Mr.エレクトの独り言 2006年12月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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徒然日記

興味を持つほど好きでないのは、興味を持つに至らないからであり、何故に興味を持たないかと言うと、既に不要である事を認識しているからに他ならない。

通常、過去に観た事のないものを見れば、「何故?」と、その動機や根元、その正体や本質に対して、興味の目が向くものである。

また、既に認識、把握しているにも関わらず、何度見ても好きなものは好きであり、それは、抗う事の出来ない嗜好であるがゆえに、自分が自分であるための“何か”でもあり、しかしまた、幻想に過ぎぬと言う危険性も否定し得ない。

ところで、人は何故に、知ろうとするのか?

それは、その仕組みや、発生の原因、原材料等を知る事により、再度、この悦楽を味わおうと目論むからである。

好奇心、そして知識欲。それは、良い結果を、意識的かつ繰り返し求めるがゆえの当然の方策。

受動的かつ行き当たりばったりに、快楽を享受するだけでは、物足りないのだ。

自ら、何かを生み出したいと思う事は、人間の利己心に基づく発想であり、それこそが、本当の意味で生きると言う事ではなかろうか。

自分の命、自分の運命、自分の生死を、自らの手で出来るだけコントロールしたいと願う事。

その儚き望みを打ち砕かんと、日々、ヒトを蝕む何か。

決して避けられえぬ死への、虚しき抵抗。・・・それこそが虚無感の源。


殺したい・・・。

この虚無感。

そして、飽くなき退屈を・・・。
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バカ王子のための貨幣制度

どこに行っても、基準は金。

・・・と言うか貨幣。

ほとんどのものは貨幣で買えるし、動かせる。

「金がなけりゃあ何にも出来ねえ~」・・・と歌ったのはアナーキーだが、金があれば何でも出来る世の中と言うのも、どうかと思う。

時には、いくらお金を積んでも、性格の悪いやつは乗せないタクシーとか、バスがあっても良いぢゃないか。

もちろん、それはそれで、価値観の違いによる差別や排除と言った問題が発生するが・・・。

だが、判断する基準が、貨幣のみに統一されている事による弊害は大きい。

とは言え、それはあくまでも、貨幣を持たざる者にとっては・・・と言う意味合いにおいてであり、貨幣を大量に所有している者にとっては、これほど都合の良いシステムもない。

・・・と言うか、貨幣制度は、そのために作られていると言っても過言ではない。

ケンカの弱い王子や、頭の悪い王子にも、王の座を引き継がせる事が出来る様にするために・・・。

金の奴隷

貨幣の奴隷

貨幣制度の奴隷

貨幣制度を作った人間の奴隷

貨幣制度を作ってこの世を牛耳っている人間達の奴隷。

私達の生きる目的は、貨幣を収集する事ではなかったはずなのに・・・。

御膳四時

何と言うか・・・

「親が言う様な事は、もう聞き飽きた」

・・・テナトコだろうか。

はいはい解りマシタ。

それを踏まえた上で、生きておりマス。

ぐっすん。母親からお金が振り込まれてた・・・。これで年を越せと言う事か。

母親がいっぱい居れば、生活にも苦労しねえな。

かと言って、女の子みたいに、血の繋がってないパパを複数作る訳にも行かないし・・・。

もう四時か。

もう・・・。

禁未来小説「ドラへもん」その50「ピノキオの独り言」の巻

爽木が言う。

「のひ太~。お前はホントにだらしがないのう。隣のクラスの不具多を見いや(見ろ)。あいつは倒れるまで頑張っちょったで。お前も、もうちょっと根性つけにゃあのう。」

フン!!何だってんだ!!二言目には根性だの何だのと精神論ばっかぶちやがって。自分はたまたま健康で運動神経の発達した身体に生まれたから解んないだろうけど、やりたくても出来ない・・・て言うか、努力だとか根性だとか言うものが、頭の中のどの神経を、身体のどの部分を、こころのどの辺りに力を入れれば発揮されるのかって事自体が、さっぱり解らない人間も居るんだ。それをただただ耳障りの良い言葉でいくら訴えかけた所で、馬の耳に念仏って言うか、豚に真珠ならぬ不具に説教に過ぎないんだよ。

あ~あ、だけど、コイツ(不具多)みたいには絶対なりたくないな~。下らない忠誠心なんてさっさと捨てて、リタイヤしてしまえば良いのに、倒れるまで踏ん張ってるなんて、単なるマヌケぢゃないか。

そりゃボクだって、あんな惨めな姿を全校生徒に晒す事が、全然恥ずかしくないのかって問われれば、もちろんイヤに決まってるけどさ・・・。

それにしても、今度の学校では、絶対に今までみたいな失敗は繰り返さないぞ。

それは・・・。そう、イジメだ。ショック団のシャイアンやスネトみたいな下劣な奴は居ないとは言え、実際、フグタのやつは苛められているって言う噂だし、朝礼であんな醜態を晒してしまったからな~。今度はいつ、ボクが標的にされるか解ったもんぢゃないよ。

しかし、爽木の野郎、口を開けば「こんな事ぢゃあ、世の中に出てもやっていけないぞ」だの、「立派な人間になれないぞ」だのと、ウザイったらありゃしない。

あんな非人間的な扱いに屈服させられ、理不尽な抑圧を耐え抜いた者だけが、あるいは、努力を積み重ねた末に、一方的な要求水準や、ある一定の基準値に到達した者だけが、初めて人間として認められる世の中なんて、こっちから願い下げだ!!

だいたい、そんな考え方してたんぢゃあ、立派なロボットにこそなれるかも知れないけど、いつまで経っても人間になんかなれっこないよ!!

