Mr.エレクトの独り言 2008年02月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

偏食主義者の独り言

しかし何と言うのか・・・。

これが健康ってやつか~。

何だか、こんな気持ち、すっかり忘れてたYO。

ぐっすん・・・。(:。;)

健康になると、集中力も増すし、何て言うか、気力も体力も安定するんだね~。

いくら徹夜で仕事してても平気だし。

これを、ヒコマロ風に言うなれば・・・

「七味唐辛子は、自然が生んだ天然の覚せい剤や~!!」

・・・テトコかな。

流石に、アヘンが含まれてるだけの事はありマスな~。

しかし、良く考えてみれば、嫌いな食べ物を一切喰わずに健康を手に入れたのだから、これはなかなか男らしい生き様なのではなかろうか。(←ね~よ!!)

思えば、偏食人生数十年・・・。

世間の偏見の目や迫害を受けながらも、今日まで頑張って参りマシタ。

「なんて頑固な奴だ!!」・・・って?

違う違う!!

「NO NO NO NO ノ~ん!!」(←否定してマス。念のため・・・)

好きなものをずっと好きでいる人を頑固とは呼ばない様に、私は嫌いなものをずっと嫌いでいるだけの事なんデスから!!

頑固なのはむしろ、単に時代や地域の産物である限定された価値観を妄信して、「好き嫌いせず食べるのが当たり前!!」と、飽きもせず、しつこく言い続けてる、視野の狭い人達の事を指すんぢゃないの~?

ホントに、いつまで経っても・・・。

いいかい、ひとつだけ教えておこう。

大人はね、・・・と言うか、自立したまともな人間はね・・・

「嫌いなものなんて、絶対に食べないの!!」

一夫一妻制の罠

一夫一妻制は間違っている・・・とまでは言わないが、これほど理不尽な制度は無い。

何故ならば本来、多くの異性からモテる人達を始め、何人もの妻(あるいは夫)や子供を養う事が出来る大金持ちの資産家達にとってみれば、多くの伴侶を独り占めにして、子供を産み増やし、自らの家系を更に繁栄させる事も可能なはずなのに、こんな制度のせいで、貧乏人と同様に、法律的には一度に一人としか結婚出来ないからである。

彼らにしてみれば、一夫多妻制を導入する事によって、自分達の資産や能力に見合った人数の相手と結婚したいと考えたって、全然おかしくないはずだ。

・・・ただし、愛人を複数囲う事も可能だろうし、何度慰謝料を払って離婚したとしても、再婚相手には困らないかも知れないから、それはそれで明らかに差はつくのであろうが・・・。

また、一人に一人をあてがう制度ゆえ、“持たざる者(貧乏人)”や、“モテざる者”にも平等に、「そのうち自分にも誰かしら結婚相手が現れるかも知れない」との、無益無用な幻想を抱かせてしまう元凶にもなりかねない。

良いんだよ。一人に一人の相手なんか居なくても、ましてや結婚なんかしなくても(出来なくても)。

更には、まるでそれが人間(国民)としての義務であるかの様に、子供を産み育て、子孫を繁栄させなくたって、別に構いやしないのだ。

(個人個人の考えは別として・・・)現実に、そのDNAが必要とされてないのであれば、その家系は潔く滅んで行けば良い。

現世に蔓延る、異性を選ぶ際に用いられる基準に関しての善し悪しや是非がどうあれ、それはそれで、その地域や時代に息づく価値観である事には間違いないのだから・・・。

仮に、どうしても、結婚するのが普通で、それが当たり前だなんて言い張るのであれば、どっかの国のカルト教団の様に、ある年齢に達したら、国民を無理矢理、合同結婚でも何でもさせれば良いではないか。

だいたい、資産(金)や土地だけは、一個人のみ、あるいはその一家系が無制限に独占出来ると言うのに、結婚相手だけが一人しか選べないなんて、矛盾してるにも程がある。

もしも、どうしても一夫一妻制を続けたいのであれば、土地だって、「一人に何平米まで」との制限を設け、ある特定の個人の独占を禁止し、誰もがある一定の広さの土地を所有出来る様にしなければいけない。

だってさ、貧乏人が結婚して子供をたくさん産んでも、その家族の人数に見合った広さの家に住めないなんて、おかしいとは思わないか?

よって、所有出来る土地の面積は、本来は、そこに住む人間の数によって制限すべきなのだ。

しかし、そもそも国家や資産家が、貧乏人にも結婚や子作りを許しているのには理由がある。

あくまでも、人類本来が持つ“生命力”や“繁殖力”による弱肉強食のルールとは相容れない部分が多いとは言え、もしも現在の世の中において“力”のある者だけが、より多くの相手と結婚し、子孫を産み増やし繁栄させたらどうなるか?

極論ではあるが、この世は王族だけが生き残り、彼らの財産を増やすため、更にはその地位や権力をいつまでも安泰に保つために働かされる下々の人間達は絶滅してしまうであろう。

そこで彼らは、一夫一妻制によって、貧乏人や社会における弱者層の者達にも結婚や子作りを許す事で、自分達をいつまでも潤わせ続ける人材・・・すなわち奴隷を長期確保する計略を目論んだって訳なのだ。

・・・とは言え、長引くこの不況・・・。

ゆえに、結婚しない男女が増えている事も、更には少子化も、言わば必然の結果なのである。

金に余裕も無ければ住む家さえ持てないのに、結婚したり子供を作れるはずがないではないか。

よって、負け組は、どんどん滅んで行けば良い。

・・・否。むしろ、笑いながら死んで行くべきなのだ。

それが、まともな世の中ってやつだろう?


