Mr.エレクトの独り言 2009年01月

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

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禁未来小説「ドラへもん」その88「無言の食卓」の巻

夏休み最終日。・・・そして、その夜。

パパはやけに張り切って夕食をこしらえた様で、やや興奮気味に、ボクを部屋から呼び出した。

フン!!ボクは、明日から学校が始まるって事だけで頭がいっぱいなんだ。そんな憂鬱なボクの気持ちを、パパは全然解ってない!!

ボクにとっては、今夜が最後の晩餐かも知れないってのに・・・。

パパはパパで、昔話に花を咲かせ、あの時はどうだこうだ・・・と、一人盛り上がって喋ってる。

だからボクは、ただうなずくか首をかしげるくらいの反応しかせず、終始無言で対応した。

パパとボクとのこころの断絶、そして一度離れてしまったその距離は、もうどうにも取り戻せやしないんだよ・・・。

ああ・・・。

今夜のディナーがそうであった様に、ボクは明日からの学校生活においても・・・否、これから先もずっと、誰とも口を利かず無言で過ごそう・・・。

そして、誰にもこころを開かずに生きよう。

ボクは何も望まない・・・。

ボクは誰も求めない・・・。

そうすればきっと、これ以上傷つく事も、悲嘆に暮れる事もないだろう・・・。

ボクのこころは、ボク自身で守らなきゃいけないんだ。

ウフフフ・・・。

ウフフフフフフ・・・。

人生って・・・。

生きていく事って・・・。

こんなに・・・。

こんなにも楽しいものだとは・・・。

ウフフフフ・・・。

お笑い種(ぐさ)だよ!!

(つづく)
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実録「レコード・コレクター地獄変」③「ジョニー伝説~序章」

A氏、何だか一部で人気があるので、もっと親しみやすくするためにジョニー氏(仮名)と呼ぶ事にイタシマシタ。ちなみに命名の根拠は、彼の顔がジョニー大倉とおすぎとピーコのおすぎを足して二で割った様な風貌だからでありマス。

さて、何故にジョニー氏が余裕ぶっこいてセミ・ホームレス生活なんぞやってられるかと言えば、その秘密はおいおい明かしていくつもりなのであるが、ある時、彼はこう言い放った。

ジョニー「東京で飢え死にする人は居マセンよ。」

「言うよね~!!」・・・と私。

そこで今回は特別に、私が徹底取材した彼の生活(主に食)スケジュールを、皆様にもお教えしようと思う。

日曜日。午前:教会。夕方:新宿中央公園。

月曜日。夕方:新宿中央公園。

火曜日。午前:代々木公園。

水曜日。朝:教会。夕方:教会。

木曜日。昼:代々木公園。

金曜日。夕方:池袋某所。

土曜日。夕方:渋谷某所。

上記、教会以外はすべて炊き出し系の食事配布行事。なお教会には、行けば食事にありつける所と、一時間程ありがたいお話を聞いたりそれをみんなで復唱した後にやっと飯にありつける所とがあるらしい。

また、小銭がある時は深夜のネット喫茶でシャワーを浴びるジョニー氏だが、とある教会では一日数十人限定でシャワーを貸し出してもいるそうで、二日連続の使用は不可だが、そこもたまに利用しているそうだ。

いやしかし、これなら確かに飢え死にするって事はないよな~。

でもジョニー氏、こうも付け加えた。

ジョニー「これぢゃ足りないよね。」

・・・と。

そこでジョニー氏、“拾い”をやって小銭稼ぎをする事により、その不足分を補う訳だが、それですべて良しと言う訳ではなく、一番問題となってくるのは、やはり寝泊りする住居であろう。

特に、寒い冬は・・・。

ジョニー氏、夜は一体どこで寝てるのか?

そんな素朴な疑問を初めとしたジョニー伝説の数々、そしてまた、物欲を満たす事のみを求めて生きた亡者の如きレコード・コレクターとしての日々と、その後の波乱万丈な転落地獄の人生絵巻の一部始終・・・。

いつかまた、その全貌を語る日も来るであろう・・・。

(第一部・完)

★書かねばならない音楽ネタが溜まっているため、当連載は一旦休止させて頂きマス。m(_)m

「ホームレス中学生」に便乗して「セミ・ホームレス中年」って本でも書こうかな。・・・って、そんなの売れね~か。

禁未来小説「ドラへもん」その87「パパからの手紙」の巻

夏休み最終日。

昼過ぎに目を覚ましたボクがトイレに行こうと部屋の扉を開けると、そこには一通の便箋が置かれおり、中身を見ると、それはパパがボクに宛てた手紙だった・・・。


『のひ太へ

こんなパパを許しておくれ。

パパは、私のパパ・・・つまりお前のオジイさんに当たる人と、生前に、とある約束をしたんだ。

オジイさんはいつも、私の優しく大人しい性格に気をもんでいた。

だから、私に子供・・・そう、のひ太が生まれた時に、ちゃんと厳しく子育てが出来るのかと不安で、いつもその事を口にしてたんだ。

このままぢゃ、安心して死ねない・・・とね。

それで私はオジイさんを安心させるために、もし私が自分の子育てに迷う事があれば、オジイさんみたいに頼りになる家庭教師を雇って息子をきちんと教育し直しマスから、安心して下サイよ・・・と伝えたんだ。

その約束をした数ヵ月後、まだお前が物心つかないうちにオジイさんは死んでしまったからな、お前はオジイさんがどんな人だったか、その記憶さえないだろうが・・・。

実を言うと、あのロボットの家庭教師、つまりドラへもん君のオプション機能であるキャラクター設定に使用したデータは、すべてお前のオジイさんのものだったんだよ。

ウフフフ・・・とは言ったものの、どうにも相性が悪かった様で、オジイ・・・いや、ドラへもん君はお前に壊されてしまったがな。

あ、いや、それをどうこう言おうってんぢゃない。

今にして思えば、子育てを人任せにする私こそとんでもなく無責任な親で、パパは本当に父親失格だったな・・・と反省する事しきりだよ。

だから、これからは酒も控えて、のひ太にも尊敬してもらえる様な立派な父親になるために私も努力するよ。

ところで、明日からまた学校だな。

よし!!今晩は久々に、親子で一緒に夕飯を食べよう。

パパより』


・・・そうだったのか!!ドラへもんの、あの乱暴で下品な口調は、みんなボクのオジイさんの・・・。

それにしても戦時中の軍隊ぢゃあるまいし、あんな横暴で威圧的な教育方法が現代っ子に通用すると思ったら大間違いだ!!

古いんだよ!!考え方が!!

