家賃の心配でもすれば良いのに、余計な事(・・・かどうかは個人の問題として・・・)ばかり考えておりマス。
・・・と言うか、そもそも考える事自体が楽しくてしょうがない訳なのであるからして、ある種、遊び呆けているとも言えるのでありマスが・・・。
何て言うのか、面白いよね。
「何が!?」って?
あっ、そうか。やっぱ言わなきゃ・・・って言うか、言葉にして、ここに記さなきゃ、何を考えているのか、解る訳無いよね?
仮に、「世界を平和にする」事を考えている人が居たとして、その人って、ホントは、「世界を平和に・・・すなわち穏やかにしたい」・・・のではなく、「世界が平和でない事を憂う、自分のこころの内のざわめき」を、穏やかにしたいだけなんぢゃないの?・・・てな疑問が湧いて来たって訳よ。
そう考えると、世界が平和だろうが殺戮に明け暮れてようが、自分のこころが平安でありさえすれば、ノー・プロブレムな訳であるからして・・・。
自分のこころが平安でないのは、ホントに、世界が平和ぢゃないせいなのか?って話にもなり・・・。
自分のこころが平安であれば、世界が平和ぢゃなくても平気なのか?って疑問も湧いて来て・・・。
何にせよ、自分のこころを平安にしたいって事には間違いないんだけど・・・。
とは言え、自分のこころが平安でなければ、世界がどうのこうのなんて考えてる暇なんて無いはずなのであるからして・・・。
つまる所、世界の平和なんて考えてる人間は、自分のこころが平安過ぎて、退屈なのではないか?・・・と。
そう考えると、人間ってやつは、嵐が来れば平安を求め、平安になれば嵐を求め・・・と、何ともご都合主義と言うか、行き当たりばったりな(←私の事かしら?)、面倒臭い生き物だな~・・・などとも思ったり。
・・・思わなかったり。
・・・と、考えても仕方の無い・・・と言うか、考えても意味の無い事を考えるだけでは飽き足らず、ここに記している意味って何?
・・・みたいな。
・・・てな具合に、私の頭の中は、結論の出ない・・・と言うか、ゴールの無い、自問自答を繰り返しているのでありマシタ。
・・・と言う過程を、実況中継してみマシタ。
・・・とさ。
スポンサーサイト
アンパンが好きか?ジャムパンが好きか?
仮に、私はアンパン派であるとして・・・。
確かに、アンパン好きな人と、話は合うだろう。
だが、アンパンを好きな人ならば、何でも良いと言う訳ではない。
私は、アンパンとジャムパンの、どっちが好きかと言う事を自分で決定する人、そして更に、その観点なり判断基準が似ている人に対して共感を覚えるのである。
ゆえに、その人がジャムパン派であったとしても、パンに関する話こそ盛り上らないかも知れないが、きっと、気は合うはずである。
他人がアンパン食おうがジャムパン食おうが、それ自体がそもそも余計なお世話だと言うのに、アンパン好きとジャムパン好きが対立するなんて、ナンセンス極まりない話だ。
まあ、競うのが目的の野球だとかサッカーだとかの場合は、そのファン同士が対立するのも、やむを得ない事なのであろうが・・・。
それにしても、同ぢ野球好き同士、サッカー・ファン同士と言う訳には行かないのだろうか?・・・と、これは流石に無理か。基本的に、争って勝ち負けを決める事を目的に行っている競技なのだから・・・。
ともあれ、「“何が”好きか?」・・・ではなく、「“何で”好きなのか?」・・・と言う事。
もっと言えば、「好きなもの」しか無い人はつまらない。(・・・と、これまた私がそう考えているだけに過ぎないが・・・。)
「好きなもの」とは、あくまでも対象物である。
しかし、本来は、対象物に向かう個々の姿勢が問われてしかるべきなのではないのだろうか。
何度も言うが、目的が異なるものを比べたり競わせても意味がない。
しかし、比べさせて競わせないと、生産性を向上させる事が出来ない。
だからこそ、支配する者は、同一の目的なり、画一的な価値観を私達に押し付けるのである。
ゆえに、誰もがそんな餌を欲しがると思ったら大間違いだ・・・と言う事を、私は繰り返し述べているのだ。
ところで、「勝手にしやがれ!!」って、良い言葉だな~。
上手い下手って、どう言う事か解る?