しょせん、負け組あってこその勝ち組。

奴隷の家系は、自分の代で終りにすべきである・・・。

野次馬減らし

最近、ちょっと健康になった気になって幸せなので、もう、このブログはやめようと思いマス。

・・・何故ならば、あくまでも個人的な嗜好ではありマスが、“ちょっと幸せ”な人間が偉そうに自分の幸せをひけらかすブログほど見たくないものはないからでありマス。幸せや愛情に満ち溢れた人間や、あるいはその逆に、あまり幸せでない人間が、読んでる人を楽しませよう喜ばせようとするために身を削り、サービス精神をフルに発揮させているのであればともかく・・・。

しかし、健康になった・・・と言うか、実際には健康を少し取り戻した程度なのでありましょうが、朝まで徹夜で仕事出来る事が嬉しくてたまらないと言う事も、ブログなんぞ書いてる暇がなかった原因でもありマス。

・・・それに、店の電話も止まってるしさ・・・。

ところで、「健康な人って、こんな気分で毎日を生きているのか!!」・・・と、私は日々、新発見の連続なのデス!!

例えば、それまでは自転車で信号待ちしている時が、この世を最も呪う瞬間であったのでありマスが・・・ちなみに、その理由を分析するに、「赤信号(機械)によって行動を制限される」事と、「皆が同様の行動を強制される」せいでありましょうか・・・。

「今は違いまっせえ!!」(←誰やねん・・・。)

・・・とは言え、完全に赤になっていると言うのに、まだ止まろうともせず交差点に飛び出してくる神風タクシーめがけ、自転車を緊急発進させる癖は治りマセンが・・・。

まあ、そんな事は良いとして。

そもそも、こんな世の中に対し納得出来る人間、この世に存在するもので満足出来てる人間は、人前で何かを表現する必要なんか無いんぢゃないかと・・・。

そう言う人間は、大人しく客の立場で居れば良いぢゃない。

「そんなの、もう見飽きたし聞き飽きたよ。」

・・・と、自分もそう言われない様、今後も精進して行く所存でありマス!!

それにしても、健康過ぎて、身体の調子が良すぎて怖い・・・。

ウフ!!だって、幸せってやつに慣れてないんだもん!!(^。^)/

てへへ・・・

只今、電話が不通となっておりマス。m(_)m

「魔法の●い粉」

一昨日、あんな事(家賃滞納の件)を書いたもんだから、また「Mr.エレクトの怨み節」ならぬ、愚痴と不平不満に凝り固まった鬱なブログが続くと思ったでしょ?

・・・て言うか、愚痴ってのは、自分の無力さを知るがゆえに出る言葉なので、自分を顧みず偉そうな事を言うよりは、まだマシだと思って頂戴な。

・・・と、それは置いといて。

それに、ところがどっこい、残念ながら、私は今日も明るく元気いっぱいで、やる気マンマンなんでありマスよ~!!

何故・・・って?

ウフフ・・・。それはね、とあるきっかけから入手した、「魔法の●い粉」のお陰なのレス~!!

ああ、なんせこれを摂取し始めてからと言うもの、多幸感が押し寄せてきて止まらないのでガス。

いや~!!やっぱ人間にとって一番重要で大切なのは、これだったんでヤンスね~!!

何の事だ・・・って?

それはね。健康な身体ってやつデスわ~。

何せ、コレを使用し始める2~3週間前までは、寝ようと思って横たわった時に、「俺はこのまま死ぬのではなかろうか・・・」ってくらい、身体がだるくて仕方なかったんだけど、最近はそれが殆ど無くなって、確かに、実際に長時間働き過ぎて普通に疲れる事はあるし、徹夜してて疲れや眠気が襲ってくる瞬間もあるにはあるんだけど、結構乗り切れるっちゅうか、朝まで頑張れちゃうんだよね~。

ああ、健康がこんなに素晴らしいものだとは・・・。

ぐっすん・・・。もしかしたら、私の人生、今が一番健康かも知れない。

だって傍から見れば、表面的には普通に仕事したり生活してるから、健康そうに見えたかも知れないけど、その舞台裏は地獄だったんだよ・・・。

まあ、こればっかりは本人にしか解らない事だからね~。

思い起こせば、幼い頃から“ひ弱で虚弱体質”な私としては、知らず知らずに劣等感にさいなまれ、自信を失ってたのかも知れないな。

なんであいつら(人類)が、ただ単に「自分は人間である」と言うだけで、あんな偉そうにしてるのか、今初めて実感出来たよ。

ホント、「健康であれば何でも出来る、健康であれば世界も征服出来る。」・・・とさえ思えてきちゃうから不思議なもんだわ。

「元気回復」=「自信回復」って事か。

ムスコも喜んでマスよ。(下ネタ自重)

結局、いくら金が無いって言ったってさ、金を生み出す能力自体が無い訳ではないし、突き詰めてみれば、やっぱ「このペースで仕事をし続けられるかどうか?」って事が不安の元凶だったんだよね。

ああ、健康過ぎて、何だか怖い。

幸せ過ぎて、何だか怖い。

まさか、滅び行く事を察知した肉体の最後のあがきってやつでなけりゃ良いけど。

エッ!?「魔法の●い粉」の秘密を知りたいって?

え~!?だってさ~!!他の人に教えちゃって、皆がもっと健康になってしまったら、私が健康である事の優位性が薄れちゃうもんな~。

・・・って、うそぴょ~ん!!

世の中持ちつ持たれつ、有益な情報は共有しあわなくちゃネ!!

