俺の名は、鈴木一郎。平凡な名前だな~って?違う違う。鈴・木一郎、つまり、スズが苗字でキイチロウが名前。あだ名はキチロー。とは言え、実態は極々平凡な小学3年生。
ところでさ~。昨日、俺のクラスに、とっても変な奴が、転入してきたんだ。なんと、そいつは、自己紹介の時、「宇宙から来た」なんて言うんだぜ。信ぢらんないっしょ?そんなんアリ~?・・・みたいな。
<昨日の教室にて・・・>
担任の先生「今日は、クラスの皆に、新しい友達を紹介しマス。皆サン、仲良くしてあげて下サイね。」
転校生「ウフフ・・・。皆の衆、コンニチワ。ボク、天王星(テンノウセイ)からやって来た、天王星のオウジ、天王陛下(テンオウヘイカ)。皆の衆と比べ、身分の違いは桁外れなれど、親しみをもって、ヘ~カくんって呼ぶのを、諸君らには特別に許可イタシマ~ス。」
教室内はざわめいた・・・。
何それ?何様?
先生「え~と、それぢゃあ、鈴くんの隣が空いてたな。天王くんの席はそこにしましょう。」
ええ~、超ヤバイっつうの。冗談ぢゃねえよな~。
それが、俺、キチローと、ヘ~カくんとが繰り広げる、奇想天外な物語の幕開きであった。
・・・かもネ。実際、良く解んね~。
(つづく)
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くそ~!!あいつら、ぶっ殺してやる~!!
・・・てな気分。
と言いつつ、別に誰かを特定して言っている訳でも無く、俺を殺す“何か”、俺を死に至らしめる外的要因に対して、呪いの言葉を吐いてみただけの事である。
友川かずきの、「肉声」と言うアルバムに入っている、「おじっちゃ」の冒頭、「いなほ2号・・・」って部分と、「無残の美」と言うアルバムに収録されている、「一つのメルヘン」の冒頭、「秋の夜(よ)は・・・」。いずれも、本当は、この冒頭部分だけで充分なのだ。他はオマケであり、歌として音楽として成立させるための装飾に過ぎない。
“そこ”だけあれば良い。“それ”さえあれば、俺は生きていけるのだ・・・。
4月21日、高円寺無力無善寺にて、元センチメンタル出刃包丁のベーシスト、“ヤミに有頂天T”氏率いる、“断絶間”がデビュー・ライヴを行った。
ちなみに、出刃ではベース担当だったヤミに氏にとっては、今回、本来のパートであるギタリストとしての初ライヴでもあった。
メンバーの平均年齢21歳。・・・と聞くと、無意味に殺意を覚える今日この頃・・・。あっ!!でも、メンバーの半分は女性なので、若ければ若いほどオッケーか。(←別方面から殺意を抱かれそう・・・)
今回のライヴは、PAの問題で、ヴォーカリストの上野氏の声が全く聴き取れなかった点が残念であるが、G-ZETヴァージョンと言う事で、楽曲や演奏についてのみ論ぢてみたい。
・・・ただし、行った事のある方ならご存知だと思うが、無力無善寺と言うのは、10坪程度の店なので、ある種、広めのスタジオでバンドのリハーサル風景を見学する様なものであり、ゆえに、ドラムが生音なのはもちろん、ギター・アンプから出る音も、演奏者が自分で加工した理想の音色をダイレクトに聴かせる事が出来、その点は非常に有利であると言う事を、最初に踏まえておく必要がある。
さて、まずはヤミに氏のギターであるが、この音色が素晴らしく良い。・・・と言うか、私好みである。このヒステリックでギャンギャンした、高圧電流を放電するかの様な音は、初期エクスキュート、あるいは、ストゥージズの「RAW POWER」を彷彿とさせるものである。
そして、元々、村八分のコピー・バンドでベースを弾いていたと言う、(ゴメン。まだ名前覚えてない・・・)うら若き女性ベーシストによる、暗闇を這いずる大蛇の様な、低温(低音)かつ、うねりのある、10代にしては、実にマセたベース・プレイ。更に、(やはり名前を覚えていない・・・ゴメン。)凛々しい女性ドラマーの、実にシンプルかつタイト、スコンスコンとメリハリの効いたスネアの音が印象的な、ガレージ・パンキッシュなドラム。
想像出来るだろうか?各パート毎に、これだけオイシイ素材(音)を組み合わせたら、いかなる結果が生まれるか?
