悪い事・・・と言うか、してはいけないとされている事をすると、罰を受ける。
更に、時には・・・と言うか、たいていの場合、多くの人から、お叱りを受ける。
しかし、あれ?変だぞ?
きちんと罰を受けているのに、更に怒られるのでは、ダブル刑罰ではないのか?
例えば、懲役10年にプラスして、更に怒られると言う事は、懲役10年では償いが足りないと言う事なのであろうから、それならいっそ、懲役を15年に増やしても良いから、更にお叱りを受ける事や、罵倒の言葉や軽蔑の視線を浴びせたりしないで欲しいと思う者も居るはず。
あるいは、罰金を全額支払っているのに、更にお叱りを受けるのあれば、お叱りを受けた分だけ、罰金の額を減らすべきでは無いだろうか?とも思う。
とは言えど、要するに、そもそも罰を受ける様な事をする方が悪いのだと言う事なのであろうが・・・。
ところで、犯罪によっては、その行為からもたらされる利益なり悦楽よりも、刑罰の量の方が軽いと感ぢられる事もある訳で、人によっては、「駐車違反しても罰金2万円なら安いもんだ」と思う様に、「人を殺して懲役17年なら安いもんだ」と考える者も居るはずである。
いや~。確かに安い。人の命が17年服役する事によって買えると言う事なのだから。
安い。あまりにも・・・。
でも、害虫は殺して良い様に、人に迷惑をかける人間を殺した場合は、やっぱ刑も軽いのかね?
あと、17人で1人の人間をなぶり殺したら、懲役は1人につき1年ずつ・・・とかネ。
んなアホな!!
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とある日、知り合いの同業者の店を訪ねた時のお話。
その店の社長だけでは無く、そこの店員のバイト君とも知り合いなのだが、その日はバイト君の他に、更に、バイト君とも私とも共通の知人が、客として来ていた。
何でも、高円寺で生田敬太郎のライヴがあるので、せっかく神奈川から出てくるのだからと、最寄り駅の同店で時間つぶしをしていたらしい。
そんなこんなで、挨拶代わりの会話を済ませると、私は売り場のレコードをパタパタとチェックし始めたが、二人は相変わらず世間話を続けており、それだけなら、仕事の少ない中古レコード屋の、ただの日常の良くある光景なのだが、店員が発したある一言に、私は衝撃を受けた・・・。(他のセリフは記憶薄にて、多少脚色アリ。)
客「そろそろ年末ジャンボの発売日デスね。」
店員「え~?どうせ、当たんないでしょ。」
客「ボクは買いマスよ。毎年買ってマスからね。」
店員「当たったら、もう来ないんでしょ。」
客「当たれば良いんデスけどね。」
私「ちょっと待った!!」
いやはや驚きのあまり、私は思わず大声を上げた。
「当たったら、もう来ないんでしょ。」って!?
あ~た(貴方)、今、何気なくさらっと言ったけど、何それ!?別に、今まで通り来るでしょうに!!
その店員があまりに無意識に自然体で言うもんで、客の方はそのセリフを気にも留めなかった様だが、宝くぢが当たった途端に会いに来なくなるだなんて、どんな冷たい人間だっちゅうの!!
あるいは、大金を手に入れたら、もう足を踏み入れる事さえ無い場所って一体・・・?ここは金融会社か、はたまた貧しい者の集う貧民街かっちゅうの!!
「当たったら、もう来ないんでしょ。」って・・・。
でも、確かに・・・。宝くぢが大当たりしたら、一瞬で別世界の住人だものな・・・。知人に知られたら、ロクな事にはならねえよな~・・・。
そして、更にしばらく経ったある日・・・。
ボクは夕方に目を覚まし、部屋のドアを開けた。だって、今日は「週刊少年ジャンボ」の発売日だもんね。
「あれ?無い?」
なんだよ、あのクソババア!!今日がジャンボの発売日だって事、忘れてんぢゃねえか!?
ボクはいつしか、ママをクソババア呼ばわりする様になっていた。怠惰な生活はボクのこころを確実に蝕み、今や、感謝するべき事柄も日常の当たり前の風景と化し、ボクは傲慢さを増していく自分を薄々感ぢつつも、その部分には蓋をし、見てみぬ振りをしていた。ボクは、己が欲望を最優先させる事によってのみ、今にも崩れ落ちそうな不安定で虚ろな気持ちを、必死に抑え付けていたのだ。
後で皿の一枚でも割るか・・・。そんな事を考えつつ、ボクはとりあえず、再び眠りについた。
そして、その夜、ボクは階下の物音に目を覚まされた。
なんだよ~。まだ起きる時間ぢゃ無いよ~・・・。歴史は夜作られるが如く、この、のひ太様の千年王国は、午前二時に、その禁断の扉を開けるってのに~・・・。
ボクはこっそり階段を下りていき、耳を澄ませた。すると、またも大きな声が・・・。
パパ「そんなに言うならお前が出てけ!!」
ママ「何言ってるんデスか!!そもそもパパが・・・」
何て事だ!!どうやらパパとママがケンカをしている様子。今まで二人がケンカしている場面なんて見た事無いのに・・・。
どうしよう!!どうしよう!!
ボクは大いなる衝撃を受けずにはおれなかった。
ええっ~!!もしもママがうちを出て行ったら、誰が少年ジャンボを買って来てくれるのさ!?
・・・って言うか、今週号、まだ読んでないんだけど・・・。
(つづく)
★ああ、ついにパパとママの間にも亀裂が生ぢ、のひ太の引きこもり天国、怠惰な王国にも崩壊の危機が訪れるのか!?果たして、のひ太は、少年ジャンボの今週号を読む事が出来るのか!?(←って、そんな問題では無い!!)
知人から譲り受けたパソコンは、なかなかの高性能で、いくつかのゲームがインストゥールされている(←その点が高性能な訳では無い)のだが、とりあえず、私は、ピンボールにハマっている。
これがしかし、深夜の仕事の途中、息抜きと言うか、良い気分転換になっているのだ。
また、何度かやっているうちに段々と腕も上がり、どうやれば高得点を上げる事が出来るか?と言う事も解ってきた。
そもそも、ピンボールの本質とは、攻撃と防御。狙った役物に対し、適切に玉を命中させていく事と、左右及び中央から玉を漏らさぬようガードする事にある。そして、更に付け加えるならば、いくばくかの“運”であろうか。
とは言え、限られたスペース内における運など、たかが知れており、所詮、玉の行末は、玉の転がるスピードと、打撃時の力の入れ具合や接触面の角度等からもたらされるゆえ、上級者ともなれば、最大の危機をも最大のチャンスに転ぢる事も可能であろう。ただし、その場の状況、すなわちゲームの進み具合、エキストラなランプが点灯しているか否かと言うタイミング等、明らかに己が能力のみではいかんともし難い、成否を左右する運命の分岐点と言うものも存在する。
「人生はピンボール」。・・・ああ、今こそ私は、この言葉を噛み締めずにはおれない。
さて、それでは、ピンボールで高得点を上げるにはどうすれば良いか?と言う事を解説しよう。もちろん、玉を打ち返す時のタイミング、すなわち力の入れ具合や角度等、訓練や慣れを必要とする“能力や技術”と言うものも必要不可欠ではあるが、ピンボールと言うゲームの本質的な攻略法と言う意味で言えば、一回で高得点を上げられる派手な役モノを狙うよりは、指示されたミッション(どこそこを打撃せよとゲームから指示が出る)を確実にこなして行く方が、クリアする毎に与えられる報酬(ボーナス得点)がはるかに大きいのである。
派手な攻撃(生き方)を繰り返す前者を「人生はギャンブル」派とするならば、着実かつ堅実な後者は、まさにピンボールの仕組み、すなわち「人生はピンボール」であると言う言葉の本質を理解していると言えようし、現実の人生にも適応し得る能力を有していると言う言い方も出来よう。
テナコトを考えつつ、今日もピンボールに興ぢる私の脳裏に、突然、雷光が閃いた。
そうか!!解ったぞ!!