(つづく)

想像する事

手作りのチョコレートと、500円のチョコレート。

一見、手作りのチョコレートの方が、愛情が込もっている様に見えるだろう。

しかし、家事手伝い(要するに実家に居るだけ)の女の子が、実は母親に作ってもらった手作りチョコレートと、多忙な社会人が、忙しい時間を何とかやりくりして、デパートで選びに選んで購入したチョコレートと、もらって嬉しいのはどちらかと言えば・・・。

とは言いつつも、労力、すなわち時間をかければ良いと言う問題では無い事も事実。

肝心なのは、相手に喜んでもらおうと、本当に本心から本気で考えているかと言う点において量られるのではなかろうか・・・と言う事である。

よって、本来は、チョコレートよりも、相手が好むものを調べて、それをプレゼントする方が正しいのかも知れない。

手作りのチョコレートと、500円のチョコレート。

世間的な価値観において判断を下そうが、自分の嗜好において判断を下そうが、そこに込められた、否、秘められた感情までは知りようもない。

私達に出来る事は、ただ、想像する事だけである。

そう考えると、そもそもチョコレート一個で人を判断しようとする事の愚かささえもが見えてくる。

だから、もっと見るのだ。もっと知るのだ。出来るだけ情報を収集し、より正確に判断するのだ。

想像力とは、直感や霊感などではない。

人のこころを知ると言う事は、見えないものを見るのではないのだ。

知ろうとする事。

理解しようとする事。

そこに、ありもしない姿を“創造”するのではない。

五感のすべてを駆使して、知ろうとする事。

それが想像すると言う事なのだ。

ただし、他人を、こころの在り方で量るか、能力の有無で量るか、財産の量で量るか、それは貴方次第である。

ゆえに、見かけが奇麗な箱に入っていれば、中身は何でも良いと言う人ならば、それはそれで良いのではなかろうか。

箱の中身が、毒入りチョコレートだとしても・・・。

だって、美味しければ、何でも良いんだろ?

独りファシズム(孤立ではなく自立)

勘違いしてもらっては困るのだが、私は世の中の味方ではない代わり、貴方の味方でもなければ、ましてや正義の味方などでは毛頭ない。

私は、私自身の立場上の正義を貫いているだけ・・・と言うか、単に自己の生存権を主張しているだけであり、たまたまそれが、現在の社会とは相容れず、貴方の立場に近かったからだとか、考え方に類似点があったに過ぎないと言うだけの話なのだ。

よって、なんべんも言っているが、私がもし資産家の家系に生まれたならば、「貧乏人は時間と労力を切り売りするのが当たり前で、もしそれに不満があるのなら、もっと努力して出世すれば良いだけの話ぢゃないか」・・・と、主張するだろう。

もっとも、奴隷に自分が奴隷である事を自覚させてしまっては、反乱や抵抗が起き、スムーズな搾取業務に支障を来たすため、こころの中で考えるだけで、そんな事は決して口には出さないが・・・。

例えば、私に神と言われる存在の様な絶対的な力があれば、あいつらを地球上からつまみ出してやるのに・・・と、現在の不遇な立場では考えるが、仮に、そんな力を得たとするならば、本当にそうするかと考えてみれば、逆に、この世を自分の思い通りに支配してやろうと考えるであろう事も充分に在り得るのだ。

永井豪作「マジンガーZ」漫画版には、主人公が、博士である祖父からマジンガーZを譲り受ける際、その辺りの人間の本性が、さらっとではあるが、きちんと描写されていて、私は好きなのである。

本題に戻ろう。

トナルト、そんな力を持ち得ない現在、どうすりゃいいのさこの私、夢は夜ひらく・・・な訳で、私は常々、エアコン理論を推奨している次第なのである。

エアコン理論・・・。なんぢゃそりゃ?と思われた方も多いであろう。・・・と言うか、まずはビックリさせて相手に揺さぶりをかけ、興味を引いた所で説得に入ると言う、私の常套手段なのであるが、要するに、これは、この世の中すべてを自分の思い通りに出来ないのならば、自分の部屋の中をエアコンで快適にする様に、自分のこころの中、そして部屋の中、更には、趣味の合う友人や気の合う仲間と居る時間と空間だけでも、気分良く過ごせる様にしようよと言う、極当たり前の提言なのだ。

しかるに、そんな狭いちっぽけな空間の中においても、つまらない対抗意識から、争いやいざこざが絶えない事が、私には耐え難いのである。

・・・とは言え、そもそも、二人だろうが百万人だろうが、人が集まる所には社会が形成され、そう言った揉め事が常につきまとう訳で、それだったら一人で居た方がマシだよ・・・ってな気分になるのも、いた仕方のない事であろう。

求めるべきは、独りファシズム。孤立ではなく自立。個人個人が自立し独立し自己を確立し、他人に依存する事も、ましてや他人から搾取する事もない世界。

そしてそれこそが、本来あるべき人間の社会なのではないだろうか。

ゆえに、私は人間の社会に不適応なのではなく、あくまでも、“奴隷農場社会に不適応”なだけなのである。

要するに、こんな社会に対して忠誠を誓う気もなければ、その能力も無い落ちこぼれだって事さ・・・。

バランス

私の言う事は、他人から見れば本気と冗談の区別がつきにくいらしく、特に、真面目な人からは、誤解される事が多い。

・・・と言うか、理解される事を拒否・・・とまでは行かないが、回避しようとするがゆえの、シャイなあんちくしょうの“照れ隠し”だと思って許して頂きたいとの自分勝手な考えも無きにしもあらずなのであるが、世の中、そう甘くはない。

だがしかし、本能的な欲求も含め、生きたいと言う気持ちの中には、死にたいと言う気持ちも常に何パーセントかは含まれている訳で、そのバランスが崩れた状態が何日も続けば、自殺したくもなるのであろうからして、その配分を適度な比率に保つためには、真面目さと不真面目さとを、上手に使い分けない事には、やってらんないよ~!!ってな事になる訳である。

もちろん、人知れず真面目に生きている部分もあるのだが、何と言うのだろうか、偉そうに言えば、湖を優雅に泳ぐ白鳥が水の中では必死で足を動かしている様に、あまり真面目な部分を見せるのは、好きではないのである。(←何だかんだ言って、結局、真面目さをアピールしてやんの。)

何にせよ、真面目であるとか、本気であるかどうかなんて、本人の自己申告(あるいは自己満足)でしかない場合も多く、それを証明する根拠をいくら並べた所で、突き詰めてみれば、ただ単に視野が狭かったり、盲目的なだけであったりもする訳である。

よって、最も重要なのは、結果はどうあれ、本能に基づいて行動する事よりも、自分を理性でコントロールする事の方が大事なのではないかと言う事なのだ。

要するに、何が言いたいのかと言えば、本気と冗談の配分をコントロールする事によって、私は死なずに生きていけるのであるから、そこは“包み込む大きな愛”みたいなものを駆使して、笑って見逃してやって下さい・・・と言う、自己を正当化するための勝手な言い分を、もっともらしく綴ってみただけの話なのである。

目には目を、歯には歯を、熱意には熱意を、誠意には誠意を、本気さには本気さで、真剣さには真剣さで、真面目さには真面目さで・・・。

こんなふざけた狂った世の中で、真面目に生きると言う事は、自殺行為に等しい。そして、それはまさしく、大切なものをどぶに捨てる様な生き方である。

真面目に生きるべき時と場所は、自分で決定したい。

ビザルブルース?

