった心理にかられているだけの話なのだが。

そして、これまた、30分後にはすっかり忘れているのも事実。

また、その予想がことごとく外れていると言うのも、私が今もこうして生きている事で証明されている。

しかし、おそらく、“死”とは、何の前触れも無く訪れるものなのであろう。

「えっ!?今日なの!?ウソ!?マジ!?」

きっとビックリするだろう。

そして、その逆に、出かけた直後の不吉な予感が的中し、「今日が俺の死ぬ日では?」との予想が当たったとしよう。

その時、私は思うのだろうか?

「わ~い、やっぱ予想が当たった!!」

・・・と。

すると、予想が当たった喜びで、死ぬ事に対する悲しみや嘆きも、若干薄れるかも知れない。

ならば、毎日、「今日が俺の死ぬ日」であると思っておけば、死のショックも、いくぶん和らぐのでは?

要するに、常に悪い方へ悪い方へ思考を偏らせる人間は、未来に受けるかも知れぬショックを少しでも和らげるため、あらかぢめ手を打っているのかも知れないな。

この世にあるものはすべて、いつか必ず、あるいは、ある日突然に消え失せる。

私も必ず死ぬ様に、君も必ず死ぬのだ。悲しいぢゃないか、君が死ぬなんて。そのショックに、私は耐えられるだろうか?

だから、私はいつも考えていよう。

「今日が君の死ぬ日」・・・と。

(オワリ)

原作/黒笑サユリ「黒笑サユリのホラ~話」より

多忙を極める

ああ!!もう!!忙しいったらありゃしない!!

身体が三つあっても足らんちゅら!!

急募!!

私の代りにトイレに行ってくれる人。

30分おしゃべりするだけで3万円くれる人。(お触り現金・・・ぢゃ無えや、お触り厳禁)

ところで・・・。

いつぞや、冗談で、あ~あ、援交でもしようかしら・・・と書いた翌日か、その翌々日から、通常のワン・クリック詐欺のエロ迷惑メールに加え、男性ホスト募集だの、逆援交だのと言った迷惑メールが来るようになったのだが、最近は、勝手にWEBページを開く仕掛けの迷惑メールが増え、ホントに困ったものである。

あ~あ、今日、親に電話して、おれおれ詐欺でもするか・・・。

無いのは金では無く、時間と体力なのに、そのわずかな時間と体力を金にしなけりゃならんとは、本末転倒。

さあて、仕事仕事~!!

支店オープン

ジャングルの奥地に勤務する女性より電話アリ。

いわく「本は割と充実しているが、CDが需要に足りておらず、貴社に中古CDの販売をお願いしたい」・・・トノコト。

え~!!そこにはあんまり馴染みが無いからな~。自分、良く解んないしぃ~・・・。

そこで、ちょっくら調べてみた。

届いた資料も読み、なるほど、これなら出来そうだ。

そこでは、アナログ・レコードの販売は出来ないのだが、当店には売れ残りの在庫CDがいっぱいある事だしな。

よって、オッケーする事に。

エレクトレコードに、またひとつ支店が出来マシタ。

祝!!エレクトレコード“アマゾン”支店、本日オープンなり~!!





・・・ちなみに、ネット・ショップの“amazon”って事ね。

禁未来小説「ドラへもん」その14「地獄の門」の巻

泣き疲れて眠ってしまったボクは、深夜にふと目を醒ました。そして、乾いた喉を潤すため、台所のある一階へと降りて行った。すると、どうだろう。居間の扉の隙間から灯りが漏れており、何やら話し声がする。

「あれ?パパもママも、まだ起きてるのかな?」

ボクは、ある直感に導かれるかの様に、忍び足で扉に近づくと、こっそり聞き耳を立てた。

パパ「いや~、ドラヘもん君。やっぱり、このやり方は良くないんぢゃないだろうか?」

ママ「そうよね~。あの大人しいのひチャンが、あれほどまでに激昂するなんて、このママだと、将来が不安でしょうがないわ。」

ドラヘもん「パパさん、ママさん。まあまあ気を落ち着けて。この段階で、あんた方がそんな態度ぢゃあ、その大事なお子サン、そう、のひ太の野郎を教育し直すなんて事、とても出来やしませんぜ。」

パパ「う~ん、確かにね。ドラヘもん君の言い分にも一理ある。そもそもが、父親である私の優柔不断さと、兄弟の居ない一人っ子ゆえに、わがままが許される環境にあると言う事が、のひ太から、前向きに努力する気持ちや根気、自立心や競争心を奪っていると言うのも事実。そして、そこにドラヘもん君と言う新しい家族の一員が加わる事によって、のひ太に反発心や対抗意識を持たせ、自ら行動を起す人間にさせるべく、意識改革を目論むと言う方針にも、異論をはさむつもりは無いんだ。だがね~、あんなに興奮して怒鳴るのひ太を見るにつけ、本当にこのやり方は正しいんだろうか、私達は、何か大きな間違いを犯しているんぢゃないんだろうかって言う気持ちも、無きにしもあらずって所なんだよ。」

ドラヘもん「あちゃ~!!パパさんの、その優柔不断さ。それがアイツを駄目にする最も大きな諸悪の根元デスわ。ええデスか、パパさん。子供なんちゅうのは、甘やかしたらあきまへん。飴と鞭・・・ぢゃ無え、愛の鞭と言って、時には子供を谷底に突き落とす事も、親の大事な役目なんぢゃあないんすかい?」

ママ「でもね~、ドラちゃん。私達は、のひチャンが、人様に迷惑をかけない、やさしい人間になってくれさえすれば、それで良いのよ。」

ドラヘもん「あ~あ~あ~あ~!!駄目駄目駄目~!!ママさんまで、そんな甘っちょろい事言って!!ああ言う駄目人間を世の中に送り出しちゃあ、世間の良い笑い者になるのは、あんたら両親でっせ。そないな事ばっか言うて、ガキを甘やかすから、ほれ、17歳で殺人だとか、30過ぎてロリコンだとか、そんな人間の屑ばっかの国になっとるでしょうが~、この日本ってやつは。あいつかて、いつそうなるか。お~怖!!」

