Mr.エレクトの独り言 2007年07月10日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

「死刑の是非」①

一般に、「人を殺してはいけない」・・・と言う。

しかし、「殺人を犯した人間は死刑に処すべき」・・・すなわち、「殺して良い」・・・とも言う。

これでは、「人を殺してはいけない」とは言うものの、「人を殺してはいけないと言う約束事を破った人間は殺しても良い」と言う事になり、テコトは、何が何でも「人を殺してはいけない」のではないと言う事にもなる。

つまり、「時と場合によっては、人を殺しても良い」・・・と言う事なのだろう。

ただしそれは、たいてい、何の罪もない人間を殺した場合に限られており、何かしらの理由があった場合は、裁判で細かく争われたりもするらしい・・・。

要するに、「人を殺してはいけない」のではなく、「何の罪もない人間を殺しはいけない」と言うルールが存在すると言う事なのだ。

・・・とは言え、「殺す気があって殺した場合」、「殺す気はなかったが殺してしまった場合」、「殺してしまう可能性のある行為をしたために殺してしまった場合」・・・等々、「人が死んだ」事には変りないが、あくまでも、ある行為の結果として、「人を殺してしまった」・・・と言うケースも充分あり得る。

例えば、酔払い運転をして、人を轢き殺した場合、それは、「酔っ払って運転した罪」なのか、「人を轢き殺した罪」なのか、それとも、「酔っ払い運転をして、人を轢き殺した罪」なのか・・・。

まっ、法律はどうだか知らないが、「酔っ払い運転」・・・すなわち、酒を飲んで車を運転する事自体が、「人を殺す可能性のある行為をした」と言う事であるからして、どう少なく見積もっても、「殺人未遂」に値すると判断されるべきであろう。

何せ、殺される側は、殺した側に殺意があろうがなかろうが、結果としては死んでしまうのであるからして・・・。

だが、我が国では、あだ討ちや復讐を認めていない。

ゆえに、たとえ、殺された人間の身内である遺族がいくら泣き叫ぼうが、殺された人間とは無関係な世間の野次馬がいくら腹を立てようが、「人が殺された」と言う現実よりも、「人を殺した人間」が、いかなる状況及び精神状態で、どの様な動機の元に犯行を行ったのか?と言う事の方を重要視・・・すなわち、あくまでも国家の定めた法律に照らし合わる事によってのみ、刑が確定されるに過ぎない。

ましてや、死人に口無し・・・。殺された人間の気持ちや思い、怨みつらみ悔しさ無念さなど、事務的に推し量られるのみで、実際の感情や意見は、ほとんど顧みられる事などない。

いくらなんでも、これでは片手落ち。殺人犯の証言だけでなく、殺された方の言い分も取り入れるべきではなかろうか?

そこで、私は提言する。将来、殺された時に備え、生きているうちに遺言・・・と言うか、裁判に提出する資料を作成しておくべきではないか?・・・と。

いくつか、例を挙げよう。

「友人の○○に殺された時は、○月○日の出来事を根にもっての事である」、「妻の○○に殺された時は、さんざん苦労かけた私に責任があるから、出来るだけ情状酌量してくれ」、「酔っ払い運転の車に轢かれた時は、運転してた人間は絶対に許さない」、あるいはその逆に、「故意ではなく、あくまでも過失によって轢き殺された時は、運転手の罪を軽減してやってくれ」・・・等々。

そんな風に、事前に用意した文章を、きちんと保管しておきさえすれば、死んだ後にも、自分の意見がいくらかは裁判に取り入れてもらえるはずだ。

よって、皆様におかれても、是非、万全な準備を怠らない様、ご忠告申し上げたい。

そうしておけば、いつ殺されても、安心して死ねるのではなかろうか・・・。(^^)

(つづく)