Mr.エレクトの独り言 2007年05月21日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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「Mr.エレクト、教育問題を語る。」の巻

そもそも、学校でモラルを教えようって事自体が間違ってるし、無理。

少し前の「太田総理(略)」で、教師の体罰を認めるべきか否か?ってな議論をしていたが、教師が体罰までして生徒に何かを教える必要もなければ、義務もない。

・・・と言うか、そこまでやらせるには、教師のギャラが安過ぎるし、そんな能力身に付けてないでしょ?

だいたい、ガキの頃から親に鉄拳制裁で躾けられた子供にとっては、体罰を禁ぢられた教師なんて、なめられて当然だし、逆に、親にさえ殴られた事のない子供が、肉親でもなんでもない教師から体罰を受けたら、ショックを受けて傷つくか、ひねくれちゃうよ。

もっとも、体罰を受ける事で、初めて教師の言わんとしている事を理解する子供もいるだろうけど、それにせよ、暴力は、言葉や理屈で納得させられない子供に対して行う最後の手段な訳で、更に言えば、子供を言葉や理屈で説得する能力が無い、あるいはそれを放棄した教師がやる事だしね。

要するに、こう言う事。各家庭は、それぞれ価値観も教育方針も違う訳で、言わば小規模な国家みたいなもの。だから、学校ってのは、家庭環境、すなわち価値観の異なる国民が、近所に住んでるってだけで一同に集められている多国籍軍な訳だからして、体罰が有効な生徒も居れば、体罰が逆効果となる生徒も居て当然なのだ。

何にせよ、親でも教師でも、体罰を与えるなら与えるで、その根拠なり理由を明確にして、その子供に本心から納得させない事には、ただ単に、「体罰を受ける可能性さえなければ何をしても良い」と言う、間違った認識を持ってしまうだけだし、その逆に、本当に体罰が功を奏す場合ってのは、体罰を受ける側が「殴らせて申し訳ない」ってな気持ちさえ抱く場合だろうね。

物事の判断が出来ない幼少時は別だよ。なんせ理屈が通ぢないんだから、その場合は、何らかの物理的な力によって食い止めるしかないからね。

今現在の私の考えとしては、説得する能力や情熱を放棄し、怠惰かつ安易な教育方法として体罰を用いるのであれば、それには賛同しかねるって所かな。

つまる所、その様な親もおり、その様な家庭もあり、その様な子供も居るって事を忘れちゃいけないって事。現実に、そんな子供も学校に紛れ込んでいるのだ。説得や納得の能力、もしくは情熱(すなわち愛)の無い親に育てられた子供に、体罰無しで物事の良し悪しを教える事が、更に、それも赤の他人である教師に可能であるかどうかなんて、考えれば解る事である。

とは言え、もし仮に、そこまで生徒の事を考えてくれる教師に出会えたならば、その子供は幸福・・・否、不幸(な家庭及び人生)中の幸いであろう。

結論としては、学校に行かせる前に、親が教えておくべき事柄って、あるんぢゃないの?・・・テコト。

子供に義務教育を受けさせる責任とでも言うの?

それとも、一度、学校に預けたならば、体罰で耳がちぎれようが、自殺しようが、一切、文句を言わないってのなら別だけど。

価値観の異なる生徒を一手に引き受けて、大した能力も情熱もない学校の教師が、しかも、あんな安月給で、責任なんて取れないよ。

これは私が、ずっと前から提唱している事なんだけど、子供を産んで育てる前に、その親を教育するための、子育て学校みたいなものを義務教育化しなきゃ駄目だって事だよね。

あの親にしてこの子あり。

学校や教師は、あんまり関係無い。
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新生ビル

先日、国分寺モルガーナにて、国分寺超山田堂企画のライヴを観て参りマシタ。

いぬん堂社長率いるビルは、ドラムがチェンジして2回目のライヴ。現在は、何と、元センチメンタル出刃包丁の、クスコ氏が参加しているのでありマシタ。

前任よっとん氏の、シンプルかつタイトなドラムも、ビルのシャープかつソリッドなパンク・サウンドに、非常にマッチしておりマシタが、クスコ氏のアナーキーなドラムが、果たしてビルに合うのだろうか?・・・と言うのが、おそらく多くの方の予想(心配事)であった事でしょう。

しかし、結論として、これは非常に良かったでありマス。何と言うのでしょうか?ビルのパンク・サウンドに、根拠不明のエネルギーと言うか、更なるカオス(混沌)が注入され、当日披露された、珍しくスローな曲もサマになっていたし、まさしく、ビルは新しく生まれ変わったと言っても過言ではない出来でありマシタ。

なお、次回は、ビル+戸○純で、ライヴが行われる様でありマス。(ハイテクノロジー・スーサイドのトリビュート盤にも、「骨」で参加。)

報告オワリ。

<追伸>センチメンタル出刃包丁の方も、やっと新メンバーが集まった様で、復活が楽しみでありマス。

勝手にしやがれ

もし六億円当たったら?