「“俺を”満足させられないとは、下手だな~。」
・・・テコト。
ただ、それだけの事。
あんたの満足と俺の満足は、まったくの別物よ。
いつでも、何でも、良い訳ではないのだ。
そこには確かに、何か目には見えない境界線がある。
それを何とか説明しようと、言葉に置き換えて言い表そうと、四苦八苦している訳なのであるが・・・。
知っている。
多くの人が楽しくても、自分が楽しくない時は、自分から進んで、その場を離れれば良いのだと言う事を・・・。
自分自身が、何を好きで何を嫌いか、自分にとって、何を面白がる事が出来て、何が面白くない事なのか。
知っている。
身の程を・・・。
独りになれば、怒りも湧かぬ。
今日は風邪も何とか治りかけてきたし、仕事もまあまあの量をこなせたかな。
ああ、これでやっと、文筆活動も再開出来るよ。ああうでしや。やっぱ何つっても、“分泌”活動ってのは気持ちの良いものだかんね~。(←その駄洒落が言いたかっただけ・・・。)
ところで、最新ニュースに対して、すぐイチャモンをつけたくなるのが私の悪い癖だが、「赤ちゃんポスト」ってな、凄いネーミングだね~。「赤ちゃんポイステ(捨て)」かと思ったよ。まあ、捨てるくらいなら一旦預けろと言う事らしいけど・・・。
しかし、さんざん「埋め埋め」・・・ぢゃなくて、「産め産め」言っといて、産んでも育てられない社会状況の方を放ったらかしってのは、如何なものなのかね?産んだけど育てられない子供は国が買い取るべ・・・(以下自粛)。
あとね、そうそう。ここ3日間、「ぐしゃ人間」で検索して、ここに来る人が異常に多いんだけど、何かあったのかね?新譜が出たからかな?それとも、ドラムに突っ込んでライヴを中断させた客が居たと言う一件からかね?自分も見た訳ぢゃないので、何とも言えないが、あえてここではコメントしないよ。聞かれれば答えるけど。
さあ、もう一仕事こなすか!!
皆サンも、私の様に毎月10万円ずつ借金を増やし続けようが、それでも実際にライヴハウスへ足を運んで音楽を楽しまなきゃ、損だと思うよ!!
(ヨイコハマネヲシナイデネ)
あ~!!風邪が治んない!!
タミフルでも飲むか。
「俺はこう思うンだよね」
・・・と言われれば、聞く耳も持とうと言うもの。
だけど、「みんなはこう言ってるよ」だとか、「あの人はこう言ってるよ」だのと言った、人数や肩書きによる権威をかさに、脅迫的に人を説得しようとする態度には、もう飽き飽きなんだよね。
「それで?アンタ自身はどう思うのよ?」
こちらは自分の意見を発してるんだから、無視するならともかく、反論するなら、自分の考えってやつを示してくれなきゃね。
“話し甲斐”が無いよ。
金魚は、自分が水槽の中に閉ぢ込められている事を、自覚しているのだろうか?
犬は、人間が犬を知る程に、人間の事を知っているのだろうか?
生まれてこの方、人を殺したいと一度も思った事のない人間には、人を殺した人間の気持ちを理解せよと言うのが無理な話。
同様に、支配者的思想を抱いた事のない人間に、支配者の存在を説いても無駄な事なのかも知れない
この星では、“自分の考えを持つ事”は、禁ぢられているのだから。
そこで、本題。
そもそも、成長とは何であろうか?
形良く、ふくよかな実をつける事?
出荷しやすい形、販売に適したサイズ・・・。
すなわち、妥協を覚える事?
