少し前の「太田総理(略)」で、教師の体罰を認めるべきか否か?ってな議論をしていたが、教師が体罰までして生徒に何かを教える必要もなければ、義務もない。
・・・と言うか、そこまでやらせるには、教師のギャラが安過ぎるし、そんな能力身に付けてないでしょ?
だいたい、ガキの頃から親に鉄拳制裁で躾けられた子供にとっては、体罰を禁ぢられた教師なんて、なめられて当然だし、逆に、親にさえ殴られた事のない子供が、肉親でもなんでもない教師から体罰を受けたら、ショックを受けて傷つくか、ひねくれちゃうよ。
もっとも、体罰を受ける事で、初めて教師の言わんとしている事を理解する子供もいるだろうけど、それにせよ、暴力は、言葉や理屈で納得させられない子供に対して行う最後の手段な訳で、更に言えば、子供を言葉や理屈で説得する能力が無い、あるいはそれを放棄した教師がやる事だしね。
要するに、こう言う事。各家庭は、それぞれ価値観も教育方針も違う訳で、言わば小規模な国家みたいなもの。だから、学校ってのは、家庭環境、すなわち価値観の異なる国民が、近所に住んでるってだけで一同に集められている多国籍軍な訳だからして、体罰が有効な生徒も居れば、体罰が逆効果となる生徒も居て当然なのだ。
何にせよ、親でも教師でも、体罰を与えるなら与えるで、その根拠なり理由を明確にして、その子供に本心から納得させない事には、ただ単に、「体罰を受ける可能性さえなければ何をしても良い」と言う、間違った認識を持ってしまうだけだし、その逆に、本当に体罰が功を奏す場合ってのは、体罰を受ける側が「殴らせて申し訳ない」ってな気持ちさえ抱く場合だろうね。
物事の判断が出来ない幼少時は別だよ。なんせ理屈が通ぢないんだから、その場合は、何らかの物理的な力によって食い止めるしかないからね。
今現在の私の考えとしては、説得する能力や情熱を放棄し、怠惰かつ安易な教育方法として体罰を用いるのであれば、それには賛同しかねるって所かな。
つまる所、その様な親もおり、その様な家庭もあり、その様な子供も居るって事を忘れちゃいけないって事。現実に、そんな子供も学校に紛れ込んでいるのだ。説得や納得の能力、もしくは情熱(すなわち愛)の無い親に育てられた子供に、体罰無しで物事の良し悪しを教える事が、更に、それも赤の他人である教師に可能であるかどうかなんて、考えれば解る事である。
とは言え、もし仮に、そこまで生徒の事を考えてくれる教師に出会えたならば、その子供は幸福・・・否、不幸(な家庭及び人生)中の幸いであろう。
結論としては、学校に行かせる前に、親が教えておくべき事柄って、あるんぢゃないの?・・・テコト。
子供に義務教育を受けさせる責任とでも言うの?
それとも、一度、学校に預けたならば、体罰で耳がちぎれようが、自殺しようが、一切、文句を言わないってのなら別だけど。
価値観の異なる生徒を一手に引き受けて、大した能力も情熱もない学校の教師が、しかも、あんな安月給で、責任なんて取れないよ。
これは私が、ずっと前から提唱している事なんだけど、子供を産んで育てる前に、その親を教育するための、子育て学校みたいなものを義務教育化しなきゃ駄目だって事だよね。
あの親にしてこの子あり。
学校や教師は、あんまり関係無い。
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