Mr.エレクトの独り言 2007年05月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

懐妊劇

懐妊のショックから数日・・・。

あれから、食事は1日に2回となり、それも、オニギリ1~2個と豆腐とか、かなり小食にしてたら、なんか、食欲もなくなってきた。

・・・とは言え、昨日も一昨日もライヴで飲酒してしまったが・・・。

しかし、「お腹(おなか)空いた」って表現は言えてると思うが、「腹が減った」ってのはどうなのかね?

実際、腹の中・・・って言うか、胃の中身や腸の中身は減ってるんだろうけど、お腹の脂肪は全然減ってないし・・・。

ところで、うつ伏せになって寝ると、腹に脂肪が溜まるのでは?・・・と言う仮説も思いついた。

やっぱ引力の法則っちゅうかさ、仰向けになって寝てたら、脂肪が腹に届くのに、結構、時間と体力が要るんちゃうかと・・・。

つづく(晴れて、あのTシャツを着れる日まで・・・。)

今夜も徹夜

百の甘言より、一の行動。

百円玉より、一万円札。

現実と、理想。

溺死

やっぱ流されちゃ駄目だった・・・。

血の雨が降れば、マスコミが潤う。

只今、世間を賑わせている、あの事件。

しかし、マスコミの報道は、「何故、首を切断したのか?」との問いを繰り返すばかり。

本来は、それ以前に、「何故、母親を殺したのか?」と、問うのが先ではないのだろうか。

とは言え、理由や動機を知った所で、それを改善する気もないくせに。

少年は、無用な母をリストラ、すなわち、クビにでもしたのであろうか?

また、おそらく彼は、“自首”の意味を取り違えていたものと思われる。

自ら自分の首を差し出すからこそ、“自首”なのに、被害者である母親の首を差し出すなんて・・・。

ところで、猟奇的な犯罪を事細かに報道するマスコミこそが、次の犯罪予備軍にヒントを与えている事は間違いない。

無責任に、刺激物のみをたれ流すマスコミこそが、有害な電波の発信源だ。

停電

ふえ~!!深夜1時過ぎに、いきなり停電!!

ビルの全フロアが真っ暗。

階段部分は非常用電源のお陰で消えなかったが、2時間くらいしたら、それも消えちゃって、もう大変・・・。

蒸し暑いわ、・・・・の人間が遅いわで、もうパニック状態に・・・。

2階はマッサージの店が営業中で、4階は新しく出来たダンス・スタジオでレッスン中、5階(当店)はPC作業中に、突然・・・。

しかも、・・・・の人間の・・のために、何時間も待たされるハメに・・・。

さっき、やっと点いたよ・・・。

原因は、ネズミが機械室内の電線を齧ったせいみたい・・・。

ネズミ(寝ずに)仕事しようと思ったのに。

(^^;)

自己を偽らざる者

如何に虚を実に魅せる事が出来るかと言う点が評価の基準となる、エンターテイメント界の話であれば別だが・・・と、まずは最初に前置きしておく。

ぐしゃ人間、バビロンズ改めマグダラ呪念、これら二つの女性グループに、何故に私が興味を示すかと言えば、それには確かな理由がある。

(ちなみに、ぐしゃ人間のドラムは男性であるが、これは音楽的サポートとしての参加であると判断して差し支えないであろう。)

例えば、彼女らのうたにある歌詞の内容を好きかと問われれば、私の様な駄目人間にとっては、繊細なハートを刃物で切り刻まれるが如く、何度も何度も念入りに殺される思いを味合わされてしまうがゆえに、即答を避けたい心境著しい次第なのであるが(←回りくどい言い方・・・)、しかし、彼女らはあくまでも、ただ単に自己主張をしているだけに過ぎないのであって、必要以上に共感を求めている訳ではなく、ましてや男性(弱い生き物)である私にとってみれば、これは当然とも言える結果なのである。

よって、私が、彼女らを高く評価する所以は、彼女らが、男性の望む理想の(=男性にとって都合の良い)女性像を演ぢない事、すなわち、現社会体制における権力保持者(=男性)に媚びを売ったり、ひれ伏したりしないがゆえにであり、それはつまり、男であるとか女であるとか以前に、人間として、真の意味においての自分らしさと言うものを大事にしているゆえにであると思えるからに他ならない。

そして、勘違いしては困るのだが、それは決して、女である事を否定する事でもなければ、ことさら男を意識し、男と同等になろうだとか、男と対等になろうだとか、男の役割や地位を奪おうと言う事でもないのだ。

要するに、彼女らは、女性を男性の支配下に置く事はもちろん、人間を機械の歯車(あるいは家畜)としての価値しか認めぬ、親や世間や社会からの脅迫に屈する事なく、それら一方的に押し付けられた理不尽な要求(幻想)など相手にせず、意識的にせよ無意識的にせよ、自らの存在を、“自己を偽らざる者”足らしめていると言う点において、私は惜しみない拍手を送りたいと考える次第なのである。

