Mr.エレクトの独り言 2006年06月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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THE END

俺の負け
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他の死味

正しいタノシミ

間違ったタノシミ

基準があるのか

ないのか

こうすればタノシイはずだと

教わった

それでもタノシクなければ

足りないのだ

タノシクなるまでやるのだ

本当に

タノシクなるまで

死刑の是非

・・・について思考中。

結果“市場”主義

要するに、結果に対して、初めて報酬なり賞賛が与えられると言うシステムに対する、反発。

より良い商品を作り出す事によって、得をするのは、ご主人様。

もちろん、優れた結果を出すためには、それだけの時間や労力がつぎ込まれていると言う事も、事実。

しかし、スタート地点の差。これを考慮に入れずして、結果のみで判断する事に対する、疑問。

持って生まれた才能ならばともかく、それにせよ、片腕しか無い者は、五体満足な者には、容易に敵わぬと言う、現実。

とは言え、人それぞれ、求めるものは違う訳で、より多くの人を喜ばせる事が出来る“商品”に成り得るかどうか?と言う点が、商売の基本理念であるならば、この私の考えは、邪道。

だが、表現と言うものは、人それぞれ違い、何に対して共感するかと言う事も、人それぞれに異なって、当然。

エリートや金持ちの80パーセントより、障害者や持たざる者の90パーセントを、私は高く評価すると言うだけの、話。

ただし、障害者や持たざる者が70パーセントの努力しかしないのであれば、逆。

財産より情熱、能力より努力、技術より気持ち、すなわち、結果より経過を優先させたいと考える、言うなれば、経過至上主義。

・・・と、こんな事ばかり言ってるから、私は、いつまで経っても、負け組なのだ。

・・・て、誰に?

結果至上主義ならぬ、結果“市場”主義に屈したならば、ともかく。

そんなものに誉められても、嬉しくも何とも無い。

資産の量や、才能の有無に関わらず、私は、反発心の無いものが嫌いなだけなのだ。

100億円の絵があるとして、それは、その絵を100億出しても欲しい人間と、そいつらに売りつけて金を得たい人間にとって意味があるだけで、自分のこころに感動をもたらさないのであれば、私にとっては、何の意味も価値も無い。

・・・て、無人島に住んでるつもりか!!

・・・俺は。

いい加減、負けを認めろよ。

Mr.エレクトの「禁言集」⑦

エコより、エゴ。

郊外の公害は校外へ口外してはいけない。

ラルク・アン・江口。

「音楽業界改革論」⑤

インディーズ・ブームだ、バンド・ブームだと色々あり、誰もが音楽を演り、ステージに立つ事が容易となった現代は、幸せな時代なのかも知れない。しかし、本来の意味での“音楽の繁栄”とは、ミュージシャン同士が、“音楽的に”切磋琢磨して行ける状態であり、そうする事によって、全体のレベルが上がって行く事こそが、演る側にとっても、リスナーにとっても、本当の意味でプラスになるはずなのである。

また、観客の総数は増えないのに、ライヴハウスも出演者も飽和状態の現在。お金を出しさえすれば、誰でもステージに立てるし、逆に言えば、金が無ければ音楽活動を続けられなくなる。ゆえに、ミュージシャンは、音楽以外の仕事に時間を割くか、あるいは、自分が本当にやりたい事や、楽曲や演奏の質を向上させる事よりも、客をより多く集めるため、流行の音楽を追いかけたり、営業活動にやっきになり、そうする事こそが、出世の早道となっているのだ。

こんな、本質と外れた努力ばかりを必要とするシーンで、ミュージシャンが、自分にとって本当に納得の行くものを作り出そうとする事が、容易では無い事は、想像に難くないであろう。

とは言え、確かに、過去や現在流行しているものをなぞっているだけの、どうでも良い音楽は多いし、いい加減なバンドが、どんどん淘汰されて行くのは、一向に差し支えないのだが、真に創造的な活動をしているアーティストまでが、“集金力”の無さゆえに、活動停止を余儀なくされるのは、非常に面白くない現実である。

何と言うのだろうか。もっと、本質的な部分での競争と言うか、質の向上が、音楽活動の継続や拡大に、ダイレクトに結びつく様な世の中と言うか、“集金力”以外に価値を見出す環境が、音楽を取り巻くシステムに無ければ、こんな状況は、いつまでも続くだろう。

もちろん、ミュージシャン自身が、努力を怠ってはいけない。が、しかし、何か新しいものを創るとか、独自の価値観を提示しようとする、未だ資本主義の神様に見初められていない表現者にとって、音楽活動と集金活動を両立せよと言うのは、酷な話である。

そして、お客様。すなわち、受動的な消費者体質の傍観者には、何を言っても無駄であるし、自分のお金で何を買おうが、それはそれで自由なのであるが、何と言うのか、自分で探す楽しみ(それを“努力”とは言わないが)ってやつが、もっとあっても良いのではなかろうか。多額の宣伝費を投ぢたものや、知名度の高いもの、多くの人が好んでいるとされる流行のものばかりに行列を作りやがって・・・。

そう考えると、そもそも、この悪循環を生み出しているのは、大手レコード会社やライヴハウスに代表される、表現者と観客とを結ぶ役割を“生業”とする者達であると言う事が、自ずと理解出来るだろう。諸悪の根元は、ミュージシャンやリスナーよりも、むしろ、ここにある。

(つづく)