ほなら、以下をご覧あれ。

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禁未来小説「ドラへもん」その67「悪夢の惨劇」の巻

その後数日、ボクは復讐の刃を胸に秘め、死んだ振りをしながら学校に通った。

そして、とある体育の時間、保健室に行く振りをして授業を抜け出し、シズコちゃんのバッグから自宅の鍵を盗み出した。

シズコちゃんの家が母子家庭であり、母親は仕事で夜にならないと戻って来ない事は、既に調査済だ。

ボクの頭の中は、シズコちゃんにフラれた恥ずかしさと悔しさ、そして愚かな自分に対する怒りと絶望の念でいっぱいだった。

来る日も来る日も、あの日あの時あの瞬間を思い出す度、ボクは気が狂いそうになった。

だから、増幅され蓄積した私怨が殺意に姿を変える事も、必然の成り行きだったんだ・・・。

・・・かくして、決行の日は訪れた。

その日は、学校の創立記念日。午前中で授業が終り、午後は式典が行われるだけで、生徒はいつもより早めに下校出来る。しかも運良く、シズコちゃんはまっすぐ帰宅する様子だ。

ボクは先廻りをしてシズコちゃんの自宅付近で待ち伏せ、シズコちゃんが家に入るのを見届けてから、盗んだ鍵で自宅に押し入ろうとした。

・・・が!!

「開かない!!」

「ど・・・どうして!?」

そうか!!鍵がバッグから無くなった時、仮にどこかに落としたんだとしても、それを誰かが拾ってる可能性もあるからな。おそらく、鍵を付け替えたんだろう・・・。

仕方無い。正攻法で行くか。

ボクは、ドアの呼び鈴を押した。

ドアの覗きレンズからボクの姿を確認したシズコちゃんは、少し驚いた様子だったが、まさかボクがそんな事をするとは思わなかったんだろう。無用心にもドアを開けてくれた。

すかさずボクは、シズコちゃんを蹴り飛ばすと、部屋の中からドアをロックし、返り血が洋服に付着しない様、事前に用意していた透明のレインコートを前後逆に着込み、出刃包丁を右手に握り締め、シズコちゃんに詰め寄った。

「どうして!?のひ太サン!!・・・どうしてこんな事を!!」

「どうしたもこうしたもあるかい!!みんな、お前のせいだ!!みんなお前が悪いんだ!!みんなお前の責任だ!!お前のせいで、ボクの人生はボロボロだ!!ボクの人生は滅茶苦茶だ!!ボクの人生は・・・ボクの人生は、お前のせいで台無しにされたんだ!!」

「だからお前も、ボクと同ぢ目に遭わせてやる!!」

ボクは、シズコちゃんを出刃包丁で、刺して刺して刺しまくった。特に、その血まみれの顔面を、もはやそれが誰であったのか・・・否、人間であった事さえ忘れる程に、ざくろの様になるまで滅多刺しにした。

「アハハハ!!アハハハハ!!どうだ!!思い知ったか!!お前なんて、お前なんて、こうしてやる!!人間なんて、しょせん血と糞の詰まった肉袋に過ぎないんだ!!」

ボクは歓喜と恍惚感に酔いしれ、気が付けば失禁してズボンを濡らしてしまっていた。

「ハッ!!いけない!!おねしょしちゃったかも!?」

・・・その瞬間、ボクは目を覚ました。

い・・・今のは夢だったのか。それにしても、こんなに汗をかいて・・・。

ヤバイヤバイ!!あんな女のために、大事な人生を棒に振ってたまるもんか!!

・・・ボクはその時、ハッキリと自覚した。

「ボクハアノコノコトヲハジメカラスキデモナンデモナカッタンダ」・・・と。

(つづく)

切実な訴え

駄目人間が情けない心情を吐露する様な音楽があったって良いぢゃないか!!

白昼のカタストロフィ

とある日の昼間・・・。

携帯電話の鳴る音で、私は目を覚まされた。

とうとう、この日が来たか・・・。

とうとう、この日が来てしまったか・・・。

そう。それは、不動産屋からの電話であった。

実は、恥ずかしながら、自宅の家賃をずいぶん滞納していたのだ。

しかも、家賃滞納している時期の途中で、2年に1度の契約更新もあったのだが、その時点では大家も気づいてなかったのか、不動産屋は特に何も言わなかったんだけどね・・・。

それが、ついに発覚したか?

それとも、大家もいよいよ我慢の限界だったのか?

何にせよ、ただでさえやりくりが大変だってのに、これからどうすれば良いのやら・・・。

まあ、何とかなるさ。

・・・ぢゃなくて。

何とかしなくちゃ!!


ガハハハハハハハ!!

アハハハハハハ!!

ナハハハハハ!!

ニャハハハハ!!

ムハハハ・・・。

トホホ・・・。

タハ・・・。

ハ・・・。

・・・。

・・。

・。



・。

(・。

(・。・

(・。・)

(:。;)




・・・って、遊んでる場合かよ!!(^^;)

自決主義

百歩譲って、人間に対してであれば、解らなくもないけど・・・。

音楽における、その演奏や作品自体に対して、必要以上に、“立派な人格”など求める必要があるのか・・・と。

何事に関しても、求める人は求め、求めない人は求めないもの。

いずれにせよ、最終的には、自分で決めるしかない。

・・・と言うか、“自分で決める事”こそが、最も重要なのだ。

・・・と、私が勝手に考えているだけの事。

なので、またつまらん戯事をほざいてやがるなとでも思って、右から左へ受け流して欲しい。

妄言“他者”

たった一言で

他者を夢中にさせる事が出来れば

誰も苦労しない

税制改革

増税に苦しむサラリーマンが、「あ~あ、社長は良いよな~!!儲かって。」

・・・と言うと。

「何言ってんだ!!ワシが一体、いくら税金を払ってると思っておるのだ。お前らの何倍もの金額だぞ!!」

・・・と社長。

そんな子供騙しの論法に引っかかってはいけマセンぞ!!