ピンボールと言うのは、ボーナス的にもたらされる追加の玉を除き、基本的には三つの玉を一個ずつ発射し、それらが枠外に漏れ落ちてしまうまでの三度のゲームの総得点を上げる(ハイスコアを目指す)事が目的なのだが、ゆえに、最初の一個目があまりにも低い得点で終了してしまうと、残された二個で必要以上に頑張らねばならず、それくらいならまだしも、二個目も悲惨な結果で終わると、最後の一個で、通常三個の玉でやっと達するハイスコアを一個の玉で目指さねばならない訳で、私も、気力や体力が充実している時は、生来の負けん気も加わり、「たった一個でどこまで行けるか?」と言う事にも挑戦する気概が沸くと言うものだが、たいていは、「やってらんね~!!無理だっちゅうの!!」と、早々にハイスコアをあきらめ、「とにかくゲームを楽しもう」とか「よっしゃ、派手な役モノばっか狙って潔く散ろう」と思ってしまうのである。
これだ!!
そう。これはそのまま、人生にも当てはまる。肉体及び精神に体力が無い者、あるいはそうで無くとも、「人生は短い」事を痛烈に実感せざるを得ない者は、とてもとてもコツコツと生きる気になどなれないもの。なんせ、玉は一個、すなわち一回きりの人生が人より更に短いのだ。そんな人間にとって、「真面目に生きる」と言う事はどう言う意味を持つのか?それは、「生きているうちに楽しむ」事であり、ピンボールで派手な役モノを狙うかの如く、「必要以上に刺激を追い求める」事であるのだ。
「真面目に生きる」事とは、誰も彼もが同サイズの決められた枠の中に収まる事では無い。個人個人、それぞれが、その人に適した生き方をすれば良いのだ。
人生は棺桶でも、ましてや骨壷などでも無い。
死ねば、どんな人間も、所詮は土に還るのみ。
それとも、墓石の大きさまで競うつもりかい?
アハハハハ!!面白~い!!
引きこもり生活3ヶ月目。ボクは、漫画にテレビにパソコンにと、インドア娯楽を堪能する放蕩三昧の日々を、相変わらず続けていた。
えっ?ファミコンはしないのかって?フン!!ボクはあんな子供っぽい遊びなんて好きぢゃ無いよ。
あ~あ、でも、この生活を一日でも長く続けるには、パパとママには末永く健康で居続けてもらわないとね~。ウフフ。ボクって、親思いの良い子でしょ?
さてと、夜も明けて来たし、そろそろ寝るとするか。明日は「週刊少年ジャンボ」の発売日だからな。夕方頃に目を覚ませば、ママがドアの外に置いトイテくれるはず。
ムフフ。何不自由無い暮らし。これこそがボクの望んでいた本当の人生ってやつさ。
えっ?将来どうするのかって?野暮な事聞くなって~の。どうせ、こんなボクに明るい未来なんか無かったんだ。将来の事なんて考えるだけ無駄さ。今を楽しむ事、それだけが、ボクに唯一残された選択肢なのさ。
そう言えば、あいつらどうしてるかな?そう。シャイアンにスネトの奴ら。ボクが学校に行かなくなったから、ショック団も解散かな?それとも、また別のターゲットでも見つけて、イジメでもしてるのかな?フン!!まったく愚かな奴らだよ。自分より弱い者をいたぶる事でしか、自己の存在意義を保つ事が出来ないんだから。ボクはもう、そんな下らない世の中からはおさらばしたのさ。ボクはボクのこの部屋、ボク自身の王国であり楽園で、自由気ままに生きるんだ!!
ああ、今こそ、我が人生、至極の境地なり~・・・。おやすみ~・・・むにゃむにゃ・・・ZZZ・・・。
(つづく)
ある人が言った、米を贈れば、百票の議席を稼げると。
あるいは、米(国)と仲良くしておけば、百票の議席に勝る力を持てる・・・とも。
と、下らないギャグはそのへんでやめにして、今回は、エレクトさんも政治や国際問題に関心があるのだと言う事を示そうではないか。
さて、ある人のヤキニク乾杯問題についてだが、私の考えでは、やはりあの様な役職や立場にある人は、その行動が制限されるべきだと思う。
例えば、歌舞伎町の風俗店に行くのは良くないだろうし、やるならもっとこっそりやらねばならない。庶民には逆立ちしても手が届かぬ、高級な会員制クラブやら、高級な料亭やらで、大枚はたいて遊ぶなら良し。しかも、絶対に庶民にはその様な豪遊ぶりを知られてはならない。
話がそれたが、単にヒラの教師やオマ公・・・もとい、警察官でさえ、色々と行動が制限されると言うのに、一国の○○ともなれば、出所したての元囚人の如く、もっと殊勝なこころがけで行動せねばならないのではないだろうか。
私は何も、ヤキニク乾杯してはいけないとは言っているのでは無い。どんな身分や立場であろうと、思想は自由であるべきだから。
よって、乾杯したくば、身分を隠してこっそり行くか、自宅でこっそり祈れば良いのだ。それなのに、わざわざどこかの誰かにアピールするかの如く(・・・と言うか、あの立場で隠密行動など有り得ないが)、やるからいけないのだ。そもそも純粋な気持ちがあれば、わざわざ神社に出向かずとも、何時何処ででも、戦没者に思いを馳せる事は出来るはずだ。
そう考えると、何故に、他所の国に文句を言われるのを承知で、あの人は行くのか。仮に乾杯しなかったとて、それが原因で得票数や支持率が減る訳でもあるまい。事なかれ主義の国民なのだ、むしろ何もしない方が、無難に今の地位守りおおせるであろうに。
それゆえ、推測するに、反日感情を煽る事も顧みず、国民が望んでいる訳でも無いのに、あえて乾杯をするからには、そうする事によって、あの人自身にとって、何かプラスがあるのだろうと言う事が考えられる。
他国からのパッシング、更には、それが原因でもたらされるやもしれぬ国民(有権者)の不満。そんなマイナス要因よりも、もっと重要な何か、しかも、本人の信念だとかポリシーでは無い、別の何か・・・。
要するに、まともな人間ならごく当たり前の事だが、あれは、国民の利益よりも、自分の利益や保身を最優先するがゆえの行為なのである。
あの人が本当に頭(こうべ)を垂れているのは、戦没者になどでは無い。それはきっと、もっと別なもの、言うなれば現実的に有効な“力”であり、おそらくは、彼にとっての“権力者”に対してであろう。
そう。あの様な立場にある人間も、しょせんは権力者の犬に過ぎないのだ。
本当にこころから乾杯したいのであれば、誰かに知らせる必要など無い。あれではまるで、名前を公表してお金を寄付したり、更なる利益の得るためにのみ文化に理解がある様に見せかける、営利を第一主義とした大企業の宣伝行為と同様である。
もちろん、それが悪いとは言わない。商売ならば、それ(営利)を目的とすべきなのは当然の事であるからして。
突き詰めれば、人の行動には必ず何らかの意図や意味があり、自殺するにせよ、自分の得になる方、快となる方を選んでいるに過ぎないのだから・・・。
米百俵程度で米一揆が治まる、我が国の貧しさに乾杯!!
