Mr.エレクトの独り言 2006年12月26日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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禁未来小説「ドラへもん」その50「ピノキオの独り言」の巻

爽木が言う。

「のひ太~。お前はホントにだらしがないのう。隣のクラスの不具多を見いや(見ろ)。あいつは倒れるまで頑張っちょったで。お前も、もうちょっと根性つけにゃあのう。」

フン!!何だってんだ!!二言目には根性だの何だのと精神論ばっかぶちやがって。自分はたまたま健康で運動神経の発達した身体に生まれたから解んないだろうけど、やりたくても出来ない・・・て言うか、努力だとか根性だとか言うものが、頭の中のどの神経を、身体のどの部分を、こころのどの辺りに力を入れれば発揮されるのかって事自体が、さっぱり解らない人間も居るんだ。それをただただ耳障りの良い言葉でいくら訴えかけた所で、馬の耳に念仏って言うか、豚に真珠ならぬ不具に説教に過ぎないんだよ。

あ~あ、だけど、コイツ(不具多)みたいには絶対なりたくないな~。下らない忠誠心なんてさっさと捨てて、リタイヤしてしまえば良いのに、倒れるまで踏ん張ってるなんて、単なるマヌケぢゃないか。

そりゃボクだって、あんな惨めな姿を全校生徒に晒す事が、全然恥ずかしくないのかって問われれば、もちろんイヤに決まってるけどさ・・・。

それにしても、今度の学校では、絶対に今までみたいな失敗は繰り返さないぞ。

それは・・・。そう、イジメだ。ショック団のシャイアンやスネトみたいな下劣な奴は居ないとは言え、実際、フグタのやつは苛められているって言う噂だし、朝礼であんな醜態を晒してしまったからな~。今度はいつ、ボクが標的にされるか解ったもんぢゃないよ。

しかし、爽木の野郎、口を開けば「こんな事ぢゃあ、世の中に出てもやっていけないぞ」だの、「立派な人間になれないぞ」だのと、ウザイったらありゃしない。

あんな非人間的な扱いに屈服させられ、理不尽な抑圧を耐え抜いた者だけが、あるいは、努力を積み重ねた末に、一方的な要求水準や、ある一定の基準値に到達した者だけが、初めて人間として認められる世の中なんて、こっちから願い下げだ!!

だいたい、そんな考え方してたんぢゃあ、立派なロボットにこそなれるかも知れないけど、いつまで経っても人間になんかなれっこないよ!!

(つづく)
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想像する事

手作りのチョコレートと、500円のチョコレート。

一見、手作りのチョコレートの方が、愛情が込もっている様に見えるだろう。

しかし、家事手伝い(要するに実家に居るだけ)の女の子が、実は母親に作ってもらった手作りチョコレートと、多忙な社会人が、忙しい時間を何とかやりくりして、デパートで選びに選んで購入したチョコレートと、もらって嬉しいのはどちらかと言えば・・・。

とは言いつつも、労力、すなわち時間をかければ良いと言う問題では無い事も事実。

肝心なのは、相手に喜んでもらおうと、本当に本心から本気で考えているかと言う点において量られるのではなかろうか・・・と言う事である。

よって、本来は、チョコレートよりも、相手が好むものを調べて、それをプレゼントする方が正しいのかも知れない。

手作りのチョコレートと、500円のチョコレート。

世間的な価値観において判断を下そうが、自分の嗜好において判断を下そうが、そこに込められた、否、秘められた感情までは知りようもない。

私達に出来る事は、ただ、想像する事だけである。

そう考えると、そもそもチョコレート一個で人を判断しようとする事の愚かささえもが見えてくる。

だから、もっと見るのだ。もっと知るのだ。出来るだけ情報を収集し、より正確に判断するのだ。

想像力とは、直感や霊感などではない。

人のこころを知ると言う事は、見えないものを見るのではないのだ。

知ろうとする事。

理解しようとする事。

そこに、ありもしない姿を“創造”するのではない。

五感のすべてを駆使して、知ろうとする事。

それが想像すると言う事なのだ。

ただし、他人を、こころの在り方で量るか、能力の有無で量るか、財産の量で量るか、それは貴方次第である。

ゆえに、見かけが奇麗な箱に入っていれば、中身は何でも良いと言う人ならば、それはそれで良いのではなかろうか。

箱の中身が、毒入りチョコレートだとしても・・・。

だって、美味しければ、何でも良いんだろ?

