Mr.エレクトの独り言 2007年01月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

組曲「終末のプレリュード」

序曲

第一章「秩序の崩壊」

第二章「権威の崩壊」

第三章「幻想の崩壊」

終曲

スポンサーサイト

本音で生きよう?

「出産する機械」発言の、柳○厚生労働相もかわいそうだな。

嘘や建前、綺麗事ばかり言う政治家が多い中で・・・。

せっかく、“本音”を言ったのに。

差し押さえ

約2週間近く、ネット販売用のレコードを差し押さえられていたため、今月は更にピンチ!!

もうあかん!!もうやばい!!もう後が無い!!(←つうか、底が無いってトコ?)

・・・と言う訳で、定休日を増やした訳なのでありマスが・・・。

はぁ~あ・・・。

殺人許可証

くそ~!!ホント、頭に来るぜ!!・・・あいつら、ぶっ殺してやる!!

・・・てな、短絡的かつ暴力的な心情を、具体的かつ明確な言葉で言い表す事は、非常に難しい。

しかし、もしも、それを為し得たならば、「そこまで言うなら仕方無い。殺したいなら殺しなさい。」・・・との、深い理解を得る事も可能なのではなかろうか?

言うなれば、殺人許可証を発行してもらうための筆記試験・・・とでも呼ぶべきか。

さあて、頑張るぞ~!!(^^)/

定休日変更のお知らせ

2月から、火・水曜日に加え、木曜日も定休日とし、

<火・水・木曜日定休>、すなわち、

<月・金・土・日曜日のみ営業>・・・と、させて頂きマス。

色々と、ご迷惑をおかけするかとは思いマスが、何卒、ヨロシクお願いイタシマス。

集団ヒステリー

しかし、何だろね?

「あるある」だか「ナイナイ」だとかって言う、テレビ番組に対する抗議。

まあ、「見なきゃ良いぢゃん」と言うのは暴論だとしても・・・。

何ていうのか、元々、“テレビの力”に依存し過ぎなんだよね。

そんなにテレビが偉いのかね?

インター・ネットで検索して、自分で調べてみなよ。

もっといい加減なデタラメな情報が蔓延してるんだから・・・。

時には、無責任極まりない匿名で。

だから、私のブログもそのつもりで、あくまでも、“ひとつの意見”として接して欲しい。

とは言っても、権威なんぞとは無縁な人間の書く戯言だからね。

きっと、怒られたりさえもしないんだろうけど・・・。

何にせよ、情報を吟味選択するのは、最終的には自己責任で。

ついでに、ご主人様も、しっかり頼むぜ。

“安心”を与えるのを怠って、あまり劣悪な環境に置いておくと、奴隷だって反乱を起こすよ。

腐敗した既存の権威の失墜は、崩壊への予兆なのだろうか・・・。

「“換金”罪」②

★前回のつづき・・・。

そもそも当初は、腕力を用いて外敵を排除したり、知恵を駆使して天災から身を守る事の出来る人間が、集団のリーダーとして尊敬の対象であったはずだ。

しかしある時、リーダーは、老いによって自分の腕力や知恵も、いつまでも有効ではない事を知る。そして更に、リーダーである事によって得られる栄誉なり利権を、我が子、そして子孫に引き継がせたいと考えた。

ところが、どう見ても我が子は、次期リーダーとなるには、その腕力も知恵も不足している・・・。

そこで、リーダーは考えた。

そうだ!!この、リーダーとしての地位、すなわち、本来は腕力と知恵で勝ち取るべき栄誉と利権を、何か別のもので代用する事は出来ないものか?・・・と。

ただし、既にあったであろう、土地を所有する事による資産力などでは、腕力や知恵の不足を補うには限界があり、この程度のものは、更に強大な力によって、いとも簡単に奪い取られてしまうだろう。

何故なら、弱肉強食が当たり前の時代において、腕力や知恵と言った無形の財産を継承できない家系に、土地や武器や食料等の資産を、外敵はおろか、その部族内の謀反からも守り、継続維持する事など出来っこないからだ。

資産力には限界がある。よって、少なくとも貯蓄、更には、利殖によって、常に資産を増やしていく必要がある。

そこで、貨幣制度なるものがでっち上げられ、リーダーの持つ腕力や知恵は、貨幣の枚数へと換算され、所有している土地以外にも有形の財産が生み出される事となった。

そして、そうする事によって、腕力も知恵も無いリーダーの息子も、貨幣と言う、自己の持つ真の能力とは無縁の力を駆使して、自分の代わりに腕力のある者や知恵のある者を雇い、その地位を保つ事が可能となり、更には、貨幣と言う実体のない資産を運用する事によって、自己の能力の有無だけでなく、自らの所有する土地等の財産はおろか、時間や労力さえをも切り売りせずして、更に資産を倍増させていく事を成し、その権力をますます強大に、かつ磐石さを増していく事に成功したのだ。