ビザルブルース?なんだあいつ、変な奴!!

ビザルブルースとは、現在、赤黒チェーンにて行われている、いぬん堂フェア特典DVD-Rに収録されているソロ・シンガー。

店のPCが調子悪く、DVDが再生出来ないので、ネット喫茶で観て来るか。

異常!!

・・・もとい、以上。

「THE SLUDGE/ザ・スラッヂ」③

さてそれでは、今回は時を遡り、私にとってのスラッヂの思い出話なぞを・・・。

1984年9月29日、「東京バトルDAYS・2」。その会場である、今は無き法政大学学館大ホールに、当時まだ10代の私は居た。

その日のスラッヂのライヴにおいて、私の記憶に強く残っているのは「何だかひねくれた人達だな~」と言う印象と、「工事現場で見つかった死体」と言う楽曲における言葉遊びの面白さであった。実際、その歌詞のインパクトはあまりに強く、その後、私にとってスラッヂとは「工事現場で見つかった死体」そのものである・・・と言っても過言ではない程であったのだ。

そして先日、その日に録音したテープを久々に引っ張り出して聴いてみた。正直言って、この様ライヴ生録テープはスラッヂ以外にも何百本とあるため、この日のライヴを聴き返すのは初めての試みである。ただし、以下は、あくまでも今回発売されたCDを聴いた後での感想が主となっている事を踏まえて頂きたい・・・。

<セット・リスト>
①窓辺のアルルカン
②Red Cross
③工事現場で見つかった死体
④+a

ちなみに、法政大学学館大ホールは500人くらい(←この数字は適当に書いているので、後で書き直すかも・・・)は平気で収容出来るホールで、前回の「東京バトルDAYS」が好評だった事や、人気バンドを初め、いわゆるインディーズ・レーベルからレコードを出しているパンク/ニュー・ウェイヴ系のバンドが多数出演する事から、この日もかなりの集客があったと記憶している。なお、メンバー自身に確認した所、この日、スラッヂの出番はトップだった様である。

まず初めに、①~②の演奏はCDを聴いた後だから余計にそう思うのかも知れないが、何だか精彩を欠くと言うか、わざとテンポを落として演奏している様に感ぢられてならない。推測するに、時はパンク~ハードコア・パンク全盛期、ましてやこのイベント自体、出演バンドの殆どがパンク系である事から、速くてノリの良い曲を期待する観客へのイヤミと言うか、当てつけだったのだろうか?今となっては、その本意を知る由もないが、当時、私が“ひねくれた人達”と言う印象を持ったのは、このせいなのかも知れない。(←ひねくれているのは、そう感ぢる私自身だと言う説もあるが・・・。)

そして③、「工事現場で見つかった死体」である。さっきまでのお通夜ムードはどこへやら、今度はいきなりファンキーな楽曲と、激しくしゃくりあげる様にシャウトするヴォーカリスト・・・。「死体としたい」等に見られる言葉遊びも“妙”ではあるが、この様なシュールな歌詞を、この人は何故にそこまで力んで歌うのか?この曲によって、私の耳、そして意識が、初めてそのバンドに向けられた。その瞬間を、私は今でも昨日の事の様に思い出す。それほどまでに「工事現場で見つかった死体」と言うフレーズは印象的であり、そのヴォーカリスト、菅原氏の放つインパクトは強烈であったのだ。

ラスト④。しかし、広い会場のせいでもあるのか、CD収録音源に比べ片岡氏の強靭なギター・プレイが殆ど聴き取れないゆえ、この日のテープを初めて聴き直した時には、どうしてもCDと比べてしまい、不完全燃焼な印象を受けてしまった事は否めない。とは言え、それでも既に楽曲自体を好きになってしまったせいか、何度か聴いているうちに、この日の演奏も好きになってきた。よって、純粋な当時の印象ではないのだが、CD収録ヴァージョンではアップ・テンポで演奏されているこの曲も、この日は①②同様、かなりのスロー・テンポで演奏されており、その、まるで恍惚とまどろみの中へ溶け入ってしまいそうな陶酔感に満ち溢れた演奏ぶりは実に素晴らしく、こちらのヴァージョンも捨て難い名演であると断言出来る。

そして、弾き足りなさを訴えるかの様に乱暴にかき鳴らされる片岡氏のギターと、菅原氏による「サンキュー」との台詞を最後に、スラッヂの演奏時間は終了。あまりにもあっけない、否、そっけない終り方であった。

実際には、残念ながら、この日のライヴを観て、当時ハードコア・パンクにハマり、刺激的な音楽のみを追い求めていた私が、スラッヂにのめり込む事は無かった。しかし、現在こうしてCDが発売され、今になってこのバンドの音を好きになってしまった私にとって、もはや現役のアーティストとして存在しないスラッヂとは、やはり「工事現場で見つかった死体」に過ぎないのだろうか・・・などと考えてもみたりして・・・。

あるいは今後、スラッヂが復活する事はあり得るのか?

その答えは・・・。

(つづく)

↓今回のCD発売告知フライヤー&当時の録音テープ

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“不変”的な“偏”人

私には、以前、頻繁に参加していた催し物があったのだが、ここ数年、色々と事情があって、あまり参加しなくなってしまった。

先日、久々に、その催し物に足を運んだのだが、顔馴染みの面々が言うには、「エレクトくんがいないと淋しいよね」と言う有り難いお言葉から、「エレクトくんは変ったよね」と言う、批判とも愛情とも受け取れる言葉もちらほら・・・。

「そんな事言うけど、貴方だって、夏にはTシャツ一枚だったくせに、(冬の)今日はジャンバーなんか着込んだりなんかして、何だか、すっかり変ってしまったね~」・・・と、屁理屈極まりないイヤミの一つも言いたい所なのではあるが、そこはぢっと我慢の子。

・・・と同様に、確かに、私の表面的な行動様式は変ったかも知れないが、根本的な考え方・・・と言うか、考え方の方向性は、ほとんど変ってなどいないのだ。

要するに、こう言う事である。

「私は、常に自分が行きたいと思う所に行くだけであり、自分が楽しいと思える事をするだけの事であって、その行動原理に関しては、今も昔も全く変り無いのだ」

・・・テコト。

禁未来小説「ドラへもん」その49「落伍者の停留所」の巻

哀れ、保健室へと連行されるボク・・・。

ところで、この小学校の校庭は、校舎の立ち並ぶ土地よりかなり低い位置にあり、校舎内にある保健室へ行くには、校庭を背にして、50段近くもある広くて長い階段を登らなければならないため、さしずめボクの後姿は、管理社会から脱落した落伍者、不様な晒し者として、全校生徒に対し、より一層の忠誠心を誓わせるための恰好の見せしめ、絶好の生贄となった事だろう・・・。

教師に肩を借りながら、その階段を登る途中、ボクは、ふと校庭を振り返った。そこには、まるで軍隊の様に、全校生徒が一糸乱れず整列している、一種異様な光景が・・・。

うへえ・・・。まるで、田んぼに植えられた苗だな・・・。

くそっ!!忠誠心なんかなくても、せめて、その振りだけでも出来る体力がボクにあれば、こんな惨めな思いをしなくて済むのに・・・。

いやいや違う!!そもそも、こんな儀式を強要する事自体が間違ってるんだ!!

