外藤(仮名)だって、元いぢめられっ子だ。
あしたのジョーだって、孤児院~少年院出だ。
ダムド家三兄弟だって、どん底からスタートすれば良い。
彼らは、まだ若いんだから、そんな再起のストーリーがあっても良いし、それを応援したって別に構わないぢゃないか。
まあ、あっしには、まったく興味の無い事でやんすが・・・。
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やっと、風邪、治りマシタ・・・。
外藤(仮名)が、ダメダ家の次男坊に勝った理由は、外藤の方がダメダ家の次男坊より強かったからに過ぎない。
結果的に勝利したと言う事実と、外藤がスポーツマン・シップに則って、フェアに闘った事とは、まったく無関係ではないが、別問題である。
アンフェアに闘って勝てば批判されるが、フェアに闘ったとしても、負けてしまえば大して誉められない。
・・・とは言え、アンフェアに闘う事自体が、勝ち負けに関わらず、あってはならない事なのであり・・・。
フェアに闘うと言う事は、極当たり前に当然な行いであり、対戦相手がアンフェアだった時のみ、両者を対比する事によって評価の対象として注目されこそするが、最終的には勝敗のみが評価を左右する訳である。
トナルト、ダメダ家の次男坊、及びダメダおやぢ、ひいてはダメダ家や某テレビ局がどうあれ・・・。
やはり、外藤は、勝ったからこそ、偉く、素晴らしい。・・・と言う評価になるのであろう。
とまあ、そんな事はどうでも良いとして・・・。
さあて、テレビ局の皆様、今度は外藤を利用してバンバン儲けなきゃネ!!
他者を蹴落として自己を成り立たせるのが競争。
他者を否定して自己を成り立たせるのも同様。
他者を肯定しても自己が成り立っているのが理想。
やべえ!!風邪が再発しそう!!と言うか、まだ本格的に爆発してないだけだったのかも・・・。
ところで、ヒトと言うのは、他人の光り輝いている部分のみを見て、妬んだり憧れたりするものである。
そのくせ、その影に隠れた、泥にまみれた汗にまみれた傷にまみれた部分を、受け入れる覚悟さえ無ければ、見ようとすらしない。
完全受動型嫉妬システム。
・・・とは言え、現実には、そう言う下衆で下品な人間がたくさん居るお陰で、極一部の人間が光り輝いて見えるだけの事なのであるが・・・。
<作者(禁ちゃん)からのお知らせ>
前回のラストにおいて、連載が終了するとの記述をイタシマシタのでキュウが、あれは悪い冗談でありマシタ。
ククク・・・。
あれで終ると思ったでキュウか?否。あんな結末、許せるでキュウか?
現実はそんなに甘くないでキュウ。ましてや、作り話でさえ、あんな美味しい未来なんぞ、とても有り得ないんでキュウ!!
しかも、何の取り得も無いどころか、苦しい事など何一つ、耐える事や努力する事さえしようとしない、のひ太の野郎に幸せな日々が訪れるはずなど、未来永劫、それこそイチマンコウ年分の一の確率を持ってしても無いんでキュウ!!
いくら世間の一般常識人の方々が許そうが、ワタクシは絶対に許せないでキュウ。主人公であるドラへもんへの破壊行為のみならず、作者であるこの私への冒涜。これらは決して許されざる罪・・・。
前回のストーリーは、ただ単に、作者であるこのワタクシ、禁ちゃんの挑戦と言うか、“如何に読者の予想や期待を最大限に裏切るか”と言う、実験企画に過ぎなかったんでキュウ。
さぞやホッとしたでキュウ?
・・・残念デシタ!!
あるいは・・・、さぞやガッカリしたでキュウ?
・・・クックック・・・。あんさんも好きでキュウね~。
他人の不幸は蜜の味・・・。
のひ太には、これから先も、もっともっと破滅の淵へ、そして奈落のどん底へと転がり堕ちてもらわにゃあ、ワタクシの気が済まないんでキュウ。
ククク・・・。
クックックック・・・。
クカカカカカカ!!
のひ太の野郎、見てるが良いでキュウ。
地獄の底で、後悔の念に暮れ、悔恨の情に気が狂うが良いでキュウ。
・・・もっとも、その時には、既に手遅れでキュウが・・・。
自分の犯した罪は、身をもって、そして、死をもって償うしか無いのでキュウ。
連載は、あと136回続きマス・・・。
悪夢の幕は、まだ下りないのでキュウ・・・。
(つづく)
★わ~い!!連載続行、嬉しいな~っと!!もちろん、格差社会小説「ピリ辛社員タバスケくん」など、金輪際、始まりマセンよ~!!(作者)
実は風邪を引いておりマシタが、暖かくして、額に冷湿布みたいなものを貼り、とにかく睡眠を取ってたら、まあ治りマシタわ。
ところで、たまに逢う人から「太ったね~」と言われ、色々喋ってたら、更に、「チミは糖尿病の素質がある」とも・・・。
わ~い!!誉められた!!嬉しい!!
・・・て、やべ~!!
なにくそ!!強い者に媚を売り、弱い者に牙を剥く、あの豚野郎より早く死んでたまるけえ!!
おっ?・・・テコトは、憎しみは長寿の秘訣か?
話変わって・・・。
予定調和の娯楽なんか要らねえ!!客の立場であるこちとらまで部品のひとつにさせられる様で、とても耐えられねえ!!
何かが起こる瞬間が観たい。
何かが変る瞬間が観たい。
何かが生まれる瞬間が観たい。
生きてるって、そう言う事ぢゃないの?
無駄に元気?
あ~あ・・・。
さてと、自宅の契約更新が迫ってるから、さっさと仕事しなくちゃ・・・。
<あとがき>
まあ、最大限、良い方に解釈すれば、せっかく配った広報用マガジンを捨てて帰ったり、リサイクルのコップをちゃんとカウンターに返さない、あるいは使い捨てコップをきちんとゴミ箱に捨てない、そんなマナーの悪い客に対し、店側、あるいはその店員個人が、常日頃から腹立たしく思ってるゆえの行動なのかな?・・・とも思ったり。
それにしても、やはり、気が早過ぎると思うし、一度は配布したマガジンを、そこらに置いてあるからと言って、しかも今回はテーブルの上なのに、所有者に断りもなく、こっそり取り返すってのは、どうかと思うケドね・・・。
20年以上前から、日本のパンク・ロックの普及に多大な貢献をして来た、あの店も、今やパンク・ロッカーならぬパンツ・ロッカーの店になってしまったのかも・・・。
そのこころは?
