Mr.エレクトの独り言 2006年02月28日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

ウイルスレーベル作品いろいろ入荷!!

紹介遅れてゴメンナサイ。岐阜の現役中学生、ドクドク社長主宰の自主レーベル“ウイルスレーベル”より、各種作品が入荷しておりマス。

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左上/ラリベラーズ 右上/殺虫テクノ怪奇団 下/オムニバス

①ラリベラーズ「BEST OF RALIVERARS」¥350(CD-R作品/全80曲以上収録)
ラリベラーズとは、ドクドク社長を始めとする、総勢20人以上の中学生メンバーによる即興録音集団である。ところで、先日、自室を捜索していたら、私が高校生の時、放課後にクラスの有志(暇な奴)を集めて録音したテープが出て来た。これは、私が脚本を書いた創作劇や、でたらめなニュース、いんちきなドキュメンタリー等を、リハーサルもせず本番一発撮りで収録したもので、自分もアホだったな~と思うが、参加したあいつらもアホだよな~と、苦笑を禁ぢえない内容であった。ゆえに私は、ラリベラーズにも、その様な、無垢な情熱と表現衝動を感ぢてあまりあるのである。さて、それでは、その収録内容はと言えば、教室やトイレ(!?)で一発録音されたコントや、アカペラによる合唱等、言うなれば悪ふざけのオンパレードで、稚拙と言えば稚拙だし、下らないと言えば下らないのであるが、私はこれを、楽器を持たぬPOP GROUP(←マーク・スチュワートのね)だと評したい。表現行為の始まりにおいて、最も重要なのは、演奏技術よりも純粋なる衝動なのである。(なお、殺虫テクノ怪奇団の演奏も、数曲収録されてマス。)

②殺虫テクノ怪奇団「endanded life」¥200(CD-R作品/全23曲収録)
ドクドク社長率いる岐阜の中学生テクノ集団。ノイズかと思いきや、アンビエント風な音色が意外に心地良い、自宅録音作曲サンプル集の様なストイックな作品。くつろぎの一時に流すBGMとして使用しても違和感が無く、それゆえ、1曲1曲の演奏時間が短い点が、少々残念ではある。

<新入荷>
③ウイルスレーベル・オムニバス「脅えて居る反逆者の異臭(にお)い」¥500(CD-R作品/全29曲収録)
アクマダイコン、殺虫テクノ怪奇団、肉棒兄弟、魔界教室、ラリベラーズ、菅井亮、魔ゼルな規犬、茨城カテキン協会、チコピドー、thee suicide splooges、以上10アーティスト収録のオムニバス盤。まるで酒鬼薔薇聖斗の様な禍々しいイラストやメッセージ満載の紙製袋型ジャケ仕様。ノイズ、打ち込み系、しゃべくり系の他、初期RC風の弾き語りや、オリジナルINUを連想させるバンド等も収録されており、実にバラエティに富んでいる。ここに何かがあるとは言わないが、ここから何かが生まれるのだと思いたい。

以上、当店にて通販も可能。以後も続々入荷予定デス!!(^^)/

いきもののこえ

爆音礼賛の昨今、古いと言われるかも知れないが、現在、新しいものも、いずれは古くなるのであり、いくら古いったって、正倉院や、はぢめ人間の頃に比べれば、全然新しい訳で、只今、プレ・スコーピオンズの「ロンサム・クロウ」を聴きながら、これを書いている訳だが、やはり各メンバーの姿が思い浮かぶと言うか、バンド・サウンドであれば、そこに生き物が居ると言う事を認識出来る様な音が好きなのだと言うだけの話である。

別にロックが聴きたい訳でも無ければ、音楽を聴きたい訳でも無い。

刺激を求めるのは、安心したいからで、不安を増したいからでは無い。

しかし、だるい・・・。慢性的に・・・。

駅前旅館の新作をやっと聴く。これ、非常に良い!!・・・て言うか、好き!!

見たうえで跳べ

能力の偏りこそ、才能。

しかし、能力が偏ると、生きにくい。

とは言え、何故生きにくいのかと問われれば、色々と困る事があるからで、何故困るかと言えば、多くの人間が居る中で暮らしているからである。

動物も虫も、それぞれ特殊な能力を糧に生きている。

何故、人間だけが、あれもこれも出来ないと、人より劣るとされるのか?

何故、人間だけが、“違い”や“差異”を許容出来ないのか。

何故、異なる考え方の持ち主との会話を楽しむ事が出来ないのか。

それが、あまりに聞き飽きた下らない考えであれば別だし、自己の思想との違いや差異を許さず、他人を強制的に、自分と同化(あるいは隷従)させようと言うのであれば、もっての他ではあるが・・・。

そもそも、(自分から見た)他人を認めないと言う事は、(他人から見た他人である)自分を認めないと言う事でもある。

何故なら、この世に、未来永劫不変な絶対的な価値基準など無いのだから。

人は、それぞれ違うから、面白い。

人と人とは違うゆえに、自分の存在にも意味があるのだ。

自分の存在が認められない、あるいは、他人の存在を許せないからと言って、大声で、あるいは力ずくでそれをねぢ伏せた所で、それが何になろう。

それでは単に、強い者が勝つと言う、弱肉強食の論理を振りかざしているに過ぎない。

そして、また、数(多数決)の理論も同様である。

・・・だけど、それで良いのかも知れないな。

こっちはこっち(自分は自分)で、意味のある無しを判断する様に、あっちはあっち(他人、あるいは世間)で、意味のある無しを判断する訳だし。

仮に、私自身が少数派であるとして、もしも私が、自分が少数派である事を悲しく思っているとするのであれば、結局の所、私も多数決の理論に服従しているに過ぎない。

ゆえに、それを認めはするが、それには従わない。

よって、強制的な圧力には、断固、屈したくない。