いや~。しかし楽しいね~。毎日、自由に昼寝が出来るし、食べるものにも困らない。読みたい漫画もママに買いに行かせれば良いし、パソコンに続いて、テレビも持ち込んだから、娯楽も超充実してるもんね。
それにさ。学校に行かなくて良いって事は、勉強もする必要無いし、不得意なスポーツで恥をかく事も無い。ましてや、イジメも無いと来た。
あ~あ。こんな事なら、もっと早く、引きこもりを始めてれば良かったよ。
いや~。極楽浄土ってのはこの事かね~。
ムヒョヒョヒョヒョ!!余は満足ぢゃ!!・・・なんちゃって。
しかし、振り返ってみると、ボクは本当にバカで、要領が悪かったよな~。ただただパパやママに言われるままに学校に行って、したくもない勉強をさせられ、得意ぢゃない体育の授業に参加させられ、果てはクラスメート達にバカにされ、イジメられ、虐げられ・・・。
他に選択肢が無かったと言うより、他に選択肢があるなんて思ってもみなかったもんな~。
ぐっすん・・・。でも、今は違うよ。ボクは自分の進むべき道を見つけたんだ。
そう。ボクはこのまま、一生引きこもって生きるつもりさ。
だってさ、ボクの様に頭も悪くて運動神経も鈍くて、何の取り得も無い人間がいくら頑張った所で、たかが知れてるんだよ。せいぜい、チンケな会社に入社して、一生うだつのあがらぬ平社員になって、そこでも学校と同ぢ様に、上司や同僚にイジメられ、お茶汲みしか出来ない年下の女の子にさえバカにされる、つらくて惨めで救いの無い人生を歩むのが目に見えてるんだ。
親から受け継いだ地位や財産も無く、自分自身が何の魅力も能力も持ち得ない人間にとって、この世はただただ地獄でしかないんだよ。何だかんだ言っても、しょせんは弱肉強食。ボクみたいな弱い人間は自殺する以外に苦しみから逃れる術は無いのさ。
だ・け・ど!!ボクは、そんな悲惨な人生なんてまっぴらごめんだよ。ボクはこのまま、パパとママの脛をかぢり続け、死ぬまで、この王様の如き放蕩暮らしを満喫し続けてやるんだ。
そうさ。ボクにだって、幸せになる権利があるんだ。そのためにパパとママが犠牲になるのは当たり前さ。だってさ、こんな駄目人間のボクをこの世に生み落とした責任は、間違いなくパパとママにあるんだから・・・。
(つづく)
西荻ワッツは、もう営業してない様だけど、新宿D.O.M.が、来年再開するらしいネ。良かった!!(^^)
今日は定休日で、いつもは店を閉めて仕事をしているのだが、責任転嫁、白(KURO)に続いて復刻が予定されている、大物バンドの音源CD化のためにレコードを貸す事となり、自宅に帰って必要なものを掻き集めてきた所。
ついでにスターリンの広島でのライヴの生録テープを持ってきて、さっきから聴いている所だが、観客の歓声を聴いていると、客の数等、あまりにも自分の記憶と違う事が解ってきた。声の雰囲気から、あの日の人口密度と言うか、客席を見渡した時の一瞬の場面が、まるで写真の様に思い出されるから不思議だ。当日、おそらく客は100人は入っていたと思い直したので、後で本文も訂正イタシマス。
あしからず。
法政大学の学祭に関するBBSを覗いてみたらば~。
ミスコンは差別か否かについて議論されていた。もちろん、暇が無いので、適当にパッパと読み流しただけだが・・・。
ミスコンが差別だなんて、そんな馬鹿げた話があるか!!
大学だって高校だって、極一部を除き、これこれを覚えなさいと言われた事をたくさん覚える事が出来た者しか入学させないくせに、ミスコンが醜に対する逆差別ならば、入学試験も記憶力差別ぢゃ無いのか?
否、記憶力のある無しでは無く、体制に順応出来るかどうかの度合いの差別?(もちろん、ある明確な目的のために学歴を取得せねばならないゆえ、やむを得ず記憶力を駆使している自発的な人間も少なく無いであろうが。)
ルックスやスタイルしか取り得の無い女性は、それを競ったり、目立ってはいけないのか?
と言うか、ルックスやスタイルの良い女性は、既に世間から格別なる好待遇を受けているのだから、それ以上、栄誉を与えるなと言う事か?
要するに、こう言う事でしょ?男性(社会的強者)主導で、女性の持ちうる魅力の対象を、ある一部分に限定するかの様に、それを煽り、世間一般に認められた常識であるかの様に規定してしまうから、良く無いってんでしょ?
でも、それこそ、人の好みは十人十色で、確かにミスコンは盛り上がって、美人は多くの人にもてはやされるけど、それを絶対的な価値とするか否かは、個人の判断に委ねられている訳で、もちろん流行や大多数の支持するものに人は集まり、刺激され、洗脳されてしまうと言う現実も無視は出来ないけれど、そんなのミスコンに限らず、いつだってどこだって行われてる事ぢゃないか。
そりゃあ解るよ。記憶力が悪い奴だって大学に行きたいし、ルックスが悪くたって玉の輿に乗りたいし、何の取り得も無くたって人からチヤホヤされたいだろうしさ。
・・・って、うるさいよ!!そんなにすべての人間の自分勝手な欲望が叶ってたまるか!!
