Mr.エレクトの独り言 2005年11月26日
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

人生はピンボール

知人から譲り受けたパソコンは、なかなかの高性能で、いくつかのゲームがインストゥールされている(←その点が高性能な訳では無い)のだが、とりあえず、私は、ピンボールにハマっている。

これがしかし、深夜の仕事の途中、息抜きと言うか、良い気分転換になっているのだ。

また、何度かやっているうちに段々と腕も上がり、どうやれば高得点を上げる事が出来るか?と言う事も解ってきた。

そもそも、ピンボールの本質とは、攻撃と防御。狙った役物に対し、適切に玉を命中させていく事と、左右及び中央から玉を漏らさぬようガードする事にある。そして、更に付け加えるならば、いくばくかの“運”であろうか。

とは言え、限られたスペース内における運など、たかが知れており、所詮、玉の行末は、玉の転がるスピードと、打撃時の力の入れ具合や接触面の角度等からもたらされるゆえ、上級者ともなれば、最大の危機をも最大のチャンスに転ぢる事も可能であろう。ただし、その場の状況、すなわちゲームの進み具合、エキストラなランプが点灯しているか否かと言うタイミング等、明らかに己が能力のみではいかんともし難い、成否を左右する運命の分岐点と言うものも存在する。

「人生はピンボール」。・・・ああ、今こそ私は、この言葉を噛み締めずにはおれない。

さて、それでは、ピンボールで高得点を上げるにはどうすれば良いか?と言う事を解説しよう。もちろん、玉を打ち返す時のタイミング、すなわち力の入れ具合や角度等、訓練や慣れを必要とする“能力や技術”と言うものも必要不可欠ではあるが、ピンボールと言うゲームの本質的な攻略法と言う意味で言えば、一回で高得点を上げられる派手な役モノを狙うよりは、指示されたミッション(どこそこを打撃せよとゲームから指示が出る)を確実にこなして行く方が、クリアする毎に与えられる報酬(ボーナス得点)がはるかに大きいのである。

派手な攻撃(生き方)を繰り返す前者を「人生はギャンブル」派とするならば、着実かつ堅実な後者は、まさにピンボールの仕組み、すなわち「人生はピンボール」であると言う言葉の本質を理解していると言えようし、現実の人生にも適応し得る能力を有していると言う言い方も出来よう。

テナコトを考えつつ、今日もピンボールに興ぢる私の脳裏に、突然、雷光が閃いた。

そうか!!解ったぞ!!

ピンボールと言うのは、ボーナス的にもたらされる追加の玉を除き、基本的には三つの玉を一個ずつ発射し、それらが枠外に漏れ落ちてしまうまでの三度のゲームの総得点を上げる(ハイスコアを目指す)事が目的なのだが、ゆえに、最初の一個目があまりにも低い得点で終了してしまうと、残された二個で必要以上に頑張らねばならず、それくらいならまだしも、二個目も悲惨な結果で終わると、最後の一個で、通常三個の玉でやっと達するハイスコアを一個の玉で目指さねばならない訳で、私も、気力や体力が充実している時は、生来の負けん気も加わり、「たった一個でどこまで行けるか?」と言う事にも挑戦する気概が沸くと言うものだが、たいていは、「やってらんね~!!無理だっちゅうの!!」と、早々にハイスコアをあきらめ、「とにかくゲームを楽しもう」とか「よっしゃ、派手な役モノばっか狙って潔く散ろう」と思ってしまうのである。

これだ!!

そう。これはそのまま、人生にも当てはまる。肉体及び精神に体力が無い者、あるいはそうで無くとも、「人生は短い」事を痛烈に実感せざるを得ない者は、とてもとてもコツコツと生きる気になどなれないもの。なんせ、玉は一個、すなわち一回きりの人生が人より更に短いのだ。そんな人間にとって、「真面目に生きる」と言う事はどう言う意味を持つのか?それは、「生きているうちに楽しむ」事であり、ピンボールで派手な役モノを狙うかの如く、「必要以上に刺激を追い求める」事であるのだ。

「真面目に生きる」事とは、誰も彼もが同サイズの決められた枠の中に収まる事では無い。個人個人、それぞれが、その人に適した生き方をすれば良いのだ。

人生は棺桶でも、ましてや骨壷などでも無い。

死ねば、どんな人間も、所詮は土に還るのみ。

それとも、墓石の大きさまで競うつもりかい?
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