Mr.エレクトの独り言 2008年10月12日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

服従の連鎖

親が子供にしてあげるべき事とは、選択肢を広げる(増やす)事であり、間違っても選択肢を狭める事などではない。・・・と言う事を前提とするならば・・・。

いつか、「太田総理~」での議論中に出た意見に、「親として私は、子供の選択肢を広げるために、幼少時からバイオリンやら英会話等のお稽古事に通わせている」と言うものがあった。

確かに、出来るだけ早い時期に取り組まなければモノにならない職種と言うか技術と言うものがあるのも事実。しかし、子供がそれを望んだのであればともかく、その様な、“人より上のランクなりレベル”を目指させようとする親ほど、子供の選択肢を広げると言うよりは、その逆に、子供の進む道を限定しようとするのではないだろうか。

もちろん、その親は親で、本心から子供の将来を思うあまりの行為である事も間違いではない。おそらくその親は、“人より上のランクなりレベル”である事からもたらされる利益なり愉悦なり恩恵なり旨味を、自分の身を以って知っているか、その逆に、それを羨ましく思って生きてきたかのどちらかであろう。

・・・とは言え、下世話な推測をするならば、子供の出世はイコール親の名誉でもあり、老後の生活の安定度を高める重大な要素でもあるがゆえ、親が自分の世間体や将来の生活設計ために、子供の気持ちを無視し踏み躙っている場合も全く無いとは言い切れない。

よって例えば、これは偏見かも知れないが、仮にその親の子供がもしも、いくらそれが意義のある事とは言え、医者不在の山奥の村で医療活動をするだとかと言った、金にもならなけりゃ保障された確固たる地位もない職種を選ぼうとしたならば、そんな事絶対に許さないのではないか?・・・とも。

そう言う意味でも、この世における経済的な成功だとか、社会的な地位だとかに異常にこだわる親は、自分では子供の将来に対する選択肢を広げてやってるつもりかも知れないが、子供自身の“選択意思”や“自由意志”を認める気などこれっぽっちもないのではないだろうか。

ただし、それが上手く行けば何の問題もないのだ。経済的成功なり社会的地位を手に出来れば、子供は親に感謝するであろうし、自分も子供が生まれれば、自分が親からそうされた様に子供を教育するだろう・・・。

だけど問題は、子供が、親からの期待に応えられない場合・・・である。

親は親で、失望から子供を川に突き落としたりもするだろうし、子供は子供で親を金属バットで殴り殺した後に家ごと焼き払ったりもするだろうし、あるいは秋葉原の交差点にトラックで突っ込んだりもするのであろう・・・。

自分の快楽が他人の快楽であるとは限らない。

自分の満足が他人の満足であるとは限らない。

自分の幸福が他人の幸福であるとは限らない。

そして、それは血を分けた親子であっても・・・。

人はただでさえ、常に世の中の価値観や基準に照らし合わされ、劣等感を味合わされたり、疎外感を味合わされたり、絶望感や挫折感を味合わされているのだ。

親だけは、せめて親くらいは、子供の味方になってやっても良いのではないだろうか・・・。

飼い犬ぢゃあるまいし、世間の価値観や基準に服従する事によって得られる利益なり快楽のため、ましてや親の世間体や経済的安定のために、子供の“選択意思”や“自由意志”を奪うなんて・・・。

親が本当に子供のためを思うのならば、その子の持つ能力や可能性を見極め、その子がどんな道に進めば本当に幸せを得る事が出来るのかを、子供の気持ちに立って一生懸命模索すべきなのではないだろうか。

・・・まっ、そんな素敵な能力がある親なら、元より自分の価値観(←正確に言えば世間の価値観や基準でしかない)を子供に押し付けたり、一般的に幸福であるとされている形状に子供を無理やり当てはめたりなんかしないはずだけどね・・・。