パパ「う~む、そうだねえ・・・。」

その時、ボクは、自分のこころの中に、意味不明の怒りが込み上げてくるのを抑える事が出来なかった。今なら、その気持ちを上手く説明出来るかも知れないが、その時のボクは、あまりにも純粋無垢であったのだ。ボクは、その瞬間、怒りの衝動に身を任せる以外に、ボクがボクであるための、自分が自分であるための何かを守る事が出来ないと、本能で感ぢたのだ。

そして、力いっぱいドアを開けると、ボクは叫んだ。

「だ、騙したな~!!パパもママも!!大嫌いだ!!もうたくさんだ!!ボクは、ボクは・・・、ボクはパパとママの、ましてやそんなロボットの操り人形なんかぢゃ無いんだ!!」

そう怒鳴り散らすと、ボクは再び2階へと駆け上がり、自分の部屋に閉ぢこもった。

そして、この日を境に、ボクとドラヘもんの200日戦争は、パパとママをも巻込んだ肉親同士の憎悪戦争へと突入したのだった・・・。

(つづく)

ああ、ついに親子の絆も完全決裂し、家庭崩壊への坂道を転がり落ちる、のひ家の人々。本当に間違っているのはパパやママか、あるいはのひ太、それともドラヘもんなのだろうか?のひ太の純真なこころは、今まさに、無残に、粉々に砕け散った・・・。

ゴキブリコンビナート鑑賞記(2005.8.12.)

ゴキブリコンビナート第19回公演「君のオリモノはレモンの匂い」at新宿タイニイアリス

4日連続公演の2日目を観覧。この日、天気予報は雨だったが、公演終了後、店に戻るまで雨も降らず助かった。とは言え、私の洋服はびしょ濡れ。なんで?・・・その答えは、以下の本文を読んでおくんなまし。

しかし、失礼ながら、かなりの入場者数にビックリ。200人近く居たのかな?そして、タイニイアリスと言う地下スペースに設置されたステージを見て、再びビックリ。なんと、正方形の部屋の中央に、20センチぐらい?の深さ?に水を張った、やはり正方形のプールの様な池のセットがあり、これがメイン・ステージとなる。そして、その池を取り囲む様に、人が2人ずつ通れる程度の客席。更に、池の廻りを、ビル建設現場の足場の様に、木の棒が立体的に組まれ、長い辺の方には、上から見下ろす形で、やはり人が二人通れる程度のスタンディング2階席が設けられ、そして短い辺の後方にあたる部分には、割と広めの、座れる2階席。そして正面にあたる同個所には、もうひとつのステージ。と、単なる地下室が立体的な舞台に作り替えられていた。更に、池にはセットとしての木が数本生え、中央の木には、上から水が流れ落ちている。さながら、ジャングルの中の野外ステージ。しかも、出演する役者らも、ステージ廻りの組み木の上を移動し、下の池めがけて飛び降りて登場したり、組み木の上を逃げ回ったりと、その構造をフルに活用していた。

ところで、ゴキコンと言えば、3K(すなわち、キツイ、汚い、危険)ミュージカルを自称しているが、この日も、ステージ・サイド席の客にはレイン・コートを貸し出すなどしていた。なんせ役者が池で転んだり暴れたりするので、泥水?がバンバン飛び散るのだ。しかし、会場内はかなりの熱気で、これまた熱帯のジャングルの如しだったゆえ、レイン・コートを着ていると、更に暑かった事だろう。ちなみに2階のスタンディング席で観ていた私も、汗でびしょ濡れであった。

しかし、楽しかった。面白かった。2時間弱があっと言う間に過ぎた。実を言うと、私は、演劇やミュージカル、果ては映画にすらほとんど興味が無いのだが、今回の公演は、演劇と言うよりミュージカルで、常にビートのある音楽が鳴り続け、セリフよりも歌がメイン。これも飽きさせぬ原因であったろうが、なるほど、取り扱う内容が、希望に溢れたポピュラーなものであれば、世間の人々がミュージカルなるものに夢中になる理由も解るわい・・・と、一人納得のこころ。では、その逆に、救いの無い特殊ミュージカルである本作について解説しよう。肝心のストーリーについての細かい説明は省くが、登場人物と場面が目まぐるしく変りつつも、すべてが関係性を持ち、しかも、それがすべて螺旋状の負の連鎖、逆“わらしべ長者”的に、負が負を呼び、不幸が不幸を呼ぶが如き、底辺の被差別人種達による、醜く愚かな人間絵巻が描かれつつも、マイナスにマイナスを掛けたらプラスに転ぢたとでも言うのか、不幸中の幸いと呼ぶべきハッピー・エンド?に向けて、破滅への坂道を、足を引っ張り合いながら転がり落ちる登場人物達。ここには、人はどんな境遇にあろうとも、幸せを見つけ出す努力を怠ってはいけないと言う教訓があるのだ(・・・って、ホントかよ!?)。

何にせよ、私が最も感銘を受けた点は、役者達の体当たりの演技ぶりである。否、そんな事は当たり前だと言ってしまえばそれまでだが、どう考えても、あまり人が好んで選ばぬ題材をあえて選び、それをリアルに表現するために、時には泥まみれになり、時には全裸で逆さ吊りにされたりと、通常は“汚れた振り”だけしていれば良い事も、実際に“汚れる”彼らを観ていると、ある共通の目的を持った集団が、それを達成するために力を合わせ、全力を注ぐ姿と言うのは、悪くないものだなと思ったし、更に言えば、その様な集団行動の苦手な私にとっては、彼らの事が、うらやましくさえも感ぢられたのであった。

