Mr.エレクトの独り言 2008年05月26日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

空想論

え~、空想とは、実に楽しい行為のひとつである。

かく言う私も小学生の頃は、授業中にも関わらず、教師の声なんてうわの空で、ありもしない空想に浸ったものだ。

今思うに、それはおそらく、自分自身の力では、まだ何も為し得る事も作り出す事も出来なかったがゆえに・・・であったのだろう。

・・・とは言え、創造と言う行為は、こころの内に描いた空想を現実の世界において実現する事・・・すなわち思いついたアイデアを実際に具現化する行為であり、そう言う意味においては、空想は創造の第一歩であるのだとも言えよう。

何せ、空想の世界とは、時間も空間も常識をも超越した、無限に拡がる自由なキャンパスなのである。

しかも、授業中であれば終業のチャイムが鳴ってしまうが、時と場所さえ許せば、気の向くまま、それこそ際限なく永遠に浸っていられるのだから・・・。

だがしかし、ひとつ困った事がある。

空想とは、ある種の現実逃避ではあるが、現実を拒絶したり否定すると言う事ではなく、あくまでもそれらとは全く無関係でいられる自由な世界を思い描く行為の事を指し、ある意味、すべてを自分で支配する事が出来る王国であり楽園であるはずなのだが・・・。

ところが、いつしか空想と現実の区別がつかなくなってしまう場合、及びその様な考えに至る人間が、ごくたまに居るのである。

そもそも、現実の世界においても、絶対であると言い切れるものなど、「人間は誰しも必ず死ぬ」・・・と言う宿命以外には有り得ないにも関わらず・・・。

何故だか、自分が作り上げた空想の世界を絶対的なものであると思い込み、自らが生み出した自らが支配すべき空想の世界から、逆に支配されてしまう有様。

その様な人間は、それが現実であれ空想であれ、常に絶対的なものに依存してしまう、被支配者的な体質が身についてしまっているのであろう・・・。

まあ、そうなってしまった経緯を思うと、私には、哀しみの感情しか芽生えないのであるが・・・。

しょせん空想とは、くそ面白くもない現実を忘れるための一時の遊びであり、常識を超越した自由な感性を解放するための玩具に過ぎない。

だからこそ、空想をもっと楽しむためには、現実なんてシカトし、現実なんて鼻で笑い、現実なんて小馬鹿にするに限るのだ。

空想と言う行為を、もっと楽しむ事が出来れば、金のかかる野暮な娯楽なんて一切必要無くなるはず。

空想の世界においては、如何なる行為も可能であるし、どんな残虐な方法で人を殺そうが・・・しかも何人殺したって平気なのである。

・・・ゆえに、現実に人を殺してしまう様な人間と言うのは、要するに空想力が足りないだけなのだ。

空想とは、楽しむものであり、もて遊ぶものであり、自分以外の誰からも支配されざるもの。

よって、空想力ってやつは、もっと自由に、そしてどこまでも自分勝手に、とことんまで酷使し尽くすべき代物なのである。