ゆえに、これは男性の表現者にも、そのまま当てはまる。

つまり、私が好きなのは、自分を偽る事によって利益を得ようだとか、強者にひれ伏す事によって自己の価値を高めようとする輩ではないと言う事なのである。

およそ、この世の殆どの価値観は、私達を経済的にカモるため、すなわち、人間を搾取の対象として、従順な家畜にと貶めるためにあると言って過言ではない。

音楽まで、更にはロック、果てはパンクまでもが、そのための道具に成り下がっていると言う現実に、私は耐えられないのだ。

「ぐしゃ人間/オマエノロイ」「バビロンズ/緋色の憎悪」(追記アリ)

■ぐしゃ人間「オマエノロイ」(CD-R)¥500
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①「ノロイ」
異世界から異世界へと慌しい旅を続ける「不思議の国のアリス」の如く、ストレンジ~ハード~ポップにと曲調がめまぐるしく展開する、まるで幻覚症状か悪い夢でも見せられているかの様な本作の楽曲構成こそは、ぐしゃ人間の売りとなるべき重要な特色であり、彼女らの持つ稀有な魅力の一端を如実に物語っている。そしてまた、人類の立場から見れば残酷とも呼べる、動物や生き物等の生態を、寓話的解釈によって表現した秀逸な歌詞は、ロマンチシズム溢れる視点を持ちつつも、現実世界の過酷さから目を背ける事を許さぬ厳しさを兼ね備えており、幻想的でありながらも決して逃げ場を与えないと言う、その徹底した救いの無さは、痛々しいまでに辛辣だ。
②「オマエ」
出口のない迷宮に迷い込んでしまったかの、壊れたオルゴール風なストレンジな楽曲に、身も蓋もないまでに直接的かつ攻撃的な内容の歌詞が被さる作品。だが、それゆえに、「もの言わぬ少女 その涙を舐めてあげたい」との言葉が、断崖絶壁に咲く花の如く、凛として響く。そこには、現実逃避のお花畑にではなく、耳に痛い現実の下にしか、真のやさしさなど存在し得ないのだと言うメッセージが内包されている。
③「オマエ?」
「オマエ」の、歌詞及びミックス違い。こちらは、更にねぢ曲げられたサウンドに合わせ、歌詞にもいくぶん、シュールな表現が用いられている。しかしながら、この一見、メルヘンチックなストーリーには、致死を招くに充分な毒が、いたる所に散りばめられているのであった。

各々の曲名をつなぎ合わせた、「オマエノロイ」と言う意味深な作品タイトルからも察せられる通り、まるで、甘くて美味しそうなショート・ケーキに無数の針が混入されているかの如き、ぐしゃ人間の作品群。その、サディスティックとも呼べる作風は、時に残酷ですらある少女の内面世界を偽る事なくさらけ出した、ある種、非常に勇気の要る行為であり、それらは、この表面重視の世にあって、極めて有意義な努力の成果であると言えよう。

<追記>なお、本作より、遺伝子組替こども会の“裏”嬢が、ベーシストとして参加している。


■バビロンズ「緋色の憎悪」(CD-R)¥300
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①「拷問遊戯」②「ダミアン 教会へ行く」③「ソドムの復讐と服従の市」
今回より、ベースに元・ぐしゃ人間の、あやの嬢(改名→)常吉ダミ子嬢が参加しての初録音作品。基本的には前作の延長線上にある内容ではあるが、前作における、いくぶん繊細な音作りが、ヴォーカル&ギター担当、本バンドのリーダーである、コタ魔嬢の独特な声質や歌詞の内容を強烈にアピールせしめた作品であるとするならば、本作は、録音方法の違いも影響してはいるのだろうが、サウンド的にもロック・バンドとしてのパワーが増した感があり、ライヴ演奏においての迫力が伝わってくるかの、迫力ある仕上がりである。
また、②の「ダミアン 教会へ行く」は、他の作品とは異なり、コタ魔嬢の脳内世界と言うよりは、バビロンズと言うバンドのイメージを生かしたキャラクター・ソングとでも言うべき作風で、この窒息しそうなまでに壮絶な拷問歌集の中にあって、唯一、解放感を味わえる作品となっている。

なお、バビロンズは、本作にも参加のオリジナル・ドラマー、おかしのくにのあかね嬢の脱退を期に、バンド名を「マグダラ呪念」と変更して活動を続けて行く模様。個人的には、本メンバーでの最後のライヴにおいて、ラストに演奏された、その名も「冥土への階段」なる、怨念の般若心経とでも呼ぶのが相応しいかの長尺の楽曲が収録されると言う、本格的な初アルバムとなる次回作が、今から楽しみである。


★上記2作品は共に、当店及び各バンドのライヴ会場他にて、絶賛販売中!!

★以下、補足記事もご覧下サイませ。
「自己を偽らざる者」

オメデタ・・・くない話

ウフフ・・・。

私、この度、妊娠イタシマシタ。

・・・てのはウソで、何だか腹が出てきちゃったよ、コレ・・・。

やっぱ、あの魅惑的な白い粒が原因か・・・。(←数日前の日記参照。)

珍しく無地以外のTシャツを買ったってのに、着てみたらアンタ、おなかがプクッと出ちゃって、もう恥ずかしいったらありゃしない。

最近、快適な便通をお約束してくれていた、2日に1袋のピーナッツを怠ってたせいもあるのだろうか・・・。

何にせよ・・・。

ツワリ・・・。

ぢゃなくて・・・。

ツマリ・・・。

オサワリ禁止!!

