Mr.エレクトの独り言 2006年08月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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禁未来小説「ドラへもん」その42「のひ太の逆襲」の巻

禁ちゃん(作者)「あの~。アンさんは、どちらサンでキュウ?」

「どちらもこちらもねえ!!何で、ボクが死ななきゃならないんだっちゅうの!!」

禁ちゃん「キュキュキュキュキュウ!!やっぱり、アンさんは、のひ太!!死んだはずなのに!!」

のひ太「アホウ!!そう簡単に殺されてたまるかってんだよ!!」

禁ちゃん「そんな!!死んだはずの登場人物に、勝手に生き返られてしまっては、作者のワタクシの立場が無いでキュウ・・・。」

のひ太「うっせえ!!うっせえ!!うっせえ!!うっせえ!!うっせえ!!うっせえ!!うっせえ!!うっせえ!!何勝手に殺してんだ!!冗談ぢゃねえ!!ふざけんぢゃねえ!!バカにすんぢゃねえ!!ナメてんぢゃねえ!!このボケ!!このバカ!!このアホ!!このカス!!このクソ!!このゴミ!!このヘド!!このクズ!!このタコ!!」

禁ちゃん「そ・・・そんな、暴言侮辱罵詈雑言の数々・・・。いくら何でも作者のワタクシに対して、それは無いんぢゃないんでキュウ?」

のひ太「うっせえ!!このタコ!殺すぞ!!ワレ!!」

禁ちゃん「そんな・・・。もう無茶苦茶でござりまするキュウ~・・・。」

のひ太「だいたいよう。そもそも、ボクの一人称によるナレーションで話を進めてたのに、40回目だけ、何で時々、おめえがナレーションやってんだって話だよ。でしゃばりやがって!!」

禁ちゃん「それはその・・・。」

のひ太「しかもだ。何で主役のボクを殺してくれてんの?って話。」

禁ちゃん「いやそのそれなんでキュウども、あれはあくまでもドウラミちゃんによる過失であって、登場人物が作者の手を離れて暴走するのは、名作にありがちな、そのなに、ごにょごにょ・・・。」

のひ太「アンギャ~!!戯言は、もういいよ!!と・に・か・く!!連載再開するんであれば、さっさとボクを生き返らせてよね!!」

禁ちゃん「そんな、横暴かつ一方的な要求は・・・。」

のひ太「ムキ~!!いいから、早くしろ~!!ボクを誰だと思ってんだ!!」

禁ちゃん「何て理不尽な。トホホ・・・。」

(つづく)


★ああ、ついに、死んだはずの大悪魔、のひ太が復活してしまうのか!?


のひ太「ええから、早よ、続き書けっちゅうの!!」
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親友金庫

しかし、金が無い・・・。

結局、今月末も足りなくて、また借金をするはめに・・・。

そこで、同業者のもとに出かけ、頭を下げて頼み込むも、簡単に断られ、「この店内で首を吊る!!」と言ったら、店主曰く「どうぞご自由に」・・・トノコト。

ところが、なんと二人もの有志が融資をオッケーしてくれた。

持つべきものは親友・・・

否。築くべきものは信用・・・と言った所だろうか。

とは言え、今月中に返す約束を守らなければ、そんな信用など、もろくも崩れ去ってしまうのみ。

こんなんでは困難を乗り切れない。

だから、借りていては駄目なのだ。

もらわなければ・・・。

お金をくれた人にはこう言おう。

「ありがとう。君が死んだら、必ずお墓参りに行くよ」

・・・と。

24痴漢テレビ

★24時間テレビのマラソン中、ファンが応援のため、芸人に触ろうとして、テレビ局のスタッフに怒鳴られるシーンが生放送され、ネット上で、怒鳴った局スタッフに対し、批判の声があがっているそうな。


部長が女子社員の肩に手を置いたらセクハラで・・・

芸能人に無断で触るのはオッケー?

応援って言うけど、自分のエゴでしかないやん。

局のスタッフが突き飛ばしたりしたならともかく。

怒られたオバちゃんは、あんな公道で芸能人にマラソンなんぞされたら、見物客が大勢集まってしまい、興味の無い無関係な市民が迷惑だから、走るのを邪魔しようとしたんだよね?

まだ、そっちの方が許せる。

相手に嫌がられる応援など、ストーカー行為でしかない。

駄目人間考

最近、駄目人間の事ばかり考えている。

駄目人間は、何故に駄目なのか?

駄目人間は、何処が駄目なのか?

駄目人間のままでは駄目なのか?

駄目人間は、どうするべきなのか?

さしずめ、今の私は・・・

駄目人間マニア。

駄目人間愛好家。

そして、駄目人間研究の第一人者となり、いつかはきっと・・・

駄目人間博士の称号を与えられる事だろう。

そして、その暁には、学会に駄目人間に関する論文を発表したり、大学で駄目人間についての講義を開いたりなんかして・・・

最終的には・・・

「ちょい駄目人間」と言う言葉を流行らせて、流行語大賞を受賞するのかも知れない。

駄目人間研究に、人生の大半を費やした、まさしく、駄目人間に捧げた一生。

トリビュート・トゥ・駄目人間。

駄目人間は世界を救う?

ウィー・アー・ザ・駄目人間。

駄目人間まるごとハウ・マッチ。

禁未来小説「ドラへもん」その41「作者の弁解」の巻

初めマシテ。ワタクシ、作者の禁ちゃんと申す者でキュウ。実は、この度の連載終了に当たり、ファンの方から、貴重なご意見、お叱りの言葉ををいくつか頂きマシタので、その件について、回答したいと思いまキュウ。

まず、あまりにも突然な連載終了に、「手抜きではないか?」との声。

これに関しては、ワタクシとイタシマシテも、本業や私生活に色々と問題がありマシテ、長引く不況のさなか、連載を続ける事が超困難になってしまったんでキュウ。よって、その辺を理解して頂きたいと思ったり、思わなかったり・・・。

他には、流石に、「あれでは、のひ太があまりにも可哀相だ。何も殺す事は無いのでは?」との声は、一切無かったんでキュウども、「別にのひ太が死んだからって、タイトルはドラへもんなんだから、連載まで終了する必要は無いし、せっかく、ドウラミちゃんと言う魅力的なキャラも登場したんだから、死んだのひ太の事なんか忘れて、今後は、彼らを中心に物語を続行したらどうか?」との、現実的なご提言もありマシタ。

しかし、何と言っても、ワタクシのナイーヴなこころをグサッと突き刺したのは、「アンタ、200回まで連載を続けると言ったぢゃないか!!それを途中で打ち切るなんて、約束を破るのか!?」・・・とのお叱りの声だったんでキュウ。

ワタクシ、悩みに悩みマシタ・・・。

そして、その結果、一度はやめた連載なんでキュウども、元々、大好きで始めた連載だったんでキュウし、ファンの皆が、禁ちゃん、またやれよって言ってくれるなら。

・・・うん。

「オレやるよ!!みんながやれって言うからやるんだからな。」


★それでは、皆様。引き続き、当連載をご愛顧の程、ヨロシクお願いイタシマキュウ!!


・・・と、そこに・・・。

「こりゃあ~!!何、ごちゃごちゃ言うとるんや!!このタコ!!」

禁ちゃん「ああっ!!アンさんは!!どうしてここへ!?」

(つづく)

告白

ウフフフ・・・。

回りくどいものの言い方、大好き!!

説教

ぐだぐだ言いやがって、「イヤなら出てけ!!」って?

