Mr.エレクトの独り言 2006年06月
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

自由に関する考察

自由を求める者は、時に道を見誤る。

私が望む自由とは、他人を自由に操ったり、動かしたりする、“支配者としての自由”、すなわち“権威”や“権力”の事を指すのではない。

自由を行使するにおいて、ある程度の権威や権力は必要だが、それが、人を盲目的に隷従させるものである場合、速やかに手放すか、離れる必要がある。

あるいは、元来、“自由とは奪いあうものである”とするならば、誰もが自由に生きられる世界など、存在し得ないと言う事だろう。

自分の自由が、他人の自由を奪う事によって成り立っている場合、それは、とても自由などと呼べるものではなく、強奪品、あるいは戦利品とでも呼ぶべきである。

・・・と言う考え方自体が、自由ではないとも言えるし、逆に言えば、それほどに自由への道のりは遠いとも言える。

一生に使い切れない程の、必要以上の自由。それを独り占めにしている、一部の人間。

つくづく、人間の社会とは、野蛮な弱肉強食の世界である事よ・・・。

人間讃歌

「自分に由るもの」の続きみたいなもの・・・。

とは言え、立場の上下、身分の上下等、階級や優劣をつけたがるのが、人間と言う生き物の習性か。

それも、支配者のみに、都合の良いルールによって。

やさしい人が偉いとか、人助けをした人が偉いとか、文化の発展に尽くした人が偉いとか、スポーツで人を楽しませた人が偉いとかではなく・・・

それよりも、財産と権力を持った人間の方が偉い・・・と言うルール。

ホントかよ!?地球の資源を独り占めする様な人間の、どこが偉い?

一人の人間の贅沢が、多くの人間を見殺しにすると言う、この現実。

・・・否。

それで良いのだ。

それが、人間。

それでこそ、人間。

フフフフフ・・・。

人間万歳!!

武○久美子

私は、デビュー当時の武○久美子のファンではあったが、その後のヌード写真集展開には興味無く、一冊とて買った事が無い。・・・と言うか、パラパラとさえ見ていない。せいぜい、週刊プレイボーイ等のグラビアで、たまたま目にしたぐらいであろうか・・・。

それは良いとして、最近、近所のBOOK OFFにて、100円本コーナーをチェックするのが日課なのだが、今日、武○久美子の「く○この掟」と言う本を買ってみた。もちろん、読破する時間など無いので、写真や文章をパラパラと見る事しか出来ないとは思うのだが、まあ100円(正確には105円)だしね。

つうか、もう、パラパラ読んだだけで、「好き」・・・だ。

帯には、「美しき、女のダンディズム」と書いてある。

そうなのだ。武○久美子は、“美しい”し、実に、“男らしい”。

女性に対して、“男らしい”と言うのも変だが、そもそも、“男らしい”と言う言葉自体が、非常にナンセンスなものなのであるからして、これは仕方の無い事である。

“男らしく”とは、“男は強くあれ”と言う意味で、“女らしく”とは、“女は慎ましくあれ”と言う意味であり、何故にわざわざ目指す必要があるのかと言えば、本来、男は弱いものであり、女は逞しいものであるからに他ならない。

ダンディズム=美学。

しかし、それは男だけの専売特許では無い。

男と言うものは、威張りたい生き物だから、それを見越して女は自分を弱くみせようとするのだろうが、そのどちらも、私は嫌いなのだ。

女には女の美学があり、オカマにはオカマの美学があり、人には人それぞれの美学があって良い。

美学とは、世間様や、誰かに押し付けられた価値観に隷従する事なんかではなく、自己の持つ価値観に殉ぢようとする、“心意気”の様なものを指すのではなかろうか。

“強さ”ではなく、“強くあろうとする事”。“美しさ”ではなく、“美しくあろうとする事”。そして更に、“自分らしくあろうとする事”。それこそが美学と言うものであり、そう言う姿勢にこそ、私は、“男らしさ”と言うものを感ぢるのである。

否。先にも述べたが、美学とは、男だけに許されているものでは無い。

しかし、私は、現時点で、“男らしい”にとって代わる形容詞を思いつく事が出来ずにいる。

ゆえに、今は、こう言うしか無いのだ。

「武○久美子は、男らしい」・・・と。

そして、生き方に美学のある人は、「カッコイイ」。

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自分に由るもの

自分もたまにしてしまう時があるのだが、私は、優越感を持つのも、持たれるのも嫌いである。

何故に、他人を介在しなければ、自分の存在を確認、あるいは肯定出来ないのか?