「大事なイチモツは、パンツの中か、コイン・ロッカーにしまっておけ!! 」
・・・ってね。
(おわり)
<更に追記>
Mixi内に、当時の渋谷屋○裏のコミュがあり、そこに書いてある内容を読めば、ライヴハウスの店員と出演するミュージシャンは運命共同体と言うか、双方が客を集める事に対して必死だったと言う事が良く解りマス。
しかし、ノルマ制なるものが発明されてから、客集めは、本来、“素晴らしい音楽を作り、演奏する事”こそが目的であるはずの、ミュージシャン側の仕事となりマシタ。
他にも理由は色々あるでしょうが、大きな元凶は、間違いなく、そこにありマス。
ミュージシャン自身が出演するライヴハウスを選ぶのは当然デスが、客にも、その店の営業方針を踏まえた上で、観に行くライヴハウスを選んでもらいたいものデス。(まあ無理な話でしょうが・・・。)
自分が本当にやりたい事をするよりも、多くの人を喜ばせる事を優先したい人は別として、音楽を作ったり演奏する側の人間は、出来る限り経済活動(=集金及び集客活動含む)とは無縁でいられる様にしないと駄目だと、私は常々考えておりマス。
そもそも、ライヴハウス(及びレコード会社)は、その手助けをするためにこそ、あるべき立場なのデス。
アマチュア・ミュージシャンの殆どが(・・・下手したらプロと言われている人達も)、音楽活動とは別に、仕事なりバイトなりをして、何とかスタジオ代やライヴハウス出演代を捻出していると言うのに、ライヴハウス側が、ミュージシャン側の負担を少しでも減らすための経済活動・・・すなわち他から金を徴収する努力を怠るとは何事か!!
出演者あってこそのライヴハウス。ミュージシャンあってこそのレコード会社。誰一人出演しないライヴハウスに来る客が何処に居る!!
(おしまい)
<第五部>
・・・と、2つある丸テーブル上の空きコップや何かを、そそくさと持ち去る謎の男。
やっぱ店員が片付けてたのか!!
ところが、私が置いたマガジンには手を付けず。・・・おそらく、後方からずっと監視してて、それが私の置いたものである事を確認してたのかね。
しかし、何ちゅうか、まだバンドの演奏の途中だし、ドリンクを飲み干した後の使用済みコップならまだしも、机の上に置いてある訳だから、捨てた訳でも所有権を放棄した訳でも無いのに、何故、片付けるかね?
混んでて、置きっぱなしにすると他の誰かが迷惑する様な状態ならともかく・・・。
しかも、バンドの演奏中に、こっそりと・・・。
仮に、そのバンドの演奏が終っても、そのまま置きっぱなしにされている様だったら、まだしも・・・。
見切りが、あまりにも早すぎる!!
それに、マガジンとかフライヤーに混ざって、記念に取って置くかも知れない今日のライヴ入場チケットの半券だとか、ましてや、そこで出会った人のメール・アドレスだとかを記したメモだとかの、その人にとっては重要かつ大切なものを挟んでる場合だって、充分在り得るのに!!
プライバシーも糞も、テーブルを使用する権利さえ無い!?
・・・とは言え、仮に盗まれても良い程度のものだからこそ、肌身離さず持ち歩く事もせず、テーブルの上に置いてトイレに行った自分にも責任はあるんだろうけど・・・。
だって、他の客には無用なものだし、一度は店側が配布(譲渡)したものを、まさか店の従業員が持っていっちゃうとは思ってもみなかったもの・・・。
勝手に片付けられたくなかったら、ちゃんとコイン・ロッカーに入れとけってか!?
くちゃくちゃに丸めた紙だとか、見栄えの悪い物体なら別だけど、何でそんなにさっさと片付ける必要があるのか・・・。
もしや、丸テーブルの上は神聖な場所なのか?
そうこうしている内に、目当てのバンドの演奏も終了。さて帰るか・・・と、腰を上げ、出口に向かう私。
・・・でも待てよ。後でぐちぐち愚痴をこぼしても気は晴れないし、何だかフェアぢゃない様な気もするし・・・、更には、このままだと、ここに限らず、またいつか何処かで、こんな気分を味合わされるかも知れないし・・・と思い直し、ドリンク・バーに居た店員に、きちんと不満を述べる。
クレームってのは、「もう来ない!!」からではなく、「また来たい」からこそする訳で・・・。
今更、弁解する訳ではありマセンが、決して嫌いな店では無いんデスよ!!移転前は良く通ったし・・・。焼きカレーも辛くて美味かったし。
ただね~・・・。
「何でもかんでも管理し過ぎ!!」
・・・あ~あ、しかし、そう言いながらも、この日は、ビールだフードだと、この店に結構お金落として(使って)来たな~。
(あとがきにつづく)
(前回の続き)
・・・ズボンのチャックを下ろした、その時!!
<第四部>
「しまった~!!」
・・・もう少し早く始まって早く終ると思ってたから、店に戻った後でいいやと思って、ヤフオクに入札してなかった~!!
・・・と、そんな事を考えながらも、あれ?しかし飲んでは出して飲んでは出して・・・テコトは、飲んだビールが、身体には殆ど吸収されず、上から下へ直通?・・・とまあ、それには事情があるのだが、それはこの際、置いといて・・・。
手を洗い、観客フロアへ戻ると・・・。
「な・・・無い!!」
丸テーブルに置いておいたはずの広報用マガジン及びフライヤー(以降:マガジンと表記)が無い!!