ボクみたいなひ弱な子供は、もっとのびのびと自由に育てなきゃ!!

あ~あ・・・。

そんな事より、今日で夏休みも終りだからな~。明日からまた学校だよ。

あ~あ・・・。

行きたくないな~・・・。

また登校拒否してヒキコモリしようかな~・・・。

(つづく)

★嗚呼、度重なる艱難辛苦を乗り越えて、いつしかのひ太にも幸せな日々は訪れるのであろうか・・・。

伊藤耕

あの人のライヴを観ていて特に共感する点を、簡単に言えば・・・

「虐げられた人達を仲違いする様に仕向けるこの世のシステムを打破するためには、共闘する事が必要なんだ。」

って所かな。

(昨日酔っ払った勢いで書いたんで文法がメチャクチャデシタが、直しマシタ。)

急遽出演決定!!(無事終了イタシマシタ)

木幡東介の次回ライヴが、急遽決定イタシマシタ!!

1月23日(金)@新宿スモーキンブギにて、当初はドラム・ソロを予定しておりマシタが、やはりエレキ・ギター弾き語りに変更となりマシタ!!なお、木幡の出演時間は19時30分過ぎとなりマス。

場所:スモーキン・ブギ
料金:1500円+別途ドリンク代
開演:18:30

<出演順>
1:乃田吊(弾き語り)
2:広本晋(ソロ・ギター)
3:木幡東介(エレキ・ギター弾き語り)
4~6(以下順番未定)
:新世界オメコ倶楽部(三味線がいるロックバンド)
:久保田トリオ(仮名)(ギター、ドラム、サックス)~裏窓の久保田氏による別ユニット
:BVV-5

★当日、木幡東介のビデオ撮影をして下さる方を募集中!!

本日1月23日は・・・

18時30分頃までのA業となりマス。あしからず。m(_)m

「広島パンク~ハードコアの歴史」(番外編)~「C.O.P(CORRUPTION OF PEACE)」③

長らくお待たせイタシマシタ!!

今回は、C.O.Pが持つ特筆すべき二つの最重要な特色について述べたいと思うのだが、これは最初に結論から言ってしまおう。

まず一つ目としては、ベースとなるハードコア・パンクのソリッド(硬質)なサウンドにフリーキーかつサイケデリックな音色のギターが違和感なく絶妙に組み合わされていると言う点。そしてもう一つは、イントロや間奏等(~曲によっては後半部分にも)において転調やテンポ・チェンジがまるで当然の如く頻繁に行われる事のみならず、時には全く別の曲が挿入されているのかと思える程の劇的かつアグレッシヴな展開を見せる楽曲の意外性に満ちた構成及びそのアイデアやヴァリエーションの豊富さ・・・であろうか。そして、両者は間違いなく相関関係にあり、山上氏の自由奔放な感性がもたらすそのギター・プレイがあってこそ、あの変幻自在かつ七変化的なアレンジが可能となった事は想像に難くない。

思えば、山上氏加入後のGASのライヴにおいて、あのサイケデリックなギター・プレイは充分に異色ではあったが、「霊界」に収録されている曲等、新たに書き下ろされた楽曲自体がナルミ嬢の書く歌詞の世界に合わせたものとなっていたため、それほど革新的な意味合いは持ち得なかった。しかし、C.O.Pが演奏する激しくスピーディーな楽曲上にあっても、その間奏や歌の合間合間にまさしく宙空を切り裂くかの様に繰り出される鋭くシャープなギター・ソロは実に爽快にマッチし、更には随所で聴かれる浮遊感溢れるサイケデリックでしなやかなギターの音色との絡み合い等、持ち札が多くフット・ワークの軽いそのギター・プレイの数々が、それまではモノクロ(白黒)なイメージでしかなかったハードコア・パンクに、そのハードなサウンドやスピリットは失わずしてカラフルかつ多面的な魅力をプラス・アルファする事をも可能としたのである。

(もっとも、C.O.Pがアルバム全体はもちろん同一楽曲の内にさえ、あの様に多種多彩な音楽性を混在させる事が出来た理由には、当然の事ながら山上氏以外のメンバーの功績も大なのであるが、その辺りの考察はまた次回にでも・・・。)

ところが、その先進性ゆえに、当時主流であったUKタイプのストイックなハードコア・パンク・サウンド及び、その信奉者からすれば、C.O.Pの持つ音楽的な雑食性は邪道と呼ばれても仕方のないものでもあった。しかしながら、当初は余分な贅肉を極限まで削ぎ落としサウンドの攻撃性のみを過剰なまでに先鋭化させていったハードコア・パンクが、その激しさを更に追求していった結果、脱ポップ・ミュージック(大衆音楽)を極めたノイズ・コア化、へヴィ・メタルの特色である派手なサウンド作りや様式美を取り入れ融合したメタル・コア化、あるいは楽曲のスピードを更に追い求めた挙句にスラッシュ化する等、それぞれが様々な変容や進化を遂げる中にあって、それではC.O.Pは如何なる道を選択したのか?・・・と言う点こそが、本来語られるべき重要なポイントなのである。

まずは、C.O.Pを語る際に必ず引き合いに出されるUSタイプのハードコアうんぬん、すなわちロックン・ロール的な弾むビートを取り入れたノリの良いサウンド・スタイルであるが、これに関しては、ほぼ同時期にリップクリームも活動開始しており、またそれ以前にバッド・ブレインズ等、USハードコアのオリジネーターバンドが存在したからこそのネーミングな訳であるからして、それはいくつかある要素の一つに過ぎないと私は考える。

よって、C.O.Pの進化の軌跡が持つ真の意味合い、そしてハードコア・パンクの歴史に残したその重大な意義とは・・・。

(つづく)

<告知>
もう間近ではありマスが、C.O.Pのライヴが1月24日(土)@大塚MEETS(http://meets.rinky.info/)にて行われマス。今回、私は行けるかどうか微妙なのデスが、皆様お誘いあわせの上、是非どうぞ!!(^^)/
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ラジオブログ「家庭環境は個別」

■「ラジオブログ」とは、気軽に喋る様な文体で書くブログの事でありマス。まあ生放送ちゅうか、生書きブログって所かな。えっ!?ブログって普通はそうなの?