私は、他人との比較から、独立したいし、自立したい。

ただし、自立とは、“孤”立ではなく、“個”立であり、“固”立である。

私は常に、自由でありたいし、個人でありたいし、固有でありたいと思う。

しかし、仮に、自分の自由な行為が、他人の自由を奪うものである場合、それは“自分に由るもの”ではなく、“他人に由るもの”なのであるからして、そんな自分本意な身勝手な行為を、とても自由とは呼べまい。

本当の自由とは、自分の所有物や能力のみに由るものであるべきであり、他人の所有物を奪う事や、そうする事の出来る能力の度合いを指すのではない。

人は皆、自由になるべきである。

自分の自由が他人の自由を束縛する事なく、個人個人が自由を尊重しあい、個人個人の自由が共存出来る世界。

それは絵空事でしかないのだろうか・・・。

男らしくとか、女らしくとか、人間らしくとか、うるさいよ。

“自分らしさ”を求めずして、他に、生きている意味などあるものか。

一体、誰のために、“○○らしく”する必要があると言うのか。

心臓をナイフで一突きにすれば簡単に死んでしまう様な人間と言う生き物が持つちっぽけな優越感の大きさなんて、たかが知れている。

Mr.エレクトの「禁言集」⑥

私は 変人(変な人or変わった人)などでは無い

私は 偏人(偏っている人)なのである

Mr.エレクトの「禁言集」⑤

「夢」と言う字は、「糞」に似ている。

(あれ?覚えてないけど、もしかして、どっかで読んだネタかも?だったらゴメン。)

短気な神

よく、「神様が本当に居れば、戦争で人が死ぬ事もなくなる」などと言い、「だからこそ、神など居ない」・・・と言う説があるが、冗談ぢゃない。

私が神なら、イラクもアメリカも、「お前らうざい!!」と、どっちも海に沈めてしまうだろう。

そして、3ヶ月もすれば、地球は海だけの惑星になってしまうものと思われる。

アハハ~!!

「変人の変人による変人のための演奏会~其の二~」

6月3日@池袋手刀「変人の変人による変人のための演奏会~其の二~」

“死神”氏主催の企画ライヴに行って参りマシタ。

1番手のギャル・バンは、誠に申し訳無いのデスが、私の好みではありマセンでした。女性に限らず、男性のバンドでもそうなのデスが、ステージ上で、メンバーが必要以上に仲良さそうな“ほんわかふんわり平和的ムード”を醸し出していると、どうしても興醒めしてしまうのデス・・・。あと、“ぶりっ子(死語?)”と言いマスか、自分をかわいく見せようとする事自体は全然構わないのデスが、本当は強いくせに、わざと“弱く”見せると言うか、異性に媚びると言うのか、そう言うの、ホント、悪いけど苦手なのデス。ゴメンナサイ・・・。だって、私の好きな女性アーティストは、“森田童子”に“梶芽衣子”に“カムズ”に“PLASMATICS”に“あざらし”なのデスから、察しておくんなまし。

2番手のバンドは、ステージに上がるや、「本日で解散!!」とのMCをしたかと思うと、走って店を出て行きマシタ。滅多に観れないものを観せてもらったけど、その後の空き時間が退屈過ぎたので、これまでの活動を編集したビデオを流すとか、もう少し労力もかけてもらいたかったかな。何もしないってのは、非常に楽なものなので・・・。

3番手は、“ぐしゃ人間”。この日はすごく良かったデス。非常(非情)に、鬼気迫る演奏で、特にラスト3曲(つっても4~5曲しか演らなかった?)は、先日発売されたアルバムで楽曲を予習済であったと言う事もあるけど、私好みのシリアスな曲を、息つく間もなく畳み掛ける様に連発してくれて、非常にツボでした。何と言うのか、おそらく、この日は、MC等の“不純物”の少なさゆえに、真剣味が損なわれる事無く伝わって来たのであろうと思われマス。ぐしゃ人間は、多面的な魅力を持っていると思うので、観る度にイメージが違うって事も充分有り得マスが、あくまでも個人的な希望としては、今回の様な、徹底度と言うか、本気度の高いライヴ、また観たいものデス。また、先頃発売されたアルバムの方も、バラエティに富んだ楽曲を、細やかなアレンジによって、飽きさせる事無く聴かせてくれる、とても良い作品デスので、マジでオススメでありマス。