要するに、貨幣制度(貨幣至上主義)、そして資本主義経済社会、すなわち金が金を生む世の中とは、本来は無形であったはずの腕力や知恵と言う能力がなくとも、権力や地位を維持する事が出来る様に、更には、一族の末裔に至るまで、その利権を保持し続けるために、時の為政者、すなわち当時の既得権益者が編み出した策略の成果なのである。

・・・とは言え、もちろん、それも一種の才能であると呼ぶ事も出来ようが・・・。

かくて、権力を握る者に必要なのは、腕力や知恵などではなく、貨幣の額なり所有している土地の広さと言った、資産の量にすり替えられてしまった。

また、資産の量とは、すなわち集金能力でもある。

したがって、こんな世の中で、他人より良い思いをしようと思うのであれば、集金能力の高い王に可愛がられる優れた集金人、すなわち、換金能力の高い人間になる事以外に途はないのだ。

貨幣制度が施行されたあの日から、豊富な資金にものを言わせる集金能力の高い王、そして、王を更に肥えさせる換金能力の高い集金人ほど尊敬に値すると言う、まやかしの価値観が生み出された。

そこでは、各々の人間、その一個人が持つ個性や能力、ましてや、慈愛のこころや倫理観なんぞは、一円の価値すら持ち得ないのだ。

ヒガシ当選(前編)

その○んま東氏が、どっかの知事に当選したらしい。

私は、これを応援するものである。

確かに、政治力や実行力は無いのかもしれない。

しかし、仮に実行力があったとて、そもそもの政策自体が、自分の賛同出来ないものであれば、それは目的地とは逆に進む電車みたいなものなのであるからして、要は進行方向、すなわち政策こそが最も問われるべき事柄なのである。

また、こちらは知事を降ろされてしまったが、私は田中○夫氏を支持しており、氏曰く、結局は知事の権限よりも県議会の議員やら役人による“数の力”の方が勝るとの事ゆえ、東氏に投票した某県民は、その辺りを良く認識し、知事に任せっきりにするのではなく、断続的かつ具体的な支援を続けるべきであろう。

そもそも、民主主義だなんて言ってるけど、実際には一部の人間に政治を任せっきりにする事こそが問題なのだ。また、更に言えば、自分は別の候補者に投票していたにも関わらず、知事を任せたくない人が当選してしまった場合、その人が政治に“参加した気分”を味わえる機会は、投票日だけと言う事になる。(←だから選挙は大事だと言う話にもなるのであろうが・・・。)

前出、田中○夫氏が知事を務めていた○野県もしかりである。私は、あのガラス張りの知事室に賛同派であるが、新しい知事は、「あれはパフォーマンスだ」と言いやがった。ここにも、「表には見えないけど、ちゃんとやるから任せとけ」と言う、権力者の傲慢さと、有権者の無責任さが生み出す腐敗の元凶が横たわっている。

ところで、今回の東氏、そして田中○夫氏、更には横○ノック氏といい、一連のタレント議員は、何だかスケベっぽい人(←もちろん偏見)ばかりの様な気もするが、実はここに重要な鍵がある。

その理由(タレント議員是非論)は、次回に廻すが、これが例えば、その○んま東ではなく、少○隊のヒガシであったらどうだろう?おそらく女性票の殆どを集め、トップ当選確実なのではなかろうか?

そう言う意味では、現在の民主主義と言うか、選挙制度とは、「あの人になら任せても良い」と言うよりも、「あの人になら騙されても良い」ってな、屈折したものになっている様な気がしないでもない。

一億総マゾ国家。あるいは、自ら抑圧を、そして搾取される事を求める民族・・・とでも呼ぶべきか・・・。

(つづく)

私有=支配

貨幣制度を受け入れた(押し付けられた)事もそうだが、土地や資源の私有を認めた時から、不公平な世の中のシステムは、ほぼ磐石となった。

私有=支配である。

もはや、少々の能力では、このハンディ・キャップ・マッチを制する事は出来ない。

更に言うならば、“少々の暴力”を持ってしても、同様である。

しかも、まだ足りぬとでも言わんばかりの、無制限の所有、無限の貯蓄まで許されているとなれば・・・。

ところで、この地上に争いが絶えないのは、人間が多過ぎるせいなのかも知れない・・・と言う気持ちになる事がある。

しかし、本当にそうだろうか?

貨幣制度によって、個人が本来持ち得る能力を封殺せしめた、この世を支配する人間による、まるでバベルの塔の如き際限の無い貯蓄、すなわち土地や資源の独占(ひとりぢめ)を容認してしまった事が、この現状を生んでいるのではないのだろうか。

実際には、公平(←何度も言うが、平等ではない)に分配すれば、飢える者もいなくなるのでは?

・・・とは言え、支配者を肥やすためには、奴隷の数が多ければ多いほど良い訳で・・・。

この図式って、まるで女王蜂と働き蜂?

