Mr.エレクトの独り言 2006年06月17日
fc2ブログ

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「音楽業界改革論」③

(とあるライヴハウスに於ける事件についての補足)

金が無かったと言う理由は、半分冗談で、その後に、友人のバンドの演奏が控えていたと言う点こそ、私が大人しく店外に退出した理由であるので、マジに受け取らぬ様に・・・。

ただし、あくまでも“半分”冗談であるが・・・。

さて、文句ばかり言ってても始まらない。

それでは、具体的な話に移ろう。

(つづく)
スポンサーサイト



「音楽業界改革論」②

「良いバンドが居ない」「聴きたい音楽が無い」と、パソコンの前でキーをカタカタやっているだけでは、何故「良いバンドが居ない(育たない)」のか、何故「聴きたい音楽が無い(と思い込まされるのか)」、解らないであろう。

しかし、ライヴハウスに実際に足を運ぶ事は当然だが、出来るならバンドなりソロで出演するなり、あるいはライヴの自主企画をするか、せめて、彼らの苦労話を耳にすれば、その理由は、すぐに解る事である。

・・・現在、殆どのライヴハウスは、クリエイティヴな場所などでは無く、単なるカラオケ・ボックスであると言う現実が。

ところで、今月は既に5回はライヴハウスに行っている。ある日は、遅れていったので、その日、知人達には評判の良かった、ハニカムと言うバンドを観れなかったのが、唯一残念だったが・・・。

また、先日、とあるライヴハウスで、ステージ上の出演者から、非常に不愉快な思いをさせられる事があった。普通ならば、「こっちは金払ってんのに!!」と、怒っても良い所なのであるが、良~く考えると、実は出演者側の方が、そのライヴハウスに出演するために、観客の私より、もっと高い金を支払っているのだ・・・と思い直し、私は、そのバンドの演奏中は、大人しく店外に出る事を選択した。

ただし、私が○ックス・ジャパンの○シキ氏であれば、そのライヴハウスは滅茶苦茶に破壊されていた所であろうが、あいにく、ビールの空き缶が思いっきり床に叩きつけられる程度にとどまった。これは何も、私が短気では無いとか、常識人であると言う事が理由なのでは無く、「貧乏ケンカ出来ず」の喩えにある通り、ただただ、私には、壊した機材や店内のテーブル等を弁償するお金が無かったからに過ぎない。

一般のリスナーの方は、意外にご存知無いであろうが、ここ近年のライヴハウスのシステムは、大抵が“ノルマ制”と言って、出演するアーティストなりバンドからお金を徴収する事により、集客があろうがなかろうが、経営を成り立たせる事が出来る様になっている。

もちろん、バンドなりアーティストは、自分の音楽を、より多くの人間に聴かせるために、人を集める努力を怠ってはいけないと言う事も事実。しかしながら、ライヴハウスに出演する以前に、ギターの弦代やドラムのスティック代に始まり、リハーサル・スタジオ使用料他、なんだかんだと金はかかる。しかも、仕事をしながら音楽を演っている人間も多く、“音楽活動を趣味”だと割り切っているのであれば、金を払ってライヴを演る事も、ボウリングをしたりカラオケ・ボックスに行くのと同様、割り切る事も出来るが、“音楽を仕事”にしたいと考える場合は、自分のやっている事や考えている事を理解させたいがために表現活動を行っているにも関わらず、“活動を続けるために”、まずは人を集めなければならない・・・要するに、まずは売れねば、ウケねばならないと言う、お客の顔を伺う、営業優先的なスタンスで音楽を演る様になってしまうのである。

こんな状況で、本当に良いバンドや、人を感動させる事の出来る音楽が、たくさん生み出されるであろうか?

・・・答えは否(ノー!!)である。

ゆえに私は、集客や動員よりも、自分の演りたい事を優先するミュージシャンや、客(他人)のためにでは無く、あくまでも自分のために音楽を演っている様なミュージシャンに肩入れしてしまうのだ。

とは言え、「人を楽しませる」と言う事も、素晴らしい行為には違いない。だかしかし、私は、「自分の考えで、自由に楽しみたい」だけなので、私(他人)のために、わざわざ何かしてくれる必要など、ひとつも無いし、元より、そんな事など求めてなんかいないのである。

表現は自由でなければいけない。ましてや、経済が、表現行為に於ける自由度の幅を狭める事など、決してあってはならない。

そしてリスナーは、経済活動としての表現と、純粋衝動に基づく表現とを、厳しく見極めなければならない。

<余談>ライヴハウスやレコード会社に対しても、その店なり会社が、出演者や音楽と言うものを、どの様に位置づけをして商売をしているのかと言う点を、厳しく審査しなければならない。

そうしなければ、いつまで経っても、真の意味での“表現の自由”など、金輪際、有り得はしないのである!!

(つづく)