まあ何と言うのか・・・。

人が自己の価値観を形成する(植えつけられる?)に当たっての、その大きな元となる家庭環境ってのは、各々本当~に個別なんだな・・・と、最近特に思う。

子供時代は自分の育った家庭の価値観がすべてな訳だけど、社会に出てから色んな人の話を聞けば、各家庭毎にその価値観は本当に多種多様なんだなと言う事が良く解るよ。

すごく庶民的なレベルの話で言えば、納豆には醤油をかけるのが当たり前だと思ってたら、マヨネーズをかける家庭もあったり・・・と。

特に、最近は核家族化っちゅうの?祖父や祖母と別居してたり、兄弟もおらず親さえも離婚して片方しかいないとなると、もうその片方の親の価値観がすべてな訳で、その様な一対一の状況で刷り込まれた価値観ってのは、なかなか拭え去れないってのが現実。

否。それが決して悪いと言う訳ではなく、世の中には色々な価値観を持った人達が居るんだって事を実感出来ないまま、そんな人が自分と趣味が少々合うくらいで、異なる価値観の人間と簡単に結婚するからこんなに離婚も多いのではないかと・・・。

もちろん、その“差”を埋めるべく、どちらかが歩みよれば話は別だけど・・・。

あと、今はネットとかあって自分と趣味や価値観の合う人とだけ付き合う事も可能だから、余計にそれが加速されるのかもね。

私にせよ、もっぱら趣味の世界に没頭して、それをそのまま仕事にしてしまったから、恥ずかしながらここ数年・・・ホント、最近になるまでかなり自分固有の凝り固まった考えに執着してたし・・・。

子供の頃の他人の家族環境の話を聞くと、驚く事ばかりデスよ。

ああ・・・自分はこれでも幸せだったんだな・・・とかね。

うちの両親が喧嘩・・・それも口論すらしてるの一度も見た事ないもんね。

怒られるのはいつも私だけ・・・って、その話はもういいか。(^^;)

どっかで読んだ学説によると、母親は女性と言う立場ゆえに社会から受けた仕打ちに対する復讐を、知らず知らずのうちに子供に対してしてしまうとの事。

要するに、そもそも女性とは、その本質的な強さとか弱さではなく、その方が男にとって都合が良いがゆえに社会的に弱い立場に置かれてて、簡単に言えば食わせてもらうために、男(=ご主人様)の価値観に屈服しなきゃならないって訳。

・・・とは言え、もちろん男の中にはそうでない人も居るけど、たいていの男もまた、男の役割ってのを社会的に担わされてて、そう言った支配の連鎖の中に組み込まれて外では自分を抑圧してるがゆえに、せめて家庭内で威張らなけりゃやってられないんだろうけどね・・・。

こう・・・何て言うのか、上手い具合に出来てるな・・・と。

そう言う仕組みにまんまと乗っけられるのが、私にとっては最もいやな生き方な訳デスよ。

だから、それに異を唱える事が、自分に出来るせめてもの抵抗な訳。

あまりにも微力ではありマスが~!!

Mr.エレクトの「三行詩」①

「俺だけ救われよう」

・・・と言う気持ちが

誰一人救われない世界を作る

Darkcell「Iceworld」(CD-R)¥1500入荷!!

★DARKCELL

■「Iceworld」(CD-R)¥1500~全6曲収録
<収録曲目>Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ。
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元THE EXECUTEのリーダーでありギタリストであったLEMMY氏によるソロ・プロジェクト、“Darkcell”の3作目となる新作が、前作から実に短いスパンで発表された。収録されている全6曲のタイトルは「Ⅰ」~「Ⅵ」とローマ数字でのみ表記されており、本作が「Iceworld」を題材とした組曲形式のコンセプト・アルバムである事を伺わせるものとなっている。また、本作ではギター・サウンドよりも、主にストリングス調のシンセサイザーや打ち込みのドラムがメインとなっており、時折そこに唸り声にエフェクトをかけたヴォイスが被さると言った構成。ちなみに、アルバム・タイトルを直訳すると「氷界」あるいは「氷の世界」であり、そこから連想されるおおよそのイメージは、何もかもが冷たく凍りついた静寂かつ静閑な風景・・・であろうが、ここで描かれている世界は、むしろ吹きすさぶ激しい冷気や目の前に厳然とそびえ立つ氷壁の山脈等、人智を持ってしても抗いきれない想像を絶する極限状態がもたらす大自然の冷酷なまでの厳しさであり、それらはまた、人間が救いを待ち望むがゆえに抱く生半可な希望さえも徹底的に打ち砕く程の、“完膚なきまでの絶望”とでも言った精神状態を表しているかの様でもある。いずれにせよ、聴いていてその情景や光景がハッキリと目に浮かぶ様な、リアリズムに溢れた作品である事に相違はない。

■「The Moon」(CD-R)¥1500~全4曲収録
<収録曲目>New moon、Crescent moon、Half moon、Full moon。
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遅ればせながら紹介させて頂くこちらは昨年10月に発表された2作目で、こちらは「月」を題材としたコンセプト・アルバム。ジャケットのアート・ワークはREGGIO氏によるもの。
1曲目は浮遊感溢れるアンビエント・ミュージック的な作品で、本作の表ジャケットを眺めながら聴いていると、そこにある絵柄がぐにゃぐにゃと変形していくのが見えるかの様な、実に映像的な作風。2曲目は基本的にエレキ・ギターの分厚い音色や打ち込みのドラムに唸り声の様なヴォイスが絡むと言った構成で、前半こそ淡々としているが、後半ではその後の変貌を予感させる前兆の如く曲調が更に禍々しく変化する。そして3曲目は一転、人のこころに潜む不安を掻き立てる様な不安定な音と鼓膜を切り裂くような音とが目まぐるしく交錯するカオティックかつ幻想的なナンバーで、それはまさしく“狂気の象徴”でもある月のダーク・サイドを表現しているかの様だ。そして更にラストの4曲目は、再び打ち込みのドラムによる重く激しいビートが加わり、当初はやさしく穏やかな光を放っていたはずの月が次第に見る者を狂わせ、人を本能のままに生きる獣に変貌させてしまったかの如きイメージを想起させる。しかしながら後半パートにおいては、その混沌としたサウンドの中にも美しい音色が明らかに挿入されており、そこには激しい怒りや憎しみの中にあってなお人間のこころを失うまいと苦悶し葛藤する半獣半人の姿が描かれているかの様でもあるのだ。
それにしても、表面的なサウンド・スタイルこそ異なるが、LEMMY氏の、特にエクスキュート時代に顕著であった、まるですべての権威や退屈な空気に抗うかの如き荒々しい激しさの中にも凛とした気高さを兼ね備えた骨格のしっかりとした楽曲、そしてそれらを形成する基となる強固な意志と揺るがぬ美意識とで貫かれた作品作りの姿勢は今もって不変であると言う事を、私は本作によって改めて思い知らされたのであった。
(在庫僅少!!ジャケットのカラー数種アリ、一部のディスクにはボーナス・トラック収録。)

■上記2点は当店にて販売中!!通販も可能!!