やってらんねえなあ・・・。

こんな世の中では、“捨て蜂”ならぬ“捨て鉢”な気分になるのも、仕方がないってもんだ。

明日の不安に衝き動かされる働き蜂、あるいは働き蟻になるよりは、その日暮しの生き方を選ぶキリギリスの如く・・・。

そう考えると、“支配を容認しない”と言う事は、己がこころに巣食う、“安心を求めるこころ”に背を向ける事であるのかも知れないな。

“選択”死

百歩譲って、権力志向は認めよう。

だが、権力の手先ならぬ、権力の手足になってどうする!!

換金能力の高さこそが、ヒトの価値?

いやいや確かに、現在の、この地上の楽園ではその通り。

だけど、いくら金を持ってたって、誰しも必ず死ぬんだ。

その点に関しては大差ない。

ただし、金があれば、死を遠ざける事が出来る事も確か。

そう言う意味では、権利を独占し、権力を手にした人間が勝手に取り決め、私達に押し付けた、貨幣至上主義社会とは、ある意味、命の買占めであり、命の搾取であるとも言える。

よって、その価値観を否定、あるいは少しでも距離を置かない限り、私達は理不尽に命をすり減らされ続けるばかりである。

自分以外の者に命を預けた者は、その良し悪しは別として、奴隷契約書にサインをしたと同義なのだ。

換金能力なんて、あくまでも奴隷の班長としての能力であり、ただ単に権力者に腕を買われた、集金能力の高い奴隷である。

また、奴隷とは、選択の自由を奪われた者を指すのではない。

奴隷とは、それ以前に、思考する自由さえ奪われた者の事を指すのだ。

最近は、奴隷の餌も質が良くなり、それに伴い、メニュー(選択肢)もたくさん用意されている。

これで充分、“選んでるつもり”になれるネ!!

つまる所、神に従順な者は私財を没収され、神に逆らう者には死罪が適用される宿命。

既得権益者がでっち上げた、神ならぬ貨幣と言う紙きれに絶対の価値を委ね、そして、自らの命を捧げる約束を交わした時から、私達の運命は決定したのだ・・・。

あの時。そう、奴隷契約書にサインをした時から・・・。

「“換金”罪」①

やはり、どう考えても、「一度、“換金”しなければいけない」と言う点に、大きな問題がある様に思われる。

資本主義の良し悪しは別として、資本のある人間が編み出した資本主義なんて、胴元に都合の良い出来レースに過ぎないと、私は言いたいのだ。

資本主義と言うと、誤解されるか?

ならば、貨幣制度と言い換えよう。

そもそも、元から貨幣を大量に所持している人間と、まずは自分の能力なり労力を一旦換金しなければならない人間との差を是正せずして、公平な社会など実現し得ない。

・・・とは言え、私は何も、人間は皆、平等であるべきなどと言っているのではない。

平等と公平とは、根本的に別物である。

私はただ、誰もが、その能力と労力に応ぢて報酬を得るべきだと言っているのだ。

こんな世の中では、どんなに頭の良い人間も、どんなに運動神経が発達した人間も、そして更に、いくら額に汗して働こうが、どんなに努力を積み重ねようが、各々がそれに見合った見返りなど得られようはずがないではないか。

もちろん、働きたくない人、すなわち報酬を求めない人間は、あくせく働く必要などない。それこそ、「働かざる者、喰うべからず」である。誰もが、必要なだけ、自分が欲しい分量のためだけに、働けば良いのだ。

(以前にも述べたが、あくまでも、現在の世の中においては、「資本(貨幣)を持たぬくせに、働かざる者は、喰うべからず」・・・と言うのが正しい。あらかぢめ貨幣なり食料を大量に所有していれば、働く必要なんて無いのだから。)

そう考えると、公平(←平等ではなく)に与えられるべき資産(土地や資源)を、何者かが独り占めする事自体が、おかしな話だって事になる。

資産の所有を認めたがために、その所有量、すなわち貯蓄量による差は開くばかり・・・と言うか、初めから、資産を所有する者が勝つ様に仕組まれてるのだから当たり前なのだが・・・。

本来ならば、土地や資源と言うものは、その土地の住人全員で管理し、各々が必要に応ぢて努力した量に見合った分量を公平に分配していけば良いはずなのだ。

・・・にも関わらず、我々持たざる者は、まずは貨幣をたくさん持っている資産家、すなわち既得権益者の下で働き、その既得権益者をさんざん儲けさせた上に、時間と労力を切り売りして得た貨幣を、自分に必要なものを買うために、再度、奪い取られるのが現状なのである。

貨幣などと言う単なる紙切れを、“価値のあるもの”であると取り決めたその日から、我々持たざる者は、搾取されるべく生きる宿命を背負わされる事となったのだ。

それにつけても、この“一見、自由に見せかけた”マジック・・・否、“トリック”。

私には、そのアンフェアさが、どうにも我慢ならないのである。

貨幣と言う“神”ならぬ“紙切れ”を信仰させられている現状から、逃れる術はないものか・・・。

(つづく)