いつの時代も、実際に行動する者は美しいものだ。

私は、この貴重なる演劇集団に、1万人の観客が集まって欲しいなどとは思わない。否、彼らがそれを望んでいるのであれば、それはそれで否定しないし、より多くの人から賞賛されると言う事は決して悪い事では無いし、経済的な面から考えても、そうなれば良いなとは思う。しかし、肝心なのは、“私の気持ち”なのである。私以外の、100万人の人間が、どれほど感動しようと、それは“私の感動”では無い。ただ単に、100万人の人間の、その一人一人が感動しただけの話である。そう言う意味で、私にとっては、私自身が感動したかどうかと言う点こそが最も重要なのである。

また、私自身は、どちらかと言うと、決して上品な人間などでは無いが、実を言うと、下品なものをそんなに好きな訳では無い(その点、良く誤解されるのだが・・・)。ゆえに、下品さを売りにしているゴキコンに対し、あまり良い印象を持っていなかったのも事実ではある。しかし、実際に観劇してみて、ゴキコンは決して、単に下品なだけの劇団では無いのだとも感ぢた。確かに、露悪的と言うか悪趣味と言うか、世間からは“下品である”とされているものや、社会の底辺に属する人種ばかりをテーマとしているが、それらは現実の世界に実際に存在するものであり、彼らの演劇に登場する人達は、卑しいなら卑しいなりに純粋であり、間違っても、自分を上品だとか美しいなどとは思ってはいるまい。それに比べ、上品ぶった人達のこころに見え隠れする、他人を見下す卑しいこころの方が、私にとっては、たまらなく下品に思えてしょうがないのである。真に上品であると言う事は、自己のこころの中にもある下品な部分に目をつぶるのでは無く、自己の下品な部分を認識しつつ、それらの衝動や欲求に安易に身を任せず、その醜い本性に対して、常に逆らい続ける姿勢では無いかと思う。

私が考えるゴキコンの魅力とは、“上品だとされている事”に対する“当てつけ”であり、“嫌がらせ”であり、“アンチの姿勢”である。

ゴキコンがやらねば、誰がやる!?

↓当日のフライヤー裏面
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困難(こんなん)出マシタ!?

自分の気持ちを他人に伝えると言う事は、非常に難しい。

否、正確に言うなれば、自分の気持ちの中にある、他人に伝えたい部分を、自分が思っていると同様に、誤解無く他人に伝えると言う事は、本当に困難である。

しかし、そうしようと努力する事、その行為自体は、非常にやりがいのある事ではある。

そして、もっと言えば、私は、とても好きである。

とは言え、やはり難しい。

一瞬で、この気持ちを伝える事が出来たなら、どんなにか楽だろう。

実に、難しい・・・。

周波数の合う者同士ならば、ある程度伝わるのだろうが。

ピピ・ピピピ・ピピ・ピピピピ・・・

この気持ち、この想い、この感ぢ。ああ、我がこころのざわめきよ、空気の振動に乗せて、風のささやきと共に、光のスピードよりも速く、貴方に届け・・・。

そうか!!解ったぞ!!

誤解無く伝わるかどうかが問題では無いのだ。誤解無く伝えようとする事、その行為に対する真摯な姿勢にこそ意義があるのだ。

「100円くれ!!」「200円下サイ!!」「1000円貸して!!」「20万円融資して!!」「300万円頂戴!!」「1億円寄付して!!」「300億・・・。」

さて、私の気持ちは、貴方に伝わっただろうか?

ウルトラ・ヴァイヴ発行「Hotwax」vol.3

ウルトラ・ヴァイヴさんから発行されている、(’70年代の)日本の映画とロックと歌謡曲の本、「Hotwax」vol.3の見本が届きマシタ。

今回は、映画は深作欣二特集part.3、音楽は、トランザム、トラブル、GS映画、’70S・B級アイドル、等が特集されておりマス。

更に、同誌には、以前お知らせした、私の書いた原稿が掲載されておりマス。141ページ目、’70年代の映画、あるいはレコードをレヴューするコーナーにて。このブログではお馴染みの、あのレコードを取り上げさせて頂きマシタ。

気が向いたら読んでみてネ!!(^^)/

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左は、梶芽衣子やモップス大特集のVol.2。こちらも必読!!

ゴキコン行ってきたど!!

ゴキブリコンビナート公演、2日目に行って参りマシタ。

面白かった、楽しかったデス。お祭り観に行った気分。

明日も夕方から。明後日最終日は午後より、やっておりマス。

暇な方は行ってみれば?

続きは後日・・・。

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禁未来小説「ドラへもん」その13「崩壊への序章」の巻

その日の食卓。またもや、ボクは爆発した。

のひ太「もう!!パパもママもいい加減にしてよ!!こんな下品なロボ公ならぬドラ公なんか、早く追い出してよ!!」

パパ「おいおい、のひ太。どうした?また、そんな大声出して。お前らしくないぞ。」

ママ「そうよ~。のひチャンたら、最近、反抗期かしらね~?」

のひ太「反抗も何も、皆、コイツ(ドラヘもん)のせいだよ!!」

パパ「まあまあ落ち着きなさい、のひ太。」

のひ太「もう!!優柔不断なパパも、子供の気持ちを察しないママも、大嫌いだよ!!」

そのセリフに、ドラヘもんが反応した。

ドラヘもん「おりゃ~!!こん、のひ太のクソガキャ~!!おめえ、パパやママになんて事言うんや!!それが生みの親に対して使う言葉か~!!」

のひ太「うるさ~い!!外野は黙ってろ~!!」

ドラヘもん「何やと~!!こんガキャー!!わしらロボットはのう、アシモフのロボット三原則っちゅうて、創造主には絶対逆らっちゃいけねえっちゅう、掟があるんや。それをおめえは、てめえをこの世に産んでくれた上に、その駄目人間ぶりにも関わらず、三度のメシを喰わせて育ててくれとる両親に対し、何て事言いやがる!!」

のひ太「うるさいうるさいうるさい~!!ボクはロボットぢゃ無いんだ!!ボクは、ボクは、ボクは・・・人間なんだ!!」

ボクは、泣きながら二階に駆け上がると、そのママ、布団に潜り込んだ。ドラヘもんに言われるまでも無く、生まれてこの方、ボクがパパやママにここまで反抗したのは初めての事だった。その日は、ショック団との一件があった事もあるが、溜めていた本心と怒りをぶちまけ、よほど疲れたのか、ボクはそのママ眠りに落ちた・・・。

そして、深夜に目を醒ましたボクに、ボクの人生を狂わせるに足る、破滅への決定的な瞬間が訪れる・・・。

(つづく)

★ついに、ドラヘもんを引き金とした、家族ウォーが勃発!!その時、パパは?ママは?そしてドラヘもんは?・・・平和な一家を突然襲う、家族崩壊の危機!!次回、更なる地獄がのひ太を待つ!?