誰が一体!?・・・って、観客は皆、入り口で受け取ってるはずだから不要なはずだし、もしや店員が片付けたのか?・・・しかし、たった1分か2分・・・長く見積もっても3分もしないうちに・・・。
ええ~!!ほんのちょっと置いといただけだし、突然段ボールのインタビューが載ってたから、後で明るい所でぢっくり読もうと思ってたのに~!!
流石に頭に来たので、わざわざ入り口に戻り、再びマガジンをもらう私。
そして再び、バー・カウンターに避難し、ふてくされていると、やっと目当てのバンドの演奏が始まる様子・・・。
そこで、観客フロアに戻り、またもビールを注文。しばらくは立って観ていたが、あまりの客の少なさに、再び後段に座って鑑賞する事に。しかも、先程、マガジンを盗まれた?(片付けられた?)怒りから、意図的に曲間の静かな時を見計らい、これ見よがしに、マガジンを丸テーブルにバシンと叩き付ける様にして置く、イヤミな私。
すると、同バンドの何曲目かの演奏の途中、私の脇をかすめて丸テーブルに近づく人影が!!
その一瞬、私に緊張が走った!!
(つづく)
<第三部>
ところで、この店に来た事のある方はご存知だと思われるが、演奏フロア内の構図を簡単に説明すると、ステージの前方に観客フロア、後方がミキサー卓等のスペース、その脇にトイレへの入り口、そしてドリンク・カウンターとなっている。
また、細かく言えば、実際には観客フロアの右方に、ステージを斜めから観る形で丸テーブル席フロアがあり、そこからバー・フロアへ移動する際の入り口付近に、たくさんのコイン・ロッカーが立ち並ぶスペースが。
更に、ステージ前方の観客フロアは、左端の壁側にソファーやら何やらがあり、全体的には後方に向かうに従い、後の方からでもステージが観られる様、段々になっており、前方フロアと中段フロアの境に鉄の柵、中段フロアに丸テーブル二つ(満員の時には置いてないはず)、そして最後にもう一段上がって後段フロア・・・となっている。
私は、その中段フロアと後段フロアとの段差を椅子代わりにして腰掛け、またもやビールを飲みつつ、入店時にもらった同店広報用マガジンやフライヤー類などをパラパラと眺めていた。
しかし、ビールも切れ、今演奏しているバンドも、あまり好みでは無いため、目の前にある丸テーブルにマガジン及び同誌に挟んだフライヤーの束を置き、ドリンク・カウンターにコップを戻すと、ちょいとトイレへ。(←トイレばっか行ってるが、ビールを飲むと、超近くなっちゃうの!!)
ちなみに、ここで使われているドリンクのコップ(プラスチック・カップ)は、大入り満員の混雑時や終演近く(←飲みながら持ち帰られるのを防ぐため?)を除き、リサイクル使用されているゆえ、飲んだらカウンターに戻して欲しいと、そばに設置してあるポップだか何かに書いてあるのだ。
地球の資源を大事にする店。・・・でも、実は店側にとっても、使い捨てのプラ・コップや紙コップより、リサイクルした方が、経済的に得なんだよね~・・・などとイヤミを呟きつつ、トイレに入り、小便器前に立ち、ズボンのチャックを下ろした、その時!!
(つづく)
<第二部>
そこで、とりあえず様子見も兼ねて、演奏フロアにあるトイレに・・・。
やはり、先のバンドの演奏は、もう終わった様だ。
戻って来ると、丁度、店員が料理を運んで来て、料理待ちの番号札を立ててある、私がさっきまで座っていた席の前で待っていた。
「あっ、どうもどうも!!」と、料理をテーブルに置いてもらい、さあ大急ぎで食べ始める。
丁度、シングル盤よりちょっと小さいサイズの器に入った焼きカレー。暗くて良く見えないが、ところどころに大きな物体が乗っかってるので、ああ、家庭で作るカレー風な、ニンジンの大切りかと、至極納得。
もうあまり時間が無いので、さっさと喰いたい所ではあるのだが、熱いし辛いゆえ、ビールを飲みのみ、しばし格闘する。
しかし、何だかスプーンにビローンとからみつく糸?・・・おそらくチーズか。そして、ニンジンらしき大きな物体を口に入れると、何だが特徴のある味。・・・好き嫌いの少ない子供でも、嫌いな食べ物の1つにあげるニンジンを、しかも大粒で3個も4個も放り込むとは、何かの嫌がらせか?・・・と、文句を垂れつつも、塊の一部に水分を多く含んだ箇所がある事に気づき、ああ、何だ、これってトマトか!!・・・と、やっと自分が今、食べているものの全容が解明された。
ああ、事前に肉が入ってるかどうか聞いといて良かった~。もし知らなかったら、原材料不明な慣れない料理、しかも、この暗がりぢゃあ、カレーの味付けが強すぎて、味覚や視覚で肉を判断しつつ、スプーンでよけていきながら最後まで食べきるのは至難の業だった事だろう・・・。
それぢゃまるで、焼きカレーぢゃなく、闇カレーだっちゅうの!!
でも、そう考えると、えらい待たされたけど、割と本格的な調理方法が施されてるのかもな~。
・・・と、怒ったり感心したりしつつ、完食。よしよし。次のバンドの演奏開始に、余裕で間に合った。
さて、ビールでも飲みながら、ゆったり観戦と行きマスか・・・。
すると、何だか様子がおかしい。
どうやら、時間がかなり押してるらしく、これまた別のバンドでした!!