基準値に満たない者は切り捨てられるとして・・・。
そう考えると、ある種、本当の意味での“成長”を止める事こそが、世間で言われる所の“成長”なのかも知れない。
しかし、それは“成長”などではなく、単に“整調”と呼ぶべき事柄なのではないだろうか。
水槽の中で行われる人間ドラマ。愛情、欲望、憎しみ、苦しみ、・・・そのすべてが、水槽を上から見下ろす人間が至福(私腹)を得る糧となる。
どこまで行っても、どこにも行けない。
でも、水槽の中でしか生きられない。
ところで皆サンは、小学校の道徳の時間に読まされた、「蜘蛛の糸」を覚えていらっしゃるだろうか?読んだ事の無い人、細かいディティールを忘れた人は、「芥川龍之介 蜘蛛の糸」で検索すれば読めるので、今一度、読み直して頂きたい。
話はそれからだ・・・。
3学期、バレンタイン・デーを目前にしたある日、担任の爽木が、突然、こんな事を言い出した・・・。
爽木「皆も、春には5年生。小学校高学年のおにいさん、おねえさんになる訳ぢゃが、そうなると、もう好きな異性の一人や二人居ると思う。」
生徒、互いを冷やかし合い、ざわめく・・・。
爽木「まあまあ、そう騒ぐな。いやいや、いても全然おかしくない年頃だし、恥ずかしがる事なんかないって事を、先生は言ってるんだぞ。」
何気ない一言。
・・・そう、爽木にとっては、単なる朝の思いつきを、気安く口にしただけかも知れない。
ところが、その何気ない一言に、大きな衝撃を受けた生徒が居た。
何を隠そう、このボク、のひ太・・・である。
やばい!!やばいよ、これは!!
ボクは慌てた。好きな異性がいないなんて、マズイ!!
・・・今なら、何故そんな気持ちになったのかと言う事も、上手く説明出来るかも知れない。だけど、その時は、本当に焦ってしまったんだ。
他の生徒に遅れをとってしまう事。そして、自分が未成熟である事を認めたくないと言う、愚かな自尊心・・・。
ボクは教室を見渡した。
誰なんだ?ボクの初恋の相手は・・・!?
どれ・・・否、誰にしよう・・・!?
一体、誰に?
・・・そうだ!!あの娘だ!!
ボクは、ある事を思い出した。
ボクが、この学校に転入した日、床に落ちた消しゴムを拾ってくれたあの娘。そう、シズコちゃんの事を・・・。
(つづく)
★今回よりしばらく、新シリーズ「のひ太の初恋地獄篇」を、お届けイタシマスキュウ。(作者)
風邪ひいて、からだがギザだるいお。。。(;^ω^)
今年の花粉症は酷く、私は既に喉をやられ、今は鼻水を満開にさせて、風邪の便りを待っている。・・・と、そんな状態でありマスが、皆様、如何お過ごしでしょうか?ちなみに、私は現在、シンペエ症にも感染しておりマス。
さて本題。以前に記した、以下・・・
★要するに、何が言いたいのかと言えば、その時の自分の行動を思い起こすに、それは決して、頭脳をフル回転させて2手先3手先を考えに考えた挙句の戦果などではなく、ただただ直感に任せてコマを動かしていただけに過ぎず、それも、目先の勝利に目が眩んだ状態ではなく、“ある方法論”を用いれば“最終的には勝つ”、と言う、その方法論を知らず知らずのうちに実践していた状態だったのであろう。★
であるが、これには少々、補足及び訂正事項がありマシテ・・・。
まず第一に、時間に制限はないゆえ、熟考に熟考を重ねる事も可能なのであるが、そもそも、自分がせっかちである事ももちろんだが、何と言うのか、対戦相手は大した考慮もせず(←とは言え、あちらはコンピューターゆえ、過去のデータを元に最善の一手を打って来るだけなのであるからして、当然と言えば当然なのだが・・・)、短時間で次手を打って来る事に対し、こちらが、あまりにあれこれ熟慮するのはフェアではない気がしてしまうと言う事。