もう、他人から認められるとか、そう言う事は良いよ。
どんなエリートも、どんな美人も、どんな金持ちも、どんな優しい人も、どんな不細工な人も、どんな貧乏人も、どんな極悪人も、こころに宿した苦悩や葛藤の量が違わないんぢゃあ、どっちでも大して変わんねえよ。
己の欲望と言う空瓶の容量が小さい者、あるいは、如何なる大きさであろうと、その空瓶をいっぱいに出来る能力を持った者は幸せである。
でも、どこの誰の空瓶が大きかろうと、その瓶にどれだけ幸せが詰まってようと、自己の充足度とは何の関係も無い話だ。
そもそも、誰が美人で誰が美人でなかろうと、他人が大勢集まって決めた事にいちいち左右される人間が居るからいけないんだ。
ミスコンは、各自、こころの中で行えば良い。そして、その対象となる部分は、見かけだろうが、こころの内面だろうが、自由である。
悪いのはミスコンでは無い。それがたとえ全世界の人類すべてのジャッジであろうと、他人の価値観に惑わされる事自体が間違いなのだ。
将棋の駒みたいに、生れたときから動き方が限定されている様な生き方はまっぴらだ。もちろん、家系や血等、自分では抗い様の無い宿命と言うものも存在するが。しかし、時には将棋盤から床にこぼれ落ちたって構わない。自分で好きな事を考え、行動し、判断したいものだ。
・・・と言うのは、私個人の固有な考えであり、あんたはあんたで決めなはれ。
女性は受身的体質だから仕方無いが、そもそも男性にミスコンを仕切らせるから良くないのだ。ぐだぐだ言う前に、女性が持ち得る、ルックスやプロポーション等の、“見かけの美”以外を対象にしたコンテストでも行えば良いのだ。美とは能力の一種に過ぎず、魅力の一種にしか過ぎない事を証明するには、ミス・コンテストを廃止したぐらいでは駄目なのだ。
そして、そうすれば自ずと理解出来るはずである。如何なる美も、他の能力や魅力同様、一日にしてならず・・・と言う事が。
既存の価値観を否定するだけでは、単なる愚痴に過ぎない。真の反逆とは、従来のそれとは異なる、新しい価値観(様式)を提示する事にある。
しかし面白い。ボクは、パパから奪ったパソコンで、日夜、ネット・サーフィンに勤しんでいた。まだ小学4年生のボクにとって、インター・ネットの世界は、現実の世の中で何年生きるよりも多くの知識や情報をボクにもたらした。もちろん、必要不必要に関わらず・・・。
そしてボクは、“Z(ゼット)ちゃんねる”と言う、匿名で書き込みの出来る大規模な掲示板に特にハマり、書き込みこそしないものの、いくつかのお気に入りのスレッドを巡回するのが日課となっていた。
また、ネット上には、チャットと言うものが存在し、何と言うのだろう。リアルタイムで文字による公開の会話が出来ると言うもので、やはり参加こそしないものの、話し相手の居ないボクにとっては、これもまた、非常に興味をそそった。
ボクは、部屋に居ながら、世界と繋がっている自分を実感していた。確かに、昔の引きこもりは、世の中から隔絶した状態で、人との触れあいを拒絶するかの印象があったが、もはや現代、否、ボクにとっての引きこもりとは、人と人とのかかわり合いを客観的に見つめる事によって、皮肉にも、ある種、人間の本質と言うものと正面から向き合うかの如き様相を呈していた。
とは言え、色々な物事、それも超下らない下品なものから、実に役立つ人生のバイブル的なものに至るまで、実に様々な事象を垣間見て、目や耳、そして脳に刺激を与えれば与えるほど、何故だか、ボクのこころの虚しさは、加速度的に増していくのであった。
人間は、そしてボクは、何のために生れてきたんだろうか・・・。
いつしかボクは、そんな哲学的な思考に、想像力を働かせる様になって行った。
それにしても、人間の一生とは、何て短いんだろう・・・。
そうさ、たかがインター・ネットの世界をちょっと覗き見ただけで、この無限の宇宙において、人間の存在なんて、実にちっぽけで無力なものだって事が解る。
・・・だから、すべては無意味。すべてが無意義。すべては無価値。すべては無限に無・無・無・・・なのだ。
ましてや、こんなちっぽけな、ボクの存在なんて・・・。
(つづく)
お待たせイタシマシタ~!!(^^)/
さて、1982年7月30日。メジャー・デビューした、ザ・スターリンが、“STOP JAP TOUR”にて広島にやって来た。
会場は“WOODY STREET”と言う、多目的スペースであったQUESTを除けば、広島で唯一のライヴハウスと呼べる店。店内の客席部分は、高校の教室を少し広くした感ぢだろうか?そして、ステージに近い前半分が通常置いてあるソファーやテーブルを撤去してのスタンディング状態。後ろ半分は、元から作り付けの木の柵に囲まれた、おそらくテーブルや椅子も固定されているかの、喫茶店(あるいはバー)風な作りとなっている。(ところで余談だが、ここのトイレって全然思い出せないな。行かなかったからかな。)
動員は、う~ん、100人前後と言った所であったろうか。そして、ライヴ中、50人くらいの客は前のフロアで楽しく暴れ、残りの客は物珍しそうに後方の客席で観察と言った所だった。“楽しく暴れ”としたのは、皆、既に昨年のここでのモッズのライヴの時に、パンクのライヴにおけるノリ方を心得ているのか、黙ってつっ立ってる事も無く、かと言って、(前のフロアは広さの割りに人口密度が低いせいもあり、)特にケンカ等が起きる事も無く、大いに盛り上がったと言う意味である。また、「trash」なんて誰も買ってないと思ったら、意外と皆、口ずさんでて驚かされた。また、夏のせいもあるのか、いかにもパンクスと呼べる様な、革ジャンや鎖ジャラジャラさせた輩は、まだほとんど居なかったと記憶している。特に後ろの席の方は、どっちかと言うと、まだ大人向けのサブカル雑誌だった宝島とか読んでる様なタイプが多かった気がするな。
そうそう、あと、この日はドラムがイヌイ・ジュンでは無く、ソドムのハヤトだったのだ。
そしてライヴ後半。ミチロウは、一体誰が持ち込んだのか、鳩だか蝙蝠だかを咥えて転がり回り、客の女の子一人を押し倒して、トップレスにしてしまった。・・・と言っても、ステージ前に行く様な女の子だから、桑野みゆき(←だっけか?ツイスト「燃えろいい女」がCMソングだった時の資生堂のモデル)似の、ガタイのしっかりした女性であったと記憶している。
気が向いたら、当日のセット・リストを、後日、下に記しておくとしよう。(自宅からライヴ・テープ持ってくるの忘れたので・・・。)
ところで、この日、既に活動してたかどうかは知らないが、おそらく“GAS”のメンバーとかも来てたんぢゃないかな?
★それでは、次回は、スターリンのライヴの5日後に行われた、“自我”のヤブキが在籍した“LSD”が、スターリンのコピー等で出場した、広島市青少年センターにおける、「無名人コンサートS(←スターリンでは無く、スペシャルね)」の模様をレポートしよう。そういやあ、モッズの完コピ・バンド、“REACTION”って奴等も登場したっけな。(・・・と、当日の資料を見ながら、しばし感慨にふける・・・。)
(つづく)
<追記>しかし、“LSD”に“REACTION”って、ADKレコードかよ!?・・・みたいな。(もちろん、同名異バンドでやんす。)
かと思ったら、運転室に息子入れクビに「抗議」430件・・・の間違いデシタ。
何てコッタ!!どうせ、その430件のうちの殆どは運転手の身内だと思いたいが、運転室に息子(部外者)を入れたせいで、もしも何か事故が起きたらどうすんだ!!コナイダの悲惨な事故に、何も学んでないのか!?
結果的に、何も事故が起きず、人が死ななければ、何をしても良いのか?
