Mr.エレクトの独り言 2006年09月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

新入荷速報

ハニカム、断絶間、各CD-Rに続き・・・

①ミヤマGt./デモ音源集 CD-R ¥500

②死神/第三作品集 CD-R ¥500

③ウイルス・レーベル・オムニバス第2弾 ¥800

等が入荷しておりマス!!

詳しい内容は、また後日・・・。

修羅地獄

・・・と言うか、酒乱地獄?

「それは誤解なんデス~!!」と言っても、時、既に遅し・・・。

人には失礼な事を言っておきながら、人から傷つく言葉を吐かれた事は、しっかり覚えていると言う、自己欺瞞。

奇怪怪々誤解だらけ。

やさしさや思いやりから出た言葉すら、表面的にしか理解されない。

・・・否。それで当然なのだ。

「本心を解ってくれ」と言うのは、こちらの甘えでしかない。

誤解は理解。

そこに、いかなる慈悲のこころがあろうとも、刃物は刃物でしかないのである。

すべての原因は、「貴方自身にある」・・・トノコト。

一句浮かんだ。

横たわり 「2万貸して」とメール打つ 破滅と戯(ぢゃ)れる 依存症

危なかった・・・。何とか、首がつながった。

危機一髪!!・・・て言うか、もうとっくに、どうしようもないんだけど、それでも、首の皮一枚残し、何とかなった。

とは言え、お客サンに、現物が手元に無いレコードを売り、更に一万円借りてやんの。先物取引か!!

しかし、面白い。

・・・って、面白がってる場合では無いのだが、昨日、寝違えたせいで、夕方から、首を動かす度に異常な激痛が走るのだが、まるで、借金で首が廻らない、この現状を体現している様ではないか。

会社に勤めている人であれば、リストラ等で、会社をクビになる訳で、首と言うのは結構、重要なポイントかも知れない。

しかし、マジで首が痛い。

色んな意味で、頭も痛い。

胸も痛い。

胃も痛い。

サボりたい。

眠りたい。

おなか痛い。

腹痛い。

払いたい。

家賃は払いたくない。

・・・ぢゃなくて、払えない。

破滅黙示録「ジカイ」

一昨日からの金策疲れでダウン。

今日は夕方に出かける予定だったが、もう無理。

しかし、深夜には、明日の金策のために出かけなければ・・・。

ついに、自宅の家賃まで、滞納してしまっている。

だから、深夜にしか家に帰れない。(大家の自宅が隣にある。)

来月も多忙なので、自戒システムを構築する予定。

このママでは、自壊してしまう。

次回、お楽しみに!!

3分の3(訂正とお詫び)

<訂正とお詫び>
(ただし、私の発した誤情報を信ぢてしまった方に対してであり、今回のブートを制作したレーベルにではありマセン。)

3分の3のブート・アナログの件デスが、あれほど大騒ぎし過ぎた後で、非常に恥ずかしいのデスが、改めて聴いてみると、ピッチはおかしくありマセン・・・。

音質の違いで速く感ぢるだけで、時間を計ってみたら、殆ど違いは無かったデス・・・。(音程で確認した方もおられマスので、間違いありマセン。)

原盤は浮遊感を伴った拡がりのある音なのデスが、ブートの方は硬く締まった音になっており、音の緩やかさが柔らかさが無いため、ピッチが速いものと、勘違いした次第デス。それまで、流出音源でさんざん聴きまくっていたため、あまりの違和感に、判断を狂わされたものと思われマス。

早い話、ピッチが速かった(早とちりな)のは、私の方だったと言う事デス・・・。

ところで、私が何故、ああもピッチにこだわり、怒りを露にしたかと言いマスと、カセット・テープ時代に良くあったのですが、ライヴ音源を交換していると、明らかにピッチ(テープ・スピード)が異なるものが時折あり、特にパンク、それもハードコア・パンクの場合、その時代と照らし合わせて検証する際、楽曲や演奏のスピードと言うのは最も重要な観点で、そもそも過去の音源を聴く行為自体が、「この時代(時期)にこんな音楽を演っていた」と言う事の確認作業でもあるがゆえ、その点に関しては、非常にシビアにならざるを得なかったのデス。今回の3分の3も、単純に、毎日楽しめるカッコイイ音源としての聴き方をする事も可能なのデスが、やはり、プレ・フリクション、更にはプレ・パンクとして、3分の3が、どの程度のレベルにあったのか?と言う事も、非常に重要な聴き所であるので、ピッチや音質は、出来るだけ当時の音を忠実に再現して欲しかった訳なのでありマス。