「音楽業界改革論」④

ライヴハウスが増える事によって、音楽を演る人間にとっては、人前で演奏する機会こそ増えたが、実際には、肝心の客が居ないと言う事実が、現在、非常に深刻な問題である。

もちろん、ある一定のレベルを越えて売れているバンドは、固定客が居たり、客が客を呼び、それなりに成り立つのであろうが、大抵は、出演者の身内や、知り合いのバンドが互いのライヴを行き来しているだけで、ある種、ノルマを負担しあって共存していると言うのが現実であろう。

しかし、これを出演者の努力不足であると決め付けるのは、早計である。また、確かに、ライヴハウスに足が遠のく様な、酷いバンドが多いと言う事実にも、それなりの理由がある。

何故なら、ライヴハウスにとっては、ノルマ制を強いる事により、出演者からお金を徴収しさえすれば経営が成り立つ訳で、日々、誰かしら出演させていれば、店に客が誰一人も来なくても、商売が成り立ってしまうゆえ、客を呼べる良いバンドを本気で探そうとか、特定のバンドを優遇して育てて行くよりも、とにかく、毎日ブッキングを埋める事の方が賢明だって訳だ。

なんせ、出演者、すなわち人前で演奏したがる人間は、それこそ山ほどいる時代だからな。店側にとっちゃあ、観に来る人では無く、出演者こそお客様なのであって、音楽の内容や演奏の質はもちろん、しまいには観客動員力さえ不問となっても、何ら不思議ではないのである。

事実、ライヴハウスが少なかった頃は、出演させるバンドの審査基準も、動員力の有無に限らず、演奏自体の質や内容に関しても厳しかったろうし、それゆえ出演者のレベルも、おのずと高かったはずだ。だけど流石に、これだけライヴハウスや、それに準ずる店が増えちゃあ、そろそろ、淘汰されて潰れる店も出てくるのではないだろうか。

トナルト、この先どうなるかを予想するならば、せいぜい、お客様(出演者)が気分良く演奏出来る環境やサウンド・システムは当然、更には、友達や彼女を呼べるおしゃれで小奇麗なお店に、出演者の人気が集中するだろう。

そうなれば、ますますもって、資本力のある店ばかりが幅を利かせ、音楽そのものよりも、商売を優先する、“金持ちの貯金箱”ばかりが蔓延る事となり、売れないミュージシャンは、ライヴハウスに出演するため、人前で演奏したいがために、ますます本来の音楽活動、すなわち練習したり作詞作曲する時間を削り、アルバイトや労働に時間を費やさねばならず、夢はおろか、“可能性”すら、いつまで経っても、資本家どもに搾取され続けるのみなのである。

もう、いい加減にしやがれ!!

客が入らない事を、ライヴハウスだけの責任にするつもりは無いが、せめて、出演者とリスクを折半してみれば良い。良いバンドを抱えたり、引っ張って来れないのは、間違いなくライヴハウス側の責任でもあるのだから。また、それを明確にするためにも、出演者もライヴハウスを“選ぶ”必要があり、観客も、ミュージシャンのみならず、ライヴハウスの経営ポリシーさえも判断基準として、自分が聴くものや観る場所を、“選ぶ”べきなのだ。

・・・って、無理か。“観客”はいつだって、傍観者であり、ただただ受動的に、聴きたいものを聴くだけだし、観たいものを観に行くだけだからな。

だけど、出演者側も、もう少し考えた方が良いぜ。

・・・って、これも無理か。音楽が好きで、人前で演奏したい気持ちってのも、良く解る。練習スタジオでのリハーサル代に始まり、ライヴハウスへの出演料まで、いくら搾取されたって、やっぱライヴは演りたいだろうしな・・・。

結局、音楽に、観客動員数、すなわち集金力以外の価値を認めるリスナーが増えない限り、・・・否、言い直そう。主体性の無い人間には、何を言っても無駄である。世の中を動かしているのは、“金”であり、“力”であり、目的はどうあれ、“主体性”ってやつなのだ。・・・よって、給料を受け取る立場の人間よりも、金を動かす立場の人間の思考や志向こそが重要であり、そんな、金儲け以外のものに価値を見出す“資本家”や“金持ち”が増えない限り、この悪循環は断ち切れっこない。

とは言ったものの・・・。

あ~あ。金持ち、感動せず。貧乏、ケンカ出来ずだからな・・・。

(つづく)


以下は余談・・・。

日本の金持ちは、ビル・ゲイツに寄付したって言う、海外の株の投資家を見習って欲しいね。持論が、「子どもは(大富豪としての)親の地位を受け継ぐべきではない。親の資産を当てにせず、自ら努力すべきだ」とかで、株の購入にしても、値段が上がりそうな株を投資目的で買うんぢゃなく、本当に良い仕事をしていると思える会社に出資(要するに支援)する感覚なんだってね。

金のなる木に水をやるのか、美しい花を咲かせるであろう植物に水をやるのか。

真の豊かさとは何ぞや?

