それは良いとして、最近、近所のBOOK OFFにて、100円本コーナーをチェックするのが日課なのだが、今日、武○久美子の「く○この掟」と言う本を買ってみた。もちろん、読破する時間など無いので、写真や文章をパラパラと見る事しか出来ないとは思うのだが、まあ100円(正確には105円)だしね。
つうか、もう、パラパラ読んだだけで、「好き」・・・だ。
帯には、「美しき、女のダンディズム」と書いてある。
そうなのだ。武○久美子は、“美しい”し、実に、“男らしい”。
女性に対して、“男らしい”と言うのも変だが、そもそも、“男らしい”と言う言葉自体が、非常にナンセンスなものなのであるからして、これは仕方の無い事である。
“男らしく”とは、“男は強くあれ”と言う意味で、“女らしく”とは、“女は慎ましくあれ”と言う意味であり、何故にわざわざ目指す必要があるのかと言えば、本来、男は弱いものであり、女は逞しいものであるからに他ならない。
ダンディズム=美学。
しかし、それは男だけの専売特許では無い。
男と言うものは、威張りたい生き物だから、それを見越して女は自分を弱くみせようとするのだろうが、そのどちらも、私は嫌いなのだ。
女には女の美学があり、オカマにはオカマの美学があり、人には人それぞれの美学があって良い。
美学とは、世間様や、誰かに押し付けられた価値観に隷従する事なんかではなく、自己の持つ価値観に殉ぢようとする、“心意気”の様なものを指すのではなかろうか。
“強さ”ではなく、“強くあろうとする事”。“美しさ”ではなく、“美しくあろうとする事”。そして更に、“自分らしくあろうとする事”。それこそが美学と言うものであり、そう言う姿勢にこそ、私は、“男らしさ”と言うものを感ぢるのである。
否。先にも述べたが、美学とは、男だけに許されているものでは無い。
しかし、私は、現時点で、“男らしい”にとって代わる形容詞を思いつく事が出来ずにいる。
ゆえに、今は、こう言うしか無いのだ。
「武○久美子は、男らしい」・・・と。
そして、生き方に美学のある人は、「カッコイイ」。

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