暴力や権力によって、無理矢理に強制(矯正)すれば、それはファシズムになってしまう。
更に、他国にファシズムを行使すれば戦争になる。
また、個人同士であっても、議題に関しての正当さや的確さよりも、上下関係や力の関係がそこに加われば、まともな議論など出来ず、その場では納得した様に見せて(見えて)も、こころの底から納得した訳では無いので、必ずどこかで歪(ひず)みが出来る。
私は、他人に対して干渉したり、何かを強制するのは嫌いだ。
それは、私の父(強制)であり、母(干渉)への反逆でもある。
支配するのもされるのもまっぴらゴメンだ。
ゆえに、支配したがる人間も、支配されたがる人間も嫌いだ。
しかしながら、自分のこころの奥底に、間違い無く存在する、人を支配したい気持ち、征服欲、権力欲・・・。
そんな人間の本能、そしてオス(♂)の本性。そいつらを抑えつけるのは、生易しいものでは無い。
だから私は、決して自由気ままに生きてなどいないのだ。
自由なんて、決して美しくも素晴らしくも無い。
自由に生きる事。それは、自分本位な生き方をする事。
本当は、他人を支配したくて、この世を征服したくてたまらないのに・・・。
これは、自分のこころの中だけでは、とても解消解決出来ない、私の人生における命題なのである。
ファシズムへの反逆とは、すなわち、自己の本能との闘いなのだ。
しかし、ファシズムを行使する瞬間とは、きっと言葉では言い表わせぬ程の快楽を得られるのだろう。
夜毎、十字架に磔にされ、屠られていくのは、俺のこころの中に潜むファシズムである。
そしてそいつは、殺しても殺しても、際限無く、こころの底から立ち現われるのだ。
そいつが人間としての正しい生き方なのか、それとも悪魔の囁きなのか、今の俺には理解しようも無いが・・・。
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