また、音質が変化した原因は、意図的なものではなく、今回のブートのマスターとなったブートCD-R制作の段階で、ノイズ除去ソフトか何かを使用したため、ノイズこそ少ないけれど、音痩せしたレンジの狭い音になってしまったのではないかと推測されマス。(←あくまでも推測。)

最後に、少々言い訳ぢみてはおりマスが、この一件で得た教訓としては、「“スピード感”と“スピード”とは異なるものである」と言う事でしょうか。そう、スピード感とは、ただ楽曲や演奏のテンポを上げれば良いと言うものではなく、音質や密度とも密接に関わっていると言う事デス。よって、要するに、“スピード”とはあくまで“楽曲のテンポ”でしかありマセンが、同ぢスピードで走行していても、自動車とバイクでは速度の感ぢ方が異なる様に、“空気を震わす摩擦の度合い”こそが、すなわち、“スピード感”をもたらす要因なのではないでしょうか。

そう言う意味でも、“摩擦(フリクション)”と言う名を冠した、このバンドの前身である、3分の3の音源を聴くと言う行為は、その場所や時代における、“摩擦係数(パンク度)”を検証する作業でもあるので、出来るだけ、原盤を忠実に再現する必要があったと思う訳なのデス。

・・・とは言え、CD(デジタル)化する際のマスタリング作業においては、現代のリスニング環境にマッチさせる事も重要な課題なのでしょうから、これはあくまでも、私独自の考えでありマス。

何にせよ、ブート業者だから良かったけど、正規レーベルであれば、とんだ名誉毀損と言うか、営業妨害をしてしまった訳でありマスゆえ、ここは素直に間違いを認め、謝罪したいと思いマス。

皆様、ゴメンナサ~イ!!(^^;)

細菌のテーマ

アリ(コツコツと積み上げる人)は、

キリギリス(生まれもった資質に恵まれている人)を、

嫉む。

・・・と言う現象。

邪慰安リサイタル

人間の“エゴ”、それ自体が悪いのでは無い。

その“エゴ”を通す力を持っていない事、あるいは、その“エゴ”が少数意見である事こそが問題なのだ。

本来、“エゴ”の悪い面とは、他人を無理に自分に従わせようとする事や、自分の考えや意見を他人に押し付けようとする事である。

しかしながら、他人の考えや大多数の意見に“従わない事”までをも、果たして、“エゴ”と呼ぶべきなのだろうか?

何故なら、実際には、権力者の“エゴ”が大多数の人間を従わせ、大多数の人間が少数意見を封殺していると言うのが、この世の現実ではないか。

しかも、さもそれが当然の事(正義)であるかの如く・・・。

ある芸能人の名前を検索して、当ブログに来る人があまりにも多いので、何となく伏字にイタシマシタ。

別に悪口書いてる訳ぢゃないし、むしろ誉めてるんだけど。

ホント、あまりにも多いもので・・・。(^^;)

ライヴ告知!!

■「LIVE 吟遊詩人 vol.17 世界が揺れる日」

<日時>2006年9月24日(日)
開場/17:30 開演/18:30

<料金>前売¥2000 当日¥2300 (各drink別)

<出演>
木幡東介(マリア観音)
http://www33.ocn.ne.jp/~mariakannon/
I.Q.O
http://8614.teacup.com/twnk/bbs
THE HARPER ST. BAND
http://texas.aws.or.jp/index.html
井上卓
http://3w.to/t1

<会場>
★MOTHER POPCORN
住所:大阪市西区西本町1-10-22 B-1
TEL:06-6535-0002
http://www.h3.dion.ne.jp/~t-stone/motherbox/motherpoptop.htm

<主催>(予約はこちらまで)
★SOUND BAR 吟遊詩人
住所:大阪市港区弁天6-7-15加藤汽船ビル1F
TEL:06-6599-0560
http://sound.jp/soundbar/

★以下は主催者(SOUNDBAR吟遊詩人/JAN)様よりのコメントです!!

トップバッターは「I.Q.O」。Vo×2、EG×2、EB、Drの6人編成による脳天を揺らす強烈なロックンロールバンド!

2番目に関東より「木幡東介(マリア観音)」。地球を揺らしかねない魂の入った強烈な唄とギター、さらにはドラムソロパフォーマンス!

3番目、ご存知、地上に降り立った魔王「井上卓」。なんと、井上氏と木幡氏による夢のセッションありっ!

そして、トリを決めてくれるのは、スリーピースのブルース調ハードロックバンド「THE HARPER ST.BAND」。笑えるくらい完璧に近いライブをこなす、今年で結成20周年のモンスターバンド!