・・・ぢゃなくて。

オカワリ禁止!!

どうなってんの!?(+続編)

店内で使用しているオーディオは、近所のなんとかカメラで買った安物のCD/MDコンポなのデスが、CDやMDの再生音に比べ、別売りのレコード・プレーヤーの音量が低く、ヴォリュームのレベルが、CDなら20~25で丁度良いのだが、レコードを聴く時は35~40にしないと普通に聴けなかったのデス。

それが、さっき突然に再生音がデカクなって、20だと、ちょっと大き過ぎるくらいになってしまった・・・。

買ってから既に2~3年。CD-Rが読み取りにくくなって困っていた矢先だと言うのに、どうなってんの!?

壊れる前のアレかね~?


<後日談>

一夜明けたら、元に戻ってマシタ・・・。(^^;)

何故だか涙の溢れ出る歌①

高校時代、ラジオに森田童子がゲスト出演しており、その時のニュー・アルバムが「夜想曲」で、その番組でも、そのアルバムの曲ばかりかけていた・・・と言う事もあり、私は今でも「夜想曲」が、森田童子の作品中、一番好きなアルバムなのデス。

ちなみに、「夜想曲」の次に出たラスト・アルバムの「狼少年」は明らかに集中力を欠く作品で、このアルバムを最後に引退した事が、うなずける作品でありマス。

しかし最近になって、ファースト・アルバムの「Good Bye」を聴き直したのだが、アルバムのラストに入っている「さよならぼくのともだち」を聴いていたら、何故か涙が溢れ出てきた・・・。

とは言え、そもそも「夜想曲」ほど思い入れもなく、それ程聴き込んでいる訳ではないアルバムである。むしろ、J・A・シーザーが編曲で参加した「マザー・スカイ」の方が聴き馴染みがあるはずなのに。

何故だろう。歌詞の内容か?それとも、コード進行に秘密があるのだろうか?

自分でギターを弾きながら、あるいは鼻歌でくちずさんでみても、二行ともたず悲しい気持ちがこみあげてきてしまう。

歌詞の内容に具体的に共感する訳ではないし、物悲しい雰囲気の曲やメロディーなど、この世にはいくらでも存在すると言うのに・・・。


きっとそれは、他の事には一切目もくれず、不純物など一片たりとも混入させ得ぬ程に、純真なまでに思いつめた森田童子の声、うた、そしてこころの振動によって、自分のこころの奥底にしまいこんだはずの悲しい記憶が共鳴して震え出し、呼び覚まされるせいであろう。

森田童子にとって、この歌は、ある事件(弾圧)をきっかけにこころが殺され死んで(=思想を放棄、転向して)しまい、去って行った(活動家の)ともだちに捧げた決別の歌であるが、私にとってのこの歌は、孤独によって殺され死んでしまった幼少時の自分のこころに対する鎮魂歌なのだ・・・。


弱虫でやさしい静かな君を ぼくはとても好きだった 
君はぼくのいいともだちだった
さよなら ぼくのともだち
さよなら ぼくのともだち

森田童子「さよならぼくのともだち」より

ボク・シンキング・われなんぼのもんぢゃい

しかし、最近のボクシングってのは、勝つ事にしか、価値や魅力がないのかね~?

まあ仕事だし、順序ってものもあって、対戦相手を自由に選べないって事もあるんだろうけど・・・。

23秒で倒せそうな相手と戦って、楽しいのかね?

観る側もさ・・・。

「勝てへんまでも、最終ラウンドまで、絶対、ダウンせえへんで」・・・って言わしめる程の強豪に戦いを挑む様な、そんなロマンはないのかね?

まあ、しょせんスポーツなんだから、勝つか負けるかってのが、最も重要な事柄なんだろうけれども・・・。

なんかスカッとしねえな~。

最高の仕返し

「抗う事」や、「逆らう事」とは、実は相手のルールを基準にした、リアクション行為であり、結局は、相手の術中に嵌っていると言えなくもない。

その逆に、「従わない事」、あるいは「ひれ伏さない事」とは、相手のルールどころか、存在すら無視する行為であり、あちらにとっては、非常に都合の悪い事であろう。

支配体制が作り上げた、この巧妙かつ磐石な管理社会においては、ご丁寧な事に、「反逆のシナリオ」さえも、用意されているのだ。

騙されるな、ひっかかるな、気にするな、相手にするな。

楽しみは、自分の力で探し、選び、作り出すんだ。

幸せが、コンビニやペット・ショップに売ってると思うか?



あっ!!でも、もし売ってたら、買って来て!!

禁未来小説「ドラへもん」その55「依存の対象」の巻

春が過ぎ、梅雨の季節を目前にした5月・・・。

ボクは相変わらず、シズコちゃんの事を想い続けていた。

朝も昼も・・・。

昼も夜も・・・。

寝ても覚めても・・・。

毎日毎晩、勉強も何も、他の事など、まったく頭に入らない有様さ。

そして、それは、パパへの憎悪や、ママに対する思慕の念さえをも忘れさせる程であり、言うなれば、死ぬ間際の人間が抱くであろう生への強烈なる妄執ぶりに近いものがあった。

その経験によって、ボクは、知らず知らず、無意識のうちに覚えたのかも知れないな・・・。

何かに没頭、没入する事によって、忌まわしき感情から逃れると言う術を・・・。


シズコちゃん・・・。

シズコちゃん・・・。

ああ・・・。

シズコちゃん・・・。


これが初恋・・・?