ウフフフ・・・。

親にも良く言われたよ。

「イヤなら食べるな!!」・・・ってね。

駄目人間のつぶやき

一緒に暮らす旦那(駄目な競走馬)を責めても仕方無い。

目の前に居る子供(自分より更に弱い者)を虐待しても意味が無い。

負の連鎖、その繰り返しでは、根本的な問題は何ひとつ解決しない。

また、奴隷(この世の掟に従わないと生きていけないと思い込まされている者)に怒りをぶつけてもしょうがない。

ただ、資産の量が多いほど偉いと言う価値観、すなわち、家畜の数を競うかの様な現代の価値観に関して、一度、疑いの目を向けてみる事は、必要かも知れない。

“与えるものの量”より“奪うものの量が多い”人間の方が偉い?

“偉い人”とは、どう言う人の事を指すのか?

・・・とは言え、これで良いのかも知れないと言う思考が、不意に頭をよぎる。

この世は、弱肉強食で良いのではないか?・・・と。

本来、人間とは、利己的なものなのだから、その本能を最大限に発揮出来る能力のある人間、すなわち社会的強者が利益を独占するのは当然であり、皆が、それに憧れ、そうなりたいと考える事も、必然なのかも知れない。

何故なら、利己的な本能とは、種族保存のためにあり、そのためには、何よりもまず、自分の生命を維持する事が最優先されるがゆえ、その本能や能力が、弱いよりは強い方が良いに決まってるからである。

ただし、それとは反対に、利己的な本能を抑える事こそが正しくて、それこそが動物には無い、人間だけに備わった素晴らしい特性であり、可能性であると言う考えも、捨てきれない。

鳥の翼は何のためにあるのか?

魚のひれは何のためにあるのか?

ライオンの牙は何のためにあるのか?

ヒトの理性は何のためにあるのか?

否・・・。

ヒトの本能は何のためにあるのか?

そう考えると、やはり、私の考えは間違っており、負け犬の愚痴でしかない事が、良く解る。

この世は、人間は、利己的に生きるのが正しい。

自分の血を保つため、家族を作り、守り、幸せにし、自分の家系を永きに渡り繁栄させる事こそが、ヒトとしての真っ当な生き方なのだ。

ただし、そのためには、先祖から受け継いだ権力や資産を基に、家系を繁栄させ、維持していくための能力と言うものが、必要不可欠となってくる。

ゆえに、生まれた家系、家庭、環境、いかなる理由を考慮に入れようとも、それが出来ない人間は、単なる駄目人間なのである。

トナルト、最大の問題は、「駄目人間に生きる資格はあるのか?」と言う点に尽きる。

まあ、資格が無くたって、生まれたからには、生きて行くしかないのだが・・・。

とは言え、被搾取階級(奴隷の家系)に生まれ、能力も無いのであれば、せめて、この肉体を流れる支配者体質的利己心が、一刻も早く、そして少しでも薄まってくれればと、私は、ただただ願うのみなのである・・・。

世の中に認めてもらうには・・・<一部訂正済>

何と言うのか、「自分の考えや、行為、作品を世の中に認めさせる」と言う事は、本来の意味からすれば、世の中、すなわち「他人に自分の考えを“認めさせる”」事であり、「世の中や他人の価値観を変える、あるいは覆す」事であるはずなのだが・・・

世の中に“認められる”には、ある程度、世の中のルールに従わなければならないと言う矛盾。

“認めさせる”と、“認められる”の違い。

そして、“ある程度”とは、“どの程度”なのか?

「世の中に自分の存在を認めさせる」と言う事が、「世の中に自分の存在を認めてもらう」事であるならば、それは要するに、受身的に“してもらう”訳で、そんなものが自己表現だとか、真の自主独立と言えるだろうか?

答えは、ノーだ。

そもそも、世の中が認めようが認めまいが、明らかに自分は生きて存在しており、色々な事を考えたり行ったりしている訳で、それを認めろとまでは言わないが、必要以上に、その存在や価値を否定される謂れが、何処にあろうか?

「解ってくれとは言わないが、そんなに俺が悪いのか」とは、チェッカーズの歌であるが、例えば、確かに食べてはいけないものと言うものがあり、生命に損傷や危険を及ぼすものは、食べるべきではないだろう。しかし、日本では喰わないと言うだけで、とある国においては、芋虫が栄養満点の豪華なデザートである場合、それを喰う事に、何ら問題は無い訳で・・・。

要するに、あくまでも、地域限定、時代限定に過ぎない価値観、それも、生き物の生き死にに関わる事柄ではなく、ましてや、ヒトを支配し搾取し家畜化するために植えつけられた価値観なぞに、認められる必要が、どこにあろうか?と言う事を言いたい訳である。

他人を傷つけたり、自分の命を粗末にしているのならばともかく、変人だとか、流行遅れだとか、競走馬失格だとかの評価に対し、劣等感を感ぢる必要は、どこにも無いと言う事だ。

とは言え、短絡的に、少数民族だから、貴重ゆえ価値が高いと言う訳でもない。

要は、この地に存在するために、どれだけ、ご主人様に従順であるか、家賃をどれだけ支払っているかと言う点が、人間としての価値を計るバロメーターであろうはずがないと言う事だ。

認められようが認められまいが、居るものは居る訳で、自分勝手な誰かさんの都合で、益虫と害虫に区分されてたまるか。

区分するなら、家畜度、逆に言えば、自主独立の度合いによって判断して欲しい。

・・・って、だからこそ、家畜度の低い者は、今の世の中では、駄目人間扱いされると言う事も事実ではあるが・・・。

世の中に認められると言う事は、現在の世の中を利己的な目的で動かしている一握りの人間達に誉められる事でしかない。

ゆえに、結論を言えば、劣等感を感ぢる時点で、貴方も私も、既に、この世の価値観に大きく左右されていると言う事でもある。

むしろ、劣等感、否、罪悪感を感ぢなければならないのは、自分達の利己的な目的のためだけに人間を家畜化しようとする、一握りの人間達の方なのだ。

よって、私は、“世の中に役立つ人間”、すなわち、“優秀な奴隷”になるよりは、むしろ、“世の中の役に立たない人間”の役に立ちたいと思うのである。

誰をも傷つけず、奪わず、犠牲にせず、自分の命を喜ばせる様な生き方をしている人間に、私はなりたい。

楽しいことは、なんて悪いことなんだろう。

他人に咎められる様な事をするのであれば、ともかく・・・。

自分が楽しいと思う事よりも、他人の目を気にしたり、他人に認められる事を優先するのは、如何なものだろうか。

そう言うヒトは、よっぽど、その存在、思考、行動を制限され、抑圧され、素直な気持ちを踏みにぢられてきたんだろうな・・・。

そして、悲しいかな、その呪縛、洗脳、強迫観念は、そう簡単には解けない。

しかし、楽しい事をするのは、そんなに悪い事なのだろうか・・。

競走馬の独り言

生まれた時から競走馬。

望んでないのに競走馬。

競走馬を走らせて利益を得る、胴元に生まれたならともかく・・・。

競走馬が、胴元になる事は有り得ない。

せいぜい、競走馬のボスどまり。

競走馬として生まれたならば、競走馬としての能力、優劣、性能でしか、存在価値を問われる事は無い。

競争に参加したくなくとも、参加を余儀なくさせられる。それが、競走馬として生まれた者の宿命。

競争への参加を拒否するヒネクレ者はもちろん、競争についていけない役立たずは、隅に追いやられ、屠られてゆくのみ。

近所の主婦の会話。「○○サンとこのムスコさん、コナイダのレースで優勝したみたいよ。」「あらそう。それは奥様も鼻が高いわね~。」

小学生の作文。「大きくなって、レースに参加出来る競走馬になったなら、胴元に誉めてもらえる様な、いい走りをしたいと思いマス。」

それが、競走馬の生き甲斐。

それが、競走馬の存在価値。

それが、競走馬の夢。

夢・・・?

