Mr.エレクトの独り言 2006年03月20日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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屁理屈王

理屈とは往々にして、ある種、特定の個人による屁理屈であるとも言える。

しかし、屁理屈も極めれば(鍛えれば)、真理となり得るはず。

真理。それは、いかなる角度、いかなる立場から見ても、不変にして普遍なるもの。

私が、このブログ(あるいは人生)において、目指しているのは、完璧な屁理屈を確立する事である。

言い換えるなら、究極の自己正当化とでも言おうか。

言うなれば、思想(妄想?)で、世界を支配下に置くのだ。

太古の昔から、男の夢は、セーラー服・・・ぢゃねえや、マチゲ~タ!!

太古の昔から、男の夢は、世界征服であると、相場が決まっているのである。

嘘も、つき通せば本当になる。

ゆえに、屁理屈も、突き詰めれば理屈になる。

・・・はず。
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ドクターなんとか

移動の合間に倉庫に寄り、テレビを見ていたら・・・。

ミスター・マリックみたいな人が出てた。ただし、その髪型は、まるでマンガの主人公の様であった。

「キテマス、キテマス・・・」の代わりに、

「時空をとらえマシタ!!」と来やがった。

そして最後の決め言葉も、「超魔術デス」では無く、

「コンプリート!!」

デスって。

ウプププ・・・。

返答

先日、最近知り合った著名なライターの方とお会いし、’80年代初頭のパンク~ハードコアについて語りあっていたのだが、たまたま、その喫茶店内の隣の席に、音楽関係のフリー・ペーパーを作成している女性が居合わせ、私達は声をかけられた。

リップクリームを知っていると言うから、「唇に塗る方では?」とふざけた返答をした私ではあったが、それよりも、ヤバイ会話はしていなかったと言う事で、私達は一安心した。

まさに「壁に耳あり」である・・・。

頂いたフリー・ペーパーは、既に116号を数えており、ガーゼの消毒GIGも真っ青な持続力であるが、後程頂いたメールに掲載されていた、過去のライヴ・レビューに、間章(あいだあきら)の名があった。

間章と言えば、超有名な音楽評論家で、私も、その名前くらい知っていたが、数ヶ月前、私は、「間章って、今、何してるの?」と、知人に大真面目な顔をして質問し、大いにあきれられたものである。(間章は、20年以上前に死んでいるのだった。てへへ・・・。)

そんな折、某古書店にて間章の著作2冊を発見。ずいぶん分厚い本なのに、定価3800円の方が500円、5000円の方が600円と、えらく安い。もちろん速攻で購入。時間の空いている時(トイレに入っている時くらいか・・・)に、少しずつ読んでいる。

しかし、間のオッサン、何とも小難しい言い回しをしやがるぜ。・・・とは言え、昔ならば、きっと、意味不明だったろう事も、今ではおぼろげに解る様な気になってみたりもする。

私も、この歳になってやっと、間のオッサン・・・、否、こう言う小難しいオッサンに対して、親しみが湧いて来たって所だろうか。

(私も充分、小難しいのであろうが・・・。)

つまる所、人は誰しも、返事を求める生き物なのだ。

他者からの返答によって、自己の生存、及び形状を確認するために、人は声を発するのである。

ゆえに、おそらくは、常軌を逸したキチガイでさえ、架空の返事を耳にしているのだと想像される。

よって、誰からも返事が無いと言う事は、自己の実存、及び価値を疑うに、余りある仕打ちであると言う事は、否定しえない事実ではある。

ユートピア幻想<改定版>

悪い人も良い人も無い。

人間にとって、ゴキブリやハエが害虫である様に、ある人にとっては善であり益であり正しくとも、別の人間にとっては悪であり害であり間違っていると思える場合もある。

総ぢて人は、自分の立場(損得)で物事の善悪を考えざるを得ず、それを別の立場から、一概に否定する事は非常に難しい。

何故なら、宇宙の歴史の大きな流れから見れば、善なる方向性と言うものが確かにあるのかも知れないが、ひとりの人間、その短い一生を中心に考えれば、必ずしも、それらが一致するとは限らないからである。

ゆえに、ある種、人間は自分の立場で物事を考えるべきなのだとも言える。

そもそも、生きると言う事は、すなわち、限られた時間と空間の中において、生存権を賭け、他者なり自然環境と争い続けると言う事なのだ。

自分や自分の家族に危害を与えるような人間は、駆逐しなければならないし、また、そうするためには、色々な意味での“力”が必要になってくる。

自己中心的である事自体は、決して悪い事では無い。自己の欲求を満たすために、他人を犠牲にする事も、ただそれが、自分以外の他人(すなわち、他人から見た自分でもある。)にとって、迷惑であると言うだけの事に過ぎないのである。

人は、血の繋がった血族や、自分の血を分けた子孫を除き、決して他人の犠牲になってはいけない。

もっとも、血族繁栄を目的とした、新しい血を取り入れるための、異なる血族との生殖行為等、プラスになる要素が多い場合は、その範疇では無いが・・・。

真の改革とは、支配者を殺す事ではなく、支配者の存在を認めてしまうような、我々の被支配者体質を返上する事にある。

誰もが支配者になろうとしなければ、この不公平な世の中は、いつまでたっても変わらない。

「支配者になる」と言うと語弊があるが、要するに、すべての人間が自主独立するべきであると言う意味である。

しかるに、地球はあまりにも狭すぎる・・・。

どう見ても、そこに住む人間が皆、一生を楽しく暮らせるユートピアではあり得ない。

よって、奪い合い、競い合う事は、必然の出来事なのである。

たかが、こんなに短くも、はかない人生とは言えど・・・。
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