ボクの頭の中は、悔しさと怒りとで混乱していた・・・。

そして、保健室のベッドに横になるボク。

しばらくすると、朝礼も終了したのか、担任の爽木がボクを呼びに来た。

爽木「お~い、のひ太。具合はどうだ?授業には出れそうか?」

ボク「ハイ・・・。」

爽木「おいおい、しっかりしろよ。こんなんぢゃ、世の中に出てもやって行けないぞ。」

ボクには、爽木の、そんな下らない台詞になど、返事する気も起きなかった。

爽木「おい!そっちも大丈夫か?」

実は、保健室にあるもう一つのベッドには、ボク同様、やはり朝礼脱落常連組の少年が一人居た。隣のクラスの不具多吐露男(フグタトロオ)である。こいつはボク以上に虚弱体質で、イジメにも遭っていると言う噂だ。

体力が無いだけぢゃなく、イジメと言う圧力に屈している、こんな奴とまで一緒にされちゃ、たまんねえぜ・・・。

この時のボクはまだ、担任爽木の何気ない一言がボクを地獄へと突き落とす引き金となる事、そして、このフグタの存在が、ボクの退屈な人生を一変させてしまう悪魔の導きになろうなどとは、露とも想像だにしていなかった・・・。

(つづく)

「オモライくん」

永井豪の漫画、「オモライくん」を読む。

オモライだけに、超オモロイ~!!

オモライくん、超かあい~!!

おこもちゃん、超魅力的~!!

吐き気がするほど汚く不衛生な彼らが巻き起こす、超下品でお下劣な漫画だが、何故か、こころが暖まる作品。

しかも、読んでて何度、爆笑した事か・・・。

彼らと一緒に暮らすなんて、とても出来るはずもないが、不潔さもここまで行けば、現実味も薄れて、もはやSFの領域だよね。

しかし、物事を表面的にしか見る事の出来ない人には、こんなド汚ねえ漫画、マトモに読んでられないんだろうな。

かわいそうに・・・。

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↑右のワイルドな女性が、おこもちゃん。

永井豪の漫画に出てくる女の子は、男に媚びる事が出来ないって言うか、偽りの“女らしさ”教育に洗脳されてなくて、カッコイイよね~!!

それでいて、ちゃんと、恥ぢらいの感覚もあるし・・・。

超好み~!!(^。^)/

美学

自分の美学を持って生きている人間は、他人の美学にケチはつけない。

・・・が、しかし、美学を持たない人間に対しては別だ。

何故なら、美学を持たないと言う事は、自分の価値観を持たないと言う事と同意だからである。

更に言えば、自分の価値観を持たないと言う事は、ある特定の目的のために植えつけられた、あくまでも限定された時期と地域にのみ通用する価値観に、その身を任せているだけと言う事でもある。

それはまるで、誰かに収穫されるためにのみ、より良い実をつけようと成長する植物の如し。

家畜ならまだましだが、植物とまで言われた日には・・・。

そもそも美学とは、自分で決めて自分でやると言う、生きる事に際しての基準や方針を、キザな言葉に言い換えただけに過ぎない。

しかしまた、美学とは決して、意識を固定し、思考を停止してしまう事では無い。

よって、本来、表面的かつ内面的な変化も辞さないのが当然なのである。

要は、自らの意志で、自分なりの目的意識を持って生きると言う事、その点こそが重要なのだ。

ゆえに、美学とは、必ずしも他人に理解してもらう必要など無い。

「俺が自由に決めて、俺が勝手にやる。」

・・・ただ、それだけの事なのだ。

礼儀

目には目を

歯には歯を

熱意には熱意を

誠意には誠意を

何か問題ある?

仲間意識不明

皆が皆、同ぢ考えや価値観を持たなければならないと思い込んでいる人間の集団。

皆が皆、それぞれ異なった考えや価値観を持っている人間の集団。

人間の集団。

集団の人間。

あざらし「アザラシイズム」CDレビュー

★あざらし「アザラシイズム」(CD)¥1500
曲目:少女椿、白痴、アザラシイズム、想像妊娠、残刻、呪怨ノ唄。(全6曲+ボーナス・トラック収録)

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鳴り響く警報と地を這う様なベースのイントロから幕を開ける本作は、深い絶望感と、その果てに芽生えた殺意とをむき出しにした、“あざらし”ならではの、実に禍々(まがまが)しい作品であり、「これこそが“アザラシイズム”なのだ」と言う説得力に満ちている。

収録されている楽曲に関しては、暗いフォーク・ソング、あるいは童謡にも似た哀感溢れる力強いメロディーを、パンク・ロック特有のスピーディーかつ激しいサウンドに乗せたものが主だが、緩急を生かしたドラマティックな展開の作品も、感情の機微や抑揚が自然に反映されているためか、楽曲の構成に全く違和感を感ぢさせず、この辺りは相変わらず見事としか言いようが無い。

また、性急なドラムのビートや下腹部を駆け巡り内蔵をえぐるかの如きベース・ラインも心地良いのだが、モノ・トーンになりがちなパンク・ロックのサウンドを多様な音色で彩る新加入ギタリストの貢献も大であろう。

メグ子嬢の確信に満ちた歌声と残虐ですらある攻撃的な歌詞は、時に威圧的に響くが、これらは間違っても満ち足りた者の振りかざす刃物などでは無く、その根底には生存の危機にさらされた弱者の必死の抵抗、焦燥、孤独、虚無感が横たわっており、それらはあくまでも、踏み躙られ殺されかけた己が自尊心を守るための、そして、こころの底から「生きたい」と願う者の切実な叫びなのだ。