4番手は、本ライヴ企画の主催者でもある、“死神”。死神氏の、ステージを降りた時の異常なロー・テンションぶりには肩透かしをくらうが、ステージ上での彼は、実に生き生きとしている。その演目内容を簡単に説明するならば、強烈なまでの愛国心を、音、言葉、肉体、他によって表現すると言った所であろうか。また、死神を観に来る人は、舞台上で繰り広げられる主義主張に共感している訳では無いと思われるが、同氏の、表現の自由や、変人に対する認識等に関する、その頑固なまでの信念や思想に賛同しているものと推測される。要するに、“死神好き”=“変人好き”と言う事であろうか。単なる、お笑い芸人なのか、あるいは、危険思想を持ったパフォーマーなのか、未だ謎の多い男。それが、死神である。

5番手のプラハ・デパート。申し訳無いのデスが、訳あって観てないので、またいずれ、機会があれば・・・。

6番手、組織暴力幼稚園。先日、詳しく書いたので、今回は割愛するが、初めて観た頃に比べ、ライヴ中の“間の悪さ”が減ったのと、音的にも、ずいぶん、ハードになって来た様に思われる。

ぐしゃ人間「ぐしゃのうた」アルバム(CD-R)。死神「変人兵ノ一人部隊」(DVD-R)←画像の品。組織暴力幼稚園「破壊と高円寺」DVD-R。いずれも、ライヴ会場及び各アーティストWEBサイト、当店、他にて販売中。

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予定

明日、6日の火曜日は、夕方頃、早仕舞いイタシマス。

今後の執筆予定。

①マリア観音ライヴ/新作CD-R/G-Modern誌

②手ノ内嫁蔵3rd「さんくちゅありぃ」

③死神企画

④他

禁未来小説「ドラへもん」その32「シャイアンの欺瞞」の巻

やあ!!ボク、のひ太。今回は、スネトのブログ「蛇の穴」より、シャイアン(ブログでの表記:ヂャンボ)について書かれている部分を抜粋してみたよ。でも、気を付けて!!かなりお下品だから、お上品な方は、今回は読み飛ばした方が良いかもネ・・・。


「シャーク団において、ヂャンボがやっている事は、偽善と欺瞞でいっぱいなんだ。初めは、ボクやダメオを暴力で服従させたくせに、いつの間にやら愛や平和だ民主主義だ共存共栄だと、きれい事ばっか並べ立ててさ。しまいには、団員の結束ならぬケツ束を固める事が目的だなんて屁理屈こねて、ボクらのケツを性欲の処理に酷使した挙句、愛とは与え合うものであるがゆえに、快楽は共有すべきであり、それゆえ、俺(ヂャンボ)のケツもまた、お前らの所有物なんだから、いつでもウェルカム・オッケーだぜ・・・なんて。冗談言うない!!誰がヂャンボの、否、男のケツ掘って楽しいものか!!それにさ。ボクの持ってる玩具や漫画は取り上げるくせに、ヂャンボと来たら貧乏だから、そもそも、あいつの持ち物の中に欲しいものなんて何も無いんだよ。そのくせ、俺(ヂャンボ)の笑顔も未来も、みんなお前らの物、シャーク団の財産だ。俺は、お前ら団員の喜ぶ顔を見るのだけが生きがいなんだ・・・なんて、ふざけるのもいい加減にしろ!!・・・だ。ああ、早く何とかダメオのヤツを連れ戻さなきゃあ、このままぢゃ、ボクは廃人にされちゃうよ・・・。」


キ~!!スネトったら、この期に及んで、まだボクを利用しようと考えているなんて!!シャイアンは無理でも、このスネトだけは、何とか懲らしめてやりたい~!!

「そうだ!!」・・・と、その瞬間、ボクは面白いゲームを思いついた。

ウフフ。ウフフフフフ・・・。ウフフフフフフフフフフフフ・・・・。アハハハハハハハハハハハハ!!

スネトめ~!!今に見てろよ!!ボクを、この、のひ太ならぬダメオ様をなめるなよ~!!

どうせ、この世は地獄なんだ!!だったら、地獄で生き抜くためには、鬼にならなきゃね。鬼に!!

(つづく)

★ああ、泥沼のヒキコモリ地獄の中、のひ太は、悪魔にこころを売り渡してしまうのか?のひ太に未来は、そして、救われる日は来るのであろうか・・・。

今から徹夜・・・出来るかな?