“安いこころ”と書いて安心

安心が腐敗を呼ぶ。

腐敗が不安を誘う。

不安ゆえ安心を求める。

遺言

「リズの奴ゥ~!!呪ってやるゥ~!!」

・・・てな気分。

集中力

が欲しい・・・。

A業時間変更のお知らせ

明日の20日(土曜日)は、17時50分くらいまでのA業となりマスので、あしからず、ヨロシクお願いイタシマス。m(_)m

降伏の白いハンカチ(一部訂正)

先入観を排除する事と、主観によって判断する事の組み合わせ。

必要なのは、自己矛盾に対する自覚。

鍛えるべきは、自己矛盾がもたらす葛藤に耐える強さ。

求めるものは、理性的な思考と、利己的な嗜好との共存。

自己中心的な振る舞いの元凶は、本能に無自覚ゆえ、煩悩に忠実ゆえ、視野が狭いゆえ・・・。

こころの内に宿した獣性を、制御するべき理性はどこに・・・。

人間が、人間たる所以とは?

人間が人間である“意味”に無関心ゆえ、人間としての尊厳を奪われ、あげくの果てには人間である事さえ忘れ・・・。

地球上から人間が滅びた、その後は・・・。

ヒト喰い人種の、共喰いが始まるだろう。

否。すでに・・・。

分岐点

先日のカタストロフは、持ち前の悪知恵で乗り切ったものの、もはや後が無い。

・・・と言うか、後なんてとっくに無くて、既に単なる借り物の人生。

そろそろ潮時か?

見栄を張ってもしゃあねえ。

実は、そっちの方が、自由に生きる事が出来るって事も解ってるし。

もっと、本当に自分が幸せになる事を考えれば・・・。

結局、そのためには、1円でも多く稼げって事か。

理想なき、楽しい人生。

まったく、つまんねえ世の中だ・・・。

目的

理性の復権

説教返し

そんな暇は無いのだが、何時間にも渡って、頭の固い人に説教。

早起きは、早起きしたい人と、早起きしなけりゃいけない仕事に就いている人と、早起きしなけりゃいけない仕事に就きたい人だけがすれば良いのだ。

・・・と。

頭の固い人って、どんな人かだって?


さあね~。


早起き教の信者ぢゃないの~?

SONIC’S RENDEZVOUS BAND/6CD BOX SET

SRBのCD6枚組ボックス・セット、買いマシタ!!実は、昨年末には届いていたのデスけど・・・。

P101001547.jpg

ちなみに、前回の記事でご紹介したハリー様にお教え頂いた情報によると、私がテープに録音して愛聴していたのは、「Strikes Like Lighting, Live 1978/79」と言うタイトルのブートLPだった様でありマス。しかし、どうやら友人に借りたものだったのか、自宅から現物は見つかりマセンでした・・・。

さて、ボックスの6枚も何度か通して聴きマシタ。前出の愛聴盤が、サンハウスに例えれば、活動後期の編集アルバム「ストリート・ノイズ」に近い感触の、パンク・ムーブメントの煽りを受けたかの様なエネルギッシュな内容だったのに比べ、ボックスの収録内容は、1975年のライヴから1978年頃にかけてのライヴ及びスタジオ音源等で構成されており、R&Rの古典的な楽曲のカヴァーから、MC5からの系譜を匂わせるデトロイト・ロック調の曲、ジョニー・サンダースを思い起こさせるジャンキー風なルーズな演奏等、意外に幅広い内容でありマシタ。6枚組なのに価格も5~6千円だし、これは実にお買い得ではないでしょうか。

なお、個人的には、やはりSRB自身のオリジナル曲や、パンク的なエネルギーに溢れたものに強く惹かれてしまうので、本当の所は、「Strikes Like Lighting, Live 1978/79」をお薦めしたい所。・・・とは言え、私の手元にも、ラスト曲がケツ切れした音の悪いテープしか残ってないし、アナログ盤が入手困難な現在、盤起しでも何でも良いので、これは是非ともCD化して、どこかのブート・レーベルからリリースして欲しいものでありマス。

ともあれ、SRBのみならず、ストゥージズやMC5にも共通する、デトロイト・ロックの魅力とは、演奏行為への過剰なエネルギー注入による徹底的な楽曲との一体化、そして、延々と繰り返されるリフがもたらす熱狂的なまでの興奮、高揚、恍惚、及び陶酔感でありましょうか。

想像するに、デトロイトとは自動車工業が盛んなため、常にどこからか自動車製造の騒音が聴こえてくるゆえ、人の喋る声も自然とでかくなり、よって、音楽もやかましいのが当然となり、なおかつ、一定のリズムで響き渡る工場の機械音を子守唄代わりに育ったせいで、リフを延々繰り返す事によってグルーヴを生み出す術を、知らず知らずに体得してしまっているのではないだろうかと推測されマス。(←って、あくまでも、筆者の妄想デスから!!)