フライヤーhttp://www.geocities.jp/mikami1113/sekai.htm

★関西方面の方のご来場、こころよりお待ちイタシテおりマス。(^^)/

「RAW POWER」的音楽論

重要な事を言い忘れたが、IGGY&THE STOOGESのアルバム「RAW POWER」は、是非とも一度は、’73年発売のオリジナル・ミックス・ヴァージョンを聴いてもらいたい。

もちろん、’97年にイギー自身の手でリミックスされた現行発売版も、パワフルで素晴らしいのだが、このアルバムの良さは、ただ単にカッコ良いとか、ノリが良いとか、迫力があるとか、爆音が心地良いとかだけではなく、もっと根本的な所にあるのだ。

(1997年以降発売のものは、すべてリミックス版。)

オリジナル・ミックス版は、ベース等の低音が小さく、あのヒステリックかつパラノイアックなギターと、イギーの狂犬の様なクレイジーな叫び声のみが過剰に強調された、まさに精神異常者的猟奇サウンドとなっており、その薄気味悪さが、実にリアルで最高なのだ。ただし、この手の題材に興味が無い人には、単に音質の悪い、しょぼいサウンドにしか聴こえないだろうが・・・。

まあ、最近のテクノロジーと言うんデスか?良く解らないけど、生身の人間のこころに触れたいがために音楽を聴いている当方としては、感情や思想をよりリアルに伝えるためにこそ、演奏技術を進歩させたり、機材を進化させる必要があるのだと考えている訳で、そもそも、技術と言うものは、あくまでも、目的を達成するための手段であり、それ自体を身に付ける事が目的では無いと思う訳なのでありマス。

・・・て言うか、生身の人間のこころを求めているのはこっちだけで、音楽を演る人の多くは、本音を伝える事より、自分の才能や存在価値を高く評価してもらう事が目的なのかも知れないから、これは、私の勝手な言い分でしかないのだが・・・。

靴屋が靴を造る様に、ミュージシャンってのは音楽を演りたがるからね~。

だけど、本来は、靴を造りたかった訳ぢゃなくて、外に遊びに行くために靴が必要だから、自分で靴を造り始めたって事だと思うんだよね。そのうちに、他人から誉められたり、自分でも好きになったりして、靴屋になるんぢゃないのかな?

音楽も、元来は何かを伝えると言う目的のための“手段”だったはずなのに、いつの間にか、音楽を演る事、それ自体が目的になってしまったと言うか・・・。

そう言う意味で言えば、私は何も“音楽”を好きな訳でも無ければ、“ミュージシャン”を好きな訳でも無いのだ。クリエイター・・・ちゅうと、なんか嘘臭いから、やっぱ、“自分の考えや感情を他人に伝えたいと強く思っている人”の言葉に耳を傾けたいし、結果、その題材や内容に共感すれば、その手段、すなわち、その音楽を好きにもなるってだけの話。

よって、本当は、漫画でも小説でも演劇でも映画でも構わないんだけど、でもやっぱ、音楽とか歌ってのは、一番、個人の感情を伝えやすい手段ではあるよね。

自分の目の前で、フツーに、ただ泣いたり、怒ったりされても、困るしね・・・。

また、共感ってのも難しくてね。もちろん、人間に付きまとう普遍的な感情ってのは存在するけれど、やっぱ英語より日本語だし、18の少女の歌より、自分と近い環境や価値観に生きている人の歌の方が伝わるよね。外国語の歌より日本語の歌に、自分の好きな歌が多いのは、それが理由。

万人に受ける必要など無いのだけれど、もし仮に、万人に受ける音楽があるとするならば、本当に、人間と言う生き物を感動させる事の出来る普遍的かつ素晴らしい音楽か、その逆に、主義も主張も個性も無い、感動とは一切無縁の音楽だろうね。

「こうでなきゃいけない」ってのは、あくまでも自分が、自分の人生に対して思う事であって、他人や万人にそれを強制しても仕方無い・・・ちゅうか、もっとも、強制したって皆が従うはず無いんだから、「すべからく、人間はかくあるべし」なんて傲慢な思想の方が“妄想”なんであって、「自分はこうありたい」って考える方が、全然マトモって事だ。

一度しかない人生なんだから、やっぱ、自分の気持ちにしっくりくる音楽を聴きたいよね。

ううぅぅぅぅうううぅうわぁぁぁあああああああ・・・!!

・・・俺のこころの内には、今も「FUN HOUSE」の嵐が吹き荒れ、俺の頭の中は、いつだって「RAW POWER」から聴こえてくる悲鳴で埋め尽くされているのだ・・・。

まっ、そんな考え方や生き方自体が間違ってると指摘されれば、「そうかも知れない・・・」とも思うけどね。


・・・だって、仕方無えぢゃねえか!!