・・・とは言え、それも楽曲やアレンジ次第である。いくら材料がよろしくとも、それらを上手にまとめる味付けをしない事には、高級な具材が工夫も無く、ただゴツゴツと混入されただけの、不味い料理となってしまう。
しかし、断絶間。まだまだ荒削りなれど、アンサンブル構築力はなかなかのものであった。また、しょっぱなや合間に、スローな曲を挟むなどの余裕も見せつけ、そして、それらは微妙にサイケデリックな感触も含んでおり、若い彼らの“断絶間”ならぬ“耳年増”ぶりを窺わせるものがあった。
そして、ADKレコードに代表される“日本のハード・パンク”然とした楽曲群においても、外連味(けれんみ)の無いドラムのビートに、思わず身体を揺すりそうになる所へ、微妙に変拍子やブレイク等のギミックを挟み込み、まるで、気をもたせといて、急に素知らぬ顔をする、恋愛における“駆け引き”の如きフックが随所に仕掛けられ、何とも巧妙、言い方を変えるなら、実に“ひねくれ”た視点を感ぢさせてくれ、好感(共感)が持てた。“あざとく”ならない程度に、この路線は追求してもらいたいものである。
何にせよ、後からシーンに登場する者としての“仁義(他人と同ぢ事をやってもしょうがない)”を、少なからずわきまえていると言う点を、最大限に評価したい。
最後に。今回はヴォーカルが聴こえず、音色に関しても、狭い小屋での利点を生かせたと言う事で、完全なコンディションでの判定では無いが、逆に、普通のライヴハウスできちんと観てみたいと言う気持ちを抱かせられたと言う点においては、彼らの今後の活動にも、非常に期待が持てた。それゆえ、デビューに際するお披露目ライヴとしては、まずまず成功であったと言って良いのではないだろうか。
ん?もしや、それも計算のうちか?
しかし、何かと劣等感を抱かせる仕組みになってる国だな、ここは。
「克服しなければいけない」と、感ぢさせる何か。
何のために?
誰のために?
優越感を得るため?
人間としての尊厳を取り戻すため?
4月9日、高円寺2000ボルトにて、組織暴力幼稚園企画「紅白裏合戦」を見物。
一番手のマンコスは、ビアガーデンで盛り上がるタイプのバンドで、私的には、あまり好みではありマセンでした。ゴメリンコ・・・。
二番手、センチメンタル出刃包丁。ベーシストのヤミに有頂天T氏が脱退(~現在、“断絶間”を結成。)したものの、すぐに、女性ベーシストである“不純”嬢が加入。・・・しかし、女性でありながら、この、強烈なRAW POWERむき出しのバンドに参加しようとは、何とも無謀な行為であるが、ゆえにこそ、そのチャレンジャー精神は大いに評価すべきであろう。さて、今回、新メンバーによる何度目かのライヴであるが、ヴォーカルこそ今いち聴き取りづらかったものの、出音のバランスも非常に良く、実に息の合った演奏であったと思う。もっとも、紺野自慰SX氏の作る、ヒトの衝動中枢をダイレクトかつ短絡的に直撃する、まるでスタンガンの様な楽曲に衝き動かされるかの如く、抑圧された性的欲求を爆発させ、客席を転げまわるヴォーカルのAF陽介氏は、言わば、ライヴハウスと言う“特別な空間”において、“混沌”を“興奮”に転化するために、観客に差し出される“生贄”の様な存在であり、そもそも、セン出刃におけるヴォーカリストの立場とは、狂気を体現するための凶器とも呼べる“飛び道具”的なものゆえ、声や歌詞が聴き取れない事など、今の段階では、さほどの問題では無く、バンドとしてまとまって来たと言う事の方が、重要なのだ。また、ドラマーのクスコヘッド菊池氏の、“ライヴ中に、新しいドラムのフレーズを開発しようとしているのでは?”とさえ思える、自己の衝動を最優先するかの直情的なドラムの叩きっぷりは、相変わらず素晴らしく、その自由奔放さは、観ていて非常に気持ちが良いものであった。この日は、過去に、このバンドのライヴを観た中でも、ベストに挙げられる出来であり、不安定だったメンバーも固まった今、今後の活動にも大いに期待したい。ライヴハウス、あるいは音楽に、非日常的な興奮や、衝動むき出しの表現を求める方には、間違い無くオススメのバンドである。
(つづく)
<ライヴ告知>
断絶間 4月21日(金)無力無善寺(デビュー・ライヴ)
センチメンタル出刃包丁 5月12日(金)新宿URGA
明日発売?の「フロムA」にて、当店が紹介されてマス。青鬼が表紙デス。小さな記事デスが、巻頭カラーの新宿特集ページに掲載されてマス。
★岐阜の中学生・ドクドク社長主宰「ウイルスレーベル」よりの新作2点。
★中学生棺桶の新作DVD-R「無所属娘の経験」、及び、当店で売り切れてた前作も入荷。
★組織暴力幼稚園のDVD-R。
★ぐしゃ人間のフル・アルバムCD-R。
詳細は近日お知らせイタシマス!!(^^)/
<近日リリース>
★センチメンタル出刃包丁のヒストリーDVD-R、只今製作中。
ふと気づくと、毎日毎日、仕事仕事である。
365日間仕事。
おかしい・・・。
生きるために必要なお金を稼ぐために仕事をしているのに、いつの間にやら、お金を稼ぐ事や、仕事をする事自体が、生きる事に取って代わっている・・・。
もちろん、お金を稼ぐ事や、仕事以外の事もするが、ある意味、お金を稼ぐための行為以外の事、すなわち趣味や遊びにせよ、それをやらねば生きていけないと言う意味では、ある種の仕事の様なもの。
更に、寝るのも仕事・・・とも言える。
24時間仕事。
要するに、休みが無いのだな。
これが、生きると言う事か?
