いぢめをする人間は、実は、それらに脅かされている場合が多い。
よって、自分より格下だと思える人間を探し出す事、あるいは作り出す事で、その恐怖から逃れようと必死なのだ。
なんせ、勉強やスポーツと言った、まっとうな方法で優越感を得られないのだから、ダーティーかつダークな方面で力を発揮するしかないのである。
ゆえに、彼らもまた、追い詰められており、競争に駆り立てられている子羊に過ぎない。ただ、腕力や気の強さには、少々自信があったってだけの事だろう。
人より劣る事は恥ずかしい事。皆と違う事は恥ずかしい事。流行に遅れる事は恥ずかしい事・・・。
彼らは、自分が、いぢめられる側になるのを怖れ、常にビクビクしてるのだ。
自分が、いぢめる側に回る事でしか、その不安を解消出来ないのだ。
他に選択肢など無いと、“思える”・・・のだ。
他に選択肢は、いくらでも“あるのに”・・・だ。
視野が狭く、卑小で臆病な自分のこころから、ただただ目をそらし続けているだけなのだ。
すべては、想像力の無さに、起因する・・・。
(つづく)
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