更に、歌詞においては、この世の美と醜との価値観に弄ばれ、魂の生と死の狭間でもがき苦しむ独りの少女のこころの葛藤が生み出した、自虐的かつ猟奇的な経血まみれの妄想地獄が徹底的なまでに描き出されており、過度な露悪趣味に血塗られたそれらは、表面的には極めて不純にして不浄なものではあるのだが、その実、暗闇を欲するがあまりに自分の目を潰してしまったあげく、血の涙を流しながらも光を求めて彷徨うかの如き矛盾し相反する性質をも内包しており、私にとっては、まるで迷子の子供が泣いているかの様な、無垢なる純真さをも感ぢてやまないものなのである。

・・・とは言え、この様な個人的な感情表現と言うものは、通常、無視され見過ごされてもやむを得ないものである事も事実。しかし、そう言う意味では、だからこそ、これらは何かしらの共感を覚える者のためにあるのだと言い切っても過言では無い。

私は私、貴方は貴方、誰もが皆、自分の唄を歌えば、それで良いのだ。

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無力だが無気力ではない

必ずしも、大多数の意見が正しい訳でもないが、かと言って、少数意見の方が正しいと言う訳でもない。

ただ単に、集団をまとめるに当たり、大多数の意見を採用する方が正しい・・・と言うか、不満が少なく、都合が良いと言うだけの話である。

よって、集団においては、大多数の意見が尊重されるのはやむを得ない選択であるのだ。

また、大多数の意見に惑わされる事は良くないが、それ以前に、それが大多数の意見なのか少数派の意見なのかを判断の基準に入れてしまうと言う事自体も、逆に言えば、結局は大多数の意見に惑わされているのだとも言える。

大多数の意見も少数派の意見も、いずれにせよ、赤の他人の意見でしかない。

だから、いちいち考えるのだ。

自分ひとりになって・・・。

それが、自分にとって本当に必要なものなのかどうかを。

「他人と異なる事」や「少数派である事」は、恥ずかしい事でも何でもない。しかし、「自分で考えて決定する事が出来ない」・・・否、最終的には決定“出来ない”までも、自分で考える事をしようとしなければ、人間としての優劣以前に、生きている意味が無い。

・・・と言うのは、今現在の私の考え方なので、この意見を肯定するも否定するも、貴方自身が、“ひとりで考えて決めて欲しい”と、私は願うのである。

このブログが、コメントを拒否しているのは、そのせいでもある。

どこかの掲示板の様に、匿名による数の正義で少数派を迫害したり、多数決で物事の良し悪しを判断させる事はしない。

ゆえに、考えなくても、決めなくても、それでも全然構わない。

・・・と言うか、そもそも私自身は、過去に一度も、「このブログを読め」と宣伝した事は無い。誰かが勝手に宣伝しているか(←感謝してマス)、貴方が勝手に読んでいるだけである。

こちらは、大多数でも少数派でもなく、たったひとりの人間が、自由気ままに、自分にとって正しい(都合が良い)と思える意見を、インター・ネット上に記録しているに過ぎない。

人間の数、すなわち、権力で人を説得しても面白くもなんともないのだ。

たったひとりの人間の真摯な言葉で説得しようとする事にこそ意義が、そして、やり甲斐があるのである。

・・・なんちゃって!!ほにゃらら~!!

テヘヘ・・・。(^^;)

数の正義

私が抵抗しているものとは、言わずもがな、“数の正義”であるが、生物にとって、“数の正義”とは、ある種、正しいと言う事も事実。

・・・と言うか、多数の者を尊重しなければ、その生物は減少し、滅んでしまうがゆえ。

しかし、今ある“数の正義”が、本来の意味での“数の正義”とは異なるのだと言う点を、私は異議申し立てしたいのである。

現在はびこっている“数の正義”とは、“少数の人間の利益”のために、“多数の人間”が飼われている状態における、“数の正義”でしかない。

すなわち、あくまでも、“王”に都合の良い“正義”を尊重するその度合いによって利益が得られる世の中であるがゆえ、多くの人間がそれに従っているに過ぎないだけなのである。

よって、正確には、“数の正義”と言うよりは“王の正義”、あるいは、“利益を独占するための正義”とでも呼ぶべきであろう。

ただし、大多数の意見がいつも間違っている訳でもなく、少数派の意見がいつでも正しい訳でもない。

ただ、この社会はその様に意図的に形作られていると言うだけの事なのである。

そもそも、王の存在を認めた時点で、人間は人間である事を捨てたのだとも言える。

この野蛮極まりない“王政”に立ち向かえるのは、個人が得る事の出来る中途半端な地位や利益ではなく、他の生物になく人間だけが持ち得る“プライド”及び“理性”の力でしかない。

それにしても・・・。



敵いっこね~よ!!

卑格論

他人の不幸は甘い蜜と言うが、世間の平均値と比べて、あるいは、自分よりも他人の方が不幸だろうが幸福だろうが、それによって自分のこころの充足度に変化が生ぢる訳では無いのに、何故、他人の不幸は嬉しく、他人の幸福は妬ましいものなのであろうか?

・・・とは言え、確かに、他人の不幸は笑って見ていられるし、自分が欲する幸福を多く所有する人間に対しては、ライバル意識を抱かずにはおれないと言う事も、一つの事実ではある。

それにしても・・・。

確かに、精神的な充足度を得る事は出来ようが、そんな感情は一時のものでしか無く、他人の幸福度がいくら変化しようが、その変動した差異の量が、自分の幸福度の増減に直接反映されるものでもあるまいに。

他人より優れていると言う優越感に浸る事が、そんなに楽しいか?

他人より劣っていると言う劣等感にさいなまれる事が、そんなに苦しいか?

まさか、この世の“王”になりたいとでも言うのか?

ウフフフフ・・・。

それはきっと、私達が、生まれた時からずっと、比較され続けて育ってきたからだろうな。

自分の中に確固たる基準を持つ機会を奪われ続け、他人より優れているのか劣っているのかと言う事で、人間性すらも判定(否定)され続け・・・。

挙句の果てに、自分の中にある価値観、すなわちこころの充足度を計る基準までを、何者かに委ねる始末。

他国の事は知らないが、少なくとも、この国においては、独自の方法で幸福感を得る事は認められていない。幸福の種類は、すべて国家直営の販売店に並べられているのだ。

金で買われ、自由を奪われ、そうして得たお金で自由を買う。

本末転倒。

幸福・・・否、降伏に乾杯!!