好きなんだもん!!(^^)/

いじけ村のムースくん

やけに印象に残る言葉と言うのがありマシテ・・・。

何故か、「いじけ村のムースくん」と言う、少女ギャグ漫画のタイトルが、今も私の脳裏にこびりついて離れないのデス。

しかし、ふてくされた人の事を指して、「あの野郎、いじけ村のムースくんかよ!?」と評しても、誰にも通ぢないのが、少々残念なのでありマス。

とは言え、かく言う私も、その漫画のストーリーはおろか、絵柄すら覚えていないのでありマスが・・・。

パンダ論

ここ数日、品行方正な聖人君子達をたくさん観てきたので、近い内に報告イタシマス!!(^^)/

良いも悪いも嫌いも好きも、ささいな事でガス。

流されるのも、逆らうのも、他人の勝手。

パンダはずるい。

白い熊に黒いペンキでいたずらしたい。

黒い熊には白いペンキで落書きしたい。

パンダ製造工場。

意味は無い。

臨時Q業ではなくなりマシタ!!

9月17日(日)と、18日(月・祝)は、臨時Q業させて頂く予定デシタが、通常通り、A業する事になりマシタ!!

ヨロシクお願いイタシマス!!(^^)/

反ファシズム的音楽論(追加:それぞれ個別)

音楽の良し悪しは、一概に決定出来るものではない。

何事においても、ジャッジするからには、ものさしや、ルールが必要である。

仮に、「如何に多くの人を喜ばせる事が出来るか」と言う点を基準とするならば、売れている音楽の方が、売れていない音楽よりも、“良い音楽”であると言える。

ただし、だからと言って、「これは“良い音楽”であるから聴くべきだ」と、強要される訳でもないので、それはそれで構わない。

しかし、“良い”と言うからには、何に対して良いのか、そして、その目的や効能に対する効果の度合いこそが、本来は重要視されるべきである。

現在、売れている様な音楽が、パーティーのBGMに適しているのか、独りで本を読む時に最適なのか、温泉宿でのんびりお湯に浸かっている時(←どんな例えや!!)にしっくりくるかどうか、と言う事を考えてみると、必ずしも、万人にジャスト・フィットするとは思えない。

つまり、こう言う事である。ヒット曲よりも、フィット曲。そう、“良い音楽”とは、その使用目的や用途に対して、ある一定以上のレベルの効果を与える事が出来るかどうかと言う点で、判断されるべきなのだ。

例えばギター小僧等、ギタリストの高度なテクニックに対して感動を覚える人間は、音楽にそれを求めるため、歌の内容や歌詞よりも、楽曲の構成や演奏においてギターの占める比重や効果を重視する。ゆえに、彼にとっての“良い音楽”とは、間違いなく、ギタリストの駆使する高度な技術を存分に生かした楽曲を演奏するアーティストによるものであろう。また、その理由は、その音楽が、自分が求めているものを与えてくれると言う事でもあるが、何よりも、ギター・テクニックを極めたギタリストの、音楽における表現方法、価値観を伝える手段や技法に対し、感銘や共感を覚えるからこそ、“良し”するのであり、好きにもなるのである。

そもそも、“良い音楽”とは、ある一定の価値観のみに照らし合わせた結果によって決定されるのではなく、“種々各々、それぞれ個別の目的に対して、どれほど適しているか(効果を上げているか)”、と言う点において判断されるべきなのだ。

よって、本来、“音楽の良し悪し”と言うものは、個人の価値観によって異なって然るべきであり、それを、ある基準で一方的に決め付ける事など、ファシズム以外の何物でもないのである。

あるいは、どうしても音楽を良し悪しで区別したいのならば、“多くの人にとっての良い音楽”、“自分にとっての良い音楽”、“乳幼児にとっての良い音楽”・・・と、その用途なり効能を明確にすべきであろう。

そして、それは、受け手側だけではなく、演奏者側にも言える事であり、一人でも多くの人に喜んでもらいたいと考えるアーティストも居れば、一人でも良いから本当に自分の感情や思想に共鳴してくれる人にこそ聴いて欲しいと考えるアーティストも居るのだ。

更には、本音かどうかは別として、嫌われるために音楽を演っていると公言するアーティストが居るとするならば、彼にとっては、嫌われれば嫌われるほど“良い音楽”を演っていると言う事になる。

ゆえに、如何なるノイズ・ミュージックも、目的があるからには、必ず、その“良し悪し”は決定出来るのだ。

・・・そう言う意味では、何も考えずに垂れ流すだけの音楽ならぬ“音塊”は、ポップ・ミュージックであろうとも、クソかも知れない。否・・・何も考えない人間が共鳴すると言う点においては、そこにも意義はあるのだろうか。恐ろしい事だが・・・。

すなわち、ある一定の価値観で、音楽の良し悪しを決定しようと言う事は、その価値観にそぐわぬ音楽を排除しようとする行為であり、それは、ある一つの価値観のみを容認し、他の価値観を否定すると言う事でもある。

貴方は、誰かに、こう言われた事は無いだろうか?

