Mr.エレクトの独り言 2008年02月01日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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★「ジュン上久保(上久保純)④」(2005年1月15日の日記より再掲載)

★「ジュン上久保(上久保純)④」(2005年1月15日の日記より再掲載)

さっき検索してみたら、某ドゥーム系レーベルのミニコミに、今度、インタビューが載るそうデスよ。楽しみ!!

なんと、元々、片足が無いらしく、アルバムの録音も、ドラムは人に頼んだとの事。

東芝的には、海外での活躍ぶりをかなり買ってたみたいで、「天才少年」扱いゆえ、破格の多重録音が可能になったらしいッス。

早く読みたいワン!!(^。^)/

(つづく)
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★「ジュン上久保(上久保純)③」(2005年1月15日の日記より再掲載)

★「ジュン上久保(上久保純)③」(2005年1月15日の日記より再掲載)

・・・ではB面。

⑤(B-①)「半分終った俺の人生は」
前回述べた様に、本来ならば、レコードを裏返す間の無音の後に、軽やかに始まるはずなのだが、今回のCD化では唐突に始まってしまう。カントリー調の、本アルバムのコーヒー・ブレイク的な作品だが、その詩の内容は、タイトル通り、これまでの人生や残りわずかな人生に対する、自嘲的な独白である。

⑥「人生は舞台劇」
この曲と次の⑦が、本アルバムの真骨頂であろうか。死を目前にした男が、人生を振り返り、悟りの境地、諦(あきら)めにも似た、その人生観を、ひとり静かに語り始める・・・。クライマックス部分では、「やり直しはきかない」と、運命の残酷さを呪いつつも、しかし、「なんとかなるものさ」と、やはり諦念の観を露(あらわ)にする。そして、教会のパイプ・オルガンの様な音色のキーボードが、その陰鬱な気分に拍車をかけるのだ。

⑦「何となく何となく」
⑥のエンディングから、なだれ込む様に突入するこの曲。⑤の自嘲、⑥の諦観が、ある種のダンディズム(気取り)である事を証明する、こころの内を隠し立てせずさらけ出すかの様な作品。④での「愛が欲しい」と繰り返すリフレインと言い、「俺だって 俺だって いい目をみたい」と、てらいなく訴えるこの曲と言い、普段は斜に構えたニヒルな男が、死ぬ間際に一瞬、己が本心に素直に向き合う姿は、その激しいサウンドと共に、こころの奥底にダイレクトに届く。そして、多重録音、たったひとりの演奏である事による限りない一体感、孤立感溢れるグルーヴが極めて心地良い。マゾヒスティックな陶酔感さえ感ぢる作品で、私はとても好きだ。

⑧「殺ったのは俺じゃない」
アルバム自体のストーリーは⑦で一端終り、アンコール的な作品であろうか。本作のみ、作詩はキッコ・ヒズメと言う、謎の人物の手によるものである。恋人殺しの容疑者にされてしまう男の、不運と言うか、白昼の悪夢的な、絶望感、行き詰まり、焦燥・・・。理不尽なこの世、抗いきれぬ運命に対する、最後のあがきとでも言うべき作風は、本アルバムのラストを締めくくるに相応しい。

また、本文では言いそびれたが、上久保は、その慈愛に満ちたうた声もさることながら、まるで、むせび泣いているかの様な、表現力溢れるギター・プレイも素晴らしく、昂ぶる感情を更に盛り上げるベース・プレイも特筆すべきものがあると言う事を付け加えておく。

<総評>
あくまでもフィクションでありながらも、そのリアリティ溢れる詩、曲、演奏、声、それらが一体となり、全編通して聴く事により、リスナーは、あるペシミスティックな男の一生を、こころの底に押し隠した本当の声を聴く事となる。ゆえに、本作に付き合える人間は、おのずと限られてくるだろう事は否めない。

そもそも、本作の真の価値は、1972年当時の音色と言う事を除けば、「あの時代に、このブルース・ロック・サウンドをたった一人で・・・」「当時、あまりにも売れていないため現存数が少ない・・・」と言った、歴史的意義や、コレクタブルな見解では無い。否、もちろん、そう言った意味での要素も、充分過ぎる程、満たしている。だが、それらは、私の様な廃盤商人や、一部のコレクターのみに通用する価値観であり、普遍的なものでは無い。

本作の本当の良さとは、「私が今も聴き続けている」と言う事実や、ある種類の人間のこころに、極めてストレートに届く、非常に良く効く、と言う効能ゆえにである。つまり、生きているのだ。作品として死んでない。充分過ぎる程、今に通用する。

ただし、先にも述べた様に、あくまでも、ある一部の人種にのみ有効なだけである。まあ、せっかくCDで復刻され、誰にも手軽に聴きやすくなったので、私と趣味が合いそうな人は、是非、購入をオススメする。

そのサウンドは時代の産物であるが、このやるせない感情、そして、“人のこころは死ぬ”のだと言う現実は、いつの世も、そうそう変わるものでは無いゆえ・・・。

最後に・・・。販売元サン、宣伝費ちょうだい!!(^^)/

(つづく)

★「ジュン上久保(上久保純)②」(2004年12月30日の日記より再掲載)

★「ジュン上久保(上久保純)②」(2004年12月30日の日記より再掲載)

ジュン上久保「サンフランシスコの奇跡/NOTHINGNESS」。

このLPを初めて聴いたのは、10年も前になるだろうか?確か、代々木のフリマで200円で買ったのだった。その頃は、既に店もやっていたので、・・・と言う訳でもないが、昔からとにかくレコードは買い捲っていたので、買っても聴かない事など日常茶飯事なのだが、このレコードは、その簡素なジャケット及び、クレジットの少なさから、一度は針を下ろす気にさせられた。その頃は、日本のロックにあいそをつかし、歌謡曲にも傾倒していた頃でもあり、山口百恵などにも作品を提供している千家和也が作詩していると言うのも、その理由の一つであった。なんせ、近所の古本屋で、千家和也「作詩講座」なんてのも購入して読んだ事があるほど、興味の対象であったから・・・。