と言うか、これが例えば、コップを誤って落として割ってしまったと言う、ミスであればまだしも(もちろん、ミスにしても、人間はミスするから仕方無いで済ませるのではなく、人間はミスをするからこそ、それをフォローする、機械的な制御なり、複数の人間等による管理をするべきだと言う事も踏まえ)、今回の様に、「意識的に行わなければ済む事」を、ルールを無視してまで、あえて行うと言う事は、絶対に良くない。
何故なら、「事故につながる可能性のある事」は、どんなにささいな事でも見逃してはいけないのだ。だからこそ、あの様なルールが定められているのに、クビになった運転手が、事故の責任など取れるのか?百歩譲って、鉄道会社の社長であれば、自分がすべての責任を取るのだろうから、許されるかも知れないが、そんな電車、乗りたくないよ。
とは言え、運転室に息子を数分間入れたくらいで・・・と言う感情も解らないでは無い。しかしやはり、何故、その様なルールが定められているかと言う、その理由に思いを巡らせれば、やはり、これはすべき事では無い。第一に、運転手は仕事中なのだ。どうしても、我が子に働く姿(あるいは運転室)を見せたいのであれば、きちんと会社に許可を取って、正々堂々とやるべきだったろう。
実際、守っても守らなくても良いルールなのであれば、とっとと改正すれば良いのだ。
失敗と故意は違うのだ。
「子供が大きくなった時、自分のせいで父親が職を失ったと知ったら悲しむ」と言う意見もあった。
アホか!!事実、そんな親なんだから、それで良いのだ。軽はずみな行動で会社をクビになる様な、仕事とプライベートの区別もつかず、人を、人の命を運ぶ(守る)事を第一義とせず、安全のために最善を尽くさず、自己の欲求を最優先する様な父親なのだから・・・。
否。むしろ、自分の首と引き換えに、可愛い我が子を運転室に入れてくれたんだから、素晴らしい父親だと誇りに思うが良い。
しかし、抗議をした奴等は、あの事故に何を学んだのだろう。
甘い。甘すぎる。
これは、居眠りや遅刻とは違うのだ。
わざわざ、“しなければ”済む事なのだ。
あの日・・・。そう、ドラへもんをぶっ壊し、パパとママを突き飛ばしてからと言うもの、ボクは我が家の支配者となった気分で居た。
その後も、ボクは事あるごとに暴れ、食器やガラスを割り、机をひっくり返し、欲しい物をママに買いに行かせ、見てみぬ振りのパパとは顔を合わせない様に、パパが会社から帰る頃には、部屋に篭って漫画を読むか、ネット・サーフィンを繰り返す日々を過ごした。漫画はすぐに飽きてしまうけど、インター・ネットの世界は、ありとあらゆる表現や価値観が玉石混合、清濁併せて混在しており、ボクは飽きる事無く情報をむさぼった。
そうさ。ボクにはもう、パパもママも、家族さえも必要無いんだ。あの人達は、ただボクにご飯を運ぶために生きているに過ぎない・・・。
そして、ネット・サーフィンにも飽き、空想や妄想に浸る事も、ボクには楽しい一時だった。
ああ、ボクはこの先、どうなるんだろう?そんな不安も覚えないでは無かったが、それ以上に、この怠惰な生活は、ボクのこころを蝕んでいた。
あっ!!そうだ。ママに新発売のお菓子を買いに行かせなくちゃ!!
ボクは、昼過ぎに目を覚まし、パパが出社している事を確認すると、一階に下りていった。
ママは何一つ文句を言う事無く、買い物に出かけた。以前は、ボクがおつかいに行かされ、昼寝の邪魔をされていたと言うのに、今はその逆だ。
「のひ太サン。ぢゃあ行ってくるわ。」
まるでロボットか死人の様な表情で、ママは出かけた。ボクはこころに後ろめたいものを感ぢない訳では無かったが、テレビで「笑っていい?もっと」を見てゲラゲラ笑うと、そんな気持ちも吹き飛んだ。
そうさ。しょせん、この世は地獄なんだ。だったら、楽しんだ方が勝ちさ。
ボクはいつしか、自己を正当化するための思想を嘯(うそぶ)く様になっていった。
(つづく)
★連載は、あと182回続きマス。末永くお付き合いを・・・。
昨夜、当店から自転車で5分とかからない、新宿は花園神社にて、ゴキブリ・コンビナートのセロトニン嬢が、見世物小屋に出るらしいと知り、そう言えば、同ぢくゴキコン団員である、鯖氏(いつも、マリア観音のライヴをビデオで撮影してくれている)が見世物小屋の絵を描くと言っていたのはコレカイナ?と、散歩がてら自転車でピュ~!!と見物に行く。
祭りは深夜2時頃までやっているらしいので、22時過ぎに店を出たが、神社の中は人でごったがえして居た。うへえ!!こんなに人が集まる祭りだったのネ。ちょっとビックリ。
近くのコンビニで買った缶ビールを飲みつつ、しばし散策するも、あるのは焼きそばやイカ焼き、その他の屋台屋台屋台屋台・・・。人に聞くと、見世物小屋は、なんと(自分が入った方の)神社の入り口の脇にあった。かと言って慌てて飛び込む事も無い。とりあえず祭りに来た思い出作りにと、屋台で焼きそばを注文。ガツガツ喰う。そして再び、コンビ二でビールとツマミを購入し、いざ、見世物小屋へ突入!!
あっ、そうそう。小屋の外の呼び込みのオバちゃんも、なかなかに粋でやんした。
そして小屋の中に入り、出し物を見物。キャパ100人程度の客席は、右の入り口から左の出口まで、客全体が序々に移動し、順番に繰り返される数種の出し物が一回りする毎、先に入った客は出て行き、自分が最初に見た出し物が再びが始まる頃、ちょうど出口に近い場所に居ると言う仕組みとなっている。
さて、その内容だが、ウフフと笑みがこぼれるものから、うへ~・・・と絶句するもの、ひえ~!!と目を覆うもの、アハハと思わずニコニコしてしまうもの・・・と、なかなかに貴重な体験を色々とイタシマシタ。
(12月にも、どこぞであるらしいので、知りたい方は自分で行きなされ。人の話を聞いて、見た気分になってちゃ駄目。)
とは言え、視力の悪い私は、どれがセロトニン嬢であるのかさえ解らず(箱に入るマジックだと思うが・・・)、鯖氏の絵がどれなのか、見るのも忘れ、しかし何だか満たされた気分で、店に戻ったのデシタ。
ところで、見世物小屋と言うのは、どんどん無くなっているらしいが、色んな出し物があって良いはずなのに、この世はすべて、金の流れに支配されており、集金能力の無い出し物は、自腹を切る以外に生き残る術は無いのであろうか。
しかし、花は散るからこそ美しい様に、死ぬからこそ人間の命は尊く、存続を保障された安全な見世物など面白いはずが無いゆえに、これは、いた仕方の無い事か・・・。
NHKの職員が放火。仕事上の悩みや孤独感くらいで放火されちゃあ、たまったもんぢゃねえな。もし、上司のイジメや、NHKの体質自体が原因で苦しんでいたのなら、その上司の家や、NHKの建物を○○すれば良いものを・・・。
とは言え、近所の家ばかり狙ったと言うのは、捕まえてくれと言ってる様なもので、ある種、自殺と言うか、SOSの狼煙みたいなもんだったのかね。だとしても、いやはや近所迷惑な話である。
ところで、しかしあの記者会見は何だろう。報道陣の、あの魔女狩りみたいな態度は。今回の件はどう考えても、あくまでも犯人自身に責任があり、例え、いくら会社のあり方に不満があったとて、あんな事すべきぢゃ無い事くらい、成人ならば認識しているべきである。会社が、退社後の社員の過ごし方や、プライベートな問題の管理までする方がヤバイのではないか。そもそも警察の10時間?の取調べだか何かの後に、更に会社でも追及しなければならないとすれば、警察の役割ってなんなんだ?