「そんな音楽、聴いてちゃ駄目だ」・・・と。

3分の3<訂正アリ!!>

★以下の記事。「ピッチが速い」と言うのは、当方の勘違いで、「当方の早とちり」デシタ!!言い訳デスが、音質が違うと、印象がかなり異なりマスね・・・。新しい記事に告知してあるライヴが終了したら、いい加減な情報を流してしまった謝罪&訂正文をアップさせて頂きマス。
キャ~!!恥ずかちい!!(^^;)

先日、フリクションの前身バンドである3分の3のアナログ・ブートが、海外のブート専門レーベル、シャド○クスから出されたのだが、これには問題が多い。

まず第一に、実際には銀色地のジャケットが白地になってしまっているが、これはオリジナルからの引用では無く、なんと、ヤフオクで個人が制作して販売していたCD-Rブートのジャケを、そのママ、転用しているらしいのだ。しかも、同様にCD-Rブートからの転用である裏ジャケに使用されている写真は、3分の3ではなく初期フリクションのライヴ写真で、撮影者のクレジットまであるが、これは裸のラリーズ関係の有名サイトからの引用であり、撮影者はブート制作とは無関係と思われる。

ジュン上久保やジャスティン・ヒースクリフ、「BRUSH」などの作りの良いアナログ・ブートでが好評だった同社も、これでかなり評価を落とす事だろう。これまでは原盤を数十万円で仕入れて、ブートを作成していたのに、流石に3分の3の原盤を入手するのは不可能だったのだろうけど・・・。

また、音質であるが、これはかなり健闘しており、元々そんなに良い訳でもない原盤の音が、実にソリッドに再現されている。

だが・・・。

何と、このブート、ピッチが少々速いのだよ!!そのせいで、実際にはもう少しフリーキーで拡がりのあるサウンドが、フリクション初期に近い尖った印象に変っており、おかげで、フリクションを好きな人やパンク・ファンには、好印象を与える事だろうが、本当にそれで良いのだろうか!?

スターリンの「trash」の海外ブートも、音が悪くて針飛びのある国内ブートを原盤にしてたけどね~。

願わくば、レック氏本人が、こんないい加減なものを出されるくらいなら、ちゃんと自分で納得の行くものを出したいと、正規発売に踏み切ってくれれば、言う事は無いのだが。

とは言え、レック氏も現役のミュージシャンだからね~。フリクションは今も続いているから良いとして、3分の3はどうなんでしょ?

レック氏の英断に期待!!

徹夜中

あ~ダリ~!!

・・・と、文句を言いつつ、今日も徹夜の真っ最中。

ヤフオク出品用のデータをコツコツ作成しておりマス。

コーヒー飲んだり、ワサビ入りのお菓子食べたり、刺激的な音楽聴いたり(←それはいつもの事!!)・・・と、眠気を誤魔化すために、色々と試行錯誤しながら・・・。

後は、画像添付用の写真撮って、出品作業を済ませたら、昼過ぎまで寝るぞ~!!

もう、眠いのもツライのもヤダ!!

苦悶中

ぐわぁぁ・・・。

誰か、助けて・・・。

苦しい・・・。

眠い・・・。

ダルイ・・・。

ツライ・・・。

重い・・・。

耐えられない・・・。

むぐぐぐぐ・・・。

ちぇんちぇい、助けて!!

ブラック・ジャックちぇんちぇい!!

早く、手術ちて~!!

リッチ条件(付け足し済)

今日も、徹夜で出品でごんす。

しかし、夕方から夜まで寝たのに、なんか眠い・・・ちゅうか、ダルイな~。慢性疲労?