そう。立派な競走馬になれる可能性が、少しでもある者にとっては・・・。

ただし、大した能力も無く、そのくせ、立派な競走馬にならなければ、生きている価値が無いと思い込まされ、洗脳されている者にとっては、この世は、ただただ地獄でしか無い。

胴元は偉い人。

胴元は立派なお方。

胴元は素晴らしい。

何故なら、胴元は人間だから。

ヒトがヒトを支配するのは良くないけど、ボクらは競走馬だもんね。

胴元に感謝。

ボクらに、生きる事の意味を教え、意義を与えてくれた・・・。

ふにゃら~(武蔵野→武蔵境だった、ゴメン)

さて、あまりに過剰な労働量に怒りを覚え、少し興奮し過ぎて、「革命三部作」「立派な鯉」「地球の家賃」と、激しく血迷った意見を連発してしまったので、バランスを取るために、少々柔らかい話題などを・・・。

ほにゃ~。毎日暑いね~。

はあ~。せつないね~。はかないね~。

はあ~。のらりくらりの、のらえもんおんろ~。

ちょいとでたほいのでたほいのよいよい。

なんかちょうだい。

ふあ~。もう、ねむねむなのだ~。

ほぎゃらへのはらこらぺっちゃ。


昨日から「RAW POWER」ばっか聴いとるで。

このアルバムなら、何百回でも連続で聴けるでよ。

曲に合わせてギター弾いたりしながら・・・。


明日25日は、武蔵境STATTOへ行くべし。

教室の後ろの方の隅っこにいた奴らが大集合しとるで。

地球の家賃

人より偉くなりたい者は、誰よりも偉い行いをすれば良し。

人の上に立ちたい者は、人の上に立つ為に努力をすれば良し。

人よりお金を稼ぎたい者は、人の3倍働けば良し。

また、他人は他人、自分は自分なんだからと、高望みなどせず、ノンキに暮らしたい者は、その様にすれば良い。

誰もが、自分のやりたい事を、自分で選び、決め、やれば良いだけの事。

ただし、他人を犠牲にせず、誰をも傷つけず。

しかしまあ、この星に生まれて、ビックリしたぜ。人間ってやつの生態に。

殆どの人間が、本当にやりたい事の半分も出来ずに死んでゆくなんて・・・。

どういう星だ!!ここは。責任者出て来い!!

なんて家賃の高い星なんだ!!

人間の寿命は短い。気が付いた時には、死んでいる。

やりたい事を、やりたい様にやらずしてどうする。

終身刑を言い渡された、囚人ぢゃあるまいし。

それとも、この星は、何かの修行の場か?

死んだ後に、ご褒美でももらえるのか?

ゴキブリコンビナート鑑賞記(2006.7.16.)

ゴキブリコンビナート第20回公演「そよ風のささやき」at 旧淀橋第三小学校跡地グラウンド

今回は、3日公演のうちの中日を観劇。野外公演だと言うのに、雨続きで心配だったのデスが、この日は運良く雨も止んでくれマシタ。

公演場所は、当店から自転車で3分程度の近場にある、廃校となった小学校の跡地を再利用している文化施設で、日頃は主に、落語の公演や、合唱団の練習や発表会等に利用されている模様。そんな健全な施設のグラウンドの一部を借りて、ゴキコン念願の野外公演が実現した訳だから面白い。

使用されている敷地は、広さから言えば30~40坪程度だろうか。野外とは言うものの、グラウンド内に、高校の教室を二つ並べたくらいの大きさの、木の壁に取り囲まれた小屋的なものが一応あり、しかし屋根や天井が無いため、野外公演ならではの解放感は期待出来そうだ。今の所は・・・。

そして中に入ると、今回は、ステージを客席が取り囲む形となっていた前回の公演とは正反対に、地面むき出しの中央部分が客席となっており、その周りを、ビル工事の際の足場の如く、木材を組み合わせて作った、客席から見上げる形となる立体的な通路が取り囲み、更に前方と後方には若干広めのステージ部分が、バラック的にラフに設営してあった。それらを見ていると、何だか、小学生時代に、建設現場の資材置き場で勝手に作って遊んだ秘密基地なんかを思い出す。・・・とは言え、周辺を取り囲む上方通路の数ヶ所には、クレーンによって上下するドラム缶が吊るしてあったりと、その構造がもたらす空気が、この先、何かが起こる不穏な予感を充満させていた。

さて、物語のあらずぢであるが、簡単に言えば、前回の作品が、不幸が不幸を呼ぶ、“逆わらしべ長者”的、同時多発的な負の連鎖であったとするなら、今回は、時空を遡り、原始時代にまで連なる負の連鎖、否、負の歴史が続々と暴き出され、総登場した先祖の面々が、その末裔に対し、呪わしき因果の継承を断ち切る事を要求すると言う、何とも荒唐無稽なストーリー展開であった。(・・・と、だいたいそんな所。実は、もう正確には覚えていないので・・・。)

また、シナリオとは別に、特筆すべき点はと言えば、役者達の体当たりの演技はもちろんの事、数分おきに、中央客席スペースへと乱入する、移動式ミニ・ステージ(しかも2台)のもたらす効果であろう。役者を乗せたその台車が、客席を右に左にと動き回る度に、観客は逃げ回らねばならず、これらは、鑑賞中における緊張感を持続するための刺激剤であると共に、ある種、観ている者までが劇中への参加を強制的に強いられる事により、役者に対してのみならず、観客同士にも連帯意識の様なものが芽生え、知らず知らずのうちに、作品に対する感情移入度を高めさせられてしまうと言う効果があるものと思われた。

実は、ゴキコンの演劇を観て、常に感ぢるのは、ここの所。要するに、観客である私達が、ただ観ているだけでは済まされず、あくまでフィクションであるはずの劇中に、いつの間にか配役されてしまっている点である。そして、それは私達に、良識ある市民面を装った無責任な傍観者である事を許さず、恐ろしい事に、自分が差別する側であるのか、もしくは差別される側なのかと言う、個人個人の立ち位置を明確にする事さえをも要求してくるのであった。更に、もっと解りやすく言うならば、これは、劇中に登場する“不幸な人達”、“不遇な人達”、“不具な人達”に対し、眉をひそめるのか、笑いとばすのか、そのどちらを選ぶのか?と言う、問いかけでもあるのだ。

そもそも、ゴキコン演劇の真骨頂と言うか、その目論みとは、人々が真っ当な社会生活を営むために日頃は押し隠している利己的な本性、そんな人間の醜い本質を引き出す事であると、私は考える。何と露悪趣味な?そうかも知れない。しかし、劇中、欲望をむき出しにして獲物に群がる障害者や奇形児達の、無邪気・・・と言うか、純真無垢な姿を目の当たりにし、そして、自分も含め、その醜態を見てゲラゲラ笑っている観客を見るにつけ、この状態こそが、人間の自然な、あるべき姿であるとさえ思えてくるのだから、何とも不思議なものである。

人間なんて、下らない・・・とは、思わない。かと言って、素晴らしいとも思わない。しかし、自分のこころに押し隠した醜い部分や、弱い部分、ずるい部分を、自覚しているのといないのでは、大きな違いがある。