社長は、自分が支払う税金を、社員に支払うべき給与から差っ引き、売り物の値段に上乗せすれば良いだけなんだから。

よって、そうね~。税金はお金ではなく、労働で支払う事にしてはどうだろう?

例えば、公園のトイレを掃除するとか。

・・・すると。

増税に苦しむサラリーマンが、「あ~あ、公園のトイレ掃除、いやだな~!!」

・・・と言うと、社長曰く。

「何言ってんだ!!ワシが一体、何ヶ所の公園のトイレ掃除をしてると思っておるのだ。お前らの何倍もの量だぞ!!」

・・・となる。

めでたしめでたし。

Mr.エレクトの「華麗なる日々」

先週の話だが・・・。

月曜の夜に店に戻り・・・。

火曜日は店内で仕事。

水曜日は店内で仕事。

木曜日も店内で仕事。

金曜日に、やっと自宅へ戻り、風呂を沸かしたり、洗濯物をコイン・ランドリーへ持って行ったり・・・。

そして、その間に、「太●総理~」をチラ見する。

すると、午後9時頃だったろうか?部屋のドアをノックする音。

何だよ?こんな時間に!!新聞の勧誘かよ?このくそ忙しいのに、まったくめんどくせ~な~!!

・・・と、どうやらKサツカンが、居住者調査の緑色の紙を持って来た様だ。

そして、詳しく話せば長くなるので書かないが、使命感の薄い●●なKカン相手に超立腹させられたため、ドアも開けず窓越しに、さんざん怒鳴り散らして追い返す。

怒なるどダック

その後、洗濯物を乾燥機へ入れ替えに行き、その合間に部屋に戻って風呂に入る。

その前後にも「デス●ート」をチョロ見したりしながら・・・。

そして、風呂を出て髪などを乾かし、コイン・ランドリーへ乾燥し終わった洗濯物を取りに行く。

さて、そろそろ寝るか・・・。

ぢゃなくて。

さて、また店に戻るか・・・。

そして連休がらみの慌しい週末をやり過ごし、月曜日は臨時で店番。

火曜日は店内で仕事。

水曜日も店内で仕事・・・の予定。

木曜日も・・・。

かくして、あっと言う間に一週間が終る。

あっと言う間に・・・。

そして、気がつけば・・・。

珍国日本

日本はおかしな国である

「好きな事だけやって生きて行きたい」

と言うとたいてい怒られる

貨幣価値“私情”主義

私は、偉そうな態度でお金を支払う人間が大嫌いである。

過去に、コンビニのバイトを8年と、店長を6年やった事があるのだが、毎日毎日、そう言った人間の相手をせねばならず、慣れるどころか、その客が帰った後、それが深夜の店内に誰も居ない時間であれば、何度、納品用の空ケースをぶち壊さんばかりに床に叩きつけた事か・・・。

そいつは、金の力によって、人をひれ伏させた気分になっているのかも知れないが、そもそも金なんてものは、その物体を作る能力を持たない者が、その物体を作った人からそれを譲り受けるために必要な代価に過ぎない訳で、自分に作れないものを作ってくれている人間に対して感謝の気持ちがあれば、絶対にそんな態度はとらないはずなのだ。

・・・と言うか、むしろ、「お金しか支払うものがなくて申し訳ないんだけど・・・」と、恐縮したって良いくらいのものである。

確かに、その客も、その金を得るために、労働力・・・すなわち時間と肉体とを切り売りしている訳なのであろうが、その様な、何か特別な能力や技術がある訳ではない人間ほど、そう言った他人の特殊技能に対して敬意を払わない様な気がしてならないのだ。

私は何も、コンビニのレジ打ちやってる人間に対してまで感謝せよなんて言ってるんぢゃない。

ただ、「金払えば良いんだろ!!」とか、「こっちは金払ってやってんだ!!」と言う態度に対して腹が立つのである。

もちろん、こっちに何か落ち度があった場合や、その金額に見合わない商品を販売してしまった場合は別だが・・・。

お金とは、あくまでも感謝の気持ちを表すバロメーターであり、他人を支配したり自由を奪うための権力や武器などではないはずだ。

ああ、本当は金持ちが“真っ当な商売”を始めれば、こんな思い上がった勘違い人間は淘汰されて行くはずなのに・・・。

例えば、「いくら金を積まれたって、うちの料理は、お前の様な無礼な奴には喰わせん!!」とか、「弱い者いぢめをする様な奴はタクシーに乗せん!!」とか、「わしが精魂傾けて描いたこの絵は、本当に必要としている人間にしか売らん!!」・・・なんてね。

だけど、金持ちが何で金持ちでいられるのかと言えば、商売をするにあたって、そんな本質的な事よりも、お金をたくさんかき集める事を重要視するからこそ、更に金を儲ける事も出来る訳なのであるからして・・・。

またその逆に、貧乏人は貧乏人で、そんな客を選ぶ様な商売やってたんぢゃあ、自分や家族の日々の暮らしが成り立っていかないもんね・・・。

(だから本当は、新宿L○FTみたいな老舗で影響力のあるライヴハウスが、もっと“真っ当な商売”をするべきなんだよな・・・と、それは余談か・・・。)

それにだいたいさ~!!本当は高級ブランドの商品を貧乏人なんかに売っちゃ駄目なんだよ。それを、“高級ブランドを持ってる貴方は、違いの解る一流の人間”みたいな宣伝(洗脳)しやがって、買えば貴方も、その日からセレブだってか!?そんなの、ただただ、その時支払った札束の枚数が多いか少ないかの違いに過ぎないぢゃねえか!!

