Mr.エレクトの独り言 2006年07月01日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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努力の価値など無力?(少々訂正済)

良く誤解されるのだが、私は何も、金持ちや資産家をねたんだり、ひがんでいる“だけ”では無い。

むしろ、私は、金持ちや資産家、すなわち、この世の支配者が、自分達だけに都合の良い様に作り上げた、集金システム(奴隷農場)を憎み、呪ってさえいるのだ。

何故なら、努力すればするほど、奴らを肥え太らせるだけだって事に、ある日、気づいてしまったからである。

そして、それを解っていながらも、その搾取の構造に身を委ねなければならないジレンマ。

こんな世の中では、いくら真剣に物事に取り組んでも、流した汗の量に見合った報酬など得られず、経済的に報われる事は有り得ない。

そして、経済的に報われないと言う事は、世の中からも認められないと言う事。

とは言え、私が本当に望むものとは、経済的に報われる事でも無ければ、世の中から認められる事でも無い。

そもそも、この社会において認められる人間とは?

・・・働きの良い奴隷であり、それは、真の勝者(支配者)への貢献度で推し量られる。

それでは、この社会における勝者とは?

・・・稼ぎの良い奴隷である。(真の勝者は既に居るゆえ・・・。)

人間が生きるって事は、そう言う事なのか?

確かに、生命は維持出来るし、不安も少しは解消されるが。

現体制下における勝利、すなわち成功。更に言うならば、支配者経営による奴隷農場的社会での、真の勝利、そして成功とは?

それは、奴隷農場の班長(集金係)になる事でも、ましてや、奴隷農場に、自らの、そして家族の命(労働力)を、それこそ自分の家系の子孫末裔に至るまで、捧げ続ける事では無い。

世間、すなわち、“支配者のやり口に屈服した人々”の価値観に縛られ続ける限り、人間としての尊厳なんて得られるはずがない。

本当に重要なのは、経済的に報われようが、世の中から認められようが、そしてその逆に、経済的に報われまいが、世の中から認められまいが、そんな事とは全く無関係に、自分が“生きていて楽しい”と感ぢるかどうかなのだ。

そして、それは、私にとっては、誰かの奴隷になる事では無いと言う事はもちろん、“自分が支配者”になる事でも無いと言う事である。

もちろん、これはあくまでも、私個人の考えであり、そうありたいと、常日頃、自分に言い聞かせていると言うだけの話である。

あなたが現在、“生きていて楽しい”と思えているのであれば、何の問題も無い。

ただし、奴隷農場において、自分が勝利、あるいは成功を収めていると言う事は、数多くの“報われない努力”の上に成り立っているのだと言う事を、忘れずにいて欲しい。

それとも、“報われない努力”に、価値など無いと思い込んで、否、思い込まされているのかい?
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その結果

「結果良ければすべて良し」と言う考えが、人間から“こころ”を、“尊厳”を、そして“生きている意味”を奪い取った。

その経過で、誰かが苦しもうが、誰かが泣き叫ぼうが、その声はすべて、踏みにぢられ、封ぢられるのみだ。

しかも、悪い結果が出れば、途中経過も反省材料となるから、まだ良いが、良い結果が出た日には、成功に至る途上に築かれた屍の山には、誰一人目もくれない。

万歳!!世界は平和になりマシタ!!

何故って?

戦争によって、○○人以外は、すべて死んだからデス!!

<言葉不足だったゆえ、かなり改定。>ライヴハウス経営に向けて

★ライヴハウス「新宿エレクト」の出演基準

会社員にとっては、その職種や部署にもよるが、“与えられた仕事に対しての勤勉さ”や、“ご主人様に対する忠実度”こそが、評価の対象であり、いくら能力があっても、勤勉さや忠実度が無ければ、評価に値する結果は出せない。

しかし、表現者にとっては、“自己と向き合う真剣さ”以外に、評価の基準となるものは無い。

何故なら、技術も、個性も、純度も、誠実さも、更には“勤勉さ”さえも、すべては、“自己と向き合う真剣さ”からしか生まれ得ないからである。

また、その逆に、“真剣さ”の伴わぬ“技術”は、過去の遺物でしかない。

そして、他と相容れぬ強烈な個性もまた、“真剣さ”からしか、生まれ得ない。

唯一、“真剣さ”と言うものが生み出せないのは、“人気”ぐらいのものだろうか。

しかし、そもそも、表現者から“真剣さ”を取ったら、何が残る?

いくら大勢の観客が居ようが、いくらたくさんの金を稼ごうが、“自己と向き合う真剣さ”を欠いていれば、ステージ上に居るのは、ただの“屍”である。

大衆の需要に応え、金銭と引き換えに、観客に夢(幻想)を見せる、エンターテイナー(商売人)ならば、いざ知らず。(エンターテイメント自体を否定している訳では無いが・・・。)

ただし、“真剣”にならざるを得ない“必然性”も無いのに、“真剣な振り”をしても駄目である。

と言う事は、要するに、“必然性”も無いのに、“表現する”必要など無いと言う事だ。

そう言う人間は、大人しく会社員をやってれば良い。

・・・そんな店。

店長は、君だ。
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