・・・テシカ ネカ カレダ

解ろうとする事

“解る”事は、素晴らしい。

“解らない”でいる領域よりは、先に進んでいるから。

しかし、今現在“解っている”事が、いつまで通用するのだろうか。

“知っている”のが“地動説”では、どうしようもない。

ところで、ブック・オフにて、ふと思ったのだが、巷で売られている古本に載っている情報が、古いだけならまだしも、後に出版を差し止められた危険なダイエット法であったり、電気製品の間違った修理法など、要するに、新刊本としては販売を差し控えるべき、現在では改定すべき誤りが発覚している様な内容である場合、それを古本として販売する事に、何ら規制もお咎めも無いと言うのは、ある意味、怖いと言うかマズイ様な気がしなくもないが、如何なものか?あのふざけたPSE法ではないが、ある種、書籍にも賞味期限と言うものが無いと、大げさに言えば毒入りのお菓子を並べている様なものだし、出版社としても、ブック・オフで古本を105円で買った人間にまで、何らかの責任が生ぢるのでは、やってられないのではないだろうか。それとも、出版社には責任は無く、そこはやはり、消費者が自分で自分の身を守るべきなのであろうか・・・。

・・・と、話がそれたが。

しょせん、使えない知識など無意味であり、情報のメンテナンスと言うか、見直しや追加をしていかないと、単なる記録にしかならないのではなかろうか。

もちろん、記録と言うものも、過去の失敗を未来に生かす上で、非常に役立つ情報ではあるが・・・。

確かに、“解る”人は偉い。現時点では・・・。

しかし、“解る”がゆえに“考えない”のでは、意味が無い。

とは言え、“解らない”上に“考えない”人よりは、なんぼかマシであるが・・・。

要は、“解る”事より、“解ろうとする”事。物事を解決するため、的確な判断を下すために、“考える”事こそが、最も重要なのである。

たかがひとりのちっぽけな人間に、世の中の、他人の何が解る?

世の中は常に変化しているし、“他人が考える事”は“自分の考える事”とは異なるのだ。

“解らない”事は、何も恥ずかしい事では無い。

むしろ、“解ろうとしない”事こそ、最も恥ずべき行為なのだ。

自分を“解ってくれる”人は、とても有り難い。

そして、それ以上に、自分を“解ろうと”してくれる人の存在は、何物にも代えがたい。

知識や能力だけで人を判断するのは、とても悲しい事である。

窮屈ゆえ憂鬱

例の、トイレ&倉庫スペース工事のため、しばらく店を休むかも・・・。

その間、ネット・オークション業務に力を入れられるし。

ただし、営業時間を限定し、自主制作新品委託コーナーのみ、いつでも買える様にしようかな・・・と。

ネット・オークションは金のため。

自主制作商品販売は、自主独立を目指す音楽家支援のため。

この機会に、店内改装しちゃおうかな?

もう、狭くてしょうがないからね~。(^^;)

BGM:THE STOOGES「FUN HOUSE」

このアルバムさえ、物足りなく感ぢてしまう、今日この頃・・・。

ああ、でも。やっぱイイ!!

広島パンク~ハードコアの歴史⑪

さて、年明けて1983年。既に、UKハードコアや、日本のハードコア・パンクのハシリであるチフスやガーゼの音も聴いてはいたが、筆者にとって、何と言っても衝撃的であったのは、ライヴ・オムニバスLP「OUTSIDER BOOTLEG」でのカムズであり、おそらく’83年初頭に手にした、エクスキュートの1stソノシートであった。実は、DOLLの記事を読んだ当初は抵抗を感ぢた、日本のハードコア・パンクではあったが、実際の音を聴いてショックを受けた後となっては、もはや、ザ・スターリンは過去のものとなり、少々大げさに言うならば、この先数年は、ハードコア・パンク以外の音楽は聴けないと言った状態にさえ陥るのである。

1月は、ギターのナカガワの受験勉強のため、バンド活動はお休み。

そして、2月13日。「広島ロッカーズ」なる団体による「広島ROCKERS 1stバレンタインGIG」と題された自主企画ライヴを、ディスコ2001と言う、店内の壁が全面鏡張りとなっているディスコへと観に出かけた。日曜日の昼間、料金はドリンク込み800円。当時のフライヤーには、「ディスコにつき、ゲタバキ、サンダル、ジャージ、リーゼントの方、入場お断り」とある。他は解るとして、リーゼントも駄目・・・と言うか、つっぱり(今で言うヤンキー)不可と言う事か。そして、出演は、QUESTの「無名人コンサート」等で知り合った、ザ・ルーディーズ、ラグタイム、チルドレン・シティ・ロッカーズら、同学年のバンドの他、ストリッパーと言う、少し年上のバンド、そしてウォーリアーと言うバンド(記憶無し。ハード・ロックか?)であった。また、おそらく、この日のライヴが、広島初のパンク系自主企画ライヴであったはずだ。それまでは、フォークやヘビメタ等混在の、音楽的に統一感の無いライヴはいくつも行われていたが、ライヴハウス以外での開催である事と言い、フライヤーのデザインにも“極楽注射”なるクレジットがある等、当時の広島に於いて、これはかなり画期的なイベントであった。しかし、各バンドの演奏内容については、筆者は全く記憶に無いのであった(テヘヘ・・・ゴメン)。ただし、出演バンドの殆どがオリジナル曲を演奏していたと言う事実は、明らかに、筆者らに刺激を与えるものであったと推測される。事実、その2週間後にQUESTにて行われる「無名人コンサート」に出演するに当たり、筆者らは、今度こそ真面目にオリジナル曲を作り、もうコピーはやらないと決めたのである。そして、たった2週間で、初期のカムズ・タイプの完全にハードコア・パンクと呼べる曲を2曲、シンプルかつストレートなハード・パンク的な曲、フリクションの様な痙攣リズムのひねくれた曲、スターリンの「溺愛」の様なスローな曲等、時に煮詰まりながらも、新曲を計7曲完成させた。歌詞は厭世的なものが多く、今思えば、午前四時の影響大であった。しかしながら、曲調が割と幅広い所以は、スターリンやハードコア以外にも、フリクションやミラーズを始め、当時の自主制作盤各種の多くを、分け隔てなく耳にしていたせいであろうか。