・・・とは言え、誰もが共通の価値を共有して認識出来る貨幣制度と言うものがなけりゃあ、何を買うにもいちいち交渉が面倒だったりする訳で、その他にも、労働や努力の成果が目に見えて解るって事の意義も忘れてはならないし・・・。

よって、要するに私は、貨幣の価値を無力化しろと言うのではなく、貨幣以外の価値と言うものが多種多様となり、そしてもっと尊重されなければ、人間は神ならぬ紙(お札)に支配され続け、敬意や感謝などと言った感情は、どんどん廃れていくだろうって事を言いたいのである。

ああ、それにしても、お金が欲しい・・・。

駄目だ!!こりゃ!!(^^;)

禁未来小説「ドラへもん」その66「逆恨みの地獄」の巻

誰も居ない自宅に戻ったボクは、すぐに自分の部屋へ閉ぢこもった。

ところで、ママが出て行ってからと言うもの、パパが仕事から戻るのは、いつも夜遅い。だから、ボクの夕食はと言えば、テーブルの上に用意されているお金でコンビニ弁当を買ってくるか、せいぜいインスタント・ラーメンでも作って、独り寂しく食べるのが常だった。

だけど今日は、ご飯を食べる気にさえならないよ・・・。

ボクは、恥ずかしさと自己嫌悪で気が狂いそうだった。

くそ~!!やっぱ声なんてかけるんぢゃ・・・甘い夢なんて見るんぢゃなかった・・・。

ああ・・・。ボクはもう死にたい・・・。うんにゃ!!死にたくなんかない!!ボクはただただ、今日の出来事を頭の中から消し去ってしまいたいだけなんだ!!

それにしても・・・。ちくしょ~!!シズコの野郎!!

なんだいなんだい!!まるでボクに気でもある素振りみせやがって!!そんなのフツウに勘違いするっちゅうの!!

男心をもて遊び、人のこころを踏み躙りやがって!!

・・・ボクは、自分を責める事と、シズコちゃんを憎む事によって、揺れ動く自分の気持ちを何とか落ち着けようと四苦八苦していた。

ああ~!!だけどだけど、やっぱボクが悪かったんだ~!!ボクなんかを、シズコちゃんが本気で相手してくれる訳ないぢゃないか~!!

うゎぁ~ん!!もう学校に行きたくないよ~!!・・・て言うか、シズコちゃんに逢うのが恥ずかしくて、もう学校になんて行けないよ~!!

ボクはベッドから転がり落ち、床の上で手足をばたばたしながら、泣き声ともつかぬ声を出し続けていた・・・。

いや違う!!あいつのせいだ!!みんなあいつが悪いんだ!!そう!!ボクは悪くない!!ボクは全然悪くない!!ボクはちっとも悪くない!!

ああ、でも、シズコちゃんを憎むのは間違いだ。悪いのは、最初に勘違いしたボクなんだから・・・。

ボクは・・・。

ボクは・・・。

ふぎゃ~!!もう耐えられないよ!!

ボクは、破滅願望と逆恨みの地獄との狭間で、頭の中が混乱しきっていた。

ボクは・・・。

ボクは・・・。

ボクは・・・。

ボクは・・・。

そう・・・。もはやボクは、自分を壊すか、誰かを傷つける事でしか、この苦しみから解放される事はないのだ・・・との確信を抱くに至っていた。

うううううううう・・・。やっぱり許せない!!・・・うんにゃ!!絶対に、ユ・ル・サ・ナ・イ!!

くぅ・・・くっくっくっくっくっ・・・。シズコの奴め~!!今に・・・、今に見てろよ~!!

(つづく)

★逆恨みの地獄の中で荒れ狂う、のひ太。ああ、シズコちゃんの運命や如何に!?・・・果たして、のひ太に、幸せな日々など訪れるのであろうか・・・!?

換気が必要

「空気を読む事」と

「事なかれ主義」を

混同するなかれ

アンフェアな被害者に対しての逆ギレ

(あえて暴言を吐いてみマシタ・・・。)

何だよ、あの国!!いつまでも戦争責任戦争責任って、うるせ~な~!!

あんたの国だって、100年前には、あんたの隣に住んでる家族の先祖が、あんたの先祖を殺す事によって出世した歴史的事実があるかも知れないってのに!!

そもそも、地球は元々、誰のものでもなかったはずなのに、それを暴力や武力によって奪い合って来たのは、どこの国でも一緒ぢゃないか。

もちろん、近代にはそれが“悪い事”であると定義された訳だから、日本は悪い国であったと裁かれても仕方無い。

ただし、日本は悪い国だから負けたのではなく、ただただ戦争に負けただけなのであって、むしろ、“勝った国が正しい”なんて考え方こそが、近代以前の価値観に基づく悪しき論法ぢゃねえか。

それに、日本はアメリカに負けたんであって、あんたの国に負けた訳ぢゃねえ!!

だからこそ、現に今でも、日本はアメリカの隷従国としての立場に甘んぢてるぢゃないか。

賠償がどうのこうの言うんなら、あんたらの先祖が奪って勝手に国名を付けたその広大な土地も、すべて地球に返せ。

本当に自分たちの先祖の死を悼むなら、他所の国を恨む前に、殺戮を繰り返して成り上がった、手前の国の既得権益者をこそ憎め!!