臨時Q業のお知らせ

風邪悪化にて、本日1月18日(日)は臨時Q業させて頂きマス。

あしからず。m(_)m

本日は・・・

本日1月16日(金)は、夕方までのA業となりマス。

あしからず。m(_)m

禁未来小説「ドラへもん」その86「諸悪の根源」の巻

ボクは必死で考えた・・・。

ボクがこれからも生きていくためには、何かしらの生きがいと言うか、目的意識が必要不可欠だ。

・・・かと言って、こんなボクに明るい未来や希望なんか皆無なんだし、だったら誰かを怨むなり憎むなりして、それを糧に生きていくしかないぢゃないか!!

誰なんだ!?それは一体・・・。

あの忌わしい、家庭教師ロボットのドラへもんか?

・・・確かにあいつはとんでもない奴だったけど、この悲惨な現状を生むきっかけとなった瑣末にして卑小な存在に過ぎない・・・。

ならば、ドラへもんを送り込んで来た“複浪博士の未来塾”の世話氏か?

・・・確かに、あんな出来の悪いロボットを寄越したと言う点において、その管理能力の欠如は重大な責任問題だけど、それはあくまでもパパの人選によるものだったはずだし・・・。

それぢゃあ、やっぱりパパか!?

否!!違う!!パパは子供に甘くてやさし過ぎるけど、心底悪い人ぢゃないって事は解ってる。

・・・だとすれば。

そう!!パパのパパ、つまりボクの祖父が悪いんだ!!そのジイさんがパパを駄目にし、そのせいでボクも駄目になってしまったんだ!!

だから、そのジイさんがすべての負の連鎖の元凶・・・ん?待てよ。・・・て事は、そのジイさんを駄目にしたジイさんのパパ・・・要するにボクの曽祖父ことヒイジイさんも悪いって事になる!!

いや、もしかしたらそのヒイジイさんも被害者で、更にそのパパであるヒイヒイジイさんが諸悪の根源・・・?

ああ!!もう訳解んない!!

もしもタイムマシンが発明されてれば、過去に遡って元凶となる人物を探し出して懲らしめた上に、ボク達子孫に迷惑かけない様、徹底的に教育し直してやるのに~!!

・・・って、あれ?これと似たようなストーリーの漫画、どっかで読んだ気が・・・。

とにかく・・・ボクはもう、人生に疲れたよ。

(つづく)

Mr.エレクトの「教育論」

過去には経済至上主義社会の支配体制及び搾取のシステムに対する批判(あるいは愚痴?)をこぼしまくっていた私でありマスが、最近は家庭内における教育問題に関心が移っておりマス・・・。

さてそれでは、電車内で自分の子供が大声出して騒いでいたとして、あなたは子供をどのように叱りマスか?

昨今は多いらしいデスな。自分が悪役にならず、「(誰かに)怒られるからやめなさい!!」と、世の中に存在する権力なり権威によって子供を脅すタイプ。言うなれば、これは“罰を与える事による教育”、もしくは“脅迫による教育”ってやつ。しかも、現実に存在する権力や権威を引き合いに出すのならともかく、時には居もしない“神様”の力を借りて、“バチが当たる”だとか“地獄に堕ちる”などと、まるで「お化けが出るぞ」とでも言わんばかりのまさしく子供騙し、あるいは“霊感商法”まがいの脅しまでやらかすから困ったもんである。

また、上記を解りやすく言い直せば、単に「悪い事をすれば自分が罰せられる事になるからやめなさい」って事であり、ゆえに「怒られなければ何をしても良い」だとか「自分が傷つかなければ何をしても平気」だと言う利己的かつ自己中心的な考えを生む元凶になるため、これは絶対に良くない叱り方だと私は思う。

事実、今の世の中を見れば、その様な考え方がどれほど蔓延っているのかが良く解るだろう。

そして次に、親自身が権力や暴力によって子供を叱る場合。これもある種、責任逃れや責任転嫁をしない分、前者よりマシではあるが、親の目の届かない所でこそこそと、あるいは叱ってくれる人のいない所では堂々と悪事を働く様になってしまう場合も多々あると思われる。

もっとも、叱る際に善悪の基準をきちんと教える事が出来ればまだ良いのだが、これもやはりしょせんは“罰を与える事による教育”に違いはなく、親が自分に対して愛情を注いでいるからこそ叱ってくれているんだとの認識が子供自身にあれば良いが、その裏付けがなければ、やはり前者同様、自己の保身や安全を守る事、あるいは自己の利益や快楽のみ優先する様な生き方を覚えてしまうのではないだろうか。

よって、やはり最も大切なのは、「電車の中(=世の中)には色んな(人格や価値観を持った)人が居るんだから、お前が騒ぐと不快な気分になる人も居れば、傷つく人だって居るかもしれないんだぞ。」・・・と言った具合に、他人に対する思いやりや気遣いを教えるような諭し方をする事、そして更に、これは親である自分が人前で恥をかいて嫌な思いをしたくないと言う様な自己の保身や世間体だけを気にした利己的な理由からではなく、あくまでも本心から子供の人生や将来を思うがゆえの行為であり、愛情に基づくものなのだと言う事を理解させる必要があると言う事であろう。

ちなみに、いつかどこかで耳にした情報によると、三歳になるまでは無条件に叩くなどしてキツく叱らなければいけないが、三歳児以降はただ叩いたり叱ったりするだけではなく、きちんと言葉で説明して子供を納得させる事が重要なのだそうだ。

そもそも、動物における成長とは、餌を獲る事や外敵の攻撃から家族や群れの安全を守るための、ある種利己的な能力や技術を身に付ける事であるかも知れないが、ただそれのみを指して、これが人間としての成長であるなどとはとても呼べまい。

ゆえに、ある意味、三歳児までは“人間になるために”、そしてそれ以降は“人間として”育てなければいけないって事なんだろうな。

しかるに、子供に対して“罰を与える事による教育”をいつまでも続ける親は、やはりその様な親のせいで“人間として”育ててもらえなかった可能性が非常に高いのではないだろうか・・・。

そしてまた、“罰を与える事によって管理”されているこの世の中は、人間を人間として扱っていない社会なのだとも呼べるし、逆に言えば人間として育てられていない人間が多いゆえにそうするしかないのだとも言い換えられよう。・・・だがしかし、いずれにしろこれらが相互に影響を及ぼしている事を疑う余地はない。

・・・と、それはまたいずれ。

★ちなみに私は・・・「親の目の届かない所でこそこそと悪事を働く」←これになりマシタ!!(^^;)

