何故なら、許容量を超えると自分を安定して保てなくなるため、自分を守るための自己防衛本能として、非常に利己的かつ他人に迷惑や危害を及ぼす本性が顔を出すからである。
なお、ここでは、その様な人の本性を、とりあえず人の悪性とでも称しておく。
また、そう言う意味においては、人は本来、利己的かつ自己中心的な生き物ではあるが、しかし社会に適応、参加、共存するために、常日頃はその悪性を抑えているのだと言う言い方も出来ようし、その許容量の大きさは、人それぞれに異なるものでもある。
ゆえに、生命の危険どころか、経済的な不安すら無いにも関わらず、その様な人の悪性を発揮する輩・・・すなわち「仕事が無くて貧乏でキャベツを盗んだ」とか「理不尽な抑圧に反逆して立ち上がった」と言う訳でも無いのに、自分が良い暮らしを継続したいばっかりに、とことんまでに人を利用し、必要以上に人を貶め、更に人から奪い取ろうとする権力者(既得権益者)達を、私は軽蔑するのだ。
さて、話がそれたが・・・。
よって、その様な極悪非道な人間(・・・と言うか、要するに獣の本性を隠さぬ人間)は別として、普段は善良な人間なのだが、自分が苦しくなるや、意識的にせよ無意識的にせよ他人に害を及ぼす行為を行ってしまう人間に対し、その行為自体を咎めたり直そうとする事はナンセンスであり、それよりも本当にしなければならないのは、その人が持つ許容量を広げる・・・と言うか、もっと耐久力を持たせるために肉体や精神を鍛える事にあるのだ。
すなわち、逆に言えば、悪性(本性)を持たぬ人間など一人も居ないのである。
しかしながら、人それぞれ、その許容量に差がある事は歴然とした事実。
・・・であれば、真に罪を問うべきなのは、その悪性ゆえに成された行為自体ではなく、その人間が持つ許容量の小ささであり、耐久力の弱さに対してなのである。
そして更に言えば、許容量のみならず、その人間が持つ欲望の大きさも、そこには関係してくる。
しょせんこの世は、“力による奪い合い”。
余程の数の人間が減らない限り、誰もが満足出来る幸福な状態なんて生まれ得ない。
そう考えると、おそらくは、この地球もまた、定員(許容量)オーヴァーって事なのだろう・・・。
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