自分のこころに正直な者は、その醜さに耐え切れず、劣等感を抱くのが常。しかし、自分のこころに潜む醜さに、劣等感を抱く必要など無い。

人間なんて、しょせん欲望の権化。人間なんて、そんな大した生き物ぢゃない。・・・そう思えた時、私は何だか、こころが軽くなった気がした。

そう。人間にとっての、本当の強さとは、自分のこころに正直に向き合い、さらけ出せる勇気の事を指すのだ。

世間では、正直者はバカを見ると言う。

しかし、だからこそ、正直者に勇気を与える劇団、ゴキブリコンビナートの存在意義があるのだと、私は考える。

ゴキコンがやらねば、誰がやる!!(←こればっか。)

(報告オワリ)

↓今回の公演告知フライヤー。

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立派な鯉

広い庭で飼ってる鯉に餌をやるとする。

一握りの餌を、池に放り込むと、多くの鯉がいっせいに集まり、餌の取り合いをする。

この鯉が、私達で、飼い主があいつらである。

そんな餌、死んでも食うもんか。

池に近づこうものなら、喉笛に噛み付いて、殺してやる!!

これまで何人の人間を、家畜にしてきたのか。

もうたくさんだ!!

立派な鯉になんて、なりたくない。

俺は、人間になりたいのだ。

革命三部作③「野良犬の誇り」

ところで、勘違いするな。私の本当の夢は、楽しく遊んで暮らす事である。

何故に、怠け者の、この私が、毎日毎晩、こんなに必死に働かなければならないのか。

以前にも述べたが、「働かざる者、食うべからず」なんてのは、大嘘だ。

本来は、「資産も無いくせに、働かざる者は、食うべからず」・・・が、正しい。

私は、競争する事自体が、嫌いな訳では無い。

ただし、一部の人間の利益のために、不必要な競争を強いられる事や、自分が望んでもいない競争に参加せざるを得ない現状が、いやでいやでたまらないのだ。

要するに、自分が努力した事以上の、報酬を求めている訳ぢゃない。

受け取るべき、正当な報酬を求めているだけなのだ。

聖書によれば、この世は、人間のために作られた楽園ではなかったか?

何と言うのだろうか・・・。これほど、努力の価値が、汗の粒が、情熱に対する評価が低い惑星が、他にあろうか?あったら教えてくれ。

もうね、何て言うか、一人の人間が、ちっぽけな下らない安っぽい優越感を得るために、どれだけ多くの人間が踏みにぢられてきたか・・・。

偉そうにしたいなら、本当に偉い人間になれよ。

哀れな奴隷の番長、貧相な乞食の王様どもめ。

勝ち誇ったお前のその面、醜すぎて反吐が出るぜ。

その程度で満たせるなんて、なんてちっぽけなプライドなんだ!!

権力者の番犬め!!


・・・もしも、生まれ変わったなら、私は、野良犬になりたい。首輪にも鎖にも縛られない野良犬に。山奥かどっかで、ひっそりとのたれ死ぬのも悪くない。

自分がやりたいと思う事だけをしたい。

一生、楽しく遊んで暮らしたい。

飼犬になんか、絶対ならねえ!!

革命三部作②「野暮な野望」

これは、誇大妄想と思われるかも知れない・・・と言うか、狂人の戯言でしかないのだが・・・。

結局の所、私が求めているものとは、個人の欲望を美化しただけに過ぎない、夢などと言うちっぽけなものでもなければ、自分の収入を少しでも増やしたいだとか、自分の暮らしを少しでも良くしたいなどと言った、死んだ後でやれば良い様な事ではないのだ。

しかし、だからと言って、現在の世の中を牛耳り、我々を支配している人間達を懲らしめたいと言う訳でもない。

私が望むものは、あくまでも、真の自由競争であり、参加したい者が自由に参加出来、そのプロセスにおいて、資産の差によるハンディも無く、努力の成果が公平にジャッジされる、そんなフェアな世の中である。

ゆえに、競争に参加したくない者までが参加する必要も、当然無い。

要するに、本来は、金持ちだろうが貧乏人だろうが、ある年齢に達したら、親や家系の力など当てにせず、それそれが自力で運命を切り開くべきなのである。とは言え、育て方や教育レベルに差はつくが、当初は、そのくらい認めても良いだろう。

こんな世の中で、自分だけが少しでも利益を得ようと、我々が醜い争いをすればするほど、甘い汁を吸っているのは誰だ?

そろそろ気づけよ!!回転する檻の中を走り続けるハムスターぢゃあるまいし。

本当に、自分の幸せを、そして、自分の子供や、その子孫、末裔の幸せを考えるのであれば、今すべき事は何であるのか?

利益を独り占めしている少数の人間が居なくなれば、多くの人が救われると言うのに・・・。

そもそも、戦争反対なんぞを訴えるのであれば、奴隷同士の下らない競争なんてさっさとやめて、これ以上、既得権益者どもに利益を吸い上げさせない事だ。

現在の世の中で、現時点、我々が競い合うメリットなんて、何処にも無い。

更に言えば、こんな不公平な世の中でも、のし上がって行ける様な、力のある者は、世の中が変れば、ますます、その能力を発揮出来るのだから・・・。

こんな理不尽なハンディ・キャップ・マッチなんて、バカらしいと思わないのか!?

自分の利益だけを考えていては、あいつらの思う壺だ。

我々、奴隷階級に必要なのは、競争する事ではない。結束する事である。

目先のちっぽけな利益に、買収されてんぢゃねえ!!

夢を持つなら、もっと大きな夢を持ちたいものだ。

理不尽極まりない、この社会を変革すると言う・・・。

革命三部作①「奴隷解放宣言」

人間に寿命、すなわちタイム・リミットがある限り、私達は、好むと好まざるに関わらず、“選ばざるを得ない”場面に、多々出くわす。

ゆえに、自分の好き嫌いで物事を判断し、選び取る事こそが、最も重要となる。

誰だ!!

しょせん一時の流行でしかない既存の価値基準、あるいは、ある目的のためにでっち上げられた、一部の人間だけに都合の良い、手前勝手極まりないルールを、さも権威あるものであるかの様に押し付けるのは!!

もちろん、好きになる努力、理解しようと務める事も大事ではある。

しかし、それらはあくまで、自発的な意志に基づいていない限り、単なる苦役でしかない。

ヒトが、この世に生まれたからには、楽しく生きなければ嘘だ。

ただし、他の誰かを犠牲にしたり、傷つける事無く。

誰だ!!

手前が利益を得るためだけに、私達に、一方的な価値観を植え付けようとするのは。

もう、利用されるのは、搾取されるのは、家畜にされるのはゴメンだ!!

夢なんぞ、個人の欲望を美化したに過ぎないが、夢も希望も無い、この世の中。

せめて、自分の好き嫌いくらい、自由に発言出来なくて、生きている意味などあろうものか!!