想像上の話

世の中には、“ただ微笑んだ”・・・と言うだけで親や周りの大人達から、「かわいいかわいい」と、ちやほや誉めそやされる子供が居る。

・・・らしい。

そして、おそらく・・・ではあるが、その子供自身としては何も、「こうしたら人が喜ぶだろう」だとか、「人から愛されるためにはこうしなければいけない」などと言った、狡猾な策略や邪(よこしま)な思惑とは無縁であるかのようにも見えるのだ。

実際、それは持って生まれた天賦の才能であるかの如く、彼らの笑顔には微塵足りとも邪心がなく、純真無垢さによって光り輝いてさえいるのである。

ところが、そうでない子供にとって見れば、如何にして親に誉められるか、如何にして人から愛されるか・・・と言う事を、見よう見まねで学習して行くしかない。

何故ならば、彼らは過去において、無条件に誉められたり愛されたりした経験が皆無・・・あるいはあまりにも少ないからなのだ。

ゆえに、そんな子供が一度何かを誉められでもしようものなら、再びその栄誉に預かろうと、その事に一生懸命になり、その方法論をひたすら繰り返すのである。

よって、そう言う意味においては、無条件に誉められたり愛されたりする子供も、もしかすると知らず知らずのうちに過去の体験からそれを学習しているのかも知れない・・・と言う推測が成り立つ。

そう・・・。

これはあくまでも想像上の話でしかないのだが、あの天真爛漫な子供らは、赤子の時分から親を始めとした周りの人達に愛され、常に笑顔で接してもらっていたがゆえに、愛される喜びを表現する術・・・すなわち人に愛を与える方法を無意識のうちに学んでいったのものと思われる。

青森出身の友人で、親から虐待を受けて育った男が居るのだが、その彼がふとした瞬間につぶやいたセリフを、私は一生忘れない。

「ボクにとって、“愛する”って事は、“憎む”って事なんデスよ。」

禁未来小説「ドラへもん」その85「回想と葛藤」の巻

ボクは・・・想い出していた・・・。

楽しかったあの頃・・・。そう、ボクたち家族三人が、和気あいあいで過ごしていた幼少期の頃を・・・。

パパはボクを一度さえ叱った事などなく、とことん優しかったし、ママはいつも明るく、我が家はいつも笑顔と至福に満たされていた・・・。

もっとも、ボクは学校でこそ、ショック団のシャイアンとスネトに苛めを受けてはいたけれど・・・。

だのに、あの日・・・そう、あの日からボクたち家族は、そしてボクの人生は大幅に狂ってしまった。

それはあいつ・・・あの忌まわしきドラへもんが我が家にやって来た日からなんだ。

確かあの時、パパはこう言った・・・。

パパ「いいか、のひ太、よく聞け。どうもパパはやさしすぎて、お前を駄目にしてしまうきらいがある。本当はもっと厳しくのひ太を教育しなきゃあならん立場だと言うのに、父親失格なんだよ、パパは・・・。」

そして、ボクはこう答えたはずだ。

のひ太「ううん!!そんな事無いよ!!パパはやさしくて素敵なパパだよ!!」

・・・と。

だからって、あんなロボットの家庭教師を頼むなんて、パパのした事はやっぱり、親としての責任放棄以外の何物でもないよ!!

ボクは・・・。

ボクは、駄目人間でも良かったんだ・・・。

こんなつらい思いをするくらいなら・・・。

うう・・・。

だけど、本当に・・・。

だけど、本当にそれで良いのかと問われたら、ボクは答えに詰まるだろう。

いずれにせよ、いつかはパパとママに心配や迷惑をかける事になってしまったかも知れないし・・・。

でも、でもさ!!ボクはまだ小学生なんだ!!もう少し、もう少しだけパパやママに甘えたって良いぢゃないか!!

ひどいよ!!

どうしてボクだけ、こんな悲しい目に遭わなくちゃならないんだ!!

憎むべきは・・・。

本当に憎むべきなのは・・・。

あいつか!?

(つづく)

REVOLISIST RECORDS作品各種入荷!!

REVOLISIST RECORDSとは、ライヴハウスでもありKAMEIDO HARDCORE RECORDSを主宰されている、亀戸ハードコア様による新レーベルです。

★LOUDS(西村茂樹/伊藤秀孝/ヤマジカズヒデ/サワサキヨシロウ/須藤俊明)
■「PUNK ROCK LIBERATION-LIVE AT KAMEIDO HARDCORE 2008」(CD)¥2500~初回限定紙ジャケット仕様/全13曲収録
形骸化したパンク・ロックが蔓延る昨今、彼らのハイ・テンションなライヴを収録した本作は、西村氏曰く「大人による大人気ない本気のPUNK」との宣伝文句に偽りなしの内容である。また、ただうるさいだけになってしまいがちのラウドな音塊でありながらも、LOODSやLOUD MACHINE時代から変わらぬ西村氏の独特の声質やその直立不動な発声方法が、このバンドに明快かつ明確な個性を備えさせていると言う点は非常に興味深い。閉塞しきった世の中に向けて真っ直ぐなメッセージを発するLOUDSは、決して懐古的にではなく、今現在この時代にこそ耳を傾けるべきバンドなのだと言えよう。
●初回購入特典:缶バッヂ1点及び、THE LOODSの未発表スタジオ・デモ「Mighty Leaders」を含むメンバー5人各々のソロや在籍グループの未発表音源を集めたオムニバスCD-R。
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★WATCH OUT
■「WILD BORE」(CD)¥2000~全10曲収録
元MARILYN&THE RED ARMYSが改名。どこか下町の香りを漂わせる、ワイルドかつアッパーなパンク・バンド。荒っぽい中にも人情味が見え隠れする、日本人による日本語のパンク・ロックです。
●先着購入特典:ツアーTシャツ(数に限りがありマス)。
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P1010002WATCH OUT2
(特典のTシャツはバックにツアー・スケジュールのプリントもありマス!!)

★上記は当店にて取り扱い中!!通販も可能!!