(つづく)
メロスは帰って来なかった・・・。
“弱さ”と“ズルさ”が手を組むと、ロクな事にはならない。
“弱い”事自体は悪くないが、そこには“潔(いさぎよ)さ”が伴わなければ・・・。
<第一部>
某月某日。知り合いがやっているバンドのライヴに招待され、割と近所にある某ライヴハウスへと、仕事の合間に店を抜け出し、ちょちょいと行って参りマシタ。
しかし、そこで私は、未だかつてライヴハウスでは体験した事のない、超不快な出来事に遭遇するのでありマス・・・。
さて、知人のバンドの出演時間は、21時過ぎと言う事なので、20時30分くらいに某ライヴハウスに到着。入り口で同店作成の広報用マガジン?やらフライヤーの束を受取り、店内へ・・・。
すると、客はまばら。2~30人程度でしょうか?フロアが広いだけに寂しさもひとしおでありマス。仕方無く、時間潰しにドリンク・カウンターにてビールを注文。ポケットに潜ませた、とある物体をツマミに、一人寂しく、ぐびぐび飲っておりマシタ。
しかし、あまりにつまらない・・・もとい、好みでないバンドの演奏に耐え切れなくなったため、私は演奏フロアを脱出し、ドリンク&フード・カウンターのあるバー・フロア?に移動。今、演奏してるバンドが、あと2~30分は続くだろうと思い、帰りにどっかで食べようと思っていた夕飯を、ここで済ませる事に・・・。
そして、フード・カウンターにてメニューを見ると、なんだか食べ慣れない品ばかり・・・。いつぞや、オムそばを食べた気がするが、見当たらない。やむを得ず、焼きカレーなる、料理の内容に、だいたい見当が付くメニューを注文。もちろん、私は肉が嫌いなので、「これって、肉入ってマスか?」と、事前調査をした上で。・・・ところで、こう言った質問をすると、店の人って必ず、申し訳無さそうに「肉は入ってないんデスよ~(ゴメンナサイ~!!)」と答えるのだが、私にとって、それは逆に、もはや神の御言葉に近い、有り難~い返答なのであった・・・。
さて、またビールを注文し、料理の出来上がりを待つ。
待つ。
待つ・・・。
待つ・・・・・。
その間にも、時間は10分、15分と過ぎて行く・・・。
バンドの演奏が1曲終わる毎に、焦りがつのる。
おいおい、そろそろ目当てのバンドが始まっちゃうよ~!!どうせ、ある程度出来上がった素材をチンするか盛り付けるだけぢゃないの~!?
そのうちついに、とある曲が終ってからのブランクが長い瞬間が訪れる。
やべえ!!終っちゃったよ。今、料理が運ばれて来たとして、バンド交代のセッティング中に大急ぎで喰わにゃあ!!
・・・と、私の焦りは最大限に・・・。
(つづく)
★上記は、過去に某所で発表した文章に手を加えたものデス。
過去ログに、チケット画像等を、たくさん追加イタシマシタ!!
ボクは、悶々としながらも、チャンスを待っていた。
・・・と、ある日、放課後の教室にシズコちゃんが一人と言う、またとないシチュエイションに出くわした。
チャンス到来!!
ボクは、シズコちゃんに近づき、おもむろに話しかけた。
のひ太「あ、あの~。シズコちゃん。こんな事言うのは、とっても恥ずかしいんだけど、ボクと付き合ってくれないか。」
シズコ「ええ、いいわよ。私も、のひ太サンの事、憎からず思ってたんだもの。」
のひ太「ホント!!・・・良かった~・・・。」
シズコ「何よ、大袈裟に。変な、のひ太サン。」
のひ太「テヘヘ・・・。」
それから、20年近くの時が流れた・・・。
ボクたちは、時にケンカしたり仲直りしたりを繰り返しながらも交際を続け、ボクの大学卒業を待って結婚する事となった。
・・・実は、正直に言うと、デキちゃった婚なんだよね~。
でも、そのお陰で、孫の顔見たさもあってか、ボクたちの結婚を祝いに、出て行ってしまったママも、家に戻って来てくれたんだ。
そして、その一年後、シズコちゃんに似た、とっても可愛い女の子が生まれた。
娘はすくすくと育ち、去年、小学校に入学したばかり。
ところで、ボクの務めてる会社は、忙しいにも関わらず安月給。だから、妻のシズコは、近所のコンビニエンス・ストアでバイト。でも、共働きだからって、一人っ子の娘に寂しい思いだけはさせたくないから、ボクはどんなに仕事から疲れて帰って来ても、出来るだけ娘と会話をする様にしてるんだ。
ああ、考えてみれば、ボクの人生、そう悪くはなかった。
妻のシズコと出会うまでは、ヒキコモリや家庭崩壊、色んな事があったけど・・・。
そうそう、ドラへもんなんて、ロボットの家庭教師も居たっけ。あいつのせいで、ボクの人生はめちゃくちゃになりかけたけど、いや~、ホント、生きてて良かった。
これからは、この家族の笑顔が、ボクの生き甲斐だ。
さあ、明日もがんばるぞ~!!
(完)
★作者からのお知らせ★
禁未来小説「ドラへもん」は、今回で終了イタシマス。長い間、ご愛読頂き、誠にありがとうゴザイマシタ。
m(_)m
次回からは、格差社会小説「ピリ辛社員タバスケくん」が始まりマスので、何卒、ヨロシクお願いイタシマス。
(^^)/
首吊りテープとは?・・・GAKIちゃん氏主宰、岐阜県のノイズ系インディーズレーベルである。
★死体人形「1986~2007」(CD)¥1050

キリヒト氏を中心人物とし、’85年より活動を開始した、ハードコア・パンク~ノイズ・ユニット。タイトルにある通り、1986年より各種フォーマットにて発表された音源+2007年の新録音による、ベスト・セレクション集となっている。ただし、演奏形態も宅録~バンド形態と様々であり、また、楽曲を年代順に並べただけのものではなく、曲順にも工夫が凝らされているため、全編を通して飽きる事無く、非常に聴き応えのある内容となっている。
★SOLMANIA「LIVE-BIG RIG」(CD)¥2700

大野雅彦、菅原克巳(元OUTO、CITY INDIAN、他)による、大阪の轟音ギター・デュオ、「ソルマニア」。これは、’97~’99年のライヴ音源集。
★THE HATERS「NIKUMU 2007」(CD)¥2300

1970代後半より活動している米国アーティスト、GX Jupitter-Larsenによる、ノイズ・プロジェクト。全4曲/約60分収録の、強烈なハーシュ・ノイズ作品。首吊りテープでは、他にも、海外のノイズ作品を多数リリースしている。
■以上3点は、当店でも取り扱い中!!