ましてや、他人の利益のために、自分の嗜好を曲げてどうする。

・・・とは言え、選んでいるつもりになってはいるが、実に狭いバリエーションの中から、やむを得ず選択させられていると言う事も、また事実。

子供の代用品として可愛がられるペットならともかく、自分が食べているものより美味しいものを、家畜に喰わせる飼い主なんて居ないからな。

だけど、否、だからこそ、無理矢理差し出される餌なんて、絶対に食わない。

健康維持のため、すなわち自分の為になると言うのであれば、ともかく。

プチ支配者気分を味わうために、多くの人間が労力を注ぎ込んだ高級料理を食べるくらいならば、自分で工夫をこらして作った創作料理を食べた方が、よっぽど有意義だ。

繰り返し言う。他人から何かをしてもらう事で味わえる、プチ支配者気分なんて、味わいたくない。

あくまでも対等に、お互いの利益、喜びになる関係性を築かなければ、こころの底から楽しくなれない。

ただし、憎むべきは、目の前に居る、洗脳され飼い馴らされた子羊達では無い。

本当に呪うべきなのは、貨幣制度や土地(あるいは資源)の私有化によって、血の継承を磐石にした、支配者階級の始祖であり、その末裔達なのだ。

人間の努力が、汗が、情熱が、正当に評価されない世の中なんて、絶対に受け入れられるものか!!

ふざけるのもいい加減にしろ!!

理想主義者

「正しい事をしていれば、いつかは受け入れられるはずだ。」

理想は、そうかも知れない。

しかし、貴方は大きな勘違いをしている。

何故なら、貴方のしている行為が正しかろうが、間違っていようが、それをジャッジするのは、現在、この世に生きている多くの人間達であり、間違っても、神様だとか、真っ当な倫理観を持った裁判官などでは有り得ないからである。

すなわち、現時点において認められてないものが認められるとするならば、それは、貴方の思想が正しかったと言うよりは、この世に生きている多くの人間達の、価値観なり、ものの考え方が変ったと言うだけの事である。

そして、ここからが最も重要なのだが、その変化をもたらしたのは、貴方の功績ゆえにでもなければ、多くの人々が正義に目覚めた訳でもなく、それとは別の何か、もっと大きな力によって為されたに過ぎないのだ。

この世は、民衆を支配統率する、権力者の思惑によって成り立っている。

すなわち、こう言う事である・・・。

「おめでとう。これは、非常に喜ぶべき事だ。何故なら、貴方の行為が、民衆を支配するための小道具として、承認されたのだ。」

そして、貴方は満足し、プライドを保ち、積年の願望を達成し、自己の欲望を充足させ、穏やかに死んでいけるだろう。

ただし、世の中の仕組みは、何一つ変りはしない・・・。

相変わらず、第二第三の貴方が生まれ、その中の一握りが成功し、その他多くの者は、苦しみと敗北感に苛まれ、寂しく死んでいくだけの事である。

私の怒りは、自分自身の不幸や苦悩や葛藤を解決しただけで収まる様な、ちっぽけなものではない。

この地球上における、人間同士の争い、憎しみ、孤独。それらがすべて無くならない限り、そして、それらの苦しみを生み出す元凶を根絶やしにしない事には、気が済まないのだ。

ちっぽけな自尊心を満たす事や、わずかな快楽を得る事くらいで、買収なんてされてたまるか!!

・・・とは言え、この管理社会において、支配者達の思惑に変革など起こり得ない事くらい、いやと言う程解っているし、自分に社会変革など為し得ない事くらいは、自覚している。

ゆえに、私は、絶望するのである。

だが、そもそも、自分独りが幸せになる事なんて、簡単過ぎて、生き甲斐を感ぢないのだ。

フフフ・・・。

私と言う人間は、何とも驕った、理想主義者である事よ・・・。

驕った?・・・否。狂った・・・と、言い換えるべきだろうか。

やるせない

苦しい・・・。

頑張ってはみたが、やはり、全然・・・と言う訳でもないが、いつも通り、足りない。

今月から始めた週休二日制ならぬ、集中二日制も、その効果がすぐに現れる訳ではないし、元々、8月ってのは、アウトドアの娯楽が盛んになるため、中古レコードの売上が落ち込むのは常なのだ。

しかし、苦しい。・・・色んな意味で。

ロボットになれれば良いのだが、あいにく人間なもので、色々と余計な事を考えてしまう・・・。

やるせない・・・。

ところで、「許せない」と言う感情があるが、これは面白い。要するに、対象物の存在や、行為、思想を、否定し抹殺したいと言う事なのであるからして、何とも偉そうで良いではないか。

あるね~。「許せない」と思う事。

なんで、そう思うのかね?

自分の考えと異なるからか?自分に不利益をもたらすからか?

いや~。人間らしくて、実に良いね。

しかし、明らかに存在するものを、許すも許さないも無いと思ったりもするのだが、ならば、滅ぼすしかないかね~。

まあ、そう言う争い事によって、人間社会は発展してきた訳だが・・・。

「許せない」?

何が許せないのか。何故、許せないのか?

お前は、何様だ?

・・・とは言え、かく言う私も、「許せない」と感ぢる事が、多々ある訳で。

そもそも、「許せない」と言う感情を抱く事こそが、人間である証なのかな?

だって、すべてを許したら、時間や自然現象に翻弄されて死んでしまうか、理不尽な仕打ちに身を任せて殺されてしまうだけだものな。

禁未来小説「ドラへもん」その40「無残な結末」の巻

のひ太「ねえ!!パパ!!ママ!!ボクをどうする気なの!?」

パパ「のひ太。いいか、良く聞いてくれ。パパにはもう、お前を教育するだけの能力が無い。だから、しばらく、その道のプロに預けようと思ってるんだ。これは、本当にお前のためを思ってする事なんだから、解ってくれるな?」

のひ太「・・・ボクは一体、何処へ連れていかれるの!?」

ドウラミ「とりあえず、アタシが働いてる、あんたみたいな問題児を矯正するための施設でしばらく寝泊りした後は、北海道の農場にでも送って、何年か働かせるかね~。」

のひ太「ええ!!そんな!!ボク、そんなのイヤだ!!パパ!!ママ!!ねえ、嘘でしょ?」

ドウラミ「パパさん。ここが肝心でっせ。アンタが今まで甘やかし過ぎたせいで、コイツはこんなに捻ぢ曲がってしもうたんや。ここでまた、アンタが甘い所を見せたら、もう直るもんも直らないっちゅうか、コイツもそうやが、アンタら家族全員、死ぬまで地獄の苦しみを味わう事になりマッセ。一旦やると決めたんなら、アンタも覚悟決めなはれや!!」

パパ「そうだな・・・。のひ太。ドウラミ君の言う通り、すべては、パパがお前を甘やかし過ぎたせいで、起きた事だ。だから、もうこれ以上、私はお前を甘やかす訳にはいかない。たのむから解ってくれよ。」

のひ太「そんな!!ボクやだ!!ボクはパパとママの子でしょ?ボクは、ずっと、この家に居たいよ!!」

パパ「心配するな。ドウラミ君は、この道のプロで、同ぢ境遇の子供を、何人も救ってきてるんだから。いつかまた、皆で楽しく暮らせる日も遠くないさ。」

のひ太「嘘だ!!パパはボクを見捨てる気なんだ!!パパは、ボクの事が嫌いになったんだ!!そうだ!!そうに決まってる!!パパの・・・、パパの、裏切り者~!!」

パパ「のひ太・・・。」

のひ太「そうだ!!ママ!!ママは違うよね?ママは、ボクを見捨てたりなんかしないよね!?」

ママ「・・・のひちゃん。私も、パパの意見に賛成なのよ。」

のひ太「そんなあ!!パパもママもずるいよ!!何でボクだけ、こんなつらい目に遭わなきゃならないんだ!!何で!!何で!!」

ドウラミ「ええい!!うるさい!!黙れ、こんガキャ~!!お前って奴は、ようもここまで、自分を甘やかして来たもんやのう!!今の今まで、お前がどれだけパパさんやママさんを苛め抜き、苦しめ続けてきたか、考えてみい!!お前の居る場所なんざ、もはや、ここには無えんだよ!!」

