Mr.エレクトの独り言 2006年10月04日
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Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

言葉遊び

★あまり真面目に読まないで下サイな。

例えば、友人に苦言を呈したり、イヤミな物言いで批判をしたとしよう。

その際、その提言内容の主旨には返答せずして、「そう言う貴方はどうなの?」と、こちらの問いかけをそのまま返す人間がいるのだが、私はこれが嫌いである。

何故?って、こちらは、頭の中をフル回転させ、いかに相手を説得すべきか、あるいは、いかにして相手を「ギャフン!!」と言わせようかと、知恵を絞り心血を注ぎ込んで生み出した情熱溢れる台詞を贈呈していると言うのに、あちらは、その労力に見合った誠意ある返答を寄越すどころか、そのまま丸投げで返すだけなんて、これを冷たい仕打ちと言わず、なんと表現すれば良いのであろうか。また、たとえ腹を立てて言い返すにしても、もう少しその人のパーソナリティなりキャラクターを発揮してくれなければ、本音のぶつかり合いどころか、コミュニケーションすら成立しないではないか。

・・・とは言え、それは、「そんな小言、聞きたくない」と言う気持ちの表明なのであるかも知れないので、そうそうこちらの不満ばかりをぶつける訳にも行かないと言う事も、事実無根では無い事は否めない事実である事も事実無根では無いのであるが・・・。(←どっちやねん!!)

また、実は私の方こそ、言葉に真心など込めてなくて、ただ単に、苦労して編み出した名ゼリフ(←自分で言うか!!)、すなわち“必殺技”の効き目を試したいために、友人をスパーリング相手に仕立て上げているだけと言う指摘も無きにしもあらずんば誇示を得ずってな塩梅でもあるので、あまり偉そうな事は言えないのであった。

要するに、私の言いたい事は、こう言う事である。

言葉とは不自由なもの。自分の感情の機微の100分の1もリアルに言い表す事さえままならぬ。それならば、もっと言葉を玩具にして、エクセレントかつエグゼクティヴな会話(←意味不明)を楽しもうよ・・・と。

なんて事を、友人に対して真顔でまくし立てる私は、本当に、真剣そのものなのである。

ところが、その時の私は、既に、対話を開始した当初の目的をすっかり忘れている事はもちろん、討論すべき本題を外れ、ただただ自分が構築した屁理屈に酔っているだけの状態なのであった。

ウフフ・・・。

言葉ってのは、人間に与えられた最大の玩具でヤンスね。
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恋敵・・・。

例えば、友人と、好きなアイドルについての会話をしたとする。

自分はAと言うアイドルが好きで、友人はBと言うアイドルが好き。

その際、その友人から、「お前、なんでAなんか好きなんや。頭おかしいんちゃうか。」・・・と言われたとしよう。

すると、自分のこころの中に、自分の好きなAと言うアイドルを貶められたと言う思いと、更には、自分自身の価値観をけなされた気持ちから、非常に腹立たしい感情が芽生えてくる事は、否めない事実である。

ん?・・・だが、待てよ。

これが仮に、クラス・メートの女子についての話題であれば、どうだろう?

もしも、自分と友人の好きな女子生徒が、共にAであれば、ライバルとなった二人が火花を散らす恋の争奪戦が勃発し、将来的には、これまた自分と友人が憎みあう結果になってしまうやも知れない。

(この時点で、対象となる女子の好みや意思を完全に無視している事の方が大問題ではあるが、それは置いといて・・・。)

トナルト、逆に、自分と友人の好きなアイドルが、それぞれ異なると言う事は、むしろラッキーであると喜ぶべき平和的な事柄なのである。

何故ならば、友人の好みが自分の好みと異なれば、それだけ独り占め出来る可能性も増える訳で、それに伴い、恋が成就する確率も高まるはずなのだから。

そもそも、考えてもみよ。自分の憧れの異性(あるいは同性、異性人含む)の事を、今この瞬間、友人に限らず、自分以外の誰かが思い浮かべているとしたら、これほどに耐え難い事があるだろうか?

ゆえに、相手の好みをけなしたり、自分と異なる価値観を自分と同ぢに変えようなどと言う行為は、単にライバルを増やすだけの自滅行為でしかないのである。

よって、今後は、自分と友人の好きなアイドルが同ぢだったり、自分と友人の価値観が似通っていても、決して喜んだり、意気投合などしてはいけない。むしろ、それは恋敵の登場であり、同ぢ獲物を奪い合うライバルとして、いずれは反目し合う可能性さえあると、警戒すべき事象なのだから・・・。

しかし、好みや価値観が同ぢだろうが異なろうが、結局、最終的には争う事になるのだから、人間と言うのは面白い。

と言うか、愚かしい・・・。