すなわち、“に~ちゃんのベッド”初め、世の中の流行や、ローカルな話題等、様々な事象や事情に精通した検査官、あるいは、各分野から専門家を集めた上で、慎重にジャッジしないと、今回の様に、一部の民衆の怒りを買う羽目になってしまうのである。
ゆえに、本来は音楽にも、その様な検査機関があってしかるべきである。悪名高い“ジャス楽”は、集金(搾取)出来る対象が多ければ多いほど良いからなのか、なんでもかんでも取り扱いし過ぎだ。時には、「あ~、チミ~。この曲は“ミス散る”の○○って曲に酷似しとるから、うちでは扱えんよ」・・・なんて事を言ったって良いではないか。
★ところで、今回のパクリ問題の元ネタとされている“に~ちゃんのアズキアイス”は、言わば“作者不詳の獄中歌”(刑務所で誰ともなく歌われ始めた流行り歌)みたいなものであるが、それらにまつわる収益は、どうなってんのかね?あれは誰が使用しても良いもの(無料)なのかしら?
要するに、これこそはオリジナルであると認めうるボーダー・ライン、あるいは、どこからどこまでが模倣に過ぎない域に当たるのか?数多くの作品が世に存在し、飽和状態の現代、その辺りの線引きについて、真剣に考える時期に来ているのかも知れない。
また、如何なる天才も、無から有は生み出し得ないゆえ、オリジナリティとは、言うなれば、既にある形状・形態のものから、如何に差異を生み出し得るか、どれだけ遠く飛距離を伸ばし得たかを表すものであり、創作者における誠実度を測ると言う観点において、今後は、そこが重要な判断基準となるであろう。
昔は、適当に作ったものでも、ほとんどのものが初めて登場する訳だから、何でもオリジナルと呼べたかも知れない。しかし、現代は、蟻の這い出る隙間も無いほど、オリジナルが溢れかえっている。そう言った意味では、ある種、あらゆるアイデアやスタイルが出尽くされた現代こそ、アーティストの力量なり創造力が、真に評価され得る時代であるとも言えよう。
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