実録「レコード・コレクター地獄変」②「炊き出し(後編)」

私はジョニー氏に、こう問うた。

私「へ~!!炊き込みご飯って、どんな具が入ってるんデスか?」

すると、ジョニー氏曰く・・・。

ジョニー「人参とか色々・・・。」

それを聞き、具材はそんなに豪華ではないだろうと判断した私(←極度の肉嫌い)。

私「へ~!!ボクも食べさせてもらって良いんデスかね~!?」

ジョニー「良いんぢゃないデスか。」

だが、炊き出しが行われている場所は客席となっている階段を下りた公園の更に奥の方ゆえ、そこまで歩いて移動するのも何だかメンドクサイな~!!・・・と思い直し、私は人生初の炊き出し体験レポートのチャンスをみすみす断念する事に・・・。

そしてふと、ジョニー氏が小さな紙コップを手にしてる事に気づいた。

私「あれ~!!ジョニーさん、何飲んでんスか!?」

ジョニー「あっ、これ酒デスよ。」

私「え~!!自分だけズルイ!!ボクにももらって来て下さいよ~!!」

・・・と、立ってるものは親でも使えとばかり、すぐそこで配ってる酒を持ってこさせる私。

ところが・・・。この寒いのに、それは冷たい日本酒だった。

ひえ~!!てっきり暖かい甘酒とかかと思った~!!

・・・てな具合に、年末年始のハードな仕事で疲れた私は、ちょっと動くのもだるい状態で、観劇を続けていた訳でありマスが・・・。

私「ところでジョニーさん、次の炊き出しの予定は明日とか明後日なんデスか?」

ジョニー氏は、徒歩での移動オンリーにも関わらず、新宿のみならず渋谷や池袋で週に1~2回程度行われる炊き出しにも顔を出しているのだ。

ジョニー「今日は、ここ(新宿)で昼と夕方の2回、あるんデスよ。」

私「へ~!!ぢゃあ、今日は演劇終わってからもこの辺でしばらくうろうろして時間潰して、2食目にありつけるんデスね~!!」

ジョニー「いや、夕方は渋谷の炊き出しに行きマス。」

私「え~!?1人が1日2回配給してもらうのは駄目なんデスか~?」

何と、私のその問いに対してのジョニー氏の回答は、驚くべきものであった・・・。

ジョニー「あっち(渋谷)で出るメニューの方が好きなんデスよ。」

私「ええっ~!!そのためにわざわざ渋谷まで歩いて~!?ゆうに一時間はかかるでしょうに~!!ここにいれば体力も消費せず次の飯にありつけるのに、わざわざ移動するなんて考えられな~い・・・。」

ちなみに、本日の渋谷での炊き出しのメニューはモツ煮込みご飯だとの事・・・。

いやはやしかし、これは何とも、落ちぶれてもグルメ・・・と言うか、欲望の赴くままにレコードを買い捲くり身を持ち崩してしまったジョニー氏に相応しい、あきれたエピソードではなかろうか・・・。

何せ、こんなセミ・ホームレスの状態になってまで己が欲望を最優先するのだから、彼はまさしく浪費癖による破滅型人間の典型と言えよう・・・。

しかしジョニー氏に、他のホームレスの人達や急に派遣を切られて失業した人達のような切迫した様子が無い事には、隠されたある明確な理由があったのだ。

(つづく)

禁未来小説「ドラへもん」その84「父子の断絶」の巻

カップ麺でも食べるか・・・。ボクはやつれた肉体をひきずる様に、階段を下りていった。

すると、居間からテレビの音が・・・。

そうか、パパが居るって事は、今日は日曜日なんだ・・・。

ボクはそ~っとキッチンに忍び込み、買い置きのカップ麺に注ぐお湯を沸かすため、ヤカンに水を入れようとした・・・と、その時、居間から声が・・・。

「ん!?のひ太か?」

どうやら、パパに気づかれた様だ。・・・だけど、ボクは返事せず無視をした。

「夏休みの宿題は終わったのかね?」

パパの奴、また酒飲んでるな。

「どうした!?返事くらいしろよ~!!」

・・・もう限界だった。

疲れてるせいもあったんだろう。でも、あまりにものん気なその口調に対し、これまでたまりにたまったボクのこころの鬱憤や鬱屈が思わず爆発してしまった。

のひ太「うるさい!!パパのせいだぞ!!みんなパパが悪いんだ!!ママが家を出て行ってしまったのも、ボクがこんな駄目な人間に育ったのも、みんな・・・みんなパパがだらしないからなんだ!!」

パパ「おいおい、どうしたってんだ、のひ太!!パパびっくりするぢゃないか・・・。」

のひ太「どうしたもこうしたもないよ!!」

居間とキッチンを繋ぐ扉を開ける事さえないまま、ボクは声を荒げ、姿さえ見えぬ隣室のパパを罵り続けた。

のひ太「パパが・・・パパがボクをちゃんと厳しく育ててくれなかったからいけないんだ!!パパは自分が悪者になりたくないだけで、ボクの将来の事なんて本当は何も考えてないんだ!!パパのその一見やさしさに満ちた行動は、ただ単にパパ自身の甘えに過ぎないんだ!!」

パパ「の・・・のひ太・・・。」

のひ太「パパは・・・。パパは無責任だ!!」

パパ「おお・・・ゴメン!!ゴメンよ、のひ太。だけどこれだけは聞いてくれ。パパのパパ・・・つまりお前のお爺サンはすごく厳しい人でな。パパは子供の頃、すごくつらい思いをして育ったから、パパに子供が出来たら、もっと自由にのびのびと育てようと思って・・・だからパパは・・・。」

のひ太「うるさい!!そんな言い訳聞きたくないよ!!パパも親のはしくれなら、子供が社会に出ても立派にやっていけるよう責任持って育てるべきぢゃないか!!それを、ママに逃げられたせいで昨日も今日もカップ麺カップ麺・・・。親ならもっと親らしくしたらどうなの!?」

パパ「・・・の・・・のひ太・・・。その通りかも知れない。パパは父親失格だよ・・・。」

のひ太「フン!!」

ボクは、沸かした湯をカップ麺に注ぎ、二階の自室へ戻った。

パパの顔を、一度も見る事さえなく・・・。

解ってる・・・。解ってるさ、パパのやさしさ、そしてボクに対する愛情は・・・。だけどそれぢゃ駄目なんだ!!夢も希望もないこのボクに唯一残された生きていくための糧は、誰かを憎む事くらいなんだ!!それなのに、あんな弱々しい姿を見せられたら・・・。

憎むに憎めないぢゃないか!!

畜生!!

