Mr.エレクトの独り言 2006年03月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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資金繰り

一昨日~昨日の昼まで徹夜を貫徹したが、横になってしまうと、店番の者がやって来る30分前に起きれなくなるので、座ったままで小一時間寝る。

だのに昨日は、本日より始まる月末の支払いラッシュのため、資金繰りをせねばならず、あちこちに電話して営業。

何人かに金を借りようとするも、どこも不景気で、簡単には貸してくれない。

思わず黄色の看板をくぐり、約束(←英語で)と契約を交わしてしまいそうになる。

最終的には、知人であり古くからの常連客の某氏に、翌日一番に店に越させ、レコードを売りつけたあげくに金も借りようとの、あつかましい約束を、何とか取り付ける。

は~・・・。もう親に電話して「オレオレ詐欺」するのは嫌だし・・・って、そんな事してないけど。

そして、夏休みの宿題を最後の一日でやろうとするが如く、本日も徹夜仕事の真っ最中なのでありマシタ~。

あ~あ。今月は定休日を増やして、もっとネット業務に時間を割くべきか・・・。

って、そんな事やってたら、店開けるのが馬鹿らしくなって、だんだん閉店に追い込まれて行くしな~。

今こそ、維持(意地)の見せ所かしら。
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憎しみから生まれた表現

何でも良いが、例えば、「カメレオンは、獲物を捕るために、自分の皮膚の色を変え、気づかれない様に獲物に近づく」・・・と聞いて、

「なんて卑怯な!!ケシカラン!!」とか、

「許せない!!」

・・・などと言う人は居ない訳で(居るかもしれんが)、なのに、何で人間に対しては、あれこれと注文をつけたり、異なる考えの持ち主に対して、怒りの感情が芽ばえるのであろうか。

その人間が、自分に危害を及ぼすならともかく、積極的に関わらなければ良いだけの話ではないか。

とは言え、直接関わらなくとも、この世に存在するものは、無意識のうちに、それぞれがそれぞれに何らかの影響を及ぼし合っているがゆえ、必ずしも、「関わらなければ良いだけ」とも言い難い問題なのではあるが・・・。

ところで、昔の自分を思い起こすと、「駄目な奴は死ねば良い」と、本心から思い込んでいた様な気がする。

今、考えれば、何とも驕った思想であり、「自分を何様だと思っているんだ!!」ってな話であるが、いやはや、変われば変わるものである。

・・・と言うか、「自分の駄目さを棚に上げて、何を言っとるのか」って話でもあるが・・・。

「生きる権利」・・・なんて、もっともらしい言い方をする気は無い。

しかし、どんな駄目な奴でも、間違いなく、「生きたい」と願っているのである。

その気持ちを、一体、どこの誰が踏みにぢる事など出来ようか。

それも、「自分の価値観とは相容れないものは許せない」と言うだけの、一方的な理屈や感情で・・・。

また、強い者であれば、他人を蹴落とすなり、見下す事によって、優越感を得る事も出来ようが、弱者の立場からすれば、親を恨むか、社会を呪うか、他人を嫉むか、あるいは自分を憎む事でしか、自己の存在意義を保つ事が出来なくなってくる。

「憎しみは何も生み出さない」とは言うが、実際、憎しむ事でしか、命をつなぐ事が出来ない人間も居るのだ。

そして、憎しみから生まれた表現を、美しいと感ぢてしまう自分が、ここに居る。

それはおそらく、“憎しみ”の奥底に、その生き物の本能から発っせられる、“生きたい”と言う、“切実なる声”を聞くからであろう。

ロボト クン カラノ メッセージ

ヒサビサ ニ トウジョウデ ガス

マルデ ロボトクン ノ ヨウナ コナスダケノサギョウハ ニガテ デ ガス

ナニカシラ クリエイテブ ナ ヨウソ ガ ナイト イキテル キ ガ セエヘンネンテ

セヤロ?

セヤケンド カネヲ カセグタメ コンヤ モ テツヤ デ ゴンス

ドコマデ モツカ?

ドコマデ モカ?

ドコマデ モ?

ドコマデ?

ドコマ?

ドコ?