そして、2月27日「無名人コンサート」@QUEST。

この日の共演は、確か、ザ・ルーディーズと、チルドレン・シティ・ロッカーズであった。ザ・ルーディーズは、元カリスマのヴォーカリストによるザ・モッズ・タイプのバンドであり、ザ・クラッシュ・フォロワー系にありがちな、真面目っぽさや説教臭さがあり、筆者は苦手であった。チルドレン~は、額のやけに広い短髪の痩せたヴォーカリストが印象的で、アナーキーっぽいサウンドだったのだと思う。また、初めて全曲オリジナルで臨んだ筆者のバンドは、共演の彼らにも好評であったが、特に、いつもは雰黙で、筆者にとっても、少々物分りの良い喫茶店兼ライヴハウスの経営者程度にしか印象のなかったQUESTのマスターが、えらく気に入ってくれ、ライヴ終了直後に、激励の握手を求めに来た事は、今でも忘れられない。大人嫌いの年頃の筆者ではあったが、年上の人に誉められると言うのが、何だか嬉しかったのだろうか。ちなみに、同氏は、ただのオッサンでは無く、実は、広島の演劇界の大物である事を知るのは、ずっと後の話である・・・。

そして、2月に性懲りも無く応募した「木定がんばるコンサート」の、確か、落選者を集めて行うライヴが、WOODY STREETで開催される事となり、当然の如く落選した筆者らも出演する事となった。また、ナカガワが日大に合格した事もあり、これが筆者のバンドの解散ライヴとなる訳であるが、この日の共演バンドの一つに、“彼ら”が居た。

(つづく)

以下は、「広島ROCKERS 1stバレンタインGIG」の、チケット&フライヤー。

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超洗脳小説「勝手に世直し ヘ~カくん」⑥「おかしな転校生」の巻

ヘ~カくんが、我が家にホーム・ステイし始めて、早1ヶ月。奴も、そろそろ地球の生活に慣れた様子だけど、まだまだ疑問がたくさんあるらしく、今日も俺は、質問攻めにあっていた。

ヘ~カくん「では、キチロー殿。何で、好き好んで、そんな満員電車に乗るでござるか?」

キチロー「何でって言われても、まあ、学校や会社の始まる時間が近い上に、電車の数もそうそう増やせないからな。乗客が、ある時間にのみ集中するのは仕方無えよ。」

ヘ~カくん「何で学校や会社は朝からなんでござるか?何で電車の数を増やせないのでござるか?」

あちゃ~・・・。ござるか攻撃が、また始まったよ・・・。

~中略~

ヘ~カくん「何で女性専用車両なんてものがあるのでござるか?黒人を差別するのが当然だった昔のアメリカの、白人しか乗れない車両みたいなものなのでござるか?」

キチロー「違うって!!(・・・何でそんな事知ってんのか、変な情報だけ詳しいんだよな。コイツ・・・)あれは、満員電車には痴漢が多いから、それを防ぐため、弱者である女性を守るためにこそあるんであって、差別だなんてとんでもないよ。」

ヘ~カくん「ふむふむ。そうでござったか。それでは、女性専用車両に乗らない女性は、痴漢されても良い人なのでござるね。」

キチロー「んなアホな!!」

ヘ~カくん「それに、同性の女性に触るのが目的の、女性の痴漢にとっては、女性専用車両は、まさに天国ではないデスか?・・・と言うより、キチロー殿。そもそも、電車への痴漢の乗車を禁止すれば良い事なのではござるまいか?」

キチロー「だってさ、ヘ~カくん。するなと言ってもするのが痴漢だからな~。痴漢は乗るなって言って乗らない様なら苦労はしねえよ。」

ヘ~カくん「そうだ!!それなら、いっその事、痴漢専用車両を作ったら如何でござるか?外から車内が見えない様に、窓も塞いで。そしたら、痴漢したい人と痴漢されたい人の利害が一致して、一種のパラダイス空間が生まれるでござるよ。何なら、グリーン車の様に特別料金を取っても良いでござるし・・・。」

うへ~。電車は風俗業ぢゃ無いっちゅうの・・・。まったく、コイツと来たら、流石、宇宙人だけあって、地球では常識外れな事ばっか思いつきやがる。でも、待てよ?コイツの発想、もしかしたら金になるかも?

俺は、ヘ~カくんの突拍子も無い、天然に湧き出るアイデアの数々に、未知なる金脈の発見を予感せずには居られなかった。

(つづく)

禁未来小説「ドラへもん」その33「孤島の鬼」の巻

スネトのブログ、「蛇の穴」。それを読み進めていくうち、ボクの脳裏には、とてつもなく刺激的かつ、禁忌的な考えが芽ばえ始めた。

「何とか、スネトに復讐する事は出来ないだろうか?」

否。復讐では無い。これは、正義の名において下される審判であり、スネトは、今までしてきた悪事に対する、当然の報いを受けるだけなのさ。

きっかけは、ブログにあった、このセリフである。

スネト「あ~あ、もうボクは、死んでしまいたいよ・・・。」

死んでしまいたいだ~?フン!!死ぬ気なんかこれっぽっちも無いくせに。

そんなに死にたいんなら、誰にも何も言わずに、今すぐ死ねば良いんだ。

あっ!!そうか!!

