Mr.エレクトの独り言 2009年01月15日

Mr.エレクトの独り言

自主レーベル及び、日本人中古貴重盤ショップ、『エレクトレコード』オーナー、Mr.エレクトによる独舌日記!!

Mr.エレクトの「教育論」

過去には経済至上主義社会の支配体制及び搾取のシステムに対する批判(あるいは愚痴?)をこぼしまくっていた私でありマスが、最近は家庭内における教育問題に関心が移っておりマス・・・。

さてそれでは、電車内で自分の子供が大声出して騒いでいたとして、あなたは子供をどのように叱りマスか?

昨今は多いらしいデスな。自分が悪役にならず、「(誰かに)怒られるからやめなさい!!」と、世の中に存在する権力なり権威によって子供を脅すタイプ。言うなれば、これは“罰を与える事による教育”、もしくは“脅迫による教育”ってやつ。しかも、現実に存在する権力や権威を引き合いに出すのならともかく、時には居もしない“神様”の力を借りて、“バチが当たる”だとか“地獄に堕ちる”などと、まるで「お化けが出るぞ」とでも言わんばかりのまさしく子供騙し、あるいは“霊感商法”まがいの脅しまでやらかすから困ったもんである。

また、上記を解りやすく言い直せば、単に「悪い事をすれば自分が罰せられる事になるからやめなさい」って事であり、ゆえに「怒られなければ何をしても良い」だとか「自分が傷つかなければ何をしても平気」だと言う利己的かつ自己中心的な考えを生む元凶になるため、これは絶対に良くない叱り方だと私は思う。

事実、今の世の中を見れば、その様な考え方がどれほど蔓延っているのかが良く解るだろう。

そして次に、親自身が権力や暴力によって子供を叱る場合。これもある種、責任逃れや責任転嫁をしない分、前者よりマシではあるが、親の目の届かない所でこそこそと、あるいは叱ってくれる人のいない所では堂々と悪事を働く様になってしまう場合も多々あると思われる。

もっとも、叱る際に善悪の基準をきちんと教える事が出来ればまだ良いのだが、これもやはりしょせんは“罰を与える事による教育”に違いはなく、親が自分に対して愛情を注いでいるからこそ叱ってくれているんだとの認識が子供自身にあれば良いが、その裏付けがなければ、やはり前者同様、自己の保身や安全を守る事、あるいは自己の利益や快楽のみ優先する様な生き方を覚えてしまうのではないだろうか。

よって、やはり最も大切なのは、「電車の中(=世の中)には色んな(人格や価値観を持った)人が居るんだから、お前が騒ぐと不快な気分になる人も居れば、傷つく人だって居るかもしれないんだぞ。」・・・と言った具合に、他人に対する思いやりや気遣いを教えるような諭し方をする事、そして更に、これは親である自分が人前で恥をかいて嫌な思いをしたくないと言う様な自己の保身や世間体だけを気にした利己的な理由からではなく、あくまでも本心から子供の人生や将来を思うがゆえの行為であり、愛情に基づくものなのだと言う事を理解させる必要があると言う事であろう。

ちなみに、いつかどこかで耳にした情報によると、三歳になるまでは無条件に叩くなどしてキツく叱らなければいけないが、三歳児以降はただ叩いたり叱ったりするだけではなく、きちんと言葉で説明して子供を納得させる事が重要なのだそうだ。

そもそも、動物における成長とは、餌を獲る事や外敵の攻撃から家族や群れの安全を守るための、ある種利己的な能力や技術を身に付ける事であるかも知れないが、ただそれのみを指して、これが人間としての成長であるなどとはとても呼べまい。

ゆえに、ある意味、三歳児までは“人間になるために”、そしてそれ以降は“人間として”育てなければいけないって事なんだろうな。

しかるに、子供に対して“罰を与える事による教育”をいつまでも続ける親は、やはりその様な親のせいで“人間として”育ててもらえなかった可能性が非常に高いのではないだろうか・・・。

そしてまた、“罰を与える事によって管理”されているこの世の中は、人間を人間として扱っていない社会なのだとも呼べるし、逆に言えば人間として育てられていない人間が多いゆえにそうするしかないのだとも言い換えられよう。・・・だがしかし、いずれにしろこれらが相互に影響を及ぼしている事を疑う余地はない。

・・・と、それはまたいずれ。

★ちなみに私は・・・「親の目の届かない所でこそこそと悪事を働く」←これになりマシタ!!(^^;)