しかし、これが大きな間違いで、あちらは膨大な情報量をもってこちらを潰そうとしている訳なのであるからして、むしろ、思考を途中で早々と切り上げ、「何とかなれ」と、半ば投げやりにゲームに臨む事、これこそが、我々愚民が辛酸を舐め続ける元凶なのではなかろうか。
そして、“最終的に勝つ方法論”なるものであるが、確かに、勝ちを急がず、とにかく最悪の事態を避け続けながら攻める事ぐらいは、常にこころがけているのであるが、あまりにも早いあちらの“詰め”に対し、あっと言う間にお手上げ状態に陥り、負けを喫する事の多さを考えるに、これは、直感などと言ういい加減な状態ではなく、せめて無意識と言い換えた方が良さそうだ。
更には、圧倒的な差で負けるならともかく、こちらが先攻の場合においても、何故か必ず、“あちらの方が一手早い”のである。何せ、コマはお互い4個ずつ、しかも狭い空間での競い合いゆえ、最強レベルのあちらサンとて、油断(←機械だからそれは有り得ない・・・)すれば、こちらに出し抜かれる事もある訳だが、しかし、この一手の差が非常に大きいのである・・・。
だがしかし、ここに私は、このゲーム、否、この人間社会の恐ろしい仕組みを見る思いなのだ。
すなわち、4回か5回に1回勝てるのは、限られたコマと空間において、基本的に押さえるべき方法論に、意識的あるいは無意識的に従った結果の、ある種の必然であるのだが、その逆に、極稀に訪れる、こちらの謎の連勝。そして、その勝因であるが・・・。
それは、おそらく・・・、
「こいつ、機械のくせに手加減してやがる。」
・・・のであった。
何故なら、その時期は、あちらの詰めが明らかに甘いと言うか、攻め込み方が緩いのである。想像するに、あちらも100回か200回に一度、疲れによって思考が鈍る・・・と言う“設定”なのであろう・・・。
これはおそらく、あまりに強すぎると、こちらもやる気をなくすため、たま~に勝たせる事、そして、もう少し努力すれば勝てるかも?と言う淡い期待を抱かせる事によって、更にゲームに嵌らせようと言う策略ではないのだろうか?
しかるに、それはそのまま、この管理社会における“夢”の様なもの、あるいは、暗闇に差し込む一条の光の如し。
人間は、わずかでも希望があれば生きていける。
そう。人間は、わずかな希望さえ与えておけば、生きていけるのだ・・・。
ゴメン。どうしても書きたかった・・・。
ある国の王子が、大王に怒られて、一億円ものお金を取り上げられたそうだ。
なんでも、大王のお気に入りの“おむつ”を、王子が、大王に内緒で、こっそり穿いていた事が原因らしい。
王子の名はネピア・・・。
貨幣と言う、インチキな神きれ。
そいつを信仰続ける限り、奴隷解放の日は来ない。
え~っと、(つづく)・・・って、そのまま放置してた。そう言うの多いけど・・・。
さて、世代の異なる横○ノック氏は別として、タナカ氏とヒガシ氏に、私は、何かしら共通の意志と言うか、熱意や誠意を感ぢてやまないものなのであるが、それは後述するとして・・・。
人間の為す行為、その殆どが、最終的には自分自身の利益や快楽、至福を得るためであると言う事実、それ自体に問題はないのだが、肝心なのは、その方法論である。多くの人を喜ばせる事によって、それを為すのか、あるいは、極一部の既得権益者だけを潤わせて、それを為すのか・・・と言う。
本来、真に望まれる理想的なリーダーの姿とは、喜びを独り占めする者ではなく、喜びを分け与える者であるはずだ。
そう考えると、人気者になりたいタイプの方が、政治家に向いている様な気が、私はするのである。