フフ。フフフフフ。フフフフフフフ・・・。

ボクは、自分の頭の中が、一瞬にして黒い霧で覆われるのを実感した。

「そんなに死にたいのなら、死なせてやろうぢゃないか。」

もしも、自分の手を全く汚さず、この部屋から一歩も出ずして、スネトを死に追いやる事が出来たとしたら?こんな痛快な、爽快な話が、他にあろうか。

そう。ボクは、インター・ネットによるコミュニケーション・ツールを最大限に活用し、悲嘆に暮れるスネトのこころを操り、自殺に追い込むと言う、極めて知的なゲームを思いついたのだ。

まずは、「蛇の穴」ブログのコメント欄より、同ぢ悩みを持つ小学生として書き込みをし、お互いの境遇を哀れみあい、ぢっくりと時間をかけて友情をはぐくみ、明るい未来など無い事を思い知らせ・・・。

ボクは、生まれてこの方、最大の充実感を覚えていた。

人を欺き、無垢なこころをもて遊び、地獄に堕とす。

フフフ・・・。

これ以上の快楽が、どこにあろうか・・・。

(つづく)

細菌の出来事

最近あった事など・・・。

某音楽雑誌の委託品精算のため、実数を計上せねばならず、それゆえ、元・高円寺店の在庫50箱と格闘。マスクもせず換気もせずやったため、喉を痛める。しかも2日くらい放っておいたら、熱が出そうになり、慌ててのど飴を大量摂取。今度は痰が大量発生す。

国分寺超山田堂の移転オープン日、雨の中、お邪魔する。店内広くて羨ましい。この商売、どうしても在庫が増えるゆえ、うちなんか狭くてしょうがない。トイレにも在庫入れてるし・・・。しかも、そのトイレを近日工事するトノコトで、その隣の倉庫部分のパイプも改修するため、トイレ&倉庫部分にぶちこんである品々を、いったんどっかに避難せねばならない。ああ憂鬱・・・。思い切って捨てていかなくては・・・。

お得意様兼友人が、お目当ての女性に完全に嫌われたと言う話を、えんえんしに来る。いったん外食し、店に戻るが、当人、自分可愛さで、他人の批判には聞く耳もたずゆえ、当方、ひたすら聞き役に徹するも、ついに6時間突破。ところが、私がふと、「実は、ここ(新宿店)の家賃滞納が、○○○万に達する寸前なんデスよ」と言うと、そやつ、ビックリしたかと思うと、急に明るい顔つきになり、「俺なんかまだ幸せぢゃん」と、実に嬉しそうに帰って行った。自分の不幸を他人の不幸と比べる事によって、立ち直るとは・・・。お役に立てて嬉しいス(泣)。

とにかく、忙しい。

他人を嫉む暇も無い。

ただし、本日は、池袋へ“いぬ屋敷”を観に行くでござる。

ニンニン。

「新入荷情報」紹介ブログ開設

この度、「新入荷情報」紹介ブログを開設イタシマシタ。

その名の通り、中古商品新入荷情報の他、取り扱い自主制作商品の在庫、営業時間の変更や臨時Q業のお知らせ等は、今後、こちらで行いマス。


↑ここをクリクリしてクリ!!

ヨロシクどうぞ~!!(^^)/

ぐぎゃあ~!!

抑圧無きところに、反発無し。

反発無きこころに、パンク無し。

日銀葬祭

日銀総裁の件。有り得ない。

仕事の上で、様々な裏情報を知りうる立場の人間が、株を購入出来るなんて。しかも、それを法律で禁ぢてないなんて・・・。

(しかし、今回の一件で、日銀の“株”が下がった訳で、テコトは、日本銀行券、すなわち、紙幣の資産価値も下がるのかしらん?)

更に、テレビを見てたら、「総裁は能力のあるお方だから、辞任させるにはもったいない」と、子分だか誰かがのたまってた。

その通り!!

あの総裁を辞任させるにゃ惜しい。

だから・・・



当分の間、“ただ働き”させるべき!!

「金色夜叉」より「今月の家賃」・・・の巻

人の弱みにつけこむのが、商売人のやり口だ。

買われる(変われる)奴の気持ちも解る。

とは言え、正当な評価を下すってのも、難しい話だが・・・。

結局、“純粋な気持ち”なんて、金にはならねえって事だ。

でも、逆に言えば?

「純粋な気持ちは、金では買えない。」

・・・ってコッタ!!

貨幣価値が崩壊したら、今現在、偉そうにしてる奴らなんて、群集から吊るし上げられてなぶり殺しに遭うだろうよ。

好き嫌いの自由?