今日も、結局、家には帰らず、仕事。

だるいな~もう!!

何時間持つかな?

横になりたい・・・。

ここ数日、色々な事があり過ぎたが、タイミングを逸しなければ、ここに書く事となるでしょう。

只今、訳あって、「幻の湖」のサントラを聴いておりマス。

超洗脳小説「勝手に世直し ヘ~カくん」⑤「不思議な転校生」の巻

地球にやって来て間もないのに、なんで箸の使い方を知っているのか?俺は、その疑問を、ヘ~カくんにストレートにぶつけてみた。すると・・・。

ヘ~カくん「箸の使い方は、パパ上に教わったでござる。ママ上からは、ナイフとフォークの使い方も教わってマス。天王星に居た時は、地球に比べて、料理の種類も少なかったデスが、食事のマナーに関しては、厳しく躾をされマシタでござる。」

キチロー「ええ!?お前の星には、箸だけぢゃなく、ナイフやフォークまであるのか?まるで地球そっくりぢゃねえか!?」

ヘ~カくん「ハイ!!厳密に言うなれば、ボクの両親は、元々地球に住んでいた人なのでござる。」

キチロー「はぁ~!?ドユコト?ソレ?」

俺は訳が解らなくなって、頭の中が混乱してしまった。ヘ~カくんの両親は地球人?地球人が天王星に住んでるなんて話、いっぺんも聞いた事ねえよ!!

しかし、ヘ~カくんは、「その先は絶対に言えない」「いつかお話しする日が来るのを待っていて欲しい」と、それ以上の質問には、頑として答えようとはしなかった。

まったく、意外と頑固な奴だぜ。一体、何をたくらんでやがるのか・・・?だが、俺は、この、謎多き宇宙人、ヘ~カくんに対する興味が膨らんでいく自分に対し、とまどいを感ぢつつも、これから起こり得るであろう刺激的な日々を思うと、興奮を隠しきれなかった。

フフフ・・・。俺も、小学生の分際で、地球には飽き飽きして退屈してた所だ。こりゃ、面白い事になりそうだぜ。

(つづく)

Mr.エレクトの「禁言集」④

止めてくれるな 落下傘

紅白裏合戦~④「肉奴隷」「謹成祝花(ちかなりしゅくか)solo」

ホント、いつの話だ!!って事で、遅いルポはいつもの事でありマスのでお許しを・・・。

順序が逆デスが、トリの「謹成祝花(ちかなりしゅくか)solo」は、女性の舞踏家サン。最近は、ロックが中心のライヴハウスにも、舞踏家等の進出が著しいが、世の中には様々な表現方法があるので、あくまでも“無理”せず、色々な表現形式と出会う機会を増やせると言う意味では、これは歓迎すべき事であろう。また、舞踏はロックと異なり、観客の反応がどうであろうが、自分のやりたい事、すなわち、目的に対するストイックさを必要とし、観客もまた、他人に惑わされず、自己と向き合う事を余儀なくされるがゆえ、独自の審美眼を養うには、非常に良い訓練になるのではないだろうか。

そして、その前に出演したのが、「肉奴隷」。これは、男性ひとりのノイズ・パフォーマンス・ユニットで、申し訳無い事に、私は酔っ払ってグロッキー状態で、演奏の方はあまり集中して観ていなかったのだが、アメリカに対する批判等のナレーションか何かから始まり、ヴォイス+反復するノイズによるコラージュ・サウンドっぽかったと思う・・・。しかし、ラストにハプニング?が起きた。実は、4番手の、本ライヴ企画者である組織暴力幼稚園の演奏が終了すると、観客の一部はフロアから退出してしまっており、肉奴隷の演奏が終わる頃には、客数は若干まばらとなってしまっていたのだが、演奏終了直後、「肉奴隷」氏は、自分の着ている服に火をつけ、フロアに割って入り、床を転がったり、PAスペース保護の防壁に身体をぶつけて火を消すと言う、“焼身自殺”パフォーマンスをやらかしたのだ。それだけなら良いが、またその直後、楽屋から飛び出して来て、店内後方奥の流し場で、“水浴び”パフォーマンスを始める始末。よほど熱かった、と言うか、かなりの火傷をしたとみえて、その後、病院に運び込まれた模様。断っておくが、私は何も、このショッキングな行為を賞賛するつもりも無ければ、その逆に、笑いものにしようと言う訳でも無いのであるが、何と言うのだろう、この“焼身自殺”パフォーマンスは、当然の事ながら、元より計画していた出し物である事には違いないのだが、観客の数や反応次第では、「とりやめにする」事も出来た訳で、しかし、「やり遂げなければ」、この日の演目が成立しないと言う、表現者自身の強い自己完結欲求と言うか、その追い詰められた精神状態に、私は、「いたたまれない」気持ちにさせられたのであった。