ヒガシ氏を見ていると、バカはバカなりに、スケベはスケベなりに(←と、そこまで言うのは、かなり言い過ぎだが、あえて・・・)、故郷の事を、そして、そこに住む人達のために尽くそうとしている気概が伝わってくる。重要なのは、その純粋な気持ちを、県民、特にヒガシ氏に投票した人間達は、支援し続ける必要があると言う事だ。
“選挙活動が終れば、後は知らんふり”なのは、実は有権者の方なのである。
偉い人に任せとけば安心、偉い人にやらせとけば楽ちん、偉い人の言う事聞いてりゃ安泰・・・なんて、依存と隷従を繰り返してばかりで、“民”が自立しないから、いつまで経っても、“期待したのに騙された”とか、“信用したのに裏切られた”と、“自分勝手な思い込みによる”煮え湯を飲まされ続けるのだ。
ところで、先日、久々に太田総理の番組を観る事が出来たのだが、その日、運良く、タナカ氏がゲスト出演していた。
タナカ氏曰く、「政治は恋愛と一緒」。すなわち、「相手(県民)のために何がしてあげられるか、それを一生懸命考えて行動するだけ」(←うろ覚え)・・・トノコト。
豪華な屋敷に住むために政治家をやるなんて問題外である事など、ここで改めて言う必要はないだろうが、要するに、貴方(市民、県民、国民)が、その“献身的な情熱”に応えようとするのか否かと言う事が、問われているのである。
愛情は“もらうもの”だと思っている、乞食根性丸出しの人間には、タナカ氏やヒガシ氏を批判する資格などない。
ええと、ゲームの概要を・・・。
各々4つのコマを、盤上(縦横12マス及び、その各谷間に9マス)に交互に置いて行き、置き終わったら、今度はそれを交互に移動し合い、先に3つ並べた方が勝ち。なお、自分のコマで相手のコマを挟めば、挟んだコマを任意に別の場所に移動させる事が出来る。
そして、ここでミソなのが、表世界と言える12マスと、その12マスの各谷間谷間にある裏世界の9マスは、各々いずれかの世界でのみ3つ並べる必要があり、いくら表・裏・表で3つ並べても勝利にはならない。また、挟む際も同様。更に、1マスずつ移動する際は、表から裏へ裏から表へと、最低2手が必要なため、その分、回数がかさむが、逆に、気が付かない間に挟まれて、急に遠くへ飛ばされたり、一瞬にしてリーチをかけられてしまう事もしょっちゅうなのだ。
さて、メンドクサイ説明は、この辺で終わりにして・・・。
しかも、最近やっと、数ある定石のうちの一つを見つけ、「フン!!しょせんは機械よのう。プログラミングされた通りにしか動けないとは・・・」と、言わば、“自分自身をロボット化し、機械的にコマを操作する事によって勝つ方法”を見つけ、少し落胆しかけていたのだが、何と何と、ゲームが自分の知り得た定石パターン通りに進行し始めたきっかけを見出し得る、相手の打つ最初の2~3手がランダムに変化する事を知り、ううむ・・・、こりゃホント、何百通りもの定石をすべて覚えない限りは、「こう打てば勝てる」なんて、簡単に攻略方を会得する事など出来ないぞと、その奥深さに感心する事しきりなのであった。
しかしながら、最強レベルな対戦相手は、とにかく強い。・・・と言うか、4回か5回に1回勝てるのは、あちらが手加減しているのでは?とさえ思えて来る。ヴィジュアル的には、目が四つあるモンスターなのだが、まさしく、相手の持つ四つのコマすべての動きを予測しつつ、自分のコマを勝利に導くべく的確かつ最適に動かすと言うのは、容易な事ではない。
勝ちを急げば、落とし穴に嵌るが如く、あるいは背後から狙い打たれるが如くに、即、負ける。
勝ちを急がず、ぢっくり攻めようにも、あっと言う間に場が展開し、ああ!!もう、すぐに負ける。
求めても、求めなくても、とにかく負ける。
否・・・。ゲームを始める前から、既に、“敗者の定石”に陥っているのであろうか?