そう言うと、再度、ドウラミちゃんは、のひ太をうつ伏せにし、背中に馬乗りになった。

ドウラミ「何なら、ドツキ・ヨット・スクールに送ったってもええんやで!!ただし、あそこは年に何人か、必ず死者が出るんで有名やけどな!!」

そして、ドウラミちゃんは、のひ太に、こう耳打ちした。

ドウラミ「(小声で)いいか。パパさんやママさんと違って、アタシはアンタが死のうが生きようが、どっちだって構わないんだ。アンタは、アタシの兄貴、ドラへもんの仇だって事、忘れんぢゃないわよ。」

のひ太「ううぅぁぁぁあああああああ!!!」

ボクは泣いた。でもそれは、自分が今までパパやママにしてきた酷い行為に対して、罪の呵責に耐え切れなくなったんぢゃなく、あくまでも自分可愛さゆえにであり、自分が現在置かれている苦しい状況が、悲しいからに過ぎなかった・・・。

ドウラミ「いいか、良く聞け!!お前の様な精神の弱い奴はな、いずれにせよ、結局、周りの人間や身内を苦しめる結果をもたらすんや。何故なら、弱い人間は、自分以外のすべての人間が、皆、生まれつき強いものだと思い込んでるから、自分本位な嫉みや、見当違いな怨みを抱くもんなんや!!だけどな、いつまでも勘違いしてんぢゃねえ!!ええ加減に観念せえ!!大人しゅう、あきらめやがれ!!」

そう怒鳴り続けながら、ドウラミちゃんは、右腕で、のひ太の首を思いっきり締め上げた。

のひ太「うぐ・・・むぐぎゅぅぅぅうう・・・。ふぎゃぁぁぁああぅ・・・ぐわ!!」

何とも気味の悪い呻き声を上げたかと思うと、その直後、のひ太は、ピクリとも動かなくなった。

ドウラミ「やべえ!!やっちまったか!!」

・・・のひ太は死んだ。

(完)

★ご愛読、誠にありがとうゴザイマシタ。(作者)

夏休みの想い出

アッと言う間に、短い夏期休暇・・・ならぬ夏期合宿が終了。う~ん、まずまずの仕事量はこなせたであろうか。昨夜も、ブラック・リゲインを飲んで頑張ったのだが、先程、2本目を摂取した所である。

とにかく、実際の効能は別として、確実に“効く気がする”ってのは、良いネ。

だが、夏休みの宿題ならぬ、既に予告済の課題が、まだ残っているのであった・・・。

そう。それは、ゴキコン野外公演鑑賞記である。ここはついでに、先日観た、ゴキコンの劇団員でもある“病気マン”のライヴ・レビューと共に、毎度お馴染み、私なりの勝手な解釈(妄想含有)にて、近日中に発表させて頂くとしよう。

ところで、友人よりメールがあり、当ブログに関して、「相変わらず、カネにならん事ばっかしとるネ~。チミ~。」と、言われた矢先なのであるが、本当の財産とは、カネでは無く、ヒトなのだ。

周りに居る人間を大事にしない人間は、誰からも大事になどされないだろう。

その様な人は、それまで、よっぽどヒトから大事にされなかったんだろうな・・・。

ハニカム

先日、私の友人達に評判の良い、ハニカムと言うバンドのライヴを観る事が出来た。そこで、私なりの感想をば・・・。

ハニカムとは、ブレーキの壊れた自転車に乗って、坂道を下って行く様なバンドである。

彼らの音楽性を簡単に説明するならば、基本的には、超ラフなガレージ・パンクに、ちんどん屋テイストを加味したものであるが、中には、様々なジャンルの音楽の要素を加えた演劇的構成の曲もあり、持ち札の多さも窺える。聞くと、ライヴ毎に何かしらテーマを決めて演っている様だ。また、現在はベース募集中との事で、この日のライヴ演奏は、ベース・レスによる偏った音色と、矢継ぎ早に繰り出されるショートな楽曲群が、オシリペンペンズなどを連想させるものであったが、後にベーシスト在籍時の音源を聴いた所、なかなかにハード・ドライヴィングなサウンドであった。

それでは、メンバー紹介。

ギターの龍一氏の創る曲は、直感や発想をダイレクトに反映させた、非常に直裁的なもので、それゆえ虚飾や脚色の少ない直情的な作風となっており、金属を擦り合わせる様なヒリヒリしたギターの音色と相まって、ある種、何かを創り出すと言うよりは、むしろ破壊する感覚に近いものを、私は感ぢる。

ドラムの渉氏は、バンドを支えリズムをキープするのでは無く、煽ると言うか、あるスタイルの楽曲に適したテンポと言うものを無視した、生き急ぐ感覚に溢れており、つまずいた勢いで前のめりに破滅の坂を転がり落ちるかの如き加速感が、聴き手の感覚を必要以上に高揚させる役割を果たしている。

そして、戸川純を彷彿させる、女性ヴォーカリストのセシル嬢。その壊れっぷりと、演劇的な要素をも含んだ、徹底的に声色を使い分ける能力は、男性の保護本能をくすぐり、同時に、聴衆が真実とフィクションとの境界線を見極めんとする真っ当な行為すら、愚の骨頂であるとあざ笑うかの様な、狂った独裁者の如き危うさがあり、それこそが、彼女の最大の魅力であろうか。

自ら進んで、ブレーキの壊れた自転車に乗りたがる者など居ない。だがしかし、もし仮に、それでもブレーキの壊れた自転車に乗る人間が居るとするならば、それは、“ブレーキの壊れた自転車に乗ると言う事がもたらすリスクを知らない者”か、あるいは、そのリスクを踏まえた上で、なおかつ、“ブレーキの壊れた自転車に乗ると言う事のスリルを楽しむ事の出来る人間”である。

あなたが後者であれば、間違いなく、ハニカムを好きになるであろう。

ただし、ハニカムを好きになると言う事は、ブレーキの壊れた自転車で坂道を下ると言う事であるからして、その後のあなたの人生がどうなろうと、一切、保障など無い。

よって、「それでも結構!!」「望むところだ!!」と言う方にのみ、私はハニカムをお薦めするものである。

★ハニカム「ハニカムの異常な生活」
全5曲収録(CD-R作品)¥500
~ライヴ会場及び、当店にて通販可能!!
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その後の、“断絶間”

さて、デビュー・ライヴでは、ヴォーカルが聴こえず、本領発揮とは行かなかった“断絶間”であるが、あれから3度ほど、そのライヴを観る機会があった。中でも、池袋手刀でのライヴが、小屋も広いせいか見やすく、特に印象に残った。

ところで、“断絶間”同様、漢字3文字のバンド名を冠した、かのスターリンの前身である“自閉体”とは、未だ、「どうやればパンクになるのか?」すら解らなかった時代における、手探りの試行錯誤の途上に咲いた徒花であり、若気の至りが生み出した大いなる勘違いの産物であるのだが、それゆえに“自閉体”のサウンドは、形にならない初期騒動がいびつなままむき出しとなっており、ある種、本来の意味での“パンク”足りえたのだと、私は考える。それでは、“断絶間”とは、日本のパンクの歴史において、如何なる立ち位置を獲得しているのであろうか?