気が付いたら電話止められてるし、大家の会社からは「家賃払え」と催促(←ありがとうゴザイマス~!!)されるし、はぁぁ・・・。

とは言え、当店の立地条件で気に入っている点は、深夜でも昼間と同様に、大音量で音楽を聴ける事と、エレキ・ギター(流石に、アンプには繋がないけど・・・)をいくらかき鳴らしても平気だと言う事であろうか。フツウの民家ぢゃ、こうは行かないもんね。

ところで、真面目な話だが、人間ってのは、権力を持つと、あまり良い事にはならないから、ある程度の権力を持ったら、時々、それを手放す必要がある。

たとえそれが、死ぬほど欲したものであろうとも・・・。

権力は、人を腐らせる。

ああ、しかしダルイにゃあ・・・。

人の“振られ方”見て、我が振り直せ

振られた貴方は、こう言った。

「あの人は、どうして、私の“良さ”が解らないのかしら!?」

・・・と。

良さ?・・・貴方の“良さ”って、万人にとっての“良さ”なの?

そもそも、貴方が“良し”とするもの、その価値観を共有出来ない人に対し、その“良さ”を理解せよと言う方が無理な話。

仮に、貴方の考える“良さ”が、大多数の人間にとっての“良さ”であったとしても・・・。

その人は、それを“良さ”と思わないかも知れないし、その“良さ”を上回る“好きでない面”を、貴方に見たのかも知れない。

貴方に“好み”がある様に、他人にも“好み”があるのだ。

よって、他人に好かれるためには、その人の“好み”に、徹底的に自分を合わせるか、その人の“好み”を変える必要がある。

あるいは、“好み”すなわち、価値観の異なる人間とつき合おうと言うのが、そもそもの間違いなのかも知れない。

そう考えると、偽らざる自分を好きになってくれる、価値観の合う人間を探す方が、前向きであろう。

ただし、人に好かれるために、努力すると言う事は、一概に悪い事ではない気もする。

それが、群集を管理するために植え付けられた下らない価値観でなければ・・・。

何にせよ、自分とは価値観の異なる者に執着する事の愚かさ。

自分本意なストーカー。

無駄な時間を費やすのはやめにして、別の人、もっと自分に合う人を探そうよ。

それとも、貴方の“恋”って奴は、相手を洗脳し、支配し、征服し、隷従させる事が目的なのかい?

ああ、でも、それも良いかもね。

それが貴方の価値観だもの・・・。

尾も白い

人間って、面白い。

目の良く見える人は、何でも見える気になっているが、彼らには、目の良く見えない人の視界に、どんな世界が拡がっているのかと言う事が、まるで見えていないのである。

通常、レベルが高くなれば、色んな事が解る様になるはずなのだが、良く見えると言う事は、必ずしも、色んな物が見える様になる訳では無いのだ。

人は、つくづく、自分の立場、位置、地位、能力、境遇でしか、物を見る事が出来ない生き物なのだと言う事である・・・。

特に、“こころの形状”。これに関しては、如何に洞察力のある人間も、対象物の見かけほどには、知る由が無い。

とは言え、もしも人間が、こころの形状をすべて表に現していたならば、それはそれで、人々の姿は、地獄の住人の如き有様であろう。

否。人は環境に適応するために、変化に慣れ、進化していくもの。

笑わぬヒトが行き交う、この地上の楽園を、地獄と思えぬのもやむなし。

ああ、しかし、それにつけても、この胸の痛み、こころに宿る苦しみよ・・・。

なんちゃって!!(^^)/

煮て火なるもの

逃避が必ずしも後退では無い様に、闘争が必ずしも前進であるとは限らない。

“其処(底)”に居たくないから、“此処(個々)”に逃避する事もあれば、此処に居続ける(個々であり続ける)ために、闘争をする場合もあるのだ。

しかし、最も重要なのは、そんな風に一進一退を繰り返しながらも、思考は前進しなければいけないって事。

・・・ではなかろうか?・・・と私は思う。

・・・て言うか、そうしてしまう自分が居る。

若い頃は、目の前の障害物や、身近な抑圧者を憎むだけで精一杯だったし、“敵”を置く事によって、自分を奮い立たせても居た。

しかし、己の体力や、能力の限界を感ぢざるを得ない年齢になるに従い、こんな一人一殺の発想では、ただただ命を浪費するだけであり、本当の敵、すなわち真の元凶を取り除く事など、到底出来ない事に気がついた。

・・・と言うか、それ以前に、この近親憎悪的奴隷間闘争こそ、支配者によって仕組まれた罠ではないのか?と言う気さえしてきたのだ。

子供の頃、カブトムシ、あるいは他の昆虫を闘わせて遊んだ記憶はないだろうか?

我々にとっては無益でしかない争い事が、もしや、誰かの利益になっているのでは?と言う疑念。

結論から言おう。人間として生まれたならば、“生きている事を楽しまなければ”意味が無い。

そして、言うまでもないが、それは、大邸宅に住む事でもなければ、人より高い地位に就く、と言った、他人と比べる事によって芽生える、“優越感”などではない。

“優越感”なんぞ求め続ける限り、我々は、搾取の対象となる無益な闘争を繰り返すのみである。

悩まない人間、物事を深く考えない人間の得る“喜び”が、悩み多き人間、物事を深く考える人間の“喜び”より大きい訳が無いではないか。

おっと、いかんいかん。また比べてしまった!!