オシリペンペンズVSあぶらだこ

では、音楽の話なぞ。

先日の、高円寺クラブライナーに於けるライヴ評。

一番手。バンド名は忘れたが、トリオ編成のバンドで、リーダーであろうギター&ヴォーカリストは、なかなかのテクニシャンであった。具体的に言うなれば、自分の歌声や鳴り響くギターの音色が、実際に、観客にどの様に聴こえているかと言う点を、非常に意識し、それを完全にコントロールしきっていた様に感ぢた。とは言え、歌自体はかわいこぶりっこと言うか、かわいそ(可哀相)ぶりっこな、「弱いボクを見て」的な、キャラ演出過剰な点が、私の好みでは無く、縁の無さを感ぢた事も事実。また、MCにもファニーな小ネタと挟んだりするもんだから、狂信的なあぶらだこファンからブーイングを受けていた。しかし、後半、それまでとは打って変わって、本音のメッセージらしき、硬派チックな歌を披露。察するに、アングラ的な世界が嫌いな様で、ある種、“ロック=生きざま”的な風潮の中で、ドロップ・アウト的ロック志向のリスナーからの迫害に遭いながらも、洗練されたポップス志向を追求し続けた、山下達郎のシュガー・ベイブを思い起こさせた。この様なバンドにとって、当日の企画は不向きであったかも知れない。器用貧乏と言うか、色々出来る能力があるゆえに、欲張り過ぎて、目的を絞りきれていないのだと思うが、もっと堂々とメジャー志向にやれば良いのに、今のままではどっちつかずな中途半端な印象しか受けない。もっとも、ギター・サウンドの音色造りに関しては、かなりのものがあるので、惜しい逸材ではある。

二番手は、オシリペンペンズ。先のバンドとは打って変わって、無意識過剰、否、“超意識”憑依なバンドである。前回観た時は、楽曲が異常にスピード・アップしていたが、今回は、逆にスローな演奏であった気がする。何と言うのだろうか、ペンペンズのライヴと言うのは、こうやればこうなると言った、計算されたものでは無く、モタコ氏をシャーマンに見立てた儀式とでも言うのか、現実認識なり、正常な意識を朦朧とさせる事によって、何かが降りてくるのを待つ、否、モタコ氏の描くイラストにも象徴される、何だかとんでもなくありえへんもの(関西弁?)を呼び出し、非日常的空間を現出させる事を目的にしているかの印象を受ける。よって、あぶらだこ信者の多い、この日に関しては、会場内の空気がイマイチ、適していなかった様にも思われる。彼らの生み出す、非日常的空間、すなわち、“サイケデリックな空気”が現出する瞬間を、また観たい。

トリはメインのあぶらだこ。私自身は、彼らを観るのは超久々である。満員大入りと言う事もあるが、クラブライナーは観客フロアの途中に段差があるため、そこで観客の足が止まってしまい、フロア後方は非常に窮屈であったが、ライヴハウス側からの、「前に詰めて」のアナウンスがある事で、若干救われる。あぶらだこの楽曲は、“変拍子のための変拍子”と言う気がして、私はあまり好みでは無いのだが、ヒロトモ氏の絶叫型ヴォーカルの乗せ方等は、相変わらずの“あぶらだこ節”で、おそらくファンの方々は、必ずしも変拍子が好きな訳では無く、そんな、“あぶらだこらしさ”に惹かれているのだと推測される。いつも観ていないので解らないが、ヒロトモ氏の別ユニット“長谷川静男”的な効果音も導入されていた気もするが、これは気のせいか?何にせよ、長く続けている上に、それでも、“あぶらだこらしい”と思わせる事が出来ると言う事は、それだけのオリジナリティを確立しているのだと言えよう。何故なら、今、思い出してみても、「う~ん、あれは確かに、“あぶらだこ”以外の何者でも無かったよなあ。」・・・としか言い様が無いのであるからして・・・。

(テナトコ)

そういう人

人には、良い部分と悪い部分・・・おっと、いけない。間違えた。

人には、自分にとって都合の良い部分と、自分にとって都合の悪い部分がある。

善良なだけの人間も居ない代わり、悪意のみが充満した人間も居ない。

あまり人と接する機会が無いと、目の前に居る人の考えている事が解らなくなる。

しかし、色々な人を観察していると、それぞれ、共通点や異なる点がある事に気づく。

そうすると、何も、特別な人間など居ず、“そういう人”なのだ・・・と言う事が解って、安心する。

後は、“そういう人”と、どう接するかを、自分で考え、決定すれば良いと言うだけの話だ。

タイトルを教えない良書紹介

近所のブック・オフに寄ったら、単行本500円均一セールをやっていた。

普段は、音楽関係の書籍やCD、あるいは雑誌コーナーしか見ない私であるが、何となく、チラリズムしてみた。

すると、気になるタイトルの本があったので、手にとりパラパラとやったところ、なかなか面白い。・・・と言うか、有り難い。

しかし、その翌日、その本の著者に関する、良くない噂を耳にした。

そして、自分で調べたところ、その疑惑は正しく、やはり、その著者(と言うか、著者名義となっている人物ではなく、真の著者)の、許しがたい行いは、否定しようがないものであった。