そう。それが、ボクの初恋だった。

フフフ・・・。


そうさ。実際の所、ボクにとっては、誰でも良かったのさ。

解ってる・・・。

ボクはただ、何かすがりつけるものを、依存出来るものを、感情移入出来る対象物を、求めていたに過ぎないんだ・・・。

だけど、今しばらくは浸らせてくれないか。


・・・恋と言う名の、この、いかにも人間らしい感情ってやつに・・・。


ウフフ・・・。ウフフフフ・・・。

アハハハハハハ・・・。

(つづく)

ふざけるんぢゃねえよ!!

私は、ふざけた人間にはなりたくない。

私は・・・。

ふざけたオッサンになりたいのだ。

悪いのは誰?

立て篭もりの件ね。

Kサツのやり方に問題は無かったのかね~?

「Mr.エレクト、教育問題を語る。」の巻

そもそも、学校でモラルを教えようって事自体が間違ってるし、無理。

少し前の「太田総理(略)」で、教師の体罰を認めるべきか否か?ってな議論をしていたが、教師が体罰までして生徒に何かを教える必要もなければ、義務もない。

・・・と言うか、そこまでやらせるには、教師のギャラが安過ぎるし、そんな能力身に付けてないでしょ?

だいたい、ガキの頃から親に鉄拳制裁で躾けられた子供にとっては、体罰を禁ぢられた教師なんて、なめられて当然だし、逆に、親にさえ殴られた事のない子供が、肉親でもなんでもない教師から体罰を受けたら、ショックを受けて傷つくか、ひねくれちゃうよ。

もっとも、体罰を受ける事で、初めて教師の言わんとしている事を理解する子供もいるだろうけど、それにせよ、暴力は、言葉や理屈で納得させられない子供に対して行う最後の手段な訳で、更に言えば、子供を言葉や理屈で説得する能力が無い、あるいはそれを放棄した教師がやる事だしね。

要するに、こう言う事。各家庭は、それぞれ価値観も教育方針も違う訳で、言わば小規模な国家みたいなもの。だから、学校ってのは、家庭環境、すなわち価値観の異なる国民が、近所に住んでるってだけで一同に集められている多国籍軍な訳だからして、体罰が有効な生徒も居れば、体罰が逆効果となる生徒も居て当然なのだ。

何にせよ、親でも教師でも、体罰を与えるなら与えるで、その根拠なり理由を明確にして、その子供に本心から納得させない事には、ただ単に、「体罰を受ける可能性さえなければ何をしても良い」と言う、間違った認識を持ってしまうだけだし、その逆に、本当に体罰が功を奏す場合ってのは、体罰を受ける側が「殴らせて申し訳ない」ってな気持ちさえ抱く場合だろうね。

物事の判断が出来ない幼少時は別だよ。なんせ理屈が通ぢないんだから、その場合は、何らかの物理的な力によって食い止めるしかないからね。

今現在の私の考えとしては、説得する能力や情熱を放棄し、怠惰かつ安易な教育方法として体罰を用いるのであれば、それには賛同しかねるって所かな。

つまる所、その様な親もおり、その様な家庭もあり、その様な子供も居るって事を忘れちゃいけないって事。現実に、そんな子供も学校に紛れ込んでいるのだ。説得や納得の能力、もしくは情熱(すなわち愛)の無い親に育てられた子供に、体罰無しで物事の良し悪しを教える事が、更に、それも赤の他人である教師に可能であるかどうかなんて、考えれば解る事である。

とは言え、もし仮に、そこまで生徒の事を考えてくれる教師に出会えたならば、その子供は幸福・・・否、不幸(な家庭及び人生)中の幸いであろう。

結論としては、学校に行かせる前に、親が教えておくべき事柄って、あるんぢゃないの?・・・テコト。

子供に義務教育を受けさせる責任とでも言うの?

それとも、一度、学校に預けたならば、体罰で耳がちぎれようが、自殺しようが、一切、文句を言わないってのなら別だけど。

価値観の異なる生徒を一手に引き受けて、大した能力も情熱もない学校の教師が、しかも、あんな安月給で、責任なんて取れないよ。

これは私が、ずっと前から提唱している事なんだけど、子供を産んで育てる前に、その親を教育するための、子育て学校みたいなものを義務教育化しなきゃ駄目だって事だよね。

あの親にしてこの子あり。

学校や教師は、あんまり関係無い。

新生ビル

先日、国分寺モルガーナにて、国分寺超山田堂企画のライヴを観て参りマシタ。

いぬん堂社長率いるビルは、ドラムがチェンジして2回目のライヴ。現在は、何と、元センチメンタル出刃包丁の、クスコ氏が参加しているのでありマシタ。

前任よっとん氏の、シンプルかつタイトなドラムも、ビルのシャープかつソリッドなパンク・サウンドに、非常にマッチしておりマシタが、クスコ氏のアナーキーなドラムが、果たしてビルに合うのだろうか?・・・と言うのが、おそらく多くの方の予想(心配事)であった事でしょう。