何と言うのか、こちらの動きがすべて読まれていると言うか、見透かされているとでも言うのか、まるで自分の意思でコマを置いているのではなく、目に見えない糸(意図)に操られて、無意識のうちにコマを置かされて(犯されて)いるかの、薄気味悪い、この感覚。
これはもはや、圧倒的な“情報量の差”と呼ぶしかないだろう。
そう。あちらサンは、こちらがあちらを知る以上に、“こちらの事を、非常(非情)に良く知っている”・・・と言う事なのだ。
それはまるで、現実の人間社会における、飼い主と家畜の関係にも似ている。
どんな餌をちらつかせれば、もっと働く様になるのか?
どんな刺激を与えれば、その肉が美味しくなるのか?
どんな薬を投与すれば、不満を消し去れるのか?
どんな夢を見せれば、盲目的に服従させる事が出来るのか?
どんな恐怖で鞭(無知)を打てば、怒りを忘れるのか・・・。
あちらサンの基準に合わせてたら、いつまで経っても人間にはなれない。
自己中、すなわち自己中心的な人間が、「俺って自己中なんだよね~」と、自省している姿を見た事がない。
また、自己中でない人間が、周りの人から、「お前は自己中だ」と、言われ“続け”ていると言う話も、聞いた事がない。
利己主義は悪くない。・・・と言うか、人間として当然の本能でもある。
しかし、利己主義と自己中心主義とは違う。自己中な人間が迷惑である理由とは、実際に、他人を強制的に自分に従わせようとするからに他ならない。
その支配的、抑圧的、操作的な、立ち居振る舞い・・・。
そして、自己中が何故に自己中なのかと言えば、そもそもは、その行動様式によるものなのであるが、実の所、その真因とは、自己の行為が他者へもたらす影響に対する“自覚の無さ”・・・、これに尽きる。
ゆえに、自己中とは、“自己の尊厳”を保つために、“他者の尊厳”を奪う者の呼び名でもあるのだ。
自己の卑小なプライドを一瞬満たした所で、それが、目の前の、あるいは、どこか別の場所に居る誰かを傷つけているのであれば、それは単なる“弱い者いぢめ”の連鎖でしかない。
私達が本当に為すべき事とは、“人間の尊厳”を取り戻す事にあるのだ。
犬は自分を犬だとは思っていまいが、人間が人間である所以は、自分が人間である事を、自覚し得ると言う点にある。
自分あるいは他人の存在価値を粗末に扱う事、すなわち“人間の尊厳”を貶めたり、手放した瞬間、ヒトは野蛮な獣と化す。
本来、自分にせよ他人にせよ、“人間の尊厳”を守る事こそが、結果的には、“自己の尊厳”を保つ事にもつながると言うのに・・・。
だが、自己中の人間に遭遇しても、無闇に、いぢめたり迫害してはいけない。
何故ならば、彼らこそが、てい(体裁)の良い収奪を行うために植えつけられた矯正(強制)具の如き、盲目的かつ一方的な価値観(基準)との差異から生まれる劣等意識によって、“人間の尊厳”を根こそぎ奪われ続けてきた、現社会体制における最大の被害者なのだから・・・。
自滅党、アホか!!
Gヒロミを立候補させる?
いくら知名度があったって、本人に政治をやる意志がない人間に投票するほど、国民はバカぢゃねえ!!
・・・よね?
・・・だ・・よ・ね?
