理屈とは往々にして、ある種、特定の個人による屁理屈であるとも言える。
しかし、屁理屈も極めれば(鍛えれば)、真理となり得るはず。
真理。それは、いかなる角度、いかなる立場から見ても、不変にして普遍なるもの。
私が、このブログ(あるいは人生)において、目指しているのは、完璧な屁理屈を確立する事である。
言い換えるなら、究極の自己正当化とでも言おうか。
言うなれば、思想(妄想?)で、世界を支配下に置くのだ。
太古の昔から、男の夢は、セーラー服・・・ぢゃねえや、マチゲ~タ!!
太古の昔から、男の夢は、世界征服であると、相場が決まっているのである。
嘘も、つき通せば本当になる。
ゆえに、屁理屈も、突き詰めれば理屈になる。
・・・はず。
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先日、最近知り合った著名なライターの方とお会いし、’80年代初頭のパンク~ハードコアについて語りあっていたのだが、たまたま、その喫茶店内の隣の席に、音楽関係のフリー・ペーパーを作成している女性が居合わせ、私達は声をかけられた。
リップクリームを知っていると言うから、「唇に塗る方では?」とふざけた返答をした私ではあったが、それよりも、ヤバイ会話はしていなかったと言う事で、私達は一安心した。
まさに「壁に耳あり」である・・・。
頂いたフリー・ペーパーは、既に116号を数えており、ガーゼの消毒GIGも真っ青な持続力であるが、後程頂いたメールに掲載されていた、過去のライヴ・レビューに、間章(あいだあきら)の名があった。
間章と言えば、超有名な音楽評論家で、私も、その名前くらい知っていたが、数ヶ月前、私は、「間章って、今、何してるの?」と、知人に大真面目な顔をして質問し、大いにあきれられたものである。(間章は、20年以上前に死んでいるのだった。てへへ・・・。)
そんな折、某古書店にて間章の著作2冊を発見。ずいぶん分厚い本なのに、定価3800円の方が500円、5000円の方が600円と、えらく安い。もちろん速攻で購入。時間の空いている時(トイレに入っている時くらいか・・・)に、少しずつ読んでいる。
しかし、間のオッサン、何とも小難しい言い回しをしやがるぜ。・・・とは言え、昔ならば、きっと、意味不明だったろう事も、今ではおぼろげに解る様な気になってみたりもする。
私も、この歳になってやっと、間のオッサン・・・、否、こう言う小難しいオッサンに対して、親しみが湧いて来たって所だろうか。
(私も充分、小難しいのであろうが・・・。)
つまる所、人は誰しも、返事を求める生き物なのだ。
他者からの返答によって、自己の生存、及び形状を確認するために、人は声を発するのである。
ゆえに、おそらくは、常軌を逸したキチガイでさえ、架空の返事を耳にしているのだと想像される。
よって、誰からも返事が無いと言う事は、自己の実存、及び価値を疑うに、余りある仕打ちであると言う事は、否定しえない事実ではある。