キチガイ研究レポート

高円寺の某中古レコード店に立ち寄り、シングル・レコードなどチェックしていると、それはそれは大声で、私の名前を呼ぶ声・・・。

「エレクトさん(仮名)ぢゃないデスか~!!」

例の、男性アイドル・マニアのTである。

それからは、「何してるんデスか」とか、「うんことカレーは紙一重のCD、まだありマスか」(←以前、店で聴かせたオシリペンペンズをえらく気に入っているのだ)とか、「チャック・ベリーありマスか」と、人のズボンのチャックを指差して、それはそれは嬉しそうに言う。

私は、「し~・・・。廻りは皆、健常者の人達なんだから、静かに!!」と、自分の口先に人差し指をあてがい諭すも、興奮未だ冷めやらぬご様子。

店員はと言うと、慣れたもので、チャック・ベリーは、そこ(Cのコーナー)にあると、Tに伝える。

しかし、このT、ホント、壊れた犬の様にキャンキャンと人にぢゃれつき、そのハイ・テンションぶりには、思わず笑いが込み上げてしまう。

しかも、最近は、私の教育のせいか、ギャグのバリエーションを増やし、例えば、偶然、外でTに遭遇し、声をかけられた際に、私いわく「自分は(エレクトの)弟だ」と言い張ってシラを切り通すネタがあるのだが、Tは、それをここの店員に応用し、デカイ声で色々話しかけてくるTにとまどい、返答に困っている店員に対し、「あっ解った!!○○サン(店員の名)ぢゃなくて、その弟なんでしょ」と、ふざけた事をのたまっている。それは俺のネタだっちゅ~の!!

また、「近いから(Tは高円寺在住)、しょっちゅう来て大変でしょう?」と店員に問うと、「毎日デスよ・・・」と店員。それを見てT、「毎日これデスか?」と股間をしごく素振りを繰り返す。それを見て、私も店員も笑いを堪えるのに必死だった。

まあ、何にせよ、こう言う明るいキチガイと言うのは、人を楽しませてくれるので、少々(かなり?)うるさい事を除けば、特に問題無しなのだ。私の知人などは、「よくあんな奴の相手が出来るな」とあきれるが、きっとTの魅力は、一部の人間にしか見えないと言われる、フェアリーの様なものなのであろう。

「フェアリー」→「妖精」→「陽性のキチガイ」。

その逆に、暗く陰鬱なキチガイは、困り物デスな。

「暗く陰鬱」→「陰性」→「インセイん」。

・・・って、ただそのオヤジ・ギャグが言いたかっただけかよ!!(←セルフ・ツッコミ)

レポート、おわり。

8月8日「オシリペンペンズ」鑑賞記

2005年8月8日、東高円寺UFOクラブにて。

1番手のバンドは、灰野サンの様なヴォーカルで、まるで不失者。

2番手がオシリペンペンズ。前回のここでのライヴは、20数曲もやると言うスペシャルぶりだったが、見る度に曲のスピードが速くなってる気がする。ギターのキララ氏もドラムの迎氏も、スッタカタ、スッタカタと、まるで曲芸師の様である。しかし、モタコ氏はあまり客席には降りて来ず、ステージの低いUFOクラブではいつも、モタコ氏見たさにステージをファンが取り囲むため、後方に居た私には、演奏の様子が全然見えまへんデシタ。とは言え、ペンペンズは、何度聴いても奇妙キテレツにして、愉快痛快ペンペ~ンズ!!だったので、次回は前の方で観マ~ス!!

3番手は、レニングラード・ブルース・マシンのTABATA氏他によるトリオ編成のユニット。スペーシーな音色のギター(?)・ソロが鳴り響く中、パワフルな演奏が展開される。なぜか1曲であっと言う間に終わってしまって残念。TABATA氏には、その恰幅の良い体格同様、以前観たAMAZON SALIVAや、この日の様に、まるで派手なプロレスの大技の様な豪快かつパワフルなサウンドが似合ってる気がする。

4番手。最初は、昨日のいぬ屋敷に続き、今日もGODか!?と勘違いしたが、MANDOGとアシッド・マザー・テンプルが合体したニュー・プロジェクトで、GODMANと言うユニットらしい。ややこしくて訳解らんが、このバンドも、3番手同様、スペーシーな音色のギター・ソロが鳴り響く中、更にギター等が加わった5人編成で、こちらもパワフルなサウンドを聴かせてくれマシタ。アングラ特有の変な小細工の無い演奏ゆえ、実に心地良かったデス。

要するに、私にとって面白く無いバンドと言うのは、メジャーでもアングラでも何でも良いが、中途半端であると言う事が、その最大の悪因なのである。

ところで、10月には、アルケミー・レコードよりオシリペンペンズのアルバムが発売されるそうだ。そこで、彼らと出会うきっかけとなった「黒アルバム」を改めて聴いてみたが、これは何度聴いても、実に衝撃的にして笑激的な作品である。とにかく詩が最高で、曲順等も何気に聴き易く構成されていて、たくさん売れた理由は、雑誌に掲載されただとか、CD-Rゆえに安価なためと言う事もあるだろうが、やはり、内容が伴なっていたからだろう。そして、その事実を証明する意味でも、アルケミーから発売される初の単独CD作品こそ、彼らの評価を決定づける勝負作になるのではないだろうか。福本伸行作品「カイジ」「黒沢」の新刊以外に、発売日が待ち遠しい物と言うのは、そうそう無いので、私の期待は膨らむばかりである。

家宝(果報)は寝て待てと言うので、もう寝マス・・・。疲れたび~。

今日の遺書

もうらめ・・・。

ねむねむなのだ~!!