しかし、結論として、これは非常に良かったでありマス。何と言うのでしょうか?ビルのパンク・サウンドに、根拠不明のエネルギーと言うか、更なるカオス(混沌)が注入され、当日披露された、珍しくスローな曲もサマになっていたし、まさしく、ビルは新しく生まれ変わったと言っても過言ではない出来でありマシタ。

なお、次回は、ビル+戸○純で、ライヴが行われる様でありマス。(ハイテクノロジー・スーサイドのトリビュート盤にも、「骨」で参加。)

報告オワリ。

<追伸>センチメンタル出刃包丁の方も、やっと新メンバーが集まった様で、復活が楽しみでありマス。

勝手にしやがれ

もし六億円当たったら?

そうねえ、十代後半の健康な肉体に、脳味噌移植でもしてもらおうかしら?

・・・と、本音は置いといて・・・。

都心からそう離れてない、都内もしくは関東近郊にある山をひとつ買って、居住可能な音楽スタジオを30軒建てて、素質なり見所のある(←技術的に上達する可能性があると言う意味ではなく、存在意義があると言う意味での・・・)ミュージシャンなりバンドを住まわせ、毎日好きな時に好きなだけ練習させて、月に1回ずつ(要するに、毎日、日替わりで・・・)、山のふもとに作ったライヴハウスで、ワンマン・ライヴをやってもらおうかしらね~。

しかも、決められた日にライヴさえやってくれれば、実際には練習するもしないも自由。毎日、ゲームをするなり、本を読むなり、勝手に過ごしてもらって結構。ただし、ライヴを観て、私が面白くないと感ぢたら、他のバンドと入れ替えるだけの話。

そして、もちろん、一般公開もするつもりなので、会社勤めの人や、関東近郊からも安心して観に来れる様に、送迎バスを出す。1日に1バンドだから、ライヴ自体は長くても2時間くらいだしね。だいたい、会社が終って慌ててライヴ会場に駆けつけて、終電を気にしながらライヴ観るなんて、そんな芸能人みたいなスケジュールぢゃあ、誰もライヴ・ハウスに来なくなるっちゅうの。

そもそも、単なる“人気者”でしかない、生まれ持った才能にあぐらをかくアーティストや、難しい言葉はいっぱい知ってるけど書きたい事が何もない作家の様なミュージシャンが、他人の目や流行に左右されて群れ集う観客を何千人、何万人集めようが、お祭り騒ぎに興味のない私にとっては、そんなのどうでも良い事なのだ。

人が大勢集まりゃ面白いのかよ?偉いのかよ?正しいのかよ?嬉しいのかよ?

それに、人気・・・すなわち、誰よりも多くの人から好かれる事に、そんなに価値があるってんなら、何で法律上は、男女お互い一人の相手としか結婚出来ないのかって話(←他の国の事は知らないが・・・)。人気者がそんなに偉いのであれば、愛人を何人囲おうが、あるいは恋人を二股も五股もかけてもオッケーって事に、なんでならないの?

・・・と、話が大幅に屁理屈りマシタが・・・。

注:屁理屈る(へりくつる)→「屁理屈化する」の意。

・・・とは言え、私は何も、世界に通用する日本人ミュージシャンを作ろうなんてつもりもさらさらなくて、ただ単に、自分にとって楽しめるものをもっと増やしたいと言うだけの話。せっかく当たった六億円を、親族や友人ならともかく、何ゆえ、他人のために、ましてや交友関係のない外国の人のためなんぞに使わにゃならん訳?

あくまでも、まず最初に、自分の楽しみを追い求める事が、知らず知らずのうちに他人にも喜びを与えてるってのが理想だね。

野生の獣は、野生のままの自然な姿を見るのが、娯楽としては最上級な訳で、檻に閉ぢ込められたパンダ見て、何か面白いのかって事。自分の部屋で飼えるのなら、その良し悪しは別として、まだましだけど・・・。

何て言うのか、要するに、下らない幻想なんか無視して、自由に勝手にやって欲しい訳。こっちも、自由に勝手に観たいだけなんだからさ。

親から、そして学校で教わった事、新聞雑誌にテレビや世間で言われてる事、そんなの全部ウソ・・・とまでは言わないけれど、一方的な価値観に基づいた(縛られた)意図的な情報が多分に含まれているからね。そんな、比較によって得られる優越意識を利用した競争原理にまんまと乗せられ、地球と言う奴隷農場の家畜となって、一度しかない自分の大事な人生を無駄にしちゃいけないよ。

家畜として得られる喜びより、人間である事の喜びを求めて生きよう。

・・・なんちゃって。ホントは、そんなの、どっちでも良い。

やりたきゃやりゃ良いし、やりたくなきゃやらなきゃ良い。

人それぞれ、自由にすれば良い。

人生色々。家畜も色々。

ただし、隅々まで支配の行き届いた、至れり尽くせりの、この管理社会(奴隷農場)は、「自分で選んだつもり」、もしくは「自分で決めたつもり」にさせられてしまう程、極めて巧妙に、自覚無き家畜を生み出し続けているのだと言う事も、お忘れなく願いたい・・・。

滅びの城

なんだよ~!!行き着けのカレー屋「POT&POT」が潰れちゃったよ!!

