ヒトラーを褒め称えるなど、もちろんもっての他であるし、百歩譲ってどんな価値観を持とうがそれは個人の自由であると嘯いたとしても、そんなものを平気で放送するテレビ局のデリカシーの無さにはあきれるばかりなのであるが、それでは日本における戦国の武将をさも偉い人の様に扱う歴史モノのドキュメンタリー、もしくは国営放送であるNHK大河ドラマの在り方には何ら問題はないのだろうか?と言う素朴な疑問が芽生えた次第なのである。
・・・思うに、それは被害者不在ゆえになのであろう。
何せ、第二次世界大戦や原爆であれば今でも被害を受けた生存者が居る訳だが、戦国時代に有無を言わさず武士に切り殺された町人や、高い年貢に苦しめられた農民なんかは、既にこの世に居ないのである。
おそらく、そう言う意味において、それらは既に時効って事なんだろうな。
あるいは、弾圧するなら皆殺しにして根絶やしにせよ・・・と言う教えか?
しかし今生きているドイツの善良な市民だって、当時はヒトラーを支持してたのではなかろうか?・・・って、学生時代は授業中寝てたので世界史の事は良く知らないが・・・。
ヒトラーをスケープ・ゴートにしたり、日本国民が軍部や財閥の戦略にまんまと乗せられて犯した過去の過ちに対する罪悪感をいつまでも引きずるよりも、他にするべき事があるのではないか?
しょせん、ヒトラーも日本も戦争に負けたから断罪の対象にされているだけの事。
日本に被害を受けたと主張する国々は、文句があるなら戦後にアメリカが日本に対して行った裁判にもケチをつけるべきではないか。あの時、アメリカがきちんと日本を裁けば良かったのだ・・・と。
あの日から日本はアメリカの植民地なんだから、日本にケンカを売るって事はアメリカにケンカ売るって事と一緒だ。
世界的に、表面的に野蛮な行為が許されなくなったが、その実態は、力によってこの世界が支配されている現実に変わりはない。
国家に限らず、各家庭、あるいは集団のある所に、必ずヒトラー(=ファシスト)は存在する。
日本人はつくづく、支配されるのが好きらしい。
遠い国の昔話に憤りを覚える暇があったら、人間の尊厳を踏み躙る様な目の前の現実に怒りたいものである。
常識、価値観・・・。今現在、この世に在るものがすべて正しい訳ではない。
そんなもの、力の強い奴が大衆を扇動・洗脳し、数に任せて自分に都合が良いように勝手にでっちあげただけの事。
真に批判されるべきは、人間のこころに潜むファシズムなのだ。
・・・がゆえに、それが本当に批判されるべき事なのであろうか?と言う疑問も、私は捨てきれないでいる・・・。
ともあれ、支配する事、される事、・・・それらを超越する快楽もあるのだと言う事を、私は訴え続けたい。
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