ちなみに私は、断絶間を、当初、“ずるい”と称し、そして後に“意地悪なバンド”であると称した。

何故ならば、もはや現代は、「どうやればパンクになるのか?」「どうやればカッコ良く見えるか?」「どうやれば客が喜ぶのか?」と言うマニュアルを、当然の如く知り尽くしている事が大前提であるにも関わらず、彼らは、あえてそれを外し、意識的に避け、斜め横を向き、平気で後ろ姿を見せるからである。

そもそも、断絶間の音や演奏を、言葉で表すならば、“陰”であり“鬱”であり、そこには、“降り止まない雨”や“長引く泥沼の戦争”、“出口を見出せない自問自答”、“終りなき苦悩と葛藤”、等のネガティヴなイメージが、べったりとまとわりついている。もし仮に、彼らの音に爽快感があるとすれば、手首をカミソリで切った時に噴き出す血のほとばしりに近い性質のものであろう。

具体的に述べるなら、ヒステリックな音色のギター、太くうねるベース、タイトでメリハリのあるドラム、これらを組み合わせて出来上がるのは、通常、ちょっと激しくノリの良いロックン・ロール、あるいは、極上のパンク・ロック・サウンドであるはずなのだが、彼らの楽曲は、「楽しませてくれるのが当たり前」と言った、能天気なリスナーの安易な期待を裏切る、“悪意”(あるいは、明確な意志と呼ぶべきか・・・)に満ちており、その姿勢は、パンク・ロックの精神と言うよりは、むしろロックを否定しながらも、実は極めてパンク的であったP-MODEL等、テクノ~ニュー・ウェイヴ系ミュージシャンに近いものであると、私は感ぢた。

また、ミーハー的な観点から見ても、鮎川誠ばりの細身の男性ギタリスト“ヤミに”氏、小柄なマスコット的存在のベーシスト“オオイ”嬢、理知的かつ端整なたたずまいのドラマー“梶”嬢、・・・と、ロック雑誌やファション雑誌のグラビアを飾ってもおかしくない、この3名が演奏を始めたら、誰もが、“既にカッコイイとされて(定義づけられて)いる”パンク・ロックの演奏が始まるものと、期待するであろう。

しかし、そこに、ヴォーカリストの“窓野(←改名したらしい)”氏が、まさしく、平和な食卓を台無しにするために、窓から忍びこむ侵入者の如く、ステージに登場するのだが、この男、“引きこもり”か、あるいは、’70年代の田舎の暴走族が着る様なジャンパーを羽織り、顔には大きな白いマスクと言う、不穏かつ不審極まり無い出で立ち(いでたち)なのである。そして彼は、時折、目をカッと見開き覚醒する瞬間を垣間見せはするものの、基本的には、猫背でうつむき加減に、まるで恨み言か呪文を唱えるかの如く、しかも感情を押し殺した様な低い声で、ただただひたすら、呪いに満ちた言葉を吐き出し続けるのであった。

その在り様を見て、私は、見慣れない生き物に対する“畏怖”を覚えると共に、しかし、猛烈な感動に襲われた。

「少なくとも、ライヴ・ハウスのステージにおいて、こんな人は、今まで観たこと無い」・・・と。

そして何故だか、私は、このヴォーカリストの姿が、頭に焼き付いて離れなくなってしまった。

その理由はきっと、彼が、遠藤ミチロウにも、町田町蔵にも、日影晃や長谷川ヒロトモ、あるいは、“既に存在価値を認められている、どこかの誰か”になど、なろうとしていないからであり、更には、ロックン・ロールの作法や、パンク・ロックのマニュアル、果ては、現代社会を支配する“カッコ良さの定義”にすら、隷従していないからであろう。おそらく、彼が尊守すべき“ルール”とは、あくまでも自己の価値観や美意識に忠実であると言う一点のみに尽きるのだ。

(断っておくが、筆者は、ジョニー・サンダースも大好きであると言う様に、超ミーハーな部分も備えた男なので、単なる変人好きや悪趣味であるとの誤解無き様に・・・。)

更に言えば、断絶間の意地悪な部分、すなわち、目的意識に貫かれた頑固なまでの徹底度と、古いしきたりに阿(おも)ねない潔さこそが、本来、パンク・ロックが掲げたアティテュード(理念・思想・姿勢)である、“個人の自由な精神の解放”以外の何物でもないと言う事実は、何とも皮肉な話ではなかろうか。

ゆえに、仮に、まんまと彼らの術中に嵌り、断絶間を好きになってしまったならば、それすなわち、“独自な価値観の提示”や“自主的なスタイルの創造”に対し、理解を示したと言う事であるからして、その姿勢に共感する事はあっても、彼らに何かをしてもらおうと、ましてや、安易に楽しませてもらおうなどと考えてはいけない。

何故ならば、“リスナーの依存心や安心感を覆す事”こそが、“リスナーの期待を裏切らないでいられる”誠実な方法論の一つであると言う事を、彼らは、充分心得ているからである。

果たして、今後、彼らの“意地悪さ”と、“権威(すなわち、しょせん一時の流行でしかない既存の価値基準)に対する反逆精神”とが、まさしくパンク・ロックの最大の効用たる、“自分で物事を考えない人間に対し、覚醒のきっかけを与えるカンフル剤”となり得るのであろうか?

断絶間が目指すものとは、一体!?

ああいかん!!既に、私も考えさせられている!!

★断絶間の、全7曲入りのCD-R作品が発売されマシタ!!現在は、ライヴ会場でのみ販売中。なお、次回8月25日のライヴを最後に、来春まで活動休止する模様デス。

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「マリア観音」ライヴ報告書(2006年5月31日/後編+7月13日)

★5月31日<第3部>弾き語り

後半は弾き語り。この日は、歌詞の意味が解る様、ハッキリと言葉を発音するのでは無く、むしろ音響的に使用。前半の風景画の如きドラム・ソロと同様、心象風景を音像のみで描写するかの歌唱法が用いられていた。

★7月13日<第1部>弾き語り

そして、この日は再び、歌詞を丁寧に発声する、従来のスタイル。しかし、何と言っても、最近のヒットは、歌唱パート終了後のインスト部分において、多重録音SEをバックに奏でられるギター・ソロ。これが、何度聴いても素晴らしい。緩慢な空気を徹底的に排除し、曖昧な音を極限まで削ぎ落とし、厳しく選び抜かれた音塊。どれほど自己を律すれば、あの様な、贅肉を絞り抜いた、鋭く尖った刃物の先端の如き音色が出せるのであろうか。また、それらは、哀愁に満ちた楽曲と相まって、“無念の情”と言うものを想起させ、多くの人間が、日常、まともな社会生活を営むために、こころの奥に押し隠し、抑圧している、孤独感や疎外感と言った感情を、強烈に喚起させるのである。

<第2部>ゲスト:西川裕一・崎田武志

ゲストは、打ち込み~ギター~キーボード他を様々にからめながら、情景描写的なインストゥルメンタルを奏でるデュオ。過去に音源等は作成していたが、このデュオでの生演奏は初めてトノコト。ゆえに、未完成な部分も多く感ぢられたが、その緩やかな音像は、サイケデリックな感触もあり、構成が上手く行けば、もっと陶酔感が得られるサウンドになるのでは?との期待が持てた。しかし、崎田氏は音楽を演るために渡米するそうで、このデュオでの演奏は、とうぶん無さそうなのが残念である。

<第3部>ドラム・ソロ

今回は、同日の弾き語り同様、前回の美術家的素養を反映させた演奏から一転、再び、「技は力の中にあり」とばかりに、非常にパワフルな演奏であった。木幡のドラム・ソロ演奏の歴史も長いが、それら二種のパターンいずれも、そのスタイルが完成されつつあり、今回も、やり過ぎる事無く、演奏中、心地良い緊張感を持続し得たのではないだろうか。