ただし、これが例えば、やらせ報道をしたとか、番組制作費を着服しただとか言う、仕事上における犯罪であれば、大問題であるし、NHK自体が責められて当然である。
批判するべきポイントを正しく見極めないと、単に、大衆によるヒステリックなイジメになりかねない。
しかし、どっちなのかね?
仕事上のストレス、すなわち、部下イジメが酷くなったのか、あるいは、苦しさや孤独に耐え切れず、犯罪に走ってしまう精神の弱い人間が増えたのか。
NHKの体質が変わったくらいで、何とかなるものでもあるまい。
先日、徹夜仕事の後、昼過ぎ頃に寝ていたら、同業者(中古レコード屋)より電話。
開口一番、「本田○奈子が死にマシタよ。今ならイケますよ!!」
・・・トノコト。
おいおい!!なんて不謹慎な!!・・・と、まずは思ったが、これ、事実なのだ。
要するに、ずいぶんご無沙汰だった元ファンや、当時のヒット曲を思い出した人が、死んだ途端(話題になっているや)、急に聴きたくなる訳。松原○きが死んだ時もそうだったもんな。酷い奴は、追悼と称してネット・オークションに出品するから大したもんだ。
とは言え、死ぬ前から、当方が出品していた本田美奈子のCDも、早速売れてやんの。
しかしまあ、人が死ぬ度に悲しんでる暇など無いからな。要は、その時に生れる需要に応える事が、私の商売なのである。
どんなに奇麗事を言っても、顧客の欲しがるものを供給出来なければ意味が無いのだ。
もちろん、新しい観点や、異なる価値観を提示する事も忘れてはいけないが・・・。
不景気な昨今、双方バランス良くやらねば、墜落するのみなのである。
三嶋あい(仮名)の歌なんか聴きたくもない。
テレビ・アニメ「タイガーマスク」の終わりの歌を聴きたい。
ほんに、あの歌はサイコーや。
♪あたたかい ひとのなさけも むねをうつ あついなみだも しらないでそだったぼくは みなしごさ つよければ それでいいんだ ちからさえあればいいんだ ひねくれて ほしをにらんだ ぼくなのさ・・・。
「みなしごのバラード」(木谷梨男作詞/菊池俊輔作曲)より
ああ、歌詞を打ち込んでいるだけで、涙が込み上げてきた・・・。
親が居ても、親知らず。
昨日は、風呂に入るために自宅に帰ったのだが、風呂を沸かす間、テレビに“三嶋あい(色々と怖いので仮名)”が出ていた。
しかし何だよ、あの歌は。薄っぺらい内容に、レベルの低すぎる歌唱力。あれのどこが良いのか、全然、まったく、さっぱり解んないよ。
ところで、私は何も、売れてるから駄目だとか言う価値観の下に、文句を言っているんでは無いと言う事を念押ししておく。最近はどうだか知らないが、初期の宇多田ヒカルやUA(ウーア)に対しては、歌心を感ぢた事だしな。
確かに、以前は、オリジナリティと言うものに極度にこだわった価値観を持っていたが、それはオリジナリティを最も重視する人や、その分野において能力を発揮する実力、あるいは自信がある人がそうすれば良いだけの話。それを、すべての人に当てはめる必要は無い。
喩えるならば、手作りのチョコレートでは無くとも、朝から並んで限定販売のチョコを買うなり、必死でバイトしたお金で高いチョコを買ったと言うなら、その趣味嗜好は別として、それはそれで評価に値すべき事柄であるとも思うのだ。(・・・とは言え、限定品や高価な品に価値を見出している訳では無いと言う事は言わずもがなである。)
繰り返しになるが、私は、人間のこころが、より多く、出し得る限り注ぎこまれているものが好きなだけであり、そしてそれは、その人間が、ある一定の目的のために命を削った量によって推し量られるのである。
よって、どうしても、こころの奥底で死を求める者、すなわち、生きたくてたまらないのに、生きるのが苦しくてたまらない人間の創る作品であったり、表現を好きになってしまうのだ。
ゆえに、申し訳無いが、三嶋あいの歌には、感動や共感どころか、精神の無意識下ですら、何の反応も起こし得ないどころか、ふつふつと湧き上がるのは、ただただ怒り、あるいは虚しさのみなのである。
また、その番組では、三嶋が幼少期を過ごしたと言う(育てる親が居ない子供を預かる、孤児院に近い)施設でのライヴの模様も取り上げられ、三嶋の不遇な生い立ちを殊更アピールし、お涙頂戴の過剰な演出によって、更に視聴者の感情を煽ろうとの目論見が丸見えであったが、残念な事に、それらのエピソードをもってしても、私には、何らこころの振動をもたらす事はなかった。
しかし、三嶋の歌は、何故、かように薄味なのか・・・?
これにはいくつかの理由が考えられる。
一つには、施設暮らしをしていながらも、三嶋は充分な愛情(施設の大人や、同ぢ境遇の子供達同士の)を受けており、物質的な不足や、多少の不自由はあれど、こころは満たされていた事が考えられる。これなら話が早い。何らかの表現行為をする者とは、満たされず欠けたままの、あるいは傷つき打ちひしがれた己がこころに空いた穴を埋める事が究極の目的なのであるからして、平穏なこころの持ち主には平坦な表現しか出来なくて当然なのである。
そしてもう一つ。それは、こころが未成熟、すなわち感情を司る神経が未発達である場合。あるいは精神的に、何らかの理由で感情を表に出す事が出来ないか、技術的にそれが上手で無い事等が考えられる。
しかし、やはり最も有力なのは、三嶋が、自ら幼少期に自身のこころを固く閉ざしてしまった、あるいは、外部(他人)からの何らかの要因によって、こころが完全に死んで(殺されて)しまった状態にある場合だ。思い過ごしかも知れないが、三嶋の瞳を見て、私には、何故かその様にも感ぢられたのである。
とは言え、同情こそすれど、三嶋の歌が私のこころに届かないと言う事実には変わりはない。
私は、死人の歌になど興味は無い。私は、生きたくて(死にたくて)たまらない人間の歌にこそ共感を覚える。ただそれだけの事なのである。
そして今日も明日も、地獄の子守歌に、我が耳(こころ)を傾けるのだ。
いつの日か、こころ穏やかに死んで行ける日を夢見て・・・。
とあるきっかけから、ふと、“若さ”と言うものについて思いを巡らせてみた。
知らない事が多いほど、可能性は大きい。何故なら、知れば知るほど、自分の無力さを思い知らされるゆえ。
10代の少年少女に告ぐ。お前らに老後なんて無い!!そんな先の事なんて考えず、今すべき事を最優先せよ!!
・・・なんて、子供にまっとうな道を踏み外させようとするのは、実に楽しい。(←悪趣味)
閃いた!!
<この先は、極めて不謹慎な話題となりマス>
もしも、人を一人殺す度に、年齢がひとつ若返るとしたら?