金の成る木に群がって
価値(勝ち)が無くなりゃ・・・。
↓やっとデケタ!!思い入れが強い事柄に対して何か書くと言うのは、とても労力が要るものなのでガス・・・。(^^;)

上の画像は、1983年5月19日、WOODY STREETにて行われた、“ストリッパー”(レコードも出している京都のストリッパーとは同名異バンド)のライヴ告知フライヤー。おそらく、5月8日に同所で行われた「広島RockersⅡ」にて受け取ったものと思われる。
そして秋。1983年9月24日、やはりWOODY STREETで行われる“ストリッパー”のライヴの前座に、後藤氏のやっているバンド、“エクスクレイト”が出演すると言う。「観に行こうで~」と、ヤブキに誘われた著者は、二つ返事で同意。この日、“自我”の前身である“エクスクレイト”のライヴを初めて観る事となった。
ところで、改めて考えてみると、ストリッパーと言うバンドは、この時代に既にワンマン・ライヴを何度かやっているのだろうから、かなり活発に活動していたんだなと思い知らされる。確か、ずいぶん後に東京の新宿LOFTにも出演しているはずだ。また、フライヤーに使われている写真からも想像出来る通り、ヴォーカリストがギターも弾くと言う、いわゆる、ザ・クラッシュ~ハートブレイカーズ~ザ・モッズ辺りの音楽性だったものと思われる。(著者は、同バンドを3度も観てるはずなのに、全然覚えて無いのであった・・・。)
さて、肝心のエクスクレイトであるが、メンバーである後藤氏及びヴォーカルの瀬川氏に対しての著者の印象はと言えば、彼らは、とにかくスリムでスタイリッシュで、この日もそうだったかは25年近くも前の出来事ゆえ定かではないが、革ジャンにブラック・ジーンズと言った当時のUKハードコア・パンク風なファッションが、実にサマになっていた事が思い起こされる・・・。
そして、いよいよライヴが始まった。音源が残ってないので、あくまでも断片的なメモと記憶から説明するしかないのだが、この日観たエクスクレイトの音楽は、まごうかたなきハードコア・パンクであり、しかも、全曲がオリジナル曲であった。半年前に観たGASは、まだスターリン等のコピーをやっていたゆえ(←ただし、この時期、既にオリジナル曲も演っていたかも知れないが・・・)、少なくとも著者にとってのエクスクレイトとは、広島で初めて観た、“オリジナル曲のみを演奏する”ハードコア・パンク・バンドと言う事になるのであった。
また、もう少し具体的かつ詳細に、その音楽性を解説するならば、楽曲のテンポはカムズほどの超性急なものではないが、チフスのソノシート音源をもっとハードにし、かつ初期ガーゼのポップさを少し抜いた、ひたすら前に突き進む様なサウンド、そして間奏にはシンプルな初期ディスチャージ風ギター・ソロ・・・テナトコであった。その辺りを、歴史的な面から見て考えれば、時期的には、ADKレコードから発売されたハードコア・パンク第二世代を集めたオムニバスEP「NEO PUNK DISORDERLY」収録バンド等の音に近いものだったのではないだろうかと推測される。
なお、自我の1stソノシートでは“AN”と表記されているヴォーカルの瀬川氏は、GASの狂平氏の様にドスの効いた迫力ある声ではなく、どちらかと言えば線の細い声質で、そのせいもあったのか、彼らにはジャパコア特有のバイオレンスチックな荒っぽさはなく、更に言えば、この時にはまだ演っていなかったが、同ソノシートに収録された楽曲からも伺いしれる通り、辛辣ながらも個人的な視点に立って書かれたニヒリスティックな歌詞のイメージとも相まって、スピーディかつ攻撃的なサウンドでありながらも、エクスクレイト(及び自我)は、どこかクールだったと言う印象が、筆者の記憶には強く残っている。
思うに、後藤氏は、どちらかと言えば純粋に音楽志向であったと言うか、パンク・ロックやハードコア・パンクの持つアティテュードやメンタリティよりも、むしろ、その刺激的で破壊的なサウンドにこそ、その魅力の本質を見出していたと言う事なのではないだろうか。その後の自我や、現在も活動中のBAREBONESの楽曲や演奏を見聞きする度、筆者には、そう思えてならないのである。
更に、実は、この日のライヴ前には、バンド名を“エクスクレイト”から“自我”に改名する事が既に決まっており、同時にベーシストも脱退すると言う事から、ライヴ終了後にヤブキが誘われ、同バンドに参加。よって、正確に言えば、この日から“自我”が活動を開始する事になるのであった。
(つづく)
あ~あ。クロカ○のオッサンも死んだか・・・。
ちキショウ!!