「好きになれ」とは言ってない。

「嫌いになれ」とも言わない。

「自分で決めろ」とは言いたいが・・・。

「自分はこうだ」と言いたいだけ。

「音楽業界改革論」③

(とあるライヴハウスに於ける事件についての補足)

金が無かったと言う理由は、半分冗談で、その後に、友人のバンドの演奏が控えていたと言う点こそ、私が大人しく店外に退出した理由であるので、マジに受け取らぬ様に・・・。

ただし、あくまでも“半分”冗談であるが・・・。

さて、文句ばかり言ってても始まらない。

それでは、具体的な話に移ろう。

(つづく)

「音楽業界改革論」②

「良いバンドが居ない」「聴きたい音楽が無い」と、パソコンの前でキーをカタカタやっているだけでは、何故「良いバンドが居ない(育たない)」のか、何故「聴きたい音楽が無い(と思い込まされるのか)」、解らないであろう。

しかし、ライヴハウスに実際に足を運ぶ事は当然だが、出来るならバンドなりソロで出演するなり、あるいはライヴの自主企画をするか、せめて、彼らの苦労話を耳にすれば、その理由は、すぐに解る事である。

・・・現在、殆どのライヴハウスは、クリエイティヴな場所などでは無く、単なるカラオケ・ボックスであると言う現実が。

ところで、今月は既に5回はライヴハウスに行っている。ある日は、遅れていったので、その日、知人達には評判の良かった、ハニカムと言うバンドを観れなかったのが、唯一残念だったが・・・。

また、先日、とあるライヴハウスで、ステージ上の出演者から、非常に不愉快な思いをさせられる事があった。普通ならば、「こっちは金払ってんのに!!」と、怒っても良い所なのであるが、良~く考えると、実は出演者側の方が、そのライヴハウスに出演するために、観客の私より、もっと高い金を支払っているのだ・・・と思い直し、私は、そのバンドの演奏中は、大人しく店外に出る事を選択した。

ただし、私が○ックス・ジャパンの○シキ氏であれば、そのライヴハウスは滅茶苦茶に破壊されていた所であろうが、あいにく、ビールの空き缶が思いっきり床に叩きつけられる程度にとどまった。これは何も、私が短気では無いとか、常識人であると言う事が理由なのでは無く、「貧乏ケンカ出来ず」の喩えにある通り、ただただ、私には、壊した機材や店内のテーブル等を弁償するお金が無かったからに過ぎない。

一般のリスナーの方は、意外にご存知無いであろうが、ここ近年のライヴハウスのシステムは、大抵が“ノルマ制”と言って、出演するアーティストなりバンドからお金を徴収する事により、集客があろうがなかろうが、経営を成り立たせる事が出来る様になっている。

もちろん、バンドなりアーティストは、自分の音楽を、より多くの人間に聴かせるために、人を集める努力を怠ってはいけないと言う事も事実。しかしながら、ライヴハウスに出演する以前に、ギターの弦代やドラムのスティック代に始まり、リハーサル・スタジオ使用料他、なんだかんだと金はかかる。しかも、仕事をしながら音楽を演っている人間も多く、“音楽活動を趣味”だと割り切っているのであれば、金を払ってライヴを演る事も、ボウリングをしたりカラオケ・ボックスに行くのと同様、割り切る事も出来るが、“音楽を仕事”にしたいと考える場合は、自分のやっている事や考えている事を理解させたいがために表現活動を行っているにも関わらず、“活動を続けるために”、まずは人を集めなければならない・・・要するに、まずは売れねば、ウケねばならないと言う、お客の顔を伺う、営業優先的なスタンスで音楽を演る様になってしまうのである。

こんな状況で、本当に良いバンドや、人を感動させる事の出来る音楽が、たくさん生み出されるであろうか?

・・・答えは否(ノー!!)である。

ゆえに私は、集客や動員よりも、自分の演りたい事を優先するミュージシャンや、客(他人)のためにでは無く、あくまでも自分のために音楽を演っている様なミュージシャンに肩入れしてしまうのだ。

とは言え、「人を楽しませる」と言う事も、素晴らしい行為には違いない。だかしかし、私は、「自分の考えで、自由に楽しみたい」だけなので、私(他人)のために、わざわざ何かしてくれる必要など、ひとつも無いし、元より、そんな事など求めてなんかいないのである。

表現は自由でなければいけない。ましてや、経済が、表現行為に於ける自由度の幅を狭める事など、決してあってはならない。

そしてリスナーは、経済活動としての表現と、純粋衝動に基づく表現とを、厳しく見極めなければならない。

<余談>ライヴハウスやレコード会社に対しても、その店なり会社が、出演者や音楽と言うものを、どの様に位置づけをして商売をしているのかと言う点を、厳しく審査しなければならない。

そうしなければ、いつまで経っても、真の意味での“表現の自由”など、金輪際、有り得はしないのである!!

(つづく)

無闇やたら

やっぱ、暗黒は面白くない。

と言うか、暗黒趣味は。

黒いのより、暗いやつの方が良い。

それは、あんたの好みだろって?

その通り。

でも、自分の好みでモノを言わなけりゃあ、自分である意味なんて無いぢゃん。

こっちは、教科書作ってる訳ぢゃないんでね。

血糊(ギミック)の面白さも否定しない。

でも、本当の“血”を見せる方が、高級って気がするだけの話。

三つ目小僧

ここを含め、三つ目のブログを開設した。

一つは、個人的な研究成果の記録用。

もう一つは、仕事用として、店頭新入荷品を紹介するために。しかし、更新出来るかな?今ある新入荷コーナーも、ほったらかしだし・・・。

むぎゅ~!!

