Mr.エレクトの独り言 2006年06月02日
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

紅白裏合戦~④「肉奴隷」「謹成祝花(ちかなりしゅくか)solo」

ホント、いつの話だ!!って事で、遅いルポはいつもの事でありマスのでお許しを・・・。

順序が逆デスが、トリの「謹成祝花(ちかなりしゅくか)solo」は、女性の舞踏家サン。最近は、ロックが中心のライヴハウスにも、舞踏家等の進出が著しいが、世の中には様々な表現方法があるので、あくまでも“無理”せず、色々な表現形式と出会う機会を増やせると言う意味では、これは歓迎すべき事であろう。また、舞踏はロックと異なり、観客の反応がどうであろうが、自分のやりたい事、すなわち、目的に対するストイックさを必要とし、観客もまた、他人に惑わされず、自己と向き合う事を余儀なくされるがゆえ、独自の審美眼を養うには、非常に良い訓練になるのではないだろうか。

そして、その前に出演したのが、「肉奴隷」。これは、男性ひとりのノイズ・パフォーマンス・ユニットで、申し訳無い事に、私は酔っ払ってグロッキー状態で、演奏の方はあまり集中して観ていなかったのだが、アメリカに対する批判等のナレーションか何かから始まり、ヴォイス+反復するノイズによるコラージュ・サウンドっぽかったと思う・・・。しかし、ラストにハプニング?が起きた。実は、4番手の、本ライヴ企画者である組織暴力幼稚園の演奏が終了すると、観客の一部はフロアから退出してしまっており、肉奴隷の演奏が終わる頃には、客数は若干まばらとなってしまっていたのだが、演奏終了直後、「肉奴隷」氏は、自分の着ている服に火をつけ、フロアに割って入り、床を転がったり、PAスペース保護の防壁に身体をぶつけて火を消すと言う、“焼身自殺”パフォーマンスをやらかしたのだ。それだけなら良いが、またその直後、楽屋から飛び出して来て、店内後方奥の流し場で、“水浴び”パフォーマンスを始める始末。よほど熱かった、と言うか、かなりの火傷をしたとみえて、その後、病院に運び込まれた模様。断っておくが、私は何も、このショッキングな行為を賞賛するつもりも無ければ、その逆に、笑いものにしようと言う訳でも無いのであるが、何と言うのだろう、この“焼身自殺”パフォーマンスは、当然の事ながら、元より計画していた出し物である事には違いないのだが、観客の数や反応次第では、「とりやめにする」事も出来た訳で、しかし、「やり遂げなければ」、この日の演目が成立しないと言う、表現者自身の強い自己完結欲求と言うか、その追い詰められた精神状態に、私は、「いたたまれない」気持ちにさせられたのであった。

ゆえに、表現方法や、その内容、私の趣味嗜好は抜きにして、「肉奴隷」氏の、時に自傷行為も辞さない、表現行為に向かう、その思いつめた心情を目の当たりにし、なんともやるせない感情を抱いたがゆえ、私は、この日の事を、ブログに書き遺しておこうと思った次第なのである。

(報告オワリ)
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新田たつお著「チェン爺」

店にあるPCでは、CD-Rのコピーが出来ないので、さっき、近所のネット喫茶に行って来マシタ。

以前、高円寺でも店をやっていた時は、古本も扱っていたので、たまたま入荷した、新田たつお著「静かなるドン」を35巻くらいまで読んで、ハマッてしまい、その続きを、ネット喫茶に行く度にコツコツ読んでいたのデスが、前回、最新刊(現在も続巻中)まで読み終えてしまい、さて、Rを焼いてる間、何を読もうか?って事になったので、やはり、新田たつおによる「チェン爺」と言うのを手に取りマシタ。

「チェン爺」は、全3巻。ストーリーに関しては、読めば解る事なので、あえて説明イタシマセン。主題となるメッセージは、ありきたりと言えば、ありきたりなのデスが、それを荒唐無稽なシチュエイションにからめて、深刻になり過ぎない様に描くと言う、「静かなるドン」でも使われている手法が用いられ、非常に読みやすい作品となっておりマス。

漫画と言う表現方法のジャンルは、時に軽視されがちデスが、何と言うのでしょうか。いくら素晴らしいメッセージでも、やはり、それが伝わらなければ意味が無いし、その逆に、伝えたい事が何もないのに、外見だけ取り繕っても、やはり無意味だと感ぢマス。小説であれ漫画であれ音楽であれ、本当に伝えたい事は何であるのか?と言う事が、本来は重要なのに、小説である事、漫画である事、音楽である事、要するに表面的な形式ばかりを優先されても、私にとっては、何の意味もありマセン。私は、小説を読みたい訳でも無ければ、漫画を見たい訳でも、音楽を聴きたい訳でも無いのデスから・・・。

更に、もっと言えば、本当に欲しいものが得られるのであれば、言葉も、洋服も、名前も、未来さえも要らないのデス。

そう言う意味では、小説も漫画も音楽も、“それ”を、悪く言えば、もっともらしい形に、良く言えば、伝えやすい形式に当てはめただけに過ぎない・・・とも言えマス。

・・・とまあ、暗い話になってしまいマシタが、一瞬の刺激や快楽さえも与えてくれない表現が多過ぎるとは言え、他人が自由に行う表現に対し、そこまで求めるのも、こちらの自分本意な要求であり、そんなに言うのなら、「自分でやれば良い」と言う結論に達するのが常なのデス。

「チェン爺」。SFまがいのストーリーは別として、ラストの結末には、作者の理想と言うか、願いが込められており、現実には絶対に有り得ない展開であるとは思いマスが、その部分こそが、新田たつおが最も伝えたい事であり、切望している事であるのかも知れマセン。

何故なら、現実を描き写すだけであれば、何も、新田たつおで無くとも良い訳デスから・・・。

まっ、気が向いたら、読んでみても良いのではないでしょうか?・・・とも思うし、実はどうでも良いデス。この文章は、ただ、自分が読んで、「面白かったヨ」と言う報告に過ぎマセン。

もっと言えば、「ボクって、こう言うストーリーに感動する様なピュアな精神の持ち主なんだよ」・・・て言う、自己アピールにしか過ぎないのデス。

・・・と、自分をクールに分析して、卑下してみせる所が、更にいやらしかったりなんかして・・・。

(きりが無いから、この辺りで思考停止・・・。)

しかし、歪む人間がこれほど多い世の中ってのは、とても、幸せな世の中とは言い難いデスな・・・。

凶暴財

共謀罪、今国会で成立?

・・・て、んなアホな!!

共謀罪なんて、ふざけた法案をひねり出し、通そうとしている奴らこそ、共謀罪だ!!

<最新情報>
今回は、断念したってさ。残念だったね。