さて、前回は、「“想像力の無さ”が、いぢめ、更には、いぢめの連鎖を引き起こす原因である」・・・との仮説を述べたが、今回は、その理由について・・・。
そもそも、世間一般には、「想像力を養おう」などと言う理想論が謳われてはいるが、元から無いものが育つはずなどない。
・・・と言うか、想像力とは、必要に応ぢて芽生えるものであるが、しかしまた、時間に余裕が無ければ芽生えないものでもあると言う、ある種、生育環境を整える事が非常に難しい動植物みたいなものなのである。
例えば、玩具なりゲームを買うお金が無ければ、金のかからぬ遊びを考えるなり、自分で玩具を作るなりと、何かしら工夫したりするものであるが、現代は、余程の貧困家庭でない限り、そこそこ玩具は買ってもらえるし、流行のゲームを持ってないと、それこそ置いてきぼりをくい、仲間外れにされて、いぢめの対象となってしまうため、自分で何かを生み出す必要など皆無だし、ましてや、そんな余裕などないのだ。
しかし、その逆に、いぢめられたり仲間外れにされてしまった者ほど、独りぼっちの孤独な時間を埋めるために、想像力や創造力が芽生え、養われる可能性が増すのだから、何とも皮肉なものである。
また、経済的に優位な立場や既得権益を牛耳る支配者層・・・すなわち飼い主が家畜に求めるのは、“想像力”などではなく、単に“労働力”でしかないのだから、まだ社会に出る前の子供の時分から、“いぢめの構造”を利用し、“孤独に対する恐怖”を煽って、子供達を争い競わせるって事は、生産性を上げるための“競争力”を養うには、非常に理に適った、上手いやり方なのである。
それに、想像力が豊かにでもなったら、子供や、その親達に、玩具やゲームを次から次へと買わせる事も出来なくなるからね。
要するに、子供達は、いぢめにも遭わず、受験勉強等の競争に打ち勝ち、一人前の社会人とやらになるために、日夜、戦々恐々としているのだ。
よって、むしろ想像力があったなら、この先の自分の人生を憂いて、無気力になるか、自殺でもしてしまう事だろう・・・。
ゆえに、その恐怖に耐え切れなくなった臆病者は、自分より弱い人間を見つけ・・・あるいは作り出して、そいつをいぢめる事によって不安を解消し、自分の立場を何とか守ろうとするのである。
本当は、競争に打ち勝つ事だけが幸せを獲得する方法でもなければ、幸福の形態は、いくらでもあると言うのに・・・。
ましてや、そうやって我慢し努力をし続けて、立派な大人とやらになった所で、その構造自体が変らない限り、失敗や油断から、競争に負けたりレールから脱落すれば、直接的に“いぢめ”られないまでも、間接的には“みぢめ”な思いを味合わされ続けるのである。
否!!年老いてから、そんな自分の運命を呪ってみても、後の祭りだ。
せいぜい、自分の子供、すなわち子孫に夢を託すのが関の山・・・。
だが、悲しいかな、家畜の子は家畜である。
どこかで誰かが、この不毛な連鎖、何者かによって仕組まれた“いぢめの構造”を断固として拒絶しない限り、いつまで経っても悲劇は終らないだろう。
(つづく)
次回は、金銭に代わる価値について・・・。
だいたい、ファンでもない人間が怒る必要なんてない。
まあ、怒る権利や自由はあるから、好き勝手に怒ってりゃ良いけど。
「お前は芸能人なんだから、全国あちこちで、本業と関係無い事聞かれても、へらへら笑って答えてりゃ良いんだ!!」・・・ってか?
仮にタレントなりアーティストが本業とは別の所で偉そうにしたとしても、本当のファンなら受け入れるべきではないのか?
それとも、「私はあんたのファンなんだから、へりくだって、いつでも笑顔で対応しなさいよ!!」・・・てか?
そもそもファンってのは、あるタレントなりアーティストに対して一方的に憧れるなり、敬い、応援する側の立場であって、その逆ではないはず。
「ファンを大事にするって事は、本業以外の場所においても、ファンに媚びへつらう事によって愛情や真心を尽くすって事なのだ」・・・とでも言うのか?
それって一体、どんなファンやねん!!それの、どこがファンやねん!!
人前に出て何かをする人間はすべて芸能人で、ファンは、そのともだち・・・否、雇い主、あるいはご主人様だってか?
・・・たく、偉そうに!!
“ファン様”かよ!?
あの程度の事でファンをやめるなら、もともとファンぢゃなかったって事。
こう言う時にこそ応援するのが、本当のファンでしょ?
え~。またも、世間様・・・ひいては当ブログにおきマシテも、あまり評判のよろしくない(気がする)、エ○カ様の話題でありマス。
私は、正直言って、あの幼い顔つきが、とりたてて好きな訳ではないし、ER○KAなる歌手の歌は、出だしの10秒聴いて聴くのをやめたし、実は、出演ドラマも映画も、一切観ておりマセン。(←それはそれで問題アリ!!・・・あっ!!でも、あの携帯電話CMの百変化は素晴らしいよね~。)
ただ、何と言うか、あの馬鹿正直さと糞真面目さが、人間として嫌いではないのデス。
また、実は偶然に、例の大失態の後の号泣インタビューを観る事も出来たのでありマスが、その年齢に似合わぬしっかりした考えを聞いていると、ああこれは、世間の老いた人達(←世間一般に大人と呼ばれている年齢だが、本質的には自立していない生き物)から、生意気と言われて嫌われても仕方ないと思うし、そのプロ意識に満ちた論理的な発言には、どこか矢沢○吉を思わせる、世間知らずな純粋さみたいなものを感ぢたのも事実でありマス。
そう言えば、ネット上で見たのだが、とあるテレビのトーク番組での、「まさに今、青春だもんね?」との質問に対しての返答の前置きが、「まあ、青春かどうかは解らないですけど・・・」との、何とも私好みの理屈っぽいもので、そこからは、いい加減な受け答えはしたくないと言う、潔癖かつ誠実な態度を垣間見る事が出来マシタ。
だからこそ、その様に、厳しいプロ意識を持ち、しかもそれを言葉で的確に説明出来る人が、何故あの日に限って、私的な感情を押し隠す事をせず、不機嫌な姿を晒け出してしまったのか?・・・と言う点が、不可解かつ残念でならないと同時に、我に返ってからの後悔及び自責の念に苛まれる姿を想像するに、私は、いたたまれない気分になるのである。