今日はもうお休みいのしし・・・(byたま)。

また昼過ぎ~夕方に起きて、続きをやろう。

ここに来るのは、夜になるかな・・・。

とうちゃん、ごめん。

かあちゃん、おかわり。

あなた、かわりはないですか。日ごと暑さがつのります。

そうめん、おいしゅうございました。

おとうふ、おいしゅうございました。

たまごやき、おいしゅうございました。

ごしゅうしょうさまでした。

りょうしゅうしょください。

遺書、遺書、ないしょ。

それはないっしょ。

お・し・ま・い・・・。

「不謹慎な広告」

「不謹慎な広告」

当方、この度、家族計画に失敗イタシマシテ、子供が出来てしまいマシタ。つきマシテは、もらって頂ける方を募集しておりマス。現在、妊娠6ヶ月、母子共に健康な状態デス。念のため、私達のデータを、以下に記しておきマス。

父(私):最終学歴・・・知能指数・・・健康状態・・・運動神経・・・容姿・・・家系・・・。

母(妻):最終学歴・・・知能指数・・・健康状態・・・運動神経・・・容姿・・・家系・・・。

ちなみに、女児の場合は、ロリコンの方等、多数の応募が予想されマスので、厳正なる抽選を行いマス。場合によっては、オークションの開催も検討中。

男児の場合も、応募が複数となった場合には、抽選とさせて頂きマス。

双子以上の場合は、必ずセットにて。バラでのお譲りはイタシテおりマセンので悪しからず。

返品不可。お譲りする品の性質上、成長後の苦情は受付イタシかねマスゆえ、ノー・クレーム、ノー・リターンにて。また、注文受付後のキャンセルは、固くお断りイタシマス。

なお、流産した場合等、抗し難い状況が起きた場合は、お取引きを中止させて頂く場合も御座いマスが、その節は、何卒、ご容赦下サイませ。

それでは、優しい方、裕福な方のご応募、こころより、お待ちイタシテおりマス。

どうか、私達の子供を幸せにしてやって下サイませ。

(おしまい)

8月7日「いぬ屋敷」鑑賞記

2005年8月7日、池袋手刀にて行われた、いぬ屋敷「GOD or DOG?の間」鑑賞記。

<ビル>いつも通りのエネルギッシュな演奏。若干、アレンジが変っていたり、ラフな部分が増えた様な気もする。楽曲が作者の手を離れて一人歩きを始めたとすれば、良い事である。

<SAMURAI>20年前の活動当時、彼らはワンマンや自主企画ライヴ等の、独立した活動方針を貫いており、たくさんのバンドが出るイベントなどには出ていないため、実は私は一回も観ていない。また、当時はハードコア・パンクにハマりきっていたため、サムライの音楽が古く感ぢられたのも事実である。しかし、復活してからのサムライを観る度に、私にも、サムライの良さが段々解って来た。復活ライヴには、当時のファンの人達が数多く駆けつけ、その人気ぶりに驚いたものだが、ファンの人達の気持ちも解る様な気がする。私の考えるサムライの良さは、トリオ編成ゆえの、ギミックの少ない生身ぶり、電気の力に頼らぬ素手の感触、等身大の魅力であろうと思われるが、あの強引なベース・ラインを弾きながら歌えるリュウシン氏にも感嘆とさせられるが、オリジナル・メンバーでは無いものの、美謝氏のギターは、サムライの飾り気の無いサウンドに、派手さと華麗さをプラスしていて、この日のライヴは特に良かった気がする。また、開演前、マネージャーの様な人が、PAに対し「ギターの音をもっと大きくしてくれ」と注文を出しており、これも的確な指示であったと思われる。トリオ編成ならではの、束ねられたエネルギーが同一方向に放たれる様が非常に心地良く、音楽性は異なるが、初期フリクションを思い起こさせた・・・と言うのは、少々誉め過ぎであろうか。

<THE GOD>オープニングは、キャプテン・レコードから発売された1stアルバム収録の曲から。実に懐かしい。このアルバムは、当時、テープに録って良く聴いてたから。その後も、聴き覚えのある曲や、知らないけどキャッチーでノリやすい曲等が続き、なかなか楽しめた。こちらも、サムライとは別の意味での、トリオ編成の面白さと言うか、リョージオ氏の危なっかしい部分を支えるリズム隊とのバランスがバッチリで、ベテランの強みと言うか、多少のラフさ、ルーズな部分も余裕で乗り越えるタフさが魅力の一つであろうか。ブルース・ビンボーズの秋山氏の客演もありマシタ。

★この日は、ゴッドのために、長めに時間を取っていた様デスが、結構早めに終演となりマシタ。(おわり)

その翌日(昨日)は、久々にオシリペンペンズを観に行きマシタので、その事なぞを・・・。

広島パンク~ハードコアの歴史⑤

さて、精神病院の慰問を終え、遂に、廿日市中央公民館における「Sound Packed Family Ⅱnd LIVE」が1981年12月26日(土)に開催された訳だが、この日の出演者の中には興味深い人材も数人居た。

まず、ハード・ロック系のコピー・バンド、“EDDIE”は、’90年代にLORAN(ローラン)と言うバンドでメジャー・デビューする事になるギタリスト、三村が在籍していた。奴は、私同様、五日市高校出身の一個下の、いわゆるギター小僧であった。ちなみにLORANは、全然ハード・ロックでも何でも無い、どちらかと言うと地味なロック・バンドだった。

そして、確かヴォーカル以外が女性ばかりの“Fave Rave”と言うバンドには、やはり’90年前後にエピック・ソニーよりデビューする、KABACHI(カバチ)と言うバンドのヴォーカリスト、SHINこと山○真(本名:マコト)氏が在籍していた。その日、可愛いムスコを観るために、いかにも金持ちそうな山本氏の母親が来ており、口の悪い私達は、その母親をステージ・ママと名付け、噂話のネタにしていたものだった。また、彼にとって、このバンドはヘルプ的なもので、他にやっていたブラッディーと言うバンドが、後にストリート・パンクス・カバチとなり、自主制作アルバムを製作した後に上京、改名してデビューした訳だが、こちらもやはりデビュー時には、ルースターズの後期の様な、ネオアコ(?・・・よく解らん)系にサウンドが変貌していた。