他には新木場にしか支店がないみたいで、そっちも潰れたのかな?

肉がひとかけらも入っていないと言う、素晴らしいカレーだったのに・・・。

選択の不自由

かわいそう・・・と言えば、かわいそうである。

かと言って、かわいそうではない・・・と言えば、かわいそうではないかと言えば、かわいそうではない・・・と言っても、かわいそうである。

何せ、選択肢がないのだ。

幼少時に、まともな教育を受けてこなかったのだ。

教えられてしかるべき事柄を、教えられてないのだ。

選ぶも何も、それしかないのだ。

それをする事しか出来ないのだ。

それをしないと言う選択肢すらないのだ。

かわいそう・・・と言えば、かわいそうである。

しかし、まわりは迷惑でしかない。

しかも、なぜそうするのだろう?・・・と、頭を悩ませなければならない。

なぜもくそもないのに・・・。

二つあるうちの一つを選んだのであれば、批判にも値するが、そもそも選択肢が一つしかないのだから、批判するのであれば、その存在自体を根本から批判せねばならなくなる。

おおかみにそだてられたこども。

けもののこはけもの。

かちくのできそこない。

禁断の白い粒

いや~、やっぱ東京はすごいトコだすな~。

なんせ、新宿歌舞伎町は当店から歩いて5分。先日、バラバラ死体が棄てられていたのも、ここからわずか1分の場所。

さて本題。実は最近、秘密の店を見つけたのでごわす。

そこで販売されている白い粒に、ここ1ヶ月、超ハマリまくりで、2日に1度は、フラフラと、そこに行ってしまう自分が居る。

なんせ、その店、秘密を守るためなのか、持ち帰りは禁止で、室内に居る間しか摂取させてもらえないため、我慢出来なくなる度に、いちいち自転車でピュ~と駆けつけている次第なのだ。

・・・とは言え、その面倒臭さを圧して余りある、その効能。

ムフフ・・・。思い出しただけでも、口元がニヤついてしまうわい。

ああ、あの瞬間ほど、幸せを感ぢる時はない。

多幸感、充足感、満足感、達成感、恍惚感・・・。

類稀なる悦楽をもたらす、幸福の白い粒。

否。やめられない止まらないがゆえ、むしろ、“禁断の白い粒”と呼び称えるべきであろうか・・・。

ああ、こうして居ても、思い出す。頭に浮かぶ。脳裏に描き出される、あの快楽。

ああ、欲しい。そろそろ効き目が切れてきた・・・。

うう、我慢出来ねえ・・・。

だが、今日は、某氏が来店する予定で、それを待ってる最中。

でも、なかなか連絡無いから、また明日に持ち越しかな?

うう、身体が求める、精神が求める、頭の中が、アレの事でいっぱいになる。

あの白い粒・・・。ああ、もう、たまんねえ!!



ほっかほっかのご飯、白飯、ライス・・・。

食券を買い求めるシステムの、おかわり自由な、あの定食屋。

やはり、コンビニ弁当をレンジでチンするのとは、根本的に違うのだ。

しかも、早朝5時より11時までのモーニング・タイムのみ用意されている納豆定食と来たら、たったの350円で、ご飯のおかわりが無限にオッケーなのである。

セルフでおかわりのご飯を食器に盛る時、意味もなく、ニヤニヤしてしまう私。

いやん!!恥ずかしいから見ないで!!

「フランソワーズ・テレチャウ・・・。」(←年配の人にしか通ぢぬマイ・ギャグ・・・。)

ああ、その瞬間、私はとめどない多幸感に襲われ、思わず「ウフフ・・・」となるのである。

「いただきマウス!!」(←マイ・ギャグ②)

白くてあったかい、ごはん大好き!!(^^)/

要するに、「ああ、腹減った!!」・・・テコト。

故人主義

ある一定のラインを超えないと、見えない事がある。

・・・と言うか・・・

ある一定のラインを超えると、見えてくるものがある。

あるいは、溢れてくると言うべきか?

悲しむのは自分のこころが悲しいから。

故人の事を想うのであれば、遺志を継げば良い。

残された人々が喜怒哀楽を味わうための、生贄として死んだのであれば別だが・・・。

天職

まあ何か、しっかりとした目的があるとしても・・・。

時には、ちょっと流されてみるって事も良いものだ。

今まで見えなかったものが、見えてくる場合もある。

風の向くまま、気の向くまま、久々に遠方へ、商売上の仕入れに行ってみた。

その結果、中古レコード屋の仕事と言うのは、“レコードを売る事”だけではなく、“レコードを買って売る事”であると、改めて再認識。

思い返してみれば、今の様にネット・オークション全盛でなかった時代には、雨の日も雪の日も“風邪”の日も、毎日毎日、自転車で、あっちこっちへ買出しに行ったものである。