「音楽業界改革論」①

・・・て言うか、「音楽を演る側は、リスナーより音楽を好きでなければならない。」と言うのが、昔からの私の持論である。

とは言え、「文句を言うなら手前で演れ」と言う意見にも同意出来るので、聴くべき音楽がなくなったら、自分で演るしかない訳であるが、とりあえず今の所は、何とか、その必要は無い様である。

ところで、話を元に戻すが、音楽を好きで、音楽を演りたい人間こそ、もっと音楽を演れる環境を得なければならないと、私は常々思っている。ただし、苦言を呈すならば、「音楽を好き」と言う事は、「音楽を大事にする」と言う事であり、「音楽に出来る限りの時間と労力を注ぐ」と言う事であるからして、「音楽を気軽に楽しむ」事や、「音楽を何かの道具にする」事とは、全く意味が違うので、その辺、誤解しないでもらいたい。

さて、では本題に入ろう。要するに、私が言いたい事は、音楽よりお金の方が好きな・・・ちゅうか、(お金は単に、欲しいモノを得るための手段に過ぎぬゆえ、)音楽より他にもっと好きな事がある奴は、音楽を、何か他のモノを手に入れるための手段になどせず、目的となるものをダイレクトに手に入れるための仕事をやれと言いたい。

外車に乗りたい奴は外車のディーラーにでもなれば、一般消費者より安く外車が手に入るし、豪邸に住みたければ、大工になれって事だ。

・・・とまあ、それは、かなりの暴論である事は充分自覚しているが、要するに、他のモノを手に入れるために音楽を演る人間が後を絶たない理由は、音楽によってお金を得る事が出来る事からであり、そもそも、それが諸悪の根元なのである。仮に、音楽でお金を得る事が禁ぢられれば、音楽よりお金(あるいは他のもの)が好きな人間達によって、音楽を金儲けの道具にされずに済むはずなのである。

そこで、私の掲げる理想はこうだ。音楽を演る事によって得られる収益とは、更に良い音楽を作るための費用、すなわち、細かい所ではギターの弦代に始まり、楽器代、機材費、スタジオ代、会場レンタル代、etc・・・今後も音楽を演り続けるために必要なアイテムのみを現物支給すべきなのである・・・と。そうすれば、外車を買ったり豪邸に住むために音楽を演る者が居なくなり、もっと自由な環境で音楽を演りたいだとか、もっと良い音楽を作りたいと、本心から切望している人間のみが、生き残るのではないだろうか?

ただし、外車や豪邸を手に入れるために、「本当に良い音楽を作ろう」とか、「本当に人を感動させる曲を書こう」と言うのであれば、それは認める。

問題なのは、お金を稼ぐ(=人をたくさん集める)事の出来る音楽ばかりが、もてはやされる現状と、「良い音楽」を作る事より、「人をたくさん集められる音楽」を、安価なコストで大量生産しようと言う、音楽業界の、商売重視(内容軽視)、利益最優先なやり方なのである。

とは言え、負け犬の遠吠えでは仕方無い。外車や豪邸が好きな人間の方が、“自称音楽好き”よりも、素晴らしい音楽(その価値観も人それぞれだが・・・)を演っているとするなら、これは全く意味の無い話である。

また、“好きである”と言う事は、そんなに簡単に証明出来る事では無い。

先にも述べたが、「音楽を好き」と言う事は、「音楽を大事にする」事であり、「音楽に出来る限りの時間と労力を注ぐ」と言う事、すなわち、音楽に対する“気持ちの度合い”の大きさを指すのである。

音楽を演っている人間は、今一度、考えてもらいたい。「目の前に居る客より、自分は音楽を好きなのかどうか?」を。そして、「音楽よりも外車や豪邸が好きな人間よりも、良い音楽を作っていると、胸を張って言えるのかどうか?」を。

リスナーより音楽好きである事はもちろん、外車や豪邸好きな奴の作る音楽に負けてちゃあ、意味無いぜ。

<余談>ライヴハウスめ!!出演者にノルマを被せれば、客が来なくても金になるからって、誰でも良いから出演させてんぢゃねえぞ!!

私は、演奏力や、作曲能力等の、才能の事を言っているのでは無い。もちろん、それらはあるに越した事は無い。しかし、最も肝心なのは、音楽に対する気持ちなのである。

何に対してであれ、真剣な気持ちと言うものが正しく評価されない世の中なんて、まともな人間にとっては地獄以外の何物でも無いのだ。

(つづく)

贅沢とは?

贅沢とは何ぞや?

・・・と、問われれば、私は、こう答えるであろう。

「それは、他人の自由を奪う事である」・・・と。

何故ならば、すべての人類が満足を得られるほど、この地球は広くもないし、資源も乏しいから、自分が何かを得ると言う事は、好むと好まざるに関わらず、必ず、誰かから何かしら奪っていると言うのが現実だからである。(あるいは、どこかの誰かが独り占めしているせいか?)

だから、私は、贅沢が嫌いなのだ。

・・・と言うか、そんなものを贅沢だとは思わないって事だ。

多くの人が欲しがってるものを、競争して手に入れると言う事は、確かに、血が騒ぐエキサイティングな行為ではあるが、そもそも、いくら他人が欲しがっていようが、自分にとって興味の無いものは、欲しくも何ともないのである。

それでは、私にとっての贅沢とは何ぞや?

・・・と、問われるならば、私は、こう答えるであろう。

「それは、自分が自由を満喫する事、すなわち、他人とは全く無関係に、ただただ、自分で決めて、自分でやると言う事である」・・・と。

しかし、この地球に居る限り、ただ住むだけでも家賃だなんだと、とにかく金が必要になってくる。

ゆえに、お金そのものが欲しい訳では無く、金を手に入れるために、望むと望まざるに関わらず、他人との競い合いを強いられる集金レースに参加せざるを得ないし、しかも、その収益はことごとく胴元に吸い上げられる・・・と言う、その、ふざけたからくりに対して、不満を抱いている訳なのである。

とは言え、音楽を好きぢゃなかったら、そんなに金もかからないゆえ、私はもっと、自分らしい自由な生き方をする事が出来たかも知れない。

・・・でも、それぢゃ、物足りないんだよね~!!