なお、他の出演は、ヤブキの三人委員会、ナカガワのTHE SCHIZOID MEN、コモリとイイダ在籍のステンドグラス、その他色々。もちろん、いずれもパンクのパの字も無いバンドばかりである。せいぜい、この日のトリを務めた、筆者/ヤブキ/ナカガワ/他によるSUCCESS(RCとアナーキーのコピー)が、わずかにパンクに足をひっかけていたに過ぎなかった・・・。

ちなみに、ライヴ終了後、筆者のバンドに無理矢理引き入れたドラマーは、「これで高校時代の想い出作りは終わった」と言い放ち(←ホントに、こんなセリフを言ったんだよ)、受験勉強に精を出すためにあっさり脱退。同バンドは、その日をもって、あっけなく解散とあいなった。

★当日のチケット。
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そして、明けて1982年。色々と急展開する年である。まずは、年末恒例の「ニュー・イヤー・ロック・フェス」を1時間に編集したものが1月に放映され、そこで観たスターリンの「バキューム」によって、それまで嫌いだったスターリンを好きになり、前後して買い始めたDOLL誌(過去に述べたが、当時は書店売りどころか、広島市内でも扱っている店はほとんど無かった。)の広告を見て、通信販売で買い求めた「TRASH」を聴いてしまってから、筆者の価値観は大幅に変えられた(詳しくは過去の連載にて)。

★当時、クラッシュこそ洋楽だが、その他、フリクション、モッズ、スターリンなどの日本人アーティストのレコードは主に筆者が買い、ピストルズやダムドなどの洋楽アーティストは主にヤブキが買っていたように思う。その後もヤブキは、輸入レコード店で、エクスプロイテッドやクラス、ディスチャージ、ディスオーダーやカオスUK等を見つけては買って来て、そのお陰で筆者は、その頃の初期UKハードコアを、ほとんど聴く事が出来たのだった。★

更に、その年の初め、ヤブキ(Vo/B)とナカガワ(G)は“浮世絵”と言うバンドを結成。これはTHE MODSのコピーと、ダムドの曲を更に速く演奏すると言う、ハードコア前夜を地で行くバンドであった。当時も今も、ピストルズっぽいバンドやクラッシュ路線、ラモーンズ的なバンド等は後を絶たないが、ファッションや思想では無く、楽曲自体や演奏そのものがパンクの攻撃性を体現していたダムドを選ぶと言うのは、なかなかのセンスであろう。ちなみに、浮世絵はベーシスト加入によりヤブキがヴォーカルに専念。“LSD”と名を変える(もちろんADKのとは無関係)。同時期、筆者は、高校の同学年のメンバーを集め(と言うか、同ぢ中学出身の幼なじみが、所属しているバレー部の仲間を連れて来ただけなのだが)、“(東京)ペニス”と言う、スターリンの影響丸見えなバンド名にて、再びRCサクセションのコピー・バンドを始めてしまったが、やはりスターリンの魅力は捨て難く、4月にはヤブキとナカガワを誘い、“金属バット”と言う(←しかし、書いてて情けなくなって来る様なバンド名ばかりなり・・・)、スターリンのコピー・バンドを結成するが、各々のバンドが忙しいため、これはすぐに自然消滅してしまった。

その後、筆者のバンドは、その名前が各地で多大なヒンシュクを買い続けたため、止むを得ず“THE STOIC”と改名し、毎年6月に行われる、五日市高校の文化祭出演まで、地元の小さな公民館にて行われた社会人バンド主催の自主コンサートやら、広島市内にある木定楽器店と言う楽器店にある10坪弱のスペースでのミニ・コンサート、その名も「木定ミニコン」や、演奏中に浮浪者(当時はホームレスなんて言葉は無かった)も飛び入りした、広島名物の大きな祭り「フラワー・フェスティバル」に出演したりと、なんだかんだで色々と演奏出来る場所を探し廻り、時には「Jr.ROCK」と言うコンテストにテープ応募して落選したりと、同世代の地方の高校生バンドなら共感してもらえそうな地道な活動を続けていたが、先の「フラワー・フェスティバル」と同日に、やはり広島市内のライヴハウス“QUEST”にて毎月(かな?)行われていた、「無名人コンサート」にも出演。その中から、LSD以外にも、同世代のパンク寄りのバンドである“尾行された密輸グループ”(ARBのコピーとかやってた?)なんかと知り合ったりする事となる。

<追記>そうそう。やっぱ、当時のバンド練習って、誰かの家の中で大音量でやってたよね。練習スタジオなんて想像もつかなかったしね。しかし、近所迷惑甚だしかったろうな~・・・。

(つづく)

★1982年5月。GASはまだまだ登場しないが、広島パンク・シーンに無くてはならない存在だった、ライヴハウス“QUEST”(正確にはライヴ・スクェア・クエスト)と出会う。しかし、広島にシーンめいたものが出来上がるのは、まだまだ先の話だ・・・。

★浮世絵デビュー・コンサートのチケット(上は’80か’81の甲斐バンドのチケット)。
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修羅地獄

修羅地獄・・・修羅地獄・・・。生きて行く身の最果(さいは)ては、泥にまみれて・・・行くばかり・・・。
「修羅地獄/梶芽衣子」

俺は「KILL BILL」なんて興味無え!!当然、観てもいない。

さて、深夜の出品ノルマを終え、メールのやり取りを小一時間済ませ、やっと自由時間・・・て、もう朝やんか~!!