もちろん、各地の名産品を味わう事も忘れていない。

吉祥寺に行けば、吉祥寺のコンビニでおにぎりを買って食べ、自由が丘に行けば、自由が丘にあるコンビニでおにぎりを買って食べ・・・と、一種の食べ歩き、グルメ紀行も兼ねていたっけ・・・。(←遠い目をしながら)

冗談はさておき、あの頃は、とにかく、新発見のレコードを求めて、あちこち散策したものである。

将来は、全国を自転車で、レコードを仕入れるための旅をする事が夢だった。

だから、大して好きでもないくせに、ちょっと来てちょっとつまみ喰いして・・・ってのは、何に関しても好きぢゃない。

要は、好きな事に没頭したり、一心不乱に夢中になる事によって、こころに巣食う“虚無”を追い出したいだけなのではあるが・・・。

しかし、長く続けるための気分転換であれば、時には道をそれる事も、全然オッケーなのではないか?・・・と思える様にもなって来た。

・・・と言いつつ、その日も結局は、大量のレコードとCDを自転車で運搬するはめに・・・。

この稼業、やめられねえ・・・。

生み出す事

無から有は生み出せない。

表現行為も創作行為も、すべてはリアクションである。

生み出す事=膿出す事。

外部の影響を何ひとつ受けないではいられないし、仮に、一切の影響を排除したとするならば、おそらく誰からも、一片の共感も得られないものが出来上がるだろう。

感動しない人間に、人を感動させる事など出来ない。

最近の口癖

「大変デスよ・・・。」(^^;)

多数決は絶対

しかし、国民投票制度ってのは、大丈夫なのかね?

「みんながやってるんだから、あなたもしなさい」とか、「みんながそう思ってるんだから、あなたも従いなさい」ってな考え方が、絶対的な権力を持つ訳でしょ?

要するに、百万人のバカに、一人の賢者が殺される可能性が生まれるって事だよな。

あっ!!ゴメンゴメン。そんな失礼な言い方しちゃ駄目だよね。言い直すよ・・・。

要するに、百万匹の家畜に、一人の人間が殺される可能性が生まれるって事だな、こりゃ。

冗談ぢゃねえよ!!

「超トホホ・・・な出来事」⑥(完結編)

★どうしても書けとおっしゃる?

・・・仕方ない、書くか・・・。

⑤の続き・・・。

警官Aの無線連絡も終り、どうやら防犯登録の確認は済んだ模様。

警官A「あっ、問題ありマセンでした。」

私「え?もう済んだの?ぢゃあ、もう行って良いのね?」

警官A・B「ハイ。ご協力ありがとうゴザイマシタ!!」

私「しかし、留守が多くて、いつ来ても居なくて悪かったね。何度も尋ねて来てたんでしょ?」

警官A「いえいえ、今日はたまたま・・・。」

私「(またそれかよ!!)・・・解った解った、もう良いよ。これで近所の人達も安心するでしょ。良かったネ、心配事が一つ減って。」

・・・と、イヤミたっぷりの捨てゼリフを吐き、その場を去る私。

「ふんとに、もう!!憤慨(ふんが)っちゃうぜ!!」

注:「憤慨(ふんが)っちゃうぜ!!」←怒りを表す、エレクトさん発明の名ゼリフ。

・・・とは言え、名前こそ名乗らされたものの、結局は自転車の防犯登録をチェックされただけで済み、バカな警官を追い払ってやったぜ・・・と、意気揚々、勝ち誇った気分の私であった。

・・・しかし、後日、某ネット喫茶にて、私は更なるショックを受ける事になる・・・。

(つづく)





・・・ウソウソ、続けマス。

そのネット喫茶にて、時間潰しにと手に取った写真週刊誌に掲載されていた、とある記事の写真を見て、私は愕然とした・・・。

「こ・・・、これだったのか!!」

私はショックのあまり、肩を落とし、うなだれた・・・。


・・・それは、先日起きた、外人女性英語講師殺人犯の指名手配写真であった。

流石にあんな凶悪な目つきこそしていないものの、そいつの鼻や口の形、そこから漂う雰囲気が、若い頃の私にそっくりなのだ。

もちろん、私を良く知る方々は、「全然似てないよ~」とおっしゃって下さるであろう。しかし、生まれて数十年、四六時中見てきた自分の顔だ。実は、初めてテレビでこいつの顔写真を見た時にも、顔の下半分が自分と似ている事を、薄々自覚してはいたのであった・・・。

・・・とは言え、年齢もかけ離れているし、良く見ればまったくの別人だと言う事は一目瞭然なのだが、トナルト・ダック、やはり、そんなに顔をしっかりと見た事がない、近所の住民か、たまたま通りがかった誰かが警察に通報したんだろう・・・。

注:「トナルト・ダック」←「となると」と言うセリフを言う時、脳裏に必ず芽生えるオヤジ・ギャグ。だがしかし、決して口に出してはいけない。

何軒か先のオバちゃんであれば、遠目に見たがゆえにであり、更に、向いの家の二階からであれば、上から見下ろすがゆえ、上手い具合に帽子で目の辺りが隠れ、とても良く似ている様に見えた事であろう。

そう言えば、先にも述べたが、シャッターを下ろして後ろを振り向いた時、向いの家の二階の窓から、「ホラ!!○○・・・」と、こちらを指差しながら、誰かが何か喋ってる様な気がしたではないか。そうだ、きっとそうに違いない・・・。


くぅ~・・・くっくっくっくっく・・・。

ぐふ・・・ぐふぐふ・・・ぐっすん・・・。

うぇ~んうぇ~ん!!