幸せの壺

人類における人生の最大の目標とは、己が幸せの壺を出来うる限り満たそうとする事。

しかし、それは、他人と比べて初めて感ぢるものでは有り得ない。

優越感を得る事によってしか、自分が幸せなのかどうかを確認出来ない様な自主性の無い人間は、生まれた時からよほどの資産や才能を備えているか、あるいは努力によって掴み取る、または強運に恵まれない限り、幸福感を得る事は極めて難しい。

何故ならば、他の人間も同様に、他人より優越意識を持つために必死で頑張っている訳で、結局、いつまで経ってもその競争が繰り返され、結果、一握りの勝者と多くの敗残者が生み出され続けるだけの事である。

他人と比べさえしなければ、余程、過大な欲望を抱かない限りは、人は皆、いくらでも幸福になれる可能性を持っているのに、まったく馬鹿げた話である。

クダラネエ!!

執筆予定メモ

①あざらし「アザラシイズム」

②中学生棺桶の新譜

③スラッヂ③④~(SUICIDEの再演も含め)

④センチメンタル出刃包丁の現在

⑤その他

ヒメのヒーメン

ゴキコンに続き、これまた、ずいぶん古い話であるが、書こうと書こうと思いつつ、ずっと後回しにしていたのだった。昔、昔、ある所に・・・。

さて、戸○純を観た!!実は、何を隠そう、今の今まで戸○純のファンだった事は一度も無い私である。当時、宝島とか読んでた人は、たいてい戸○純も好きだったと思うが・・・。とは言え、別に嫌ってた訳でもなく、やはり戸○純はYMOファミリーって印象が強いのだ。

★戸○純(←超有名人ゆえ呼び捨て御免)は、熱狂的なファンから“姫”と呼ばれているそうなので、以下、“姫”と表記する。伏字にするのも、いちいち打ち込むのが面倒なので・・・。

・・・と、それは良いとして、今回は、いぬん堂氏率いるビルをバックに姫が歌うと言う企画。先にも述べたが、そもそも姫のファンでも何でもない私。「昔の名前で出ています」かよ~と、大した期待もしていなかったのだが、いやいやこれが、すごくカッコ良かったデス~!!その日から姫の大ファンになりマシタ~!!(←単純)・・・ってのは言い過ぎだが、マジで、良い声出してらっしゃいマシタ。流石にプロは高性能ちゅうか、良い仕事するな~って感ぢ。ビルがバックと言う事で、パンクっぽい選曲、それも歌い慣れた持ち歌ばかりだったのが良かったのかもね~。

そして、ヒメの次はヒーメンである。ヒメの前日だったのか翌日だったのか、既に記憶が無いのだが、ヒメ同様、池袋の手刀(チョップ)においてのライヴ。

ヒーメンとは、ゾンビー・ロリータと言う総勢50人くらい(←人数は適当)の女性ヴォーカルやダンサーを配した、ゴスロリ的パフォーマンス・グループ内の単独ユニットの一つだそうである。メイン・パフォーマーは基本的に、リード・ヴォーカルに“ぐしゃ人間”のマネージャー嬢、そしてサポート的な役割の女性ヴォーカルとのデュオ。そしてバックはゾンビー・ロリータの演奏メンバー(男性)が担当している模様。

さて、その内容であるが、これまた素晴らしく強烈なものであった。言うなれば、“拒絶反応”を音にした・・・とでも言うのだろうか。初見なので把握し切れなかった部分もあるが、まるでヒーメンならぬ“ヒメイ(悲鳴)”の様な女性の絶叫と、何かを破壊するかの様なヒステリック極まりない演奏。激しい音楽と言うのは多々あれど、たいていはフラストレーションの発散であったり、特定の敵を批判するためのもの、あるいは観客と高揚感を共有する事を目的としているのが常であるが、ヒーメンの様な、敵味方の区別無く、とにかく自分以外のすべてのものを否定し、支配下に置こうとでも言わんばかりの、自意識過剰を通り越したエゴイスティックなサディスティック・クイーンぶりは、実に潔く、爽快でもあった。

何だかんだ言っても、人前で音楽を演ると言う事は、コミュニケーションが最大の目的な訳であって、ヒーメンの様に観客無視と言うか、他人との交流を拒絶するかの様な姿勢は、むしろノイズ・ミュージックに近いものなのかも知れない。

ところで、他人を拒絶と言ったが、実際の所、ヒーメンには、それ以上の感覚、例えば、自分が女性である事に対する生理的嫌悪感等、精神と肉体とが相容れないと言った、自己分裂的な拒絶反応さえ感ぢて余りあるものがあった。

ヒメとヒーメン。いずれも感銘を受ける上質なパフォーマンスを観る事が出来た二日間。しかし、各々の主役である彼女らは、あくまでも舞台上の出し物として観る事が望ましい・・・。

ライヴ告知!!

もう間もなくデス!!

■組織暴力幼稚園企画『高円寺地下大空襲3』
[出演者]
午後零時回転数ひちはごじゅうろっく
ニンゲンカクセイキ
_ _ _ _(テイヘン)
マリア観音(木幡東介)
組織暴力幼稚園
ぴあぴあ~ず
[日時] 2006年12月10日(日)
[会場] 高円寺20000VOLT
[電話] 03-3316-6969
[開場] 18:00
[開演] 18:30
[料金] 前売1,500円 当日1,800円※ドリンク代別
[問合]高円寺20000VOLT 03-3316-6969

★皆様のご来場、こころよりお待ちイタシテおりマス!!(^^)/

↓当告知は、ライヴ終了まで、常にブログのトップに掲示されておりマスので、以下も続々と記事は更新されておりマス。

臨時Q業のお知らせ

12月8日(金)は臨時Q業イタシマス!!