なお、同アルバムに収録されている楽曲自体は、ボックスにもテイク違いながらも収録されているので、これぞデトロイト・ロックの真骨頂と言える楽曲を、いくつか挙げておくと、「ASTEROID B612」、「SONG L」、「GONE WITH THE DOGS」・・・と言った所だろうか。もちろん、「CITY SLANG」が最高にカッコ良い楽曲である事は言うまでも無いが・・・。

そして、最後にもう一つ、私がSRBを大好きな所以でもある、彼らが持つ魅力の一端を挙げるとするならば、スロー・テンポの穏やかな曲だけでなく、へヴィで激しい曲においてさえ、そこはかとなく、えも言われぬ哀感が漂っていると言う点に尽きるであろうか。

退屈なるがゆえに、私は求める。必要以上の没頭を、異常なまでの没入を、そして、一心不乱の熱狂がもたらす陶酔と恍惚を。不純物の混ざる余地すら無く、腐敗物など寄せ付けぬ、極めて純度(殉度)の高い、密度の濃い刺激を・・・。

“不治”家

あららら。また不謹慎な事言ってる人が居るよ!!

ホントだ。また不謹慎な事言ってる人が居るね~!!

「牛乳の賞味期限なんて、実際には若干早めの日付を記載してるんだし、賞味期限内でも腐ってる事もあれば、賞味期限過ぎても全然大丈夫な場合もある訳で、それを、洋菓子作り専門のプロフェッショナルが匂いを嗅いで、まだ大丈夫だと判断して使ったンだから、何の問題も無え!!」

・・・だってさ。

ウフフフ。何て無茶な事言わはるのかしらん。

しかし、今までまかり通っていた非常識な常識や、隠蔽されていた真実が、次々と明るみに出るね。

グレー・ゾーンが無くなる事は良い事なのか、それとも悪い事なのかね~?

センチメンタル出刃包丁の現在

さて、昨年末、新作CD-Rアルバム「頭痛の種」を発表した、センチメンタル出刃包丁(以下、セン出刃と略す)であるが、ベースの不純嬢が解雇されたため、本作は、前任ベーシスト(現・断絶間のギタリスト)、ヤミに氏がヘルプ・ベース&録音調整として参加している。

また、同アルバム発売日のライヴを最後に、ヴォーカルのAF妖介氏、ドラムのクスコヘッド氏も、共に脱退。セン出刃は遂に、リーダーでありギタリストの紺野自慰SX氏一人となってしまった。なお、同氏はメンバーを募集しつつ、独りでも音楽活動を続ける模様。また、脱退した他メンバーの動向は、現在まだ不明である。

それでは、最新作にして、上記メンバーによる最後の作品について解説しよう。

★センチメンタル出刃包丁「頭痛の種」全12曲収録(CD-R)¥1000
P101001146.jpg

本作は、かなりタイトなスケジュールで無理矢理仕上げた事もあり、一部には、歌唱や演奏に不満を覚えるテイクもあるにはあるが、楽曲のバリエーションや、思想を具体的に反映させた歌詞等には、格段の進歩が窺える。

とは言え、何にせよ、いつもながらの、さらけ出しの暴挙っぷりや、むき出しの嘔吐感が充満しており、相変わらずひでえな~(←誉め言葉)と思わせるに足る、最高にスカッとさせてくれる内容でもあった。何せ、彼ら自身の曲名からして、「まだひどくやれ」・・・なのである!!

1曲目、珍しく凝った曲調のインスト作品「偽りの希望への警鐘」にて、本作は、おどろおどろしく幕を開ける。

そして、2曲目に配置された「まだひどくやれ」は、一見、どうって事のないミドル・テンポの曲なのだが、性急な演奏イメージの強い彼らが、この曲をライヴで演ると意外にハマると言うか、外部に放出され得ないがゆえに内部に充満した“念”が余計に増幅され、不敵な迫力が増すのであった。また、その歌詞は、彼らのマニフェスト(宣言、あるいは声明)ともとれる内容で、これが実に素晴らしい(←素晴らしいとは言っても、どんなコンテストにも決して合格しないものなので、世間の皆様は、どうぞ、ご安心を・・・)。ここでは、「オーイエー!」との高らかなかけ声を繰り返した後に、あろう事か、「死んだ方がマシな人間だという事を誇れ」・・・と謳われているのである。更には、「これじゃあんまりひどい もっと まだひどくブッ壊せ」・・・とも。そこには、「俺は世界が見捨てた子供 ただ壊すために探し続けるのさ」・・・と謳われた、IGGY&THE STOOGESのアルバム「RAW POWER」の冒頭収録曲「SEARCH&DESTROY」に通ずる、世の中から疎外された人間に特有の厭世的な精神状態を垣間見る事が出来よう。

3曲目、「今すぐ子宮(ふるさと)に帰ろう」は、実にセン出刃らしい、紺野氏お得意の性急かつ扇情的な作風で、「まだひどくやれ」同様、ライヴ映えのする楽曲である。クスコ氏によるジミ・ヘンの様な(?)せわしないドラムも、実に心地良い。

4曲目「夢がない」。「嗚呼・・・夢が無い」との、夢どころか身も蓋もない言葉は、ライヴ中の妖介氏の虚ろな瞳を思い起こさせるものだ。しかし、上下リバーシブル仕様のジャケット・イラスト及び、「お前の正義は 自己満足の虚言に過ぎぬ お前の群れごと 処刑台から見下ろしてやる」との歌詞にも表されている通り、価値観とはあくまでも相対的なものであり、絶対的なものなどないのだから、そんなものに左右されず、道(未来)は自分で作るのだとの、絶望の果てにのみ獲得出来る反逆精神が、ここにはある。

(つづく?)