そんな題材でSF小説を書けば、面白いかな・・・と。なんせ、どんなに正義感が強い人も、若返りのためには人を殺すかも知れず、しかしその逆に、自分も誰かの若返りのための標的になってしまう訳で、殺されないためにやむを得ず相手を殺すと、必要以上に若返ってしまい、若返りすぎると弱いから狙われやすいゆえ、自己防衛のためとは言え、むやみに人を殺せなくなる。また、いかなる状況にあろうとも人を殺さぬ正義感の強い者から順番に年老いて死んで行き、人を多く殺せば殺した者ほど、純真無垢な赤ん坊に近づく訳で、一体どんな世の中になるのか、想像しただけでワクワク・・・はしね~か。しかし、そう考えると、老いた者が若い者を殺して若返るのが良いのか、逆に老いた者を殺して、若い者が生き残るべきなのか・・・。
しかし、結局は、強い者が弱い者を喰らって生きのびると言う意味では、何だか、現実の社会とそんなに違わないね。
とにもかくにも、ベストな作戦としては、やはり20代~30代あたりを常にキープしておくのが得策か。・・・そうか、トナルト(・ダック)、子供は要らなくなるな。自分を若く保つためには、生んでは殺し、生んでは殺しを繰り返せば良いのだから。
いよいよ危険な領域へと思考が踏み込むが、あくまでも妄想デスから。オホホホホ・・・。(誰?)
そうだ!!人を一人殺したら、10歳老けると言うのはどうだろう?
どうだろう?・・・って言われても・・・。
しかし、一瞬で10歳若返るのならば素晴らしいが、一瞬で10歳老ける事を想像したら・・・。
超リアル~!!
いやしかし、あいつは面白いネ。あいつって誰だって?タイトルにある通り、レイザーラモンHGの事よ。
おっと勘違いしちゃ駄目。“ゲイ”では無く、あの“芸”が好きなのだ。
テレビを見る機会がほとんど無い私だが、かなりの頻度で奴を見てしまうのは、HGが売れっ子なため、露出度が高いせいだろう。(露出度フォ~ッ!!)
まず、何が良いかって、あの能天気なネアカ・キャラである。奴は基本的に、他の誰をも傷つけたりしない。そして、自分に向けられたいかなる批判に対しても、ひるんだり落ち込む事など無く、お馬鹿な下ネタで軽くいなしてしまう。
ふざけた奴と言えば、あそこまでふざけた奴は居ないが、余裕しゃくしゃくと言うか、マヌケな事をあまりに自信たっぷりにやるもんだから、油断して、ついつい笑いがこみ上げてしまうのである。
何にせよ、あのキャラを完成させ、お茶の間に定着させた事も素晴らしい(?)が、最も評価されるべき点は、あの軽妙洒脱な受け答えであり、つっこみに対して返す言葉、すなわち“返し技”にある。あれは、よほど実戦を重ねないと習得出来るものでは無い。奴はアマレスをやっていたと言うが、プロレスにおける技の応酬、すなわち、技の切り返しの訓練を積んだがゆえに培われた反射神経が、今の芸に生かされていると言う事は、疑う余地が無い。・・・と思う。・・・たぶん。
ああ、あんな風に、どんなつらい事も気にせず、くよくよしたりする事も無く、ニヤニヤと生きていけたら、どんなに幸せだろう。
いけね!!また暗くなってきちゃった。
気分転換、フォ~ッ!!
やっぱ冬には雪・吹雪がある。
・・・ぢゃなくて。
やっぱ人には向き不向きがあるってコッタ。
不向きジュン(←古い)、フォ~ッ!!
自分で読み返してみて、えらい矛盾に気がついた。(誰か気づいた?)
「何かを伝えたいためにやっているのでは無い」のに、「伝えたい事がハッキリとしている」とは、どう言う事か?
「何かを伝えたいためにやっているのでは無い」と言う事を伝えたいのだ・・・と言う言い方も出来るが、たまには素直に間違いを認めよう。
「やろうとしている事、すなわち目的がハッキリとしている」に訂正イタシマス。
テヘヘ・・・。(^^;)
先日、興味深いバンドに出会った。
園長先生率いる、組織暴力幼稚園。音楽的には、大雑把に言うならば、初期の“筋肉少女帯”や“あぶらだこ”、“ばちかぶり”等を思わせる、シュールさの入り混じったハード・パンクで、私くらいの年齢にもなると、さすがに大絶賛とは言わないが、実に明快なそのサウンドは、彼らが明確なコンセプトを持ち得ている事を表している。
そして、特に、リーダーでありヴォーカリストでもある、園長先生のMCにあった「何かを伝えたいためにやっているのでは無く、ただ自分の憂さ晴らしのためにやっている(記憶が曖昧なので、正確では無いが、その様な事を言っていた)・・・」と言う台詞からも、実に正直な人間性が伺い知れ、観客から「園長!!」と、気軽に呼びつけにされ、もみくちゃにされる姿を見ていると、バカ社長ことクレイジーSKBの様に、この園長先生とやらは、意外と人望を集めるかも知れないぞとも感ぢた。
更に、フライヤーの文章が、また良い。この世界、自分が自分がと、己が人気に執着する輩が多いと言うのに、おそらく彼自身がそうであった様に、こころのもやもやを発表する場が無い人達にも、出来るだけチャンスを与えようとの方針が、そこには記されていた。
表現の内容が解りやすく明快である事には、二通りの理由がある。一つには、その人間が単純である場合。もう一つは、伝えたい事がハッキリとしている事。もちろん、彼らは間違い無く後者である。
本来の私の好みからすれば、苦悩や葛藤をとことんさらけ出すか、あるいはその逆に、それらを無理に抑え付ける様な“やせがまん”的な表現が好きなので、意図的に道化を演ぢる彼らを手放しで誉めはしないが、ただ一点、その言動や誠実な態度には嘘が無いと言う事は、最大限の評価に値するだろう。
何故、嘘が無いと言い切れるのか?
それを説明するのは非常に難しい事だが、この私がそう感ぢたのだから仕方無い・・・と言う言い方では不足だろうか?
何にせよ、今後が楽しみなバンドである。
気分転換に、よそのブログを覗いてみたらば~。こんな話が書いてあった。
とある食堂でバイトしようと思ったが、そこは茶髪禁止らしく、やむを得ずカツラを被って面接を受けたら、「長過ぎるから、髪をもう少し切って来い」トノコトで、無事に合格。少々髪(カツラの毛)を切って、仕事に臨んだ。すると、別のバイトが、カツラからはみ出た地毛(茶髪)に気づき、それが店長の知る所となって、クビを切られたそうな。
これは面白い。非常に面白いエピソードである。
すなわち、この食堂では、髪の毛が黒くなければいけない、イコール、仕事中にお客様に対して髪の毛が黒く見えれば良い・・・のでは無く、外見上、髪の毛が黒く見えても、本当は髪の毛を染めている人間、ひいては、髪の毛を染める様な精神性を持った人間は認められないと言う事である。
まあ、なんとも理不尽な話はないだろうか。
テコトは、普段、会社ではバリバリ働くが、自宅ではだらしない人が居たとして、そのだらしない本性が会社にばれて、クビになる様なものではないか。
とは言え、要するに、そこまで会社(店)に魂を捧げろと言う事なのかも知れない。一見、改心した振りのカツラでは駄目だ、きちんと黒く染めろ(絶対服従しろ)と言う事か・・・。
しかし、見た目で判断されるならともかく、精神面までが審査の対象であるとは、厳しすぎる気もするが、ある種、そこまで徹底しなければ、本当に(会社にとって都合の)良い人材とは言えないのかも知れないな。
今時、髪を染めるのは普通の事で、昔の様に、ドロップ・アウトの象徴では無いとは思うが、では、こう言うパターンはどうだろう?