だいたい、自分は人を殺すだけ殺して土地や財産を独り占めにしておきながら、あちこちでテロや革命が起こり始めるや、「これからは人を殺して土地や財産を奪ってはいけマセン」なんて言い出すなんて、盗人猛々しいにも程があるぜ!!

土地を私有する事以上に、犯罪的な所業はない。

国家なんて、暴力団と大して変りゃしねえんだ!!

価値(勝ち)の一極集権

価値観が多様化してるんぢゃなく・・・

商売(売り物の種類)が多様化してるだけぢゃねえか!!

金で買えなかった楽しみも、金で買えるようになり・・・

金で買える楽しみが増えたその挙句・・・

金の要らない楽しみまで、金で売り買いされる楽しみとなり・・・

金の要らない楽しみは、奪われ失われていくばかり・・・


それでもまだ、「価値観が多様化してる」などと言えるのか?

問題発言

匿名ならば許されて

有名ならば許されぬ

そもそも、この問題の本質は、“発言の内容”自体にではなく、その人物がその様な発言をした事に対し、その人物に好感を抱いていた人達が裏切られた気分になっただけの事。

元より、その人物に好意も信頼も抱いていなかった人間にとっては、まったく無縁な話。

この世には嘘や暴言がいっぱい。

受け取るも受け取らぬも、真に受けるも無視するも、貴方次第。

誰が、いつ、あの人物の発言に権威なぞ与えたのか?

私には、まったく覚えがございません。

★「ジュン上久保(上久保純)⑥」(2008年2月3日追記)

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ところで、私が、このアルバムを大好きであると言う事は紛れのない事実ではあるのだが、忘れてはならない点を、ひとつ書き加えておこう。

そもそも、上久保氏にとっては、ロックは英語で歌われるものと言う考えが強くあった様で、本アルバムに関しても、セールスを考慮したメーカー側から、「日本語の詩で」と言う条件が提示されたそうである。

よって、(どこまで原曲の詩の内容が生かされているのかは不明だが、)本作に関しては、ある意味、上久保氏と作詞家である千家和也氏のコラボレーション作品であるとするのが正しいのかも知れない。

ちなみに、現在の上久保氏は、某ジュリーに楽曲を提供したり、広島にて音楽プロデューサー業をしながら、今でも時々演奏活動を行っている様だ。

★「ジュン上久保(上久保純)⑤」(2005年1月17日の日記より再掲載)

★「ジュン上久保(上久保純)⑤」(2005年1月17日の日記より再掲載)

■ジュン上久保「サンフランシスコの奇蹟」(復刻CD現在発売中)

最近、異常に聴きまくっておりマス。そもそも、10年前に入手してからも、すぐに気に入って、レコードからテープに録って店で聴いていたが、各店(一時は店が2~3軒あった)でいつでも聴きたいため、そのテープから更にテープにダビングして、各所に配置していたため、音質に関しては決して良いとは言えなかった。その点、今回のCD化によって、いつでも良い音で聴けると言うのは、とても有り難い事だ。

しかし、良く聴いた。むしゃくしゃした時、壁にぶつかって悩み苦しんでいた時、すべてを忘れたい時・・・。特に、高円寺店で店番している頃は、一日中・・・否、一年中、このテープをエンドレスでかけていたため、知人に、「いつ来てもこれがかかってるな~」と言われたものだ。

他に好きなアーティストや音楽も多いが、本作ほど、私のこの気分、こころのもやもやに類似するものは無い。サウンド的には、もっと好きな音楽もあるし、スピリット的にも、もっと好きなアーティストも居る。しかし、マイ・ブロークン・ハートにジャスト・フィット(←ブロークン・イングリッシュの間違いでは・・・?)と言う点では、本作を置いて他には無い。

本作の本質が取り違えられる大きな原因は、おそらく1曲目にあると思う。サウンド的には、豪快なリフによるヘヴィなブルース・ロック。ゆえに、ルール違反ではあるが、2曲目から聴くと良いかも知れない。こころの葛藤、厭世的なけだるい気分、それらが如何に饒舌に、しかしうるさく無く、デリケートかつリアルに表現されているかが解るはずだ。


こころの無い音楽はうるさい。こころが叫んでもいないのに、ただ轟音のロックを演奏したところで、マシンの力を借りて騒音を撒き散らす暴走族となんら変りない。

しかし、傷つき打ちひしがれたこころから発せられる音、そいつはどんなに激しかろうが、うるさくない。

何かを吐き出さずにはおれない、何らかの表現行為をしなければ、自分を壊すか、ともすれば他人を傷つけてしまう。そんな繊細な人間の感情、こころの命ずるままに放出される激流の渦に我が身を委ねる瞬間ほど、エクスタシックな事は無い。ささくれだった傷だらけのこころが、まるで死を迎えるかの様に、ゆっくりと穏やかに癒されてゆく。その刹那、私のこころは一瞬、生の苦しみから解放されるのだ。

こころの伴わぬ轟音ロックでは、ひとの脳と肉体を刺激する事は出来るが、そのこころにまでは届かない。後に残るのは狂騒の末の脱力感だけである。

ああ、聴きたい・・・。苦しみの叫びを、今にも張り裂けそうな胸の痛みを、噛みしめた奥歯を、断末魔の鳴咽を、何もかもぶち壊したくなるほどの怒りの業火を、指が折れんばかりに握った拳を、刃物でずたずたに切り刻まずには収まらぬこころの軋(きし)みを・・・。

もっと!!・・・そう、もっとだ!!

★「ジュン上久保(上久保純)④」(2005年1月15日の日記より再掲載)

★「ジュン上久保(上久保純)④」(2005年1月15日の日記より再掲載)

さっき検索してみたら、某ドゥーム系レーベルのミニコミに、今度、インタビューが載るそうデスよ。楽しみ!!