・・・しかし、「死んだ方がマシな人間だという事を誇れ」とは、何と、こころに響く言葉なのであろうか。

P1010035XX53.jpg
★センチメンタル出刃包丁「頭痛の種」は、現在品切れ中。入荷したらお知らせイタシマス!!

“元凶”破壊

勘違いしてはいけない。

私は、自分の考えとは異なる考えや価値観、すなわち支配者の思想なり価値観を、頭から否定している訳ではない。

すべての人が自立していれば、それぞれが互いに異なる考えや価値観を持っていようが、何の問題も無いのだ。

ただし、どちらかがどちらかに依存、あるいは、どちらかがどちらかを力で支配し、強制的に搾取している様な場合は別である。

人間の自由を奪い、人間の権利を奪い、人間の尊厳を奪い、人間が人間である“意味”、つまりは“人間を人間たらしめている所以”を奪い、人間の生血を啜り、人間の命を理不尽にすり減らす“力の在り方”に対して、私は異論を唱えているのだけなのである。

更には、その力にひれ伏すばかりではなく、自由を求める者を嘲笑したり、時の為政者に押し付けられた価値基準に満たない者を見下す様な、権力の手下の様な輩とは、絶対に相容れない。

何故って、そう言った囚人的価値観に縛られた人間ほど、独立心のある人間を嫉妬し、数の正義をかざして迫害するに決まっているからなのである。

抵抗すべきは、ヒトを自己の利益のためのみに家畜化する、理不尽かつ一方的な強制力。

他人の定めた価値観に殉ずる事によって得られる、家畜の餌の如き粗末なご褒美なんか要らないのだ。


ところで、“人間を人間たらしめている所以”とは、一体何であろうか?

ヒトと獣の違いとは?

ヒトと植物の違いとは?

そして、自尊心と虚栄心の違いとは?

琴線に触れる

「琴線に触れる」と言う言葉をご存知だろうか?

あるいは、「感受性を刺激する」とでも言い換えれば、解りやすいかも知れない。

要するに、誰もが当たり前に好む様な明快な理由が無いにも関わらず、何故だか、自分のこころの奥底に響くもの、伝わるもの、感ぢるもの・・・。

とは言え、すべての人間に共通する、ヒト科の生き物であるがゆえの本能的な事象も、もちろんあるのだが、各人固有の嗜好と言うか、抗いがたくこころを動かされる対象物と言うものは、人それぞれに異なって当然なのである。

何故ならば、誰も、父や母、生まれた時と場所、自分の人生に関わってくる他人を、すべて自分で決定する事など出来ないからである。

にも関わらず、すべての人間が「これを好きにならなければいけない」だとか、「これを好きにならなければおかしい」などと言う、その人が本当に充実した人生を歩む事よりも、「人から認められる立派な人間」や、「世間様から後ろ指を指されない、恥ずかしくない人間」になる事ばかりを要求する風潮が、後を絶たない。

否、風潮ではない。これらはもはや、洗脳であり、去勢であり、支配のため、搾取のため、人間を家畜にするための政策以外の何物でもないのだ。

人間には、人それぞれに違いがあるからこそ、存在意義があり、その価値があるのだ。

それを、誰もが同様の価値観を持たなければ駄目だなんて、私達は、まるで養豚場の豚か、畑の作物ではないか!!

それはもはや、不健康な豚を屠殺したり、見た目の悪い作物を廃棄処分するかの如き、ある一定の基準に達しない人間を選別、否定、迫害するための、画一的、かつ一方的過ぎる考え方であろう。

更に言えば、好きになる対象物も、自分の好みより世間的に見て価値の高いものや、他人に自慢出来るもの、あるいは、より多くの人を羨ましがらせる事の出来るものを、その選定基準にするとでも言うのか!?