(つづく)

実録「レコード・コレクター地獄変」①「炊き出し(前編)」

ジョニー(仮名)と言う男が居る。

彼は元レコード・コレクターで、他に何一つ趣味を持たず、30年近く、ただただレコードだけを買い続けていた。

また、父は既に死去していたのだが、ある時期は母が病気で入院したのを良い事に、母の貯金はおろか年金や保険金にまで手を出して飛行機で九州までレコードを探しに行く程のクレイジーな買いっぷりでもあった。

ゆえに、1万や2万はもちろん、絶頂期には5万円や10万円のプレミア・レコードも迷わず買い捲っていたのである。

だが、その後、母が死に、家賃を滞納しすぎたため大家に怒鳴られるのが怖いからと言う理由でアパートにも戻らず、一年くらい前からセミ・ホームレス生活をしていたのであったが・・・。

ところで、毎年の年末年始に、水族館劇場と言う劇団による“さすらい姉妹”と言う女性ユニットをメインにした投げ銭による(カンパのみを収入源とした)野外公演が行われており、年明けの1月3日には近所の新宿中央公園でも開催されると言う情報を聞きつけたゆえ、私はふらっと出かけてみる事にした。

そして、客席代わりとなっている、かなり段差のある二つの公園を繋ぐ横幅の広い石段の最上段に腰をかけ、公演の様子を見るともなく眺めていた・・・。

すると、目の前に見覚えのある男性・・・そう!!そこに居たのは、件の元レコード・コレクターであり、現セミ・ホームレスのジョニー氏であった。

「あれ~!!ジョニーさん、どうしてこんな所に!?演劇なんか一切興味ないはずなのに。」

・・・しかし、謎はすぐに解けた。

そもそも、さすらい姉妹の公演自体が、都内各所で週に1~2回行われる“炊き出し(主にホーム・レスの人達のために無料で食事を配膳する行事)に合わせて開催されているため、観客の殆どは水族館劇場のファンと言うよりは、炊き出し目当てで集まった人達なのである。

現にジョニー氏は、既に昼の炊き出しで配膳された食事にありついており、どんなメニューが出るの?と、私が興味本位で聞くと、ジョニー氏曰く「今日は炊き込みご飯だったんデスよ」・・・との事であった。

(つづく)

禁未来小説「ドラへもん」その83「魂の亡骸」の巻

夏休み?日目。

ボクは、ふいに目を覚ました。

今日は一体、何月何日の何曜日なんだろう・・・。

あれから数日間、ボクはただただベッドの上で寝たり起きたりを繰り返していた・・・。

それゆえ・・・。

いつしか体力は衰え、もはや何かをする気力すらなく、ボクは「もうどうなってもいい!!」・・・と、言わば消極的な自殺願望に身を任せ、命を繋ぐ残りわずかな意志の欠片を今まさに手放さんとする寸前・・・。

・・・の、はずだった。

おそらく・・・。

アパートの独り暮らしをしている老人の死ってのは、こんなもんなんだろうな。

だって・・・。

未来・・・そう・・・。向かうべき道が、目指すべき光が既にないんだもの・・・。

ウフフ・・・。

だけど、おかしなもんだ・・・。

こんな状態にありながらも・・・。否、むしろこんな状態にあるゆえになのか、ボクの胸の内に巣食う何かが、むずむずと抵抗を始めやがる・・・。

こう・・・上手く言えないんだけれど、もしかしたら、これが生存本能ってやつなんだろうか?

ただし、あまりにもか細過ぎるせいで、身体エネルギーがここまで落ち込んだ今になって初めて、それがようやっと顔を出したって所か・・・。

フフフ・・・。

「生きろ」・・・とでも言うのか?

こんなボクに・・・。

夢も希望も何もない・・・。

このボクに・・・。

この先どうやって・・・。

一体・・・。

何のために・・・?

・・・。

ナ・ン・ノ・タ・メ・ニ!?

(つづく)


★連載再開!!生きながらにして魂を八つ裂きにされるかの如し、のひ太少年の羞恥と煉獄の地獄巡りに終りなどないのでありマス・・・。

「家族の問題~個人の闘争」

家族の問題と言うのは、個人個人、本当に個別である・・・と言わざるを得ない。

私なんか、何だかんだ言って幸せな方で、中には生まれた時から両親のいなかった方、片親、両親揃ってても幼児虐待・・・等、大人になって人から色々な話を聞くにつれ、自分の甘さを思い知らされるばかりなのである。

だが、子供にとっては家族との関係、あるいはせいぜい学校での出来事が、人生のすべてであり世界のすべてなのだ。

その渦中にあって、他所の家族と比較して「自分はまだマシな方」・・・と言った判断が出来ようはずなどない。

・・・とは言え、文化の著しく異なる別の国に住んでいた訳ではないゆえ、確かにそれほど大きな隔たりはないのだとも言えよう・・・。

しかし、そこで味わった喜び、悲しみ・・・ましてや“孤独”な思いに至っては、育った環境や持ちうる能力の似通った者が共感するならともかく、赤の他人には絶対に理解し得ようはずがない。

ましてや、それを味わった事のないものにとって見れば・・・。

出来る事は、ただ想像する事だけ・・・である。

見ず知らずの人達や親族でも血族でもない無関係の人達といきなり一緒にされる学校での事であればまだしも、血の繋がった者同士、無償の愛情と言う絆によって結ばれているはずの“家族”の中において味わう“それ”は、しかも自分で物事を決定する事も得る事も出来ない弱い立場にある子供にとって、これほどキツイ事はない・・・。

よって、それ以来、私は家族制度はもちろん、価値観の異なる者が何らかの共通性・・・例えばただその地域に生まれたと言う事だけで所属させられる国家や学校のクラス等、それら集団内において価値観を一種類に統制しようとする強制的な思想や行為に対し、異常なまでの嫌悪感と反発心を抱くようになってしまった。

私がひねくれ者なのは生まれつきなんかではないのだ。

もっとも、今でこそ色々な事象を見聞きして学習する事によって、「自分は全然マシな方」だと思えるようになったが、それはあくまでも知識や理屈によって過去の出来事を整理しているだけに過ぎず、あの時の“悲しい気持ち”が消える事は一生涯あり得ないのである。

そもそも、他者との比較によって自分の孤独が軽減されるのであれば、こんな楽な事はない。

しかるに、父親からの抑圧に対する抵抗心のみで今日まで生きてきた私ではあるが、逆に言えば、それは父との関わり方や幼少時の記憶からもたらされる負の呪縛から逃れられない・・・否、むしろいつまで経っても依存してきた結果に過ぎないとも言える訳で、それすなわち異なる価値観の対立によって受動的に形成された人間像であり、これでは本当に自分の人生を生きているとはとても言い難く・・・。

しかしながら、そう言った家族間なり集団内における“個人の闘争”を終結させる事なくして、自尊心や自立心が芽生える事などあり得ないのだと言う考えも否定し得ない。

何故なら、私自身も実際、ある時期に私の人格や性質を尊重して抑圧から解放してくれた父に対し、そしてまた、この年齢になってその寛容な態度に対し感謝の念を抱く事が出来る様になって初めて、幼少時のトラウマに囚われる事もなく自分の置かれた環境や巷に蔓延る価値観に惑わされる事もない、言わば“対立心に依存せぬ独立心”を獲得するための第一歩を、ようやく踏み出せたと言う気がしてならないからなのである。

