Mr.エレクトの独り言 2006年07月03日
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

“比較”三原則

★最近、心配な事。わざと漢字を当て字にしてるんだけど、誤字だと思ってる人も居るのかな?まあいいや・・・。

しかし、親ってのはズルイよね~。

クラスの○○君、あるいは、クラスの殆どの子は、○○を持ってるから、自分にも買ってくれと言ったら、「うちはうち、他所は他所。」と言うくせに、私の偏食を批判する時は、「地球には日々の食事にも困る人達が居てどうのこうの・・・」ってさ。

「うちはうち、他所は他所。」ぢゃないの?

「自分は自分、他人は他人。」でしょ?

しかも、自分なんか3人兄弟の真ん中だから、その時の都合に合わせて、上と比べられたり下と比べられたり・・・。

結局、ある集団に所属する限り・・・って言うか、集団を管理するに当たって、この論法は非常に都合が良いんだよね。

家庭における親に限らず、国家なり会社なり・・・。

「自分は自分、他人は他人。」って考え方されると、統制が取れなくなるから、困るって訳さ。

まあ、でも、今振り返って見ると、比較論を持ち出すのは、どっちかっつうと母親の方で、父親が私を怒る時、私が「でも、○○だって○○ぢゃん・・・」と、兄弟との比較論を持ち出すと、「○○は関係無い!!」と、比較する事を否定する方だったな。

あれ?って事は、むしろ、最初に比較論を持ち出す自分の方がズルかったって事か?

それに、うちの父親は、世間がどうこうって言い方はせず、父親自身の倫理観で叱る方だったな。

まあ、そんな父親だったから、ある時期からは、私の偏食に対しても、家を出て上京する事に関しても、止めもしないし、何の文句も言わなかったね。

まあ、こっちも、家を出る事を告げた時、「死んだと思ってくれ」「元から居なかったと思ってくれ」とまで、言ったって事もあるけど。

「こいつは止めても無駄だ」・・・と、私の事を理解して(あきらめて?)くれてたんだね。

そう考えると、兄弟と比較してうんぬんぢゃ無く、「自分は自分!」ってな怒り方をしてくれた、うちの父親ってのには、感謝しなくちゃならないのかな。

父親自身の思惑や、世間の常識より、本人(私)の価値観を大事にしてくれたんだから・・・。

だから、いつも、私はこう言うのだ。

「君の好きなように、やりたい様にやれよ。」・・・と。
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絶対“隷”度

我慢は自慢にならない。

我慢の限界、臨界点は、自分が決めるしかない。

他人が苦しかろうが、苦しくなかろうが、全く無関係に、自分が苦しい時は苦しい。

多少、気分が緩和される事はあれど、比較してどうなるものでもない。

前向きな目的の無い我慢は、消極的な自殺行為である。

永続的、あるいは断続的な我慢は、突然の死をもって終りを迎える。

負荷に耐え続けた結果、ポキッと折れる。

その時期は、本人にも、ましてや他人になど、解りっこない。

我々は、想像する事でしか、他人の苦しみを知る事は出来ない。

そして、苦しみの感情は、自分が味わう事によってしか実感出来ない。

せいぜい、“思い出す事”が出来るくらいだ。

“思い出したくない事”を・・・。

我慢によって、失うものと、得るもの。

それらを比べ、決定するのは、自分自身である。

そうしなければ、人は、時の渦に巻込まれた運命の奴隷となる。

そして、それらが意味するものは、抗う事無しに、死を受け入れると言う選択に他ならない。