・・・とは言え、面白い!!

上手くいかない人生ほど、悩まねばならないし、物事を深く考えざるを得ないのだから、これほどやりがいのある、生き甲斐を感ぢられる人生などあろうか!?

とても楽しい!!

困難が、苦境こそが、人生を楽しくする秘訣である!!

さあて、この困難をどうやって打ち破ろうか、この苦境をどうやって乗り切ろうかな?ってね・・・。

ウフフフフ!!

バ~カ!!本気にすんな!!悩みなんか無い人生の方が、幸せに決まってるだろ!!

・・・と、こんな事ばかり考えている自分が大好き!!

ウフフ。やっぱ楽しい!!(←やっぱし、バカ?)

Mr.エレクトの「ヒマツブシ」(歌詞部分訂正)

今日は、臨時で店番。しかし、店を開けてると、綿密な作業が出来ないため、ヒマツブシの独り言なぞを・・・。

ここの所、STOOGESの「RAW POWER(’73オリジナル・ミックス・ヴァージョン)」(約100回)と「FUNHOUSE」(約50回)ばかり聴いていたせいで、久々に「I GOT A RIGHT」(←曲名)を聴きたくなったのだが、CDが見つからない。アナログなら自宅にあるが、メンドクサイし・・・と、思っていたら、やっと見つかって、只今、聴いておりマス。

そう言えば、STOOGESのブートを詳細に分析しているサイトがあって、非常に便利だったのだけど、作成者が、先日お会いした、あの方だと知ってビックリ!!

他に再ブームと言えば、柳ジョージ&レイニーウッドの「YOKOHAMA」と言うアルバムがあり、最近、しょっちゅう聴いている。これは中学生の時に、友人がミュージック・テープで購入したものをダビらせてもらって、良く聴いていたものだ。しかし、今考えると、「昨夜の酒に泳ぐ酔いどれは 水溜りの向こうも見えない・・・」とか、中学生が聴く歌ぢゃねえな、こりゃ・・・。他には、「WOMAN&I」って言う2枚組のアルバムも良かったね。レイニーウッドと言えば、柳ジョージと組む前は、かの“ジュン上久保”とバンドやってた人達が在籍してるんだよね。

中学生の頃、良く聴いたものと言えば、甲斐バンドはもちろんだけど、矢沢永吉の「ザ・スター・イン・ヒビヤ」とか、舘ひろしのライヴ盤とかね。ほんで、中学3年の終り頃に、RCとかアナーキーが登場するって訳。

しかしまあ、音楽にせよ、食べ物(豆腐やタマゴとか、シーチキンにマヨネーズかけたものとか・・・)にせよ、好きなものだったら毎日でも何週間でも何ヶ月でも連続でイケるからね・・・と言うか、好きになれるものが、あまりにも少ないっちゅうか、なんちゅうか・・・。こんな気持ち、色んなものを聴いたり食べたりする事が好きな人には、到底解り得ないだろうな。

色んなものを食べられたり、楽しめる人は、何処に行っても不自由しないけど、こちとら、何処に行っても、何を聴いても、たいてい楽しくないからね。

そう。ほとんどの事が、楽しく感ぢられないんだよ・・・。

だからこそ、こんな偏った自分を楽しませる事が出来る人達には、感謝してもしきれないのである。

ありがたや・・・ありがたや・・・。

ちょっと、お知らせ。

断絶間のCD-R、入荷イタシマシタ!!¥300

劇団ゴキブリコンビナートの公演が、今月の15~18日にありマス!!何故か、いつも当店から近くで行われるのだが、今回は自宅から自転車で5分の場所。詳しくは自分で調べてネ。

病気再発!!