だったら、貴方は、友達に自慢出来ない父母とは今すぐ縁を切るべきであり、スポーツも勉強も出来ない自分の子供はぶち殺すか川に投げ棄てるべきであり、恋愛の対象にも、そこらの寂れた電気屋の息子や、頭の悪い八百屋の娘など選んではいけない。

(電気屋の息子や八百屋の娘に対して他意はありマセン。)

駄目な人間は死ねば良いと思っている人間は、その逆に、駄目な自分に劣等感を持っており、それを克服する事を善しとしているのだから、その価値観に殉ぢ、自分の短い一生を捧げ尽くせば良い。

しかし、そんな一方的な価値観に縛られた、他人の決めた要求水準の基準値に達しない事による苦しみに苛まれる人生など、私は望まない。

私は、自分自身の琴線に触れるものを、大事にしたい。

ただし、それが本当に、私が本心から求めているものなのかと言う疑問、そして、表面的には非常に似ているが、実際には似ても似つかないものであるかも知れないと言う疑念の検証、それらを徹底的に行った上での話である。

私達は皆、知らず知らずのうちに洗脳されているがゆえ、自分をも疑う必要があるのだ。

よって、(「疑う」と言う言い方を嫌う人が多いので・・・)確かめて、確かめて、確かめて、確かめて、それでも残ったものを、生涯かけて愛していきたい。

よく調べもしなかったくせに、後になって「裏切られた」と言い出す様な、自分の怠惰を棚に上げる人間にはなりたくない。

ともあれ、“出逢い”がなければ、何も始まらない。

ゆえに、こんな自分の「琴線に触れる」もの、そして、その時の感情を、私は大事にしたいのである。

“囚人”環視

自分の父がダメオヤジであるのならば、貴方は親父と縁を切るのか?

自分の母がサザエさんの様に失敗っばかりやってたら、母親を母親と認めないのか?

自分の子供が不細工で頭が悪ければ、ぶん殴って殺すか、どこかの川に投げ捨てるのか?

駄目人間には生きる資格が無いのであれば、どんどん殺してしまえば良い。

権威主義の囚人に捧ぐ・・・。

去勢され得ぬ虚勢②

その後、良く考えると、これ(前回の記事ね)は弱い者いぢめではないか?との疑いが芽生えてきた。

弱い者?・・・確かに弱いよな~・・・。

いや、違う。これはあくまで、自分の弱さを自覚していない・・・と言うか、認めようとしない人間に対し、イヤミを言ったまでの事。

なんせ、そう言う人間は、現時点、現体制において“駄目”である事を“悪”とみなしており、ゆえに自分の駄目さを必死で隠したり克服しようとしている訳で、それはそれで偉い事でもあるが、その苦しさを、必ず自分より弱い、駄目な人間に向け、簡単に人を見下したり、バカにしたりするのだ。

考えてもみよ。犬だって、ドーベルマンも居ればプードルも居る。人間にも、背の高いのから低いのと、背格好だけとってみても色々いるのだ。しかも、100年前までは人をたくさん斬り殺した方が偉かった国において、現在の価値観に照らし合わせて、いくら人より劣る部分があろうと、100年後にはどうなってるか解ったもんではないし、そもそも、別に誰にも迷惑などかけちゃいないってコッタ。

価値観や正義なんて、その時代の為政者次第で、いくらでも変ってしまう様な、いい加減なものに過ぎない。

それに、どんな身の上に生まれて来ようが、生まれたからには生きなきゃならないし生きたいし、それを誰に咎める権利があると言うのか。

誰かを傷つけたり、見下したり、貶めたり、奪い取ったりしたのであればともかく・・・。

そんな穏やかな、身の程を知っている人間のこころを平気で踏み躙る様な事をする人間が、どんな立派な人間になろうってのか、聞かせてもらいたいもんだ。

ただ単に、自尊心を満たしたいがために、現体制下における価値観(命令)に服従して、この世における強者にひれ伏しているだけぢゃないか。

権力の犬め。

弱肉強食を認めてしまっては、人間も獣と一緒ではないか。

理不尽な抑圧に抵抗せずして、自分より更に弱い者をいぢめて満足か。

個人の欲望やちっぽけな優越感のために、どれだけの人間が犠牲になってきたか。

偉くなりたい人間は、手前で勝手に偉くなるために努力すれば良いって事。

だけど、本当に偉い人間ってのは、人々を鎖で繋ぐ人間ぢゃなく、人々を鎖から解き放つ人間だって事、忘れんな。

去勢され得ぬ虚勢①

私にとって、あまり好きでない人間とは、殊更に“自分の事を特別扱いして欲しい”と考えている人である。

否。そう言った感情は、少なからず誰にでも、私にさえあるゆえ、それ自体は否定しない。

しかし、何と言うのか、そう言った感情に対する自覚と言うか、自己の潜在的な願望に対する正直さや純粋さを感ぢない場合が、多々あるのだ。しかも、可愛げが無いとでも言うのか、何故にそこまで、からっぽな中身を隠そうと、外見や体裁ばかりを取り繕うのか?

