ボクは、ニシガミと名乗り、スネトや鬱ノ宮らとの交流を深めるうちに、自分の考えの、ある大きな間違いに気が付いた。
そう。自殺する人間は、冷静な判断によって、死を望むのでは無く、あくまでも、生き続ける事に“耐えられない”がゆえに、生からの逸脱、すなわち、死の世界へと逃避するのだと言う事に。
ただし、三島由紀夫の割腹自殺の様なケースは別として・・・。
つまり、ボクの当初の目論みであった、“死への恐怖を取り除く”と言う策略は、実は、全く逆効果のナンセンスな行為であり、死への恐怖が無くなると言う事は、言わば“生への執着”すらも失うと言う事だから、ただ生きる屍の様に、無為に生き永らえる事こそあっても、自発的かつ積極的に死を選ぶ事など有り得ないって事なんだ。
要するに、むしろ、ボクがやらなきゃならない事は、生きる事、すなわち現世に対する徹底的な嫌悪感や厭世観を、やつらに植え付ける事であり、自分が生きている事の意味や価値、この世に存在する事の意義や必要性さえ喪失しかけた、不安定な精神状態に追い込む事だったって訳さ。
フフフ・・・。人間を死に追い込むと言うのも、そう楽ぢゃないな。
だけど、だからこそ、やりがいがあるってもんさ。
明日が見えず、現在の苦しみにも耐え切れず、過去の罪や傷にさいなまれ、生きる事の無意味さを、焦燥に暮れる孤立無援の無間地獄を、とことん味合わせ、精神の磨り減ったノイローゼ状態、不安を抱え、自分を保てない状況に追い詰め、そのこころの亀裂、足元にぱっくりと口を開ける生死の淵に立ちつくさせてこそ、このボクが、そっと背中を押してやる甲斐もあるって事。
クックックッ・・・。面白い。人間って・・・。
そう言えば、いつか、誰かも言ってたっけな。
「ボクは、人の死が見たくてたまらない。」・・・と。
(つづく)
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