朝なんて来なけりゃ良いのに・・・って、嘘ぴょん。夜は暗いから怖いしね。でも、やっぱ夜は集中出来るよね。今の仕事のペースで勉強してりゃあ、東大も夢ぢゃ無いね。

・・・と、言う事で、下らない独り言はこのへんでやめにして・・・。

あっ、そういやあ、また水道が止まるよ~。

東京砂漠・・・。

まあ、もう少し頑張って、連載でも更新するか・・・。

昼までに更新されてなかったら、バタンQ!!したと思っとくれ!!

TTG公開スパーリングの非公開記録

私の言う事を、あんまり本気にされても困るが、それはそれで良しとしよう。

さて、たまには、日常の出来事なんかを、そこはかとなく綴ってみたりなんかして・・・。

コナイダの日曜日、秋葉原まで、竹島蹄山グループ、略してTTGの公開スパーリングなるものを見学に出かける。その内容については、固く口止めされているので明かせないが、数少ない観客は、いつもの面々でありマシタ。

ところで、開演前、待合室の椅子に座っていると、隣りには、風邪や花粉症の季節でも無いのに、マスクをかけた謎の女子。むむ・・・ねぢ式か?・・・と、意味不明な感想を抱きつつ、俄に警戒態勢を敷くと、なんの事は無い、ゴキブリコンビナートのセロトニン瘍子嬢でありマシタ。

公開スパーリング終了後、場所を移動し打ち上げ。その後、家庭のある人、翌日朝早くから仕事のある人などは帰途につき、比較的、暇な(・・・と言うか、時間が自由になる職種。暇は無えよ!!)人達である、私、TTG脱退が決定しているビルの堀内氏、セロトニン嬢に加え、外出中も職場から電話が絶えず、よほど疲れていたのか、ほとんど死んでいた狂気ミキサ氏の計四名で、二次回へ突入。あまり自己主張するタイプに見えない堀内氏の知られざる素顔?や、セロトニン嬢の暴走人生ぶりに感心しつつ、私としては、提出された数々の議題?に対し、納得の行く解答をひねり出せた事に、しばし自己満足に浸るのでありマシタ。あっ!!セロ嬢は、第一印象“ガロ(青林堂)”でしたが、実像は“ギャル”でしたよ。躁鬱が激しいのかな?

ゴキコンには、私の知っている人が、密かに参加しており、これにもビックリでやんした。

さて、本日は、例の“指を売る件”に関して、これを完全に売り渡してしまうと、将来、手形等がとれなくなるので、今のうちに撮っておこうと言う事で、専用の機械のある下町方面へ、プリクラ気分?で、出かける予定でありマス。

しかし、今月は大口の入金予定が無いため、来週の仕事の成果いかんによっては、またも苦しい月末を迎える事となるでしょう。

それでは、いつの日にか、また・・・。

核保有のススメ

人はそれぞれ、こころの中に“核”を保有すべきである。

“核”、すなわち確たる信念であり、価値観、価値基準の事を指す。

また、独裁者を許す要因のひとつとして、個人が独自に固有の核を持つ事を、悪とする風潮があると言う点が挙げられる。

他人と違うと不安、他人と違うと困る、他人と違うと仲間外れにされる・・・。

こころに核を持たぬ者とは、すなわち自分を持たぬ者。

持ちつ持たれつと言えば聞こえは良いが、核を持たぬ者同志が大勢集まった所で、一体何が出来る?

核を持たぬ者の集団には、指導者が必要なのだ。

そこで、指導者足り得る者、すなわち核を持つ者は、核を持たぬ人々を統治するため、不平等極まり無い搾取契約や安全条約を結び、民衆を囲い込む事によって、完全なる支配体制を確立させるのである。

とは言え、それは仕方の無い事でもある。核を持たぬ者とは、すなわち一人では生きられぬ者の事を指すのであるから。事実、搾取もされる代りに、外部の敵、すなわち他所の独裁者からは身を守ってもらえるのだから、実に有り難い待遇なのである。まるで、牧場の牛や羊の様に・・・。

そして、“核”とは“格”でもある。

核を持つ者の多くは、核を持たぬ者のみならず、自分と異なる核を持つ者を配下に置き、更に己の格(核)を確たるものにしようとする。

しかし、これもまた、いた仕方の無い事である。それこそが人間の、生き物の本能なのある。そうやって、弱い者は滅ぼされ、強い者が更に力を増す事によって、結果的には強い者、及び強い者を指導者や支配者に擁する種族だけが生き残り、人類を更に繁栄発展させるのだから。

だが、私は、あえて、そこにロマンを持ち込みたい。誰もが核を持つ事が重要なのは当然として、更に、互いが互いの核(個人差)を認め合い、誰かが誰かを支配したりされたりする事の無い世の中、すなわち、すべての人間が独立した核を持つ事、外部から侵略、及び征服される事の無い、強固な核を保有する事、すべての人間が独裁者となるこそが、真に人類が目指すべき成熟した状態なのでは無いかと・・・。

・・・て、そんな事、有り得ないってのも、薄々・・・、否、思いっきり解っているし、その思想を他人に押し付けようとも思わない。だってそれは、単に私個人の価値観であり、ファシズム打倒と言う、ファシズムだからである。

よって、私は、自分自身が核を持つ事、そしてその核を磨き鍛える事、すなわち、この人類社会において、自己の存在意義の検証及び、支配者も奴隷も必要としない、完全なる自主独立を確立させる事をのみを目標とし、このブログ上においても、それを殊更に主張しているのである。

ゆえに、このブログを継続する事自体が、私にとっては、自己の存在意義の存亡を賭けた、核(書く)戦争なのだとも言えよう・・・。

禁未来小説「ドラへもん」そ12「ショック団の儀式」の巻

★注意★18禁★自己責任で読むべし★

椅子から縄を解かれたボクは、床に敷かれたマットの上に投げ出され、まるで犬の様に四つん這いの格好をさせられた。

シャイアン「よ~し、のひ太。さあ、いつもの様にやるんだ。」

シャイアンは、そう言うと、ボクの眼前に、己の股間に蠢く、見るもおぞましい肉の塊を突き出した。ボクは、少しでも早く事を済ませようと、ボロボロになったこころと身体を無理に奮い立たせた。そんなボクの願いが通ぢたのか、シャイアンのイチモツは、早くもうなりを上げ、冷酷無比にそそり立つのであった。