そして更に・・・。エ○カ様が、「泣いて同情を買おう」と言う俗っぽく姑息な考えの持ち主でない事は、インタビュー前半に語られた仕事に対する姿勢や考え方から、もはや明白であるのだが、ゆえに、後半の号泣に関しては、(自分に直接の被害が無いにも関わらず、過ちを犯した人間をひれ伏させて満足を得る、似非正義感を振りかざす野次馬のためにでは決して無く、)迷惑をかけてしまった映画関係者や所属事務所の人達、そして会場に詰めかけた(本人そして同映画の)ファンや全国のファンに対して、「今後の演技やパフォーマンス等、仕事で返して行きたい」との、謝罪の気持ちを体現した、誠意を示すための嘘泣きの芝居であるとみて間違いないであろう。
・・・ただし、仮にそうだとすれば、泣き始めるまでに10分もの沈黙があったのは、プロの女優としては、あまり誉められたものではないが・・・。
何にせよ、世の中を要領良く計算高く渡って行こうとする人間が多い中、ましてや人気商売の芸能界にあって、そのあまりにもな馬鹿正直さと糞真面目さゆえに、ついつい暴走してしまうエ○カ様の事が、男とか女とかではなく、ましてや女優だとか八百屋だとかではなく、一人の人間として、私は嫌いではない。
・・・否。むしろ、好き・・・と言うか、尊敬出来る存在でさえあるのだ。
おそらく、エ○カ様の、あの、ある種のツッパリ・ファッション(?)も、ただ年齢が若いだとか女の子であると言うだけで世間からアイドル(偶像)視されてしまう事に対しての、必死かつ真摯なレジスタンス(抵抗)なのではないだろうか。
いずれにせよ、罪を寛容せよと言うのでは決して無く、何事も、世間の噂や風潮を鵜呑みにせず、自分の眼で真偽を推し量る事こそが、最も肝要であろう。・・・と言う事を、私は言いたいのである。
ところで、皆様も、遠慮なんかせず、私の事を“エレクト様”・・・と呼んで差し支えなくってよ。(^^)
あくる朝。・・・既に、ママの姿は無かった。
二度目の出来事とは言え、この気持ちが君達に解るだろうか?・・・朝起きたら、いつも居るはずの家族が、忽然と姿を消しているのだ。
昨日まで、常に“あるはず”だったものが、いつまでもあると思ったら大間違いなのだ・・・。
「ふ~・・・。」
でも、ヤバかった・・・。昨日までの精神状態であれば、ボクはきっと、パパをどうにかしてしまっていただろう。
危ない危ない・・・。もう少しで、何もかも台無しにしてしまう所だったよ。
・・・とは言え、ママが出て行ってしまった事は、確かに悲しい出来事ではあったけど、その喪失感の無さ具合に、実は、ボク自身が一番驚いていた・・・。
そうさ・・・。どうせ、ママはボクの事なんか愛してなかったんだもの。居ても居なくても・・・。
それよりも、今は・・・・。そう、ボクは余計に、シズコちゃんに対する思慕と焦燥とを募らせ、頭の中は、その事でいっぱいだったんだ。
だって、だって、もうすぐ夏休みに入ってしまうんだよ。そうなったら、1ヶ月以上、シズコちゃんとは会えない訳だから、そしたら、その間にシズコちゃんが別の男子を好きになっちゃうかも知れないし、その逆に、他の男子がシズコちゃんに接近する事だって、充分在り得る!!
ボクは、あれこれと妄想を巡らせ、ありとあらゆるケースを想定しては、焦りと不安に追い立てられていた・・・。
そうだ!!シズコちゃんだって、少なくとも、ボクの事を嫌いぢゃないはず!!
だから、夏休みになる前に、夏休みになる前に、何とかボクの気持ちをシズコちゃんに伝えるんだ!!
・・・何としてでも!!
だけど、どうしよう?他の誰かには知られたくないし・・・。手紙でも渡そうか・・・。いや、手紙は証拠が残っちゃうし・・・。何か良い手は無いかしら・・・。
(つづく)
今回は、いつぞやの小学校襲撃殺人犯及び、「自分をほめてやりたい」と嘯いた根○敬似の親戚殺人犯等、厳罰に処される事も辞さぬ、・・・と言うか、自ら死刑執行を望む、ある種、自殺願望とも言える殺人を犯した者達について・・・。
自殺するなら、他人を道連れにせず、独りで勝手に死ねば良い・・・と言う、至極真っ当な意見は、ひとまず置いといて。・・・さて、彼らを死刑に処せば、すべては丸く収まるのだろうか?・・・と言う疑問が、私にはある。
もちろん、これら以外のすべての殺人事件においても、百歩譲って遺族は若干なりとも溜飲を下げる事が出来るかも知れないが、犯人を死刑に処した所で、死んだ人が生き返る事など未来永劫在り得ない訳なのであるからして、殺人が起きた後で犯人をどうこうした所で、後の祭りである事には変りないのではないか・・・と。
話を元に戻そう。まず初めに、彼らの様に、死刑を望む者を、その望み通り死刑に処してやると言うのは、あまりにも手前勝手過ぎる、ふざけた話ではなかろうか?・・・と言う点がひとつ。
・・・とは言え、先に述べた通り、死者は生き返らないし、遺族も死刑を望んでいるのであれば、それもまた良し・・・なのではあろうが・・・。
また、そもそも、被告が反省しているのかしていないのかと言う点に関しては、裁判で下される量刑に影響を与えはするが、刑期を終えれば、本当に反省していなくとも釈放せねばならないと言うシステム自体に、問題はないのだろうか?
すなわち、不可抗力で起こしてしまう事件を除き、犯人の自省の度合いの少なさ(あるいは、皆無さ)から、再犯の恐れや可能性があるにも関わらず、犯人を娑婆に出して良いものか?・・・と言う事である。
刑期とは、もちろん見せしめの意味合いも含んではいるのであろうが、犯した罪の種類や大きさ、及び世の中に与える影響、法律で定められた基準からではなく、各人それぞれの資質や人間性その他を踏まえ、「本当に反省するまでに必要な期間」から、算出すべきではないのだろうか。
・・・と言うのは、机上の空論と言うか、理想論に過ぎないと言う事も解っては居るのだが・・・。
ゆえに、明確な意志・・・と言うか、覚悟を持って殺人を犯した彼ら、死刑(自殺)志願者を反省させる事など不可能ゆえ、死刑に処すしかない・・・と言う理屈も、納得行かないではない。
だがしかし、そんな彼ら、更には、その逆に、犯した罪を後悔し反省しているにも関わらず死刑に処される殺人犯を、ただ殺してしまうのは、あまりにももったいないのではなかろうか?・・・と、私は考えるのである。
(つづく)
★次回、「死刑囚、または死刑制度の利用価値」について・・・。
デヘヘ・・・。ずいぶんサボってマスた。
近日中に再開イタシマス・・・。(^^;)

3/3、ついに出マシタな~!!しかも、2枚組で!!