駄目人間、大いに結構。バカはバカで良いぢゃないか。自分の人生だ。誰かのために生きてるんぢゃねえ。

人から見下されるのが恐くて本当の自分をさらけ出す勇気が無く、他人より劣ってる(と感ぢる)事を知られる事が恥ずかしくてたまらない、そんな弱い自分のこころに蓋をして、いくら虚勢を張ったって、見る人が見れば丸見えだ。

すごいね。あんたはすごい。素晴らしい。

劣等感の裏返し。

本人にしてみれば、切実と言えば切実なんだろうが・・・。

下らねえ。

見栄っ張りめ。

せいぜい、他人から誉められる優秀なヒトに、そして世間様から認められる立派なヒトにでもなってくれ。

宇宙の広さを知らぬ者。

そして、誰をも愛せず、誰からも愛されぬ者よ・・・。

(つづく)

不謹慎相関図

いや~。これは決して、私が考えた訳ではないのだが、世の中には不謹慎な事を言う人が居るもんだね~。

例の近親間殺人に関してなんだけどさ・・・。

「家族が一人減ったぐらいでガタガタ騒ぎやがって。家庭内のトラブルを、社会に持ち込むんぢゃねえよ」・・・だってさ。

ウププ・・・。おっと・・・。

いやいや、酷い事を言う人が居るもんだね~。

ウフフフ・・・。

だってさ、いくら家庭内の話だって言っても、日本国民である若者が一人死ねば、それだけ徴収出来る税金や年金が減る訳で、財政赤字の国家からすれば、こりゃとんでも無い損失だって事だよ。

それにさ。何だっけ?国民投票の年齢を18歳まで引き下げるんでしょ?これも、年金を早くから徴収するための作戦なのかしら?

ついでに、成人になる年齢も18歳にしたいんだってね。

酒やタバコも早くから認めてやれば、税金がいっぱい取れるもんね。

ジジイやババア、オッサンやオバハンから搾り取れる金にも限度があるから、若い奴から吸い上げなきゃ、やっていけねえよって事かな?

だからこそ、前途多難・・・ぢゃねえや、前途有望な若者の命は大事にしなきゃね。

家庭内だからって、何でも自由にして良いと思ったら大間違いだ。

いつ誰が、お前らに人を殺す権利なんぞ与えたよ!!

国民は国の大事な財源・・・もとい財産なんだからさ~。

人を殺して良いのは国家だけ!!

昔から言うでしょ?

コドモは国の宝って。

禁未来小説「ドラへもん」その51「立派な人間」の巻

その日の授業中。ボクは教師の口から発せられる、退屈極まりない雑音に耳を塞ぎ、ある事をずっと考えていた。

校長黒原、そして担任爽木が、口を揃えて言う、あの呪文。

「立派な人間になれ」・・・。

安月給の爽木はどうだか知らないけど、噂によると黒原は、この辺りの土地を広範囲に渡って所有する地主で、高い塀に囲まれた要塞の如き大御殿に住んでいると言う。更には、校長である黒原始め、代議士やらなんやらと、親族らの殆どが社会的地位の高い職種に就いており、歴史も名もある由緒正しい家系らしい。

立派・・・か。

見てくれ(体裁)は確かに立派だよな~。

だけど、ボクは違うと思う。

本当に立派な人間なら、貧しい人に私有地を開放したり、困っている人を助けるために私財を投げ打つはずだから、絶対にそんな豪邸に住んでる訳無いし、高級なスーツなんか着てるはず無いんだ。

そんなもの、“リッパ”ぢゃなくて“リッチ”の間違いだろ!!

しかも、その豪邸や広い庭、贅沢な暮らしを維持するためにのみ更にお金をつぎ込む訳だし、多少は世のため人のためを装って社会に貢献する事こそあれ、そんなのただのカモフラージュで、結局は、単に自分を幸せにするために、そして自分の家系を繁栄させてるだけの事ぢゃないか。

ホント、まるで王国だよね・・・。

で、小学生のボク達は、将来、その王国に仕えるために訓練させられている兵隊の予備軍だってか!?

冗談ぢゃない!!ふざけるのもいい加減にしろ!!

だからボクは、今後一切、誰のためにも生きるつもりは無いよ!!

立派な人間になんかなれなくったって構わない!!

ボクはボクの為に・・・。

ボクはボクの為にだけ生きるんだ!!

(つづく)

野蛮な争い

しかし、某ネット・オークションを見ていると・・・。

と言うか、その元締めの非人間的なやり口にも怒りを覚えているのだが、そこに頼らねばやって行けない現状があるゆえ、それはまたいずれ・・・として。

何と言うのか、双方が協力して物事を解決しようと言う気が全くない場面に出くわすと、ゲンナリしマスな・・・。

論争にしてもそう。声のでかい方、迫力のある方が勝つ訳?

論争の意義は、異なる意見、すなわち、より多くの情報を取り入れる事によって、常に最善、更に最良の結果を導き出すためぢゃないの?

利己主義は正しい・・・と言うか、問題無い。

ただし、それを自覚しているのといないのでは、大きな違いがある。

自己矛盾も同様。

問題は、その目的なのだ。

相手を打ち負かすのが目的なのか、真実や真理を追究する事が目的なのか。

・・・否。もう野蛮でも何でも良いよ!!

そこさえ、きちんと自覚出来ているのであれば・・・。
次のページ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。