そこからは、キミ達の想像通りの展開だ・・・。

シャイアン「おい!!スネト!!向きを変えろ。」

スネト「あっ、ハイハイ、総統!!」

ボクは、心底、この世が終わってしまえば良いと思った。ボクはもう、生きながらに死んでいる気持ちにでもならない限り、この地獄には耐えられないぞと、自分のこころに言い聞かせるので精一杯だった・・・。

シャイアン「ううっ・・・!!ス、スネト!!お前もだ!!」

スネト「えっ!!ボクも!!どうして!?シャイアン!!」

シャイアン「シャイアンぢゃねえ!!シャイアン総統と呼べって言ったろう!!」

そう。スネトも時には、ボク同様、シャイアンの性の慰み物にされていたのだ。

スネト「ふ・・・、ふぎゃあ~!!イタイよ!!シャイアン~!!どうしてボクまで・・・。」

シャイアン「シャイアンぢゃ無えって言ってるだろ~!!うっ、うう・・・。」

ボクに比べ、シャイアンの凌辱行為に慣れてないスネトには、流石に、この所業はツライと見える。フン!!いつもシャイアンの威光の陰に隠れて、ボクに対して威張り散らしているからだ!!いい気味だよ。

シャイアン「スネト~!!お前は、俺が禁ぢている暴力を使った。これは、禁止行為を犯したお前に対する、ショック団の愛の鞭だ。暴力では何も解決出来ない。愛こそが、人を、そして俺たちを理想の世界へと導くのだ。」

ボクは憤慨した。何が愛だ!!笑わせるな!!最初はさんざん、ボクらを暴力で脅しておいて、ボクらが抵抗する気力を失くした頃になって、今度は暴力より愛が大切だなんて、偽善にも程がある!!しかも、こんなものが愛なもんか!!ただ単に、自己の性欲のはけ口として、ボクらを利用しているだけぢゃないか!!冗談ぢゃ無い!!とんだ誇大妄想狂だよ!!

シャイアン「ショック団の掟、第1条!!俺のものは俺のもの!!第2条・・・うっ!!」

いつもの通り、ショック団の掟とやらを繰り返しつぶやきながら、シャイアンは果てた。ボクは帰宅を許され、まるで抜け殻の様に床に転がったママのスネトを尻目に、建物の外に出た。空は、すでに陽が暮れかけており、沈みかけた太陽が、今のボクの気持ちを代弁しているかの様でもあった。くそ~!!ボクに力があれば・・・。スネトもだ!!本当はスネトだって、シャイアンに対して怒らなければならないはずなのに、ボクを生け贄にして、シャイアンの機嫌取りなんてしてるからいけないんだ!!

そして、家に戻ったボクを待っていたものは、ボクの死にかけたこころを完全に打ち砕くに足る、パパとママの裏切り行為だった・・・。

(つづく)

★ああ、ショック団、そしてシャイアンの性の慰み物となり、身もこころも朽ち果てたのひ太を、更に待つ悲劇とは?のひ太が行く、終り無き生き地獄の果てに未来はあるのか!?次回、涙無しでは読めない!?

千里の道も一理から・・・

「一理ある・・・」と言う言い方がある。

たった一理かよ!?

こころの中の独裁者

私は人間が嫌いだ・・・と、言うのは言い過ぎで、私は、人間のこころの中に在る、独裁者的な部分が嫌いだ。

しかし、それは、生き物の本能とでも言うべき、生命維持装置であり、種族保存の本能でもある。

言い換えるならば、私は、自分のこころの中にも間違いなく存在する、独裁者的な部分、すなわち人間の本能ってやつが嫌いなのだ。

ゆえに、私の人生は、そいつとの格闘であり葛藤であり、ゆえに、私は、自分の本心に蓋をし、本能を抑圧して生きてきた。

だが、時々、あいつは顔を出すのだ。

ああ、いやだ。おぞましい。見たくない。

しかし反面、その一瞬、自分が神になったかの様な、あるいは絶対的な権力を手に入れたかの様な至福感、愉悦の境地に浸っているのも事実なのである。

そう。もしも、私に力があれば、私は、自分の本能を思いっきり満たす事が出来るし、満たそうとするだろう。

すなわち、私が言う、「人間の本能が嫌いだ」と言う考えは、自分の能力では、その願望や欲望を満たしきれず、そこから生ぢる失意や苦しみから逃れたいがゆえに持ち出した、自分に都合の良い勝手な理屈であり、力無き自分を誤魔化す手だて、少しでも苦しまずに生きるための手段の一つに過ぎないのである。

ああ、本音を言えば、殺したい、奪いたい、征服したい、支配したい、犯したい、すべてを破壊したい、粉々にぶち割りたい、一つ残らず焼き尽くしたい、刃物でメッタ刺しにしたい、理不尽に踏みつけたい、尊い命を一瞬で握り潰したい・・・。

だから、その様な、人間の本能を満たすと言う目的を成就し得ている独裁者に対し、怒りと言う名の大義名分を掲げ、嫉妬心に溢れた醜い本心さえも隠蔽しているのだ。

要するに、私は、本当は自分が独裁したいがゆえに、現時点での独裁者の存在を憎み、怒りを向けているに過ぎないのである。

更に言えば、人間の存在自体が悪では無い様に、独裁者や独裁行為自体が悪いのでは無い。むしろ私は、独裁者よりも、独裁者を許す、否、独裁者を歓迎するかの様な主体性の無い人間達の事が嫌いなのだ。

本当に独裁者を許さぬのであれば、その逆に、すべての人が独裁者となるべきなのであり、私の望む世の中とは、すべての人が独裁者でいられる世界、すなわち、極一部の支配者の存在を許さぬ世界である。

そして、そのためには、一人が一つの国家となり、人間ひとりひとりが、各々自主独立した存在となる事以外に術(すべ)は無い。
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