Mr.エレクトの独り言 2006年06月09日
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

武○久美子

私は、デビュー当時の武○久美子のファンではあったが、その後のヌード写真集展開には興味無く、一冊とて買った事が無い。・・・と言うか、パラパラとさえ見ていない。せいぜい、週刊プレイボーイ等のグラビアで、たまたま目にしたぐらいであろうか・・・。

それは良いとして、最近、近所のBOOK OFFにて、100円本コーナーをチェックするのが日課なのだが、今日、武○久美子の「く○この掟」と言う本を買ってみた。もちろん、読破する時間など無いので、写真や文章をパラパラと見る事しか出来ないとは思うのだが、まあ100円(正確には105円)だしね。

つうか、もう、パラパラ読んだだけで、「好き」・・・だ。

帯には、「美しき、女のダンディズム」と書いてある。

そうなのだ。武○久美子は、“美しい”し、実に、“男らしい”。

女性に対して、“男らしい”と言うのも変だが、そもそも、“男らしい”と言う言葉自体が、非常にナンセンスなものなのであるからして、これは仕方の無い事である。

“男らしく”とは、“男は強くあれ”と言う意味で、“女らしく”とは、“女は慎ましくあれ”と言う意味であり、何故にわざわざ目指す必要があるのかと言えば、本来、男は弱いものであり、女は逞しいものであるからに他ならない。

ダンディズム=美学。

しかし、それは男だけの専売特許では無い。

男と言うものは、威張りたい生き物だから、それを見越して女は自分を弱くみせようとするのだろうが、そのどちらも、私は嫌いなのだ。

女には女の美学があり、オカマにはオカマの美学があり、人には人それぞれの美学があって良い。

美学とは、世間様や、誰かに押し付けられた価値観に隷従する事なんかではなく、自己の持つ価値観に殉ぢようとする、“心意気”の様なものを指すのではなかろうか。

“強さ”ではなく、“強くあろうとする事”。“美しさ”ではなく、“美しくあろうとする事”。そして更に、“自分らしくあろうとする事”。それこそが美学と言うものであり、そう言う姿勢にこそ、私は、“男らしさ”と言うものを感ぢるのである。

否。先にも述べたが、美学とは、男だけに許されているものでは無い。

しかし、私は、現時点で、“男らしい”にとって代わる形容詞を思いつく事が出来ずにいる。

ゆえに、今は、こう言うしか無いのだ。

「武○久美子は、男らしい」・・・と。

そして、生き方に美学のある人は、「カッコイイ」。

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自分に由るもの

自分もたまにしてしまう時があるのだが、私は、優越感を持つのも、持たれるのも嫌いである。

何故に、他人を介在しなければ、自分の存在を確認、あるいは肯定出来ないのか?

私は、他人との比較から、独立したいし、自立したい。

ただし、自立とは、“孤”立ではなく、“個”立であり、“固”立である。

私は常に、自由でありたいし、個人でありたいし、固有でありたいと思う。

しかし、仮に、自分の自由な行為が、他人の自由を奪うものである場合、それは“自分に由るもの”ではなく、“他人に由るもの”なのであるからして、そんな自分本意な身勝手な行為を、とても自由とは呼べまい。

本当の自由とは、自分の所有物や能力のみに由るものであるべきであり、他人の所有物を奪う事や、そうする事の出来る能力の度合いを指すのではない。

人は皆、自由になるべきである。

自分の自由が他人の自由を束縛する事なく、個人個人が自由を尊重しあい、個人個人の自由が共存出来る世界。

それは絵空事でしかないのだろうか・・・。

男らしくとか、女らしくとか、人間らしくとか、うるさいよ。

“自分らしさ”を求めずして、他に、生きている意味などあるものか。

一体、誰のために、“○○らしく”する必要があると言うのか。

心臓をナイフで一突きにすれば簡単に死んでしまう様な人間と言う生き物が持つちっぽけな優越感の大きさなんて、たかが知れている。