禁未来小説「ドラへもん」その43「病室の誓い」の巻

ボク、のひ太は、一命をとりとめ、とある病室に居た。

のひ太「くそ~。あのドウラミの奴のせいで、酷い目に遭ったよ。だけど、アイツのやり過ぎた仕打ちのせいで、無理矢理、矯正施設や農場にも連れて行かれずに済んだんだから、まあ良しとするか。だけど、ホント、なんて奴だ。人間様を、それも、この“のひ太様”を誰だと思ってやがるんだ・・・。」

その頃、ドウラミちゃんはと言えば、ロボット法に違反した罪で、ロボット再教育機関へと送り戻されていた。

のひ太「あんな奴、スクラップにしてしまえば良いのに。何にせよ、ボクをあんなロボットに売り渡そうとしたパパとママだけは、絶対に許さない!!何としてでも、このボクを幸せにしてもらわなきゃあね。畜生!!今に見てろよ~!!」

ボクは、パパとママへの理不尽な怒りと怨みを、更に募らせる一方だった。

のひ太「・・・とは言え、ヒキコモリを続行すれば、また邪魔者を寄越すに決まってるし、かと言って、あのシャイアンとスネトの待つ学校には、絶対行きたくないし・・・。」

のひ太「そうだ!!転校だ!!パパとママをダマ・・・ぢゃなくて、説得して、別の小学校に行かせてもらおう。ウン!!それが良いや!!」

ボクは、しばらく猫を被り、パパとママを欺く計画を立てたのだった・・・。

のひ太「それにしても、ドウラミの奴が最後に残していった、ボク宛のメッセージが、超ムカつくよ!!」

そこには、一言、こう書いてあった。

「奪うだけの王は滅びる」・・・と。

(つづく)

★この先、のひ太を待つものは、更なる地獄なのか、それとも・・・!?ワタクシも、書き進めるのが怖いでキュウ!!(by禁ちゃん)

ライヴ終了

マリア観音のライヴ、無事に終了イタシマシタ。ご来場頂いた方々、本当にありがとうゴザイマシタ。

いつも観ている私が言うのだから、間違いないが、今回のライヴは、特に素晴らしかった。

ゆえに、今回のライヴは、もっと多くの人に観てもらいたかったのであるが・・・。

しかし、それも運命ならば仕方ない。

出会う者は出会うべくして出会うし、出会わぬ者は出会わぬべくして出会わないのだ。

後日、レポートは掲載イタシマス。

ライヴ告知

■木幡東介(マリア観音)・ワンマンライブ「日本絶滅動物記 其の11」
[日時] 2006年9月5日(火)
[会場] 吉祥寺シルバーエレファント
[住所] 武蔵野市吉祥寺本町2-10-6-B1
[電話] 0422-22-3331
[開場] 19:00
[開演] 19:30
[料金] 前売2,500円 当日2,700円※ドリンク代別
[問合] エレクトレコード新宿店 03-3362-6181
[共演] ウィンチェスター・ニテテ(ガーナ・トラディショナル・マスター・ドラマー)

★当告知は、常にブログのトップ記事として掲載されておりマスが、以下↓も続々、更新されておりマス。

とことん

絶望の果てにしか、新しい物事は生まれない。

もう、どうでもイイ。

・・・と言いつつ、どうでも良くない、その微妙な部分を解って欲しいと思う、このワガママ。

ああ・・・。

許して欲しいと思うこの気持ちが、既に何かに支配されている。

ああ・・・。

言えない本音。

今日は、もう寝るわ。

危険な兆候

何とかって名前の向こう(外国)の女優だかシンガーの、妊婦セミ・ヌード写真を使用した地下鉄貼りポスターの件。

一度は、シールで隠したけど、結局、オリジナル・デザインで貼り出す事になったらしい。

問題は、その件について、ワイド・ショーか何かで街頭アンケートをするんだけど、私には、答えている人達が、本当に自分の価値観や倫理観で答えているとは思えないのだ。

何て言うのか、これを否定すると、「感性が古い」だとか「時代遅れ」と言われるんぢゃないかって恐れるあまり、本心に蓋をして、現代の風潮に迎合している気がするのね。

もちろん、価値観や倫理観なんて、時代や地域によって、刻々と変化していくものだし、それはそれで構わないんだけど、外れる事を異常に恐れると言うか、暗黙のうちに、個人(自分)の意見を封殺する様な圧力に、私は、いやな予感を感ぢずにはおれないのである。

ところで私はと言えば、あのポスターに対してはノーである。妊婦ヌードの必然性を感ぢないと言うか、これは間違った意識かも知れないが、まず、生理的にいやである。更には、さもこれが時代の最先端だと言わんばかりの、あざとさばかりが鼻について仕方無い。

この世は、実に面白い遊技場である。私達の為すほとんどの行いが、支配者達の集金システムに繋がっているのだから。恐ろしい事に、隷従する事はもちろん、逃避も、そして反逆すらも、奴らの仕組んだシナリオの一つでしかないと言う、この事実。

私達の姿は、さしずめ、神の手の平の上で踊らされている、あやつり人形とでも言うべきか。

経済活動への徹底的な拒否、不参加。現段階では、そうする事でしか、支配者の糸(意図)を断ち切る術はないと、私には思えるのだ・・・。