その店で働く時には、色を落とした地毛の黒髪で働き、一歩外に出たら、逆に茶髪のカツラを被ると言うのは?この場合、その店では雇ってもらえるのだろうか?
親から授かった黒髪を染めてしまう精神に問題があるとするのか、地毛はそのままだが、カツラを用いて茶髪を楽しむ等、要するに色付きの髪を良しとする趣味嗜好に問題があると言う事なのか?
そう考えると、やはり、色付きの髪を好むと言うよりは、規制の枠から外れる事に興味を示す様な精神性自体が問題であると言う事なのであろう。
また、一般的には、茶髪も充分受け入れられる時代になったゆえ、今後は逆に、この様なエピソード自体が貴重になり、その食堂の店長が差別される側にまわる事は必至である。
数が多い方が正しいとは思わないが、数が多い方が正しくなければいけないとは思う、今日この頃。
否、正しい、正しくないと言うよりは、いつの世も、数が多い方が生き残ると言うだけの話であるが・・・。
いつの話だ!!・・・と怒られるのも気にせず、9月のいぬ屋敷の思い出などを。日付等、詳細なデータを知りたければ、各自、検索する様に。
<ぐしゃ人間>は初見である。フロント3人が女性、ドラマーはヘルプの男性、の4人編成。以前、ベーシストのなっとう嬢に音源は頂いていたので、バンドの傾向は解っており、サイトでメンバーの日記にも目を通していたので、期待して臨んだ。しかし、日記から垣間見える彼女らの個性や魅力が、音楽からはあまり伝わって来なかった。終演後、なっとう嬢が近づいてきた。私はとっさに、おためごかしの誉め言葉を言おうとしたのだが、やはり嘘はつけない。ここで嘘をついたら、一生嘘を通す関係になってしまう・・・と思い直し、実に率直に意見を述べる。私が感ぢた事を要約するならば、何を表現したいのかが明確に伝わって来ないのは、コンセプト不在、あるいは、リーダー不在による突き詰め方の曖昧さでは無いか?と言う点である。しかし、コンセプトはあると言うので、これはやはり、表現力の不足であろう。とは言え、まだバンドを始めたばかりの彼女らに、それを求めるのも酷と言うものである。そんな簡単に上手く行けば苦労しないのだ。そのうち、なっとう嬢以外の女子メンバーも集まり、何だか、酔っ払いのオッサンが小姑の様に、女の子をネチネチいぢめているかの様相を呈してきたので、そばに居た狂気ミキサ氏にいちいち相槌を求め、責任を軽減しようとする、ずるいボク・・・みたいな・・・。まだ、バンドをやる事自体が楽しいのだと思うが、彼女らは皆、強烈な個性と魅力を持つ人達なので、それが音楽にリアルに反映される日を期待する次第。
<BACTERIA>は、オルタナ爆音系でしょうか?懐かしい気のする音色デシタ。
<赤>は、ギターとベースの音量バランスが悪かったのが残念。このバンドは、あまり難しい事を考えず、センスの良い楽曲を楽しめれば良し。
<少女人形>は2度目の再結成。ヴォーカルのPepi氏は、やはり欠場。今は何をしているのでしょうか。よって、今回もいぬん堂氏がヴォーカルを努める。しかし、青とブルー氏のギター・ワークは、今時あまり聴かれない(ポジパンちゅうか、当時のUKニュー・ウェイヴ風なのでしょうか?)、立体的かつ視覚的な音像が実にショッキングで、ギョッとさせられるものがある。伴奏としてのギターでは無く、楽曲の持つ意図、歌詞に込められた真意をリアルに表現するための音である。音色もメッセージのひとつであると言う事の見本であろうか。更に、このバンドの最大の魅力は、歌詞であり、ヴォーカルのメロディ・ラインである。そこには、孤独感を訴えるための安易な人間嫌いのポーズなど微塵も無く、自分以外の他の人間すべてを拒絶しきったかの徹底的な孤立感に満ちており、その冷たさには思わずゾッとさせられる。今でこそ様々な種類の表現が存在するが、当時・・・、否、今でも、こう言うのはウケないんだろうな。ファン・サーヴィスのラビッツのカヴァー曲などせず、受けようが受けまいが、少女人形としてのコンセプトを全うした方がカッコ良かったと思うのは、私だけであろうか。
殺害塩化ヴィニール社長率いる、<QP-CRAZY>。実に数年振りに見たが、相変わらず派手にやっている。チェーンソーで客席に割って入ったり、陶器を床や壁にぶつけて割りまくったり。音はデジタル入ったハードコア。パフォーマンスや楽曲の良し悪しは別として、身体を張って、ファンを楽しまようとするプロ根性には敬服である。家具屋に消火器ぶちまけたり、漁船を壊していた少年が、破壊衝動をエンターテイメントに昇華したのであるから、人生色々である。
と、この日も、色々考えたり、考えさせられたエレクトさんであった。
オワリ。
引きこもり生活2ヶ月目、ボクは一ヶ月前に起きた、あの忌わしい出来事を思い出していた・・・。
パパ「ドラへもんく~ん!!」
居間から、パパが大慌てで飛び出してきた。
そう。怒り心頭のボクは、ついにあの憎きドラへもんを、階段から突き落としてしまったのだ。黒煙を上げながら、ピクリとも動かぬドラへもんの前に立ち尽くし、パパが更にこう言った。
パパ「のひ太!!お前は何と言う事をしたんだ!!ドラへもん君はな、お前の・・・。」
ママ「パパ!!それは・・・!!」
パパ「・・・むむ・・・、そうだな。」
のひ太「何?何?ドラへもんがボクの何だって言うのさ!!」
パパ「いや、何でもない。」
のひ太「何でも無いってどう言う事さ!!パパはボクに何か隠してるんだ。」
ボクは、勢い余って、パパを突き飛ばした。すると、パパはもんどりうってひっくり返った。ボクはこの時、パパの意外な弱さに驚くと共に、大いなる失望を感ぢていた。
ママ「パパ!!パパ!!・・・のひちゃん、あなた、パパに何て事するの!!」
のひ太「うるさい!!」
ボクは、ママをも突き飛ばし、2階にある自分の部屋にかけ込んだ。階下からは、ママの泣き声がかすかに聞こえてきた・・・。
その日、ボクら家族に決定的な亀裂が生ぢた事は言うまでもない。パパもママも、その日から、ボクの引きこもりに対して何の批判もする事無く黙認し、ただボクに食事を運ぶためだけの存在となった。
そしてママには、メモを通ぢて、マンガを買いに行かせ、パパの使ってなかったパソコンを部屋に運び込んだボクは、いつまで続くとも知れぬ怠惰な生活に溺れてきっていた。
とは言え、勉強もしなくて良いし、もちろん学校にも行かなくて良い、更には誰かにイジメられる事も無い。何の能力も、取りえさえも無いボクにとっては、これぞまさしくパラダイスだった。
パラダイス・・・。そう、地獄と言う名の・・・。
(つづく)