申し訳ありマセン~!!m(_)m

自主制作商品新入荷情報(2006年12月7日号)

①バビロンズ/BABYLONS「赤い呪々」(CD-R)¥300
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★全4曲(約30分)収録。初期ブラック・サバス系の怨念ドゥーム・ロック・バンド。メンバーは、ギターと歌:コタ魔 魔子、ドラム:おかしのくにあかね、ベース:太陽がノボル(本作まで)→現在は、元・ぐしゃ人間の納豆さん(あや野嬢)が加入(新しいリング・ネームは、常吉ダミ子・・・)。よって、現在は女性トリオ編成。内容的には、大袈裟に言えば、男性主導による男権至上社会における、“女である”と言う事だけで受ける謂れなき差別や理不尽な仕打ちに対しての個人的復讐が主題となっているのだが、なんと言っても、その手法の徹底度が目を引く。とりわけ、歌詞に見られる、日本の古い文学を想起させる語彙を駆使した、生々しくも現実的な仕返しや拷問の方法を読むにつけ、「ふうむ、これはまさしく女性にしか書けぬわい・・・」と、私は改めて女性の怨みの恐しさを思い知る次第なのであった。また、小柄ながらも妖しい美貌の持ち主である、ヴォーカルのコタ魔嬢の歌声も特筆に価するもので、仇敵を直接的に攻撃するのではなく、例えば“焼身自殺”などの様に、自らの滅び行く断末魔の姿を見せ付ける事によって、相手にその罪業の深さを思い知らせるかの如き、何とも気色の悪い声なのである(←誉め言葉)。個人的には、声質こそ違えど、大昔、NHKテレビで放映されていた人形劇「新八犬伝」に出てくる、“玉梓の怨霊”を真っ先に思い出した。バビロンズ「二匹の牝犬」より・・・「綺麗な声の唄が美しいと人は言う、汚い声の唄はおぞましいと人は言う」・・・。なお、今回入荷品は、再生中に、怨霊ならぬ音量に変調を来す「限定の霊障盤」・・・トノコト。

②SWINDLE BITCH(CD-R)¥1000
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★先日発売された同作品が、トール・ケース仕様となって再登場!!

③ヨロコビグミ「ヨロコビR」(CD-R)¥1260
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★現在、森下隼人として活動中のシンガーの、ヨロコビグミ名義での作品。全17曲収録。詳しくは以下、ホーム・ページにて・・・。
http://www.freepe.com/ii.cgi?morishita


■いずれも当店店頭にて発売中!!通販も可能!!ライヴも演ってるバンドは、出来るだけライヴ会場で買ってあげて下サイね!!(^^)/

SONIC’S RENDEZVOUS BAND/ソニックス・ランデヴーズ・バンド!!

これデスよ!!これ!!このバンド、サイコーにカッコイイのデス!!実は、この度、6枚組のCDボックスが出たそうで、ヒジョーに欲しいのデスが、そんなお金ありマセ~ン!!なので、古いテープを引っ張り出して来て、何度も聴きまくっておりマス!!

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ところで、このCDボックスを紹介しているのは、こんな私の稚拙なブログをリンクして下さっている、TK様(←若かりし頃はやんちゃな武闘派~現在は子供に甘いロックン・ロール・パパ)のブログなのでありマス!!
『ECHOES 2006 <ロックン・ロール・ライフ!!>』

ちなみに、やはり上記ブログのブック・マーク欄より、リンクされている、ハリー様のブログ『HARRY’S ROCK AND ROLL VILLAGE <お気に入りの音楽の紹介と戯言>』が、更に、そのCDボックスの情報発信源となっておりマス。こちらも幅広く音楽に詳しい方で、非常に参考になりマス!!

さてさて、それでは本題のソニックス~(以下、SRB)であるが、他で調べれば解る事なので簡単に言えば、元MC5のギタリストであり、パティ・スミスの亡夫である、フレッド“ソニック”スミスと、元ストゥージズのドラマー、スコット・アシュトン他からなるグループで、’70年代の後半に活動。正式な音源が殆ど残されていない、幻のバンドなのである。

当初、私は、いつもの早とちりで、やはり元ストゥージズのロン・アシュトンによるDESTROY ALL MONSTERSとのカップリングLP(画像は、その裏ジャケの一部)に収録されているSRBの音源を愛聴していたのだと思い込んでいたのだが、どうやら勘違いで、他にもう一枚、SRBのデモ・テイク(?)やライヴ音源等を集めたLPが出ていたらしく、それをテープ(画像参照。裏面にはテレヴィジョンのライヴ!!)に録音して聴いていた模様。ところが、そのアルバムのタイトルもジャケットも全然思い出せないんだよね~・・・。

いやしかし、このテープに録音されているLPに収録されている音源は、マジで素晴らしくカッコイイのである。ささくれ立ったチンピラ風のガレージ・ロックン・ロールとでも言うのだろうか、言うなれば、“いつも何かをジャラジャラさせながら歩いてる”様な。・・・とは言え、おバカっぽいとかそう言うのでは決してなく、逆に、楽曲の構成やアレンジ等にはインテリジェンスさえも感ぢてしまうのだ。

まあ何と言うか、要するに、電圧の差とでも言うのだろうか?2本あるエレキ・ギターの音は、まるで大量の電流がそこから放電されている様子が目に浮かぶ様な、あるいは、まるでピックを持つ手元の当たりが漏電してバチバチ鳴ってる様な、そんな、常に電気ショックを浴びせられ続けているかの如き刺激に満ちた音色であり、そしてそれを、ビンビンゴリゴリのベースと超クールでタイトなドラムが追いたて、ある一定方向へ流れるスピードを更に更に加速させる。このサイコーに痛快で爽快な音を、気持ち良いと言わずして何と言えば良いのか、私は他に言葉が見つからないのである!!

もうホントに、ギュルリリギャイ~ンギュルルルギュイ~ン!!ビンビンゴリゴリ!!ズダダダズドン!ズドドドズダン!!なんだよ!!(←なんのこっちゃ!!)

・・・となれば、CDボックスにたっぷり詰まってるはずの電源ならぬ音源は、どんな具合になっているのか、期待が膨らまない方が嘘だってもんだ。ああ・・・、早く聴きたくてたまんね~ッス!!(^^;)


<追伸>視聴出来るサイトで、「CITY SLANG」だけでも聴いてみて!!(^^)/

うえ~ん(^^;)

↓再アップしてからも、かなり直してしまった!!既に読んだ人も読み直すべし。まだしつこく直すかもしれないが・・・。スラッヂに限らず、お気楽にスラスラと簡単に書いている様に見えて、他人の事を書く時は、実はすげえ苦労してんだい!!・・・みたいな。(^^;)

やっと完成!!

