そして・・・。
「人を殺せば死刑にしてもらえる。」
社会に恨み・・・と言いつつ、結局はこの社会に依存してると言うか、常に何かしら施してもらいたいんだね~。
「あらあら、おこちゃまね~。おっぱいのみまちゅか~!!」(←byエド・●るみ)
・・・テトコですな。
こんな下らない世の中に期待したって、誰も何もしてくれないよ。
しかも、求めるものが自己の利益や満足感だけだなんて、図々しいにも程がある・・・。
だけど・・・。
ワイドショーで、あれだけ報道してもらって、最終的には死刑間違いない訳だから・・・。
犯人の思う壺・・・ちゅうか、奴の夢を叶えてあげただけって事になるな。
まあ、あれだけ殺したんだから、そのくらいのご褒美は当たり前か?
・・・とは言え、そもそも、日々死なない程度の小さな人殺しがあちこちで行われていると言う現実を放ったらかしにして、あの事件を語っても意味がない。
そもそも、「我慢するべき事」と「我慢すべきではない事」を取り違えてると言う事こそが問題点なのに。
子供達は人間らしく成長する事を阻まれ、大人とは名ばかりの“立派な作物”が大量生産されて行くのみ・・・。
要するに、この事件の本質は、「本当は我慢するべきではない事に対して我慢し続けた事」によって、「本来は我慢すべき事さえ我慢出来ない人間を作り上げてしまった」・・・って所だろうか。
(参考文献「自分を生かす“我慢”と、自分を殺す“我慢”(改訂版)」)
真面目って言うよりは、嘘つきなんだよね。
人々を競争に駆り立て、その収穫を搾り取る現在の社会システムに洗脳された親が、その子供を脅迫し続けた結果がこれだ。
何も変らないし、何も改善されない。
人間の尊厳を手に入れる機会を奪われ続けたんだから、しょうがないとは言え・・・。
どこかの誰かがまた、テレビのニュース報道に隠されたメッセージを受け取っているはず。
「次はもっとたくさん●さないと、こんなに大きくは報道してもらえないよ~!!」
・・・と。
★私の表現スタイルに慣れてない人が上記の文章を読むと、「なんて不謹慎な!!」と思われるかも知れマセンが、その前に、「怒りや悲しみを表現する方法は一種類ではない」と言う事に対して想像力を働かせてみて下サイ。例えば、誰もが同様の笑い方をする世界があるとしたら、そんなの気味が悪いと思いマセンか?ましてや、それを皆に強制するなんて・・・。それとも、「怒ったり悲しんだりして自分の感情を発散すれば問題が解決される」とでも思ってらっしゃるのかしら?
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