本に書かれてある事は、実に素晴らしいのに・・・。

しかし、もしも、その真の著者が、それを罪悪だと言う事を認識した上でやっているとするならば、ある種、それこそが、著者の最大のメッセージであるとも言える。

人間ってのは、ホント、有名人、美談、地位、肩書き・・・等に弱いからな。

子供、年下、その他、自分より能力が劣ると思われる人間が、いくら真理を語ったところで、まるで振り向きゃしないくせに・・・。

よって、私はただ、その本から、自分に必要な情報を取り入れるのみである。だって、私とその著者は、まったく別の境遇にある、別の人格であるのだから。

本のタイトルは?教えない!!

必要とする人間が、自分で見つけなければ、きっと、その真意にはたどり着けないゆえ・・・。

“自”動説

目的が邪悪であれば、そこに用いられる言葉なり思想がすべて邪悪かと言えば、そんな事は無く、例えば、表面的には、清さを持ち合わせている場合もある。

問題なのは、表面的に清いからと言って、その背後にある本心や邪心をも、清いものだと思い込んで、すべてを盲目的に受け入れる事である。

それは、一見、自発的に見えて、実際は、その対象となるものに依存し、思考停止しているに過ぎない。

バナナには皮があり、リンゴには種があり、魚には骨がある。

“食用”と言う観点から見れば、それらは邪魔なものであり、無駄なものであるが、別の観点から見た場合、それらは非常に重要なパーツであろう。

要は、自分にとって、必要なものと、そうでないものとを、区別すれば良いだけの話なのである。

もちろん、良い部分さえをも腐らせてしまう可能性のある要因であれば、早急に取り除く必要があるが。

しかし、何と言うのだろうか・・・。人間における癌細胞と言うものは、人間の健康な身体や精神を蝕むものであるが、その逆に、人間の身体や精神を健全な方向に持っていく、優良な細胞なりウィルスってのは無いものだろうか。

例えば、癒しは、誤魔化しとも言えるが、リフレッシュのための、一時の休息としては有効であろう。

とは言え、生まれた時から“死”に向かう宿命を背負った生き物にとって、休息こそあれど、時間が逆流する事など有り得ないと言うのも、また事実。

それに、その様な疑問は、そもそも、過去何万人もの賢人や、悩める人種が、問い続けた命題であろうから、きっと、それなりの解答なり、解決法も用意されているはずではある。

もしも、強制(矯正)では無く、洗脳でも無く、極自然に、偶然、それを見つける事が出来たなら、それを“幸運”と呼ぶのであろうか。

あるいは、求めれば開かれる扉の如く、叩けよ、されば開かれる・・・のであろうか。

もっとも、やっと見つけたその扉を開いた所で、その先が地獄である可能性も無きにしもあらずである。

とは言うものの、如何なる境遇にあろうとも、しょせん、自分のこころの中の平安こそが最優先事項なのであるからして、結局の所、現状維持であろうが、地獄に放り込まれようが、関係無い事なのかも知れない。

・・・否。それは、現実逃避に過ぎない。

重要なのは、現状を正確に認識する事であり、問題なのは、現状に対し、いちいち嘆き、悲しみ、立ち止まってしまう事なのだ。

動かせる大きさの石ならどかせば良し。それが無理なら、自分がそこから立ち去れば良し。

大事なのは、自分が“動く”と言う事である。

そしてまた、思考(思想)もある種、こころの運動であると言える。

自分が動かずして、他人は動かない。

屁理屈王

理屈とは往々にして、ある種、特定の個人による屁理屈であるとも言える。

しかし、屁理屈も極めれば(鍛えれば)、真理となり得るはず。

真理。それは、いかなる角度、いかなる立場から見ても、不変にして普遍なるもの。

私が、このブログ(あるいは人生)において、目指しているのは、完璧な屁理屈を確立する事である。

言い換えるなら、究極の自己正当化とでも言おうか。

言うなれば、思想(妄想?)で、世界を支配下に置くのだ。

太古の昔から、男の夢は、セーラー服・・・ぢゃねえや、マチゲ~タ!!