なんと、元々、片足が無いらしく、アルバムの録音も、ドラムは人に頼んだとの事。

東芝的には、海外での活躍ぶりをかなり買ってたみたいで、「天才少年」扱いゆえ、破格の多重録音が可能になったらしいッス。

早く読みたいワン!!(^。^)/

(つづく)

★「ジュン上久保(上久保純)③」(2005年1月15日の日記より再掲載)

★「ジュン上久保(上久保純)③」(2005年1月15日の日記より再掲載)

・・・ではB面。

⑤(B-①)「半分終った俺の人生は」
前回述べた様に、本来ならば、レコードを裏返す間の無音の後に、軽やかに始まるはずなのだが、今回のCD化では唐突に始まってしまう。カントリー調の、本アルバムのコーヒー・ブレイク的な作品だが、その詩の内容は、タイトル通り、これまでの人生や残りわずかな人生に対する、自嘲的な独白である。

⑥「人生は舞台劇」
この曲と次の⑦が、本アルバムの真骨頂であろうか。死を目前にした男が、人生を振り返り、悟りの境地、諦(あきら)めにも似た、その人生観を、ひとり静かに語り始める・・・。クライマックス部分では、「やり直しはきかない」と、運命の残酷さを呪いつつも、しかし、「なんとかなるものさ」と、やはり諦念の観を露(あらわ)にする。そして、教会のパイプ・オルガンの様な音色のキーボードが、その陰鬱な気分に拍車をかけるのだ。

⑦「何となく何となく」
⑥のエンディングから、なだれ込む様に突入するこの曲。⑤の自嘲、⑥の諦観が、ある種のダンディズム(気取り)である事を証明する、こころの内を隠し立てせずさらけ出すかの様な作品。④での「愛が欲しい」と繰り返すリフレインと言い、「俺だって 俺だって いい目をみたい」と、てらいなく訴えるこの曲と言い、普段は斜に構えたニヒルな男が、死ぬ間際に一瞬、己が本心に素直に向き合う姿は、その激しいサウンドと共に、こころの奥底にダイレクトに届く。そして、多重録音、たったひとりの演奏である事による限りない一体感、孤立感溢れるグルーヴが極めて心地良い。マゾヒスティックな陶酔感さえ感ぢる作品で、私はとても好きだ。

⑧「殺ったのは俺じゃない」
アルバム自体のストーリーは⑦で一端終り、アンコール的な作品であろうか。本作のみ、作詩はキッコ・ヒズメと言う、謎の人物の手によるものである。恋人殺しの容疑者にされてしまう男の、不運と言うか、白昼の悪夢的な、絶望感、行き詰まり、焦燥・・・。理不尽なこの世、抗いきれぬ運命に対する、最後のあがきとでも言うべき作風は、本アルバムのラストを締めくくるに相応しい。

また、本文では言いそびれたが、上久保は、その慈愛に満ちたうた声もさることながら、まるで、むせび泣いているかの様な、表現力溢れるギター・プレイも素晴らしく、昂ぶる感情を更に盛り上げるベース・プレイも特筆すべきものがあると言う事を付け加えておく。

<総評>
あくまでもフィクションでありながらも、そのリアリティ溢れる詩、曲、演奏、声、それらが一体となり、全編通して聴く事により、リスナーは、あるペシミスティックな男の一生を、こころの底に押し隠した本当の声を聴く事となる。ゆえに、本作に付き合える人間は、おのずと限られてくるだろう事は否めない。

そもそも、本作の真の価値は、1972年当時の音色と言う事を除けば、「あの時代に、このブルース・ロック・サウンドをたった一人で・・・」「当時、あまりにも売れていないため現存数が少ない・・・」と言った、歴史的意義や、コレクタブルな見解では無い。否、もちろん、そう言った意味での要素も、充分過ぎる程、満たしている。だが、それらは、私の様な廃盤商人や、一部のコレクターのみに通用する価値観であり、普遍的なものでは無い。

本作の本当の良さとは、「私が今も聴き続けている」と言う事実や、ある種類の人間のこころに、極めてストレートに届く、非常に良く効く、と言う効能ゆえにである。つまり、生きているのだ。作品として死んでない。充分過ぎる程、今に通用する。

ただし、先にも述べた様に、あくまでも、ある一部の人種にのみ有効なだけである。まあ、せっかくCDで復刻され、誰にも手軽に聴きやすくなったので、私と趣味が合いそうな人は、是非、購入をオススメする。

そのサウンドは時代の産物であるが、このやるせない感情、そして、“人のこころは死ぬ”のだと言う現実は、いつの世も、そうそう変わるものでは無いゆえ・・・。

最後に・・・。販売元サン、宣伝費ちょうだい!!(^^)/

(つづく)

★「ジュン上久保(上久保純)②」(2004年12月30日の日記より再掲載)

★「ジュン上久保(上久保純)②」(2004年12月30日の日記より再掲載)

ジュン上久保「サンフランシスコの奇跡/NOTHINGNESS」。

このLPを初めて聴いたのは、10年も前になるだろうか?確か、代々木のフリマで200円で買ったのだった。その頃は、既に店もやっていたので、・・・と言う訳でもないが、昔からとにかくレコードは買い捲っていたので、買っても聴かない事など日常茶飯事なのだが、このレコードは、その簡素なジャケット及び、クレジットの少なさから、一度は針を下ろす気にさせられた。その頃は、日本のロックにあいそをつかし、歌謡曲にも傾倒していた頃でもあり、山口百恵などにも作品を提供している千家和也が作詩していると言うのも、その理由の一つであった。なんせ、近所の古本屋で、千家和也「作詩講座」なんてのも購入して読んだ事があるほど、興味の対象であったから・・・。