①「勲章いっぱいぶらさげて」
いきなりヘヴィなリフの曲で、愛や名誉と言った、一般的には価値があるとされている事柄を風刺した作品。オープニングの、この曲のせいで、“スピード,グルー&シンキ”(1970年初頭に活動していた、解りやすく言えば日本の“CREAM”みたいなグループ。加部正義在籍)と比較されたり、一緒にされるんだろうけど、まあ、彼らは本格派と言うか、歌詞も英語だし、洋楽そのものなんだから、寂しいからって無理に洋楽の仲間にしないでもらいたいものである。

②「死んだ恋人は」③「天国行きの最終便」
既にこの辺りで、ハード・ロックを期待する多くの人は挫折するのでは?これらスローなブルース・ロックは、柳ジョージを更に泥臭くした感ぢで、好き嫌いが分かれる所だろう。私も嫌いでは無いが、②③の歌詞には、ちょっとばかし、本場のブルースの訳詩的な印象を受けなくもない。しかしまあ、アルバム全体のバリエーションと言うか、ストーリー展開としては悪くない。

④「愛が欲しい」
この辺りから、このアルバム全体を覆うトーン、厭世的な人生観と言うものが濃厚になって行く。世間では、愛と友情、夢や希望などの、本当は個人の欲望に基づくものであるにも関わらず、嘘臭い連帯感や共感を求める押し付けがましい歌ばかりゆえ、これは非常に貴重である。もちろん、そんな失意や焦燥感を歌ったものは、他にもあるだろうが、そもそもが上久保ひとりの多重録音作品である事からしても、“独り言”的な強烈な孤立感が醸し出され、非常に心地良い。

ところで、本来なら、④と⑤の曲間は、レコードのA面とB面の境目なため、どう考えても、盤を裏返す時間は無音なのだが、今回のCDは、④のラストの急なフェイド・アウトの後、通常の曲間以上に短いタイミングで、⑤がすぐに始まるが、これには納得行かない。もともとのマスター・テープがそうであったのかも知れないが、当時はレコードで発売する事が前提なのだから、④と⑤の曲間は、せめて通常の曲間程度に空けていてもらたいものだ。それとも、これは上久保自身の意向なのだろうか?

B面に(つづく)

★「ジュン上久保(上久保純)①」(2004年11月30日の日記より再掲載)

★「ジュン上久保(上久保純)①」(2004年11月30日の日記より再掲載)

この日記の初期に、私のフェイバリットとして紹介した、ジュン上久保の「サンフランシスコの奇跡/NOTHINGNESS」と言うアルバムが、遂にCD化された。これで、誰でも気軽に、この作品を耳にする事が可能になったと言う訳で、この機会に解説してみる事にした。

まず、このアルバムの発売は1972年。世間一般ではフォーク・ブームがあり、歌謡曲がポップスと演歌とに二分される過渡期である。また、ニュー・ロックなる名称で、有名どころでは、ジョー山中の居たフラワー・トラヴェリン・バンド等、いくつかのロック・グループが活躍していた事も事実。そして、それら大音量のロック・バンドは、たいていメジャー・レコード会社から、しかし完全に商売とは無縁なところでリリースが為されていた。まだ、ロックなんか商売にはなり得なかった時代なのだ。日本のロックにおける、英語派の内田裕也一派と、日本語派のはっぴいえんどとの対立が論争になる時代でもあった。しかし、日本語ロックの頭脳警察は、どちらかと言うと裕也/ロック側であったし、はっぴいえんどもサウンド的にはロックではあるものの、日本語VS英語と言うよりは、やはりスピリット的な部分でのロック対ポップスと言う図式が根底にあったのではないかと推測される。そんな風潮の中にあって、後に歌謡界の大物作詞家(山口百恵他多数)となる千家和也がほぼ全曲の作詩(すべて日本語)を手がけ、上久保自身が全作曲、しかもすべての演奏をひとりでこなした、この作品が、こんな時代にひっそりとリリースされていたと言う事実は、まさにアルバム・タイトル通り、“奇跡”としか言いようが無い。

そもそも、このジュン上久保(上久保純)なる男は、元々、アメリカで音楽活動をしていた様で、日本に帰国後は、世界的なパーカッショニストであるツトム・ヤマシタのバンドに参加し、ツアー等も行なっており、その後は、柳ジョージと組む前のレイニー・ウッドを引き連れ、広島でブルースを演っていたらしい(なお、現在も、広島で音楽活動を続けている様子)。そこで、想像するに、当時、メジャーのレコード会社である東芝から、まったく無名の新人が、すべて本人演奏による多重録音でアルバムを発表出来たと言う事は、おそらく、アメリカで殆どの録音を済ませたマスター・テープを持ち帰り、東芝に売り込んだか、あるいは、東芝にレコードのプレスを委託し、自主リリースしよとした所、それがディレクターの目(耳)に止まって、急遽リリースが決定したのでは?等の推測が為される。そうで無ければ、東芝の幹部クラスとの強力なコネがあったか、上久保自身がよっぽどの金持ちで、スタジオ代等、すべて自腹でレコーディングしたとしか考えられない。ゆえに、渡米して音楽活動していたと言う事実も含め、海外録音と言う推理は捨て難く、このアルバム・タイトルにも納得が行くと言うものだろう。

次回は、私とこのレコードとの出会い、そして、その内容の素晴らしさについて語ろうと思う。

(つづく)
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