独りファシズム(孤立ではなく自立)

勘違いしてもらっては困るのだが、私は世の中の味方ではない代わり、貴方の味方でもなければ、ましてや正義の味方などでは毛頭ない。

私は、私自身の立場上の正義を貫いているだけ・・・と言うか、単に自己の生存権を主張しているだけであり、たまたまそれが、現在の社会とは相容れず、貴方の立場に近かったからだとか、考え方に類似点があったに過ぎないと言うだけの話なのだ。

よって、なんべんも言っているが、私がもし資産家の家系に生まれたならば、「貧乏人は時間と労力を切り売りするのが当たり前で、もしそれに不満があるのなら、もっと努力して出世すれば良いだけの話ぢゃないか」・・・と、主張するだろう。

もっとも、奴隷に自分が奴隷である事を自覚させてしまっては、反乱や抵抗が起き、スムーズな搾取業務に支障を来たすため、こころの中で考えるだけで、そんな事は決して口には出さないが・・・。

例えば、私に神と言われる存在の様な絶対的な力があれば、あいつらを地球上からつまみ出してやるのに・・・と、現在の不遇な立場では考えるが、仮に、そんな力を得たとするならば、本当にそうするかと考えてみれば、逆に、この世を自分の思い通りに支配してやろうと考えるであろう事も充分に在り得るのだ。

永井豪作「マジンガーZ」漫画版には、主人公が、博士である祖父からマジンガーZを譲り受ける際、その辺りの人間の本性が、さらっとではあるが、きちんと描写されていて、私は好きなのである。

本題に戻ろう。

トナルト、そんな力を持ち得ない現在、どうすりゃいいのさこの私、夢は夜ひらく・・・な訳で、私は常々、エアコン理論を推奨している次第なのである。

エアコン理論・・・。なんぢゃそりゃ?と思われた方も多いであろう。・・・と言うか、まずはビックリさせて相手に揺さぶりをかけ、興味を引いた所で説得に入ると言う、私の常套手段なのであるが、要するに、これは、この世の中すべてを自分の思い通りに出来ないのならば、自分の部屋の中をエアコンで快適にする様に、自分のこころの中、そして部屋の中、更には、趣味の合う友人や気の合う仲間と居る時間と空間だけでも、気分良く過ごせる様にしようよと言う、極当たり前の提言なのだ。

しかるに、そんな狭いちっぽけな空間の中においても、つまらない対抗意識から、争いやいざこざが絶えない事が、私には耐え難いのである。

・・・とは言え、そもそも、二人だろうが百万人だろうが、人が集まる所には社会が形成され、そう言った揉め事が常につきまとう訳で、それだったら一人で居た方がマシだよ・・・ってな気分になるのも、いた仕方のない事であろう。

求めるべきは、独りファシズム。孤立ではなく自立。個人個人が自立し独立し自己を確立し、他人に依存する事も、ましてや他人から搾取する事もない世界。

そしてそれこそが、本来あるべき人間の社会なのではないだろうか。

ゆえに、私は人間の社会に不適応なのではなく、あくまでも、“奴隷農場社会に不適応”なだけなのである。

要するに、こんな社会に対して忠誠を誓う気もなければ、その能力も無い落ちこぼれだって事さ・・・。

バランス

私の言う事は、他人から見れば本気と冗談の区別がつきにくいらしく、特に、真面目な人からは、誤解される事が多い。

・・・と言うか、理解される事を拒否・・・とまでは行かないが、回避しようとするがゆえの、シャイなあんちくしょうの“照れ隠し”だと思って許して頂きたいとの自分勝手な考えも無きにしもあらずなのであるが、世の中、そう甘くはない。

だがしかし、本能的な欲求も含め、生きたいと言う気持ちの中には、死にたいと言う気持ちも常に何パーセントかは含まれている訳で、そのバランスが崩れた状態が何日も続けば、自殺したくもなるのであろうからして、その配分を適度な比率に保つためには、真面目さと不真面目さとを、上手に使い分けない事には、やってらんないよ~!!ってな事になる訳である。

もちろん、人知れず真面目に生きている部分もあるのだが、何と言うのだろうか、偉そうに言えば、湖を優雅に泳ぐ白鳥が水の中では必死で足を動かしている様に、あまり真面目な部分を見せるのは、好きではないのである。(←何だかんだ言って、結局、真面目さをアピールしてやんの。)

何にせよ、真面目であるとか、本気であるかどうかなんて、本人の自己申告(あるいは自己満足)でしかない場合も多く、それを証明する根拠をいくら並べた所で、突き詰めてみれば、ただ単に視野が狭かったり、盲目的なだけであったりもする訳である。

よって、最も重要なのは、結果はどうあれ、本能に基づいて行動する事よりも、自分を理性でコントロールする事の方が大事なのではないかと言う事なのだ。

要するに、何が言いたいのかと言えば、本気と冗談の配分をコントロールする事によって、私は死なずに生きていけるのであるから、そこは“包み込む大きな愛”みたいなものを駆使して、笑って見逃してやって下さい・・・と言う、自己を正当化するための勝手な言い分を、もっともらしく綴ってみただけの話なのである。

目には目を、歯には歯を、熱意には熱意を、誠意には誠意を、本気さには本気さで、真剣さには真剣さで、真面目さには真面目さで・・・。

こんなふざけた狂った世の中で、真面目に生きると言う事は、自殺行為に等しい。そして、それはまさしく、大切なものをどぶに捨てる様な生き方である。

真面目に生きるべき時と場所は、自分で決定したい。
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