(3ぶんの3とは、’70年代半ばに活動していた、後にフリクションやミラーズを結成するメンバーら在籍のグループ。)
買う予定のある方は、実際に手に取って、見て、聴いて、驚いて欲しいので、以下は読まない方が良いかもデス・・・。
まず、何と言っても、オリジナルLP(’75制作)の表ジャケットを変更せずに復刻してくれたのが嬉しいよね~。例のブートLPは、某サイトの画像(←あるいは、それを元にした違法複製CD-Rのジャケット)を無断引用してるから、バックの銀地が白地に、ピンクのバルーン(?)が赤くなってたもんね~。
更に、何と!!ディスク1の、オリジナルLP復刻盤には、同LPレコーディング時に録音されていた未収録曲が2曲も追加収録されてる~!!どうやら、一部のマスター・テープが現存してたみたいデスね~!!音質に関しても、あのブートは論外として、レコード直落しの音源も聴いた事あるけど、それに比しても、(マスター音源使用箇所に関して言えば)格段に音像が鮮明になっておりマス!!
しかし、何度聴いても、このオリジナルLPに収録されてる楽曲は、基本的にはハード・ロック然とした演奏であるにも関わらず、既にレック氏独特の歌詞と発声方法が確立されてて、まさしく「きかいのうた」(←収録曲)と言うタイトルが言い得て妙と言うか、叙情性を徹底的に排したフリクション特有のソリッドなサウンドの片鱗が随所に垣間見えておりマスな~。
そして、ディスク2。これが予想以上に音質良好な、レック、ヒゲ、ヒゴ、各氏3名にアンドウ氏を加えた、4人編成時におけるライヴ音源集で、官能的なアンサンブルを聴かせるミディアム・テンポの楽曲、リラックスした雰囲気の洋楽カバー、その他、プレ・フリクション期の貴重な演奏を、全14曲、たっぷり収録しておりマス。
更に更に!!・・・ああ、やっぱ、これは買った人だけの楽しみにとって置いた方が良さそうだから、詳しくは述べないけど、豪華ブックレットに掲載されてる写真や資料がスゴイわ~!!当時既に、こんな写真撮ってたとは、まさに衝撃Xでガス~!!
今でこそ、ロック・バンドやパンク・バンドってのは、“自称”を含め、掃いて捨てる程居るし、自主制作CDなんて、数え切れない程、リリースされてるけど、当時の状況を考えたら、3/3ってのは、サウンド作りを含め、その在り方自体が、かなり先鋭的だったと言うか、時代や状況に対する認識、そして自分達がやっている事に対する意識や自覚の度合いが非常に高かったって事の証でしょうかね~。
何にせよ、本作に詰め込まれた、過去の記録の数々は、偶然の産物などではなく、明確な意志に基づいた挑戦と試行錯誤との類い稀なる成果であると言って、差し支えないものでありマス。
貴方が、“今”を生きたいのであれば、現在のフリクション、あるいはチコ・ヒゲ氏、ヒゴ・ヒロシ氏らの新譜を聴くなりライヴを観に行けば良し。・・・だけど、もしも、“あの時代”に思いを馳せたいと考えるのであれば、このCD、間違いなく“買い”でしょう!!
否!!今聴いても、充分、カッコ良いけどね!!
エ○カ様。・・・私、好きデスよ。
だって、そばにいる訳ではないから、私は何の被害も受けてないし、損害を被ったつもりも毛頭ゴザイマセン。むしろ、「また、エ○カ様が何かやらかしたか!!」・・・と、いつも楽しませて頂いており、感謝の念で一杯デス。
あの舞台挨拶だって、損をしたのは本人と映画会社だけで、観客は、前もって“何かをもらえる”約束をしていた訳でも無いだろうし・・・。
それとも、笑顔なり感謝の言葉なり、確実に何かをもらえるつもりだったのかしら?
「わざわざ観に来てやったのに!!」・・・って。
そう言えば、昔、立川談志師匠が申しておりマシタな~。「客が居るから俺が居るんぢゃない。俺が居るから客が居るんだ」・・・と。
しかし、偉そうな態度って言ってたけど、どっちかって言うと、悲しそうだったね~。真面目に言えば(←いや、最初から真面目に言ってるが・・・)、それなら体調悪いからとでも言い訳して、客の前に出ない方が良かったね~。
芸も無いくせに、観客に媚売って機嫌ばっか取り繕う、単なる“有名人”や“人気者”ぢゃないって事は解ってるけどさ。
う~ん、でもやっぱ、営業スマイル見せられるよりは、貴重なシーンが観れたって、私なら得した気分になるけどね。
元より、「自分を喜ばせて欲しい」なんて思ってないし。
・・・てのは、ひねくれた考え方かな?
まっ、とにかく、しょせん、“本来の仕事の現場”以外での営業活動だからね。
それが面白くなけりゃあ、見なければ済むだけの話。
・・・とは言え、ファンとしては、あんな悲しそうな素の姿を晒すよりは、もっと偉そうに・・・ちゅうか、好き勝手に、本当に楽しそうにやって欲しかったって所かな。
はみ出す事の恐怖。置いてきぼりの恐怖。仲間外れの恐怖。落ちこぼれる恐怖・・・。
いぢめをする人間は、実は、それらに脅かされている場合が多い。
よって、自分より格下だと思える人間を探し出す事、あるいは作り出す事で、その恐怖から逃れようと必死なのだ。
なんせ、勉強やスポーツと言った、まっとうな方法で優越感を得られないのだから、ダーティーかつダークな方面で力を発揮するしかないのである。
ゆえに、彼らもまた、追い詰められており、競争に駆り立てられている子羊に過ぎない。ただ、腕力や気の強さには、少々自信があったってだけの事だろう。
人より劣る事は恥ずかしい事。皆と違う事は恥ずかしい事。流行に遅れる事は恥ずかしい事・・・。
彼らは、自分が、いぢめられる側になるのを怖れ、常にビクビクしてるのだ。
自分が、いぢめる側に回る事でしか、その不安を解消出来ないのだ。
他に選択肢など無いと、“思える”・・・のだ。
他に選択肢は、いくらでも“あるのに”・・・だ。
視野が狭く、卑小で臆病な自分のこころから、ただただ目をそらし続けているだけなのだ。
すべては、想像力の無さに、起因する・・・。
(つづく)