太古の昔から、男の夢は、世界征服であると、相場が決まっているのである。

嘘も、つき通せば本当になる。

ゆえに、屁理屈も、突き詰めれば理屈になる。

・・・はず。

ドクターなんとか

移動の合間に倉庫に寄り、テレビを見ていたら・・・。

ミスター・マリックみたいな人が出てた。ただし、その髪型は、まるでマンガの主人公の様であった。

「キテマス、キテマス・・・」の代わりに、

「時空をとらえマシタ!!」と来やがった。

そして最後の決め言葉も、「超魔術デス」では無く、

「コンプリート!!」

デスって。

ウプププ・・・。

返答

先日、最近知り合った著名なライターの方とお会いし、’80年代初頭のパンク~ハードコアについて語りあっていたのだが、たまたま、その喫茶店内の隣の席に、音楽関係のフリー・ペーパーを作成している女性が居合わせ、私達は声をかけられた。

リップクリームを知っていると言うから、「唇に塗る方では?」とふざけた返答をした私ではあったが、それよりも、ヤバイ会話はしていなかったと言う事で、私達は一安心した。

まさに「壁に耳あり」である・・・。

頂いたフリー・ペーパーは、既に116号を数えており、ガーゼの消毒GIGも真っ青な持続力であるが、後程頂いたメールに掲載されていた、過去のライヴ・レビューに、間章(あいだあきら)の名があった。

間章と言えば、超有名な音楽評論家で、私も、その名前くらい知っていたが、数ヶ月前、私は、「間章って、今、何してるの?」と、知人に大真面目な顔をして質問し、大いにあきれられたものである。(間章は、20年以上前に死んでいるのだった。てへへ・・・。)

そんな折、某古書店にて間章の著作2冊を発見。ずいぶん分厚い本なのに、定価3800円の方が500円、5000円の方が600円と、えらく安い。もちろん速攻で購入。時間の空いている時(トイレに入っている時くらいか・・・)に、少しずつ読んでいる。

しかし、間のオッサン、何とも小難しい言い回しをしやがるぜ。・・・とは言え、昔ならば、きっと、意味不明だったろう事も、今ではおぼろげに解る様な気になってみたりもする。

私も、この歳になってやっと、間のオッサン・・・、否、こう言う小難しいオッサンに対して、親しみが湧いて来たって所だろうか。

(私も充分、小難しいのであろうが・・・。)

つまる所、人は誰しも、返事を求める生き物なのだ。

他者からの返答によって、自己の生存、及び形状を確認するために、人は声を発するのである。

ゆえに、おそらくは、常軌を逸したキチガイでさえ、架空の返事を耳にしているのだと想像される。

よって、誰からも返事が無いと言う事は、自己の実存、及び価値を疑うに、余りある仕打ちであると言う事は、否定しえない事実ではある。

ユートピア幻想<改定版>

悪い人も良い人も無い。

人間にとって、ゴキブリやハエが害虫である様に、ある人にとっては善であり益であり正しくとも、別の人間にとっては悪であり害であり間違っていると思える場合もある。

総ぢて人は、自分の立場(損得)で物事の善悪を考えざるを得ず、それを別の立場から、一概に否定する事は非常に難しい。

何故なら、宇宙の歴史の大きな流れから見れば、善なる方向性と言うものが確かにあるのかも知れないが、ひとりの人間、その短い一生を中心に考えれば、必ずしも、それらが一致するとは限らないからである。

ゆえに、ある種、人間は自分の立場で物事を考えるべきなのだとも言える。

そもそも、生きると言う事は、すなわち、限られた時間と空間の中において、生存権を賭け、他者なり自然環境と争い続けると言う事なのだ。

自分や自分の家族に危害を与えるような人間は、駆逐しなければならないし、また、そうするためには、色々な意味での“力”が必要になってくる。

自己中心的である事自体は、決して悪い事では無い。自己の欲求を満たすために、他人を犠牲にする事も、ただそれが、自分以外の他人(すなわち、他人から見た自分でもある。)にとって、迷惑であると言うだけの事に過ぎないのである。