ゆえに、表現方法や、その内容、私の趣味嗜好は抜きにして、「肉奴隷」氏の、時に自傷行為も辞さない、表現行為に向かう、その思いつめた心情を目の当たりにし、なんともやるせない感情を抱いたがゆえ、私は、この日の事を、ブログに書き遺しておこうと思った次第なのである。

(報告オワリ)

新田たつお著「チェン爺」

店にあるPCでは、CD-Rのコピーが出来ないので、さっき、近所のネット喫茶に行って来マシタ。

以前、高円寺でも店をやっていた時は、古本も扱っていたので、たまたま入荷した、新田たつお著「静かなるドン」を35巻くらいまで読んで、ハマッてしまい、その続きを、ネット喫茶に行く度にコツコツ読んでいたのデスが、前回、最新刊(現在も続巻中)まで読み終えてしまい、さて、Rを焼いてる間、何を読もうか?って事になったので、やはり、新田たつおによる「チェン爺」と言うのを手に取りマシタ。

「チェン爺」は、全3巻。ストーリーに関しては、読めば解る事なので、あえて説明イタシマセン。主題となるメッセージは、ありきたりと言えば、ありきたりなのデスが、それを荒唐無稽なシチュエイションにからめて、深刻になり過ぎない様に描くと言う、「静かなるドン」でも使われている手法が用いられ、非常に読みやすい作品となっておりマス。

漫画と言う表現方法のジャンルは、時に軽視されがちデスが、何と言うのでしょうか。いくら素晴らしいメッセージでも、やはり、それが伝わらなければ意味が無いし、その逆に、伝えたい事が何もないのに、外見だけ取り繕っても、やはり無意味だと感ぢマス。小説であれ漫画であれ音楽であれ、本当に伝えたい事は何であるのか?と言う事が、本来は重要なのに、小説である事、漫画である事、音楽である事、要するに表面的な形式ばかりを優先されても、私にとっては、何の意味もありマセン。私は、小説を読みたい訳でも無ければ、漫画を見たい訳でも、音楽を聴きたい訳でも無いのデスから・・・。

更に、もっと言えば、本当に欲しいものが得られるのであれば、言葉も、洋服も、名前も、未来さえも要らないのデス。

そう言う意味では、小説も漫画も音楽も、“それ”を、悪く言えば、もっともらしい形に、良く言えば、伝えやすい形式に当てはめただけに過ぎない・・・とも言えマス。

・・・とまあ、暗い話になってしまいマシタが、一瞬の刺激や快楽さえも与えてくれない表現が多過ぎるとは言え、他人が自由に行う表現に対し、そこまで求めるのも、こちらの自分本意な要求であり、そんなに言うのなら、「自分でやれば良い」と言う結論に達するのが常なのデス。

「チェン爺」。SFまがいのストーリーは別として、ラストの結末には、作者の理想と言うか、願いが込められており、現実には絶対に有り得ない展開であるとは思いマスが、その部分こそが、新田たつおが最も伝えたい事であり、切望している事であるのかも知れマセン。

何故なら、現実を描き写すだけであれば、何も、新田たつおで無くとも良い訳デスから・・・。

まっ、気が向いたら、読んでみても良いのではないでしょうか?・・・とも思うし、実はどうでも良いデス。この文章は、ただ、自分が読んで、「面白かったヨ」と言う報告に過ぎマセン。

もっと言えば、「ボクって、こう言うストーリーに感動する様なピュアな精神の持ち主なんだよ」・・・て言う、自己アピールにしか過ぎないのデス。

・・・と、自分をクールに分析して、卑下してみせる所が、更にいやらしかったりなんかして・・・。

(きりが無いから、この辺りで思考停止・・・。)

しかし、歪む人間がこれほど多い世の中ってのは、とても、幸せな世の中とは言い難いデスな・・・。

凶暴財

共謀罪、今国会で成立?

・・・て、んなアホな!!

共謀罪なんて、ふざけた法案をひねり出し、通そうとしている奴らこそ、共謀罪だ!!

<最新情報>
今回は、断念したってさ。残念だったね。
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