そうねえ、十代後半の健康な肉体に、脳味噌移植でもしてもらおうかしら?

・・・と、本音は置いといて・・・。

都心からそう離れてない、都内もしくは関東近郊にある山をひとつ買って、居住可能な音楽スタジオを30軒建てて、素質なり見所のある(←技術的に上達する可能性があると言う意味ではなく、存在意義があると言う意味での・・・)ミュージシャンなりバンドを住まわせ、毎日好きな時に好きなだけ練習させて、月に1回ずつ(要するに、毎日、日替わりで・・・)、山のふもとに作ったライヴハウスで、ワンマン・ライヴをやってもらおうかしらね~。

しかも、決められた日にライヴさえやってくれれば、実際には練習するもしないも自由。毎日、ゲームをするなり、本を読むなり、勝手に過ごしてもらって結構。ただし、ライヴを観て、私が面白くないと感ぢたら、他のバンドと入れ替えるだけの話。

そして、もちろん、一般公開もするつもりなので、会社勤めの人や、関東近郊からも安心して観に来れる様に、送迎バスを出す。1日に1バンドだから、ライヴ自体は長くても2時間くらいだしね。だいたい、会社が終って慌ててライヴ会場に駆けつけて、終電を気にしながらライヴ観るなんて、そんな芸能人みたいなスケジュールぢゃあ、誰もライヴ・ハウスに来なくなるっちゅうの。

そもそも、単なる“人気者”でしかない、生まれ持った才能にあぐらをかくアーティストや、難しい言葉はいっぱい知ってるけど書きたい事が何もない作家の様なミュージシャンが、他人の目や流行に左右されて群れ集う観客を何千人、何万人集めようが、お祭り騒ぎに興味のない私にとっては、そんなのどうでも良い事なのだ。

人が大勢集まりゃ面白いのかよ?偉いのかよ?正しいのかよ?嬉しいのかよ?

それに、人気・・・すなわち、誰よりも多くの人から好かれる事に、そんなに価値があるってんなら、何で法律上は、男女お互い一人の相手としか結婚出来ないのかって話(←他の国の事は知らないが・・・)。人気者がそんなに偉いのであれば、愛人を何人囲おうが、あるいは恋人を二股も五股もかけてもオッケーって事に、なんでならないの?

・・・と、話が大幅に屁理屈りマシタが・・・。

注:屁理屈る(へりくつる)→「屁理屈化する」の意。

・・・とは言え、私は何も、世界に通用する日本人ミュージシャンを作ろうなんてつもりもさらさらなくて、ただ単に、自分にとって楽しめるものをもっと増やしたいと言うだけの話。せっかく当たった六億円を、親族や友人ならともかく、何ゆえ、他人のために、ましてや交友関係のない外国の人のためなんぞに使わにゃならん訳?

あくまでも、まず最初に、自分の楽しみを追い求める事が、知らず知らずのうちに他人にも喜びを与えてるってのが理想だね。

野生の獣は、野生のままの自然な姿を見るのが、娯楽としては最上級な訳で、檻に閉ぢ込められたパンダ見て、何か面白いのかって事。自分の部屋で飼えるのなら、その良し悪しは別として、まだましだけど・・・。

何て言うのか、要するに、下らない幻想なんか無視して、自由に勝手にやって欲しい訳。こっちも、自由に勝手に観たいだけなんだからさ。

親から、そして学校で教わった事、新聞雑誌にテレビや世間で言われてる事、そんなの全部ウソ・・・とまでは言わないけれど、一方的な価値観に基づいた(縛られた)意図的な情報が多分に含まれているからね。そんな、比較によって得られる優越意識を利用した競争原理にまんまと乗せられ、地球と言う奴隷農場の家畜となって、一度しかない自分の大事な人生を無駄にしちゃいけないよ。

家畜として得られる喜びより、人間である事の喜びを求めて生きよう。

・・・なんちゃって。ホントは、そんなの、どっちでも良い。

やりたきゃやりゃ良いし、やりたくなきゃやらなきゃ良い。

人それぞれ、自由にすれば良い。

人生色々。家畜も色々。

ただし、隅々まで支配の行き届いた、至れり尽くせりの、この管理社会(奴隷農場)は、「自分で選んだつもり」、もしくは「自分で決めたつもり」にさせられてしまう程、極めて巧妙に、自覚無き家畜を生み出し続けているのだと言う事も、お忘れなく願いたい・・・。

滅びの城

なんだよ~!!行き着けのカレー屋「POT&POT」が潰れちゃったよ!!

他には新木場にしか支店がないみたいで、そっちも潰れたのかな?

肉がひとかけらも入っていないと言う、素晴らしいカレーだったのに・・・。
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