人は、血の繋がった血族や、自分の血を分けた子孫を除き、決して他人の犠牲になってはいけない。

もっとも、血族繁栄を目的とした、新しい血を取り入れるための、異なる血族との生殖行為等、プラスになる要素が多い場合は、その範疇では無いが・・・。

真の改革とは、支配者を殺す事ではなく、支配者の存在を認めてしまうような、我々の被支配者体質を返上する事にある。

誰もが支配者になろうとしなければ、この不公平な世の中は、いつまでたっても変わらない。

「支配者になる」と言うと語弊があるが、要するに、すべての人間が自主独立するべきであると言う意味である。

しかるに、地球はあまりにも狭すぎる・・・。

どう見ても、そこに住む人間が皆、一生を楽しく暮らせるユートピアではあり得ない。

よって、奪い合い、競い合う事は、必然の出来事なのである。

たかが、こんなに短くも、はかない人生とは言えど・・・。

ちょっと一息・・・

実は、最近、ブログを書いても公開しない日が多くなった。

結局、同ぢ様な事を考えている人には、今更、言う必要など無いし、異なる考えを持つ人には、死ぬまで理解されないだろうから・・・。

意味、あるのかな?ないのかな?

それでも人は、共感を求め・・・否、自己を肯定して欲しいがために、表現活動を繰り返す。

しかし、人間って生き物は、共感にせよ反感によ、肯定するにせよ否定するにせよ、どこまで、“自分以外の他人”って奴を必要とすれば気が済むのだろうか。

誰が何と言おうが、自分が今ここに“生きている”と言う事実は、自分にしか解りえないものなのではないのだろうか?

何故に、そうまでして、“自分を位置(意味)づける”必要があるのか?

そんな不毛な行為をしてしまう事自体が、そもそも、人間が“生きる”事において、そこに“意義”などと言う、たいそうな“意味合い”なんて、ハナから存在しないと言う事実を証明しているのかも知れないな・・・。

パンクの定義?

諸事情により、パンクの定義と言うものについて、考え直してみた。

現在思考中・・・。

そのうち、発表するかも・・・。

インディーズの精神

長年の研究成果を発表するブログを密かに開始!?

「誰かやってくんないかな~。」

「誰もやんね~な~。」

「仕方無い!!自分でやるか。」

それが、インディーズ(自主独立)の精神・・・テコッタ。

仕事に追われる日々

昨日も今日も明日もあさってもしあさってもその次も仕事。

冤罪

最近、ちょっと冤罪について調べている。

しかし、実際に人を殺してしまった、自己中心的な欲望や、自己本位な怒りの衝動を抑えられない、理性の弱い(壊れた)憎むべき人間よりも、被害者の遺族でも無いくせに、刑期を終えて出てきた殺人犯を、(実際にはしないだろうが)ヒステリーの如く、集団でなぶり殺しにする(社会的に抹殺、あるいは自殺に追い込もうとする)様な人間達の方が、数倍醜く感ぢられるのは、私も、やはり狂っているからなのだろうか・・・?

人を殺しても死刑にならなかった人間の事が、そんなに妬ましいか!!

「許せなければ殺しても良い」のであれば、利己的な殺人犯と、何ら変わりがないではないか・・・。

考えさせられた・・・

ううむ・・・。

あまりにも膨大な数の情報に頭が麻痺して、疑う事どころか、考える事を放棄してたと、猛反省。

恐ろしい・・・。

次から次へと嘘が流され、目の前が、耳の奥が、頭の中が、嘘で埋め尽くされれば、嘘もホントになってしまうのだな・・・。

Mr.エレクトの「禁言集」②

押せば鳴る、押さねば鳴らぬ、インターホン。

イメチェン日記

先日、たまたま、移動の空き時間にテレビのチャンネルをひねって見たらば~。(ひねらねえか、今時・・・。)

「恋ノチカラ」と言うドラマの再放送をやっていた。

深津絵里って、なんか良いね~。

(実は芸能人に関して、超ミーハーな私なのデス・・・。)

「あ~の~素~敵な癌細胞~育~て~よ~」(by駅前旅館)と言うフレーズが、幾度も頭の中を駆け巡ってやまぬ今日この頃・・・。

いえいえいえいえ、イメチェン日記、いざ出陣!!(←某ブログのパクリ)

Mr.エレクトの「禁言集」①

金持ち、ケンカせず。

貧乏、ケンカ出来ず。
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