①「勲章いっぱいぶらさげて」
いきなりヘヴィなリフの曲で、愛や名誉と言った、一般的には価値があるとされている事柄を風刺した作品。オープニングの、この曲のせいで、“スピード,グルー&シンキ”(1970年初頭に活動していた、解りやすく言えば日本の“CREAM”みたいなグループ。加部正義在籍)と比較されたり、一緒にされるんだろうけど、まあ、彼らは本格派と言うか、歌詞も英語だし、洋楽そのものなんだから、寂しいからって無理に洋楽の仲間にしないでもらいたいものである。

②「死んだ恋人は」③「天国行きの最終便」
既にこの辺りで、ハード・ロックを期待する多くの人は挫折するのでは?これらスローなブルース・ロックは、柳ジョージを更に泥臭くした感ぢで、好き嫌いが分かれる所だろう。私も嫌いでは無いが、②③の歌詞には、ちょっとばかし、本場のブルースの訳詩的な印象を受けなくもない。しかしまあ、アルバム全体のバリエーションと言うか、ストーリー展開としては悪くない。

④「愛が欲しい」
この辺りから、このアルバム全体を覆うトーン、厭世的な人生観と言うものが濃厚になって行く。世間では、愛と友情、夢や希望などの、本当は個人の欲望に基づくものであるにも関わらず、嘘臭い連帯感や共感を求める押し付けがましい歌ばかりゆえ、これは非常に貴重である。もちろん、そんな失意や焦燥感を歌ったものは、他にもあるだろうが、そもそもが上久保ひとりの多重録音作品である事からしても、“独り言”的な強烈な孤立感が醸し出され、非常に心地良い。

ところで、本来なら、④と⑤の曲間は、レコードのA面とB面の境目なため、どう考えても、盤を裏返す時間は無音なのだが、今回のCDは、④のラストの急なフェイド・アウトの後、通常の曲間以上に短いタイミングで、⑤がすぐに始まるが、これには納得行かない。もともとのマスター・テープがそうであったのかも知れないが、当時はレコードで発売する事が前提なのだから、④と⑤の曲間は、せめて通常の曲間程度に空けていてもらたいものだ。それとも、これは上久保自身の意向なのだろうか?

B面に(つづく)

★「ジュン上久保(上久保純)①」(2004年11月30日の日記より再掲載)

★「ジュン上久保(上久保純)①」(2004年11月30日の日記より再掲載)

この日記の初期に、私のフェイバリットとして紹介した、ジュン上久保の「サンフランシスコの奇跡/NOTHINGNESS」と言うアルバムが、遂にCD化された。これで、誰でも気軽に、この作品を耳にする事が可能になったと言う訳で、この機会に解説してみる事にした。

まず、このアルバムの発売は1972年。世間一般ではフォーク・ブームがあり、歌謡曲がポップスと演歌とに二分される過渡期である。また、ニュー・ロックなる名称で、有名どころでは、ジョー山中の居たフラワー・トラヴェリン・バンド等、いくつかのロック・グループが活躍していた事も事実。そして、それら大音量のロック・バンドは、たいていメジャー・レコード会社から、しかし完全に商売とは無縁なところでリリースが為されていた。まだ、ロックなんか商売にはなり得なかった時代なのだ。日本のロックにおける、英語派の内田裕也一派と、日本語派のはっぴいえんどとの対立が論争になる時代でもあった。しかし、日本語ロックの頭脳警察は、どちらかと言うと裕也/ロック側であったし、はっぴいえんどもサウンド的にはロックではあるものの、日本語VS英語と言うよりは、やはりスピリット的な部分でのロック対ポップスと言う図式が根底にあったのではないかと推測される。そんな風潮の中にあって、後に歌謡界の大物作詞家(山口百恵他多数)となる千家和也がほぼ全曲の作詩(すべて日本語)を手がけ、上久保自身が全作曲、しかもすべての演奏をひとりでこなした、この作品が、こんな時代にひっそりとリリースされていたと言う事実は、まさにアルバム・タイトル通り、“奇跡”としか言いようが無い。

そもそも、このジュン上久保(上久保純)なる男は、元々、アメリカで音楽活動をしていた様で、日本に帰国後は、世界的なパーカッショニストであるツトム・ヤマシタのバンドに参加し、ツアー等も行なっており、その後は、柳ジョージと組む前のレイニー・ウッドを引き連れ、広島でブルースを演っていたらしい(なお、現在も、広島で音楽活動を続けている様子)。そこで、想像するに、当時、メジャーのレコード会社である東芝から、まったく無名の新人が、すべて本人演奏による多重録音でアルバムを発表出来たと言う事は、おそらく、アメリカで殆どの録音を済ませたマスター・テープを持ち帰り、東芝に売り込んだか、あるいは、東芝にレコードのプレスを委託し、自主リリースしよとした所、それがディレクターの目(耳)に止まって、急遽リリースが決定したのでは?等の推測が為される。そうで無ければ、東芝の幹部クラスとの強力なコネがあったか、上久保自身がよっぽどの金持ちで、スタジオ代等、すべて自腹でレコーディングしたとしか考えられない。ゆえに、渡米して音楽活動していたと言う事実も含め、海外録音と言う推理は捨て難く、このアルバム・タイトルにも納得が行くと言うものだろう。

次回は、私とこのレコードとの出会い、そして、その内容の素晴らしさについて語ろうと思う。

(つづく)