例えば、友人に苦言を呈したり、イヤミな物言いで批判をしたとしよう。
その際、その提言内容の主旨には返答せずして、「そう言う貴方はどうなの?」と、こちらの問いかけをそのまま返す人間がいるのだが、私はこれが嫌いである。
何故?って、こちらは、頭の中をフル回転させ、いかに相手を説得すべきか、あるいは、いかにして相手を「ギャフン!!」と言わせようかと、知恵を絞り心血を注ぎ込んで生み出した情熱溢れる台詞を贈呈していると言うのに、あちらは、その労力に見合った誠意ある返答を寄越すどころか、そのまま丸投げで返すだけなんて、これを冷たい仕打ちと言わず、なんと表現すれば良いのであろうか。また、たとえ腹を立てて言い返すにしても、もう少しその人のパーソナリティなりキャラクターを発揮してくれなければ、本音のぶつかり合いどころか、コミュニケーションすら成立しないではないか。
・・・とは言え、それは、「そんな小言、聞きたくない」と言う気持ちの表明なのであるかも知れないので、そうそうこちらの不満ばかりをぶつける訳にも行かないと言う事も、事実無根では無い事は否めない事実である事も事実無根では無いのであるが・・・。(←どっちやねん!!)
また、実は私の方こそ、言葉に真心など込めてなくて、ただ単に、苦労して編み出した名ゼリフ(←自分で言うか!!)、すなわち“必殺技”の効き目を試したいために、友人をスパーリング相手に仕立て上げているだけと言う指摘も無きにしもあらずんば誇示を得ずってな塩梅でもあるので、あまり偉そうな事は言えないのであった。
要するに、私の言いたい事は、こう言う事である。
言葉とは不自由なもの。自分の感情の機微の100分の1もリアルに言い表す事さえままならぬ。それならば、もっと言葉を玩具にして、エクセレントかつエグゼクティヴな会話(←意味不明)を楽しもうよ・・・と。
なんて事を、友人に対して真顔でまくし立てる私は、本当に、真剣そのものなのである。
ところが、その時の私は、既に、対話を開始した当初の目的をすっかり忘れている事はもちろん、討論すべき本題を外れ、ただただ自分が構築した屁理屈に酔っているだけの状態なのであった。
ウフフ・・・。
言葉ってのは、人間に与えられた最大の玩具でヤンスね。
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