Mr.エレクトの独り言 2007年05月26日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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自己を偽らざる者

如何に虚を実に魅せる事が出来るかと言う点が評価の基準となる、エンターテイメント界の話であれば別だが・・・と、まずは最初に前置きしておく。

ぐしゃ人間、バビロンズ改めマグダラ呪念、これら二つの女性グループに、何故に私が興味を示すかと言えば、それには確かな理由がある。

(ちなみに、ぐしゃ人間のドラムは男性であるが、これは音楽的サポートとしての参加であると判断して差し支えないであろう。)

例えば、彼女らのうたにある歌詞の内容を好きかと問われれば、私の様な駄目人間にとっては、繊細なハートを刃物で切り刻まれるが如く、何度も何度も念入りに殺される思いを味合わされてしまうがゆえに、即答を避けたい心境著しい次第なのであるが(←回りくどい言い方・・・)、しかし、彼女らはあくまでも、ただ単に自己主張をしているだけに過ぎないのであって、必要以上に共感を求めている訳ではなく、ましてや男性(弱い生き物)である私にとってみれば、これは当然とも言える結果なのである。

よって、私が、彼女らを高く評価する所以は、彼女らが、男性の望む理想の(=男性にとって都合の良い)女性像を演ぢない事、すなわち、現社会体制における権力保持者(=男性)に媚びを売ったり、ひれ伏したりしないがゆえにであり、それはつまり、男であるとか女であるとか以前に、人間として、真の意味においての自分らしさと言うものを大事にしているゆえにであると思えるからに他ならない。

そして、勘違いしては困るのだが、それは決して、女である事を否定する事でもなければ、ことさら男を意識し、男と同等になろうだとか、男と対等になろうだとか、男の役割や地位を奪おうと言う事でもないのだ。

要するに、彼女らは、女性を男性の支配下に置く事はもちろん、人間を機械の歯車(あるいは家畜)としての価値しか認めぬ、親や世間や社会からの脅迫に屈する事なく、それら一方的に押し付けられた理不尽な要求(幻想)など相手にせず、意識的にせよ無意識的にせよ、自らの存在を、“自己を偽らざる者”足らしめていると言う点において、私は惜しみない拍手を送りたいと考える次第なのである。

ゆえに、これは男性の表現者にも、そのまま当てはまる。

つまり、私が好きなのは、自分を偽る事によって利益を得ようだとか、強者にひれ伏す事によって自己の価値を高めようとする輩ではないと言う事なのである。

およそ、この世の殆どの価値観は、私達を経済的にカモるため、すなわち、人間を搾取の対象として、従順な家畜にと貶めるためにあると言って過言ではない。

音楽まで、更にはロック、果てはパンクまでもが、そのための道具に成り下がっていると言う現実に、私は耐えられないのだ。
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「ぐしゃ人間/オマエノロイ」「バビロンズ/緋色の憎悪」(追記アリ)

■ぐしゃ人間「オマエノロイ」(CD-R)¥500
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①「ノロイ」
異世界から異世界へと慌しい旅を続ける「不思議の国のアリス」の如く、ストレンジ~ハード~ポップにと曲調がめまぐるしく展開する、まるで幻覚症状か悪い夢でも見せられているかの様な本作の楽曲構成こそは、ぐしゃ人間の売りとなるべき重要な特色であり、彼女らの持つ稀有な魅力の一端を如実に物語っている。そしてまた、人類の立場から見れば残酷とも呼べる、動物や生き物等の生態を、寓話的解釈によって表現した秀逸な歌詞は、ロマンチシズム溢れる視点を持ちつつも、現実世界の過酷さから目を背ける事を許さぬ厳しさを兼ね備えており、幻想的でありながらも決して逃げ場を与えないと言う、その徹底した救いの無さは、痛々しいまでに辛辣だ。
②「オマエ」
出口のない迷宮に迷い込んでしまったかの、壊れたオルゴール風なストレンジな楽曲に、身も蓋もないまでに直接的かつ攻撃的な内容の歌詞が被さる作品。だが、それゆえに、「もの言わぬ少女 その涙を舐めてあげたい」との言葉が、断崖絶壁に咲く花の如く、凛として響く。そこには、現実逃避のお花畑にではなく、耳に痛い現実の下にしか、真のやさしさなど存在し得ないのだと言うメッセージが内包されている。
③「オマエ?」
「オマエ」の、歌詞及びミックス違い。こちらは、更にねぢ曲げられたサウンドに合わせ、歌詞にもいくぶん、シュールな表現が用いられている。しかしながら、この一見、メルヘンチックなストーリーには、致死を招くに充分な毒が、いたる所に散りばめられているのであった。

各々の曲名をつなぎ合わせた、「オマエノロイ」と言う意味深な作品タイトルからも察せられる通り、まるで、甘くて美味しそうなショート・ケーキに無数の針が混入されているかの如き、ぐしゃ人間の作品群。その、サディスティックとも呼べる作風は、時に残酷ですらある少女の内面世界を偽る事なくさらけ出した、ある種、非常に勇気の要る行為であり、それらは、この表面重視の世にあって、極めて有意義な努力の成果であると言えよう。

<追記>なお、本作より、遺伝子組替こども会の“裏”嬢が、ベーシストとして参加している。


■バビロンズ「緋色の憎悪」(CD-R)¥300
P1010037XX55.jpg
①「拷問遊戯」②「ダミアン 教会へ行く」③「ソドムの復讐と服従の市」
今回より、ベースに元・ぐしゃ人間の、あやの嬢(改名→)常吉ダミ子嬢が参加しての初録音作品。基本的には前作の延長線上にある内容ではあるが、前作における、いくぶん繊細な音作りが、ヴォーカル&ギター担当、本バンドのリーダーである、コタ魔嬢の独特な声質や歌詞の内容を強烈にアピールせしめた作品であるとするならば、本作は、録音方法の違いも影響してはいるのだろうが、サウンド的にもロック・バンドとしてのパワーが増した感があり、ライヴ演奏においての迫力が伝わってくるかの、迫力ある仕上がりである。
また、②の「ダミアン 教会へ行く」は、他の作品とは異なり、コタ魔嬢の脳内世界と言うよりは、バビロンズと言うバンドのイメージを生かしたキャラクター・ソングとでも言うべき作風で、この窒息しそうなまでに壮絶な拷問歌集の中にあって、唯一、解放感を味わえる作品となっている。

なお、バビロンズは、本作にも参加のオリジナル・ドラマー、おかしのくにのあかね嬢の脱退を期に、バンド名を「マグダラ呪念」と変更して活動を続けて行く模様。個人的には、本メンバーでの最後のライヴにおいて、ラストに演奏された、その名も「冥土への階段」なる、怨念の般若心経とでも呼ぶのが相応しいかの長尺の楽曲が収録されると言う、本格的な初アルバムとなる次回作が、今から楽しみである。


★上記2作品は共に、当店及び各バンドのライヴ会場他にて、絶賛販売中!!

★以下、補足記事もご覧下サイませ。
「自己を偽らざる者」
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