指名手配犯よ、早く捕まってくれぇ~・・・。(:。;)

(おしまい)

ジミヘンを聴きながら

変な国(←蔑視!!)製のカセットで、ジミヘンを聴きながら、今日も仕事中でありマス。

ま~い~に~ち~ま~い~に~ち~僕らは鉄観音~ウーロン茶を飲んで~いやになっちゃうよ~。

ジミヘンのオッサン、良いッスね。突き刺す様なソリッドな音色も良いけど、こう何て言うか、立体的なサウンド?と言うのか、非常に開放的でスカっとイタシマスな。

現在の自分の状況と、対比してみたりなんかしてるのかしらね~?

さあて再び、仕事仕事・・・。(^^;)

お葬式を邪魔する輩

え~、吉祥寺シルバーエレファントに於ける、マリア観音ワンマン・ライヴ、組織暴力幼稚園企画にお呼ばれしての、高円寺20000Vに於ける、「高円寺地下大空襲5」と、4月に行われた2度のライヴも無事に終った訳でありマスが・・・。

今回は、いずれのライヴも、初見の方が割と多かったせいか、会場での物販売上げもぼちぼち、更に、ライヴを終えた直後より、流通会社からの追加注文(以下に注釈★アリ)もいくつか来ており、自分にとって良いライヴだったと思えるだけでなく、観客の皆様の反応も良かったのだなと、達成感を覚えたり、胸を撫で下ろしてなどしておりマス。

★流通会社と言うのは、レーベルとショップの橋渡しをする、いわゆる問屋で、ただし、営業活動まで請け負ってくれる訳ではなく、ショップに新発売商品や取り扱い商品のリストを送るのみで、結局は、ショップから注文が来ない限り、レーベルに注文が来る事は永遠にない。今回、注文が来たと言う事は、既に取り扱いのあったショップでCDが売れた、あるいは、未取り扱いショップにお客様から注文が入ったと言う事。

・・・ところで、しかし何も問題が無かった訳ではない。実は、前回の20000Vでもそうだったのだが、一部の観客が、木幡が演奏を始めても、ぺちゃくちゃとおしゃべりをやめないのだ・・・。

現在のマリア観音(木幡東介ソロ)のライヴを観た事がある方ならご存知だとは思うが、曲によっては後半に多重録音SEをバックに流しながらの大音量でのエレキ・ギター・パフォーマンスのパートがあるとは言え、メインはエレキ・ギター(~4月からはアコースティック・ギターによる演奏)での弾き語りな訳で、ロック・バンドほどの大音量ではないため、演奏中も会話をし続ける事が困難でないせいもあるが、それゆえにまた、その人達の喋り声が余計にうるさくてかなわないのであった。

今回は、流石に2度目(←あくまでも、こちらにとっては)と言う事もあり、曲の合間に、私が近づいて「し~」っとやったので治まったが、彼らはお葬式の会場でも、坊主がお経を読んでる間中、あの様にぺちゃくちゃと喋り続けるのであろうか?時と場所をわきまえると言う事を知らないのか?

・・・木幡のうた、そして音楽のみに限らず、個人的な感情なり心情を綴った表現と言うものは、殺された魂の供養と言うか、傷ついたこころを救済すると言う意味合いを含んでいる場合も多く、ある種、お葬式みたいなものでもある訳だし・・・。

否。BOOK OFF店内で床に座り込んで漫画を読み、通行の邪魔をしている子供の様に、親から何も教わっていなければ、最近は、それを叱る大人も居ないって事なのだろう。

ちなみに、そう言うお子様には、天に代わって私が、わざと足を踏んづけたり、蹴っ飛ばす様にしているので、ご父兄の方々はご安心を・・・。

そもそも、ライヴに於いて演奏者側が、観客側に対し、ああしろこうしろと言うのもウザイが、その代り、観客も、絶対に演奏者の邪魔だけはしてはならない。

ライヴ中に寝てようが(←俺の事か!!)、酒を飲んでようが(←俺の事か!!)、バンドの入れ替え時にデカイ声で喋ってようが(←俺の事か!!)、全然構わない。だがしかし、演奏中に、演奏者の行為を邪魔したり、出される音の妨害をする事だけは、絶対にしてはならないはずだ。


・・・おっと、例外を忘れてた!!演奏行為を邪魔したり、出される音を妨害しても良い場合が、ひとつだけあった・・・。


それは、そのライヴ、及び演奏を、“本気で邪魔しようと思った時”、すなわち、演奏者に“ケンカを売りたい時(あるいは買う時)”だけだ。

そして、更に付け加えるならば、それは、その演奏を楽しもうとしている、あるいは、真剣に耳を傾けている観客に対しても、ケンカを売ると言う事である。


自分達の権利、自由、楽しみは、自分自身で守ろう。

金属疲労

勤続疲労?
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