しかし、親ってのはズルイよね~。
クラスの○○君、あるいは、クラスの殆どの子は、○○を持ってるから、自分にも買ってくれと言ったら、「うちはうち、他所は他所。」と言うくせに、私の偏食を批判する時は、「地球には日々の食事にも困る人達が居てどうのこうの・・・」ってさ。
「うちはうち、他所は他所。」ぢゃないの?
「自分は自分、他人は他人。」でしょ?
しかも、自分なんか3人兄弟の真ん中だから、その時の都合に合わせて、上と比べられたり下と比べられたり・・・。
結局、ある集団に所属する限り・・・って言うか、集団を管理するに当たって、この論法は非常に都合が良いんだよね。
家庭における親に限らず、国家なり会社なり・・・。
「自分は自分、他人は他人。」って考え方されると、統制が取れなくなるから、困るって訳さ。
まあ、でも、今振り返って見ると、比較論を持ち出すのは、どっちかっつうと母親の方で、父親が私を怒る時、私が「でも、○○だって○○ぢゃん・・・」と、兄弟との比較論を持ち出すと、「○○は関係無い!!」と、比較する事を否定する方だったな。
あれ?って事は、むしろ、最初に比較論を持ち出す自分の方がズルかったって事か?
それに、うちの父親は、世間がどうこうって言い方はせず、父親自身の倫理観で叱る方だったな。
まあ、そんな父親だったから、ある時期からは、私の偏食に対しても、家を出て上京する事に関しても、止めもしないし、何の文句も言わなかったね。
まあ、こっちも、家を出る事を告げた時、「死んだと思ってくれ」「元から居なかったと思ってくれ」とまで、言ったって事もあるけど。
「こいつは止めても無駄だ」・・・と、私の事を理解して(あきらめて?)くれてたんだね。
そう考えると、兄弟と比較してうんぬんぢゃ無く、「自分は自分!」ってな怒り方をしてくれた、うちの父親ってのには、感謝しなくちゃならないのかな。
父親自身の思惑や、世間の常識より、本人(私)の価値観を大事にしてくれたんだから・・・。
だから、いつも、私はこう言うのだ。
「君の好きなように、やりたい様にやれよ。」・・・と。
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