■「日本絶滅動物記 其の13」

[出演] マリア観音/木幡東介(Vo、G、Dr)
http://www33.ocn.ne.jp/~mariakannon/index.html[共演]ツノ犬(Dr)
http://www.geocities.jp/tsunoken64/index.html ウィンチェスター・ニテテ(Per)
[日時]2007年2月15日(木)
[会場]吉祥寺シルバーエレファント
http://www.silver-elephant.com/[住所]武蔵野市吉祥寺本町2-10-6-B1
[電話]0422-22-3331
[開場]19:00
[開演]19:30
[料金]前売2,500円 当日2,700円※ドリンク代別
[問合]吉祥寺シルバーエレファント(0422-22-3331)
★皆様のご来場、こころよりお待ちイタシテおりマス。m(_)m
最近、「シンペエ」と言うインター・ネットの無料ゲームにハマッており、仕事の合間の気分転換に、しょっちゅうやっている。
これは、シンプルながら、2手以上先を見る洞察力や、視野の広い注意力が必要なゲームで、なおかつ、あっという間に決着がついてしまう所などは、時間に余裕がなく、せっかちな自分にはピッタリコンなのだ。
また、対戦相手のレベルは4段階あり、最もレベルの低い相手とやっても手応えが無さ過ぎて、まるで弱い者をいたぶっている様で面白くないのだが、それでも集中力を欠くと、4回に1回は負けてしまう。ましてや、最強レベルの相手となると、4回に1回、あるいは5回に1回勝てるかどうかなので、非常に攻略のしがいがある。
ちなみに、最強レベルの相手は、すべての定石を記憶しており、ミスなどなく常に最善の一手を打ってくるため、こちらも、一手足りともミスが許されないのだ。
しかし、それがある時、最強レベルな相手と対戦したにも関わらず、4回も5回も連勝した事があった(←ただし、こちらが先攻の時で、後攻の時は殆ど勝てない・・・)。考えるに、その時の自分は異常に集中力が増してた・・・と言うか、おそらくは、「シンペエ」と言うゲームの持つ本質を、知識としてではなく、無意識に体得していたのだと思われる。
要するに、何が言いたいのかと言えば、その時の自分の行動を思い起こすに、それは決して、頭脳をフル回転させて2手先3手先を考えに考えた挙句の戦果などではなく、ただただ直感に任せてコマを動かしていただけに過ぎず、それも、目先の勝利に目が眩んだ状態ではなく、“ある方法論”を用いれば“最終的には勝つ”、と言う、その方法論を知らず知らずのうちに実践していた状態だったのであろう。
何せそもそも、偶然で勝ち続けられる様なゲームではないし、ましてや最強レベルの対戦相手から、偶然で一勝をもぎ取れる事など有り得ないのだ。
そして、それが無意識だった何よりの証拠に、その後は、あの奇跡的な連勝はどこへやら、またも4回か5回に1回しか勝てない状態に成り下がってしまった・・・。
だが、私はここに、人間社会の縮図を見た!!
それは・・・。
(つづく)
「ただ何となく」ってのがいやでね。
理由なり根拠を明確にしないと、気分が良くないって訳。
無意識的にではなく、意識的に。
自分自身を、暴力的な本能ではなく、理性でコントロールしたい。
だけど、疲れると、そこには、ただ命を繋いでしまう自分が居る。
即物的に。そして、植物的に・・・。
いやあ、昨日、一週間ぶりに自宅に帰ったよ。
★↓新作は初回入荷分が現在品切れ中!!再入荷するまで、少々お待ちを!!
①中学生棺桶
「死なずの関係(蔑むなら俺が先&悟るならあたしの恥)」(DVD-R+CD-R)¥2500
■昨年夏から暮れにかけてのライヴ映像DVD-Rと、ライヴ音源CD-Rとをカップリングした2枚組。トール・ケース仕様。

★以下2点も好評発売中!!
②中学生棺桶c/wSETE STAR SEPT
「偏見喰らい」(CD)¥1050
■中学生棺桶(全6曲)と、SETE STAR SEPT(全7曲)による、スプリットCD!! (レビューは近日中に・・・。)

③中学生棺桶
「無所属むすめの経験」(DVD-R)¥1500
■2005年7月から2006年2月までのライヴを収録した、現編成での初の映像作品。
★いずれも、当店及び、ライヴ会場にて販売中!!通販も可!!
(火・水・木曜は定休日デス。電話にも出マセンので、ご注意下サイませ。)
<追伸>
★セン出刃新譜は納品待ち。断絶間とバビロンズは売り切れたので、近々再注文する予定。
「居残り指導や授業中に起立を命じるなど、肉体的苦痛を与えない行為は体罰ではない」
・・・か。
精神的苦痛は与えてもオッケーって訳ね。