テコトは、やっぱ私も、単なる贅沢者、あるいは放蕩好きな極道者って事かしらん?

今から、ライヴ観に行って来マ~ス!!

(「音楽業界改革論」に続く)

虚無感

途上でも良いのではないだろうか。

遅くとも良いのではないだろうか。

現在位置やペースで判断すべきではなく、人それぞれなのではないだろうか。

目的に向かって進んでいるなら良いのではないだろうか。

目的も無く、ただ生きているよりは・・・。

ただ生きるとは、ただ死に向かうと言う事である。

ゆえに、生きる事とは、死への行進に逆らうと言う事でもある。

よって、本来は、自分を“生かす”のではなく、自分を“活かす”と言う意味でも、“活きる”と言い換えた方が良いかも知れない。

生きるのは簡単だ。

命さえ繋げば良いのだから・・・。

結局、私は、身に沁みて解っているのだ。

人は皆、死ぬのだと言う現実を。

そして、もはや取り戻せやしないものを求め続け、その途上で死ぬのだと言う事を・・・。

おそらくは、それが、この虚無感の正体であろう。

嫌肉権

★以下は、4ヶ月前に書いたけど、お蔵入りにしていたものを、改筆して発表するものである。

我が身を振り返り、ここ数年で大きく変わった事・・・。

昔ならば、例えば、私は肉が嫌いで、「肉を喰う奴の気が知れない」とさえ思っていた訳だが、最近は、「肉を喰いたい奴は喰えば良い。でも、俺は死んでも喰わない」・・・となった。

これはどう言う心境の変化か?

つまり、これは何も、肉食人種の存在を許す気になった(←超エラソ~!!)と言うよりは、自分以外の、世界中の人間が一人残らず肉を喰らおうとも、私には何の関係も無い事であると認識したからに他ならない。

考えてみれば、私が肉を嫌いな理由は、皆が肉を喰う事に対して反発している訳では毛頭無く、どこの誰が肉を好きだろうが嫌いだろうが、どれだけ大勢の人間が肉を喰おうが、それとは全く無関係に、ただただ、私自身が肉を嫌いだと言うだけの話に過ぎないからである。

よって、毛虫やゴキブリを喰う事が常識の国に生れたとしても、私が、それを喰うか喰わないかは、あくまでも、自分自身で決定するだろう。

ゆえに、もし仮に、そんな私に対し、「肉を喰うのが常識の国に住んでいるのだから、肉を喰うのが当たり前だ」・・・とおっしゃる方が居たとして、ならば、その方は、毛虫を喰うのが常識の国に生まれたら、当然の如く、毛虫をも喰らうのであろうか?

ううむ。今は「キショイ~」って思っている人も、その国で生活していれば、多分、普通に喰っているのだろうな。

しかし、そもそも、栄養があるから喰えと言うのなら、別に肉や毛虫で無くとも良い訳だし、栄養を摂る摂らないに関しても、肉を喰わないがために栄養失調で死んだとしても、そんなの個人の勝手では無かろうか?

「天国のパパ、存命中のママ、親不孝でゴメンね。」

・・・と言うのは、ジョークとして・・・。

問題は、自分にとって必要か、そうでないかと言う事である。

私は、とにかく、自分で確かめ、自分で決めたいのだ。

ゆえに、私にとって、肉は美味しくないと感ぢるから喰わないだけの話。

だって、“味覚は共有出来ない”って思わないかい?

理想は、すべての決定を自分で下せる“自由”を得る事。

今は、それ以上に幸せな生き方は無いとさえ思える。

ところで、「肉の味は好きぢゃないけど、栄養があるから我慢して食べてる」・・・てな人は居るのかね?

結局は、皆、美味しいと感ぢるからこそ喰うんでしょ?・・・であれば、美味しくないから喰わないと言う理屈も通るはず。

よって、これは屁理屈でもへったくれでも無く、「美味しく感ぢないものは美味しく感ぢない」と言うだけの事なのである!!

売り物(ちょっと訂正)

ネテナイノニ キョウハ イマカラデカケテ マタモドッテキテ ミセバン セニャ ナラントヨ


何がカッコ良くて、何がカッコ悪いのかは、人それぞれだけれど、類は友を呼ぶと言うか・・・

内面より外見を売り物にしている人には、内面より外見を売り物にしたい人が集まり・・・

外見より内面を売り物にしている人には、外見より内面を売り物にしたい人が集まり・・・

外見も内面も売り物にしている人には、外見を売り物にしたい人も、内面も売り物にしたい人も集まり・・・

外見も内面も売り物にしない人には・・・

誰も寄って来ない。

何故ならば、売るものが何も無い人に近づいても、得るものが無いからネ。


イチジカンダケ ネヨウトオモッタケド ネムレヤシナイヨ

忙殺日記

忙しい!!非常に!!

溜めに溜めた請求がドット来た!!

今月こそヤバい!!(←いつも以上に)

昨日から、CD出品のためのデータ仕込み中。

あ~あ・・・。

キャラクター・グッズで儲けたいナリ~。

内田裕也からメールが来た!!

・・・と思ったら、迷惑メールだった。

昨日より、長くPCを離れてたため、丸一日のメールが溜まってたが、迷惑メールが50通くらい来てた・・・。
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