それにしても、我ながら時間がかかり過ぎた・・・と言うか、気づくのが遅すぎた感は否めない。

ともあれ、打ち砕かれた自尊心を、この世の支配者にとって都合の良い比較や競争の原理にひれ伏さずして取り戻す事は容易ではない。

ゆえに、真の強さとは、他者を打ち負かすための“力”ではなく、たやすく揺らぐ事のない確固たる“自信”にこそあるのではなかろうか・・・と、私は考える次第なのである。

・・・だから、今はただ見守る事しか出来ない。

「頑張れ。」

エゴと愛情

愛情の形態と言うものは、人それぞれに様々である・・・。

・・・と言うか、まずは何を愛情と呼ぶか、その定義を明確にしない事には、それが本当に愛情と呼べるものなのかどうかはいささか懐疑的にならざるを得ない。

例えば、親が子に注ぐ愛情は無償だと言うが、そもそも自分の子供に愛情を注ぐ行為は、単に自己愛の延長に過ぎないと言う気もするゆえ、それを本当に愛情などと呼ぶべきなのか、私にとってははなはだ疑問なのである。

もし仮に、“与える事”が愛情であるとするなば、見返りを求めない事はもちろん、意識的にせよ無意識的にせよ、それ(与える事)によって自分が何らかの利益なり快楽を得る事を目的とすべきではないのではなかろうか。

要するに、ある意味それは“与えてる”のではなく、“与えさせてもらってる”に過ぎないのではないのか?・・・とも。

すなわち、「私は誰々に愛情を注いでる」とは良く聞く言葉であるが、・・・と言う事は、そこには愛情を注がせてもらえる対象が絶対に必要であり、その対象である“誰か”が居なければ成り立たず、しかもその対象となる誰かが自分の愛情を受け入れてくれるからこそ成立し得ている訳で・・・。

そう言う意味においては、誰かに愛情を注ぐ人間よりも、誰からの愛情をも無条件に受け入れる人間の方にこそ、無償の愛がある様な気がしなくもない。

・・・と言うのはもちろん言い過ぎで、愛情を注がれる対象者にとってみても、その愛情に価値・・・すなわちそこから利益なり快楽を得る事が出来るから受け入れる訳であって、必要としないものをいくら与えられても迷惑でしかないゆえ、自分の得にならない愛情は拒絶されてしまうだけの話であろう。

・・・とは言え、中には屈折した自虐的かつ被虐的な愛情の受け入れ方もあるであろうし、それは与える側にとっても同様の事が言えるが・・・。

そう考えると、“与える事”だけが本当に愛情だと言えるのか、更には“与えない事”はおろか、“関わらない事”の方が、その人のため・・・すなわち愛情なのだ・・・と言う言い方も出来よう。

私の親は、ある時を境に私を教育したり矯正しようとする事を“あきらめて”くれた。その事を私はずっと後(それも今から数年前)になってやっと、“愛情”であると認識する事が出来た。

もちろんそれまでも彼らは愛情を持って・・・特に父は、仮にそれが自己の価値観の押し付けに過ぎないとしても、私にとってそれが良かれと思って接してくれていたのだとは思う・・・。

だがしかし、先にも述べた通り、愛情とは注ぐ者や与える側がそう思っていても、受け取る側にとっては苦痛でしかない場合もある。

実際、幼少期に偏食も多く虚弱体質だった私は、「俺の気持ちを解ってくれ!!世間一般の価値基準や、親の勝手なエゴを押し付けるのはやめてくれ!!」と、こころの奥底で叫び続けていた・・・。

家族内で一人だけ異なる価値観を持つ者がいかなる迫害を受けるのか、それは味わった事がある者にしか絶対に解り得ない。

ゆえに私は、こんな年齢になって初めて、亡き父に対して素直にこう言えるようになったのだ。

「あの時、私の事をあきらめてくれて、ありがとう」・・・と。

言わずもがな、それはすなわち私の父が、駄目人間のくせに超頑固でひねくれ者な私の人格を認め尊重してくれた結果なのである。

・・・と、私が勝手に解釈しているだけではあるが・・・。

しかるに、愛情とは“与える側”よりも、“受け取る側”が、それをどう認識するかという事の方が重要であり、与える側がどれほど「これは愛情で言ってるんだ」と思い込もうが、受け取る側がそれを愛情であると認識しなければ成立し得ないもの。そしてまた、それはずっと後になって気づく場合もある・・・と言う事。

よって、私にとっての“愛情の定義”とは、他人の人格を尊重する事であり、自分とは異なる価値観を認めようと努力する事に他ならない。

だから私は、他人からは多少無責任だと思われようが、「自由にやれ、お前の好きにやれ」と繰り返し言い続けているのである。

・・・もっとも、自己の利益や快楽を追求するためのみに、意図的に他人の人権や生命を脅かす様な人種など論外ではあるが・・・。

ともあれ、まだまだ未熟者なんで、そう簡単に悟りきれっこねえけどな!!

今年の目標

結局、繰り返し楽しめるかどうかが問題なんだよね~。

一回観ればそれで充分?

・・・とは言え、一回だけでも楽しめるなら、それでもマシな方か?

だけど、どうせなら、毎回ハラハラドキドキしたいよね。

たぶんきっと、そのハラハラドキドキを求めて、今日も明日も生きるんだろうな。

死後の世界?

そんなものがあるのなら見てみたいもんだが・・・。

それは死んだ後に取っておこう。

しかし、この地球をこんな下らない星にした責任は誰にあるのか?

仮に、そいつに仕返しするとしたら、どんな方法がベターなのか?

日々、そんな事ばっか考えてマスよ。

あるとすれば・・・。

一刻も早く、一秒でも多く、自分の人生を生きる事。

それが今年の目標かな。

借金が何百万あろうが、住んでる所が六畳一間(実際にはもう少し広いが)だろうが・・・。

そんなの関係ね~!!

・・・って、そりゃ去年流行ったギャグか・・・。(^^;)

作業終了

約2800点もあった商品データ、深夜のうちに移植&保存がすべて終了イタシマシタ~!!

只今、一足遅い年越しそばを食しておりマス。

“罪の意識”とは、先天的かつ本能的なものなのか、それとも後天的に刷り込まれた知識に過ぎないのか?

そんな事を考えつつ・・・。
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