「THE SLUDGE/ザ・スラッヂ」②

さて、今回は予定を変更し、先に、この度発売されたCDを紹介しておくとしよう。

「The Brain Kept A Rollin’」¥2800
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’85~’87年、スラッヂ活動後期のライヴ音源を、全19曲/80分たっぷり詰め込んだCD。

まず手始めに、全10Pのフル・カラー・ブックレット(正確には、折りたたみリーフレット)であるが、そこには、日本の’80年代インディーズ・シーンを捉えた写真集「GIG」で知られる佐藤ジン氏による、スラッヂのライヴ及びオフ・ショット写真が満載されており、もともと情報の少ない同バンドの実像を伝えるに当たり、その貢献度は計り知れないものがある。また、一部収録曲の歌詞や、詳細なHISTORY/ライヴ年表に加え、解説には、レーベル・オーナーであり今回の奇跡の立役者である森本在臣氏、ギターの片岡氏とも旧知の仲である刈谷吉見氏(当時、ミニコミ誌「Fragile」主宰、スラッジ出演ライヴ等も企画。)、そして日本で最も信頼のおけるパンク系音楽評論家である行川和彦氏、以上3名の濃密な文章が掲載されており、こちらも非常に読み応えのあるものとなっている。

ところで、当時、スラッヂをレコード盤でしか聴いてなかった人間の多くは、今回発売されたCDを聴いて、「スラッヂって、こんなに良いバンドだったか!!」と、目から鱗は必至であろう。それほどに、ここに収録されている音源は魅力的なのである。実際、一日の来店客数が、わずか数人と言う当店の様な店で、BGMとして流れていたスラッヂの音に反応し、バンド名さえも知らなかったお客サンが、その場で2800円もするCDを購入して行ったのだ。となれば、これが大型店であれば、どれだけの人が気に入ってくれるだろうかと考えると・・・。

さて、それでは本題。本CDに実際に収録されているスラッヂの音であるが、「聴けば解る」と言うセリフがこれほど当てはまるバンドも無いのではないかと思いつつ、この困難な事業に無謀にも挑戦したい・・・。

まず、既存のバンドとの比較によって、実音を想起させるのであれば、タイトかつグルーヴィーなリズム隊と尖った音色のギターとの組み合わせから、やはりフリクションが、まず初めに頭に浮かぶ。しかし、フリクションが、メンバー個々の出す音から人間の温かみや緩さを徹底的に排除し、まるで“きかい”と化した、あるいは“金属製の刃物”の如く尖った3人が接触する事によって散らす火花、あるいはその“軋轢”による“摩擦熱”を“興奮”に変えていたとするならば、スラッヂの音は、そこまで意図的に凝縮されたものではなく、軽い緊張感こそ伴うものの、そのアンサンブル構成は、あくまでも自然発生的に生まれる高揚感や解放感に、ある程度の意識的な集中力の成果とを組み合わせたものであり、フリクションとは正反対に、もっと人間の温かみや空間の拡がりをも感ぢさせるものなのである。

そして、誰の耳にも明らかなスラッヂの特徴は、ギターの片岡氏による、脳内破壊ドリル・ギターの“魅力”ならぬ“威力”であろうか!!

とは言え、一部のメンバーの個性が強過ぎると、得てして偏ったサウンドにもなりがちなのだが、バンドとしてのスラッヂの演奏は、各々の役割分担(目的意識)がしっかりしているせいか、不思議と、非常に“力強く”、しかも“心地良い”サウンドとなってリスナーの耳に届く。そう言う意味では、ある種、スラッヂは、そのメンバー構成からして既に、ホットさとクールさとの配分が実に絶妙なのだとも言えよう。

何にせよ、“力強さ”と“心地良さ”、この二つこそが、スラッヂの持つ最大の魅力である事は、ほぼ間違いない。

よって、次回は、メンバー紹介も兼ね、ギターの片岡氏に匹敵する突出した個性の持ち主である、菅原氏のヴォーカルや歌詞、その他、メンバー個々の出す音を具体的に解説する事によって、私なりに、スラッヂの魅力を更に深く分析してみたいと思う・・・。

(つづく)

<ザ・スラッヂの逆襲>←オフィシャル・サイトはこちら!!

ライヴ告知!!

■ 「日本絶滅動物記 其の12」
進化の坩堝!吉祥寺プログレッシヴ・ドラマー フェスティバル
[共演] 吉田達也(ルインズ・アローン)
ウィンチェスター・ニテテ(ガーナトラディショナルドラマー)
[日時] 2006年12月5日(火)
[会場] 吉祥寺シルバーエレファント
[住所] 武蔵野市吉祥寺本町2-10-6-B1
[電話] 0422-22-3331
[開場] 19:00
[開演] 19:30
[料金] 前売2,500円 当日2,700円※ドリンク代別
[問合] 吉祥寺シルバーエレファント 0422-22-3331

■組織暴力幼稚園企画『高円寺地下大空襲3』
[出演者]
午後零時回転数ひちはごじゅうろっく
ニンゲンカクセイキ
_ _ _ _(テイヘン)
マリア観音(木幡東介)
組織暴力幼稚園
ぴあぴあ~ず
[日時] 2006年12月10日(日)
[会場] 高円寺20000VOLT
[電話] 03-3316-6969
[開場] 18:00
[開演] 18:30
[料金] 前売1,500円 当日1,800円※ドリンク代別
[問合]高円寺20000VOLT 03-3316-6969

★皆様のご来場、こころよりお待ちイタシテおりマス!!(^^)/

禁未来小説「ドラへもん」その48「敗者の理屈」の巻

もう限界だ・・・。

せめて、ボクにもう少し体力があれば・・・。


いや、違う!!

ボクが欲しいのは、この朝礼、すなわち、管理社会に忠誠を誓うための儀式に耐えうる体力なんかぢゃない。

ただただ、この理不尽な強要に抵抗出来るだけの“力”なんだ・・・。

ああ!!ピストルがあれば!!

今すぐにでも、あの黒原の頭をぶち抜いて、こんなふざけた儀式なんかぶち壊してやるのに・・・。


・・・と、ボクは思わずしゃがみ込んだ。

途端、駆け寄る教師。

・・・いつもの事さ。ボクは、本当に気を失って倒れてしまうその寸前まで耐える事さえ出来ず、すぐに白旗を上げてしまうんだ。つまる所、忠誠心や体力どころか、精神力すら弱・・・否、精神力すら無い、正真正銘の真性駄目人間なのさ。

教師は言う。

「おい、大丈夫か?もう少し頑張れないか?」

頑張る?何を?どう?

・・・と言うか、そもそも、ボクには、“頑張る”って事が、自分の身体のどこをどう動かす事なのか、どこにどう力を入れれば良い事なのか、それすら解らないってのに・・・。

そして、教師に肩を貸してもらい、屠殺場へ向かう家畜の如く、保健室へのお決まりのコース・・・。

ぼんやりとした虚ろなボクの脳裏に、黒原の声が木霊する・・・。「もし、いぢめられている生徒が居たなら、いぢめに負けないで、勇気を出して戦って欲しい」・・・。

勇気?

だから、勇気って何なんだよ!?

(つづく)
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