★いずれにせよ、やはり、マリア観音/木幡東介の魅力は、ライヴを観てナンボなので、貴方も、自分で足を運び、自分の目や耳で判断して欲しい。なお、遠方でお越しになれない方のために、以下、会場売りオンリーの2作品を紹介しよう。

★各1000円(CD-R作品)~いずれも無題。当店にて通販可能。←詳細

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①(画像左)全5曲収録の、ギター・ソロ・パフォーマンス。多重録音SEをバックにした、エレキ・ギター演奏。

②(画像右)全8曲収録の、エレキ・ギター弾き語り作品。ヴォーカルを数回被せる等の、新しい試みがなされている。

夏期Q暇のお知らせ

★8月12日(土)より、8月16日(水)まで、夏期Q暇にて、店舗A業をお休みさせて頂きマス。

★また、8月からは、定休日が、「水曜日」から「火曜日と水曜日の2日間」へ変更となっておりマスので、間違ってご足労頂く事の無い様、お気をつけ下サイませ。

あしからず、ヨロシクお願いイタシマス!!(^^)/

★この記事は常にトップに掲載されておりマスが、↓も更新されておりマス。

禁未来小説「ドラへもん」その39「アイツのソイツ」の巻

髪の毛を適当にバスタオルで拭かされると、ボクは、居間に連れ戻され、ソイツから、パパとママとへ向き合う形で正座する様、命ぢられた。

のひ太「んもう!!お前は一体、誰なんだ!!」

・・・ボクがそう言うや、ソイツが口を開いた。

「ドゥフフフフ。コンニチワ!!アタシは、アンタが二階から突き落としてぶっ壊した、ドラへもんの妹、その名も・・・」

のひ太「ええっ!!ドラへもんの妹だって!?」

「その通り。今も修理工場で意識不明のままでいる兄、ドラへもんの妹。その名も、“ドウラミ”ちゃんよ!!」

のひ太(小声で・・・)「うへえ!!自分で“ちゃん”付けするかよ、フツウ・・・。」

ドウラミ「うるさいわね!!余計なお世話よ!!それよりアンタ、アタシの兄サンに、とんでもない事してくれたものね。いいかい?良くお聞き!!“ドウラミ”って名前の“ウラミ”は、“怨み”の“ウラミ”。アタシはアンタを、絶対容赦しないからね!!それだけは、よ~く覚えときな!!」

ボクは、その時初めて、ソイツの姿をまざまざと見た。

のひ太「確かに・・・。ずんぐりむっくりな体型と言い、頭が丸くてデカイ事、すべてにおいて、コイツはまさしく、ドラへもんをメス型にしたロボットだな・・・。」

ドウラミ「そんな事は、どうでも良いから、さっさと、パパさんとママさんに、今までの無礼な行いを謝罪して、別れの言葉を告げな!!」

のひ太「えっ!?それどう言う事?ねえ、パパ?ママ?」

ドウラミ「お前の住む場所は、もうここには無いって事さ。その理由は、手前の胸に手を当てて、よ~っく考えてみろ!!」

のひ太「ええっ!!パパ!!ママ!!ボクをどうする気!?」

(つづく)

★ある朝、突然に訪れた破局は、ドラへもんの妹、ドウラミちゃんによるものであった。パパとママに別れを告げさせられ、のひ太は何処に連れて行かれてしまうのか?のひ太に、そして、のひ家に再び、幸せな日々は戻ってくるのであろうか?次回、涙無しでは読めない最悪のシナリオが、のひ太を待っている!?

負ける時もあって良い

卓球のアイちゃんも、判定勝ちにしてあげりゃあ良いのにネ!!

・・・って、ウソウソ。

ところで・・・。

そもそも、世の中ってのは、理不尽なもの。

必ずしも、その努力が報われるとは限らない。

だからと言って、努力をやめる必要も無ければ、努力の価値が下がる訳でもない。

しかし、努力よりも、その先にある報酬の方が好きなのであれば、努力するより、もっと効率的に報酬を得る方法を選ぶべきだ。

・・・と言うだけの話。

自営業の人ならば共感してもらえると思うが、自営業の場合、いくら努力しても、いくら時間をかけても、一銭の収入も得られない場合がある。否、むしろ自腹や赤字、時間や労力だけを無駄に消費してしまう事など、ざらである。誰かに雇われて給料をもらってる人間には、この辺りの感覚がまるで無い。

「これだけやったんだから、これだけ欲しい。」

社長が居れば、そう言うさ。

でも、自営業の場合、そんなの、神様にでも言うしか無いって事だ。

だけど、やっぱ、充実感が違うんだよね。

成果があろうがなかろうが(・・・って、もちろん、バリバリと成果が上がる方が、嬉しいし楽しいに決まっているが)、誰かにやらされるのでは無く、他人や世間の価値観に無理矢理合わせさせられる事も無く、自分で考え、自分で実行する。そして、その結果が、天国だろうが、地獄だろうが、少なくとも、本当に自分が生きているって実感を得る事が出来る気がするのだ。

そして、それは、雇用されている人にも当てはまる。自分で選ぶ事、自分で考える事、自分で決める事、それらが少しでもあれば、その仕事は生き甲斐になり得る。

とにかく、この世に生まれ、言われるままに身体を動かし、時期が来たら老いて死ぬ。ただそれだけの人生なんて、まっぴらごめんって事だ。

世の中がいくら理不尽だろうが、それに従うか従わないか、どこで折り合いをつけるかぐらいは、自分で決めたい。

時として、妥協せざるを得ない事もあるだろうが。

負ける時もあって良い・・・。

負けを恐れるな。


BGM:「負ける時もあるだろう」(by三上寛)

黒い液

黒い液にも色々アリ、え~っと、眠気醒ましドリンクの事ネ。その中でも、ブラック・リゲイン(だったっけか?)ってのは、良く効く気がする。

コナイダなんか、夜飲んで、朝にも飲んで、昼過ぎまで頑張っちゃったよ。

飲みすぎは良くないけど、白い粉よりは良いデショ?

しかし、どうなんでゲショ?眠気や睡魔が消える訳ぢゃ無いのよね。何と言うのか、“別の部分”が大いに刺激されているおかげで活動出来ると言うか、ある種、居眠り運転?あるいは夢遊病みたいなものか?

・・・って、まあ良いや。

それより、この連休中にも、もちろん仕事三昧なのだが、以前に告知した執筆予定もこなすつもり。

とは言え、今まで、書くと言って書かなかった事も多いから、まあ当てにせず、お待ちになってちょ。

徹夜仕事の友

現在も徹夜仕事の真っ最中。CDを出品するためのデータを作成中。

ところで、例の、にんにくドリンクも良いのだが、即効性に欠けるので、最近は、“眠気醒まし”的なドリンクを愛飲しておりマス。

仕事しながら聴いたCD・・・。

イギー&ザ・ストゥージズ「RAW POWER」(店には置いてなかったので、自宅より持ってきた)。

以下は、恥ずかしながら初めて聴いたCD・・・。

スクリーミング・マッド・ジョージ在籍のMADの、キャプテン・トリップ・レコードから出ている編集盤。

先日、中古で購入した、石川浩司&大谷シロヒトリ「ホルモン鉄道」。

イギーはもちろん、他の2点も、アナーキーかつデンジャラスな空気に満ち溢れた、実に刺激的な作品でありマシタ。

徹夜の友。

戦友。
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