それが、生きると言う事か?
あっ、そうか!!
“生きる事”が仕事なのか。
とは言え、生きる事が仕事にせよ、休みってのは無いのか?
休む時は死ぬ時か?
横たわり、眠りにつく前、私は自分のこころに素直になれる。
死ぬ時も、きっとそうなのだろう。
「果たして、これで良かったのだろうか?」
それが人の一生なのか?
これが私の人生なのか?
縁側で夕涼みをしながら、遠くで聞こえる子供達の遊ぶ声に耳を傾け、冷やし素麺を、よく冷えたビールと共に胃袋へと流し込む。そんな一時は来ないのだろうか。
あるいは、南国の小島で、カクテル・グラスを片手に、沈みゆく夕陽をぼんやりと眺め、もの思いに耽る。そんな風に、ゆっくり時を過ごす日々など、決して来ないのであろうか・・・。
どっちも興味無いけどね。
言わぬが鼻。
愚痴は災いの元。
恥ずかしながら・・・。
昨日も一昨日も、疲れてバタンQしてしまったでゲス・・・。
今日も、途中で横になり、2時間くらい寝てしまったが、奇跡的に目を覚まし、なんとか順調に作業中でありマス。
睡魔とは、意識を腐らせる水の様なもの。
沁み込み、溶け出し、崩れ落ちる・・・。
相変わらずの金欠ゆえ、本日も徹夜で出品作業をするでゴンス。
ところで、まさか勘違いしている人も居ないと思うが、私は別に、お金そのものが欲しい訳では無く、やりたい事をやるための“力”と“時間”が欲しいだけなのだ。ただそれが、この地球では、“お金”によって換算されていると言うだけの話なのである。
よって、何にもしないのに、金を貯めている人間が居るとするなら、それこそが罪である。今すぐ、何かをしたいと思っている人間に譲り渡しなさい。
さて、それでは本題。
貴方は信ぢては・・・否、信ぢさせられてはいないだろうか?
「いくらお金を持っていても幸せにはなれない」・・・と。
確かに、いくらお金を持っていても、幸せになれるとは限らない。しかし、お金をたくさん持っていれば、なれる幸せの種類、バリエーションが、一気に増える事は確かなのである。
何故なら・・・。
私達は、金が無い故に、選ばざるを得ず、
金が無い故に、あきらめざるを得ず、
金が無い故に、手放さざるを得ず、
金が無い故に、失う事を余儀なくさせられるのである。
また実際、金を持っている者、すなわち、自由に金を使える者は、よ~く知っているのだ。
金があるからこそ得られる喜び、
金があるからこそ味わえる悦楽、
金があるからこそ成就する願望、
金があるからこそ叶う夢・・・を。
ゆえに、誰よりもお金のありがたさを知っているのは、我々庶民では無く、実は金持ちの方なのである。
繰り返し言う、「いくら、お金を持っていても幸せになれない」と言うのは、金持ちの流した“風説”である。
何故ならば、金が無くても楽しむ方法はいくらでもあるが、この世には、金があれば出来る事(金が無ければ出来ない事)も数多くあるのだから・・・。
我慢すると言う事と、服従すると言う事とでは、意味が全く違うのだ。